洒落たピアノ

我が家に、私の嫁入り道具として『持たされた』アップライトピアノがあります。

 

母が言うには、私が習いたいと言ったそうです。でも、私にはその記憶がありません。あの頃はピアノを習う子が多くて、「私もやってみたい」くらいの軽い気持ちで言ったのかもしれません。

 

習い始めて数か月後に、見たこともない洒落たピアノが家に届きました。その瞬間は嬉しかったのですが、そんな気持ちも長くは続きませんでした。

 

「ピアノを買ったから、ずっと練習できるよね!」

 

「このピアノは、とにかく高かったのよ。」

 

「婆ちゃん(父方の祖母)が『ピアノを買っても長続きしないのに、とんだ無駄使いだ』と言ってるから、見返してやりなさい。」

 

 

子どもながらに、「こんなに高い物を買ったのだから止められない」と思っていました。母に「止めたい」なんて言ったら怒られる…。

 

習い始めて5年ほどはグループレッスンのみだったので、他の子との技術の開きも気になりました。

私は元来負けず嫌いなので、練習はきちんとしていました。でも、芸術の分野は個人のセンスも必要だと思います。私にはセンスや音楽に対するひらめきが、そんなになかったのです。

 

そして、母からのプレッシャーが重かった。

 

なんとか10年習いました。

止めたいとも言えず、自転車で3.40分かかる先生の家に、毎週通いました。

先生からは「あなたは何でピアノを習ってるの?」と毎回言われ、誰にも止めたいとも言えず辛かった。

 

 

最後の数か月間は、私は先生の家に行くこともなく、自転車に乗って時間を潰し帰宅することを繰り返していました。

 

それがバレたのは、先生から母に連絡があったからです。

「やる気も見られず、上達しない。もう潮時だと思いますよ。」と先生から言われました。

 

母には食事も作ってもらえず、ものすごく怒られました。

高いピアノを無駄にした、婆ちゃんにまた嫌味を言われる、私(母)の肩身が狭くなる…、母は、私が嫌々ながらに習っていた理由なんてどうでもよかったのだと思います。

 

 

洒落たピアノで練習する娘を育てた私って頑張ってるでしょ

 

 

きっと↑だったと思う。

 

 

 

 

そんなピアノが、結婚してずっと私のそばにあります。

実家は祖父母同居の祖父母の家です。母は祖母に嘲笑されながらも私にピアノを買いました。

 

だから、そのまま置いておくわけにはいかなかったのだと思います。

 

「あんたに買った物だから、あんたが持っていくのが筋やろ。」

 

そう言われて持っていますが、もう何十年も弾いていません。

 

 

 

私の辛い思い出しかないピアノ、処分することに決めました。

 

「弾かなくても処分したらいかん。あれには大金を使ったから、だれかが使ってくれるまで置いとき」

 

と言われて処分することが怖かった。

 

処分費用もかかるので、すぐに行動に移すこともまだですが、両親には処分することを伝えました。

 

何の連絡もないので、「なんでこういうことになったの?」とか「子育てを間違えた」とか言ってることと推察されますが、気持ちが楽になりました。

 

 

 

あなたを立派に弾きこなすことができなくて、ごめんね

 

体調不良の原因

今週はなんだか体調が優れなかった。朝は目が覚めても、いつまでも眠くて起きられない。頭が重く、時にはギューッと締め付けられるような不快感がある。

 

季節の変わり目だからとか、運動会の疲れとか、低気圧の影響とか、自分でいろんな言い訳を考えては「きっとそうなんだ」と思い込むことにした。

 

でも、昨晩夫と話をしていて「なんか今もやもやっとしてるだろ?」と言われた。「気分が落ち込むっていうより、なんかしんどいなあと思ってる。」と私。

 

「お母さんのことじゃない?」と言う夫に、「何が?」と聞き返した。

 

実は日曜日に、ある所で母を見かけた。向こうは気付いているのかはわからないけど、私達がいる目の前を素通りして、どこかに行った。「気づいてないわけないやろ」というくらい近距離を、いつもの澄ました顔で通り過ぎた。

 

母は日頃から外で知人に会っても、自分からは声をかけない。「そこで立ち止まって話すことがめんどくさい。それを誰かに見られているかもしれないのも嫌」という人。私達に会っても、「私は気付いていませんよ」的な感じでスルーする。私が声をかけると「あら、来てたの?」と今気づいた風にする。

 

だから、気付いていた可能性は高い。もう1年ほど話してないから、私としては声をかける気もない。ああ、いつもの母だなとしか思わない。

 

ただ、1年前母に「母さんといるとしんどい。人の悪口しか言わない。家を出ても会うたびに人の悪口を聞かされて、うんざりだ」と伝えた。私が直接言ったのではなく、夫が「お母さんと会うと、〇ちゃんは落ち込みが激しくて。こういう↑理由で苦しんでいますよ」と言ったそうだ。

 

夫「〇ちゃんを見てると辛くなるから、病院の先生とも相談して、少しお母さんと距離を置くようにしますから」

母「私がどれだけ苦労して、あの子を育てたか知ってる?それなのに、私が悪いとでもいうの?」

夫「お母さんの苦労もわかるけど、それは〇ちゃんには背負わせたらダメなんです。お母さんの苦労は、お父さんと共有しないといけないんです」

 

それから、母から連絡もないし、私からも連絡していない。私の病気に対する偏見も常日頃聞かされていたから、きっと母から連絡はないだろう。

 

私は母と距離を置くことで、皮肉にも体調がよくなってきた。夫が伝えてくれたこともよかった。私が直接言っていれば、母は狂ったようにわめいて私はもっとどん底まで沈んでいたと思う。

 

こういうことを言われて辛かった。謝ってほしい…とか、母さんさえ私の頑張りを認めてくれればよかったのに…とか、思うことはあるけど、母に言ったところでまた「苦労して育てたのに、なぜわかってくれない?」の繰り返しなので、話し合おうとも思わない。

 

ただただ、離れたいだけ。母のことを考えない人生を歩きたいだけ。

 

せっかく忘れていた嫌なことが、時間をかけて忘れたことが、一瞬目にするだけで堰を切ったように脳内によみがえる。

 

こういうことを繰り返して、浄化されていくのだと思う。だから、いつまでも恐れずに少しずつ前進できたらいい。

 

体調を崩しても、不快な症状とともに嫌な思い出も消えている。そう思うことにした。

 

 

Tさんと私に見える共通点

隣のTさんと昨日初めて、じっくりとお話ができました。

 

ほとんど私のことを聞こうとしないし、ご自分のことも話そうとしません。

 

隣に越してきて1年が経つのですが、生活音とか声とか全く聞こえないお家なんです。「友達が欲しかったの~」と言われたのですが、なかなか自分のことを話そうとしない…。

 

そして、帰り際の数分前に「実は・・・・・なの」と話してくれました。友達は欲しいけど、知られたくない。でもお付き合いとなると知られる。Tさんは、以前の土地でも多分お友達を作るのに苦労されたんじゃないのかなあと感じました。

 

友達が欲しいけど知られるのが嫌。理解されにくいから怖い。そういう思いが強いのかもしれません。

 

隠したいと言うか、別に知らなくてもいいでしょというのは私も一緒。うつ病って言っても理解より冷ややかな目(わかるけど)。双極性障害なんて、関わってはいけない精神患者扱い。

 

私が友達ができなかったのは、病気だと知られるのが嫌だという気持ちが、陰気な雰囲気を出していたんだと思います。

 

Tさんも、明るく挨拶もしてくれて世間話もしていました。「今日は天気がいいね」「お兄ちゃん(うちの子)、車が好きなんだね」と当たり障りのないことを話して、そこから話が発展することもなかったんです。

 

聞けない雰囲気…。なにかあるのかなとは思っていたけど、そうなんだという事実がありました。

 

私とTさんは抱えているものが違うけど、心に抱えているいろんな重さは少しだけわかりました。オープンにするか隠すか。私とTさんは隠す(あえて話さない)ことが共通していて、そこがお互い楽だということがわかりました。

 

Tさんからメールが来て「昨日話したことは、絶対口外しないでほしい」と念押しされました。もしかしたら、口外されたことがあったのかもしれません。

 

もちろん、口外なんてしません。話す人もいませんが。

 

お互いの会話の中で、自然と話せることがベストだと思います。Tさんとお話して楽だったことに驚きました。

 

Tさんはあまり自分のことを話そうとしませんが、私はポロっと「〇〇に勤めてるんだけどね」とか我が家のことを話しました。

 

これって、自分のことを話そうとしないTさんにとっては「そんなに話されても、私は話せませんよ」とプレッシャーになってないか心配しています。

 

自分を作ってまでほしいとは思わない「お友達」。私はTさんのことが好きになりました。Tさんが私を受け入れてくれるかは、今後のお付き合い次第です。

 

気楽にお付き合える関係になれたらと思います。

隣の奥さんとメルアド交換をしてから、1週間。

 

数回メールのやり取りをしました。今日はムシムシするねとか、当たり障りのない会話をしてやっと今日「家に来ませんか?」と言うことに成功です。

 

あちらから声をかけてくれたので、お誘いしてみようと思ったのです。

 

お隣は新築、我が家は築18年。少し恥ずかしかったのですが、掃除もして片付いてるし、勇気を出して『welcome』です。

 

お隣の奥さんTさんは、年上です。年齢はわかりませんが、私のことを「若い」と言ってくれるのでそうなんだというくらいしかわかりません。

 

家族構成も、今日お互いに知りました。田舎と言えども、会話がないので無理もないと思います。

 

あっ、でもTさんは我が家の内情を少し知っていました。姑が「あなたが今度越してこられた方?」と話しかけてきて、何故かべらべらと我が家のことを話したそうです。「仲良くしてやってね~」と頼まれたそうです。

 

やっぱり強者ですね。

 

Tさんと話してみて、すごく楽でした。なんにも「いらんこと」を聞かないんです。夫の勤め先や私の実家がどこかとか、なにか特定するようなことは聞かない人です。

私はここに越してきて、個人情報を何百回と聞かれました。あなたはお勤めしてないの?。天気がいいのに、何故洗濯物を外に干さないの?。車が全く動かないけど、あなたはどこか悪いの?。

 

どうでもいいことを聞きたがり、はぐらかすと変わり者のように言われる。そういう所にずっと住んでいて、聞かれることが嫌になり、外に出られなくなりました。

 

私が答えなくても姑が代わりに答えるんですけど、Tさんのように私を個人としてみてくれることが、すごく新鮮でした。

 

5年ぶりくらいの、新しい友達。素直な自分を出せる人です。

 

病気の症状で友達をなくしましたが、「気負いのない私」の状態で新しい出会いがあることに幸せを感じます。

 

パパが帰ってきて、今日のことを話します。

 

きっと喜んでくれるはず…。

人生、早くも折り返しだよ

先日ショッピングモールに行った時のこと。イベントフロアーで冠婚葬祭の企業が、結婚式と葬儀の説明…みたいなことをしていた。

 

タキシードとウエディングドレスの展示もあったのだが、私の目が留まったのは

 

きれいな棺桶☆☆

f:id:suinamain:20170911111349j:plain

70200円だって!

 

見たことがなかったので、立ち止まって見てしまった。パパと三男に「めっちゃこれきれいよ。びっくり」なんて少し興奮気味に話してたら、スタッフの若い男性が

 

「お写真、撮りませんか?」と声をかけてきた。

 

「いや、正直まだ早いのでいいです」と言うと、「いえ、そこのパネルの前で家族写真をお撮りしてるんです」だって。

 

私はてっきり納棺体験をして、上から写真を撮られるんだと思ってたw。

 

こういうことをオープンで展示するって、時代よね~

 

派手婚とか派手葬儀も少なくなってきて、今は家族でこじんまりと行う家庭が増えたのだと思う。

 

こういう職種も、競争があるんだな。

 

私は地味にしたい。

 

f:id:suinamain:20170911112122j:plain

18000円でよかよか!

 

 

ふとパパが「60くらいになったら、ぼつぼつ決めていかないかんなあ(葬儀について)」と言った。

 

え~、あと20年しか安気に生活できんの?。あと20年後に死ぬことへの準備をせんといかんの?

 

ちょっとショックだった。私、もう40年余り生きてきたんだ。残りのほうが少ないんだ…。

 

人生なんて、あっという間。自分の生きたいように、したいことをしないともったいない。

 

祖母の悪口ばかり言って、祖母に振り回されて、祖母が死んだら幸せになれると思っている母が、可哀そうに思える。

 

振り回されると言うより、自分から飛び込んで、勝手に振り回されていることに未だ気づけないんだよな。

 

私は幸せの渦に飛び込みたいな。

 

「母さんは18000円のお棺でええって言ってたけど、最後は70200円のお棺で送り出してやろうよ」と言ってもらえるような、慈愛に満ちた母親でいたい(大げさだけど笑)。

 

人生の最後をふと考えた、ひと時…。

ブログ名の通り、「ゆっくりと ゆったりと なるべく ほがらかに」生きてこなかった。

 

「いそいで せからしく いつも カリカリと」

 

そんな人生だった。

 

完璧主義 それなのに完璧にはできない。自分に負担をかけ続けて、笑うことを忘れていた。

 

子育てすら人の言う通りにやって、怒られないように頑張ってしまった。

 

子どもの時の楽しかった記憶が思い出せない。

 

父と公園に行ったり、母と料理をしたり弟とどうやって過ごしていたかも覚えていない。

 

そんな私が、よくもまあ3人の子育てができたなあと自分でも思う。

 

公園に行ったり、季節の花を見に行ったり、一緒に料理をしたり、戦隊ヒーローのフィギュアで遊んだり、夫が全部教えてくれた。

 

家族って楽しいんだな、と夫が体験させてくれた。

 

夫はよく「結婚してくれて、子どもを産んでくれて、いつも一緒にいてくれてありがとう」と言う。

 

「俺は君と一緒に居られることが幸せだから、どんなことがあっても君を守るから」

 

私はずっと守ってもらっている。

 

辛い時も嬉しい時も、横を見ると夫も同じ顔をしている。

 

ずっと支えてきてくれた夫を、これからは私が支えて生きていこうと思う。

 

ゆっくりと ゆったりと なるべく ほがらかに