A good day to die

映画とか書籍についてのツイッターまとめ

燃やせよ燃やせ、命尽きるまで『ノッキン・オン・ヘヴンズ・ドア』

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  夏って楽しいですよね、太陽が燦々としているとそれだけで気分は軽やかだし、Tシャツに短パンでサンダル突っかけるだけで外に飛び出せちゃうし、祭りも花火にワクワクしたり、フェスだってあるし体と心が酔ったように弾むのが夏だと思います。
  でも永遠に続く夏は無くて、梅雨が明けてから2ヶ月半くらいでだんだん風が冷たくなってくる。半袖だけだと薄っすら鳥肌が立ったりして冷えた二の腕を摩りながらパーカーを羽織ったりしてみる。空はなんとなく彩度を落として雲が白からぼんやり滲んだような色になった夏と秋の中間くらいの季節。そんな空気を纏った映画でした。
  マーチンとルディは夏に全力で咲いたひまわりがゆっくりゆっくり俯いていくように命を削っていって、どんなに馬鹿騒ぎしててもちょっと寂しい彼らの姿はそれでも最後までひまわりの陽気さを失わない。
  だけどふたりってもともとひまわりだったわけじゃないんですよね、もっと日陰のパッとしない花だったふたりの隣に余命っていう鏡が突然ドン!と置かれて今まで見たこともなかったギラギラ輝く太陽を反射させてきてやっと自分がひまわりだってことに気づいたんです。でも気づいた頃には夏は終わりかけててふたりは夏が終わる前になんとか満開になって散らなきゃいけないから普通のひまわりが2ヶ月半かけて咲ききるところを2日でやっちゃう。ぐんと縮められたふたりの人生は縮められた分だけ圧縮されそれはそれは強烈な生命の光を発しながら輝きまくる。彼らを見るものの目を潰すほどぎらぎらと。最後に海を赤く染めたのは夕陽じゃなくてふたりの燃やす命だったのかも、なんて感想を抱きました。

物語ること、願うこと『物語る私たち』

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つい先日『物語る私たち』を観ました。

監督、サラ・ポーリーの自伝的作品であるドキュメンタリー映画です。前情報を予告編のみにとどめて観に行った私は開始10分ほどでこの映画が大きく予想を裏切った技法によるものだと気付きました。サラが彼女が幼い頃に亡くなった母、ダイアンの人生と自分の本当の父親について知るために家族やダイアンの知人を呼び出して話を聞く、というのが大まかなあらすじなのですが、映画の造りは定点カメラでのインタビュー映像と荒い画質のフィルムが交互に写されるのみです。

どんな映像でも撮れるようになった現代においてあそこまでシンプルなカメラワークを通した映画を観れることってそうそうないのではないでしょうか。感情を隠さずに一人の人生を語るサラの関係者の真っ直ぐな視線にぐらりときます。とても素直で素敵な100分ちょっとの映像体験。

サラの母の生涯を語る人々の表情を見つめていると、「人生はどうしたって喜劇になってしまう」(台詞のディテールを失念してしまいました…)という主旨の台詞がじんわりと効いてきます。母ダイアンは決して聖女ではなかったし、娘のサラも含め関わった多くの人を傷つけたのに彼女を語る人々の目には恨みや憎しみは欠片も見つからない、どんな人生だって過去になってしまえば喜劇の一面を持ち得る。その事実は今を傷つきながら生きる自分にとってちょっぴり憎たらしくてトンネルの向こうの光のような希望になります。『物語る私たち』はじわじわとさみしい秋になりつつある今の季節にぴったりのあたたかい映画でした。