家の匂い

今週いっぱいまで仕事を休みにして、家でゆっくり過ごしている。

息子は保育園へ行き、夫は自室で仕事を。わたしはリビングでコーヒーを飲みながら今これを書いている。庭の草木が紅葉していて日差しが暑い。なんだこの季節。

 

退院した日、保育園から帰ってきた息子に「おかえりー」と声をかけて玄関に向かった。息子は「ままぁーー!」と駆けてきて、しゃがんで両手を広げたわたしの首に小さな手を回し、わたしはわたしで息子のやわらかな輪郭に顔を埋めてしばし抱き合った。

体を離すと、「きょうね、ぱぱすこしはやくお迎えきたんだよ」と照れたように教えてくれた後に、もう一回抱きついてきたのがかわいかった。

夫は動画を撮りながら泣いていた。

 

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2週間ぶりの息子は、エレベーターのボタンに手が届くようになっていたし、滑舌もなんかしっかりしていた。「あのさ、このきょうりゅうは、にくしょくとそうしょくのはいぶりっどなんだよ」と恐竜の知識も増えていた。

 

夫「たろー(*仮名)、くつ下洗濯かごに入れといてー」

息「おっけー」

 

息「ぱぱー、レゴブロックだしてー」

夫「いま洗い物してるから待ってー」

息「おっけー」

 

男二人の関係もなんか頼もしく進化していた。

 

3歳児も不安だっただろうが、42歳男もお見舞いに、仕事に、保育園の送り迎えに、買い物に、ご飯作りにほんとうによくやってた。

あらためて、家族3人でぎゅっと乗り越えた怒涛の2週間だったなぁと思う。

 

今年のはじめ、夫に愛想を尽かして家出をしたことがあった。瞬発的にキレたというよりも、蓄積したドロドロが何周も渦巻いてもう一緒にいるのはほんとうに無理、と諦めの境地にまで達した11ヶ月後、こんな形に進化しているのだから家族って、夫婦って、ほんと何なんでしょうか。

 

 

しんどい、の正体

これを言ったら相手にどう思われるだろうか....

自分はどう映るだろうか.... 

 

大したことない自分を少しでもよくみせたくて、コミュニケーションにおいての消極性をいかんなく発揮することは多々あった(というかそれがベースで生きている)のだけど、他者の感情を受け取るのが怖い、という理由でコミュニケーションから距離を置いたのははじめてだったかもしれない。

 

「がん」という言葉のインパクトはそれほどまでに強い。

ステージに関わらず、相手を少なからず動揺させることになる。

 

 

わたしの場合、夫と一人の友人以外にはしばらく言えなかった。

とくに、乳がんを宣告されてからの検査続きだった時期が一番しんどかった。CTやMRI、血液検査、職場にも言えない状態でなんとか都合をつけて通院を重ね、一つ一つの結果を外来でビクビクしながら受け止めていた時期。

じつはもう見えないところで全身に転移しているんじゃないか。その一欠片が先に見つかっただけなんじゃないだろうか。テレビをつければがんのCMが流れてくるし、スマホを開けばがんのニュースが表示される。夕食の後は息子と一緒にベッドに入り、寝顔をみながらぼうっとすることが増えた。

 

病院には、毎回チャリを20分ほど爆走させて通った。

川沿いの一本道。夫は熱中症を心配したが、大丈夫と言って毎回そうした。

景色には感情がなくて一緒にいて楽だった。

診察室を開ける勇気は、最後に渡る大きな橋からの眺めがいつもくれた。

 

 

死ぬことはなさそうで、どうやら手術すれば大丈夫っぽい。

ここまで来て、やっと人に言えるようになった。上司、近しい友人、両親、家族。

それでも毎回、「乳がん」という言葉を発するには会話の中でふと勇気がわいたタイミングでしか言えなかった。そして相手が受け取るショックは、わたしがようやく乗り越えてきた数ヶ月をいとも簡単に戻す力をもっていた。

その場を繕う同情、親身な励まし、知り合いのガンサバイバー情報、まじで全部いらないからクールに受け止めて欲しい。低温対応でお願いします。

関係性にもよるが、わたしには概ねそれがありがたかった。

 

えぇぇぇぇぇ.... とか言葉を失うとか、過剰なリアクションは結構きつい。実際にはもちろん大ごとだし、自分が逆の立場だったらそんな風にしてしまうかもしれないが、その手の反応の後には大体、“そっち側の人”と線を引かれているような孤独を感じることが多かった。

 

では文面はどうか。リアクションは見ないで済む、がメッセージの送信とともに最大級の配慮を相手に背負わせることになってしまう。しかも唐突に。

 

もうこうやって書いていると、わたしがセンシティブすぎ、気にしすぎ、それに尽きる。

間違いない(笑)

 

 

そして、今回の場合「乳がん」をようやく経たところに、遺伝子検査からの「全摘」という決断が最後の最後に加わった。

 

パトラッシュ、もう疲れたよ

 

遺伝子検査については説明が必要だし、再びパワーワードを投げる力は残ってなかった。

 

仕事のチームメンバーには「婦人科系の病気でちょっと入院することになって.....」とだけ伝えて休みに入った。“婦人科系”というと男性はそれ以上聞いてこないし、女性は大なり小なり想像できる経験や知識があるので、同志のような眼差しで“深くは聞かない”という優しさをもって送り出してくれた。

もし、同じような状況の人がいたら “婦人科系”、使ってください。

 

プロフェッショナル

くもをさがす

たまたま今年4月に西加奈子のノンフィクションエッセイ『くもをさがす』を読んでいた。著者がバンクーバー乳がんを乗り越えた話。

そこには、当時の看護師さんや医師たちの対応があまりにあっけらかんとしていて救われた、というような内容があった。誰もわたしを可哀想な人扱いしなかったと。

これを読んだ時、あぁ...海外らしいなぁ〜〜とわかったような感想を持って妙に記憶に残っていたのだけど、自分がいざ入院してみたら、日本も一緒だった。

 

今日は、パジャマの上に羽織っていたユニクロのボアジャケットの内側に左右ポケットが付いているのを発見して、そこにドレーンの袋を入れて生活していたら「え!すごいw ぴったりじゃないですか!!!」と拍手をいただいた(笑)

 

しんどい時、結局一番救われるのはただ普通に居てくれることだ。(まぁ、それも関係性によるのでむずかしいのだけれども)

 

当人以上に大袈裟にしない、これは肝に銘じていきたい。

 

そして、これは少し文脈が変わるかもしれないがわたし自身もう少しわがままに生きようという気になっている。シンプルにというか。

 

他人の目を気にしすぎるのはもう辞め時だ。

 

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10月28日

両胸摘出から術後8日目。

ドレーンとよばれる管が両脇から4本ぶらさがっていて、その先には袋が一つずつついている。

 

手術は麻酔を含めると10時間近くかかった(らしい)。

真っ白なオペ室で、エビのように丸くなって背中から麻酔を通された後、“今回の麻酔は呼吸器に近いところに効かせるので、完全麻酔ではなく少し弱いものを使っていきますね” というようなことを麻酔医から言われて、仰向けに戻りながら、え!?え?痛み感じるの!?こわいってーーーーー・・・・・と意識が遠のき、目覚めたら再びオペ室で「ぽてこさん、終わりましたよ」と看護師さんに声をかけられた。数年前に建て替えられたばかりのオペ室は、ドラマでもなかなか見ないほどの最新設備で、空間把握がバグるような白さというかNASAっぽさというか、真ん中にぽつんと置かれたベッドが妙に非現実的だった。左の壁には巨大なモニターがすっきりと埋め込まれていて、わたしがベッドに横たわるとmy脈拍が鮮やかに映し出されていた。

 

 

 

痛い。

麻酔から覚めると視界はぼんやりしつつも頭はしっかりと戻っていて、「旦那さまがお待ちですよ」という声かけに“あ〜待ってられたんだ、よかった〜〜”と思った。

 

痛い

 

息子のお迎えは同じマンションの友人ママに頼んだという。

「痛み止めは我慢せずに看護師さんに言いなよ」と病室を出る夫に返事をすると、一人になった。

 

痛い 

 

そこから2、3日はけっこう頑張ったと思う。

痛みに耐えた、という点では間違いなく自己ベスト更新。

 

 

微動するだけで気が遠くなるという経験は、帝王切開をゆうに超えてきた。頭を動かすことも、スマホを目の前に掲げることもできない。食いしばると涙が出てきた。

 

息子といちばん長く一緒にいれる選択をしたつもりが、、いつの間にかとんでもないものを差し出してしまったかもしれない。朝玄関で息子にハグをして仕事に出かける、そんな日常を自ら手放してしまったのだろうか。わたしが一番失いたくなかったもの。

部分切除にしていれば......

馬鹿だわたしは。

 

痛みの中で思考を深めると、この後悔がどうしても頭をよぎった。

遺伝子検査の結果を聞いた日から、強く進もうと決めた日から、ほんとうはずっと抱えていた不安。

 

術後2日目の夜、父からLINEがきた。

“君には時々驚かされます。今回のことも様々な思いが凝縮された決断だったのだろうと察しながら、あなたらしさを素直に受け止めています。大きな決断をするときは、たくさんの思いも同時に入ってきます!誰しも。迷わないで自信を持って欲しい” 

 

考えてみたら、大事な相談ほど人にしないわたしの性格は父譲りなのかもしれない。

 

 

自分の弱さも抱えて進めばよかったんだ。

そう思うと、覚悟を決めてから今日までの時間がなかなかしんどかったことを思い出して涙腺が決壊した。心のどこかをずっと鈍らせることで立っていたから。

わたしにしては結構がんばったと思う。

 

 

そっち側

 

何がどうして両胸全摘出に至ったのか。

これを話すのがしんどい。今も。

 

ざっと事実を並べると、会社で受けた健康診断の《要再検査》から、6月にステージ0という超初期の乳がんが見つかった。仕事の合間に通院を重ねさまざまな検査を一通り終えて、その他に異常はみられず手術に向けての準備がスタート。

そこでずっと迷っていた遺伝子検査も受けることにした。先生いわく、検査を受けた人の20人に一人が陽性っていうレベルのもの。がん=遺伝性という可能性はわたしたち一般人が考えているほどそんなに高くないとの説明もあった。

 

20人に一人、

そっち側だった。

 

今回の乳がんを切除しても、再発率40%。

がーーーん(一旦ね)

 

そんなのさ、20分の1を引き当てたわたしにとって、40%なんてほぼ100%なんですけど、と文系丸出しな感想しか浮かんでこなかった。

 

わたしにとって一番大切なこと。

それは息子と少しでも長く過ごせることだ。

 

先生の説明をぼんやりと聞きながらも、何をどう考えたってそこは揺るがない自分に安心して答えはすぐに出た。

 

全摘出

 

 

だん。両脇からチューブを垂らした術後8日の夜、これを書いているが、やっぱり何度考えてもこの答えを選んでいただろうと改めて思う。

べつに迷ってもいいだろ、とも思うので、結局よくわからないけど、

 

 

とにもかくにも、

痛みから生還しました。

 

いぇーーい(一旦ね)

 

 

 

大丈夫。日常は戻ってくる。

いまはそう思える。

 

人間の身体ってちゃんと回復してすごい。もう少し入院生活なのでまた書きます。

 

 

【2歳7ヶ月】思うが増える

「あのたくしーさん、どしちゃったのかなぁ...」

とは、数日前のニュースで流れた飲食店へ突っ込んでしまったタクシーのこと。

 

「あたま、かた、くろす!」

とは、1ヶ月前にいったサッカー体験で、先生が教えていたジャンプの方法。(なお当日は、一切参加せずに終始私の脚にしがみついて涙を浮かべていた)

 

「きょうりゅうさん、なに食べてたのかなぁあ...」

とは、おそらく先日観た『ジュラシックワールド』で、人が恐竜に食べられるシーンのこと。

 

 

こちらがまったく忘れてるようなことを、けっこうな時間差で断片的に言ってくることが増えた。2歳7ヶ月。

ジュラシックワールド』なんて、夫には「きょうりゅうのえいが観たの!ままと!」と連日うれしそうに話していたのに、何日も経って、やっぱりあのシーンを衝撃と思っていたんだなと改めて気付かされた。

 

言葉は日に日に増えているが、それ以上に「思う」ことの量が上回っているようにみえる。ことばにして「言う」がまだ遠いだけで、2歳7ヶ月なりに社会をみて「思う」ことはたくさんありそうだ。

 

自身の経験でいえば、英語が拙いばかりに、頭に浮かんでいることの5%くらいしか伝えられなくて「ノーアイデアなやつ」と思われてしまうことに似ているのかもしれないと想像している。

 

「思う」ことを「言えない」は結構もどかしいはずで、以前はなかったような声の上げ方をするようになったのもそんなところに関係していたりするのかなぁ。(知らんけど)

 

 

よく子供のことを大人が「こう見えて繊細なのよ〜」と言ったりするが、どんな子も、子供はみんな繊細なんじゃないかと思う。

 

だって、2歳でこんなに「思う」ことがたくさんあるのに。

 

 

 

2月の読書記録(当たりが多かった〜!)

 ※以下読んだ順

『緑の毒』桐野夏生

緑の毒 (角川文庫)

久しぶりの桐野夏生

なんだこの話、この展開。

 

ありふれた日常に潜む執心や妬み、小さな悪意を描かせたらほんとに天下一品。

東京島』や『女神記』あたりから読まなくなっていたけど、やっぱりちょっとレベチだったわ....というシンプルな事実を思い出した。

『緑の毒』はいわゆる #黒桐野 なんだけど、ポップさもどこかあって読みやすい。

 

夫は開業医、奥さんは大学病院の勤務医という主人公。

「医者✖️プライド」の世界をとんでもない解像度で描いていて、わたしは医療関係者じゃないけどこのレビューにやっぱりそうなのか!と妙に嬉しくなった。

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『だから荒野』桐野夏生

だから荒野 (文春文庫)

そうそう巡り会えないレベルの面白さで、夫にも姉にも即LINE。

主婦が主人公だから夫はあまりハマらないかもな〜と思っていたら、朝方まで一気読みしてめちゃくちゃ面白かったと感想をもらった。

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次男や長男の変化、親と子の関係、夫婦の関係。

いくつになってもその中で生きていく幸せとしんどさがあるよなー。

結局ひとはどこまでいっても埋まらない孤独を抱えてるんだよなー。そういえばマツコもそんなこと言ってたな〜〜など思った。

 

とにかく面白いから読んで

とにかく面白いから読んで

とにかく面白いから読んで

 

 

あ、ちなみに、これは白桐野!

魂萌え!』とか好きだったら絶対におすすめしたい。

 

 

『群青の夜の羽毛布』山本文緒 

群青の夜の羽毛布 (角川文庫)

昨年亡くなった山本さんの小説。

ざらざらとした不気味さと、すがすがしさの同居した奇妙な物語だった。

この方も、人をすごくリアルに描くのでいつも引き込まれてしまう。

 

人におすすめも再読もしないけど妙に忘れられない一冊だなー。

 

Amazon レビューに頷く

作者の女性の描き方が好きです。

けして大袈裟ではないんですが家族や恋人にしかわからない意地や強欲の匂いを感じ取ることができます。作者の本の中で描かれる男性は年齢問わず純粋でどこか青年のような感覚を覚えます

 

『まぐだら屋のマリア』原田マハ

まぐだら屋のマリア

「もう、いんでごせ」

「なんでぇ、そげににやにやしとるだぁ?」

「そうなったら大変だらぁ」

 

尽果の人たちが話す方言がうちの地方に似てるなーと思ってたら、山陰の地域を描いているらしい記述がぽんとでてきて、やっぱり!!!と膝を打った。

馴染みのある音で読めるのが楽しかった。

やっぱり方言っていいなぁ

※自分用の日記を書き起こしているためこんなw

 

『錆びる心』桐野夏生

錆びる心 (文春文庫)

はい、また桐野作品へ。

1997年に書かれた短編らしいがまったく古さはない。

一つ目の『虫卵の配列』冒頭シーン、主人公が強風のなか渋谷の坂道でばったり女友だちに出会う描写がもうほんとうにすごくて砂埃の匂いが飛んできそうだった。

全話おもしろかった。

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ところで直木賞の選考委員、強すぎて草

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わたしの中の作家アベンジャーズ(観たことない)こんなイメージ。

 

 

『どうしても生きてる』朝井リョウ

どうしても生きてる (幻冬舎文庫)

万城目学さん(←なんて読むの)のあとがきがとても良くて、わたしがなんで朝井リョウの本に引き寄せられてしまうのか新しい角度で答えをもらえた気がした。

虚と実。

物語を書く側の人だからこそ見えてる景色であったし、本屋さんの二十周年パネルにまつわる百田尚樹朝井リョウのエピソードもおもしろくて、こういう!!あとがきが!!!読みたいんです!!!!!ありがとうございます!!!!!と思った。

 

本書ももちろん面白かった。

 

『夜明けのすべて』瀬尾まいこ

夜明けのすべて

移植後のPMSがあまりに酷くて、どこか救いを求めるような気持ちでダウンロードした。

パニック障害PMS、ふたりの主人公を題材にしたストーリー。

 

会社でPMSを爆発させた翌日、お菓子を配って謝る主人公を素直にえらいなぁと思って、自分にもせめてそれくらいはできるよなと振り返り通勤電車から夫へここ数日PMSがひどかったこと、当たってしまったことをLINEで謝った。

 

小説は、すごーく瀬尾まいこ氏らしい展開で、ささくれ立っていた心が撫でられた。

髪を切りに突入したシーンよかったなぁ。

 

夫にも読んでもらったら何か変わるだろうか。

 

他、読んだけど日記なし

エミリの小さな包丁、と鹿の王↑はかなり序盤で脱落。

 

Stay strong

戦争がはじまって恐怖と無力さに呆然としている中、

とても身近な友人にも祈るしかできないことが起きた。

 

状況を知らされてもコロナ禍で病院に駆けつけることはおろか、一番しんどいであろうご家族に病状を逐一たずねることも憚られる中で、わたしがしていたことはただ集中治療室で闘っている友人を想い、泣くか、祈るか、それだけだった。

夜は息子にくっついて寝た。

 

翌日は土曜日だった。

すぐに何かあったら駆け付けられるようにと夫が車を手配してくれていたのだけど、まだ意識が戻らないという内容とともに「Danger isn't over.」という返信がきて、また胃が痛くなった。(旦那さんはイギリス人)

 

友人はわたしと同い歳で、4歳と1歳の幼い子どもがいる。二人の子には説明もむずかしい状況で妻の無事を願う旦那さんのことを考えると、やはり彼のペースで連絡を待つことしかできないと思った。子守りは彼女の両親も一緒にいるので大丈夫とのことだった。

 

動脈瘤の破裂。

調べずとも最悪な想像が簡単に浮かんでしまうシリアスな現実と、彼女がいつも纏っている飄々とした雰囲気がどうしても似合わない。

 

さぁ行こうっ ジョージと一緒に〜♪ 

週末らしい陽が差し込むリビングのTVで『おさるのジョージ』が始まった。ふだん観ないくせにテレビ放映のジョージには大喜びする息子が案の定目をキラキラさせてはしゃぎだした。

全てがあまりにも日常で、いまこの瞬間彼女の家族にも同じ時間が流れていることを突きつけられる。

 

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車で少し遠い公園に出かけた。

何も調べずに海沿いへ行ったら、思いがけず離着陸の飛行機が行き交う絶景スポットで、海風がびゅんびゅん吹きつける中、さむ〜いーー!と言いながら大迫力の飛行機をみんなで見上た。

釣りをしている人、椅子を持ってきてコーヒーを飲みながら空をみている人、三脚のカメラを覗き込んでいる人。

 

大人たちに混ざって、2歳児も気ままに楽しそう。

 

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途中、いい感じの棒を拾ってやたらご機嫌な息子。

 

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楽しいか、楽しくないか。

シンプルな感情で生きている息子といるとこちらの感情まで単純化される。

 

本当はもっとできることがあったかもしれない、こういう伝えればよかったかな、、でも今送ったら逆に気を遣わせてしまうかもしれないし、どう思うかな。

 

そんな考えも息子を追いかけていると吹っ飛んでしまうから不思議だ。

 

 

この小さな瞳に映る世界の平和を守ること。

息子を笑顔にすること。

 

頭よりも体が勝手に動く。

そのたしかな手触りに救われる自分がいる。

 

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She has woken up.

LINEの通知に細く息を吐いた。

 

 

大丈夫。

あんなかわいい子が二人もいる。

ぜったいに大丈夫。

 

 

2月18日 判定結果〜からの目標差し替え

(判定日からずいぶん経ってしまったけど...)

 

正直70パーくらいの感じで、これは妊娠してるだろうなと思っていたら、先生から「今回は残念ながら力及ばずで...申し訳ない」と言われて、え?という驚きのまま「あ!いえいえ、そうですか....わかりました」となんなら微笑までうかべて相変わらず余裕ぶった対応を返していた。

ショックというより拍子抜けだった。

 

まず浮かんだのがオットの顔。変に期待させてしまって........伝えるのヤダなーーーだった。

 

そして、移植に期待を寄せていた実家の母。

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自分自身はというと、陰性判定を受けて、

そうかぁーくぅ〜そんなに甘くないよねーーというのが率直な感想だった。

(アラフォーが2回の移植で2回陽性でるなんて不妊治療そこまで甘くないよなーっていう)

 

もっともっと率直に言うと、というかぶっちゃけて言うと、

着床血らしきものがあって(あれはなんだったのか)妊娠はしてるかもなと思った途端、あぁ...また自分の身体をコントロールできない日々が続くのか.....という不安がずしんときていた。そこから夜中眠れなくなった。

転職先にも妊娠がわかった以上こんな初期でも伝えなきゃだよな.....内定辞退するしかないのかな(ぐるぐる)また流産するかもしれないのに.....?

海外行けるかなーと思ってたけど、当分難しいな..... てかまた行けるのいつよ。

子供が二人.....こんな心許ない貯金で大丈夫か。。お金が要るのにわたしもまた稼げなくなるし....なんとかするしかないっていうのは分かってるけど今までみたいな無頓着さでは無理っぽいな。

金沢でのキャンプデビューもつわりでそれどころじゃないか.....

悪阻 いつまで

また太るのか........

20代のときに産んでたらキャリア復帰もしやすいんだろうな....

 

考えてもしょうがないことをぐるぐるぐるぐる。

2022年の目標「同じことで3日以上悩まない」を掲げていたのに。

 

要は、やっと自分のペースで生きれるようになった今の生活を手放すのが途端に惜しくなったのだ。マタニティ〜0歳1歳育児の3年、また繰り返すのかーと考えると「ふりだしに戻る」みたいな果てしない気持ちになっていた。

 

 

で、

 

結局、

ぜんぜん妊娠してないっていう。

ほんとあの寝れてなかった日々なに。笑

 

自分でもどれくらいガッカリしてどれくらいほっとしてるのかよくわからなかった。

 

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あれから約ひと月、いろいろすっ飛ばして言うと、

むしろ貯卵があったから二人目のことを強く考えてたのかもしれないなーと自己分析している。年齢的に焦ってたのもそこに可能性を感じてたからなんだろうなと。

 

家族が増えることをあきらめたつもりはないけど、やっぱりこのタイミングで移植してよかったし、不妊治療はもうしないという答えを夫婦で出した。

 

 

わたしとしては、一人っ子もいいかなーとすらちょっと思っている(けど夫にはまだ言えてない)

 

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