サンタとパラレルワールド

小さい頃サンタを信じてたことはたぶん一瞬もなかった。
何かを目撃してしまったわけでもないのに、身近な人がサンタを代行してることを最初から知っていた。
サンタへの手紙を書くイベントが家や幼稚園で発生するけど、ほとんど七夕の短冊くらいの心持ちで儀礼的に書いていた。

 

一方で20歳くらいまでパラレルワールドタイムリープを信じてた。
引き返せないものとして時間を捉えるのは、人間の寿命が100年もないために、小さい定規でしか時間を観測できないからで、
もしも宇宙全体を見渡せるくらい遠く離れて見ることができたら、全ての時間と現象は同じ瞬間に並んでてもおかしくないような気がしてた。その中で時間がずれたり、隣の時間と合流したりすることも、起こらないとも言い切れないと思ってた。


今はよく分からない。タイムリープしてても気付いてないかも。きっと証明できないんだろうし。

 

パラレルワールド、人生が苦しくて、家にいても学校に行っても、1人でいても2人でいても大人数でいても苦しくて、河川敷でちょうちょが手に止まった瞬間だけ苦しくなかった時期の希望だった。

今はその時期があってくれてよかったと思えるくらいには、今世の自分の生を肯定できている。

パラレルワールド、あったらいろんな立場でいろんな結末を迎えるその世界その世界の自分みんな、自分だからきっと気持ちを分かり合えるんだろうな。苦しすぎて自分すら自分を見放してた時の自分、いろんな世界でうまくやれてたりやれてなかったりする自分、今ここに気持ちが分かるやつが少なくとも1人いるよ。同じくらいのだめなやつがここにいるよ。

 

今年も誕生日が来た。捨てたくて仕方なかった人生を拾い直せてから、次の誕生日で10年になる。

本体

無になりたくなくなっていることに気付いた。感情って面白いしおいしい。苦しみも悲しみも含めて、自分が出す自分の味なんだと思う。

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2023年、存在を忘れていた自分のアカウントをふと思い出して見に来たところ、「無になりたくなくなっていることに気付いた」から始まる3年前の描きかけの下書きがあった。その頃に何があったのか、全く覚えがないけど、そういう感覚になったことはなんとなく覚えていた。読みにくいところだけ修正して、せっかくなので公開することにした。

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さいころからかなり感情のコントロールが苦手だった。自分だけが下手なんだと思っていた。実際そうなのかもしれないけど、わたしはたぶん頭の中の世界がかなり広い方で、逆に現実の世界での活動は少ない方。自分の全身のうち、感情が握ってる権力が大きめだったのだと思う。

感情が握る権力が大きいと、感情に振り回される。しんどいけど、感情に振り回されない方法は分からなかった。物心ついたときから初期設定で頭の中の世界の割合が多い。感情の権力も元から強い。そのまま育ち続けて大きくなってきたし、そうじゃない状態になったことがなかったから、一体なにをどうしてどうやって、みんなは悔しさを泣かずに堪えたり、嬉しさで全身の温度が上がって頭が飛びそうになったりしないのか分からなかった。

感情に権力を握られていることで良い思いをすることはとにかく稀。怒ると怒りで全身を埋め尽くされて、自分の脳が汚い棒でぐちゃぐちゃに混ぜられるような感覚になる。絶望すると絶望で全方位を包み込まれて、目を開けても閉じても変わらない真っ暗な海の底に沈められる気分になる。感受性が豊かと褒められることもたまにはあったけど、繊細で神経質な上に情動的なのはほとんど自分にも周りにも害しかなくて、感情がわかない人間の方が断然良いに決まっていた。感情は自分に対して直接の力を及ぼしてくるし、その権力が絶大だったら感情が及ぼす力はほとんど暴力みたいになる。

対処が難しいのは怒りと悲しみと、それから悔しさ。感情にのまれることで良い思いをすることが少ないなら、嬉しさや楽しさを手放してでも、感情から離れたかった。無になりたかった。平和で穏やかで、うっすらとぼんやりとだけしか世界を捉えないような状態になりたかった。感情が悪だと思っていた。ヒステリックな人は困る。感情的なのは原始的。感情的なのは迷惑。だから滅多に感情が揺れない人になりたい。感情を動かさないような訓練がしたい。感情に振り回される前に、自分の頭で起こっていることを自分で全部説明できる人になりたかった。

自分を知った。知っていたと思っていたけど、もっと知った。感情を知った。コントロールする前に何物なのかを知ろうとした。飽きずに見つめ続けた。強大すぎたので、いっそコントロールすることを諦めた。世界に自分を合わせることをやめた。自分の生きていく環境を自分で整えるようになった。

時間が経てば、切り口のみずみずしかった傷が塞がり、そこにあったことすら忘れる。苦しかった自分を覚えていても、苦しさを元の量と元の質で再現することはできない。そんな助かり方があったのか。

後から忘れても、分からなくなっても、知らなくなっても、元から無かったことにはならない。良いも悪いも、まだ判断するには早い。ひとつひとつの行動で、自分が数直線の上を行ったり来たりするわけではない。ひとつひとつの出来事を荷物にも足枷にもしなくて良い。ただそこにあって、自分の中にゆるく降り積もる。

自分よ、何年も前から、生まれてきた瞬間から自分だった自分よ。自分の人生を不毛と思いたいか。恥にとらわれて自分をラベリングしたいか。誰のために?

苦い、痛い、悲しい、辛いたびに燃える森。そこから辿ってこられる今。心の中がぐちゃぐちゃでも、自分は笑える、ぼーっとする、なんとかして眠れる。自分は1番優しい顔を人に向けたい、人のことを考えて泣きたい。自分のために。

生きてたらたまにいいことがあるのは本当で、ただ何もかもが嫌になって頭の中が灰で埋め尽くされるときがくることも本当で、その時の一瞬が一生みたいに思えるのも本当。でもいつか終わると知っていて、終わらせられる力が自分にあるということも知っている。心の中の静かな森が何度焼き尽くされようと、また1からやってきた。そうしてきた自分を、誰よりも知っている。

一般的に感情は尊いと思うなら、自分の感情も尊い。向き合ってきてよかった。これからもどうぞよろしく。

 

癇癪ゴリラ

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癇癪持ちだった。今もそうかは分からない。

感情のコントロールが小さい頃からずっとずっと下手くそだ。小さい頃とても泣き虫だった。どんなことでもすぐに悲しくなった。解像度がまだ低かったから、むかつきも、体調が悪いのも、悔しさも、羨ましさも、後悔も、煩わしさも、申し訳なさも、罪悪感も、気まずさも、面倒くささも、理不尽さも、鬱陶しさも、眠たさも、諦めも、怒りも、一緒くたになって対処できなかったのかもしれない。ひとつひとつが大きすぎたのかもしれないし、湧いた感情を受け止める自分の心の器が浅すぎたのかもしれない。とにかくひとたび感情が湧いてしまうと、世界の全てがそれでいっぱいなってしまうのだった。ほかに何も見えなかった。真っ暗な空間の中で、脳みその表面と心臓をじわーっと気持ち悪く撫でられ、握られるようなあの感覚、未だに覚えている。

気持ちが悪かった。気分が悪かった。自分の手から自分が離れていくような、自分が自分じゃなくなるような、絶対怪我すると分かってて谷底に落ちていく自分を眺めているような、鬼になってしまうような感覚があった。怒られているのは、悲しんでいるのは、紛れもなく自分であっても、鬼になって暴れてしまう自分のことを、どこかで見つめていた。

わたしはなんでこうなってしまうんだろう、なんでこうしかできないんだろう。自分の体や心をなんで自分が制御できなくなってしまうんだろう。本当は制御できるのに、さぼっているのかもしれない。いや、どうしようもない。いや、無理じゃないのにやってないだけ。みんなできているのになんで自分はできないんだろう。弱いからできないふりをしているのか。わたしはそういうずるい人間なのかもしれない。恥ずかしい。どうやっても鬼になる自分を止められなかった。やり方も分からなかった。やってすらいないのかもしれないと自分に思った。下劣だと思った。感情が湧いた時点でもう負けが決まっていた。鬼になる自分がしんどかった。自分1人でいることは、狭い部屋に鬼と2人っきりにされることと同じだった。わたしは自分に対して何もできず、自分に潰されて壊れていた。

だんだんと色々考えるようになった。自分の感情について細かく分析するようになった。詳しく自省するようになった。全ては、鬼になるのがしんどかったから。でも自分の内面に触れることは、自我が揺らぐ時期にし続けるにはなかなかタブーなことだったと思う。それでも鬼の出現率はどんどん低くなって、堪えたり、受け流したりできるようになってきていた。

鬼になると本人が傷つくことに気付いたのは最近だ。鬼になると当然周りの人を傷つけてしまうけど、同時に自分も傷ついている。道で癇癪を起こしている子を見かけると、その周りで途方に暮れている親を見かけると、本当にどうしようもなく絶望しているのは本当はこの子自身なんだろうなあ、と思う。自分の手から自分が離れていく感覚、この子も感じているんだろうなと思う。周りから腫れ物扱いされることも、大きいのに赤ちゃんみたいに泣いてるなあと白い目で見られることも、周りを見て行動してくれと思われていることも、全部全部自覚していて、どうにかしたくてたまらないのに、自分の体と心なのに、自分の力が全く及ばないところまで感情が高ぶって爆発して、自分で触れなくなる。気付いたら潰れている。自分が自分じゃなくなること、自分で自分を自分じゃなくすること、真っ暗な中で脳みそと心臓を撫でられながら握られる気持ち悪さ。君も鬼なのだろう。

人を傷つけるのは怖い。自分が傷つくことと同じくらいかそれ以上に怖い。誰かを鬼にしてしまうかもしれない。同じ思いをさせたくない。他人の心の世界は分からない。分からないことを自覚しておきたい。

だから、わたしは怒りをうまく表現できない。正当に怒れない。なるべく全てを許したい。鬼のわたしが今まで生きてこれたのは、いろんな人に許されてきたからだと思っているから、なるべくいろんなことを自分は受け入れたいし、安易に他人を否定したり拒絶したりしたくない。他人の傷つきに共感してなぜか自分もダメージを受けるシステムになっているので、嫌いなやつでも痛い目にあんまり遭ってほしくない。喧嘩になっても、落ち込んでいても、自分が間違っていたかもしれないとちゃんと考えられる人になりたい。

自分が間違ってるかもしれない、この人の中では辻褄が合っているのかもしれない、この人の正義と自分の正義はちょっと観点がずれていて、どっちが悪いという問題ではないのかもしれない、この人はこの人で自分が想像もできないくらいしんどいのかもしれない、そういうことを言わせた自分に問題があったのかもしれない.....。許す理由はいくらでもある。考えを展開させながら怒りをねじ伏せて、許すことはできる。みんなどうせ死ぬし。自分の正義も相手の正義もいつかは消えるし。何を言っても相手はきっと変わらないし、変えようとすることの責任は重いし、そしたら自分が変わろうかと。鬼にしかなれなかった自分が、人を許したり状況を諦めたりすることができるようになれたことが、誇らしくもあった。だが。

自分が間違っている可能性を、怒りが湧いている状況下で冷静に想起することは難しい。難しいけど、その可能性を早々と捨てて攻撃に回るのはあまりにも簡単で子どもで無責任だと思う。難しくてもやらなければいけないことで、相手が大事な人なら余計に気をつけないといけないことだ。怒りが湧いている状況でもそれを考えられるようになるには、普段から意識的にその可能性について繰り返し反復的に考える癖をつけなければいけなかった。それが自分の思う、自分のできる1番の誠実な振る舞いだった。それが妥当で、それが正しくて、それが礼儀で、それが、他者を1人しかいない存在と考える自分の、他者に対する敬意だった。

癇癪持ちはいっぱいいっぱいにならないように気をつけなければいけない。どうしようもなくなっちゃう前に、常にどこかに逃げ場と、そこへ向かえる逃げ道をいつも用意しておかないといけない。限界が来ないように、周りも自分も傷つけたりせずに済むように、普段から対策をとっておかないといけない。でも、例えば、めちゃくちゃに理不尽な言葉を投げつけられつつ逃げ場が燃え、逃げ道が封鎖されることもありえて、その状況下でいっぱいいっぱいになった自分が、せめて鬼になるのだけは阻止しなければと思って、自分が間違ってる可能性を考え続けると、もうそれだけで破綻してしまう。まさかここまで理不尽なことがこの人と自分との間に起きるとは思っていなかった。


疲れた。

怒りを外に向けたい。わたしの脳内には静かで涼しくて落ち着いてて綺麗な森みたいなゾーンがあるけど、いまはゴリラが怒りと悲しみに吠えながら森の木々をなぎ倒しまくって大炎上している。そのことを友達に言ったら、脳内のゴリラは自分の森荒らすためじゃなくて相手ぶん殴るためにおるんやでと言われた。

ゴリラを具現化できたらお風呂に入れてあげてふかふかの布団に寝かせてあげたい。疲れたな。

f:id:suanskhianenem6:20190503232419j:plainなんでもよさがやばい。

晩ご飯何食べたいとか休みの日何がしたいとかどこに行きたいとか、なんでもいいって答えが1番困るのに最近本気でなんでもいい。どれでもいいっていうよりどれも良い。良さがせめぎ合ってる中から最強を決定する労力しんどい。そこをさぼっています。全員優勝でええやろ。実際何でもいいわけないけどいっぱいいい選択肢思いつくし仕方ない。

卒業して就職して1ヶ月経ちました。働くのは結構楽しい。物事を先に進めるのが楽しい。会社の中では効率よく合理的に物事が先に進んでばっかりいる。停滞することがほとんどなくて、やればやるほど進む。会社に入る前に会社に抱いていたイメージは、「excelでした計算を電卓で検算する」で、全然合理的じゃない方法を提示してくる上司にイラつく未来をリアルに想像していました。が、実際入ってみると、自分がより効率的な方法を考えるまでもなく、これまで会社に携わったいろんな人々の手で洗練されまくった最高効率最高精度最高スピードの方法がもうすでに存在していて、それにわたしがあやかっている状態。わたしみたいな効率厨に事務職はめちゃくちゃ向いている。

とは言っても良いことばっかりでもなく。事務作業はとっても得意で楽しい一方で、人に話を合わせたり、素早くうまく馴染もうと努力することが苦手で楽しくないことを自覚した。事務能力はあるけど社会性が微妙。相変わらずだなあ。

学生の時からずっとそんな感じだったけど、ヒエラルキーの基準に疑問があったり、趣味が周りとずれててやりにくい時がある。こだわりポイントが違ってたら、一方は主体性が無いように見えたりプライドが無いように見えて、もう一方は頑固で融通が利かなくてわがままなように見える。周りが拘ることが自分にとってはどうでもよかったし、自分がちゃんとしたいところが周りはいい加減で、よく分からなくなったりしてきた。みんな多かれ少なかれそういう気持ちあるんだろうな。双方無理せずとりあえず満遍なく希薄な関係が良い。どうしても居心地が良い人たちは、薄いままでいようって思っていても勝手にだんだん近寄っていってしっかり関わっていくものだと思うし。なんとなくずっと自分は集団からはみ出ていたり端っこで埋もれてるって感じてたけど、大学でのびのびと過ごしていろんなところにいるいろんな人と内面を少しずつ共有したことで、誰しもどこかでは中心でどこかでははみ出ているものなのかもしれないと思い始めて、どうでもよくなれた。多数派にいないことを不安に思ったり、逆に少数派であることに謎の拗らせたプライドを持ったりしてきた過去ひっくるめて、きっとよくあることで、よくあることってことはわたしは自分が心配するまでもなくどうしようもなく平凡なのだ。無根拠になんとなくそういうもんなんだなあとしっくりきて、なんとなくどうでもよくなった。会社には虫が好きな人は男女問わずわたし以外に1人もいない上、休憩室での会話も特によく分からなくてもよさそうなので、わたしはこのままテキトーにやっていきます。人間関係の微妙な移り変わりや人の感情や機嫌の機微なんかより、蝶々の羽化の方が圧倒的に面白いので、人間関係に悩んでる暇があったらYouTubeで羽化動画見よっと。おすすめ。

余白

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今でこそあまり考えなくなったけど、高校生の時は自分の存在意義をたくさん考えた。煮詰めるような悩み方しかできなくて、自分の姿勢を改めたり物に対する見方を変えて生活を楽にするために自分の頭を使う方が良いと気付くのはもっと後のことだった。その高校生のとき、友達とか大人とかに、自分の存在意義は何だと思うか聞いたら、大半が「それを探すために生きてる」「それを考えることが存在してる証拠」という答えだったけど、反抗期なので特に納得もせず、それは答えになってないなと内心思っていた。自分の存在意義について疑問を持つことが少なくなった今でも、未だにその答えには納得していないけど、そう言った人たちの気持ちもなんとなく分かる状態になった。今この瞬間に存在意義を明らかにすることが重要なのではなくて、今後明らかになっていく予定で今とこれからを過ごすという姿勢を、拗らせた高校生のわたしに伝えようとしていたのだと解釈しています。

存在意義について悩まない日常になってから生活がすごく楽だった。それは存在意義について悩まなくなってから生活が楽になったのと、生活が楽になったから存在意義について悩まなくなったのと、両方だと思う。存在意義なんて大層な言い方するけども、結局は嬉しい楽しいことときついつらいこと、どっちも起こる生活においてつらいことの方が大きいときに、それを耐えるための理由が欲しかっただけだったと思う。そして楽しいことの割合が多くなった今、あんなに欲しかった存在意義に対しては特に無くても構わないものだと思っている。

自分が生まれたことを奇跡とか運命とかそういう風に言う人もいるし、わたしも自分が生まれる前から紆余曲折経て結局生まれて今生きてるのはすごくありがたいなと思ったりする。でも意義みたいなものは無いと思う。自分が生まれることを奇跡とするなら死んで元素として散ることも奇跡に分類されると思う。泡みたいに生まれて消えること、そこにいろんな感情が挟まるけど、現象としては同等だ。ありがたくないことがたくさん起こってキャパオーバーになった時に、ありがたい偶然とありがたくない偶然に、自分が勝手に意味を付加してきただけだったのだと思う。

存在意義は無くて良い。無くても元気で過ごせる生活が健康的で尊い。きついことを多く察知しやすかったとき、平静を保つために意義を見出したがった自分の気持ち、未だによく覚えてるし、そうだよなあそうするよなあと思う。あの時すごく欲しかった存在意義、何年かしたら考えがまとまると思っていたけど、何年かした今、未だに分かりません。まとまってないどころかそもそも考えなくなっちゃった。拗らせた高校生のわたしよ、数年でこれくらい身軽になれるって知ってたら、ああまで思い詰めずに過ごせていただろうか。

 

理学部で勉強してると、「それを研究して何になるのか」ということを聞かれがちで、もうその野暮な質問には飽きている。何かに活かすために研究をしたい人は根本的に、自分の研究が活用されて役に立つことが研究を進める上で大きな位置を占めているのだと思う。それが悪いとは微塵も思わない。技術開発する人も役に立たない無駄知識を追求する人も同様に賢くてえらくて最高だ。役に立つかどうかはその時代その状況によって変わるから、今役に立たなさそうだからといって研究自体が無益で不要なわけでは全くない。

生きてていろんな人の役に立ちたい気持ちはあるけど、役に立てたことが今まで1回もなくても、今後も無かったとしても、自分が不要な存在であるわけではないと思ってる。人に対しても。いる意味なんてあっても無くても良い。

なんとか

最近、自分がたまに赤ちゃんになっていると思う。それでいいと思う。一方で自分の仙人化への憧れが止まらない。それでいいと思う。

自分にできないことを、できるようになるための鍛錬が大好きなように感じていたけど、実際は「できるようになること」自体が大好きだった。できなかったことができるようになる、そのアップデートが嬉しかった。その背景には自分が今のままで良いわけなんかないという頑なな自己否定があったと思う。

今はとりあえず、今のままでもいいし、余裕があるならできることを増やしたらいいと思っている。アップデート好きを受け入れた。つまり果敢すぎる挑戦に敗れて打ち砕かれて、落ち込んで悔しくて泣いて怒って、それから懲りずにまた壁に体当たりしようとする自分を受け入れた。それから必死で努力してなにもかもを犠牲にして献上したとしても、最終的に歯が立たないこともあるということを受け入れた。そこまで究極まで尽くして確かめなくても、ちょっとやって無理そうなら諦めるということを許した。

真面目すぎたかな。いや、そうでもないか。

ぬくぬく生きていけるようにしたい。そして優しい気分が長いほうがいい。楽しいことは多い方が良い。シンプルなのに、今の自分が未熟である自覚と焦りで頭がいっぱいになっていたときは微塵も見えなかったこと。未熟で不完全な自分でも、美味しいもの食べて、大好きな布団に包まれて、それの何がそんなに悪いことだったのか。

不確定な状況をだんだんと、前よりは耐えられるようになってきました。不確定な状況下で、相変わらず最悪すぎる予想もたくさん湧いてくるけども、自分のことを信用するようになってからは、困ることになったとしても、自分がなんとかするでしょうという気持ちが大きい。

誰かに頼ることより、自分がなんとかするでしょうが1番はじめにくるの、とても良いこと。

傾聴

説明を求められたから分かるように説明しようとしているのに、聞く側が反対の立場にこだわってはなから理解する気もなく、途中で聞く気すらなくなって最終的にはいはいって生返事されたり首傾げられて終了するのが大嫌いで、伝えたいことや分かって欲しいことがいっぱいあったのに、自分の頭がぱんぱんになっていたのに、それを日常的にされ続けたから、高校生のわたしは気が狂いかけたわけで。

わたしってなんであんなに神経質でしんどかったんやろうって、おおらか(てきとう?)になった今では思うことが多かったけど、

自分の話をちゃんと聞いてもらえずに流されるのを日常的にされてたから人に話を持ちかけたらしんどいんやって学習して、閉じこもって、聞いてもらいたい気持ちを抑圧することがしんどくて、聞いてもらいたい気持ちがわいてくること自体に腹が立って、自分すら自分の意見をねじ伏せるようになった。だからだ。

そんな生活は続いたけどある時終わって、大学に来て、経験の浅い人の意見でも知識の浅い人の意見でも最後まで聞いた上で賢い人がわたしにも分かるように説明してくれたり、わたしが1回言っただけじゃ分からんかったことを、もっとちゃんと理解したい、それってどういうこと?って分かるまで聞いてくれるところで過ごした。

それが本当にありがたかったから、自分の意見が誰と揃ってなくても聞いてくれる人はちゃんと聞いてくれるって知ったから、あのときのしんどさの中身が分かった。自分の感受性や表現方法が生まれつきおかしかったから周りに馴染めた気がしなくてその結果しんどくなったわけではなく、自分の意見に価値がないみたいに扱われることがきつくて自分を抑圧しすぎた結果自意識がバグったのだった。今ほど主張がうまくできなかった自分が悪かった点もたくさんある。それを分かっていて、分かっているから、あのときこうできていたらというのはもういらないと思う。耳を傾けてもらえる生活が今年で4年目。とてもありがたく、とても楽しく、鮮やか。びっくりするくらいご飯がおいしいし、びっくりするくらい景色が綺麗だから、色々悩んでたときは本当に感覚が鈍って世界が灰色になっていたのだなと思う。

議論が好きな理学部を選んで、多様性を学ぶ生物学科を選んで、自分の意見と同じ立場じゃない人にもちゃんと話を聞いてもらえる生活を長らく送ってきたこと再確認して、ええとこ選んだなあと自分と周りを誇りに思う。

トンネル

昨日新幹線のニュース見て色々考えたけどうまいこと言葉にできず、やるせない

人間にとって生は単に喜びばっかりではないから生きてることそのものに絶望することもある。生きてたらそれでいいわけではないのは、生きていること自体が辛くなって救いとして死を思ったことがある人はよく分かると思う。

 

でも我々には神経があって、寝るだけで、あったかいお湯に浸かるだけで、好きな味を感じるだけでいい気分になるようにできている。自分が生まれる前、自分が全く存在してなかった時間のことなんて感知できなさすぎて自分が無いのと共に世界も無いも同然、でも生まれてこのかた自分の命や自分の体の中の仕組みは自分のために日々動いてきたと思う。自分が生まれる前の世界と、生まれて死んでいった後の世界と、比べて意味の有無を問うことはない。そういうことで生の価値ははかれるものではないと思っている。はかれるかどうかで価値を表すなら、生きることに価値なんてないのかもしれない。

生きている中でいい気分をたった1回でも味わったことがあるなら、もうそれはこの世に生まれて自分が自分になった意味があったに違いないと思う。他の誰のためでもない自分が自分であるためでもなく、ただ存在としての自分に内在している神経やらその他システムがいい気分を沸かせる。こんなことがあるか。そんなことが毎秒ずっと起こっている。自分という生物としてのシステムの作動。

喜びや苦しみやいろんなことを知っていろんな生活を作って、より良くなろうとしたり、もがいて落とそうとしたり、生の間に時間は過ぎていく。限りある時間に対して必死で抵抗しても逆に迎え入れても、これからみんなたどり着くのは時間の終わり。

生まれた時点で自分の終わりや大事なものや人の終わりを背負わされている。ただ与えられた生を持っているだけでその終わりを背負ってて、みんな死ぬ。生に対して感謝を持とうが憎しみを持とうが、時間は過ぎて死ぬ。

みんな死ぬ事実は罰でもあり救いでもあると思う。

みんな死ぬのに、みんな最後には壊れて行くのに、わざわざなにを傷つける必要があるか。

入梅の候

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もう6月になってしまった

前回は奄美大島から帰ってから書いたのね

 

4月5月は就活と教育実習の2ヶ月でした。

幸い就活は早めに決まって、10個くらい見て3個くらいしか受けてないし1個も落ちてないという、謎に自己肯定感が育まれて終了した就活でした。

 

みんないろんな思いの中で働いてるってことを何度も何度も感じた。当然ながらどこに比重を置くかがみんなそれぞれ違うことも、実感した。性格も考え方も、いっぱい褒められて、自分の沢山の挫折の経験がたくさん報われたように感じた。なによりも、経験を人に話せるくらい自分が挫折をものにできたことを感じて、嬉しかった。もちろん自分が好かれないこともたぶんある、そこに行かなかっただけだから、自分がオールマイティにどこ行っても好かれるとは思っていない。そして入ってみないとわからないから、喜んではいるけど油断してはいない。

 

教育実習は5月の前半の2週間で母校に行ってきた。初日の朝のSHR、わたしは心臓の拍動を自分の目で見て服の上から分かるほど緊張して、縮み上がって声が出にくくなった。前日の晩も怖くて怖くて、わたしはどう評価されるのか、どう邪魔になってしまうのか、ずっと不安だった。いくつも失敗したけど、生物科の先生は4人ともとても優しくて暖かくて、いつも生物準備室は笑い声に溢れていた。「いっぱい準備することは大事です。でもいっぱい考えたら、まあ失敗してみなさい、それからまた考えましょう」という感じで、いつもあたたかく見守っていただいた。生徒は本当に可愛くて可愛くて、最初は本当に怖かったけど、3日目くらいに「まあどんだけ嫌われててもわたしはみんなのこと大好きやな」と気付き、残りの貴重な日数全部使って愛で尽くして帰ってやるぞという方向に気持ちが変わって、ひとりひとりのいいところをたくさんたくさん見て、見つめていった。ホームルーム教室は1年2組。みんな堅く感じたけど、2週間で少し馴染んでとても感じたのはみんなの優しさだった。柔らかくて笑いがいっぱいあって雰囲気の暖かいクラスだった。担任の先生は太ったお父さん〜おっちゃん世代で、クラス内自治には関わらず、生徒に委ねる人だった。みんなのびのびしていたのも、人の意見を待てるのも、この人の雰囲気のおかげもあるかもしれない。

 

兄がいる女の子。静かで控えめ。体育祭の団旗を自分で絵の具塗ると言って、たまたまその日手伝える人が1人もいなくて1人で塗ることになった。なのでいっしょに塗った。控えめだけど笑う。いつ話しかけても優しかった。控えめな笑顔でぱーっと近づいて、ありがとうって最後に言ってくれた。

途中から現れて絵の具手伝ってくれた人懐っこい男の子。大きいお姉ちゃんが2人いて、親戚の中でも自分が一番下で、可愛がられまくっているらしい。高校受験するにあたってプレッシャーがすごかったらしい。カチカチのわたしを笑かしてくれた。男女の間、発言を良くする人しない人の間をスイスイどこでも行き来できて、周りをなじませられる子だった。

小柄で、みんなの弟分みたいに可愛いがられて憮然としていた男の子。聞くと年の離れた妹が2人いて、家じゃあそぼあそぼって言われて勉強できないらしい。可愛がられているときの違和感はそれだった。家では頼りにされて遊んであげるお兄ちゃんだった。

人懐っこくてにやけ顔の男の子、好きな先輩たち(美人)の名前を体育祭のメンバー表の中から見つけ出して「絶対見よ」って言ってニヤニヤ。可愛い人は名前がすでに可愛いらしい。いっつもニヤケ顔でいつも優しいエロ小僧。

文化委員の女の子。仕切るのが一番うまかった。みんなこの子が前で話すとき、すぐ聞いた。コーラスの練習にあんまり人が集まらなくて困っていた。困り役になってみんなのことをまとめてくれる子だった。

同じく文化委員の男の子。ピアノが弾けそうな、大人しくて王子のような子。柔らかい雰囲気で、ほかの男の子とわちゃわちゃつるむことはないけど、みんなから一目置かれていた。席替えの時この子の近くになった子が、教えてもらえる!って喜んでた。

わたしの声の出ていない初期の頃からわたしが前に立ったら「話を聞いています」の顔でわたしを見てくれた男の子。下の名前にちゃん付けで呼ばれていた。運動ができそうだった、わちゃわちゃグループにいて名前をたくさん呼ばれていたけど本人はポカンとしていてさらりとかわす子だった。

年上と話すのが上手い女の子。いつもにこにこでいつもハキハキしていた。おばちゃんみたいに快活で、人を貶めて笑うことのない子だった。みんなの前で発言することはないけど、楽しく自分の生活を生きているだけでムードを作れる子だった。この子と話す時みんな笑顔が多かった。

イケメンが大好きな女の子。体育祭で先輩と写真撮ってもらう、棒引きはイケメンが多いと息巻いていた。可愛い先輩のことにも詳しくて、好きな顔の先輩を教えてくれた。

 

他にもたくさん、1人1人みんな可愛い40人のクラスだった。

いっぱい考えた。どうしたら失礼にならないか、誰かを傷つけたりしないか。どうしたらきちんと伝わるか、わかりやすいか、覚えやすいか。実験の指導の時、「ガラスを割らないようにしましょう」と言うのと、「割ってはいけません」と言うのとでは割れる枚数が違った。イシクラゲをしっかり潰すことを強調しすぎたクラスでは、バナナの細胞もしっかり潰して壊れてしまっていた。伝わり方受け取り方が言う人によっても違うしクラスによっても違うし人によっても違った。65分間の授業、前で話し続けることは難しかったけどとても楽しく思った。緊張はしたけど、反応を見るのが楽しかった。何を言うかということばっかりを考えるのではなく、返ってくる反応をきちんと受けとめる大事さを知った。当てて答えてもらった。チョークを渡して前に出てきてもらって黒板に書いてもらった。みんな本当にご協力ありがとう。

お世話になった先生にも会いに言った。高3の最後の方、わたしは学校に通うのがとてもしんどくなっていた。授業の合間にふわっと抜け出して人が来ないトイレに行って、考え事をしていた。考え事が煮詰まったらそのまま帰った。朝の電車から煮詰まっていたときは学校に足が進まず、電話して休んで川沿いを散歩した。たくさん探されたし心配された。そんなことが分かっていなかった。周りの綺麗な女の子たち、明るい女の子たちに自分は混ざることができないし、埋もれるだけだと思っていた。頭の中が遠くに飛んで行って別のことを詰めて考えていて、抜け殻みたいで自然に笑えなくなった自分を、友達に見せたくなかった。違和感を感じられたくなかった。元気なときでしか会えないと思った。先生として生徒を見たとき、埋もれる子はいなかった。1人1人を感じた。高校生のとき、自分が否定されたり消されたりすることが嫌だった。実際そうされていなかったのに、いなくっても大体同じだと思っていたから、当然否定されたり消されていると思った。でも自分を否定して消えようとしていたのは自分の方だったのだと、もっと後になってしまってからようやく気が付いた。

申し訳なくて挨拶に来れなかったと伝えて謝った。心配してたけど、今あなたいい顔をしてるよと言われた。その顔、その表情が自然に出るようになるまで、たくさん頑張ってきたんやねと言われた。強くなったこと、今実習生として毎日明るく頑張ってる姿を見たら、本当に安心したと言われた。先生方の深い愛情を感じた。

「話を聞いています」の目をして見てくれる生徒が日に日に増えて行った。最後の終礼、教室中がその目だった。思わず泣きそうになった。みんな、嫌なことばつかりを生活の中に探さずに、どうか好きなものを生活の中に探して、それを大事にしてね。高校時代は好きなものを見る目を養う期間だとわたしは思っています。

 

泣いた。最初は不安で泣いた。その次、分からないうまくできないことの多さに泣いた。最後は周りの暖かさに泣いた。先生方の愛情に泣いた。生徒たちの目に泣いた。大好きだと思った。本当に幸せになってほしい。わたしも幸せになる方向に進み続ける努力するよ。

あの高校の中にもわたしみたいな生徒はいると思う。そして誰にも知られないように悩もうとしていたから、その子も本当に見つけにくいと思う。あのときわたしは、自分をストレートに好いてくれる大人が近くにいて欲しかった。自分を小さく小さく見積もって、できる良いことよりもかける迷惑を数えていた。どれだけ褒められても、いやいやわたしなんて...となっていたわたしを、それでも見つめ続けてくれる大人が近くにいてほしかった。数年経って今、自分がそうなろうと思って学校に行ったのに、見つけ出せなかった。見つけ出せなくとも、見てくれていたらいい。あの人なら、もしかしたら言ったら分かってくれそうだなと思ってくれたらいい。

本当に貴重な2週間だった。宝物みたいに思っている。今後の人生にも大きく影響を及ぼすだろうと思う。

 

先生になるかな。社会人経験を積んでから先生になろうと思ってるけど、内定をくれた会社で来年の4月から働いて、ほんとうに居心地良かったらそこでずっと働くのも良い。どっちでもいい人生だと思う。漠然と思う。

あの子たちが幸せを選びながら生きていけるといいなと思う。

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 また奄美に行ってきました。ちょくちょく泣きそうだった。特にどこがどう泣きそうかは理解できなかった。それでいいと思う。

去年話した人がわたしのことを覚えていて、せっかくだから出かけようって言ってくれて2人をデッコボコ道の林道へジープみたいな車で連れて行ってもらってかなり嬉しかった。1年前の自分、けっこうあのときはしんどかったのを覚えている。またやっちゃったなあという感じで、自分の人生に何回も何回も起こす失敗が起こったばっかりで、嗚呼またかと。自分に対して半分諦めみたいな、学習能力がなくてどうしようもないやつだと思っていた。しんどかったんじゃなくて、がっかりな結末を避ける力もない上にがっかりにしっかり落ち込む自分に腹が立っていた。そんな感じの状態の自分と会った人が、その1年前の自分のことを良い印象で1年間覚えていてくれてとても嬉しかった。人から見る自分がまあまあいいやつであるという発見、新鮮で、それから丁寧にお礼を言いたい気持ち。

1年経って変わったり変わらないとこもあったりするけど、たまに過ぎて行くスピード感に焦ってとりあえず日々をなんとかして全部保存したくなるくらいには日常をとても大切に思っています。いいやつでいる努力みたいなものが自分が健康に過ごすよりも大事だった頃の自分に今の自分を見せてやりたい。今のわたし、いいやつかどうかなんてどうでもいいぞ。でも楽しくて楽しすぎて生活体感スピードは加速の一途で、信用できる人や信用してくれる人がいっぱい増えたぞ。よかったな。

奄美1年ぶりに行ったら色々発見があった。夜こんなにいろんな音したっけなあと思った。住んでるとこの夜はシーンとしてるけど、奄美ではカエルや虫や遠くの鳥の声がずっとしてた。あとは生き物見つける力がちょっと増えたなと思った。1年いろんなところ寄り道して虫を探したり鳥や猫を探したりしたからかな。どこ行っても結局生き物見るのが楽しい。

後輩も同期も、1年前とは相手に思ってることが違ってて、人はそのままで自分の考えや自分の思う距離が変わった状態で行くのはなんか不思議な感じがするかなと思って行ったけど、そんなことはなくてむしろ普通だった。変わって行くのが自然なことで変化を普通と思う自分も自然に思えた。

 

自分の生活のメインはその時々によって変わっていくけども、それを司ってなにかを辞めたり変えたりそのままでいたりするのが他の誰でもない自分であることに、気付いたのが去年の奄美だったと思う。誰のせいにも人任せにもせず、自分が自分の生活の主として責任と自由をきちんと負い始めて、それでやっと、何を今までつまずいてたのかと思った。けどこうなるまでに、自分が自分の人生を任せても良いくらい信用に足る人物であると自分が判断するまでに、結構長いことかかるだけの色々があったなと思う。特別恨みも感謝も持たないでいるのが良い、責任転嫁したり神格化したり大げさにやることない。ややこしいことはもういいや、気持ちを収めたり誰かに話して理解されるために全部に理由つける必要もなくなって良かった。生まれて育って今があるって感じでいい。わたしの生活は、こういう風にいたいと掲げてたものよりずっと種類の違うもっと良いものにだんだん変わってきたと思う。元の目標みたいなものを達するよりもっと良いものがあるってこともいつか途中で知った、だからそれで良い。生活カスタマイズ、楽しい。

 

帰ってきて就活しています。働ける気がしない。でも自分の図太さを感じられてかなり楽しい。横に座ってる人の話を聞くモードになって自分の面接のことほったらかしにしちゃうのアホだ。いつもいろんな人に会うたびに応援してもらって嬉しい。自分のいいとこなんて、自信持って人に言えるようなことひとつもないって思うって言ったら、絶対いいとこ見つかるしいいやつって思ってもらえるよって返してくれる人がいるの、めっちゃめっちゃありがたいことです。合うところに決まればいいな。頑張ろう。

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梅を見た。おいしい中華を食べた。梅を見た。滝を見た。バイト中に手に蜂が止まって、おとなしくしていたのでわたしもおとなしく観察した。

おいしい中華のお店、ランチ券をもらっていた。バイト先のマダム、バイトを辞めるときにわたしにくれた。そのマダムとは悲しかったこと、悔しかったこと、それから自分が自分を恥じている部分についてたくさん話した。年下だけどあなたのことを尊敬してるのよ、自分の人生に対して誠実だからこれからも大丈夫よ、と言ってくれたことをたまに思い出す。

一緒に行った子は酢豚、わたしはエビチリを食べた。酢豚の豚じゃない部分、エビチリのチリの部分がすでに美味しくてずっと食べていた。野菜もたくさんおいしかった。それから人生で初めてピータンを食べた。

 

この間ひとつ命がなくなった。わたしは会ったことも話したことも触ったこともない子だった。でもどうしようもないくらい悲しくて、知らせを聞いてしばらく動けなかった。わたしの片割れの片割れだった。これからどうなるかどうしていくのかは分からないけども、片割れもきっと大丈夫でいる努力をするから、わたしもなるべくいつも通りでいることを考えた。

 

なにかのタイミングを逃さずに乗ること、本番で成功することの方を気にしすぎているけど、本当はなんにもなさそうに見える準備の期間中、ずっと自分を整えて良い状態でいることの方がよっぽど難しいのだと思う。何か目立つ、立派な、劇的な言葉を考える前に、そんなあるかないか分からないようなもので一発逆転を狙うことがほぼ実力外の運であることを分かってないといけない。なんにもないお呼ばれもしていない、日記に書くまでもなく素通りしてしまうけどほんもののわたしが実際に生きている、その余白の時間こそ自分の人生だと思う。見出しに書かれるようなキャッチーな出来事の合間合間で思い出されもしないのが生活そのものだと思う。そこを大事にあつかおうと思う。


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ちょうど1年前の今頃の写真を遡って見てみたら1人で岐阜にスキー行ったときの写真出てきた。思ってたよりスキーが下手くそになっていた。小さい時よりも怖がりになったのかもしれない。

以前ほどこれがこうでああでここがこうつながってうんうんなるほどっていう辻褄確認の作業をしなくなった。意味があってもなくても変わらないと思い始めた。意味があってほしいものの意味を、先に用意しておいて、そこに帰着させるために間の思考経路を繋いでいるだけなら、そしたら最初からそのあってほしい意味を理由なしに信じてあげたら良いのかもしれない。生活が単純、自分も単純でどストレートどシンプルな毎日のどストライクを生きている。迷うこともあんまりなくなった。考えないとだめなことは度々あって、それは考えるけど、結構世の中には考えても考えなくても、選ぶ方がAでもBでも、どっちでもいいことが多いと思う。どっちでもいいのは、ああもうどっちだっていいよっていう投げやりな答えじゃなくて、どっちも五分五分に良いからどっちでも良い、どっちを選んでもその後のことは自分次第のところが大きい。

これがこうでなければいけないみたいな自分が勝手に作って嵌る枷が無かったら、なんでもおおらかに許して暖かく受け止められると思う。それを理想としていたとしても、そう完璧にできなくて別に良い。不完全さだけ受け入れて、それから自分自身と仲良くやり始められたら一番良いとおもう。

言語化不能の毎日を、慈しむように過ごす。

明け

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明けましておめでとうございます。新しい年が始まった実感がない。初詣も行って、お墓参りにも行って、おばあちゃん家にも行って、その度に姿勢をただされる気持ちになったけど、それでも今や実感がない。

昨年はとてものびのびとすくすく育ててもらった年だった。寄り道をたくさんして、いろんな言葉をもらって、わたしの心が潤わされて耕されて、これから何かが育つための豊かな土壌を人と一緒に作ってきたような1年だった。今年はどんな年になるのだろう。去年と同じような年が死ぬまで繰り返し繰り返しずっと続いてもわたしはものすごく幸せだと思う。

お年玉をもらった。大事に使う。もう使った。早い。飛行機のチケットを買った。今年も奄美に行く。そういえばこれ、奄美に行くちょっと前から書き始めたんだったなあと思い出した。

寒さに慣れてきた。今日なんか急いでてマフラーを忘れたくらいだった。手も耳も鼻先も凍るような寒さでも、暖かいところに入ってジーンと戻っていくのを知っていて、だから少し平気になったのかもしれない。秋が来て肌寒くなっただけで夏の終わりを嘆いて落ち込んでいた人間とは思えない。夏の終わり頃、たまにひんやり涼しい日があったり、また蒸し暑い日があったりと、季節が揺れてまだ夏が持ち越すか、もう終わるかとはらはらしてしまうけど、もう冬まできたら潔い。寒い。数日で暖かくなるわけがない。寒くて当たり前。寒くても元気。たまの風のない天気の良い日はお昼間ぽかぽか気持ちが良い。

そういえば年末、高1の同級生で今は遠くの大学に行っている友達が帰ってくるタイミングで、数人集まって飲んだ。年末なので飲む機会が他にも何件かあったけど、その日の飲み会が1番楽しかった。利害関係の全くない、気も使わない、お互い好きなように話して好きなように聞いて、好きなもの頼んで食べた。本当に楽しくて、最近練習しているビールがめちゃくちゃ進んだ。モツ鍋とビール合う。

学校がそろそろ始まる。今日初めて「君の名は。」を見た。だからこんなに穏やかに切なくて届かない綺麗なものを目の前にした時のような気持ちなのだと思う。言葉があんまり出てこない。もしかしたら単純な寂しさかもしれない。わたしは恋人のことを片割れのように思っているのだと思う。はやく寝よう。

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電車で1時間そこらで全然知らないところに行った。雪がたんまり降って積もって、家にいたら数年に一回くらいの雪の量。雪を見て足跡をつけて、顔型をつけたらデスマスクそのもので笑った。何度思い出しても笑う、帰ってきた翌日の電車の中でもひとりで思い出し笑いした。たのしかった。わたしは一緒にいた人の判断を尊重しようと思った。自分はよく間違えるから、それもあるけど、これは信頼だ。

最近よく思うけど人生は形がないみたいで、自分だけが感知して自分の世界が始まって、終わったあとは何もなくなる。正しいも間違いもないけど正しさを感じた方向にその都度足を向けている。頭で考えて正しそうだと感じてその方向に行くときもあれば、勝手に足が向いて後から考えて妥当に思えたり、妥当そうな理由を作ることもある。どっちでも良いしなんでも良い。よく考えても考えなくてもどれも良い。実際よく考えているようで考えてもなさそうだ。本当に何にも無いのだと思う。

‪2017年は寄り道をいっぱいした1年だった‬。‪平日は1つ隣の駅まで大好きな人といろんな道でいろんな角を曲がって、葉っぱや虫やら見つけたりしながら帰った‬。自分の旅行やお出かけも、計画して1日でいろんなところをまわる旅行をやめて、何も決めずに匂いや見た目につられながらふらふら寄り道してまわる旅行に変えた。これがとても合っていた。‪回る点の数や経験の数で言えば全然効率がよくないように思えて、でもよくよく見てみると、速くて大雑把な記憶しか残らず疲れて帰ってきてた旅行が、何も疲れずマニアックで鮮やかな記憶の残る、ただ‬充足感に満ちた小さな旅行になった。ガイドブックに載っているところを一件も回れなくても良いから、自分だけの景色を見ながら自分だけの散歩道を通るのが良い。何にもないことは、数えられるもの以外のものがたくさんあるということだと思う。何にも無い旅行、とても良かった。

今年がもう終わる。今までで1番早かった。ここに書いてないあれこれがたくさんある。全部書き残したくて始めたけど書くことも忘れて過ごすのもとても良かった。とても幸せだった、みなさんありがとう。

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生まれて72時間のニワトリを見た。

スケッチはいつも途中でフッと集中が切れてだいたいこんなもんでええかというところで切り上げてしまうけど、今回は気がすむまでやった。スケッチ、嫌いではないどころか丁寧にやればやるほど良いものができるから自分の根気が続けばずっとやっていたいくらいな気持ちと、本当に面倒くさくてさっさとやめちゃいたい気持ちが9:1。今回はなんで、集中が切れても周りのみんなが帰って行っても意地で描き続けられたかというと、自分がその胚を殺したからだと思う。

慣れない。いや逆に慣れてしまった微生物ごめん。オートクレーブしてごめん。

毛が生えてるかとか進化の系統的に自分に近いかとかはたぶん実感にあんまり関係なくて、動いてることが大きいと思う。心臓が動いて、赤血球の粒が移動していたのを見た。

その時の気持ちを言い表すのにあんまりぴったりな言葉を持ち合わせていなくて、それがもやもやしているものなのかふわふわなのかよれよれなのかもよく分からなかった。あの感情を形のわかるものにしたい気持ちもそんなになかったのかもしれない。浮かんで消えて少し残っている。

まあわたしは全然なんてことはない優秀でも不真面目でもない学生なうえに、勉強や研究に関して人よりよくできる必要がもう無いと思ってて向上心や野心もあまりない。テストはあるけど、高校生のときのようにシビアな選抜が待ってないから、純粋に見たいものを特別集中して見て、やることちゃんとしっかりやったりいい加減にやったり、これが一番楽しい。

院に進むか考えて、きっと楽しいだろうなと思って、就職するって決めたことがたまに揺らぐ。そらそうだ。就職に関して見えてる未来は微塵も無し、院に関して見えてる未来はいろいろヒントがある。想像つくものの方がなんだか楽しそうに思えて、未知数のものは気分によってわくわくしたり不安になったり。そらそうだな。

いろいろ話した。高校生のとき、成績や人格が人よりよくないといけなかったとき、よくならなければいけないと思い込んでたときならわたしが絶対に言わなかったことを言った。もはや白状のようなものだった。自分が別に弱くても良くて、何ができなくても良くて、それができるようにならないとだめと思わなくて良いことをちゃんと言ってくれる人が周りにいることは、人生始まって以来の幸運だなと心底思う。頭でっかちカチカチ堅物野郎になったらとりあえずグミを食べてもんじゃ食べてゆっくり寝れたらいいな。本当に小さなことから振り返ったりやり直していったらいいな。そういうことに時間をかけるのは良い、やり始めるのに遅いこともない。自分が世界に1人しかいてなくて、自分の周りにいる人たちも1人ずつしかいなくて、1回だけのどんどん流れていく人生のことを大事にするのに遅いことはないと思う、たぶん。