なぎさにふたり

マッチングアプリ文学

日刊東京タワー通信 2日目

suicide-motel.hatenablog.jp
タワーさんは乃木坂46が好きでした。好きなメンバーは訊いていませんが、どうせ普通に201X年くらいの西野七瀬が好きだったんじゃないかと思います。知りませんが。
わたしも「雰囲気が(秋元系)アイドルみたい」と言われたことあります。面白。握手10秒で金とったろか?あ?



タワーさんは「自分の他にどれくらいの人とやり取りしているのか」と毎日聞いた。わたしはその質問に毎日「なんでそんなこと聞くんですか?」ととぼけた。

「他の人にもこういう感じなの」
「〇〇さん以外にも言ってます。尊敬できる人にはね?」
「えー……」
「どうして?尊敬できる人とお話することはいいことです。勉強になるから」
「はぁ……モテモテで羨ましいよ。その顔ならイージーモードだもんね」
「〇〇さんも人気なくせに……」
ほんのりと暗さを帯びたわたしの言葉に声を弾ませ、タワーさんは「俺にわくのはスペック厨ばっかだよ」と返事した。
「モテなんて虚構でしょう。中身まで好いてもらえるかなんてわからないし」
タワーさんは「わかる」と嘆息した。スペックを褒められると不信感を持つよね、とも。
「ううん……〇〇さんの学歴や社名は努力の証ですよ?素晴らしいことです。わたしはただの顔。親からのギフトでしかない」
謙虚だね、メイクだのネイルだのと言ってる他の馬鹿女とやっぱり違うね、とタワーさんは色めき立つ。うわべばかりの卑下に喜ぶ様子が気色悪かった。メイクだのネイルだのと言っている女の子は素直だから、自分の好きなものの話をあなたの前でしているんですよ。可愛いですね。ところでわたしがそのような話をしない理由、考えたことある?
「〇〇さんもやっぱり違いますよ……こんな話普段あんまりしないし」
心底白々しいやり取りだ。こいつに中身を語って意味があるやら。ただここまで言えばタワーさんのハッピーな思考法なら「こんなこと打ち明けてくれるなんて俺と話すのはつまんなくないんだ」と思うはずだ。
「でもわたしのこと、可愛いって思ってくれたなら嬉しい」
この言葉に相好を崩すタワーさんは、一層滑稽にみえた。最初から媚びられていておかしいと思わないんだろうか。スペックに沸く女はみんなバカだし信用出来ないと言っていたのに、じゃあ代わりに努力を褒めてあげるね?と言わんばかりにケアされて、易々と喜んでいる自分はバカみたいだ、とか思わないんだろうか。
「〇〇さんみたいな人に好かれたくて可愛く映ってる写真を選んだから嬉しいんです。バレてた……?」
嘘はない。あなたにはわたしのことを好いてほしい。ただ、わたしは一生あなたのことを好きに思うことはないだけの話で。
「他の女の子と仲良くしてないか、いつも不安になってしまって」
「居ないよ。大丈夫。俺スイーツ笑と話合わないしさあ……」
この後はいつもの流れで、ねえ、早くデートしよう、会いたい、ミツギちゃんと週末会えるなら頑張れる、とタワーさんは繰り返す。わたしは「欲しいものがあるからバイト減らせないの」とかわした。「そうだ。お疲れなら今晩はアイスを食べましょうよ。買ったら写真を送っておいてください。」と、わたしの突飛な要求にタワーさんは狼狽える。「アイスって美味しくて元気出るでしょう?元気出して欲しいから……」と会話を締め括って電話を切ると、その日は東京タワーとファミマのアイスの写真、そして「早く一緒に食べたい」という痛々しいメッセージがLINEに届いたのだった。
「アイスおいしい?自分で自分の機嫌取れて素晴らしいですね」
当面の目標は、「素晴らしいですね」を「えらいですね」に変えても違和感がなくなるまで、会話を重ねることであった。


下手したら毎晩のペースで、タワーさんには帰宅時に何かスイーツを買って帰らせるようにしていた。
そして一度簡単なことで褒めてしまえば、タワーさんは面白いくらいわたしに褒められたがった。
「今日はモンブラン」「ちょっと高いやつだ。何かお仕事でありました?」
「今日は箱アイス」「お得なもの選べてすごいです。ちょっと小さいから罪悪感もないし」
「今日はプリン」「とろっとしてるやつ……一番好き。おんなじの買ってこようかなあ」
「今日はハーゲンダッツ」「華もち?──」
〇〇さん。自分のこと可愛がれてえらいですね、と電話口で笑いかける。いつになくタワーさんは無口で、「ふふ」と声を転がして数秒の無言のあと「いい加減教えてよ」と続けた。
「なにを?」
「俺と会わない理由だよ。バイトだけ?」
「ううん。バイト以外にも」
きたきた。これは紛れもない取引メッセージだ。タワーさんはわたしに会いたがっている。会うためにはバイトが邪魔だ。バイトを減らさないといけない。そうなると彼の提案はおそらく、
「バッグって、どれが欲しいの?そろそろクリスマスでしょ?」
予想通りだった。でもわたしの目的はモノをもらう事ではなかったから、言葉を重ねた。
「わたし欲張りだから、欲しいものたくさんあるんです。引かない?」
「もちろん」
──プラダの鞄と、自由な時間と、あとは素敵な彼氏。
タワーさんは限りなく思考を省いた愚かな声色で「全部あげられるよ」と倒れ込んでしまった。
「彼氏にもなれる。バイトの時間が減れば時間もできる。バッグだって、何回も聞いてるじゃん。どれが欲しいの。サイトを送ってって……」
電話口から脈拍が聞こえるような錯覚。熱い血が噴き出ているような感覚。張り切っちゃって可哀想。
「あ……ごめんなさい。キャッチ入っちゃった。誰だろ……今日は一旦ここで切りますね」
恍惚に水を差されて慌てる様子が見たかったから、キャッチホンだなんて嘘をついた。
いつものように東京タワーの写真と一緒に「さっきのは誰?男?」「でもクリスマス楽しみ」と届いた。ウケる、クリスマス当日押さえられると思って存在しない「男」に向かって勝利宣言ですか。もう精液漏れてない?と失笑する。「クリスマスの時は、タワーの色も変わるのかな。……暖かくして寝てください、おやすみなさい。」と投げ返した。

わたしの目的はバッグじゃない。10近く年下の女の子を捕まえて、「本当に賢い女は無力を装う」「女の努力は無駄」「外見にこだわりたおす女はバカ」だのと有害な思想を植え付けようとするあなたに、深く深く傷ついてほしかった。だから、欲しいものの条件を追加した。
何十万円かの金銭的損害だけでは不足だ。存在しないわたしにかけた時間と、実在すらしないわたしへの恋心。その全てを引き剥がしたら、あなたももう少し素敵に生きられるよね。冬の冷たい空気に膿んだ傷口を晒してほしかった。

翌日に届いた写真はいつもとは違っていた。コンビニスイーツの代わりにブランドバッグの袋、夜景ではなく昼間の東京タワー。
「これ、なんでしょう」
「〇〇さん……わたし」
語り口から期待が漏れ出ている。帰り道アイスを買うだけで肯定され、仕事の愚痴も正当化され、凡ゆる見下しと嫌悪と差別を「あなたの感情はすべて正しい」と撫でさすられ、甘え切って腐って溶けた脳から、どろどろと饐えた匂いが漂った。
直接お伝えしたいですこの気持ち、と言って電話をかける。惚けた男の声に涙を浴びせかける。
「あの、これ違う……ごめんなさい、あの、でも、全然違くて……」
突然の涙声に動転した様子でタワーさんは「え、あぇ、はっ?」と声を上げた。
でもその蒙昧さが、わたしにとっては罪なの。あなたのそれは無垢ではない。無知無明を尊ばれるお歳でもないでしょう。あなたはただの考え無しの莫迦だ。存在しない女に狂い自慰行為に踊らされる種無しの家畜生きる価値なしのブタだ。
「わたし、こんなもの……要るって言いました?」
「あ、え?URL送ってもらったやつ……」
「違う。買うんだったら、一緒にお店に行って、自分の目で見て選びたかったんです。わたしには決定権すらないんだ……」
タワーさんの発する「あ?」と「え?」の声色の変化で、怒りと悲しみが高速で回るのが聞きとれた。
「あ、ぁ?ご、ごめ……いや、あれ、」
「自分は悪くないって思っているんですよね?」
正直この性格だから一緒に選ぶより先にバッグを買いに行く男であろうことは理解していた。この事項に関しては道徳面の不満ではなかったが、反転攻撃の起点に使うために使った。
「あは……知ってました。そういう人だって」
なんでそんなこと言うんだよ、とタワーさんが震える声で宣った。じゃあどうして買っちゃったんですか?頼んでもないのに、とわたしは問い返した。
「ひどい人、買えばわたしが手に入ると思いました?」
「人が給料つぎ込んで買ったものに対して言うことじゃないだろ……」
「あはは!その通り!物に罪はありません」
声が震える。笑いが抑えられない。ずっとこの瞬間を待っていた。本当に賢い女なんて存在しないことに気づかせるこの瞬間のために、わたしは種を蒔いてきた。コインを積み上げてきた。
「わたしはモノじゃなくて、あなたを責めてるんです」
なんなんだよ、お前性格悪すぎるだろ、とブツブツと唱える様子が可笑しくて、笑いが止まらない。悪いのはお前の頭だよ。簡単に性欲に支配されやがって。少しでもマシな場所で排泄したいって気持ちで溢れている。でも勘違いしないでね、性欲の存在は肯定しているの。でもあなたの性欲に訴えかける女のことを「本当に賢い女」、そうでない女を「必死で頭の悪い女」と設定しているところは頂けない。それは言葉への不義理であり冒涜だ。正しい意味で話せ。己の醜さから目を逸らすな。
「頭の悪い女が嫌いなんでしょう?性格が悪い女も嫌い?好き嫌い多いねぇ……」
「いつから騙してた、いつから嘘ついてた」
「嘘?ついてないです。好かれたいから本音を隠してただけ」
「はあ?」
「嫌われたくなくて、好かれたくて取り繕うの、恋愛って感じするでしょう?あなたは最初から聞き苦しく倫理的でない本音を溢れさせていましたが……どうしてそれで人に愛されると思うの?わたし、優しい人が好き。スペックなんかじゃなくて、優しくて人の痛みがわかる人が好き。あなたはどう頑張ってくれましたか?」
時間にすると数秒でしかない、短い沈黙が流れた。しかし、その間必死でこちらを傷つける言葉を考えているようにみえた。ただ思考の甲斐なく一言「気持ち悪い」とだけタワーさんは言い残して、電話が切れた。どうぞ吐いてください。2週間前のアイスまで吐き切れるかは知りませんが。
ひとしきり笑いの狂瀾ののち、空しい沈黙だけが残った。

「あー……最悪」
だって最悪だ、言葉だけで相手を突き崩したいのに、結局わたしは自分の顔貌肢体に頼っている。性欲に狂い女を支配したがる男を、真昼に清潔なナイフで突き刺したいのに、結局わたしは、わたしの被欲望的な性質を起点に攻撃することしかできない。わたしは、寝屋に這入りこむところからしか始められないし、酒に毒を混ぜることでしか終わらせられない。外見情報がなかったら?この声がなかったら?わたしのやり方は、開かれてなくて穢らわしい。
わたしの住む部屋からは東京タワーが見えない。コンビニまで歩けばスカイツリーが見える。
買ったばかりの肉まんで指先を温めながら、「良いお年をお迎えくださいね」とラインで投げる。既読がついたのを確認してブロックした。


このあたりの記憶を思い出すたび、どうして恋愛対象が男性なんだろう?という思いと、裏腹に「恋愛対象が男性だからこその歪みだな」という冷静な分析が脳の中で手を取って踊り出します。困ったことです。
あとお分かりの通り、この辺の話は自分の感情が忙しいので、思い起こして書くのに体力が要ります。

しかばねの踊り (Feat. 初音ミク)

しかばねの踊り (Feat. 初音ミク)

  • きくお
  • ポップ
  • ¥153
このあたりの曲を聴きながら書くと雰囲気が出て良かったです。
当時はそこまでのことをしている自覚がなかったです。おそらくこのくらいしないと心の穴が埋まらないような気がしていて、なんなら恨まれても憎まれてもどうせ人は死ぬし、たくさんの善行と同じくらいの悪行をすれば人生を謳歌して死ねると思っていました。
マッチングアプリ、辞めたり始めたりするたび「寂しがりやなんだね笑」とかもっと直接的な脅迫メッセが届いたりしていたんですけど、それに対しても特段の恐怖などはありませんでした。むしろ弱りきって他の男の人にしなだれかかる(そして善悪を試す)口実が出来て便利だとも思っていました。
でも今思い起こしてみるととりわけ怖い文面を送ってきていたのはタワーさんだったのかもな、と推察せざるを得ません。

ここまでの捩れかたの理由にはおそらく未成年のうちにあったあれこれがあるのですが、それはまた今度まとめます。

日刊東京タワー通信 1日目

スカイツリーが出来てから10年余の時が過ぎたが、「東京タワー」はステイタスシンボルとして在り続けている気がする。
「今俺が住んでる家、東京タワーがみえるんだよね」なんてあからさまな港区在住アピールは、もう誰もしなくなったかと思う。しかしわたしがアプリをやっていた時代には、まだあった。人類は年々上品になっていく、当時ですら「下品だな」と思えた口説きは、きっと今となっては語るに悍ましい畜生の言葉として数えられているのではないだろうか。いやあ、言い過ぎかなあ。わたしがそう思うだけなのかもしれません。

《日刊東京タワー通信》というあだ名で呼んでいた男がいた。

当時のわたしは大学生で、人生でもっとも心が不安定で、もっとも男性を憎んでいて、しかし憎悪している男の人の支えがないと真っ直ぐに立てないような心持ちがしていた。
砕けそうな精神の添木とするため、男性の硬い骨が必要だった。だから就活のOB訪問の体でいろんな男性と知り合った。「就活」という固定の話題があるというだけで、どんな相手とも何となく時間が保ったし、「やっぱり素敵な職場で働きたいじゃないですか」と言って近づいて、数回やりとりするうちに社会人1〜3年目の苦悩を大仰に語り出すのもなかなかに面白かった。
同世代の人より優れていたいんですね。だから弱音なんて吐けないですもんね。誰ともわかりあえないの寂しいですよね……でも大丈夫。〇〇さんが無理して理解のない人に話すことなんてないんですから。このままで頑張っちゃいましょ。えいえいお〜♪……そんな。気にしないで。いずれわたしもおんなじように辛い思いをするかもですし、人生のお勉強になるので……じゃあ、電話します?
「……いえ。わたしが声聞きたいだけでした。だめ?」
初めて深夜残業した日の話とか、上司の考えがいかに鈍くてダサいかとか。国会対応で2徹とか、これからのファイナンスはどうのとか。その頃俺カンヌだわとか。
当時のわたしは、電話口の向こう側の誰もを褒めたし、何もかも肯定した。
ああ、出来のいい同期には到底言えないことをここで言ってるんだ?仲良い人居ないんだ、という冷ややかな鼓膜で声を隅まで捉えて、脳を通る時には呪いを反転させる。唇に言葉を乗せる時までには甘さでくるんで祝福に変える。
「競争心、素敵ですよ。謙虚さの裏返しだから……本当は〇〇さんのこと尊敬してるんです。でも悩んでいるところ見たら親近感わいちゃって」
「視座がとくべつ高いから、寂しいのかもしれませんね」
当時のわたしの卑怯なやり方に躓いた生き物の中で、《日刊東京タワー通信》さんは最も愚かで、最も「いけない」気持ちになるような人だった。


《日刊東京タワー通信》さん、以下タワーさんは、都内総合商社勤めの28歳。新卒入社ではなく、金融機関からの転職組。中国地方の公立高校出身、東京の国立大学に進学。身長は普通より少し高め、疲労が滲み出ているような澱んだ目つきであること以外、容貌に指摘する点もない。

「……俺さあ、下から上がりの慶應が一番許せないんだよね」
「結局三田会の中で同期結婚しちゃうカップルのお話?どうしていやなの?」
あれな男であろうことは予見していたので、会う前に電話を重ねておこうとプランだった。というより、会う気は一切なかった。声や言葉だけで相手の考えを壊す手立てを知りたかったからだ。
この日もわたしは「お声聞きたいです」と言って向こうから電話をかけさせ、スピーカーからタワーさんの左耳にせっせと毒を流し込んでいた。
「環境に恵まれてるだけだろ、って思うから」
これは、おおかた中途で入った商社の慶應閥が強過ぎることからくる疎外感だろう。嫌悪の向こうには妬みがあり、そのまた向こうにはタワーさんの触れられたくない弱みがあった。
「そうですか。でも、それを言ったらわたしもずっと東京育ちで、手塩にかけて育てられてますが……わたしのことは嫌い?許せない?」
不安になっちゃいました、と電話口で問うと、タワーさんは「ミツギちゃんは違う!」と迷わず返事した。この声調と勢い、なるほど良い調子でわたしに傾いている。というより、手塩にかけられて育っている純粋培養処女とどうこうなりたいという私欲なのかもな。この人権威主義的だし。まあわたし別に処女ではないんだけど、おそらくこの男の目ではゼロとそれ以外の見分けなんてつかない。
「よかったあ。でも、お気持ちわかる気がしますよ。〇〇さんは地方で、誰にも頼らないで大学に受かったんですもんね」
「本当……上手だなあ、ミツギちゃんは」
うっとりと言った様子の声色に肩をすくめる……はいはい。
社名を褒められるの、寂しくて嫌ですもんね。同じ会社でも下から慶應の人と違ってあなたは「とりわけ頑張っている」んですもんね。(じゃあ何、下から早稲田の人を叩かないのはなぜ?)その裏にある努力が違うんですもんね。スタートラインが違うところ、華やかなゴールに辿り着いたんですもんね。(あなたより大変な身の上の人だってたくさんいるよね?)(結局あなたが一番欲しくて手に入らないものを、「下から慶應」の同期の既婚イケメンが持っているから憎むんでしょう?)ライブラリの中から適切最悪な言葉を選び、伝え返す。
「上手だなんて。心底思っていることですよ。だから単に、わかりあってるだけなんだと思います」
「本当に賢いのはミツギちゃんみたいな女の子だよね……」とタワーさんは浮ついた言葉を急いた調子で繰り返す。
「本当に賢い?」
本当に、って何だよ。お前の至極勝手な指標に「本当に」だなんて大層な修飾語をつけるな。原義に悖る再定義をするな。──どこまでもタワーさんはわたしを落胆させてくれた。
「俺思うんだよ。本当に賢いっていうのはミツギちゃんみたいに、可愛くて優しくて……綺麗な言葉で男を気持ちよく転がせることなんじゃないかって」
清々しいほどの自己中心性だ。冷ややかに反射する思考をそっと温めて、角をとって唇に乗せる。
「賢く見えて本当は賢くない女性っていうのが、〇〇さんの周りにいるの?」
「あぁ。うちの会社の総合職女とかさあ、すっごいよ。わざわざ嫌な言い方とかしてくるし。そこまでしても体力面で有利な男に勝てるわけないのにさ、可愛くないよね」
じゃあお前の業務成績をおかさないことを「可愛い」って言ってるんだ。面白い。あなたのような人間は……もう死んでしまえばいいのに……でもその前に。
死を願うほどに不快な価値観だったから、どうすれば考えを侵してボロボロにできるか、ボロボロになった荒地の隙間に新しい種を植え付けることができるか、興味があった。脳が痺れて電流が走る。散々肯定されて砕けやすくなった彼の思考を壊すにふさわしい言葉を紡ぎ出す。
「ひどい人。」
小さい声でそう言うと、タワーさんが硬く息を呑むのが聞こえた。
「……わたし、強い人が他者に優しくする姿が好きです。〇〇さん、怖い……優しい言葉でお話しませんか?」
「え?あ……ご、ごめん」
ちょっと……ごめん、ごめん、と慌て切った声がしばらく聞こえた。「もしかして泣いているの、」とも。
「泣いてないけれど……びっくりしちゃって。〇〇さんがいじわる言う姿見たくないです。わたしのお友達や先輩でも、キャリア志向の人たくさんいますもん。頑張ってる人に、ひどいこと言わないで」
あなたのことが大嫌いだからこそ、わたしのことを大好きになって欲しかった。タワーさんはわたしの言葉を受けて「本当にミツギちゃんは優しいね……」とぼんやりとした調子だった。
「わたし、優しい人が好きです」
愉快で痛快で声が震える。そのまま挨拶もせず電話を切った。すると、程なくして機嫌を伺うような文面のLINEと、宵闇にひかる東京タワーの写真が届いた。
「さっきは本当にごめん。今日の東京タワーです!綺麗だから元気出るかなって」
この男が《日刊東京タワー通信》さんと呼ばれる理由が、これである。
「ありがとうございます…綺麗ですね」
これで評価者はわたし、被評価者はタワーさん。舞台は整った。
「優しい」は人の心を砕く時、たいへん使いやすい。賢いか否か/美しいか否か/富んでいるか否かで人を評価すると、非道徳的だと言われて反感を買われてしまう。しかし優しいか優しくないかで人を評価する時はそうはならない。そもそも何を以て優しいと判断するかの基準を明確に持っている人間は少ない。
……だからわたしは「優しい」を使って、タワーさんの「賢い」を壊す。タワーさんが賢い女都合のいい女が好きなら、わたしだって優しい男都合のいい男が好きだった。彼を浅く頻回承認し、一度深く拒絶する。
女のこと、「無害でかわいいから」って理由で好きになっちゃいけないってお母さんから習わなかったの?自分より弱い存在の言う甘言に耳を傾けてはだめって初恋の女の子は教えてくれなかったの?誰かの努力を軽んじてはいけないって学ばなかったの?わたしより全然大人なのに、どうしてそんなことも覚えられないの。悪い人。
だからわたしはわたしのやり方で、自覚的にタワーさんに暴力を振るう。この人相手なら良心が痛まないから。



どうしてあれな人って乃木坂46が好きなんでしょう。
命は美しい

命は美しい

これよりちょっと前の時期、別のイケメンサラリーマンとも知り合っていましたが、その人も乃木坂46が好きで、「俺メンヘラと付き合いがちで」「でも元カノは読モで」とか言ってました。メンヘラって言い方やめろ、人間性を軽んじるな……気分悪くて仕方なかったです。あと読モって言葉から絶望的な加齢臭がしますね。今ならインフルエンサーって肩書きに匹敵するのかもしれません。おそらく。
その人に対してはもっと稚拙な言葉遣いで話していた気がします。最初はもちろんタワーさん同様にベタ褒めしてたんですが、元カノの話が出てきたあたりで「なんであなたみたいな性格おしまい男とわたしが遊ばないといけないの?」「顔が好きだから会いたいとか本当に気色悪い笑 性格は気に入ってないでしょう?わたしレイプされて殺される感じ?怖いなぁ……」「顔しか好みじゃないってそういうことじゃない?ちゃんと説明してくれません?」とか言ってた気がする。今思うと何がしたかったのかわかりませんが(わかるけど、話が長くなるからね)、まあ、そういう時期だったんですよね。
もちろんこのようなやり方をするとすぐに切れてしまって、秒で退屈になってしまいました。なのでタワーさんは反省を生かしてこのように関わっています。カスのPDCAサイクルを回している。

針脱毛に行ってきました

美容ブロガーでも何でもないんですが、備忘録として。都内某クリニックで針脱毛を受けてきました。
価格や施術内容の比較検討は大してしていません。突如として脱毛したいぜ!今すぐしたいぜ!という気持ちになったので、空き時間で行ける病院を探して行った感じです。
ツイートするような内容でもないなと思ったので(っていうかタイムラインにクッションなしで流すのもアレかなと思ったので)軽く日記としてまとめます。

来院前の心配事は以下の通り。

  • 痛そう
  • 高そう
  • 効果なさそう

以上、美容医療あるあるですね。ボトックスでも埋没でも同じこと心配していた気がする。

痛そう

痛くないわけではありませんが、耐えられない痛みではありませんでした。
施術前に麻酔つけるか訊かれましたが、麻酔って大体有料なのでオプションつけず。
よくよく考えたら家にラクサールあるから、それ塗ってくれば良かったですね(よくないことなんだろうけど)。
看護師さん「では施術の方に入らせていただきますね。右手に電極を握ってください」
この言葉がかなりドキドキした。針脱毛は痛い痛いと聞いていたし、本当に怖かったです。この時が緊張のピーク。
タオル握りしめて耐えたとレポで言ってる人も見たことあるし、そもそも名前もかなり痛そうじゃないですか。

看護師さんに「どんなお痛みなんですか。痛いって聞いているので怖くて」と直前でダル絡みをしたところ、
「痛みとしては2段階です。まずは針を刺した時のチクッとした痛みと、毛根を焼くときの痛みがあります。」と教えてくださいました。
なるほど。わかりやすいですね。人によって得意な痛みと不得意な痛みがあると思うので、この情報は心の準備をするにあたり、大変参考になりました。

チクチク針系の痛みなら耐えられるかも、と希望が湧いてきました。
イキってセルフでピアス開けた10代の頃を思い出せば余裕です。
なんなら小さい頃、脳の覚醒水準が低いのを底上げするために親指に安全ピンをグッサグサ刺してましたからね。内出血させまくり。
ここまで書いて、もしかしたらわたしのレポは誰の参考にもならないかもな、と思いはじめました。そもそも痛覚鈍麻気味なのかもしれません。

看護師さん「では進めてまいります」
施術部位に、針が刺さる痛みを感じます。そこまで深い感じもしません。あくまで毛根に届けばいいわけです。
すぐにヂッ、と肌の奥で焼ける痛みを感じます。あるいは、熱い針がさらに奥に進んでいくような痛み。脱毛あるあるですね。
強いて言うならわたしはこっちのほうが苦手でした。顔脱毛してる時も眉の辺りから焼ける音聞こえて本当に辛かったもん。音が怖いんですよ。

苦痛度の比較としては、全身+顔の医療レーザー脱毛(初回〜4回目)の方がキツかったです。
拘束時間が長いのもあって、苦痛がいつ終わるかわからないという絶望感がレーザー脱毛の苦しみに拍車をかけました。
針脱毛は面的に脱毛するのではなく、点で脱毛していくので少量しか脱毛しませんし、熱さや痛みの質量は圧倒的にレーザー脱毛の方が上です。1回ごとの痛みは針脱毛の方が上ですが、「これいつ終わるの?涙」的なメンタルのキツさは全身レーザーの方が上です。
医療レーザーって通いはじめて最初のうちは「痛゛ッ……!なんで金払って拷問受けてんのかな?ドM?やっば!」と思いますよね。
今もレーザー脱毛は通い続けてますけど、あらかた抜けたおかげで全然痛くないです。最近はイベント前にマッサージされに行っているような心持ちで通院しています。

ちょっと話ずれますが、わたしは男女問わず乳首ピアスしてる人が出てくるエロ同人が割と好きです。
なので今回も「乳首ピアスみたいな痛さなんだろうな……」「乳首を貫通する熱……」「これってもう……実質乳首ピアスじゃない?」と開けたこともないのに想像を巡らせながら怯えて施術に臨んだわけですが、全く拍子抜けでした。
何度も言いますが、針はあくまで毛根狙いです。貫通するわけではないので、当然の帰結と言えます。やったぜ。
ここまで書けばうっすら察されているかもしれませんが、綺麗なお胸になりたく、本来医療レーザーでは対象外とされている乳首キワキワの産毛を殺すのが今回の目的でした。あらかた毛が抜けてるとそういう細かいところが気になる……。おっぱいにグッサリ針を刺される貴重な体験ができました。人生何事も経験ですね。

高そう

一本ごとに課金するスタイルの病院さんや時間ごとに課金するスタイルの病院さんもあるそうで。
わたしは初回なので何本抜くのに何分、という基準が全くわからず、一旦病院のレビューで「問い合わせに対してとても丁寧に対応していただきました」と書いてある病院を選びました。そういうクリニックさんの方が明朗会計かと思ったので。
針脱毛は感染を防ぐためか、1人1本針を購入しなくてはなりません。
わたしの場合、針代4000円+施術代(30分16本程度)=10000+α円くらいかかりました。
相場がわからないのでアレですが、針代が高くて本数ごと課金のところなど本当に色々な料金設定があるようなので、皆さんはご自身の予算に合わせて探してみてください。
今回伺ったクリニックの看護師さんは施術前に「ご予算はお有りですか」と聞いてくださって嬉しかったです。
最低料金で抜けるだけ抜く、というスタンスをお伝えしたら、「ご依頼パーツだけだと本数枠が残りそうなので、ここも抜いてはどうでしょうか」など、色々プランを提示してくださいました。助かりますね。

効果なさそう

むしろ数ある脱毛方法の中で一番効果があると言われているのが針脱毛なので、効果はあまり心配していません。直接アプローチしてるし。
医療レーザーでも種類によって実際に抜けるまでタイムラグがありますが、針脱毛はその場で毛根を焼いて、その場で抜いてくれます。施術終わったらいつ頃抜けますか〜?って聞こうと思ってたんですけど、終わった瞬間過去イチ綺麗な肌になっててマジでびっくりしました。

ちなみに針刺して内部を焼く都合上、肌は結構腫れます。眉下の針脱毛を検討されている人もいると思うんですが、お気をつけて。
わたしも今度眉下やろうかと思います。眉下の毛、邪魔だよね。あともう少し下に生えててくれれば強めのまつ毛だったのになあと思わざるを得ない。

施術を終えて

ステロイド?をもらいました。当日の夜と翌朝に塗るように言われています。
いやーでも邪魔なものが無くなって気分爽快。
医療レーザー脱毛の範囲外とされている

の脱毛を検討されている方一度検討してみてはどうでしょうか。

侵食と融解

夫と結婚する前、まだ恋人同士だった頃、SNSであらゆる趣味が合う男性と出会った。

会話のきっかけが何だったかもわからない。
おそらくどちらかが投稿した写真に映った絵本が自分の趣味と合っていて、どちらともなく「その絵本、素敵ですよね、残酷で」「透明感と、微量の不穏」と一句詠みあったことから会話が始まった。



あまりにも趣味が似すぎているせいで、どちらが言い出したことかもすっかり曖昧になってしまっている。話者と聴者の境目が溶け出すような会話は、日常における至上の癒しとなり、お互いに「お友達になりましょう」という運びとなった。
異性でこんなに話が合う人がいるなんて、とやっぱりおんなじことを言い合った。

「僕、女性作家のほうが好きなんです」
「だから話しやすいのかもしれません。いつもありがとうございます」
「そう言っていただけて嬉しいです。こちらこそありがとうございます」


やり取りを重ねても外れない敬語が好ましかった。
敬語には話し手のリテラシーが現れると思う。それも、ほんの少しだけ砕けた敬語なら尚更。
尊敬・謙譲の使い分けにも、なめらかな助動詞の繋ぎかたにも知性が滲み出る。わたしは敬語を常用する人が男女問わず好きだった。
「あんまりにも可愛くて、我慢できず連れて帰ってしまいました……小さい時何度も読んだのに」
白皙として空に浮き上がるような文体の最後に、構図に工夫のない素朴な写真がくっついていた。
「いい大人ですけど、好きなので」
フレーム内に写り込んでいるのは、「こぐまちゃんとどうぶつえん(ぬいぐるみ付特装版)」だった。
お互いに写真のセンスが無かったせいで、やりとりには不思議なリアリティが漂った。
嘘みたいに楽しいのに、虚構になりきれていない手触りがあった。

わたしたちは様々な写真と言葉を交換した。

その日買った紅茶の写真。
「いいなあ。ギフトですか」
「はい、お祝いのお返しで」
「紅茶お好きなんですか?」
「さほど詳しくないですが、ウヴァが好きかもしれません」
「覚えておきますね。今度買ってもみます」
「気が向いた時にでも試されてください。お気軽に」

その日食べたケーキの写真。
「知らないケーキだ!でもオーストリアのものならザッハトルテみたいにどっしりとした甘さでしょうか」
「はい!とっても甘かったですよ」
「いいなあ、甘いケーキもいいですし、何より百貨店の中の喫茶室っていいですよね」
「明らかに街のカフェと雰囲気が違いますもんね。客層かな」
「ご婦人がお一人でカップを傾けている様子とか、良いですよね」
「はい……どうしよう。ウインナーコーヒーの口になってしまった……」
「どうぞ。行ってらっしゃい」
「予定あるから今日は無理です。また今度」
「ご報告、期待せずにお待ちしています」

その日買った小説の写真。
「その本、知りませんでした。でもきっとあなたが好きなら僕も好きです」
「ぜひ確かめてみてください。嫌いだったら面白いから」
「面白いです。僕は今、アンナ=カヴァンの氷を読んでました」
「未読です。きっと好きだと思うので、読んでみますね」
「確かめてみてください。嫌いじゃないと思うけど」
「楽しみ!」

会話を重ねるうち、彼は都内の芸術系の大学を出て、音楽をやっている人だと分かった。歳は2つ上。
穏やかな語り口・繊細な趣味と対極と言うべきか、むしろ順当と言うべきか、はげしい神経痛のような音楽をやっているさまが垣間見えた。
演奏の様子を音声で送ってもらったこともある。
「住んでるのは東京ではないんですけど、活動の都合上東京にはよく行くので。お薦めしていただいたもの、次東京に行く時にチェックしてみますね」
彼の存在は虚構の度合いを失っていくが、文体はあくまで透明な温度を保つ。
一定の礼節を保ち、敬語は外れることがない──絶対に外さないでくれ、といつからか思うようになっていた。
「ええ、ぜひ。感想教えてくださいね」
次第に、わたしは自分のことをあまり話したくなくなってきていた。

わたしって何だ?話せることって何だ?
あなたの2つ下で、会社員で、ちょっと不穏な本が好き。ノンフィクションも絵本も読む。

わたしは仕事に悩んでいる。うまいことやれている気が全然しない。たまに泣きたくなる時がある。でもみんなそんなものかな。

わたしは辛いものと甘いものが好き。恋人とこの前、とても辛い麻婆豆腐を食べた。食べおわったら二人ともぐったりとして、部屋でタオルケットにくるまって眠った。気絶に近い。

わたしはお酒もほどほどに飲む……最近、恋人のおかげで、おいしさがわかってきたところだ。ビールって苦いだけじゃないんですって。知ってた?

「そういえば、今まで名乗らずによく会話できてましたよね。仕事柄気にしがちで。登録名がイニシャルだけですみません……僕、名前『 』って言うんです」
恋人の名前と同じ名前だった。同じ漢字で、同じように読んだ。

名前がわかれば、彼のバンドの公式サイトも見つけてしまった。顔もわかってしまった。長い前髪に細長い身体、骨ばった腕で楽器を弾いていた。
「素敵な名前ですね。よくお似合いです」
埋めてはいけないパズルの、最後のピースが嵌まってしまうような恐怖があった。うわごとめいた返信の直後、咄嗟にわたしはその人のメッセージを全て消し、SNSのアカウントも消してしまった。パズルの完成を待たずひっくり返した。改めて見返さなくても、出来上がったパズルの絵図なんて想像がついたとも言える。

東京に行くから、都合がつけば会おう、などと誘われたわけではない。敬語が外れたわけでもない。
ただ彼の存在が血の通った現実のものだと思い知るのが怖かった。

慌てて恋人に連絡をとった。突然の電話だったが、恋人は驚きもせず「週末何しよう。観たい映画ある?」と普段通りの落ち着いた調子だった。
「ない〜……合わせる」
「ええ、難しい……別のことする?」
「じゃあ、公園でピクニックしよう。お外でキャロットケーキ食べる」
「キャロットケーキ?食べたことない。おいしそう」
「おいしいよ。ぎっしりしてるの。好きだと思うもん」
「楽しみ。多分好きだな」
「でしょう?自信ある。多分じゃなくて、絶対好きだよ。胡桃もレーズンも入ってるやつがなお良い」
電話の向こう側、「レーズン、すき」と恋人が声をあげる。
わたしの世界でその名前の男性は、恋人だけで良かった。だから、わたしのできる範囲でわたしの世界を調整するしかなかった。

反省

自分と同じ趣味で自分と同じような話し方で、自分の好みの外見で、恋人の呼び慣れた名前と同じ名前の男性と繁くやり取りしてて好きにならないの無理では?という話でした。
あ、これ、友達とか無理かも、と直感して一目散に逃げてしまいました。

所々フェイク入れてるんですけど、当時のこと思い出すとやっぱそれなりに情緒がこう、あまく、グラ……となります。恋愛って幻覚みてありもしない勘違いしてぐらぐらしてる時が一番気持ちいいんですよね。

条件さえ揃えば人は間違えてしまうし、人は部分的にしか知らない人に対して都合の良い幻をみるので、条件を揃えないことや、他人について知る機会を統制することが大事だと思っています。

それにしても、まさか自分がこんな簡単にぐらつくと思いませんでした。多分、オタクだから幻覚みるのは得意なんですよね……オタクは片想い上手。

まだ結婚してもいないのに、相手のことそんな警戒する事ないじゃん?勘違い乙♬と思われるかもしれませんが、違うんですよ。わたしが警戒してるのは、相手ではなく自分自身です。
いつまでに結婚するというロードマップが一瞬の気持ちの傾きで台無しになっても仕方がないので、芽を摘んだような形になります。ちゃんと好きな恋人なのに、自分の発狂のせいで別れて別の人探すの、いやでした。てかね、そう、勘違いなんですよ。全部わたしの一人相撲。

でも既存の関係を本当に台無しにするのって、不都合な事実よりも、気持ちのよろめきです。

わたしは学生時代へし切長谷部を好きになりすぎてしまったせいで付き合ってた男性と別れたことがあるのでわかります。身体の不貞よりも既存の関係の軽視が破綻に至らしめます。

逆に身体の不貞があっても気持ちがよろめかず関係の軽視が起きなければ問題に発展することがないと理論上言えそうですが、大概の場合において不貞があったとき既存の関係の軽視は連動して起きてしまいますよね。

あと我ながら怖いなと思ったのが、もしわたしが恋人居ない時期に彼と知り合っていたら、こんなにぐらぐらしたか?という問いとその答えです。

多分、わたしはここまでぐらつかなかった。おそらく、自分でも気づかないうちに比較していました。恋人では届かない位置、触れられ慣れていないやわらかい部分に彼の指が掠めるような気がした。普段したいとも思わなかった会話、諦めていた会話があったと気付かされるのが、すごく怖かった。自分の話をしたくなくなっていたのは、それに対する一種の防衛だと思います。

難しい。こと恋愛、異性関係においては、あまり自分を信用しないようにしています。

匂い立つのは嫌悪感

ちゃんと生きていると他人を嫌うにも口実が必要で、まともに生きていれば誰かを好きになったときすら、明快な論理で周囲の人間を説得しなくてはならない。この人は愛に足る他人なんだって伝えないといけないし、わたしがこの人を嫌うのも道理と誰かに理解されておかないといけない。
わたしは自分を成熟した大人だと思ったことなんて一度もないけれど、先述のルールに沿って生きることが大人の条件だと思って、拙いしぐさでそれを続けてきた。上手く伝わらず涙することもあったし、最初から半ば諦めて胸の裡に嫌いと好きを育てていたこともあった。


この人、なんとなく苦手だな、と思うことがある。
きまって小さなきっかけで、出会った最初の瞬間に感じるから、きっと「匂う」という言葉が相応しい。
苦手の匂いは、「ドアを次通る人のために押さえて開けておいてくれない」とか「店員さんにため口」とか「女の子はうまくバカな男を操縦してくれたらいいからwみたいな慈悲的性差別しぐさ」とか、理解を得やすい明瞭な行動にはじまり、もっとあいまいで理解を得にくい「なんとなくの態度や言葉遣い」で直感することもある。
ある程度の匂いは慣れてしまえば感じなくなる。だから最初に感じる匂いの感覚は、好悪の判断を行うに重要な手がかりとなり得るのだ。

マッチングアプリ時代に育てたスキルに、「嫌悪感の想起速度」がある。先述したようにわたしは一見非難に値しない相手の態度や言葉遣いから、「この人は仲良くなっても自分が辛いだけだ」と匂いを察知し、判断するのが早くなっていた。
たとえば、「俺お姉ちゃんいる?ってよく聞かれるんだよね!本当はいないんだけどね?……」と語る男に、ズレた気遣いを見出して不快になったり。
だってこの人多分気遣いしてる事実に酔ってて、ほんとに相手が助かってるかどうかは理解できないタイプだよ、って断じたり。
万人と仲良く、人には嫌われないように!を善とする価値観からすると、到底褒められたスキルではないのは理解している。嫌悪感を感じておくことで、先んじてぶつからないよう距離をとるという対策を打つことも可能だが、冒頭に記したとおり、他人を嫌うのにも相応の理由がないと社会から理解してもらえず、「こいつは呆れたわがまま女だ」と評され、最終的にわたしの人間性評価を毀損する。
だがマッチングアプリの人間関係において、「社会とのバランス」はあまり重要ではない。どこかのコミュニティ内で恋愛するわけでも、誰かの紹介を受けて恋愛するわけでもないので、関係性の説明責任は免除されている。
何が気に入らなかったのですか?どこがだめでしたか?相手の男からフィードバックを求められることはあれど、こちらに回答する義務はないし、善意で説明こそすれ相手からわかってもらう必要もない。わたしは存分に「気に入らない」のセンスを大いに鋭くさせたのであった。

(あ、無理かもな、と思うや否や男性ユーザーを切っていた。マッチングアプリ文学として載せているのは、電話やメッセージでは匂わなかったので会ったが、実際会ってみたら匂いすぎワロタ、となった事例をまとめている。)


するとどういう問題が起こるか。マッチングアプリを辞めたあとも、「なんかやだなぁ」の反応速度は衰えなかった。先日、ツイッターで繁く話していたユーザーをひとりブロックした。

彼も最初から匂っていた。距離の詰め方が不思議で、別のサービスで使っていた名前をわざわざ呼び、わたしが特定の何かに対して持つ敵意や反感に対して同調をするわりには理由を捉えていないようで、彼の「わかる」は一方的で、独りよがりだった。
わたしの意見は、彼自身の理解を述べたり、彼の野蛮な自論の補強のための道具にされているような気すらした。でも、きっとこれは仕方ない。ネットに意見を書くと言うことは、誰かに意見を利用されることでもある。感銘を受けるのも、憎悪するのも読み手の自由だ。これはわたし自身の責任である。
それに慕われるぶんには気分も悪くなりようがなく、罷り間違えれば仲良くなれるような気もうっすらしていたが、それと同じくらい「いつ切ろうか」と考えていた。何かがおかしかった。

思えば切る理由をずっと探していたのだと思う。
わたしの世界はネットだけではないから、よっぽどクリティカルなことがない限りは動くつもりはなかったが、彼の存在はずっと視界の端にある異物のような感じがしていた。ミュートした。なのに彼はわたしのほぼ全てのツイートにハートを飛ばし、わたしのインターネットライフから存在感を失うことはなかった。

以前、彼は東京に頼る大人が居ないと言ってわたしにDMを飛ばしてきた。心底哀れだった。若く、弱い。道徳の足りない大人に甘言を弄されて搾取されるさまに心から同情したが、別に特別な気持ちがあったわけではない。わたしはおそらく、どんな人間であっても、ダメな企業に擦り潰されそうになっている姿を見れば素人のできる範囲で手を差し伸べる。あなただって、道に転んで荷物を散らす老婆がいたら一緒に物を拾い集めるだろう。それが社会で生きるうえの、義務だから。
彼に傷病手当金の申請と離職に向けた一般的な手続きについて教えた。まずは両親に連絡を取り、離職後の衣食住についての合意を取り交わすことを勧め、そして回復のためには眠る時間をKPIに設定したほうがいいと助言した。彼は「誰に聞いたらいいかわからなかったから助かった」と返事した。

彼の投稿の中に、性差別的な単語を見つけた。若い時分に魅力的な外見を用いて男性側から便益を得ておきながら、適齢期を過ぎたあたりで「あの扱いは屈辱的だった」として意見を主張する女性を揶揄する、あの単語である。
ああよかった、と安堵した。わたしの嫌いな言葉で、わたし以外の人たちも嫌悪感を持つであろう酷い言葉だ。人前で言ってはいけない言葉だ。差別的で、問題を矮小化する、愚かな言葉だ。よかった、彼はこの言葉を痛快だと思う側の人間だと表明してくれた。

「考えが合わない。度し難いからブロックしちゃったあ」。彼に見えるようにツイートした。
落胆しただろう。自分のどこが悪い?と考えただろう。同じくらい、自分は悪くないと思い直しただろう。第一そんなつもりない。軽い気持ちで言っただけだ。メンヘラアラサー。おまえも繊細様側かよ。限りなくネガティブに想定すると、こんなことを考えるはずである。


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きみは、なにをわかったの?届かないとわかって質問する。

光と風に怯える彼

その日のアポは終業後。虎ノ門と新橋のあいだの、地下にある和食のお店で集合することになった。
めずらしく歳下の人、まあひとつ違いだから大した歳の差でもない。ただ名前が自分の弟と少し似ていることにやや違和を感じていた。弟とマッチしたのでは?という恐れがあるのではなく、すでに弟を指す名称として呼び慣れている名で、全く似ていない男を呼ばないといけないことを、わたしの脳はほんのりといやがっていた。


都内の国立大学に進んだあとデベロッパーに就職したという彼は、特にスーツの着こなしに「思想」などはないようで、単純に格好いいものを選んでいるように見えた。それもそのはず、彼自身が単純に格好良かった。マッシュ気味の厚い前髪からのぞく眉は細すぎず太すぎずまっすぐに生えていて、育ちの良さを感じさせた。ほんの少し垂れた目の形もあいまって毛並みの良い犬のようだった。

なんかわたしにしては珍しいタイプだ。自分で自分が可笑しくなる。散々変わったメガネの男の人と会ってみたり、ITだからスーツ全然わからない!みたいな人と会ってみたり、そんな様子だったので。そういえば先日、途中で誰かのデートをブッチして合流して適当な店で飲んだ派手顔のイケメン研修医は、謎のストリートファッションだった。派手すぎて引いて帰宅後ブロックした。向こうもまあわたしが地味で引いただろうし。本当に人それぞれ。

薄暗い店内、それなりに美味しいご飯、「俺お酒苦手だからノンアルが美味しそうなところにした」という言葉。
デベロッパー勤務だと、借り上げの社員寮の設備がいいらしい。アウトレットも自社で持っているから同期とよく遊びに行くらしい。この前はいい感じのフライトジャケットのようなアウターを安く買うことができたらしい。
話のすべてから、日系大企業の古き良き福利厚生を感じる。会話も別に引っかかることもなく、無痛の時間が過ぎていった。
木曜日なので二軒目はなし。健康的な時間に解散し、普段どおりの時間に床に就いた。


無痛ではあったが無味でもなかった、極端に盛り上がる話もなかったが。お酒を飲んでいないので、シラフで会話が続いただけで程々に良い時間であったと感じられる。
次は昼間から上野公園で会うことになった。ただ緑を見て美術館でも見てお酒を飲んで解散でも出来ればいいかという場所のチョイスだ。
微妙に遅れるという彼を駅の出口で待つ。ああ、あれが例のアウター……?あれ?あんな感じだったっけ。昼間に見ると違う人みたい。多分あの人なんだろうけれど……。

ビュウと寒い音、風のいたずら。改札を出た瞬間彼に強く吹きつけた。
彼の前髪は逆様にめくれあがり、午後0時半秋晴れの太陽光線を、ピカリとするどく反射した……彼の額。

え。

え?

あ、ハゲだ!しかもこれ結構いっちゃってる、とわたしが気づいた瞬間、彼は挨拶よりも先に「み、みつぎちゃん?!髪切った?!」と頓狂な声をあげた。いや、それこっちのセリフだから。

「切ってないよ」
「あ、そ、そう?おれちょっと切ったんだ!この前会った時はもうだいぶ長かったし、目に入ったりしてたし」
マッシュの重さがあればあの程度の風では捲れなかったとでも言いたいのだろうか。真っ先に額を見てしまったせいで、デートを前に髪型を整えてきたのだというかわいらしい自己申告を受けても「へえ、そうなんだ」としか言えなかった。

「どこ行く?お昼食べた?」
「食べてないよ」
「俺も食べてない」
「へえ、そうなんだ」
「ご飯どうする?」
「ああラーメンとかでいいんじゃない?もしくは蕎麦」

わたしはひたすら茫然としていた……歳下だ。まだ20代前半だ。どうしたんだあれは。流石にかわいそうだ。
ラーメンはちょっと、と彼は言った。ラーメンはデートっぽくないし。もうちょっと落ち着いたところがいいと思う、とか。
じゃあ〜自分で探しな〜?と思いながら、地下にある純喫茶に入ることにした。でも地下から地上に上がる階段の風にはくれぐれも気をつけて……。

「みつぎちゃん、階段」
「うん」
「足もと暗くない?」
「うん」
ぬっと手が腰に伸ばされた、こちら無毛のきれいな手である。ああどうしても毛量に注目してしまう!
おいハゲ狭い階段で腰に手回されたら危ねえだろうが、と反射的に恫喝してしまいそうになるのを、すんでのところで黙りこんだ。ハゲは薄暗くなると気がデカくなるのか、と気づいたので、とりあえずグループラインに実況を送ってみた。

『この前のイケメンと昼間会ったけどすげえハゲてたわよ』
『え?ウケちゃうw』
『すべての行動がテストステロン由来に見えます』
『キツw』

茶店に入ってからの会話は、無味であるが無痛ではなかった。真っ暗ではないが光量はひかえめに絞られており、彼の前髪の様子はあまり気にならなくなった。
しかしハゲと話しているという事実がわたしの心を引っ掻き続ける。音楽の話をしたが、一切の内容を覚えていない。おそらくハゲに勝るような強い味わいの趣味ではなかったのだろう。

ハゲだと知って心が折れたからなのか、ハゲだとわかった瞬間興味が失せたからなのか、意識が朦朧としてきてしまった。ごめんほんと眠い、ポケモンでもやってて、と言い放ち、わたしは鞄を抱いて目を閉じた。
唯一覚えているのが、彼がわたしの頬を突いて起こして「そうだこれからカラオケ行こうよ」と言い出したことだ。
「密室無理。閉所発狂しちゃうし」……もちろん嘘である。

『つまんなすぎて寝たわ』
『みつぎさんマジで危ないからそれやめてほしい』
『そーね でもマジでねむくなる…興味ないしあったかいし暗いし』
『薬盛られてんじゃないの』
『ほよよ こわすぎ』
『てか実況しすぎだからw』
『そうでもないと起きてらんない!カラオケだってよ〜また薄暗いところ指定だし深海魚かな?』
『てかマジやばいね腰触るわカラオケ連れ込もうとするわw加速する男性ホルモンえぐすぎわろた ハゲ待ったなし』

最後ダメ押しで爪大きくて綺麗だとか手を繋ぎたいだとか何かと理由をつけて手を触られ、朦朧としたまま解散した。


もうないな〜と思ったので、デート後のラインの文面に悩む。無言で去ってもいいが一言レビューだけ入れておいた。
「触りすぎ」。
正直なところ「何ルーメン何ワット電球ならお前の頭はセーフなん?」というのが本音レビューだったが、さすがにハゲ煽りをしたら最後、いい死に方を選べない気がしたのでこの程度にとどめて送信した。
既読がついたのを確認してブロック。

わたし、陽が射す窓を開け放って、そよ風を感じるのが好き。ふわふわの毛並みのぬいぐるみを撫でるのが好き。
なので、さようなら。

話の通じない彼

極論、片想いも暴力だし、ボディタッチも暴力である。
唯一暴力の定義を外れるために必要なのが、ふたりのあいだの合意である。
心も身体も、一方的に欲されるのはそれだけで有害だ。欲した以上は見返りを求め、焦がれた以上は満たされたいと願う。相手にいつか「そろそろ寄越せ」と喚き立てる。

わたしはかつてより、ずっとそう信じている。


前回の記事でも書いたが、本当はもう2人の時間が耐えられなくてデートの中止をそれとなく申し出たことが幾度かある。大概夜に会うのは怖いからという理由できれいな街で昼に会い、この人とこの場所にはもう居たくないな、となったタイミングで、なるべく傷つけないよう申し出る。

その場で傷つけないように申し出るのは、わたしが優しいからではない。女体を持つ身分で、男を逆上させたくないからだ。

なのに「ひとりで買い物にいくから、さよなら、ありがとうございました」と言えば、察して切り上げてくれる人たちばかりではない。頭のおかしな彼らの場合、平気で「俺もいくよ」などと宣う。本当はわたしに買うものなんてないし、本当だったら駅に向かってさっさと帰りたい。口実のために行きたくもない店に行くことになり、男は勝手について来るくせに荷物持ちもせず、何かを褒美に買うわけでも無く、当然話も面白くなく、貴様と歩くのに何の得があるのか。

振り切るためには「実は午後から美容皮膚科の予約が入ってました」とでも言えばいいんだろうか?しかし、きっとその類の人たちは「せっかくのデートなのに病院の予約入れたなんて」みたいな軽い呪いごとは平気で言ってくるだろう。
ほんとうに頭がおかしい。わたしはこんなにも彼らを嫌って信号を発しているのに、彼らは一切感じ取ろうとしない。
彼らはきっと、自分と過ごす時間がわたしにとって損害であり、自分の言葉がわたしとって雑音にちかく、自分の行動がわたしにとって暴力にひとしいと気づいてすらいないのだ。
彼らがわたしに価値を感じなくなるまで、わたしは苦しい思いをする。

「察して欲しいなんて無理だよ、はっきり言ってくれたらいいのに!」と頭のおかしな男ほど言う。嘘がすぎる。正常な人なら察するまでも無く嫌なことをしないもの。異常な人にはっきり言ったところで、機嫌を損ねて害意を向けてくると知っている。
どう考えても繫ぎ留めたいあなたは詰んでいるし、どう考えても逃げたいわたしも詰んでいる。



過去、いくつか歳上の精神科医の男性とアポイントを取ってランチに出かけた。会話がなかったわけでもないのだが、どことなく受け答えから漂う薄気味悪さを理由に、食事後わたしは上記のとおり「私物の買い物に行きます。1人で見たいのでこのへんで」と言った。
しかし彼は店を出たあとをついてきた。
「俺も着いていっていいんですよね?」
「……」
言葉を失う。こんな人間が精神にかかわる仕事をしているなんて心底呆れる。インチキ呼ばわりされるメンタリストのほうがよっぽど人間の心を理解しているのではないか。
何も話したくない。2、3回まばたきののち、わたしは道を急ごうと前を向く。息つく間もなくMA-1を着たわたしの腕に後ろから何かが触れた。しゃり、という音を聞いてわたしは反射的に肩を縮めてそれを避ける。
「ふふふ」
再び振り返ると、彼は神経質そうな指をぎこちなくうごかし、口許をムズムズとさせて笑っていた。これはこのまま逃げたらもっとダメなことになりそうだと悟り、わたしは肩をすくめて「お店、あっちです」と言った。彼はほんのすこし恥ずかしそうに「楽しみですね」と相好を崩していた。
彼が笑った顔を見たら、何かがひとつ減った気がした。


「……なんであんな暴力的なことしたんですか?本当に嫌だったのですが」
帰宅後ラインでの問いかけに対して、精神科医の彼は、あれは手を繋ごうと思ったのだと答えた。けれど、わたしはそれをまぎれもない加害だと思ったし、一種の暴力だと思った。
会って間もない信頼関係のない人間に合意もなく突然腕を掴まれて、不快にならない人間がどこにいるのだろう。
デートの最中、インテリアのお店に入ると彼は何かと口実をつけてわたしの指に触れては、その小物は尖っていて危ないですよ、などと嘯いた。
女児扱いするように、道端の猫に話しかけるように、声から限りなく知性を省いて何度も語りかけてきた。
──指きれいですね。
合意のない慰撫など不快なばかりで、心からこの男から見下されているのだとわたしは思い知った。

「あれ、一種の暴力ですよ。勝手に撫でたり摩ったり薄気味悪い」
「暴力…?笑」
「はい」
「大人にもなるとわざわざ手を繋ごうとか言わないものだと思いますが」
「今はわたしが嫌だったという話をしていますから、常識をあたるのは適切ではないですね」
「嫌だったんですね」
「わたしのこと、合意なく腕を掴まれて喜ぶ薄弱な人間だと思いました?」
「俺も焦っていました。みつぎさんが可愛いから」
めんどうな訴えだが納得してやるかとでも言わんばかりの返事を聞き、心はすうと冷えていく。こんなにも話が通じない人間が患者の主訴を聞き届ける仕事をしているなんて、心底気分が悪い。

本当に尊い出会いだと思ったら相手の心も顧みず体に触ったりはしない。焦っていたなんて口実で、あさましくて見え透いた嘘だ。
本当に愛らしいと思ったのなら相手を軽んじて不躾に領域を侵そうとなんかしない。そんな馬鹿な言い訳に騙されてやるほどわたしは、

「可愛くないですよ」
「いやいや」
「だいいちチョロそうのこと可愛いって言うのやめません?しょうもない」

既読だけが付く。先程までポコポコと通知を鳴らしていたのがぱったりと止み、もうわたしの指は止まらない。

「キモすぎ…根暗顔でニタニタ笑って相手の話もろくに聞かないんじゃ不気味すぎて職場で浮いてるよね?」

嫌い!嫌い!嫌い!

「普段ろくすっぽ人から話聞いてもらえないからカフェでわたしに話ちょっと聞いてもらっただけでデート延長したくなっちゃうんでしょ?」

嫌われたい!嫌われたい!嫌われたい!

「先生って呼ばれたときチョ〜嬉しそうにしてましたよね。憧れの仕事つけてうれしいね?夢語れて気持ちよかったね?普段はぜ〜んぜん頼りにされないんだもんね?」

死ね!

最後まで既読がついたのを確認してブロックする。どうせメンヘラが発狂したとでも思ってるんだろう。別にそれで構わない。何でもいいから嫌われたかった。
マッチングアプリでよかったと思う。正確な職場も家も知られてなくて良かった。

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男性による女性へのストーカー被害を知るたびに、毎回憤懣やる方ない気持ちになる。
ワイドショーでもネットでも、被害者側に工夫を凝らした自衛を訴えかける。
どうやら嫌な人と距離を置くには、嫌われるのがいちばんらしい。本当におかしな話だと思う。こっちが嫌いになったら離れて欲しい。どうして相手がわたしを、男の人が女の人に飽きて嫌いになるまで待たないといけないんだろう。自衛だってコストがかかると言うのに。いやです、わかりましたやめます、として欲しいだけなのに。拒絶されると「そんなつもりはなかった」と、さも正当性が自分にあるかのように言葉を並べる。
つもりも何も知るか。嫌だから嫌だって言ってんだよ。
男の人は気安く女の人に触れるし誘える。下手打って殺される可能性がないからだ。持ち合わせる猜疑心だって少なくていい。

頭のおかしな加害者に何を言っても無駄という意見には首肯せざるを得ない。正常な人間に自衛を訴えかけるのなら、相手にだってもっとたくさんの苦痛や困難や罰があって欲しいと願ってしまう。この願いが正しくなくとも、願うことくらいは許されたい。