第四人称の語り部

コトバを生きる日々/ 俳人 /【俳句てふてふ】▶︎▶︎川辺一生

【エッセイ17】そのことば

気づけば、自由はいつからか、

使い古されたベッドの上だけになっていた。

 

テレビの特集で「ひきこもる若者たち」が

連日、面白おかしく報じられ、

当事者のわたしは、

わずかに残っていたプライドも

捨ててしまった。

 

生きるに値しない人間は、

息を潜めるしかない、と想った。

 

その頃から、ベッドの脇の本棚に、

岩波文庫の世界文学を少しずつ買い足しては、

読むようになった。

 

病で思うように体が動かない時も、

自責の念に毒されている時も、

本をひらけば、

そこには自由なことばの泉と物語の海が、

広がっていた。

 

そうしたとき出会ったのが、

ヘルマン・ヘッセの『デミアン』だった。

ページを開いた瞬間から、

なぜか夢中になって読んだ。

 

デミアンの語る豊かなことばは、

頭で理解することはできなかった。

 

それでも、

その神聖なことばが、

こころと魂の傷を、

洗い流していくことだけは、わかった。

 

話の筋も、感動したセリフも、

読み終わるとすぐに忘れてしまった。

 

ただ、シンクレールとデミアンの日々が、

うつくしい心象風景と共に、

確かにこころに刻まれたし、

なぜか、

それでいい、

という確信めいたものがあった。

 

今日、十五年ぶりに『デミアン』を開いて、

表紙のエピグラフにハッとした。

 

私は、自分の中からひとりで出てこようとしたところのものを、生きてみようと欲したにすぎない。なぜそれがそんなに困難だったのか

 

あの頃、

叫びたいほどに身に宿していたことばが、

そこにあった。

 

そのことばは、

わたしが独りではないことを、

静かに、告げ知らせていた。

 

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【俳句を詠む日々】祈りを詠む②

 

復活祭の教会に足を運ぶと、

目の前で若い男性が祈っていた

 

ミサのあいだに何度も
体を深く曲げて頭を垂れ、

十字をかく

 

そのたびに

手に持っているロウソクから
蝋が垂れる

 

いつもそうなのだろう

 

男性の革靴は、

蝋の跡がいくつも刻まれて

シミになっている

 

なにを祈っているかは

知らない

 

だが、その祈りには

なにか切実さがあった

 

祈る人間には、わかる

 

その切実さは

 

悲しみに慟哭(どうこく)し

苦しみにうめき

 

その果てに

 

神を求めてやまない

人間の衝動そのもの

であることを

 

知性が優位の現代社会では、
祈りは無価値だ

 

それでも、

その男性の真摯な祈りに
愛すべき人間の姿を

わたしは、みた

 

復活祭靴に残りし蝋の跡

川辺一生

 

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※ 掲句は俳句てふてふに投句

 

 

【エッセイ16】三位一体

 

(いのち)

箱根の温泉街を抜けて、

川沿いにある蕎麦屋の外で、

順番を待っていた。

 

正面の庭に目を向けると、

細い楓の木に、小さな紅葉が、

冷たい雨に打たれている。

時々、気まぐれな山風も吹きつけて、

木を激しく揺らす。

 

それでもなお、しがみついて離れない紅葉の赤。

せつなく、あざやかに…。

いのちの姿に、なみだが溢れた。

この世界は、かなしいくらい、うつくしい。

その地平の彼方にむかって、

今日もひとは、祈り続ける。

 

(愛)

不登校の子どものかなしみに満ちた目。

その目をひたむきに愛する。

するとその瞳が、笑顔と共に

照らし出されるときがある。

 

あのぬくもりを、

なんと言葉にしたらよいだろう。

 

「愛とは聖なる神秘だ。愛する者にとって、愛は永遠に言葉を超えたものであり続ける」

カリール・ジブラン『人の子イエス

 

そう語った詩人のことばは、

真実だと想う。

 

子どものかなしみに寄り添うとき、

あのひとのやさしい手が、

たしかに、この身にふれるのを感じる。

 

そのぬくもりは、

いつも生のありかを、教えてくれる。

 

(なみだ)

愛する人たちの差し出してくれた手。

そのたしかな温もりが、

信仰の起源だった。

 

彼らの背中を追うことは、

いつしか人生そのものになった。

 

「消えてしまいたい…」

その日、寝室のライトを消すと、

妻が肩を震わせながら泣いた。

のしかかる生活の重み…。

 

彼女の肩をさすっていると、

その小ささに、涙が止まらなくなった。

 

あぁ、そうだ…。

あの人たちも、いつも悲しむ人の隣で、

一緒になみだを流していた…。

 

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【エッセイ15】遺句と返句

 

「永遠の記憶…永遠の記憶…」

 

午前中に教会で歌ったレクイエムが、

まだ頭に残っている。

 

その余韻に導かれ、母の部屋で

遺品を整理していた。

 

タンスの引き出しを開けると、

古びた写真に紛れて、

くすんだ革の手帳が一冊、眠っていた。

 

手帳を手に取って開くと、

くたびれた四つ折りの紙が、

はらりと床に落ちた。

 

広げてみて、息を呑む。

 

午後よりの風に四温も今日どまり

 

母が遺した句集だった。

句会のために作ったのだろう。

自選の句が十句ほど、紙に印刷されている。

 

母の目を通してみた世界。

その目線が、こころが、懐かしかった。

 

同時に母の句は、誰かの応答を

待っているかのように感じられた。

返句で応えたい、そう想った。

 

翌日、歳時記を買ってくると、

見よう見まねで俳句を作り始めた。

 

母の句を口ずさみながら、

目の前の世界をみつめ、句を作る。

母のみた世界と私のみる世界。

そのふたつが、深いところで交錯してゆく。

いままでに経験したことのない対話が、

そこにはあった。

 

そうしていくつかの返句ができた。

まっさらな句帳を買ってくると、

そこに母の遺句を書きつけ、

私の返句を添えて、

二句ずつまとめてゆく。

 

最後に題名をつけると、短い句集ができた。

 

句集『永遠の記憶』

 

三寒四温

 午後よりの風に四温も今日どまり

 三寒やビルの狭間に並ぶ星

 

(冬すみれ)

 狭庭にも日溜まりありて冬すみれ

 路傍にも植うる人あり冬すみれ

 

(春の雪)

 古書店を出ての一歩や春の雪

 書店へと駆け込む息や春の雪

 

(木枯)

 木枯や「ただいま」の声高くなり

 木枯や「おかえり」と言ふひともなし

 

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【エッセイ14】春の陽

 

「あのさ、キモいんだよ。死んでくれない?」

言葉の暴力。冷たい言葉…。

 

この世界には、あたたかいことばも、

あるのかな。あったらいいな。

 

十三歳の冬は、とっても寒い、寒いんだ…。

 

 *

 

サオリは、十九歳の引きこもりの少女。

高校時代のいじめが原因で、

家から出られなくなったらしい。

 

一念発起して大学受験を志し、

この春から私が担当する生徒になった。

 

自己嫌悪の想いが強いらしく、

いつもうつむいて、こちらの言葉に

身構えている。

そんなサオリの姿に、あの冬の自分が

重なる気がした。

 

ある時、サオリが三十分遅れてくる、

と塾に連絡が入った。

 

昼夜逆転の生活から、寝坊してしまったようだ。

自分を責めるサオリの顔がよぎる。

その顔は、凍えているようにみえた。

 

三十分後、サオリがそっと、教室に入って来た。

案の定、サオリは泣きそうな顔をしている。

いつも通り、笑顔で手を振って出迎える。

「待ってたよ。ブースに行こっか」

サオリは固いままの表情で頷いて、

ブースに向かう。

席に着いても、どことなく

落ち着かない様子だった。

 

一呼吸おいて、授業の前に伝えたいことがある、

と言うと、サオリの顔に、さっと緊張が走った。

「ありがとう」

意外な言葉だったのか、サオリは、

ぽかんとしていた。

「今日もサオリさんの顔がみれたこと、先生はそれが嬉しい。がんばったね、ありがとう」

 

サオリの表情がほころび、

うん、と大きくうなずくと、

笑顔がこぼれた。

 

はじめてみるサオリの笑顔は、

春の陽に照らされて、

あたたかく、やさしかった。

 

※ この記事は、事実を基にしたフィクションです。実在の人物、団体とは一切関係ありません。

 

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【エッセイ13】手紙

「けいちゃん、学校行こう」

おかあさんの声。

ふとんをかぶって、きこえないふり。

ぼくはひきょうだ。おかあさん、ごめんね…。

朝はきらいだ。

ぼくは、いつも、ひとりぼっちだから。

 

 *

 

イチカは、元気な十二歳の少女。

いつも遊びながらケラケラ笑う。

不登校なのが不思議なくらいだ。

 

ただ、イチカがいつも、

目を合わせようとしないことは

気になっていた。

 

それが単なる照れではないことは、

やがて明らかになった。

 

「先生、ごめんなさい…」

ある日、ご家庭に着くなり、

目を赤くしたイチカの母が謝った。

聞けば、イチカは朝から布団をかぶって、

固まってしまったという。

 

リビングでイチカを待つことにすると、

隣の部屋からイチカを説得する母の声が聞こえた。

耳を塞ぎたくなるほどに、

かつてみた痛みが、そこにあった。

 

気を紛らわそうと外に目をやると、

ベランダから遠くの方に富士山が見える。

しずかに佇むその姿は、何かを語っていた。

 

イチカを独りにはさせない。

衝動的にカバンからメモ帳をつかみ出すと、

短い手紙を書きつけた。

 

イチカちゃんへ。外に綺麗な富士山が見えるよ。

よかったら、見てみてね。また来週、一緒に遊ぼう」

 

 *

 

「やった、ウノ!」

先週のことが嘘のように、

イチカは元気に遊んでいる。

心なしか、イチカの声は弾んでいた。

「じゃあ、先生は、黄色の9だ!」

「うわ、最悪・・。うそ!わたしの勝ち!」

イチカは自信たっぷりに最後の手札を置く。

そのとき、楽しそうなイチカと目が合った。

ニコッと笑うイチカ

その瞳には、明るいひかりが、宿っていた。

 

※ この記事は、事実を基にしたフィクションです。実在の人物、団体とは一切関係ありません。

 

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【俳句を詠む日々 第一回】祈りを詠む

 

祈り、という営み

 

それは、ひとの本能的欲求かもしれない

近頃そう感じている

 

中尊寺金色堂阿弥陀如来坐像を

拝観した

 

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金色の阿弥陀さま

涼やかな眼差し

ふっくらとした頬

 

その包み込むような佇まいは

慈愛そのもの

 

御仏の前に

涙を流したひと

 

御仏の慈愛に

生きるちからを得たひと

 

無数の祈りが

きこえてくる

 

南無阿弥陀仏

 

御仏にすべてを委ねる

それは、すがることとは少し違うようだ

 

自分を二番にする

一番の場に、神仏を招き入れる

 

それは大いなる地平の一歩に他ならない

 

ともかくもあなた任せのとしの暮

小林一茶

 

阿弥陀如来への信心を詠んだ小林一茶の句が

こころをよぎる

 

そっと阿弥陀さまに手を合わせて祈ると、

余韻に包まれながら外へ出た

 

暮れどきの陽は、

あたたかく、まぶしかった

 

春の暮ふっくら頬の仏かな

川辺一生

 

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※ 掲句は、「俳句てふてふ」にて投稿