適当

日々の記録です.

適当

good/bad smells

普段を歩く。


散歩をしながら街を見る。

生活を歩く。


自分が歩ける歩数の最大値は既に知っている。

だからといって道を誤らないわけではなくて、進んだ後に自分が間違っていたかどうかを察知する。

進んでいる途中に誤っていることをわかってもどうにも引き返すことができなくて、これが人間なのかもしれないと諦めてしまう。


あとどれくらい生きられるのだろうか。

わかってはいるつもりだけれど、現実はあまり受け入れられない。


あとどれだけの経験がつめるんだろうか、だれとどんな時間を過ごせるのだろうか、一人でどんな場所に行けるのだろうか。


お金がどうとか、なにか新しいモノを作るとか、経済がどうとか教育がどうとか、これまでいろんなことを考えてきたけど、それはきっと僕のガワだけで、ウチのほうではすごくどうでもいいんだと思う。

ただ限られた時間の中で、生きることを精一杯に、ただそれだけを。


これからどうしようか。

希望にも絶望にも溢れている。

他人のことを気にできる歳でもないし、そんな暇もない。

自分のことをまずはよく考えないといけない。


友達が隣でセックスしていても、ハロウィンで馬鹿騒ぎしていても、クラブでイチャイチャしていても、構ってる暇なんてない。


とにかく進まなきゃいけないんだと思う。

綺麗事なのもわかっているし、言葉にすることなんて簡単なのだけど、そうでしかない。

自分の負の部分を理由にして、いつも逃げてしまうことをやめないといけない。


これからどうしようか。

考えれば考えるほどつらくなってしまう。

それほど死が怖いし、時が進まなければいいなとも思う。

宇宙のどこかで凍りながら過ごしてしまうのもいいのかもしれないな。

とにかく行くあてもなくはしって膝がぶち壊れてしまうのも悪くない。

屋上から飛べば、電車に轢かれてしまえば、時をかける少女のようになれるかもしれない。


ただ生きるだけなのに、考えることが多すぎる。



これからどうしようか。

全部やめちゃいたいな。

やめちゃって、携帯も捨てて、古着も捨てて、知り合いも捨てちゃって、

それでどこかに行っちゃいたいな。

どこか遠くの街とかで、いや、山とかで、ただ生きることをしたい。

ただ。

所感

細い路地を通るといつもは陰気な公園が壊されている最中で、別にどうとも思うわけではない公園なのだけど、なんだか寂しい気持ちになる。

毎日何かがなくなる。3年前ダウンロードした授業のpdfを捨てることも、酷い言葉を浴びせて恋人を失うこと、駅のホームの嘔吐物が片付けられていること。毎日たくさんのものがなくなる。

失うものに意識するだけの価値が在る時、僕は感傷的になる。
失うものを意識せざるを得ない時もまた、僕は感傷的になる。

街中で歩いてるだけでも見つけてしまうのだから、最近はいちいち感傷的になってしまって忙しない。いや、感傷的になりたいのかもしれない。

僕自身が可哀想な人間にみられたくて感傷的になっているのかもしれない。

 

大切なものを失うときもまた、僕は、感傷的になれるのだろうか。

 

僕に大切なものはあっただろうか。

大切なものがなくなってしまうことを恐れて、大切なものを作っていないような気がする。僕は、いつも、恐れている。

 

隠れるように生きて、逃げるように生きて、見ないように生きてきた。

僕は自分自身の人生の主役で居られるのだろうか。いつお役御免になってしまうのだろう。そもそも主役だったのかもなんだかわからない。

周りとは違う人間でいたいと、いつも甘えてきた。他人とは違う人生を歩めば、楽に生きれるから。僕は努力をしなかった。

中学時代に、高校時代に、大学時代に過ごしてきた日々は本当に好きだったのかな。
あの時知ったカルチャーは好きだったのかな。あの時聴いたSaToAは好きだったのかな。
僕が過ごした日々は本物だったのか。
いつも不安になる。

 

こうやってネガティブなことをアウトプットして可哀想で惨めな自分を作る。大丈夫?という言葉を待つ。えー!大丈夫だよ!!ありがとう〜って返す。天邪鬼で我儘で八方美人。自分が可愛いだけみたいだ。

僕は自身のことをとても忌み嫌うし、とても大事にも思う。

 

結局はそうやって肯定と否定を繰り返してふらふらと生きていくしかないわけだ。

 

ぐだぐだ書いても別に何か変わるわけでもない。なくなるものはなくなっていくし、生まれるものは生まれていく。何かが変わるわけではないのだ。

 

 

4月には僕は学生ではなくなる。

ちょっとだけ寂しい。寂しいと思うだけ、やっぱりこれまで過ごした時間は本物みたい。

卒業が決まって、毎日遊ぶわけでもなく、家でぼーっとしている。お金がないのが大半の理由だけど、学生を感じるにはこれが一番なのだろうという考えが元だ。なにをするわけでもなく、なんとなく何かを考えて、なんとなくご飯を食べて、なんとなくスマホをいじって、なんとなく寝る。僕の学生のすべてはこれだったと改めて感じる。

最後にこの幸福を感じておさらばなわけだ。

 

 

東京にきてもう5年経つ。

くるりの東京を聴きながら山形から新幹線で上京して、西荻窪の寮へはいってからもう5年も経った。

東京はいつでも包んでくれるような虚構で、僕はとても安心した。どれだけ消えかかっていても東京の夜はいつも照らしてくれる。地元より星は見えなかったけど、それでも目に悪そうなネオン街の方が安心したのだ。

嘘でもいいから何かにすがりたかったから、僕は、人が蟻んこのように入り乱れるこの街が好きだ。

東京でこれからも生きていく。

すがる何かに守られてこれからも。

小松菜奈への偏愛 Part1

彼女の死んだ目の目尻にこの世の終わりにでも笑顔で居られそうな狂った皺が寄せられていて、僕は、一瞬で恋というか地獄にでも落ちたような気がした。

 

僕の中で神聖化されている彼女に寄せる病的な好意は自分でもとても気持ち悪いものだと思うが、別に悪いものとは思っていない。

サブカルチャーと呼ばれるモノに絶対的な信頼を置いている、ヴィレバンで待ち合わせをしていまいそうな、下北沢ちんちんランドの住人や、FGOのガチャで好みの鯖が出続けるまで金を落とし続ける現代のオタクと変わらない。

 

常日頃から小松菜奈が好きだと言っているが、多分僕が好きなのは映画 渇き。のヒロイン加奈子役を演じている小松菜奈かもしれないと思ってきた。というかそうだ。

あの映画の小松菜奈は娯楽と正義と混沌を兼ねていて、あれ程美しい人間はいないと思ってしまった。邦画や日本のドラマにありがちなちゃっちいラブコメに出ていたときの小松菜奈への狂気的な愛はなかった。

小松菜奈以外にも容姿端麗なモデルや女優は星の数ほどいる。

僕もそれぞれ綺麗だともかわいいだとも思うし、はたまた付き合いてえ〜みたいな中学生の時に一度でも抱いたことはある馬鹿みたいな妄想をする。キャピキャピした小松菜奈はそれらと同じ感情くらい。

 

これから綴る小松菜奈は、主に渇き。にでていたあの小松菜奈だと思ってほしい。

僕の中であの小松菜奈は、あのfps24のフレームレートに格別に合っていたし、映画というアートのどんなものよりアートしていた。笑みや声色、歩く時に揺れる制服のスカートが誰よりも気持ち悪かった。衝撃だったしすぐに虜になった。

レオンのナタリーポートマンにも、プラダを着た悪魔アン・ハサウェイにも、白夜行堀北真希にも抱かなかった感情が沸々と湧いた。あの吐き気とも言える恋は、きっとこの後の人生には無いものだし、大事にしていく感情の一つだと思う。

あの映画のネタバレにはなるけど、彼女が死んでいたことがわかって僕は心底ほっとした。彼女には死んでほしいとも思うし、殺されたいとも思う。

なんにせよ、どんな事象も劇的で悲壮感が漂っていて、僕はそれに浸ることが面白いことだと思ってしまうっぽい。凄く中二病ちっくなわけだけど、別にそんな恥じることでもないのでいいや。

 

あ〜でも小松菜奈に殺されるフィクションを撮れればあとは余生って感じもあるのでだれかお願いだから撮って。。。。

 

なんだかつらつら書いたけどねむいのでそんな量書いてないや〜〜次回はPart2で

 

とりあえずアンニュイ!死んだ目!不敵な笑み!小松菜奈が好き!!!!!

fair fire fare

身の丈にあった家賃48000円の狭くて汚くて日当たりも悪い部屋で、鬱蒼とした空気の中、スマホとPCを眺めながらなにも生まれない毎日を過ごしていたほうが、変わらずに生きていける。

生きていける、というよりも、生きていかなければいけない。ん〜、生きれない?か。

 

久しぶりに昔よく聴いてたバンドの新曲とかいろいろ調べて聴いたけど、なんだかつまらなくなっていたなぁ〜。自分も偉くなったもんだと思った。

別に批評しようともしたいとも思わないけれど、如何にもこれは正論かのように振る舞って、直接的な言葉で呈する音楽はあまり好きにはなれない。

完全に個人的な偏見だけど、アートは人に押し付けるものではなくて、あくまで自慰行為であって、それは謙虚かつ爆発的でなくてはならないと思っている。ので、言葉でなにかを表現するのであれば、言葉は不器用で洗練されてあった方が美しい。

簡単に表現できる言葉はニュースキャスターや学校の先生が使っているので面白くもなんともない。

正論はつまらない。人をつまらなくする。マイノリティで良かった。たくさんの生活が間違っているから面白いのに、それを正そうとしてしまったら、つまらない。正論は隠すものであるべきだとも思う。

 

エスター見た。

おもろかった。

 

気づいたら朝になっていて、気づいたら昼になっていて、気づいたら夜になっていて、バイトの時間になっていて、学校が始まる日になっていて、待ち合わせの時間に、家賃の支払い期限に、気づいたら煙草の灰が指の近くまできているくらいの感覚で。

 

電車に乗って、気づいたら知らない田園風景が広がっていて、終電もないから、近くのカプセルホテルに泊まって、昼飯をその近くの定食屋さんで食べて、寄り道しながらまた家に帰る。そしたら少しは今の生活からは抜け出せるのかもしれない。

 

うさぎの悪いところと、かめの悪いところを足して2で割って、15足したくらいの生活を、今は、過ごしたい。

 

16時に公園に集合して、蚊に刺されながら2時間くらい飲んでから、チープな居酒屋で最近の生活について語り合って、途切れる記憶の中で話したかったことを考えながら眠りについてしまいたい。

というか普通に人と飲みたい。

 

もう少しだけのらりくらりと生きていこうと思う。

 

bibun

これまでの人生で夏はあまりいいことがなくて、いや、夏に限らず常に良いことはないのだけれど、夏は特に精神的にグサッと刺される感覚に陥るというか、切れ味の良くないナイフでえぐられる感覚に陥るというか。その感覚は後になってセンチメンタルを感じることができていい体験には変わりないのだが、毎年この季節が来ると頭を悩ませる原因の一つでもある。

 

夏休みで浮かれきっている頭の中お花畑なボンボン大学生や、熱い青春に身を寄せる高校生、謎の商材を売るベンチャー企業界隈の色黒のチンピラたちが嫌でも視界に入ってきている気がしてしまう。だけどこれは完璧な偏見で、実際こういう人たちがいるかって言われればごく少数だと思うし、気持ち的な問題だと言われればそうとしか言えない。

自分はこういう人間になれなくて僻んでいて(なりたいとは思わないけど)、しょうもない理由言いたくなって、夏は嫌い!!とか豪語してしまいがち。

 

ふらっと外出てその辺の人と暑いねって言いながらほんのりとお酒を飲むのは凄く楽しいのにね。こういういい面をあまり言及しないところがサブカルっぽいところの所以なんだろうと思う。

 

ピクニックをしたい。

 

6月に内定をもらった。ウケる。

 

休学してなにか変わったというよりは、時間が経って変わったという方がしっくりくる。休学した分考える時間が増えて、自分との対話が増えて、なんていうかまとまったのだと思う。いろいろと。

 

そんな感じで少しだけ生意気に成長したので、内定もいただいてハッピーになれた。

来年から社畜だけれど、死なない程度にワイワイしていきたい。

 

したい事を実行に移せる財力と人脈が欲しいけれど、その財力と人脈を手に入れるための行動すら渋るので、もう少し成長しないといけないな〜〜〜〜〜と思う所存。

夏にしたい事十選

#ピクニック #

 

思いつかないな〜〜

 

AIはこういう事もすべて解決してくれるはずだし、はやく技術普及してくれ〜〜老害さよならしてくれ〜〜〜〜〜

 

ダラダラだらだらdaradara

 

 

a_t_r

寒い 冬 夜 吹く風が冷たい 青いな〜 

この一ヶ月通り抜けたなって 
感情が乱雑に置かれていっていて,場所とか人にね.
出来事が多かったし,決断も多かった. 
濃いといえば濃いし,薄いといえば薄いかもしれない. 
僕からみたら濃いと感じるけど,周りからみたらただ不安と焦燥感に駆られて誤魔化すように、あるところでは不必要なまでに行動を起こしているようにも感じられたと思う.
つまりは,行動に対しての対価が少なくて,中身がなかったんじゃないかって.
僕のことを冷静に見てくれる僕はそう言っている気がする.

だけどね,得るものも多かった.
不安とか情熱とか自信とかを感じること.
綺麗事だし,これは精神論でしかないから,言葉では容易く言えてしまうんだけど,でも凄く大事なものだと思う.
いままで常に冷めた目で見下していた,そういうものに対して.
その理由は明白にわかっていて,衆目を意識してしまって,情熱や不安が垣間見られてしまうのが心疚しいことだと思ってたから.
僕の中での羞恥心はとっても面倒くさいもの. 羞恥心のせいで,こういう活発な人間になれていなかったという面もあるし,羞恥心のおかげで身なりとか気にできたっていう面もある.
羞恥心をすべてプラスの面に扱えたらいいなって思う.

こういうことをなんでも相談して議論して決断をして,,,それが自分の感じる幸せかもしれないな.
それがいまできてないからやりたい.いつも真面目になんかしなくてもいいから,たまには,さ,ね.
そういう友達がたくさん欲しい.いま相談できる相手っていないかも. いやいるはずなんだけど,自分から行動を起こしてないだけ,怠慢.

人はたくさんいるから話し込むと絶対面白いはず. みんな観点が違うはずだし,生まれてきた環境とか.
だから,周りに流されてるなって見えてしまう人が苦手.
自分の感じる何かを放棄しているし勿体無いよ. それが多いのが大学生だから,嫌いって言ってる.
でも自分もその一人なんだろうな.


あ〜〜〜〜〜彼女がほしい.
クリスマスで思い出した.
そうえば人を恋愛的感情で好きになることがなくなった. 単に出会えてないだけなのかもしれないけど,まあいっか.
でも話ができる人は凄く好きだな.話をずっとしてたい. その後一人で考えてまた話がしたい.
たまには二人で本を読んで,映画を見て,散歩をして. 幸せなんだろうな.
考えることが自分の中で感じる自由さだし,最大限の幸福. 考えることが中心の生活を送れたら嬉しいよね.


最近の出来事をたくさん話したい.
誰か氏〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

ht

最近は寒くなってきて,外の空気も冬のそれに近づいてきた.
寒空の下で煙草を吸うと美味しい.
ただかっこつけたいだけだし,別に味なんか変わらないんだけど,でもいい.

 

休学を決めた.
理由はただ逃げたかったから.
卒業からも,就職からもただただ逃げたかった.
とってつけたような理由を親に話して,怒られながら親の愛を感じて,甘えている自分が本当にクズだなって思いながらも,根本は今はこれでも良いって自分を許してる.
嫌悪.
のくせに,自分のことを棚に上げて,人のことを批判する.
もっと自分のことを戒めるべきなのに.
仕送りなしで自ら稼いで家賃払って学校通ってめっちゃ頑張ってる,親の過保護で生活してるやつ何なんって思ってしまう.それを口に出してしまったりする.今もインターネットに発信してしまってる.
こういう性格が良くないってことも凄く思う.
これまでの短い人生でこんなにも悪い性格になってしまった.
きっと周りから人はいなくなるんだろうなっていうのは前からずっと思ってる.
少しでも変わりたい.

休学の話をしている時に父にひどいことを言ってしまった.
その言葉に困惑してしまっている父を見て,これまで感じたことのない罪悪感と後悔が押し寄せて,僕は取り返しのつかないことを言ったんだなって.
そんな気持ちとは裏腹に,ずっと我慢して言えなかったことが堰が切れたように出てきた.涙がすごく出てきて,泣きたくないのにたくさん出てきて,体内に含まれてる水分量凄いなって思った.
親父はその後もちゃんと叱ってくれた.
叱ってくれたし,どうするのが一番いい道なのかも一緒に考えてくれた.親として当たり前のことかもしれないけど,その当たり前とされてることが,ずっと父と過ごしてこなかった自分としては幸せだった.

 

母親も受け入れてくれた.僕の母は頑張りすぎる人だ.

だから迷惑はかけたくない.言いづらかった.

休学したい,迷惑かけてごめんって伝えると,迷惑なことはいままで一度もないし,逆に迷惑かけてごめんって.
心が死んだ.
これが愛か〜〜〜〜って.
親になればこうなるのかは,親になってみないとわからない.
親になれるかどうかもわからないけど.

 

親は偉大だった.
離婚はしているけれど,そんなことどうでもいいくらいに僕は父も母も尊敬する.

 

海外へ行く.
そんなことでなにか変わるかって言われればきっとたいした変わりはない.
でもいまの生活から抜けだして,どこかへ一人で行ってしまえる機会はもうない.
それは一生に一度しかできない体験だろうし,一つの自信にもなると思ってる.
アメリカかカナダに行って,人と話して,環境を見て,苦労して生活したい.
こんな我儘が通るのはこの先ない.
この我儘を如何に有意義に過ごすか,考えて,行動して,頑張る.
努力だけは今までの歴史の中で裏切っていない唯一のモノなので,努力をしようと思う.
これからの一年間が間違いなく人生のターニングポイントだ.

 

最近は書きたいことがたくさんある.
アウトプットして整理しなければ〜.