お寿司とトマト

お寿司とトマトが好きです

今年は久しぶりにいとこの墓参りへ行こうと思う。先日初めて私の夢に出てきたのだ。二十歳目前で亡くなった彼女はもはやだいぶ年下。私の子供でもおかしくないな。

いとこたちの中で私は味噌っかす扱いだったので、彼女と特別仲が良かったわけではない。私と彼女は一対一で話したような記憶はあるかな?ないかな?なレベル。彼女は年の近いいとこと大変仲が良かった。私の姉のことを慕っていたような気もする。あと味噌っかすの私にも優しくて美人。私が彼女へ持つ印象はそれぐらい。

特別仲が良かったわけでもない私は身内の誰に言うこともなく、何年も一人でお墓参りに行っていた。後にたまたまそのことを私の両親に話したらとても驚いていた。私がお墓参りに行っていることがあまりに意外だったのだろう。しかし一番早くに亡くした身近な人が年若い彼女だったというのは、それほど私の人生に強烈な印象を残したのだ。無理もないと思う。それでもここ10年は行ってない。

時代が時代だったのか無事に(?)10代半ば頃からグレた彼女はシンナー吸ったり補導されたり、カジノでアルバイトしたり(どういうこと?)と大人になった私から見ると若干生き急いでいたような気もする。けれど、生まれながらに病弱等というわけではなく突然の病だったのだから、彼女にそんなつもりはないだろうし、短くても濃い人生だったと思いたい、つまり生き残った側の思い込みだろう。

今の私は彼女の倍以上生きている。仕事は非正規、子供はいない。特にやりたいこともなく日々だらだら生きている。そんな私より彼女が生きていた方が世の中に貢献しただろうな、なんてことは実はよく考える。多少グレたけれど、どこかでよい人と出会い、子供を産んで、「昔はヤンチャしたのにね」なんて周りからからかわれる。仕事もする。最初はパートかもしれないけど、ガンガン成果を残して社員へ。もしくは起業。なんかそんな感じがする。総じて強そう。

彼女は最期をホスピスで迎えた。私にとっても人生初のホスピスが10代で訪れるとは思わなかったけれど、お見舞いに行ったそこは穏やかな雰囲気だった。過去の記憶がすぐあやふやになる私なのにわりとしっかり覚えている。外からみると緑に囲まれた(覆われた?隔絶された?)場所で、門をくぐり玄関を開けると畳敷の小上がりがある共有スペースがあり「なんかこのスペース児童館みたいだな」と思った。個室は明るく、大きな掃き出し窓があり、そこから陽のあたる中庭にベッドごと出られそうだった。

彼女は親との関係があまりよくなかったと思う。両親ともに公の仕事に就いており、いわゆる強めの左な人たちだった。今思うと思春期の子供とは相性悪そうだな。詳しいことは全く分からないけれど、最期にはきちんと仲直りできたのだろう。多分。

そういえば最初に書いた通り彼女は私の夢に出てきたのだけど、夢の中で彼女は私の姪を連れてどこかに行こうとしていた。「じゃーね」と私に手を振り、二人は仲良さそうにどこかへ。別に彼女が姪を連れていくなんて一ミリも思ってないよ。思ってないけれど、単純にこれが墓参り再開のきっかけ。

私はあなたのことを覚えてるよ、たまにだけど今でも思い出すよって伝えたいな。

 

大きな問題に心を悩ませているなんてこともないのに、とにかくぱっとしない日々が年が明けても続ています。こういうのは自分の気持ち次第ということは理解しつつも、とにかくぱっとしないので気がつくとスマホに逃げてしまう。思えば40代に入った頃からこんな感じで常に停滞気分。本気でこのまま40代が終わりそうな気がしてきた。スマホを置いて本を読んだり映画を見たり、ゲームをやったり。気になっていた場所にも足を運んだりと色々動こうとはしているけれど、すべて単発。乗り切れません。どうすればいいのかなあ。

本年もよろしくお願いいたします。

限りなく最小限に減らした年賀状を、2年続けての喪中によるどさくさで最小限にまで減らすことに成功した年末年始。宝くじは今年も当たりませんでした。

さて、去年の目標は

1 「使いやすい」ではなく、「好き」を大切に服を選ぼう

2 筋力をつけよう

3 夫にしっかり自分の気持ちを伝えよう

の3つ。

 

1 夏服に関してはすべてを自分で把握できる量になりました。前も書いたけど衣装持ちというわけではないが似たようなものがいくつもあるみたいな状況で、それが毎朝着ていく服を悩ませる主な理由でした。服はあるけど「これは昨日着た服と似てるから今日は着られない」な服ばかり。数は減らしたけど種類としては減っていないので、少しだけ他と違う雰囲気のものを買い足すだけで悩みは見事に解消しました。冬服もそうなればいいけれど、こちらに関しては道半ば。冬に関しては今シーズンで着倒してへたらせたものを廃棄してから考えよう。逆に春と秋は少し買い足した方がいいかもしれません。

2 筋肉は相変わらずついてません。ついてませんが隙間時間のスクワットは続けてるし、有酸素運動のためにフィットボクシングを始めました。毎日は無理だけど2日に1回ぐらいで今のところ1か月は続いています。洗濯物が増えるのが嫌でジムにはいきたくないので、家の中で、部屋着でできるのはともてよいと思います。

3 昨年はそんな深刻になる事態にもならなかったからしっかりと行動できたかは分からないですが、1年を振り返るとストレスを感じることがそんなになかったと思うので、少しは進歩したのかもしれないです。

 

で、今年の目標ですが

1 頬杖をつかない

2 「使いやすい」ではなく、「好き」を大切に服を選ぼう

3 隙間時間のスクワットとフィットボクシングによる有酸素運動の継続

 

2と3は引き続きですが、1に関しては「なんか顔の左半分だけ老けてない?」と、ある朝、鏡で見た自分に対して抱いた感想からです。

思い当たることと言えばただひとつ。それは「頬杖」。家だけでなく、態度が悪く見えるのは承知で私は仕事中でもとにかく頬杖をつく。考え事や集中してるときのお決まりのポーズでもありますが、体のなんやかんやの事情で正しい姿勢を保つことが難しい私がついとってしまう楽な姿勢です。45歳になろうかという今、いまさらという気もするのですが、もしかしたら顔面のゆがみもここで止められるかもしれないという一縷の望みをかけて。

 

この年齢になると「死」への印象が若い時と変わってきています。身近で若くして亡くなってる人がいるにも関わらずどこか物語等フィクションの中にあったものが確実に自分の中へ入ってくる、そんな感じです。一日一日を大切に生きることまでは至りませんが、「いつまでもあると思うな自分の人生」という気持ちで今年からは過ごしていきたいです。

まとめ

今年読んだ本は42冊。

もっと読んだ気でいたけどこんなものか。ものすごく読書にはまる時期とそうでない時期を繰り返すのだけど、今年ははまらない時期が長かった。面白い!という本に出合うとエンジンがかかりやすく、それを考えると今年は選書がうまくいかなかったのかもしれない。

 

今年読んだ本で心に残っているのは

綾辻 行人の館シリーズかな。一冊目の十角館は昨年末に読んだのだけど、それではまって今年は他の作品にも手を出した。個人的にはけっこう当たり外れがあるな(もちろん私の好みの上での)と思った。迷路館や時計館みたいなのが好き。

あとは山本文緒無人島のふたり』が心にずしんときた作品だった。書くことが生きることのような人でないと残せない作品だと思う。

来年はエンジンかかりっぱなしだといいなあ。

本31~42

マイ・ロスト・シティー』フランシス・スコット フィッツジェラルド (著),, 村上 春樹

欲望に少しの傲慢さ、そして喪失。翻訳者・村上春樹の出発点ともなった作品集の改訳。

 

『ブラック・コーヒー』    アガサ クリスティー

クリスティーが、初めて手掛けたオリジナル戯曲「ブラック・コーヒー」。科学者エイモリー卿の邸宅の金庫から書類が盗まれた。エイモリーポアロを呼び寄せ、邸内にいた容疑者全員を集める。

 

『黒いハンカチ』小沼 丹

A女学院のニシ・アズマ先生のもとにもたらされる謎。彼女は鋭い観察眼と明晰な頭脳でそれを解き明かす。昭和三十二年四月から一年間、〈新婦人〉に「ある女教師の探偵記録」と銘打って連載された短編集の文庫化。

 

時計館の殺人 上・下』綾辻 行人

鎌倉の外れに建つ謎の館、時計館。館に棲むという少女の亡霊と接触した交霊会の夜、閉ざされた館内では殺人劇の幕が上がる。

 

水車館の殺人綾辻 行人

仮面の当主と美少女が住まう水車館。嵐の夜に起きた惨劇、その一年後、再び当時の関係者たちが館に集まる。

 

『山は輝いていた:登る表現者たち十三人の断章』神長 幹雄 (編集)

「山と溪谷」元編集長が厳選した登山史に刻まれる名著、名文。

 

『きれいな気分、軽い感情。 つれづれノート44 』銀色 夏生

つれづれノート44。

 

『これで死ぬ アウトドアに行く前に知っておきたい危険の事例集』羽根田 治

アウトドアでの死の事例53から学ぶ。

 

『卵のふわふわ 八丁堀喰い物草紙・江戸前でもなし』宇江佐 真理

再読。「淡雪豆腐」に「黄身返し卵」。忠右衛門の「喰い物覚え帖」は、江戸を彩る食べ物と、温かい人の心を映し出す。

 

『黒部源流山小屋暮らし』やまとけいこ

イラストレーターの著者が薬師沢小屋で働く日々をイラストで紹介。

『自信のない部屋へようこそ』雨宮 まみ 

長年1Kの賃貸に住む著者が、自分なりの理想の部屋に近づこうと奮闘する等身大エッセイ。

本20~30

『レッドクローバー』まさき としか

東京のバーベキュー場で起こったヒ素による大量殺人は、十数年前に北海道で起こった家族毒殺事件の生き残りの少女ー家族が殺された部屋でカップラーメンをすすっていた少女ーを思い出させた。

 

『ある行旅死亡人の物語』    武田 惇志、 伊藤 亜衣

はじまりは、たった数行の死亡記事だった。警察も探偵もたどり着けなかったある行旅死亡人の正体を探る。

 

無縁社会からの脱出 北へ帰る列車』西村 京太郎

土手に立つ廃屋で、老人の死体が発見される。無縁死かと思われた被害者だったが、一千万円以上の預金を残していた。十津川警部の長編ミステリ。

 

『ファスト教養』レジー

古典も名著をスキルアップのためにYouTubeでかいつまみ、インフルエンサーからは論破術を学ぶ。このような教養を著者は「ファスト教養」と名付けた。

 

模倣犯1~5』宮部 みゆき

未曾有の連続誘拐殺人事件を重層的に描いた現代ミステリの傑作。

 

『乗客ナンバー23の消失』Sebastian Fitzek , 酒寄 進一(訳)

囮捜査官マルティンのもとに、5年前に豪華客船「海のサルタン号」船上から忽然と姿を消した妻子にまつわる秘密を明かすという連絡が届いた。マルティンは忌まわしき海のサルタン号へ乗り込む。

 

人形館の殺人綾辻 行人

父が遺した屋敷、顔のないマネキン人形が邸内各所に佇む「人形館」に住むことになった飛龍想。街では通り魔殺人が続発し、想一自身にも姿なき脅迫者の影が迫る。

SNS

X(旧Twitter)がイーロンさんに身売り(身請け?)されてだいぶ経ちます。

「いってもそう大きく変わらんだろ」な感じでいつつも、念のため他のアプリを模索していたりしたわけだけど、やっぱりTwitterに代わるものって難しい。

色々あったけれどTwitterはシンプルなんだよね。例えば、分散型サーバのSNSは「とりあえず公式か大手選んでおけばいいんじゃ」とは分かっていても、面倒くさがりの私には「選択肢がある」っていうだけでもうハードル高い。それに私はもともとTwitterにある「~クラスタ」という存在が苦手で、以前某ゲーム好きの人をたくさんフォローしていたら、いつの間にか私もその一員と思われていた時には戦慄し、即対象のフォロワーを減らしたりした。なんでもすぐに徒党を組まないでほしい。こっちは年齢一桁の頃からそういの苦手なんですよよ。だから「何々好きが集まるサーバ」とかもうそれが存在してるだけで苦手アプリになりかねないのよね。

マストドンはそんな感じで分散型、しかも良いアプリが見つからないときた。Twitterを公式アプリのまま使用していた私に言われるレベルなのでよっぽど。

タイッツーは割と好きだけどブラウザだからなあ。あと、上記に書いた理由(クラスタ嫌い)からもハッシュタグ機能が追加されたのが残念だった。ハッシュタグって結局「数で主張を通す」ようなことに使われるからなあ。これも苦手。

で、一昨日ぐらいにBlueskyに招待してもらったんだけど、これも分散型なのよね。でもまあ強い意志がなければ公式でいっかって感じで迷うほどではなかったな。意外なのが立ち上がりの遅さ。β版なのもあるけど、青空をしばし見つめる必要がある。あとは、まだ言語が英語のみなのでバカ(わたし)にはつらい。でも使い勝手は一番よさそう。しかしβ版の期間が長すぎて、話題が持たずこのまま先細りしそうで不安。

ただ一番の問題は、私は積極的に絡んでいく方では決してないけど、Twitterでフォローしている人たちが(一部そうでもないけど)好きということ。この人たちがいないとこに行くのは意味ないなあとも言える。

みんなの生活を覗き見られないならば、もういっそブログに戻ろうかなんて思っちゃうわ。