読書9‐14『「がんばらない」ススメ』Ⅷ

欲望を持つな他人と比べるな誰もが十分輝いている

昨日失敗した畑の畝づくりは今日もう一度やり直しなんとか形になった。今日もいいこと悪いことそれぞれがあったが、「何食わぬ顔」を意識して対応することができた。ああ、ようやくこれで週末だ、一休みすることができる。

~あなたの中には愛情、勇気、可能性が無限大に含まれていますし、もちろん家族の中にも過不足なく満ち溢れています。~

私を知らない著者がこう呼びかけてくれる。誰もが絶対的に愛情、勇気、可能性で満ち溢れている。そう言い切っている。それでも戦争や犯罪、凶悪事件が絶えないのは、それらを生かし切れていないということだ。何がそうさせているか。それは欲望にまみれているということだ。

~あなたは何かが不足しているのではないのです。すべてをもって自分の個性として輝いているのです。他人に対するコンプレックスや自己嫌悪など感じなくていいのです。~

何も不足していない、満ち足りている。そして輝いている。そのはずなのだが、他人と比べてしまうことで、不足感を感じてしまう。それがコンプレックスや自己嫌悪になる。

~勝ったの負けただのはしょせん、世の中の作り事です。欲望まみれて疲れ果ててしまいます。欲望には限度というものがありません。欲望を手放したとき人は自由になれます。あなたはあなた自身でよいのです。勝ち負けを争わないでも最初から十分に輝いているのです。~

私は職員室が好きではない。同僚が嫌いなのではない。同僚といると自分と比べてしまいそうになるのだ。勝った負けたのマインドになりそうになるのだ。まだまだ、この域には達していないな。(R6.5/10記)

 

読書9‐14『「がんばらない」ススメ』Ⅶ

勝ち負けも所詮意味なし無情の世手ぶらで生まれ手ぶらで還る

子どもが5時間授業で帰ったので、一人畑を耕し、うねを作る。3列ほど作ったが、曲がってなんとも不格好。気に喰わずもう一度耕運機で耕す。1時間ほどの作業だが、物事が上手くいかないことを学ぶ。

~「世の中には完全にハッピーな出来事はない」完全にうまい話などこの世には存在しないのです。世の中のあらゆる出来事にはいいことと悪いことが半分ずつ含まれているのです。~

今日も思い通りにいかないシーンが結構あった。思い通りにいくシーンもあった。半々なのはわかるけど、どうしてもうまくいかないシーンだけにこだわってしまう。うまくいってあたりまえ、みたいな感覚になっているのだ。

~何食わぬ顔をしているのが一番です。この「何食わぬ顔」というのは厚かましく感じるかもしれませんが実は「仏の顔」なのです。過去にとらわれず今を軽快に生きる人の表情です。「何喰わぬ顔」をしてさっそうと自分の人生を演じてください。~

調べたら「自分のしたことや思っていることが人に知られては困る時、注意をそらすために平然と振舞うさま」とあった。感情を簡単に表に出さない、物事に動じないことを言っているのだろう。一喜一憂していてもいけないのだ。

~こんな無情な世界で一瞬の他人との勝ち負けなどに一喜一憂しても大した意味はないのです。結局、基本は手ぶらです。いま、とても大事にしているものもいつかはなくなります。それに執着し、失うことを怯えていてはいつまでも心の平安はやってきません。~

そういえば先月、修理に出したマイカーはどうなっただろう。買い替えたばかりなのに動かなくなりGWも代車を使わざるを得なかった。マイカーが帰ってこないことに執着していては、心の平安はやってこない。それはわかるのだが。(R6.5/9記)

 

読書9‐14『「がんばらない」ススメ』Ⅵ

スッと吸い十まで数えながら吐く すべてを出し切りリセットされる

以前は子どもの前で集中していなかった気がする。いい授業がしたいとか、優れた教師になりたいとかそういう下心があった。目標と言い換えてもいいかもしれない。それを叶えるために子どもと向き合っていた。だが、今はそういう雑念はない。ただ向き合う。全方位で。そして抜け目なく対応する。かつては子どもへの対応が目標に近づく「手段」であった。だが「目的」に変わったのだ。

~座禅の効用のひとつとして、このような内からの「ノイズ」つまり雑音に自分がどれだけイライラ、ソワソワしているのかに気づくことがあります。~

もう5年以上続けている座禅。とはいえ、週に一度だけど。でも、雑音に気づくなんて効用があるのかな。

~座禅は呼吸法と密接につながっています。足を組みまぶたを少しだけ閉じ、ゆっくりと「ひとーつ、ふたーつ」と十まで数えてみてください。すっと息を吸い込み、吐くときに「みーつ、よーつ」と数えるのです。「十」まで数えきれたらたいしたものです。やっているうちにだんだんとノイズが消えて心が穏やかになるから不思議なものです。~

私は、息を長く吐くことに集中している。

~座禅はある意味いつもスタートラインに戻りましょうというトレーニングです。座禅では呼吸の出入りに意識を集中させます。息を吐くことで自分の中にあるものすべてを出し切ると、意識しなくても自然と新しい空気が入って身体は満たされます。~

ただ長く吐くことだけを意識していたが、自分の中にあるもの、それも悪いものをすべて出し切る、そして新鮮なものを取り入れるという意識が大事なのかな。スタートラインというより、リセットなのかな。リセットできれば、がんばらないでもいい。(R6.5/8記)

読書9‐14『「がんばらない」ススメ』Ⅴ

許せない悩み苦しみあろうとも努力がんばりなくも消え去る

GW明け初日。朝から雨、当然ながら子どものテンションもあがらず苦労の多い一日であった。割り振りを取りできるだけ早く職場を出る。ゆっくりだが、すぐにジョギングで走りだす。走ることに集中していれば多大なストレスも軽減される。

~人は失敗すると魂のレベルが一段階上がるようです。たとえ失敗して落ち込んでも人は休息して心身を癒すとまた魂が上昇へと向かいます。それが生命というものです。自分の持つ成長する性質を信じましょう。~

「休息して」というのがポイントだ。失敗するのは疲れも一因なのだ。休息する。心身を癒す。最近子どもから目が離せずに昼の休憩さえも取れない。昨年度までは取れていた、職場からも子どもからも離れる休憩はやはり意味があったのだ。

~あんなに悩み苦しんでいたことがまるで滑稽なお芝居であったかのように見えてくるものです。許せなかった態度、言葉、人間、それらが遠い目に見た懐かしい記憶へと変わるのです。そのことを忘れないでください。~

どんなによい心がけであっても、どんなに努力しても、「許せなかった態度、言葉、人間」は発生する。そういう仕事なのだ。滑稽でも懐かしくもないが、それは通り過ぎるものなのだ。だから感情的になることなく、淡々と対応するしかない。

~いま、あなたが抱えている問題は自然になくなるのです。努力しなくても、がんばらなくても、自然に消え去るのです。安心してください。どうぞ失敗してください。失敗するしか魂を上げる方法はありません。失敗は買ってでも手に入れましょう。~

魂を上げるとか魂が上がるというのがよくわからない。ググってみたけどスピリチュアルに歩を進めそうでやめておいた。成功しても魂は上がらない、失敗すると上がるというのも分からない。まあ、失敗しても気にしないでおこう。(R6.5/7記)

読書9‐14『「がんばらない」ススメ』Ⅳ

その傷は神仏からのプレゼント勲章にかえてお返しをする

一昨日、昨日と恒例の旅行。代車で遠出して古びた旅館で一泊した。観光も食事も自分なりに満足したが、同行した家人が喜んでくれたのが一番良かった。

ニーチェは「自分に今起きていることをすべて肯定せよ」と言います。それまで生きてきた身体を捨てるということは、神様、仏様への裏切りであるし、さらに言えば、自分自身を裏切ることになるでしょう。だから今の自分のことは「YES」と肯定すべきです。~

肯定せよというのはすべて受け入れろということだろう。自分という命は、神様仏様からいただいたものなのだ。というより、あずかったもの、かりているものだ。それを勝手に捨ててはいけない。今読んでいる禅の本にもそう書かれていた。自分はそのことを少し忘れかけていた。

~ありのままの姿を見せるのが平常心を保つうえでも一番よい方法です。そのまんま、そのまんま。ありのままを相手に見せておけば相手も心を割って接してくれます。~

自分は自分のものではない。そう思えば、隠すことも飾り立てることもない。ありのままを見せればいい。見せようと思わなくたっていい。

~もし傷ついてしまったらそれは神様、仏様からのプレゼントだと感じてください。なぜならその傷から新しい発見があるばかりでなく、その傷を受けた部分は癒えるとより強くなるからです。傷は心の勲章です。私も傷だらけ、あなたも傷だらけ。満身創痍で三途の川を渡りましょう。~

傷はプレゼント。傷は勲章。私は神様仏さまからこの身体を預かり、勲章をいっぱいつけて、それをお返しするのだ。(R6.5/6記)

グランパス『0-2 神戸戦』

後半にチャンス作るも決められずFW陣の復帰待たれる

J1 第11節  5/3(金)19:00  豊田スタジアム

GW後半初日、もったいない時間を過ごしたなと思うのはエネルギーを温存しておいたからだ。少し昼寝をしてお茶を作りペットボトルに入れて代車でスタジアム方面へ。駐車後、ショッピングモールでカツ丼弁当を買ってフードコートで食べ準備万端でスタジアムに向かう。スタジアムに到着するとスタグルにはどの店も長蛇の列。流石にGWである。そういえばキックインセレモニーに霊長類最強女子が出て歓声が上がった。

試合の入りは悪くなかったと思う。が、よくもなかった。ミッチが大迫の絶好機を神がかりセーブで払いのける。守備は健闘していたが、こちらのチャンスもほとんどなかった。マスイは全く目立たず。今までの活躍は、相手が弱かったからだと思う。そうこうしているうちに、セットプレーから、ミドルシュートを決められる。一年前、藤井が決めたのと同じ。お返しされた感じで、正直へこんだ。決めたのは元日本代表。

後半からパトリックが出てチャンスを演出する。ゴール前で惜しいシュートを放つが決められず。あの流れで追いついていたら勝利も引き寄せていた気がする。我が軍の時間が過ぎ、敵はカウンターから目の覚めるゴール。これも元日本代表。

決めるべきところで決められなかった我が軍。永井、パトリックらベテランを彼らと比較してはいけない。選手層の薄さというより、けが人の多さに嘆いている。観客は39000人。こういう試合で完敗することが我が軍のあるあるである。(R6.5/4記)

 

読書9‐14『「がんばらない」ススメ』Ⅲ

がんばって道を開けるわけもなしなるしかならぬそれが運命

長年使っていたプリンターが故障した。インクリボンを受け付けなくなってしまったのだ。プリンターを抱え家電量販店に赴く。店員の話では今年の3月で修理受付期間が終了とのこと。購入から早9年が経過していた。買い替えをせねばならなくなった。

~人間はがんばってがんばって道を切り開いているように感じますが、実はなるようにしかならないのです。それを人は運命と呼びます。~

努力ということばがある。成果ということばがある。教師は子どもに「がんばれ」「がんばれ」と尻を叩く。がんばって勝っても、誰かが負けるだろうに。子ども同士も競争しているが、教師も競争していることになる。きっとがんばらせるのではなく、その興味や知識欲に応じて取り組ませることが本当なのだろうな。

~怒りやイライラには徹底的に傍観者でいることを仏教では勧めます。私は怒りやイライラが湧き起こりそうになると、「放置プレー」「放置プレー」などと冗談を言いつつ、そのような感情が通り過ぎるのを待つことにしています。~

「感情が通り過ぎるのを待つ」域に達してみたい。「放置」とはまさに感情から自分を切り離し、それを傍観しなければならない。自分を客観化することが大切なのだ。

~脳の働きを止める技法の代表選手が座禅などの瞑想です。どうぞ「無」になれる時間を強制的につくってみてください。~

なぜ客観化できないか。それは「囚われている」「執着している」からなのだ。私も座禅しているときに、ある出来事を何度も反芻してしまうことがある。まさに傷を舐めるかのように。そう反芻している自分に気づくということが客観化でもある。脳の働きを止めるというよりも自分を客観化する技法なのかもしれない。(R6.5/3記)