ほねぐみ

本、映画、ゲームの感想など徒然

【君と宇宙を歩くために】豊かな心理描写とほどよいミステリ

comic-days.com

小学校の2ケタ割り算で躓いてからやさぐれ気味な小林君と、変わり者の転校生・宇野君が七転八倒しながら生きていく話。


普段はとにかく殺人!ミステリ!犯人は誰だ!?みたいなのが好きなので、こうした日常ものは手に取る機会がありません。
それがなんとなくタイトルに惹かれて読み始めたところ、宇野君の解像度たけぇー!小林君の躓きポイントめっちゃわかるぅー!となり。さらに第1話の、中~後半における細やかな心理描写にノックアウトされました。

ある人がある人へ向ける共感とか、葛藤とか、わかる……わかり味しかない……むしろ身に覚えのない人いないでしょ、とすら思えるほど。いやひょっとしたら「わからん」と首を傾げてしまえる完全無欠の人もいるかもしれません。しかし今作の登場人物たちが受ける逆風は、大抵の人が一度は感じたことがあるはず。


そんな感じで心理描写に魅せられまくった第1話でしたが、かすかにミステリ色もあって続きが気になります。
今一番の謎は「宇野君はなぜ転校してきたのか」ということ。環境の変化、苦手そうなのに。そして家族の理解もありそうなのに。転校は宇野君にとってストレスフルだと思うし、本人も家族もきっとわかっているだろうにそれでも転校してきたのはなぜか。
前の学校にいられないような出来事があったのか、親御さんの仕事の都合か。それにしては両親と住んでる様子はなし。
でも宇野君のピュアさは「家族の愛情と理解を一身に受けて育ってきた子」という感じもします。だから同居人が姉だけっぽいのが不思議。

そして宇野君の自分自身に対する洞察力の深さは、両親が理解者と考えると納得。専門機関を訪ねたことがあるのか、家族と話して工夫を凝らしながら進んできたのか。
あるいは両親のどちらかが宇野君とソックリまでありそう。だから彼はあそこまで自己理解が進んでいるのでは、とか。
でもそう考えると、なおさら姉以外の気配がないことが謎すぎる。
ひょっとしたら家族以外で、宇野君の自己理解を深める理解者かつ協力者が身近にいたのかも、とか。
想像が膨らみます。


生きづらさを抱えた若者たちの織りなす話って、心理描写に寄るか「先の読めない展開(ほぼサスペンス)」に寄るかのどちらかと思ってました。
後者の方が好みではありつつ、だいたい殺伐すぎて読んでて険しい顔になる。だからサスペンスでなしにミステリ風味を、しかも「現在にいたるまでの経緯」で出せるのがすごいな~と感じました。

宇野君と家族がこれまでどう過ごしてきたのか、なぜ転校してきたのか、バックボーンの伏線を散りばめておけば謎になるし、登場人物たちの人となりにも厚みが出ます。ただ構成力がものすごく問われそう。

見た目はシンプルながら奥深く味わい深い、そんな物語になりそうです。

【岸辺露伴は動かない6~8話】

漫画家・岸辺露伴が、漫画のネタ探しのためいろいろなことに首を突っ込んでは遭遇する奇妙な事件の話。


観ました。『ジョジョ』を含めて原作漫画を一切読んだことがない(……)ため、原作ファンからするとどう感じるのかはわかりません。
ただ相変わらずおもしろかったです。

第6話を観て、露伴先生って「愛」とか「恋」とかわかるのだろうか……と疑問符浮かべてました。なので、7・8話がアンサー回というか。まさにドンドンぴしゃりな話だった気がしてなりません。特に第7話。
いや6話が恋愛話なのかというと微妙ですし、7話ですらどうだろう……?と首かしげたくなりますけど。7・8話は異性への恋愛感情に限らず、広く「愛」という括りで。

人との接触が断たれた世界で、露伴先生がつながりを取り戻すお話というか。他者との関わり方を見直したり再接続したりするお話と感じました。

ある特定の人物を「その人個人」と認める。「自分以外のその他大勢の誰か」ではなく、名前と生い立ち、ユニークな性格を持った立体的な存在として認識する。
その上で「この人がしたことならばしょうがない」と諦めたり、妥協したり。それをきっと思いやりと呼ぶ。
7・8話はそんな話だったように思います。
特に7話のラスト、露伴先生の叫びがめちゃめちゃ印象的でした。
そんなに!くやしがってて!なのに許しますの!?と。他の人相手だったらバチクソにキレ散らかしてるでしょうに。
相手の話にもちゃんと耳を傾けて(!)、不満の言葉を飲み込んで(!!)、自分の中でモヤモヤを解消しようとするさまに、なんだかジーンときてしまいました。ぼっちゃま、成長なさいましたな……と見守る爺やみたいな。いや爺やじゃないですけど。

ほんとこの人、一度懐に入れた人には寛容。そう思っていたところ、第2話を観て考えを改めました。
第2話「くしゃがら」は一番好きな話です。演者も最高だし話そのものもよくできていますし。
で、露伴先生→十五先生への気遣い(?)っぷりに白目むいてたのですけど、これはあれだ。親しくなったとか懐に入れたとかじゃなく漫画関係者かどうかがポイントなのではと思い直した次第。
読者、編集者、同業者。漫画関係で、かつ自分の作品に関わりある人には特にヨワヨワなのでは……?

でももし十五先生が漫画家やめたり、泉さんが担当じゃなくなったりしたら、露伴先生はふつうに寂しがりそう。上の2人よりも名残惜しむまであるのでは。
原作露伴はどうかわかりませんけど、少なくともドラマ版にはそんな雰囲気があります。
いつか原作も読みたいです。ジョジョ本編も含めて。
なんだかんだいって露伴先生、女性と子供には紳士的(ヘブンズ・ドアで倒れ込むとき身体を支えてあげてる)なのは、ドラマ版だけの倫理的配慮なのか原作でもそうなのか。気になるのでたしかめたい所存。


ところで泉さん、いつの間にか十五先生の担当にもなっているんですね。第2話で錯乱した十五先生を見ておきながらよく担当できるな……凄……と感嘆。
わりと異動してきたばかり&まだ若いのに、めんどうそうな人ばかり押し付けられてやしませんか。部署内でひそかに「猛獣使い」とか呼ばれてそうで笑いをかみ殺してました。


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さて、現在公開中の映画『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』は、観に行く予定なのでなるべく情報を入れないようがんばってます。

どうも若かりし頃の露伴先生が出てくる(?)らしきことに、どゆこと……?となりつつ。泉さんの衣装が新しくなってて楽しみ。
泉さんの洋服、いつも若人らしい可愛らしさと色っぽさと大人っぽさが絶妙なバランスで見ていて飽きません。シーズン2の赤チャイナは思わずガタッと椅子から立ち上がりかけました。

ドラマだと「動かない」ゆーてるのに、映画になったら途端に海外まで行っちゃうのがものすごい飛躍。ジャイアンのごときギャップを感じる。
しばらく公開してるでしょうけど、なるべく早く観に行きたいです。

【まれびと親指姫】異世界で生きるということ

人ならざる者たちが住む精霊市国。そこには時折、妖精たちの行いによって人間が紛れ込む。
街はずれで粘土工を営むヨキは、仕事を手伝ってくれる働き手を募集。そして送られてきたのは、人間界の絵本とやや特殊な力を持つ少女だった。精霊王の交代、異界との交易、きな臭い情勢などに取り囲まれながら、ヨキと名もなき少女が交流する話。


1巻が出てる!と買ったらその翌日に2巻が発売してました。すぐに続きが読めてちょっぴりお得感。ホクホクです。

「こういう話」とあらすじをとっても説明しにくい今作。あえて言うとすれば「訳あり、異分子の2人が不穏な世界情勢に巻き込まれながらも徐々に交流を深めて力強く生きていく話」でしょうか。
おもしろいのは、最近流行りの異世界ものでありながら一線を画しているところ。「人間界で平凡に暮らしていた主人公が異世界で特殊能力を得てチートで無双する」みたいな話とは異なります。
「人間が異世界」「で特殊能力を得る」までは同じですが、別にチートでもないし無双もしません。わりと特殊かつ強力っぽい能力ではあるものの、全貌も明らかになっていませんし。
能力勝負というよりも、どちらかというと心の力、精神力勝負みたいなところがある。現に主人公(特に少女の方)の「地に足つけて生きていく、世界に存在する」力がハンパないことが2巻で明らかとなりました。2巻のドールハウスのくだりはしばらく忘れられそうにありません。
望んで得た力でも状況でもない。そんな中でもお互い手を取り合って力強く生きていく、主人公たちのひたむきさが眩しいです。

あともう一つおもしろいのが「青年と少女」という組み合わせながら2人の関係がどうなっていくかわからないところ。
恋愛関係になるのかどうか。たぶんお互い大事に思ってるし心のよりどころにはなりそう。ただ恋愛の段階をすっ飛ばして「家族」や「唯一無二の相棒」になっていくのではと想像してます。

もともと作者さんのファンです。10年ほど前に本屋さんで『非怪奇前線』をたまたま手に取ってからファンになりました。かなり初期の頃の作品以外はほぼ読んでいるかと。
わりとどの作品も「恋愛や友情とは少し異なるバディもの」が多い印象。

『まれびと~』は他作品とも通じるものを感じます。世界観が少し似ていたり「あの物語で語り切れなかったテーマの続きなのか」と思うこともあったり。長年のファン(?)として嬉しい限り。
具体的な作品名を挙げると、精霊・妖精という存在と在り方には『少年魔法士』と『死なずのあぎと』を、語られるエピソードや雰囲気は『プラネット・ラダー』『鉄壱智』『原獣文書』を彷彿とさせます。


1巻はまだまだ導入という印象。精霊市国の情勢と世界観、主人公2人の出会いと人となりなどが綴られ、終盤でなんとなくメインテーマは見えてきます。
そして2巻になると周りに人々(特に主人公ヨキの家族)が大集結。それに伴い、周囲の状況も動き出しました。

主人公の片割れである青年・ヨキは、関係者が権力者だらけで厄介ごとを持ち込まれがち。そこそこ距離はとってるものの、それでも着実に争いごとに巻き込まれてます。
台風から微妙に外れたところで交流を深める2人に、着実に忍び寄る嵐。それでもやっぱり中心人物にはならなそうな点も、なんだかおもしろいな~と。主人公なのに作中で描かれるゴタゴタの主要人物ではないという。関係者ではありますが、わりと遠くから眺めている印象。

これからいったいどうなっていくのか。舞台も(たぶん)整ったしあと5冊くらいかな~と思ってたら、あとがきで「全3巻の予定」とあり目玉飛び出そうになりました。
次で終わるのか。マジで?2巻のあのラストで、いったいどうやってあと1冊でまとめるのでしょう。謎。同じことは『鉄壱智』でも感じたことを思い出しました。

一体どう終わるのか、主人公たちの関係はどこに着地するのか。なるべく早く3巻が出てくれることを願います。

【岸辺露伴は動かない4話・5話】

漫画家・岸辺露伴が、漫画のネタ探しのためいろいろなことに首を突っ込んでは遭遇する奇妙な事件の話。


祝・映画化。ということでようやく4話以降を観ることができました。ずーっと気になっていながら脇に置いといていたのでスッキリ。
シーズン2にあたる4~6話は、それぞれ独立しながらも「六壁坂村」と呼ばれる土地を巡るお話になっているようです。

まずは4話と5話を観ました。
4話は「ランニング王に俺はなる!」な青年の話で、5話は「ゼッタイ背中見られなくないマンvs露伴先生」の巻。
露伴先生は、大ピンチ!かーらーの起死回生っぷりがアンパンマンばりだな~といつも感心のしきり。言動はヒーローというより悪役のそれですけども。
ピンチのとき、途中までは「ど、どうしよう……!?」と冷や汗流してたのに、逆転できそうになるとめちゃめちゃいい笑顔になるんだものな。相手の負けを喜ぶような、子供じみた無邪気な笑みがクセになりそうです。

しかも露伴先生、機転を利かせるときに「自分の安全」よりも「これやったらオモシロソウ」な方法を選ぶものだからサイコパスみがあるなと。
まぁ他人(特に自分と関わりのある人)にはそこそこ情もあり、他人を巻き込まないし迷惑もかけないタイプのようですが。自分で掘った墓穴はちゃんと埋めてから日常生活に戻れるサイコパスエコロジー(?)です。


ここから各話の感想。

第4話「ザ・ラン」は、真面目で勤勉な人が徐々に狂っていく様子が興味深かったです。
若干、見てはいけないものを覗き見ている興奮というか。それこそ「見るな」のタブーに触れている感じがしました。
あと、冒頭の露伴先生の所作がめっちゃセクシーで動揺。え、なに、先生どうしたの……と震えてたんですけど「肉体美」がテーマだったのかもしれません。ゲストもこれでもかというほど筋肉を見せつけてくれました。泉編集の赤チャイナもボディラインに沿っていて、うわ、かわいい、眼福、多謝……となるなどしました。


第5話「背中の正面」はゲストの演技の賜物だなと。
岸辺露伴~』に出てくる人はもちろんみんなはまり役ですけど、第5話でいっそう痛感させられたというか。まさに「怪演」という言葉がぴったり。
「他人に背中を見せない」というだけで、こんなに見ている側を不安にさせられるんですね。背中を見せないための動きすべてが尋常でなく、めちゃめちゃ怖かったです。ただ見慣れてくるとシュールな笑いになる。
すごいな、アイディア賞だな……と思いながら観てました。

ただ「怖さ」と「笑い」を表現するだけだったら、他にもうってつけな俳優さんはいるはず。でもそれだけでなく、後半では「妖艶さ」も混じってくるからこのゲストさんだったのかな~なんて思いました。
見た目はいい年したオッサン(すみません)なのに、動きがどことなく色っぽいのすごい。しかもセクシャルな感じというよりかは、やや妖しい「人外の者」めいた動きがもう、もう。ほんとすごいとしか言いようがありません。

第4話のゲスト役も、真面目でピュアそうな外見の中に、隠し切れない狂気と怒りと怪しさが漂っていると感じました。
1~3話もゲストすげぇすげぇと思ってましたが4・5話も相当だった。なんだか1~3話がまた観たくなってきました。

そして今回もよかった露伴先生と泉編集のやりとり。
露伴先生、泉さんの扱い適当なのにけっして雑ではないところがよいです。なんだかんだ泉さんのこと一目置いてるし、なんなら好きだよね……とすら思う。
もともと他人にあまり迷惑はかけないタイプの露伴先生ですが、泉さんのことは特にちゃんと守ろうとしてるなって。第5話の後半はところどころガッツポーズ。悶えすぎて言葉を失いそうになります。
わりと守られることの多い泉さんですが、ときに露伴先生の勝利の女神になるところもたまりません。いいコンビだと思います。


おそらくシーズン2の最後である第6話で、すべての元凶「六壁坂村」へ乗り込むことになるはず。4・5話を見るかぎりでは、相当ないわく付きの土地っぽいですがどうなるのか。楽しみです。ゲスト役も楽しみ。
映画も観たいです。

【ヨルムンガンド】戦争と平和

両親を戦争で失ったことで、武器を憎む元少年兵のヨナ。ある出来事をきっかけに、武器商人ココとその私兵8人とともに世界各地を旅することになる。武器を売ったり殺し屋に狙われたり陰謀に巻き込まれたりする中で、ココの「ある計画」が明らかになっていく話。


完結したおよそ10年くらい前、全巻持ってました。が、途中で手放してしまい。
もっかい読みたいな~と思っていたところ購入時のポイントアップキャンペーンをやっていたので買ってしまいました。こういうとき、自由にできるお金持っててよかった~と思います。ビバ社会人。

武器商人と私兵たちの話なので、武器や軍隊、諜報機関などがガンガン出てきます。ただその辺の知識はさっぱりなため、整合性がとれてるのかとか、リアリティがあるのかなどはわかりません。
しかし今読んでもやはりおもしろいです。

このお話で好きなところは、
・絵柄
・キャラクター性
・キャラ同士のコミカルな掛け合い
・話の展開が早い
・悲惨なんだけど描き方がサラッとしている
・あちこちで話がリンクまたはオーバーラップしている
・味わい深い台詞
です。


話の構成としては、数話で終わる短い話がいくつも集まって、武器商人ココの「計画」が浮かび上がる流れとなっています。
その「短い話」もだいたいは、武器を売る過程である組織と対立→ドンパチ か、殺し屋に狙われる→ドンパチ のどちらか。
ただ戦いを通して、ココの私兵たちの生い立ちやスキルや人となりが開示されたり、戦争哲学が語られたりと味わい深い。まぁ悲惨なことばかりですが。なにせ「武器と戦争」がテーマなので、底なしに明るくハッピーなものにはどうしたってなりません。

悲惨なんですけど、キャラ同士の掛け合いはとってもコミカル。7割冗談なのでそこまで暗い気持ちにはならずに済んでます。「優秀な若者の足を引っ張るの、胸が痛むなぁ」「え?持病?」「ちげーよ」とかめちゃくちゃ笑いました。
あとは絵柄や描き方がサラッとしているからか、砂漠地帯を歩いているような荒涼感がずっとある。大地は砂漠で戦争だらけなのに見上げた空は底抜けに青く明るい、みたいな。

明るいしテンポも早いしでサクサク読んでいると、合間合間に目をひく台詞が入ります。

「殺って殺られて殺り返して。でも俺が殺られた時には殺り返さなくていい」
「自分の『分』を知った相手が好きだから」
「その氷、私が溶かそう」
「磨いてあげるような付き合いじゃないんだ。でもお前が錆びると僕が死ぬ」

とか、とか。
慈悲も何もあったもんじゃない中でこんな台詞が挿入されると、感情がブワー押し寄せてグワーと捻じれそうになります。
「人は必ず死ぬのに、戦わないの?なんのために生まれてきたの?」とかも、言ってる人がアレなのでヤジ飛ばしたくなりますけど、台詞自体はアツい。初めて読んだときは勇気をもらった気がしました。


あと表紙が毎回「ココ+私兵の誰か」なところも好きです。ポーズにそこまで大きな違いはないながら、キャラの性格が出てる気がするしその私兵とココの関係性も見える感じがたまりません。7巻の表紙が好きすぎてツライです。
そんで10巻がココ、11巻がヨナで締めくくられるところもいい。ふつう逆な気がしますが、ココで締めくくられるのは何か違う気がして。
すべてを企てたのはココですが、やはりヨナは子供かつ未来への希望の象徴、だから最終巻を飾るのにふさわしいのでしょう。

改めて読み返してみると、この話とこの話はオーバーラップしてるんだな~と当時気づかなかったことが見えてきました。年を取って、自分の感じ方や物の見方が変わってきたのかもしれません。
一度読んだものをもう一回だなんて……とためらいの方が強かったですけど、そう捨てたもんじゃないと思いなおしました。

【プロジェクトムーン作品】自分も他人も切り拓く(物理)

suminotosyo.hatenablog.com

スマホゲーム『リンバスカンパニー』をやってます。
ダークな世界観と、敵味方問わず一癖も二癖もあるキャラクターたち。特に問題なくストーリーを追えているものの、作品をより楽しむため関連作品に手を出し始めました。


ロボトミーコーポレーション
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●ライブラリーオブルイナ
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1作目『ロボトミーコーポレーション』と、その続編『ライブラリーオブルイナ』はどちらもプロジェクトムーンという会社が作ったゲームです。『リンバスカンパニー』とは話こそつながりはないものの、世界観は同じなので両作品を理解している方がより楽しめるはず。

ロボトミー』と『ライブラリー』はどちらも実際にプレイしたかったのですが、バトル難しそう&時間かかりそう……だったので「実況動画を見る」という方法に行きつきました。南無。
今は『ライブラリー』の途中まで履修し終わったところです。


ロボトミー』は1つの会社の中での話で、登場人物たちも10人ほどしか出てきません。かなり狭い範囲のことであり、語られる話もわりと曖昧。だからか、少しおとぎ話のような印象を受けました。
一方で、続編の『ライブラリーオブルイナ』は会社から飛び出して都市の話が中心になります。登場人物もかなり多く、関係性が一気にバッと蜘蛛の巣状に広がったなと。『ロボトミー』で漂っていた閉塞感もなりを潜め、『ライブラリー』ではコミカルなやりとりが増えました。

そんな両者に共通するのは、倫理観ぶっこわれなダークな設定とシナリオ。そして戦いを通して得られるカタルシスと相互理解だと思います。
戦うことで、登場人物たちは自分の感情を発散させている。そして相手の人となりを知る。見ていると、なんだか「バトル・イズ・カウンセリング」という感じがします。戦いがカウンセリング。治療。

人々が生きる都市は病んでいて、そこで暮らす人々も病魔に侵されていて、みんな目いっぱいの苦しみを抱えている。
人と人、人と都市という複雑に絡み合い過ぎた関係を、戦いによって物理的に引きはがすというか。メスをいれるというか。まぁ戦った結果、だいたい相手は死んでしまいますが、それもまたヨシ、みたいな(よくない)。
『ライブラリーオブルイナ』はまだ試聴途中ですけど、登場人物同士の関係がだんだんわかってきました。かつ先もなんとなく読めてしまい、心の中が阿鼻叫喚です。クリフォト暴走起こしそう。

でもそんな「血で血を洗う」を地で行くストーリーがクセになります。
ロボトミー』もだいぶ酷かったですが『ルイナ』もかなりえげつない。謝肉祭、愛の町トマリー、笑う顔、ワープ列車など。よくこんな倫理観ぶっこわれな話を考えつきますね!
そんな悲惨な状況の中でも、(一部とはいえ)登場人物たちが前を向いて歩きだすストーリーがたまりません。
ロボトミー』では真エンド(?)にたどり着くため、気が遠くなるような長い長い作業をする必要がありました。その結果得られた各人の決意表明にジーンとしてしまった。
状況は酷くて何も変わっていないけれど、それでも前を向いて生きる、希望を持てざるを得ないと。フランクルの『夜と霧』を彷彿とさせます。

そしてこの前向きさは『リンバスカンパニー』でも感じるところ。みんな自分の葛藤を乗り越えた……と見せかけて途中で一回ひっくり返されそうな気もしますけど!
世界設定はダークで、都市も住んでる人々も病んでるし暴力的だし救いも何もあったもんじゃありません。ただそんな中でも、足掻くことで「明日はきっといい日になる」と「明日は無理でもいつかきっと」と思えるのがイイ。

あと曲もいいです。主にバトル曲。
『ライブラリー』の泣く子戦で流れた『And Then is Heard No More』と
『リンバスカンパニー』3章ボス戦の『Between Two Worlds』がお気に入りです。『Between~』は最初はゆったり讃美歌風なのに、だんだんアップテンポするところがテンション上がる。

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これまで語ってきたようにストーリーも曲もキャラクターもいい!
ただし戦闘がめっちゃむずいです。未だに『リンバス』の3章をクリアできていません。ボスの間に乗り込む前に手下たちにボッコボコにされるので、なんとか対策して倒したいところ。

対人恐怖症かもしれない

とわかった話。
ここ2~3ヵ月くらいのことです。

必要があって関連本を読んでたところ、なぜかふと「これ私のことじゃね?」と気づきました。
それまでもさんざん勉強してきたし本も読んでいたのに、なぜ今になって急に腑に落ちたのか。謎。突然こういうことがあるから人生っておもしろいよな~とも思います。


対人恐怖症、最近の言い回しだと社交不安障害。
どういったものかというと、人と接する際の不安や恐怖が大きすぎることから、日常生活に支障をきたす障害です。
「大勢の前でスピーチ」や「初対面の人と話す」ときは緊張したり、不安になったりすることは誰しも経験があると思います。ただその不安や緊張が強すぎるあまり「日常生活がままならなくなる」と障害といえるでしょう。
「人と接することそのものへの恐怖」というよりは「恥をかくのではないか」という予感がそもそもの発端で、どんな場面が苦手かは人によりそれぞれ。大勢の前でのスピーチは平気だけれど人に見られながら文字を書くのはダメとか、レストランなどで食事をするのが耐えられないとか。
あとよく聞くのは、顔が赤くなっていないか気になって仕方ないとか、汗が止まらなくなるとかでしょうか。

自分の場合、人の目が気になります。道を歩いて知らない人とすれ違うのもですし、人がたくさんいる教室も苦手。ただ不安や恐怖を感じつつも過ごせないことはないため、どうにかこうにかこれまでやってこれました。
「緊張しいだな~」という自覚はあったものの、そこまで強い不安だとは捉えていなかったです。なにせ人生の半分以上をこの状態で過ごしていたので。この状態がもうデフォルトというか。
それが何かの拍子に、自分がいだく不安感ってけっこう強いのでは……?もしかして障害並みなのでは、と気づいたのが約3ヵ月前。どうして突然気づいたのかは本当にわかりません。
さらに「20人以上がいる場所だと緊張しすぎてポンコツになる」としみじみ実感したのが3週間ほど前のこと。

あまりにも強すぎる緊張具合と、今まで気づかなかった自分に対しちょっと笑いそうになりました。なんで今になって、というよりむしろ「なぜ今まで気づかなかったのか」が不思議かもしれません。


それであまりのおもしろさから、同居人(パートナー)と職場の人数名に話してみました。すると思った以上の反響があってこれまたびっくり。
笑い話になるか「へぇ~」くらいの反応と思ってましたが、わりと心配(?)されています。また人と話す中で、自分が他の人の目にどう映っているか、どんな人だと思われていたかもわかってきました。

自分の予想と実際の反応とのギャップから、見えてきたこともあります。
その多くは家庭環境、つまり生い立ちで、少し特殊な環境で自分は育ってきたのでは……と思うに至りました。「特殊な」というのはネガティブな意味です。
そんな環境を作ったのは主に親で、その親さえも特殊な育てられ方をしただろうことが容易に想像できる。その親の親ですらまた……と考えると、自分の代で気づけたことは幸運かもしれません。


ただここまで気づくのにおそらく10年はかかっているのが恐ろしいところ。
しんどいままなのも嫌ですし、これからの身の振り方を真剣に考えなくてはなぁと思うなどしました。