ナデシコはっく

ネットでリベラルアーツ。。

なぜ自分だけが家事をしなければならない理由。

皆さまいかがお過ごしでしょうか?

今回は「なぜ女性の家事労働が減らないのか?」というお題です。

 

家事はちゃんと分担しようね!」と誓い合ったのに、結局は女性ばかり家事をしているのは耳が痛くなるくらいよく聞く話です。

ではなぜ家事分担が進まないのか?

 

思想の問題

夫は外で働き、妻は家庭に入る」の思想が根強く残っているから。

たしかに、この理論でうまく乗り切る事はある程度できますが、共働きの考えが入ると限界があります。しかし一度慣れてしまった考え方はなかなか修正できません。

また、女性にも原因はあります。それは、「不公平感」が低いことです。

自分の周囲に専業主婦や同じような状態の女性を見ると、「そんなもの」と流してしまうと、いつまでも自分だけ、、、となります。

 

テクニカルの問題

仕事にスキルが必要なように、家事にもスキルが求められます。

「ゴミ出しはちゃんとやってるよ!」という男性。

ゴミ出しは最もスキルのいらない家事です。

それに対して、スキルの必要なのが食事の用意です。

もともと家事スキルに差がありすぎると、できる人が多くの負担を必然的に抱えます。

両立しようと任せると逆に時間がかかってしまう。そして妻が家事をしてしまう。

家事だけでなく育児も同じことが言えます。

そして夫はいつまでも戦力外になってしまうのです。

 

希望水準の不一致

 

お母さんが専業主婦という人ほど要注意!

自分の身の回りのことを人にしてもらっていた人はスキルがない上に、家事、料理に求める質は高いです。

また自分がよくできるから相手にも高い基準を求めるということもあります。

この希望水準に差があると必要以上に気を使っストレスになったり、相手が合わせることができなくてどちらかに負担がかかるという状態になります。

 

結婚前に、夫となる人と「家事」に対する考え方、家事スキルの向上、希望の水準の3点は必ず確認しましょう。

 

結婚してからのストレスは大きく変わると思いますし、そのようなカップルが増えると家事分担をすることが当然のようなことになる日に近づく事は間違いないでしょう。

 

今回はここまでで。

ご機嫌よろしゅうに。

最貧困女子を救う方法として認めるべきか?

皆さま、いかがお過ごしでしょうか?

前回に社会問題となっている最貧困女子の現状について書きましたが、

今回は、実際にその救済の方法として考えられていることについて書きます。

現在、救済方法として出ている考えとして、

セックスワークの社会化があります。

具体的には、セックスワーク(性風俗)を公に認めること、職業として認めるということです。

一見、危ない考えに思えますが理由はあります。

セックスワークを職業として認めることにより、社会保障を受けれることができるようになるからです。

雇用関係のもと働き、適正な収入を得ることができ、かつ社会保険にも加入できる。

労働者としての権利を主張できる。

そして、なにより、闇の世界から抜け出る可能性が高くなる。

と言った利点が挙げられます。

しかし、簡単にできることではありません。

壁は沢山あります。

現在では性風俗は風適法(風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律)では合法であるにもかかわらず、そこに女性を斡旋すること(スカウト業)は職業安定法で違法になっているという矛盾があります。

まず法律の整備から入ること、そもそも上記の法律はいかがわしい性風俗業の規制が目的なので、逆を行く社会化への動きは大変困難になると予測される。

そして、最も犯罪付近にある仕事であり、そのボーダーラインを引くこと自体が難しいことが、大きな壁になると考えられます。

 

綺麗事のようにも考えられることですが、それでも無法地帯から生きるために身体を酷使する若い女性たちを、救い出すことができ、犯罪を防止できるのであれば、決して綺麗事ではないでしょう。

 

最も重要なのは性風俗という職業そのものの規模がより小さくなり、少女が犯罪に飲み込まれることがない社会が実現することです。

その実現のためにも、こうした考えの存在を多くの人が知ることで少しでも近づけたらと思います。

今日はここまでで。ご機嫌よろしゅうに。

 

ガラスの天井は無いと思う。

皆さま、いかがお過ごしでしょうか?

選挙の結果について、色々な声が新聞で読み取れます。

特に、小池都知事にのコメントには。

「鉄の天井があることを改めて知った。」

今回の女性政治家の当選は1割という。

落ち込みがうかがえるコメントです。

しかし、私はそんなに落ち込むことはないと思いますし、不倫報道やパワハラ問題など数々の問題もあったことも足をひっぱったと考えているからです。そして最も私かそう考える理由は、「鉄の天井」なり、「ガラスの天井」に敏感すぎると思うからです。

 

昨年のアメリカ大統領選挙でも、ヒラリーさんは選挙後に、「ガラスの天井」を用いてコメントしていました。

何かにつけて、「ガラスの天井」を持ち込むのは単なる言い訳のように感じます。

 

女性政治家がそのように考えている以上、私は女性議員は増えないと思います。

 

私たちにはもともとガラスの天井なんてないのでは?

あると思うから、できるのである。

ないと思えば無い。

私たちはもっと自由に考えていいと思う。

そして、もっと女性議員のことを知り、彼女たちは何を思い、この国を動かしていきたいのか?国会議員でなくてもいい。

世の中のために何かしようとしている人を見守るだけでも小さな力になる。

いっそのこと、議員を男女別で枠をつくり、選挙をしてみては?

意外と分けて男女を分けて考えれば、色々な考えを持った国会議員が誕生するのでは?

 

今日はここまで。

ご機嫌よろしゅうに。

下を見てごらんなさい。それが本当の真実なのですよ。

「世の中の誰にも世話をしてもらえない人をこそ、親切に世話をしてあげたいものだな。」

 

この言葉は、原爆の被爆者たちをケアしてきた正田篠枝さんの言葉です。

半世紀以上前の言葉ですが、今を生きる私たちに対する重要なメッセージでもある。

 

最近ではメディアに取り上げられる様子はほとんどないですが、こちらの言葉と書籍はご存知でしょうか?

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「最貧困女子」三年前に出版された書籍です。

最先端の問題ではありませんが、今現在でも何も施されていないままの問題です。

今回は改めて取り上げます。

 

最貧困女子とは?

貧困という言葉から連想できるように、かなりの低所得である。所得で言うと100万前後になる。

この条件だけでは単に「とても貧しい女性」と言うだけで終わってしまいますが、最貧困女子はこれに加えて、

家族の無縁。

地域の無縁。

制度の無縁。

の要素が加わりますが、これだけではない三つの障害を抱えている場合もかなりの確率で存在しています。

精神障害

発達障害

知的障害

この三点は理解されづらく、支援が受けづらくなります。

これらの要素を抱えて、必死で生き延びようとしている女性が世の中に存在しているのです。

 

彼女たちの悲惨な状況。

三つの無縁を具体的にいうと、

家族の無縁とは、家族がいないというわけではなのです。親がいても、暴力を振るわれたりしている。又は親が何度も変わるなどした不安定な家庭であること。

などがあります。

地域の無縁とは、自分の住む地域の人たちとの関わりがない。もはや、「ご近所さん」といった人は存在しない。相談できる人もいない状態。親の都合でいろんなところを渡り歩き、義務教育ですらまともに受けれない、学校に通う機会、ゆとりもない状態です。

 

制度の無縁

制度とは、いわゆる社会保障のことです

なぜ社会保障と無縁になってしまうのか?と言うと、親の暴力から逃げるため、彼女たちは夜に外に出て行かざるを得ない。

そこで警察に補導されてしまうとまた劣悪な家庭に戻される。地元の児童相談所に相談したところですぐに状況が変わるわけではなく、応急処置程度にしかならない。

そして信用をなくして避けてしまうのです。

彼女たちが最終的に頼るのは、似たような境遇をしている人たちがいるところ、理解してくれるところ。

そこで闇の世界の人たち、風俗業が関わってきます。そして制度と無縁になっていきます。

 

一度入ってしまえば出ていくことはとても困難な状態になり、見えない存在になってしまうのです。

そこで彼女たちは、「生きるために売春をする」ことになってしまうのです。

 

生きるためのセックスワーク

彼女たちは義務教育を受ける機会もなく、恐怖と貧困から逃げるために自らの身体を売りに行きます。彼女たちには自分の身体そのものが商売道具とかし、自らの身体を壊していきます。

自分の周りには同じような人たちや業者しかいない中、どうして救われようか。そこに知的障害を抱えていたらもはや助けを呼ぶということですら考えなくなって行く。

救えない存在になってしまう。

 

書籍には、実際の彼女たちの声が読み取れる。

私自身心が締め付けられるような思いでした。

自分が普段どおりの生活をしている中、彼女たちは生きるために身体を差し出している。

そして、今もどこかであげることのできない悲鳴をこらえて生きている。

 

最近はまた、ホステスをモデルとしたドラマが復活していましたが、メディアはその華やかな部分を見せるだけであり、現実に起こっていることにはノータッチである。芸能人がそういう世界の彼女たちに関わったとしても、根本的な問題に触れようともしない。

メディアの取り上げ方がいかに偏った誤解を招くものか?

真実を知るだけでも構いません。

しかし、やってくる情報を鵜呑みにして、真実を知らずに誹謗、中傷するだけになることは許されないです。私たちはその情報の裏側を考慮しないといけません。