大工さんになりたいと思っていた。地下室を作れるから。
宇宙飛行士になりたかった。無重力を体験できるから。
空を飛びたかった。自分の知らない景色を眺められるから。
カートに乗りたかった。好きなコースを走れると思っていたから。
家族と遠出するのが楽しかった。普段見たことのない景色に行けるし、
経験したことのない外の世界を想像できて、実際に体験できるのが楽しかった。
中学や高校ってどんなところで、自分はこんな風にいるのだろうか、
とアレコレ想像するのも楽しかった。
プログラミング教室に初めて行ったとき、コードを弄って変な挙動をさせるのが、とても楽しかった。
自分で世界を自由に表現できるし、ありえない景色もパラメータ一つで自在に作れることが、自分にとって、想像の世界が無限に広がったようだった。
とにかく、知らないこと・未知に対して想像力を掻き立てられるのがとても楽しかった。
その感覚を長い間、忘れていたかもしれない。
大人になって、大企業のインターンシップに行って、色んないい仲間や教えてくれるメンターの方に出会って、ここは怖い所ではなくて、案外受け入れてくれるいいところだなぁ、インターン生だからかもしれないけど、良くしてくれているし、上司の方も朝早く出勤していて偉いなぁって思っていた。
休日も、自分にしては珍しく、一緒に仕事していたちょっと歳が上の方と、街歩きをしていた。
なのに日曜日の夕方に、びっくりするくらいの虚無感に襲われて、二時間くらい動けなくなってしまった。
突然の出来事でびっくりした。大した動機もない。
ただ、家と数百キロ離れた職場が突然隣に来てしまったかのような感覚になった。
家のことは好きだ。とても落ち着くし、僕がやりたいことに対して背中を押してくれる。だから、嫌なものがくっついたわけでは全くなく、むしろ普段だったら嬉しいと思うような現象だ。
でも、遠出をして、列車の中で行ったことのないルートを通って、知らない景色やトンネルを見て、ワクワクしていたときの感覚が、急になくなってしまったような気がして、そんなものか…と、めちゃくちゃ失礼な書き方をすれば、どこもかしこも同じような街で面白くない…と、そんな早とちりをしてしまったのだと思う。
世の中の知らないこと・大枠を想像すらできないことが、もう僕の経験できる範囲のどこにも存在しないような気がしてしまったのかもしれない。
山の上の景色だって、グーグルマップを見れば、大方、正解が分かってしまう。
自分で体験してこそ得られるものもあるだろうけど、僕は、何も知らない状態で、
そこの景色がどうなっているのか想像しながら向かっていく楽しみを好むから、
イメージを知ってしまうと、それを確認しに行くことに興味が湧かなくなってしまうのだ。とにかく、それから遠出をしても「いつも同じような景色」と思うようになってしまって、あんまり楽しめ無くなっていたと思う。
さらに大きくなってプログラミングを使った仕事についた。
とてもよくしてもらっているし、物事を形にして、生産的にしていくことは
それなりに楽しい。ただ、同時に、なんとなく熱くなれないと思っていた。
好きなこともある。音楽ゲームや競技プログラミングも好きだし、上達するための工夫を楽しいと感じる。
パズドラのようなソーシャルゲームも触っていた。
ただ、なんか惰性でやっているような気がしていた。
向上心がないとかそういうのではなく、満たされない感覚がそこにあった。
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自分の失った感覚(満たされない感覚)について鍵になったのは、
小学生のときに初めて本格的に触ったゲーム機(DS)でプレイした、
ゲームたちのことだ。
僕はいっぱいのゲームはしなかったけど、それでも、
一つ一つののめり込んだゲームのことは覚えている。
どうぶつの森をDSでプレイしたとき、海を泳いだら、次の島に行けるのだろうか、
ダイビングしたらどうなってるんだろうか、あーでもない、こーでもないと想像するのが楽しかった。
ポケモンのダイヤモンドパールをプレイしたとき、ソノオタウンに行くまでの204番道路のギミックを超えるまでが特に楽しかった。今までにない「洞窟を出た上の景色」を見るまでの間、そこには何が広がっているのか、想像するのがとても楽しかった。
ナギサシティに行けるまでの「解禁するまで行けない」ときのメッセージがよかった。
「停電している」ってメッセージから、「真っ暗な街」をあれやこれや想像するのが楽しかった。
パワポケをプレイして、表向きには野球ゲームなのに、実際にはドキドキする展開があるのもよかった。
とても簡潔で漫画チックなキャラデザインが、コミカルさを醸しだしていて、なのに
音楽や背景の作り込みなんかが、想像を掻き立てる。彼女ストーリーの山場なんかでゲームをやめた際には、あのあと、どんな恐ろしいことや面白いことが起きるのか、夢に出てくるくらいワクワクした。
めっちゃ恥ずかしいことを書くと、パワポケ13のある彼女ストーリーをプレイしたとき、夜トイレに行くのが、ちょっとだけ怖くなった。そのくらい衝撃だった。
夢にもゲームにも共通していることがある。
世界の一部を知ったとき、まだ知らない世界のことをどんどん想像していたということ。
地下室だって、床下の世界についてアレコレ想像していたのがきっかけだ。
宇宙だって、僕は地上の世界しか知らないから、その外にある世界を知りたかったのがきっかけだ。
カートや空を飛ぶことも、車で運転してもらってどこか連れて行ってもらうことくらいしかなかったから、自分の意志でコントロールして、見たことのない景色を見に行けることに興味を覚えていた。
サイクリングが好きだった。1年に一回くらい、河川敷を自転車で走った。
数十キロに渡って続いていく川の最後には、何が広がっているのか、想像しながら、
次々と変化していく景色を見ながら、漕いでいくのがとても楽しかったし、
小さな頃だったけど、何十キロでも走れるような気がしていた。
あいにくの雨で、半分の工程でリタイアしてしまったけど、
それゆえに、僕はまだゴールの景色を知らなくて、街が広がっているのか、
海が広がっているのか、その展開にまだワクワクしているのかもしれない。
自分の触ったことがあるスマホゲームについて思ったことがある。ケチはつけたくないのだけど、チュートリアルの時点で、ゲームの「景色」について大体予想がついてしまうことが、僕にとって、「面白くない」と感じやすい要素だと、ちょっと感じている。
ガチャで新しいキャラが出たり、ダンジョンが追加されたりはする。
3Dのシーンなど、リアリティも増していて、最新技術はこんなに凄いのか!と作り込みや性能の進化に驚かされることもよくある。ゲームシステムもそれなりに斬新だと思う。でも、同じようなことが永遠と続いていく感じに飽きを感じてしまっている。めちゃくちゃ失礼だけど。
ゲームは「プレイヤーに想像させてなんぼじゃないのか?」って結構思う。
現実世界も「俺たちに想像させてなんぼじゃないのか?」ってよく思う。
経験すればするほど「その先のストーリーや、行けないマップの先にあるもの」に対して想像を膨らませているあの瞬間が大切なんじゃないか、ミステリーを無限に感じられるときなのではないかって思う。
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それが失われた感覚だったのかもしれない。
それで、面白いゲームの要素として、「プレイヤーに想像させること」が大事なんじゃないかって思った。
凄い世界や表現を見せることもインパクトがあっていいことなんだけど、メッセージを伝えることが目的になっているんじゃなくて、勝手に展開していくというのか、予定調和になっていないことが、僕は楽しめることとして大切な要素だと思っている。
制作者も想像しなかったような「想像」や「コンテンツ」が生まれていって、想像もできなかった技術のプレイヤーが誕生して、伝えようとしていたはずのものが、いつの間にか姿形を変えて、「次はどんな作用が起きるのだろうか」とこっちがワクワクするようなものになってきていたら、作る側だったとしても、嬉しいことなんじゃないか、ってちょっと思ったりした。
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たぶん僕はとても鈍感で、GPTのようなものが出てきて、世の中が変化していっているのに、それを「大したことない」と捉えているところがある。
ゲームの話と人生の話をごちゃ混ぜにしてしまったけど、すなわち、「想像を掻き立てられること」を喪失してしまっていて、それをまた体験できたらいいなと思っているんだと思う。
くしらさんの「カラクリ館」(Web特有のギミックを使った謎解き)をプレイしたときにも、次の部屋はどうなっているんだろうって、ちょっと楽しませてもらったから、
ああいう感じの「次の展開をついついイメージしちゃうようなもの」を形にできたらなぁって思っている。
想像できないなんて言いながら、過去の自分の体験を「美化」してしまっているのだから、その「美化」こそが、過去という「失った存在」に対する「想像・妄想」を膨らませている瞬間であって、これが、ゲームプレイヤー的営みかもしれないと思えば、僕は失っているようで、常に想像にモチベーションを感じ続けていることは、変わっていないのかもしれないとちょっと思った。
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勝手な想像だけど、「想像を掻き立てること」みたいな「プレイヤーが楽しいと感じる理由」を理解していて、それを具体的にどんな風に「再現するのか」は、作るときに大切なのかもしれない。
編集家さんやゲームプランナーの方々は、その典型パターンをデザインパターンとして捉えていて、客観的な視点で、それらを説明するのが上手なのかもしれない。
肌感として持っているのは、クリエイターだと思っていて、その繊細で鋭い感覚を信頼しているからこそ、タッグを組めるってことかもしれない。
話が逸れてしまった。これは何もしらない人の勝手な想像である。
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だらだら文章を書くのは面倒くさいけど楽しい。
また気が向いたら、簡単なゲームでも作ってみよう。
そうすれば、何かを思い出せるかもしれない。
Webは難しいから、Siv3Dなどを使ってデスクトップで動くゲームでいいかなと思っている。