気づけば春。

長らく放置してしまったこのブログ。

昨年秋の更新を見返すと、何やら体調が良くないようなことが書いてあるではないか。

 

 

そう、その予感通り、私は昨年12月の初めにぶっ倒れて入院した。

プライベートで色々重なって、心身ともに疲労困憊だったみたいで、入院前後の記憶がもはや曖昧だけど、休養が必要だったのでしょう。

 

 

その後、年明けから今日に至るまで、まぁ、自分がどうしたらもっと無理なく楽しく生きていけるのか、試行錯誤の日々だったな。

 

 

これまでもそうやって生きてきたつもりだったけど、気づけば目的が世間一般で言う「人生を楽しんで充実した毎日を送ってる人になること」にすり変わっていたみたいだ。

 

 

人から見て幸せそうに見えるんじゃなく、そういうのとは関係ない自分の本当の幸せ、本当の充実感を追求しないとならない。それに気づかされた。

 

 

そんな訳で、まずはずーっとやりたいと思っていた算命学の教室に通い始めたり、上司にも言いたいことをなるべく言うようにしたり、とにかく無理をしないことを心がけている。

 

 

そうやって3ヶ月くらい過ごしていたら、なんだかうまく説明出来ないけど、ちょっと前と変わってきたというか、心の奥の固まってた部分が解けた感覚があった。

 

 

季節的なものもあるのかもしれないけど、でも、とにかく去年に比べたらだいぶ軽やかだ。軽やかを超えて、心が踊るようなこともあったし♪とにかく変化の時が確実に来てる。

 

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 コメダ珈琲シロノワール。かなり好き。

 

 

 

巫女系列。

今朝読んだこの記事。

 

巫女さん系列の人 | しいたけ.オフィシャルブログ「しいたけ.のブログ」Powered by Ameba

 

巫女さんっぽいものがついてる人の特徴についてということなんですが、どの項目も自分に当てはまりすぎてびびる。

 

女性で言うと、なぜか爬虫類系の顔つきとか雰囲気を持っている男性が好きな人が多い(綾野剛さんとか藤原竜也さん、最近でいうと星野源さんみたいな。つまり、「簡単にはその方の体温が予測できない」という変温動物の人 

最近ひそかに思ってた。私が好きな男の人って、なんかみんな爬虫類っぽいなぁ~と。(例:ミッチー、吉井和哉、KAT-TUNの亀ちゃん)これ、気のせいじゃなかったらしい。しいたけさんが言ってる爬虫類系の人と違う?!でも、綾野剛とか藤原竜也も好きだな。ヘビ=神の遣いだから好きなのか笑。そういう視点は無かったな。でも、妙に納得。

 

表面穏やか。内面キレやすい。通常の人間関係においてキレるわけにはいかないから「じゃあ私はこれで。サササー」といなくなる 

表面穏やかかどうかはわからないけど、内面キレやすいのは確か。そして、どうやら私がキレると相手にかなりのダメージを与えてしまうらしいので、やばくなったらすぐ退散。分かるわー。

 

ある物事に対してものすごく潔癖。「けがらわしい」と思ったものが自分の空間の中に入ってくると「オエッ」となる 

そう!!まさにそう!!自分がそんなに興味ないことならいいんだけど。

「けがらわしい」っていう感じは最も耐えられないもののひとつ。そう感じてしまった人や物は、自分の世界から抹殺...笑。

 

知的に尊敬できない人に命令されるのがすごくストレス。逆に、知的な部分で尊敬できる人にはすごくついていって、その人の兵隊にもなる 

別に自分が知的レベルが高いというわけでもないけれど、新入社員の頃も、自分的に知的さゼロと判定した上司の言うことは全く聞かなかった。あ、それ以前に学生時代のアルバイトの時からそうだったな。なんて扱いにくいガキ!でも、兵隊になって忠誠を誓ったら、まず裏切ることはないと思う。

 

顔つきはどちらかというと無邪気でかわいらしい。内面は毒じゃなくて刀を持っている。時々「いいからやれよ」というドS成分を発揮する 

顔はかわいらしいって感じではないけれど、自分の笑顔は本当に無邪気というか、120%の笑顔だと思うわ。内面に刀っていうのはすごく分かる。その刀でたまに自分のことも切ってしまうから大変。ドS成分も多分にあるなぁ~。その成分も放出しすぎると恐れられてしまうみたいなので、普段は出さないようにしているけど。このどS成分も自分に向けてしまうことが多々あり、ドSかつドMな自分に引く笑。

 

勝負服は白、時々赤になる

まだ自分の意見をハッキリ持っていないうちは、服装もどこかシャープではない、普段着の延長でちょっとかわいさをもったような感じのを着る。戦闘服を何着か持っていると気分が切り替わってとても良いです 

たしかに白い服と赤い服が好き。自分の中の感覚としては白は戦闘服で、赤は勝負服という感じか。真っ白い服って、日常生活では着にくいからあんまり持ってないけど、なんだかんだ言って迷った時に手が伸びる服は白かも。着ていて安心する。赤は着てるとテンションが上がって、女度が上がる。

 

伊勢神宮などにすごく縁 

実は自分の親戚が神社関係だったりする。 あとは、実家が神社で今は神主さんをやっていたり、地方の大きい神社の末裔だったりする友達がいる。そんなに友達多くないけど、その割に神社関係者が多い。

 

成仏を求める変な人たちが寄ってきやすい 

困ってる人に頼られる傾向、めっちゃある。成仏を求めてる系の人って、自分が困ってることに無自覚だから厄介。

 

この巫女さん系は「良い人と見られる」、表向きの受け付けの人みたいな感じの人格と「おって沙汰します」というような裏の人格があるので、「感じの良い受け付けの人」が良い対応をしてくれたからといってもちろん100%心を許したわけではない。信頼関係を築くためにはゆっくりとした時間を必要とする 

まったくどうしてここまで私のことがわかるの~?!と思ってびびる!ホントそうなんですわ。物事を表面的にしか見られない人がよくわからないし、そういう人には軽蔑のような気持ちを持ってしまうことも。私ったらどんだけ偉そうなやつなのかという感じだけど、気安く人の領域(聖域?)に踏み込んで、これまた簡単に受け入れてもらおうと思っている人の図々しさが嫌いなんだと思う。人は皆、それぞれに侵されたくない領域というのがあると思う。それはとても神聖なもので、いわばそれぞれの人の中に一つずつ神社があるようなイメージだ。だから、そこにずかずかと入り込むなんて本当に失礼なことなのだ。神社に行ったら、ちゃんと手水で手を洗ったりして清めるのと同じで、人と深く関わりたいなら、自分もちゃんとコンディションを整えて、どこまで入って行っていいのか確認しながらお邪魔しなきゃダメだと思っている。

私の中の「感じの良い受け付けの人」が、相手へのマナーのつもりで優しく対応すると、男性の場合、「これは脈あり!」と勘違いをしてしまうようだ。そして、その後は一気に距離を縮めようとして、いきなり土足で本殿に入ろうとしてくる。そうなると、受付の人じゃないその奥の私は、相手の男性が本当に本当に本当に本当に気持ち悪くてたまらなくなってしまい、それ以上その人と関わることができなくなる。急激に近づかないでいてくれたら、もしかしたらもっと仲良くなれたかもしれないのに、私としても残念だったりするんだけど。そうやって何人もの男性にお断りをしてきてしまっている。私は人間関係の構築にはすごく時間がかかるので、その辺を理解してくれる人としか付き合えない。

 

 とまぁ、そんな感じなんだけど、自分が巫女系列なんだと思えば、なんだか気が楽になる。しょうがないんだ。浮世離れしているんだ。祈祷や占いが仕事なんだ。神託を人々に伝えないとならないんだ。なんか、前に聞いたハワイに生まれたときの前世も、なんだか巫女っぽいし、きっとそうなんだろうな。神社検定受けようかな。

 

 

体からのお知らせ~私はこれからどこに向かうのか。

半年に一回くらい通っている小顔矯正のサロンがある。

昨日は久しぶりにそのサロンに行って施術を受けてきたんだけど、頭蓋骨も顎関節も何もかもがバキバキに固まっていたらしく、セラピストさんに結構心配された。諸々含めた今の環境、もう窮屈なんじゃない?って言われた。

 

確かに・・。自分でもそう思っていたんですよ・・。

 

セラピストさん曰く、この状態は体からのお知らせ現象で、すでに結構無理してまっせ~というアピールなのだと。で、これがさらに進むと、本当に無理になって倒れちゃう。実際に倒れてからだと、リカバるのに時間も労力も使うから、早めに対策してね!とのこと。

 

昨日のセラピストさんは、かなり直感型の人で、ちょっとスピ的な要素も入っている人なので、そういう人にそこまで言われてしまうと、ちょっと気になる。

自分でも、今の自分の状態は、色んな意味で過渡期というか、一つのフェーズが終わって、新しい段階に入っていかなければならない時期なんだろうな~と感じている。自分を取り巻く環境がどんどん変化していて、自分だけが取り残されているような感じもしている。私も次の段階に動きたいんだけど、でも、どうやって進んでいったらいいのか?どこに次の一歩を踏み出したらいいのか?それが分からないというのが現状だ。

 

変化することに躊躇は無いというか、どちらかというと常に新しいものを取り入れていたい方なんだけど、なんだか今は何を見ても、ピンと来ないというか、取り入れたいものが見つからない。だからどこに向かっていったらいいのか、路頭に迷っているという感じ。

 

一番無理がキてるのは間違いなく仕事だ。

今の職場は人間関係もいいし、めちゃくちゃ忙しいわけでもないし(むしろちょっと暇で持て余している)、まるまる9年もいるので、もうすべてがルーティンである。そしていろんな意味でユルい職場なので、居心地がいい。だけど、逆に言えば刺激に欠けるし、仕事に対するモチベーションが全くない。そもそも前職を辞めてプラプラしてたところに声をかけてもらって、いわば拾ってもらって入った職場なので、「この仕事がしたい!」と明確に思ったわけではなかったから、ある意味仕方ないけれど、その反面、拾ってもらった恩義を感じてしまって、なかなか辞めづらかった部分もあり(意外とまじめなのだ)。

 

でも。

 

でも。

 

はっきり言うと、今の仕事場で過ごす毎日は、恵まれてるけどめちゃくちゃつまらない。仕事内容は私にとっては苦手なことばかりで、どんなに頑張っても、それが得意な人や好きでやりたい人たちには絶対にかなわない。私は器用貧乏なので、まぁちょっと無理すれば70点くらい取れてしまうから、それで何となくやれてるだけだ。

 

こういうのは悪くはないけど、良くもない。ある意味一番タチが悪いパターンかもしれない。今の職場を離れるとしたら、自分の強力な意志の力が必要だからだ。超ブラック企業とか、いじめられてるとか、セクハラやパワハラにあってるとか、そういうことがあればやめる理由が明確なのに、それが無い。だから腹を括って自らぬるま湯を出るしか無い。要は「誰か(何か)のせい」にすることができないということだ。

 

こんなにぐだぐだと仕事を辞めたいことについて書けるほどフラストレーションが溜まっているなら、とりあえず辞めりゃいいじゃん、という声も聞こえてきそうだけど、要は自分の責任で会社を辞めることに、まだ踏ん切りがつかないし、決めるのが怖いのだ。

 

辞めてみればどうってことないのも分かってるし、その後の生活もきっとどうにかなる。いや、絶対どうにかなる。

 

早く腹を括りたい。

  

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痩せたい。

先週、定期健康診断があった。体重を計ったら、思ったより増えてた。私はだいたい夏は食欲が減退して痩せ、暑さが収まってきたころから食べられることが嬉しくて過食気味になり、秋から冬にかけて体重は増加傾向になるのが常なのでいつもの通りなんだけど、でもそれにしても予想よりも太っていたから、ちょっとショックだったというわけ。

 

私の今の体重は、決して「デブ」とか「肥満」という訳じゃないし、普通に既製品の服も着られるし、問題ないといえば問題ないんだけど、でも、私は「太る」ということに対し、おそらく普通の人よりもすごく罪悪感が強い。学生時代は今よりだいぶ太っていて、それがすごくコンプレックスだったからかなぁ。とにかくちょっとでも太ったらかなり不快な気分になる。

 

そもそも、私の体重はここ数年でちょっとずつ増加する傾向にある。まぁ、年齢とともに代謝は落ちていくから、ある意味自然なんだけど、、体重増加の原因は、これまた当たり前だけど食生活にある。

 

ここ10年くらいの間で私が一番痩せていたのは、約5年前頃だと思う。その頃のことを思い出してみると、それなりに色々な理由があって痩せていたんだなぁ、と思ったので書いてみる。

 

  • 実家住まい

とにかく自分以外の誰かがいると、自分の食べたいものだけ食べたり、めんどくさいからといってお菓子を食べて食事がわりにしたり...と言うようなヘンテコな食生活を送り続けることはそうそうできないことが多いと思う。

そんなことをしたら、ほかの家族からクレームが来ることもあるし、お菓子を食べすぎてたら「また食べてんの?」とか言われることもあるし、とにかくデブにつながる食生活を監視される(されてなくてもされているような気になる)環境があるのだ。

逆に言うと、今は一人暮らしなので、例えばお菓子を買ったら(そもそも買わなきゃいいんだけど)1人で全部食べることになっちゃうし、好きな時に好きなだけ食べることも可能。しかも1人だと手持ち無沙汰になった時に、なんとなく何かを口に入れてしまったりもする。とにかく私にとっては太る要素満載なのだ。

 

  • 病気の母の菜食に付き合っていた

まだ実家に住んでいた頃、母は末期のがんを患っており、食事は基本的に菜食だった。外食しようにも、日本にはおいしいビーガンレストランがまだそんなに無いし、当然バターや卵をふんだんに使った普通のお菓子は食べられない。だから、家で少しでも食事を楽しめるように、私もネットでレシピを検索したり、料理本を買ったりして色々なビーガンメニューを作り、自分も一緒にそれを食べていたのだ。

私は昼食は基本的に職場の近くで何かを買って食べることが多かったから、完全なるビーガンだったわけではないけれど、むしろそうやってゆるく菜食生活をしていたことは、ストレスも少なくてよかったんだと思う。

 

  • 健康に対する意識が異様に高かった

重病人と同居していたおかげで、当時は少しでも体に良いことは無いか?少しでも病気が良くなる方法は無いか?と、常にアンテナを張り巡らせまくっていた。母本人の希望で、化学療法はせず、自然療法をメインにやっていくということにしていて、私はもともとそういう分野にすごく興味があったから、色々な健康法を見つけては、しょっちゅう自分で人体実験していた。(例:冷え取り靴下、アーユルヴェーダ、しょうが紅茶、ニンジンリンゴジュース等々)

反対に「〇〇は体に良くない」という情報を得れば、それを辞めてもいた。例えば白砂糖は体に良くないからなるべく取らないように~とか、添加物や質の悪い油を取らないように~とかそういうこと。

そういう生活をしていたので、スナック菓子とか、菓子パンとか、ファストフードとかは本当は大好物だけど体に良くないものは排除されていった。

 

  • 付き合い始めたばかりの大好きな彼氏がいた

これ、痩せてた一番大きな痩理由だと思う。この頃は、大変なこともあったけど、精神的にすごく幸せで、別に食べることで幸せ感じなくても大丈夫だった。それに脳内で恋愛で感じるときめきを感じる分野と満腹中枢って、すごく近いところにあるらしい。だから、恋愛してときめいていれば、満腹中枢も満たされているように脳が勘違いするらしいのだ。それだけでなく、単純に好きな男性とのスキンシップがあったり、裸体を晒す機会があれば、知らない間に体が反応して、女性らしくウエストがくびれた体型になってみたり、肌がすべすべになってみたりするもの。ほんと、あの頃はルンルンだったからな~。

 

とまぁ、こんな感じか。

 

今の私の周りの状況はいろんな意味で全く変わっている。実家を出て一人暮らしだし、母はもう亡くなったし、当時付き合っていた彼氏とは別れてしまった。あの頃に比べて、少なくなったストレスもあるけど、違うストレスが生まれたりもしていて、うまいことその辺をやり過ごしていかないとね、と思っている。そのためには、大事なのは柔軟性なのかな。今痩せたいからって、前と同じようにはできないわけだし、現状に合わせたダイエットを考えないと意味がない。当たり前だけど。

 

とりあえず、今でもできそうなのは朝ごはんをしょうが紅茶にすること。痩せてた頃は、朝ごはん食べずに、青汁としょうが紅茶だけだった。でも、いつからか朝のスタバやドトールに寄ることが癖になってしまって、そこでスコーンとかをつまむのも日常化しているのだ(太るに決まってるね)。あとは、家ではなんちゃってビーガンになること。肉類を食べるときは、鶏のささみとかむね肉にする。その代わりと言ってはなんだけど、お昼は好きなものを食べる。我慢しすぎるとストレスがたまるからね。

 

とりあえずこれを忠実に守れば、じわじわと痩せてくるでしょう・・・。体重計の電池買わなきゃな。

 

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そんなこと言っても、この前行ったハワイアンレストランはどれも美味しかったなぁ~♪

 

THE YELLOW MONKEYが好きだ!

かなり直球なタイトルなので、もうこれ以上書くことも無いってくらいのもんだけど。

 

私の中学高校時代は、日本の音楽シーンがすごく盛り上がっていた時代で、とにかく格好いいバンドがいっぱいいた。私は日本のロックバンドが大好きだったので(今でも好きだけど)、いろんなバンドの曲を聴いていたし、まだ日本におけるフェス文化が始まったばかりの頃のフェスにも行っていた。

 

その中でも大好きだったバンドのうちの一つがTHE YELLOW MONKEYである。ほかのバンドとは一風変わった音楽性とルックスが何だかすごいインパクトで、一番初めに「smile」というアルバムを聴いた時、当時15歳だった私は、実はあの濃厚な世界観をちょっと受け入れられず、1度しかアルバムを聴けなかったという過去がある・・・(その後smileはかなり好きなアルバムになったけどね)。それ位、あの頃のイエローモンキーはとがっていたし、ギラギラしていたし、特別な感じだった。

 

それからバンドは絶頂期を迎え、その後、徐々に下り坂になり(バンドのコンディションがね)、休止そして解散となったわけなんだけど、その頃の映像を見返してみると、解散前の最後のライブでさえ、本当に格好いい。なんか魂が揺さぶられるというか、いてもたってもいられなくなるというか。パフォーマンス自体が熱いから、こちらも熱くなる。私はその熱い感じが好きなのだと思う。

 

ロビン(吉井和哉)の自伝とかを読むと、ものすごい波乱万丈でモーレツな人生なんだけど、彼のパフォーマンスを見ていると、そんな人生の荒波に揉まれているから、「自分はここにいる!!」と、これまたモーレツに表現しなきゃならないのかな・・と思ってしまう。

 

まぁ、ロビンの人生に比べたら、私はまったくもってフツーの人なんだけど、でも、やっぱり人一倍自分の中の葛藤が強かったり、家庭環境がちょっと複雑だったり、体調を崩して入院したり、恋愛が不得意で変わった人とばっかり付き合って振り回されたり、とにかく人生を「みんなと同じに」はなかなかやってこれなくて結構苦労した(している、という現在進行形かも)。

 

だから、よく悩むし、凹むし、自分を見失いそうになる。自分の感情が激しすぎて疲れるし、そういう諸々を自分の中に抱えているのがとても大変。だから私も自分に対して叫びたくなるのだ。「私はここにいる!!」とね...。

 

そういう人生の中で、イエローモンキーをはじめとする音楽が、どれほど私の力になっていたことか。多分唯一の救いだったんだじゃないだろうか。だから学生時代はバンドばっかりやっていたし、なけなしのお金をはたいてライブを見に行った日には、本当に感動したし、自由を感じられたし、その時だけは生きている実感があった。音楽とつながれる時だけが素のままの自分であり、私自身が自分を見失わないでいられる瞬間なのだ。

 

そんな私なので、イエローモンキーが解散してからも、色んなアーティストのライブに行っていたし、音楽の無い生活をすることは無かったけれど、やっぱり大好きだった幻のバンドが再結成したことは本当に嬉しい。あのグルーヴは唯一無二。他のどんなバンドにも出せない独特のものだ。

 

今年の8月に、 幸運にも再結成してからのライブを初めて見ることができたんだけど、本当に懐かしくて、嬉しくて、涙が止まらなかった。久しぶりのイエローモンキーを感じられて本当に幸せだった。運良く12月28日の武道館ライブのチケットも取れたので、今はそれを生きる糧にしている!!

 

 他にも好きなアーティストはいるけれど、イエローモンキーは自分の中のロック魂というか、反骨精神というか、煮えたぎるような感情を思い出させてくれる存在。とはすなわち、自分は生きていると感じさせてくれる存在ということなのかも。来年はアルバムも出るみたいだし、とにかくしばらくは追っかける!!

 

We are NO.1 rock' n roll Asian,

THE YELLOW MONKEY !!!!

 

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ひとりごと。(2016.11.15)

ここ数年、私の人生は結構激動の時期のようで、色々と考え込むことが多い。

そんなだから、心を許せる人には自分の中にたまったモヤモヤした思いや、悩みを聞いてもらうことも多くて、この前も近しい人にあーでもないこーでもないと、私の話を聞いてもらっていた。

 

そこで言われた言葉が、

 

「(あなたは)理解が早すぎるかもよ。賢すぎるんだよ。もっとバカになって敢えて考えないっていうのもいいかもよ。」

 

というものだった。

 

う~ん・・・。

 

自分のことを理解が早いと思ったことも、賢いと思ったことも無いし、むしろバカだなぁと思うことの方が多いんだけどなぁ~。まぁでも、自分が当たり前にやっていることが人から見たら特別だってこともあるし、そういうことなのかな?

 

理解が早いというか、直感的なんだと思う。パッと直感で自分の答えが出ちゃった時、もう少し時間をかけてじっくり考えた方がいいんじゃないか?なんて思い直して、一晩寝かせてみたりするんだけど、結局のところ結論が変わらないことがほとんどだし、頭で考えて出した答えに従ってみても、意外と満足感なかったりすることが多いから。

 

というか、もっと根本的に、人って結局はそれぞれの世界で生きていて、自分以外の人の感覚って絶対に分からないし共有できない。同じものを見ていても、本当に同じように見えているかどうかは絶対に証明できないし。だから、アドバイスって無駄だなぁ~って思ってしまう。よほど相手のことがよくわかっていて、似ているところがあって、能力や人生経験が似ていればいいかもしれないんだけど・・。だから、私は自分がモヤモヤしていても、アドバイスが欲しいわけじゃなくて、自分の中のモヤモヤを聞いてほしいだけなんだ。

 

まったく自分が面倒くさくて扱いづらくて、それが一番のモヤモヤかも!以前、算命学の鑑定を受けたら、そういう星のもとに生まれているから仕方ないと知れて、本当に納得した。(算命学用語でいうところの「互換中殺」とか「天剋地冲」とかそういうの持ってるから、平坦なフツウの人生って無理なのかも?)算命学ってすごいんですよ、ほんとに。まじめに勉強しようと最近思っている。

 

最近、頭の中が細切れの思考で埋め尽くされていて、なかなかまとまった文章が書けなくて、このブログも書いては消し、書いては消しの繰り返し・・。思っていること、書きたいことは色々あるんだけど、それをアウトプットするための頭の編集機能が不調というか。まぁ、気長に書いてみよう。

 

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フラの発表会。

先週の日曜日は、私にとって初めてのフラの発表会だった。

ちなみにハワイ語では発表会をHo' ike(ホイケ)と言うそうな。

 

実はフラを始めてから、すでに丸二年が経っている私なのだが、一週間おきに月に2回しかレッスンを受けていないので、ユルイ感じで楽しいのだが、思うように上達しないのが軽いジレンマだった。

 

経験上、習い事って、成果を発表する場が無いと集中して練習しないし、集中して練習しないと上達しないという構造になっているので、私個人としてはある程度基礎が固まったら絶対発表会に出ようと心に決めていた。それが今年の発表会だったというわけ。

 

私は子供のころからピアノを習っていたり、小学生の頃は音楽クラブだったし、中高生時代は軽音部、大学生の頃もバンドをやっていたので、意外と人前で何かを披露するのは慣れているし、性格的にも出たがりなタイプ(裏方とかはやりたくないタイプ)なので、先生から発表会に出ませんか?とお誘いをいただいた時は、真っ先に手を挙げ、今年の春頃からはそのつもりでいた。

 

まぁ、これは余談だけど・・・一緒にフラを習っているお姉さま方がいるのだが、その方々は、私より長くフラを習っているというのに、「私なんかが発表会に出るなんてとんでもないわ~!できな~い!」などと言い、最初は強硬に発表会に出ることを拒んでいた。

 

そういう発言は、私にしてみたら、全く意味が分からないものだった。踊りの出来を競う「大会」じゃなくて単なる「発表会」なんだから、下手でも下手なりにベストを尽くしてやりゃいいだけの話。自己満足の世界だ。それに発表会という目標ができれば、いやでもいつもより練習するんだから、それなりに上達するっていうものである。

 

たいして情熱もなく、ちょっとかじった程度でいいやと思うのであれば、月2回のレッスンで雰囲気だけ味わっていればいいと思うけれど、やっぱり「フラを習っています」と人に言うからには、せめて1曲くらいは十八番の曲が欲しい。個人的には、リクエストがあれば踊りますよ~くらい言えるようになりたいと思っているので発表会はまたとないチャンスだと思っていたのだ。

 

一方の「できな~い!難しい~!」というのが口癖のお姉さま方だが、そんな風でいて、先生やほかのインストラクターの人たちを見て「どうやったらあんなに上手に踊れるのかしら~」なんて言うくらいだから、向上心はあるらしく、ぎりぎりになって「やっぱり私たちも発表会にでます」って言いだした。だったら初めから出るって言いなさいよね、って思ってしまったのはここだけの話・・・。

 

話が逸れたけど、人前で何かを披露するために練習や準備を積み重ねるというのは、本当に学生の時以来で(あ、会社のイベントの時に、余興でAKBを踊ったことはあったけど!)なんだか懐かしい感覚だった。

 

それに採寸して衣装を作ったり、プルメリアのレイや、髪につけるお花の飾りを用意したり、とにかく初めてのことの連続ですごく新鮮だった。大人になってから初めての経験をするって、なかなか無いから良い経験だったと思う。

 

それ以上に新鮮だったのは、フラ自体をいつもと違う環境で集中して練習することができたことだったと思う。私たちのクラスは、月に2回しかレッスンが無いので、さすがにこれじゃ足りないということで、ほかのクラスに混ぜてもらい、いつもとは違う人たちとレッスンをさせてもらったのだ。

 

その時にお邪魔したクラスには、大会で賞を取ったことのある人や、インストラクター級の上手な人たちばかりが集まっていて、その人たちの踊りの上手さに軽く驚きと感動を覚えた。いや、当たり前なんだけどね、キャリアも長いし。

 

そんな上手な人たちと自分を、勝手に比べてしまったりもして、下手なりにも私もちょっとは上手くなったんじゃないか?なんて思っていたのをあっけなく打ち砕かれ、かえって焦りが湧いて来たり。冷静に考えれば、そんな上手な人たちと自分を比べること自体が間違いというか失礼なんだけど、でもまたその焦りやショックが良い刺激になって、さらに練習に熱が入ったりもした。

 

私はそうやって何かに集中して打ち込んでいる時間が大好きだ。それは趣味じゃなくても、仕事でもなんでもいいんだけど、とにかくそうやって何かにエネルギーを注ぎ込んでいる濃い時間が心地よいのだと思う。

 

私がとても興味を持っている算命学でも、私はエネルギー過多な星回りらしい。普通の人がセダンだとしたら、私はダンプカーなんだとか・・・。きっと普通のルーティーンの生活だと、エネルギーを持て余してしまうのだと思う。私のだぶついた余剰エネルギーの行く先と言ったら、だいたいネガティブな妄想(将来の心配とか、過去の辛かったことの回想とか)になってしまう。だから余裕がない状況というのは私にとってはありがたい状況なのだ。

 

そんなこんなで迎えた初めての発表会だったけど、結果から言うと、すごく楽しかった!

 

同じ教室の違うクラスの人たちの色んな踊りを見ることができたし、インストラクターの方たちの素晴らしい踊りも素敵だったし、何よりも先生の踊りがやっぱり素晴らしかった。なんだかこの教室の一員で嬉しいなぁ~なんて思ったり。ちょっと青春。

 

普段は団体行動が嫌いな私だけど、こういう時の一体感というか、みんなでやったぞ!という達成感は好きなのだ。それとか、やっぱり自分は人前で何かをして見せるのが好き。舞台の上で光を浴びていると、なんだかめっちゃ嬉しい!そういえばバンドをやっていた時もそうだった。そういう自分を再発見する体験も、大人になるとあんまり無いから、それも刺激になった。

 

ちなみに当日は、家族や友人が見に来てくれていたけど、なんだか結構好評だったからそれも嬉しかった!

 

友人の一人は、子供のころからバレエをやっているから、そういう踊りに造詣の深い人に「とっても上手だった」と褒められたことは嬉しかったし、それ以外の友人からも「お世辞抜きですごく上手だった!すごくセンスあると思った。是非続けてね!」なんて嬉しいメールももらい、すっかりその気になった私。

 

 好きこそものので、もっと熱心に練習したら、また違う世界が待っているはず。何がどう繋がるかは分からないけど、このタイミングでフラを踊ってることにはそれなりの意味があるんだろうな。

 

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