Maybe the last day

何が自分を日々これほど苛立たせ、疲弊させ、諦念の気持ちに苛むのだろうか。仕事は忙しいが、忙しさによるそれではなさそうなのは確かだ。この丸四年やってきて、結局この国は変わらない、このサービス、このチームによって世界は変わらないと、サービスへの未来や組織への未来に希望を感じられなくなってしまったのだ。

 

社内で自分が一番信ずる人に直談判をし、思っていることを洗いざらい吐き出した。だけどそこでかけられた言葉で全く心が動かなくなってしまっている自分に気づいた時、もうこの環境にいてはいけない、いる資格はないのだと思うに至った。

 

ここ数日、次のステージを探している。桃源郷を探しているわけではないし、自分の望むものが全て揃っている環境などあるはずがない。しかしそれでも、その組織やサービスに未来を感じることのできる環境で、未来を信じることを許される場所で生きていたいと切に思う。

1月

去年の暮れに、2017年は毎月21日に振り返りの場を持つと決めた。毎月一回くらいは、自分がその時考えていることを、ある程度まとまった文章として吐き出しておこうと思う。

 

最近、キャリアアップとはいったい何ぞやみたいなことを考えている。したっぱとして丁稚奉公をこなして、リーダー⇒マネージャー⇒部長⇒役員・・・みたいなのがいわゆるキャリアアップとして定義されている言葉なのだろうと思うのだけど、その延長線上に、ほんとうに社長もしくは事業全体の責任者があるのだろうか、役職として就く就かないはさておくとして、そうした会社や事業のトップとしての素養は、その延長線上に存在しているのだろうか?というお話。

 

何をきっかけにそう思ったのかというと、自分自身が転職を考えているということもあるのだが、自分が今働いている部署はR新卒の人よりも外の会社からの転職組が圧倒的多数を占めており、DeNAやサイバーGREEといったいわゆるネット企業もそうだし、マッキンゼーボスコンベインといった外資コンサルの博覧会みたいになっていて、そういう方々と席を並べて仕事をしていると、たしかに各領域における知識やスキル面でいうとすごいなあーと思う事が多いのだが、じゃあそういった人が事業全体の責任者として機能するんだろうかと考えると、必ずしもそうではなかったり、実際うまくいかなくて交代になるケースが多い。一方で今の社長だったり事業責任者を見るにつけ、カリスマ性というか、事業を推進する・前に進めるという部分がすごく長けているように感じていて、それって何故だろう、ということは素直に疑問に思っている。

 

※別にR新卒の人がスキルが低いと言っているわけではないし、逆に全員が事業トップや経営者になる素養があると言いたいのではなく、ここでは単にスキルの高さ(髙い、と冷静に見ていて思う)が事業トップとしてのバリューに繋がっているわけでない事例を数多く目にする、という話にすぎない。インドネシアにいたとき、現地で起業している同い年の人に何人か会い、一緒に仕事をした人もいるが、その時感じたのは、ビジネススキルとしては自分が勝てる部分は多いんだろうなと思う一方で、そのカリスマ性というか事業のトップとしての腹の括り方や視座視界は、自分とまったく比べ物にならないくらい圧倒的だと感じたことも大きい。彼らの多くは、大学を卒業してすぐや、野村証券マッキンゼーといった大企業で2-3年働いた後に退職し、インドネシアで起業して、スキル面などでずば抜けている印象は持たなかった。

 

そうしたものを目にするいつけ、自分はどっちになりたいのだろう、そのために今自分が意識的に取り組むことは何なのだろうか、ということを考える。ビジネスマンとしてのスキルを磨くことは重要であるが、そこに重きを置きすぎると、器用貧乏になったりやもすると「使い勝手のいい人材」として、いろんな部署を転々とさせられる気がしていて、それは自分にとって本意ではない。自分がやりたいと思う事、正しいと思う社会を作るために何をするのか、ということにコミットしていたい。

 

じゃあ、そのために自分は何をやるのか、というところだが、これは色々考えている。自分で会社を始めるのか、今の仕事と全然関係ない起案(分野は同じとしても)をして全責任が自分にかかる環境に身をおくのか、はたまたそういう起業家の集まる場所(たとえばシリコンバレー?)に身を投じてそこで生活するのか、等いくつかオプションはありそうだなあとぼんやり考え出した程度だが、いずれにせよ今の仕事を辞める辞めないという二択よりも、今の仕事はやりつつ(だってとても楽しいし、そこへの不満や不安はあまりない)、自分のありたい姿へのチャレンジを模索しようかなと思っている。その中で、そのオプションの一つに全力コミットしたいという気持ちが芽生えてきたら、その時はRを出ていくのだろうと思う。

 

仕事でもなんでもそうだが、10年20年先の自分の人生の経営戦略を考えることが重要だと、色んな場所で言われる。配偶者やら会社に依存する人生は持続可能性を他人に委ねており、それは大変リスクが高い。自分らしく楽しくご機嫌に生きていくために、ただRで漫然と毎日働くのではなく、プラスアルファの具体的なアクションを取り続けようと思い、今日はこの辺で筆をおこうと思う(もちろん筆で書いてはいないのだが)。

 

 

2016年振り返り

ブログを書くのが久しぶりになってしまった。自分の思考を整理してまとまった長い文章を書くというのはよいと思いつつ、意識的に時間を作らないと機会がないもので、来年は毎月一回は書こうと思う。ということで、自分のスケジューラーに毎月21日に「月次振り返り」を入れた(笑)年の瀬にいったい何をしてるんだろうかと自分に呆れつつ、一年の振り返りをしようと思う。

 

今日の新聞に、陸上のウサイン・ボルト選手が今年のリオ五輪で金メダルを取った時のコメントが載っていて「努力と自己犠牲と、汗と涙の結果だ」と書かれていた。まさに自分のこの一年の仕事面での生き方に、決定的に欠けていた言葉だと思ったのだけど、自分に対して「意識的に」何か負荷をかけるとか、自分の何かを犠牲にして何かに取り組む、ということが全くなく、一年が過ぎた気がしてならない。トレードオフにする必要は必ずしもないのだが、うまく言えないが、意識的に何かの方向に向かって自分を鍛えた、という感覚を持たない一年だったことに焦りがある。日々の仕事を通して「自分が意識するわけでなく(自然発生的に)」忙しかったり負荷がかかることはあったにせよ、自分の中での人生プランというか、こう生きたい、こうなりたいというものを言語化することを避けて、日々に埋没する安住な道に逃げていただけなのだと思う。

 

ただ、この一年がそうしたネガティブな側面ばかりだったかというと決してそうではなく、自分に非常に足りていないと自覚をしている「相手の話を理解する」姿勢や行動であったり「自責で物事を考える」ということを自然にできている人がいて、その人と長い時間を過ごさせてもらうことができた。その人とは結果的に彼氏彼女という関係性になったが、そうした関係性以上に、一人の人間としてほんとうに学びの多い時間をいただくことができたと思うし、そうした人との接し方という部分について、日々お手本としてマネさせてもらったりする中で、少しは意識的に行動できていたかなと思ったりもする。

 

とはいえ、これからどう生きていこう。色々と考えることはあるが、毎年書いている気もするが、「次の一年の決意」という年単位の目標よりは、一日とか一週間の目標の積み重ねとしての「一年」の方が過ごしやすいし明確な気がするので、日単位や長くても週単位できることを(なるべく具体的に)箇条書きで挙げてみようと思う。★がついているのが特に重視しようと思っている項目。

 

・今年の9月に留学試験を受けると決めたので(行く行かないはまだ未定)、そこに向けて毎日具体的なアクションを取り続ける(英語でも、エッセイの準備でも、何でもよい)

・週1回は「幅広い情報をもつVCやジャーナリストと接触し情報交換」「自分の事業に関係のありそうな企業の人(社外)と話す」「自分の事業に直接関係のないイキのいいスタートアップの人と話す」の3つを織り交ぜてコンタクトを取る。最低目標10人。★

・毎日寝る前に、明日やることをノートに書く★

・自分の事業を来期100億円の売り上げにするために、毎日具体的なアクションを取り続ける。

・毎回TOEFLを受ける

・お酒の入る飲み会を週1回までにする

 

こんな感じだろうか。いずれにせよ意識的に何かを意思決定・取捨選択しているか否かを大事にしたい。

 

 

サザンオールスターズ 素敵な夢を叶えましょう(cover)

www.youtube.com

 

 

来年がんばろう。

2017年も、よろしくお願いします。

僕が僕であるために、を聞きながら

先日、インドネシア案件を一緒にやらせていただいた先輩に飲みに連れて行って頂いた。基本的にとてもフラットかつ建設的な話をして頂ける、非常に信頼を置いている方に色々と人生相談をさせて頂いた。そこで言われたことについていくつか整理しておこうと思う。

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色々言われたがまとめると次の二点で、(1)この一年成長してなさすぎて死ねよまじで。(2)お前何もチャレンジせずに会社が投げたボールに尻尾振って追いかけてるだけでしょ。会社の奴隷として最適化されてる。だった。改めて文字にすると酷い...(笑)でも言葉はきついが、かけてくださった言葉はどれも自分にとって納得感のあるものばかりで、今の自分に対する危機意識とじゃあ今日から自分は具体的に何をするのかについて改めて整理したりアクションを決めるタイミングになったと思いたい。

今の会社を辞める辞めないということではなく、自分が成したい事に対して現状のステップは、ゴールに対する何歩目の状態なんだろう。そこに対して自分は100%その時間を費やせているだろうか。そういうようなことを改めていろいろ考えて、自分なりにアクションプランを決めてみた。8月末までや来年の3月末までの短期目標と、5年後10年後の長期目標と、これまでにも何度も書いているし、それだけ書いて何がどうなるわけでもない。でも何もしないよりマシだと思うし、そこに向けてまずは間違っててもいいから走る中で、違和感とか感じればその都度修正すればいいやと思っている。まずは書いて走ってそれから色々考えるというのは、藤原先生の修正主義に感化されているだけかもしれないが、自分の中での基本的な行動原理となりつつある。

 

その先輩との飲みで最終的にじゃあ今後どうするかというところの総論部分として決めた腹つもりを、備忘録として下記のこうしておこうと思う。各論は細かすぎるので割愛するけど総論部分だけでも。

 

・「何かをしようと思っている」などと二度と口にしない(死ぬほど詰められた)。ほんとに意志ある人はそんな言葉を使う暇もなく既に行動しているし、何かを行動した結果どこどこで詰まっています、で持って来れないならそれは自分の意志ではないと思うようにする。

・ただのボランティアでなくお金をもらっていくつかのプロジェクトを掛け持ちしてみる。せっかく副業OKの会社にいるのだし。自分のcapabilityを増やすためだけでなく、いくつかのアプローチをする中で自分の商品価値を常に判断するリファレンスポイントを持つ。

・オンライン教育のマーケットで、今世界中のサービスはどうなっている?1,2年前に投資を集めていたedtechのスタートアップは今どうなっている?今どんなドメインが注目されていて、どこがこれから個人や1会社の力量による変化量が多そうなのか、それくらい把握しておくようにする。領域として変化量の大きなポイントを見つけてそこに身をおいていたい。

 

何とか自分の望む、そして自分の力を求める人に取っても望む形になるように持っていきたい。ぶっちゃけいろいろ難しい。しかも今の仕事も嫌な訳ではなくて、比較的楽しくやっている。特に人間関係でも大きな問題もない。こんなこと言うなんて僕はわがままで無責任だと責めたくもなる。でも、ここにずっといれるかといったらそうでないかもしれない、今ここにあるものが大切でもそれを握っているだけでは、それはいつかなくなってしまうんじゃないのか、とも思ったりしている。

 

 

酔っ払ってるわけではないんだけど、久々にぽえったらテンション上がって「僕が僕であるために尾崎豊)」を熱唱しているような気分なところで終わりたい。

 

MC含んでいて歌自体は2:30くらいから

https://www.youtube.com/watch?v=vN0eb4jLrzM

 

 

がんばろう。

現実逃避して

この一か月ほど、あるビジネスプランを書いている。先日、会社のキックオフイベントにて社長を捕まえてその場でプレゼンし、GW明けに改めて説明する場を貰ったわけだが、全然進まないw

夜な夜な色々と調べては、会う人会う人にプランを聞いてもらい、ディスカッションをさせてもらう中で磨くということを繰り返すわけだが、これまでの3年間、ずっと新規事業の立ち上げをさせてもらってきてるけど、それとはまた全然違う感覚の頭の使い方だなというのが正直なところで、そこについて自分なりに言語化しておきたいと思った。

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これまでの自分の新規事業への関わりというのは、まず事業全体としての大きな絵というか戦略やビジネスモデルを描いてくれる人がいて、色々な部署から人やお金を集めてもらう中で、大きな戦略の中での、言ってみれば戦術というか、現場のフロントに立って「来た球を打ち返す」ことに心血を注いでいる感じだったのだが、今自分がやっていてかつ苦労しているのは、どちらかといえば前者側の、そもそもどんなビジネスモデルを組みますか?というのと、それを固めるにあたって一緒に同じ温度感で走ってくれる人を探すということ。

一人で考えたりホワイトボードやリサーチに向かい続けるのは、とにかくつらい。つらくなると色々な人に壁打ちに付き合ってもらったりもするのだが、やはり最終的にどうするかを決めなければいけないのは自分しかいないし、「これならいけるはずだ!」という仮説や自信(それがノーロジックだったとしても)がない状態だと、壁打ちにつきあってもらったとしても、聞かれてる側も、何を答えていいかわからないと思うわけで、喋ってる途中で自分自身自信のないことを話してんなーと気づいた時などもうその場で土下座して謝りたくなるみたいなことを繰り返している(情けない話だ)。



そうした時に、たとえばCEOとCTOの関係でよく形容されるような状態に近いのかもしれないが、事業に対する目線や考え方が違っていたとしても、その事業に対して、そのビジネスに対して同じ温度感で、命をかける理由をもって一緒に走ってくれる人の存在の重要性というものを、ほんとうに痛切に感じているし、その仲間一人目すら捕まえられていない自分の至らなさにほとほと嫌気がさしている。

南場さんの「不格好経営」を読み返すにつけ(とても好きな本だ)、南場さんが会社を興すにあたってマッキンゼー時代の後輩だった渡辺さん川田さんを口説き落とし「彼らがジョインくれたことがDeNA成功の8割方を決定づけた」と書かれていたが、まだまだヒヨコの自分だけどその感じはわかる気がするし、逆に南場さんが誘った渡辺さん本人がこの記事で当時を振り返っておられるのを読むと、ただただうらやましい。http://www.dhbr.net/articles/-/1961



一緒に大冒険に出てくれる仲間を集め、船の先頭で事業の旗振りを担うという、そうした立ち位置自体に対して自分が何か拘りを持っているわけではないし、あくまで、自分がコミットしたい事業ドメインに対して、色々なアプローチのできる人間になりたいと思っているその中でのひとつの関わり方ではあるのだけども、まだビジネスプランの一歩目を描くにあたって仲間を0人から1人にするというステージですらこんなにすったもんだしている自分を省みるにつけ、大きな企業の経営者というのはいったい全体どんな苦労をされているのだろうかと思うと、想像するだけで背筋が寒くなる。そうした職責を担いたいかどうかは別として、大きなことを成すためには、そうした苦労を背負う覚悟が必要なのだろう。



というか、こんなこと呑気に書いてる暇があれば一歩でもビジネス前に進めろよボケって感じですね。。。

海の中からみえた空

リクルートにいると「卒業」なるものによく遭遇する。年度末のこの時期は特に多いけど、ほとんど年から年中、誰かしらが卒業されていく。それが直接の知り合いの方だったり、知り合いの知り合いくらいの方だったりすることも多いのだけど、卒業を決めたタイミングや最終出社日の翌日などに、社内メールや個人ブログにて、けっこうすごい長文での言葉が並ぶ。


直近のだとたとえばコチラ

http://natsumeg.blog.jp/archives/47066799.html


それを読むのが僕はわりと好きで、辞めた後に何をされるのかというのが、まず結構おもしろい。自分で会社を立ち上げたりスタートアップに参画という多いパターン(ディすっているのでなく、割合として実際とても多い)から、ポーカーで世界王者マジで目指しますとかバイオリニストとしてプロ奏者になりますとか、アフリカに住んでみようと思います、というか正確にはもう住んでますみたいな、???なケースも結構あり、そういうのを見るにつけ、その人に意志さえあれば、何歳になっても人は何者にでもなれるんだな、と純粋にハッとさせてもらえる。

そしてもう一方で、リクルート時代の思い出や心に残った言葉についての文言を読んでいると、この会社で魂を燃やした思い出の日々や、一方で燃やせなかった悔しさやリクルートで働きながら感じていた葛藤についても赤裸々に語られる事がとても多く、その人が会社で成功したか失敗したか、出世したかそうでなかったかなど何の関係なく(そもそも社内文化として「社内で偉くてもしょうがない」と言い切られているので、たぶん誰も気にしてないけど)、その人自身の生き様が、本当にリアルなドラマとして、ストレートに心に響く。



そういうのを読むにつけ、いつも思うことがあって、それは

「自分がこの会社を卒業する時、どんな言葉を発することができるだろうか」

ということ。


辞めることを前提として働いているわけではない。むしろ、今の環境が未来永劫続くならばいつまででも働いてたいなとも思う。だけど、それは様々な状況の変化や自分自身の変化によって変わり得るし、その変化を前提とするわけでもないけど、予定調和で決まった未来に向かう思考にはしない自覚はしているつもりでいる。

そうした前提で、自分がこの会社を辞める時が来た時には、自分はどんな言葉を選び、どんな感情を抱いて卒業していくのだろうか。卒業していきたいと思うんだろうか。これまでで思い出に残った事業は何で、どんなことで怒られ、どんな時にもう死にたいと思い、逆にもう死んでもいいと思えるくらい幸せな瞬間があったのか。そしてこれから自分はどんな道に進み、どんな未来を拓きたいと思っているのか。そんな、いつ来るかわからない、死ぬまで来ないかもしれないし、逆にもしかするともう来月にやって来るかもしれない時のことも、ちょっとは頭の片隅で考えながら、「その時」がいつやってきたとしても、悔いなく胸を張って卒業の言葉を選ぶことができるよう、この4月からの4年目という時間を、これまで通りに、やりたいことをやらせて頂けている感謝と、それを仕事にしていることへの覚悟を持って、日々を生きようと思っている。



星になれたら/Mr.Children

https://www.youtube.com/watch?v=Hr2gvLePiJk