魔女見習い感想戦(ネタバレあり)
11月14日
公開翌日に勢い勇んで鑑賞しに行った
魔女見習いをさがして
昨日はその熱のまま自分の感じたことをネタバレしない範囲で書かせてもらったのだが、今日は「ネタバレ」というよりどちらかというと「自分だったら見た後に感じたい内容」を中心に書いていこうと思う。
昨日書いた感想がこちら
昨日も書いた通り、
僕はこの映画を鑑賞する前は「僕の大好きな『おジャ魔女どれみ』が資本に汚されるのでは?」という不安を持っていた。これは何かひとつアングラな趣味を持つ人は誰もが共感できる内容だとは思うし、それこそ現在の鬼滅の刃における憂き目とはまさにそういったせめぎあいであると思う。
コマーシャル時点に発表されていた3人の主人公も「おジャ魔女どれみ」というコンテンツを消費する媒介でしかないと感じていたし、キャストが発表されたときにはやはり憤慨し、「この作品は別物。こいつらは別にMAHO堂じゃないんだから」と自分に言い聞かせながら平常心を保とうとしていたほどだった
しかし上記のような不安はすべて杞憂だった。杞憂で本当によかった。むしろ僕は今もたくさんの人の感想をもっと聞きたいし、作り手の皆さんのインタビューなども積極的に読んでいる。
魔女見習いをさがしては
3人の別々の悩みを持つ女性が「おジャ魔女どれみのファン」を共通点に出会い、それぞれの悩みや考えを共有することでおジャ魔女どれみがかつて提示した「魔法を通じて、魔法を使わずに現実と戦う大事さを学ぶ」という
メインテーマの先を見せてくれた
素晴らしい映画だったのだ。
OPが100点すぎる
まず、この映画は誰が見ても素晴らしい作品だとは思うが、主な形としては「かつておジャ魔女どれみを愛してきた人たちに向けた、盛大なオフ会作品」であることは間違いない。スタートで主役3人のキャラクターが紹介されていくのだが、まだこの時点での僕の気持ちは「いいからMAHO堂を出せ。話はそれからだ」くらいの気持ちだった。
それぞれが自分のいる状況に苦悩しながら、その周囲の人々と会話するのだが
そこで耳なじんだ声を耳にする。
「・・・ももこ・・・?」
モブキャラに逐一MAHO堂メンバーの声優さんたちがキャスティングされており、各所に散りばめられている。新谷さんとかもいたりして…それに気づくたびにニヤニヤが止まらない。ファンにはとてもうれしい遊び心だ。
そうこうしているとこの映画のOPテーマが流れる・・・
このOPが100点中の100点なんだよ。
「おジャ魔女カーニバルのREMIXにおいて最強」だと思う。DJの機会があれば即座に流したい…
それぞれが憧れるキャラ
主要メンバー三人の設定や現在の心情が描写がある程度出揃ってきた頃、僕はもう既に上記の不安が薄れてきていた。それぞれの立ち位置のリアリティや真実味がすごくて、おジャ魔女との出会いと、おジャ魔女とどう向き合って今があるかなどについても細かく練り込まれていた。
特に「リアルだな・・・」と思ったのはこの三人が好きなキャラクターの話。
一番はづきちゃんっぽい雰囲気を持つソラがどれみにあこがれていて、一番どれみっぽい雰囲気を持つレイカがあいこにあこがれている。一番あいこっぽい雰囲気を持つミレがはづきにあこがれている。自分にないものをおジャ魔女という媒体を通して「憧れ」にしている部分がある。
ソラの「告白」、レイカの「自分の幸せと向き合う」、ミレの「職業選択」という部分はそれぞれが憧れにしていた対象とリンクする部分で、この3人がおジャ魔女から受けた影響と現実とのリンクするとても綺麗な流れで説得力がすごい。
さらにこの「憧れ」の設定ですごいな・・・と思うのがミレについてだ。ミレは帰国子女でバリバリのキャリアウーマン、むしろ信念や野心の強いおんぷちゃんに憧れを持ち、それをアピールすることで自己肯定感を高めるというのがリアルだと僕は思ってしまう。
しかしここで「はづきちゃんに憧れている」という部分が、後のレイカのところまで謝りに行く展開やMAHO堂という輸入雑貨店をオープンさせるという選択にとてつもなく信憑性を感じさせる。
途中で出てくる大宮君がおんぷちゃんに強く憧れるのも、SNSなどにおける承認欲求がとてもあらわれているし、「自分のダメな部分を心底理解しているのに、つい承認欲求に負けてしまう」という悩みとかリアルすぎて・・・もはや引く
MAHO堂メンバーを出さずにおジャ魔女を感じさせる「魔法」1
おジャ魔女どれみのすばらしさは「深刻なシリアスさと、子供が親しめるかわいさを混同して描き切るところ」だと僕は常々思っているのだが、この映画に関してもそのバランス感覚が発揮されており、なによりそこが「MAHO堂メンバーの登場無くして、おジャ魔女を強く感じさせる背骨」となって僕たちを魅了したと言って過言ではないと思うのだが・・・
この3人の持つ苦悩のリアリティでとにかくすごいのが、3人とも何か理不尽な被害で悩んでいるのではなく、ちゃんと自分のせいでもあるということ
レイカでいえば、彼氏がクズミュージシャンで、常々金銭を貢いで付き合っている。(ここでフリーターという設定が活きてくる)。生活は苦しいし、ちゃんと別れなきゃってわかっているけど・・・というもはや「ラジオのテレフォン人生相談か?」と思ってしまうほどの重さなのだが、
これってちゃんと「別れられない自分」にもしっかりとエラーがあって、だからこそこちらもリアリティを感じることができる。
そして
これをミレの一本背負いで解決するコミカルさこそ「おジャ魔女」で、その後一瞬でレイカが上京し、ミレとの共同生活をスタートすることでミレのズボラさなどがしっかりと表れてくる。
このテンポ感の気持ちよさもまさに「おジャ魔女」なんだよな・・・
もちろん、京都で修学旅行のとリンクして告白をもってきたり、白川郷の旅行で父と出会うシーンをやったり、そこまでの魔法玉を追いかけるシーンなんてまさにおジャ魔女そのものだったし、みてるこっちがワクワクするおジャ魔女感も満載なんだよな
ソラも、発達障害の子供に一番やってはいけない「ちゃんとみんなと同じように勉強しようね」というのを最初やってしまうのだが(最初から重すぎ・・・)
ここにも新人の失敗が自分の思惑以上に跳ね返ってきてしまうショックと、しかし自分の発言もしっかり間違えており、ここの善悪のバランスもリアリティを保つ上で素晴らしい点だった。
ソラと、この発達障害の子供が互いに影響されあって成長していく様は、まさにソラが憧れた春風どれみがたくさんの悩めるキャラクターに寄り添ってきた姿そのもので、僕はこのシーンで涙が止まらなくなってしまったりした。
今回初監督の鎌谷監督がパンフのインタビューで「おジャ魔女を観た時に、『シリアスとコメディのバランスによって、見続けられるラインを保っているところが凄い』と思った」と語っているだけあって、それが設定にも脚本にもしっかりと表れていたのがとにかくすごい。
感動しかないです。
MAHO堂メンバーを出さずにおジャ魔女を感じさせる「魔法」2
昨日書いたブログで「現代的な映像とおジャ魔女的絵柄の最強のMIXを体験した」のようなことを書かせてもらったのだが、このことについてまずは細かく語りたいと思う。
まず今作の舞台は現代日本。実在の聖地や駅、街も出てくるわけなので、本家おジャ魔女と同じビジュアルだとそのリアリティは目減りしてしまう。しかしながらこの作品はおジャ魔女でもあるので、このバランスがめちゃくちゃ繊細で難しいことだと僕は思うし、それが想像できないからこそ「おジャ魔女どれみ16~19のアニメ化は難しいのでは・・・?」と常々思っていた。
しかしこの作品はリアルな背景、頭身高めのキャラながらもしっかりとおジャ魔女的デフォルメに違和感が本当にない。
当時のおジャ魔女どれみはセリフと表情でたくさん新しい表現に説得力を持たせて来たが
今回は20代女性の機微を描く上で、仕草やカット割にも工夫が多い。
その中でも驚きだったのが
ソラがエロいことだ
みんな、わかるか?
ソラがエロいんだ
おジャ魔女的デフォルメラインを持ちながら、リアルな鎖骨のラインを持ち、絶妙な肉感。そう、馬越さんが僕のヒーローアカデミアで教えてくれた、
馬越肉感なのだ
ぼくは馬越先生の女の子キャラのデフォルメ感と肉感の同居に興奮する男子なのだ。
ソラが温泉で自分の現状を苦悩しながらうつむいて語るシーン
このシーンがめっっっっつっつちゃくちゃエロいからみんなもう一度見て
教育実習生としての現実に葛藤するソラの社会的、精神的な大人になるまでの女性らしさの生々しさが描写として完璧すぎて…
色々想像してしまいました。(気持ち悪)
おジャ魔女でエロを感じることができる日がくるなんて・・・
逆に、ダメ彼氏と長く付き合っていて直接的に伝わりやすいレイカに関しては連想させるようなシーンは敢えて少なく、表情の描写が多いのも素晴らしい。あの色気の無い紫のカットソーとかリアルすぎて本当好き…
あと魔法玉を追いかける時に出てくる女子高生の鎖骨とかもとても綺麗なんだよな…
とにかく表現力がすごいです。
そしてこちらも昨日書かせてもらったが、奥さんの劇半が最高にマッチしていること。
ゲームのリメイクなどでもよく感じることだが、「あの時のあのbgmが再び流れてテンションが上がる」なんてレベルのものではなく、「あの時のあのBGMなのに、しっかりと今のソラたちのBGMになっている」
というとてつもない説得力だ。これは奥さんがパンフのインタビューで言っていた「あくまで絵をしっかりと引き立てるために試行錯誤した」という言葉そのままに表れていた。
ファンサービスという段階を既に大きく越した次元これを「魔法」と呼ばずして何と呼ぶのか・・・
昨日もEDの話をさせてもらったが、
OPもそうだが、EDも入り方が完璧すぎる。
以前に映画批評で宇多丸さんが
「タイトルが気持ちよく出る作品は基本良作」
という名言をおっしゃっていたが、今作はまさにOPとEDのもつカタルシスをタイミングからも感じることができる。
魔法なんだよ、、、本当
魔法と向き合うこと
おジャ魔女好きの3人は、おジャ魔女好きネタを小出しにしつつも現実の問題に無理やりこじつけたりせず、しっかりと視聴者に浸透させながらこれまでおジャ魔女らしさを表現してきた。
どれみ、ぽっぷ、渓介の声に導かれながら「魔法」について考えるシーンはまさに白眉で、関Pも言っていた通り「魔法に頼らないで自分で現実と向き合うことの大切さを魔法を通じて学んでいく物語」であったおジャ魔女どれみからソラたちはもうひとつ先の結論にたどり着く。
これは逆に魔法が存在しない現代だからこそ生まれる解釈で、「私たちがみんな持っている個性そのものが『魔法』で、その魔法が私たちを親友にさせてくれた」という考えだ。
これがなによりすごいことで、
ファン向けの作品でおジャ魔女どれみが作ったテーマを更新してしまったのだ。
だれもがもっている悩み、もしかしたらそれぞれが持っている魔法で解決していけばいいのではないか?それはズルではなく、協力で、
むしろ今はただの性格でも、その性格や個性が誰かの力になったとき、それが魔法なのでは?
なにより僕はこの作品そのものが
「魔法」だったと思うし
本当にこの20年自分が生きてきたすべてにおジャ魔女どれみを愛し続けたことそのものにこの映画が光を与えてくれたとしか思えなくて、
「おジャ魔女どれみって本当はキャラだけじゃなくてめちゃくちゃ話がすごいんだよ」
と言い続けた日々に、ひとつの赤丸をもらえたような。
そんな素晴らしい映画だったと思います。
言いたいことは尽きませんが、もしこの映画を見た人がいたら是非感想を言い合いたいです。
この映画から他の人がどんなことを受け取り
作りてのみなさんがどのように考えてこれを作ったのか。そんな興味をもってしまうような不思議な魔法を持った映画でした。
円盤化したら必ず欲しいです。
本当にありがとうございました。
魔女見習い感想戦(ネタバレなし)
「魔女見習いをさがして」
という映画を鑑賞してきました。
www.lookingfor-magical-doremi.com
ご存じのとおり。こちらは伝説のニチアサ女子向けアニメ「おジャ魔女どれみ」の20周年記念のシリーズ作品である。
この作品が公開されるまでの間、新型ウイルスの蔓延もありエンタメ関連のお仕事をされている皆様は本当に大変だったと思うし、無事にこのように上映されることが心から嬉しい。
本当にありがとうございます。
僕はまだ生きてます。
魔女見習いをさがしてをさがして
2019年2月のこと・・・
僕はおジャ魔女どれみが放送開始から20年ということでこんなブログを書いた。
この記事を読んでいただければ、いや読まずにスクロールして眺めるだけでも・・・それだけでも「おジャ魔女どれみ」という作品が僕にとって心底特別な作品であるという気持ちだけは禍々しい熱気とともに伝わってくるだろう。
そんなタイミングで最高にうれしいニュースが飛び込んできた。「どれみ20周年」に際して新作映画が決定したのだ。ポスター画像には「魔女見習いをさがして」の文字・・・その時点でどんな映画かわからなかった僕は、久方ぶりの映像化に涙を流して歓喜、他人にはとてもお見せできない顔面で喜びを表現した。
その後この映画の情報は次第に解禁
どうやら今回の映画は
ではなく
『おジャ魔女』というアニメを愛する3人の女性が出会い、
それぞれの人生の苦悩を共有しながら切磋琢磨していく物語
だというのだ。勿論なんとなく知っていたが知った当時は驚いたし、さらに新しい情報を目にするたびに僕の中で気になる点が浮上していった。古参魂にあれよあれよと火がつき、僕はどんどん「おジャ魔女モンスター」へと変貌していくのだった。
ということはおジャ魔女は出ないのか?
おジャ魔女好き三人娘の友情?オフ会じゃん!
芸能人声優?ふざけんな!
節操無くそこらじゅうのメーカーとコラボするな!!
僕は激昂した。
磯野波平がノリスケに出入り禁止を申し伝える時かのように「烈火の如く」騒ぎ立てた。おジャ魔女どれみへの純粋な愛が強すぎるためだったのだろうか・・・とても恥ずかしいことだとは思うが、僕はこの新作映画に不安を感じてしまった。あれだけ愛し、絶対な信頼をおいてきたおジャ魔女チームのスタッフさんたちすらも信じられず、
僕は「魔女見習いをさがして」を完全に見失っていた。
11月14日
僕の中ではモヤモヤは残りつつも、朝から車に乗り込み映画館へ向かう。
勿論「魔女見習いをさがして」である。
おジャ魔女どれみを愛してきた自分として、難癖をつけて行かないということだけはしたくなかった。「余計な販売促進にばかり目を取られるな・・・作品に集中しろ・・・」そう自分に言い聞かせながら映画館へ。
朝8:30
座席は鬼滅の刃からすれば微々たる埋まり具合ではあるが、確かにおジャ魔女どれみを愛する人たちが集まっている。
ここまで来たらやるしかない。
うだうだ言わずに見るんだ!
数えきれないセルフ押し問答の末、
久しぶりすぎて映画泥棒の映像が新しくなっていた事も今日初めて知った。
映画の感想
さてここまで色々書いたが
上記の部分は飛ばしていただいて良い。
なぜならこの映画、
「おジャ魔女どれみの視聴者3人を主人公とした物語」でありながらしっかりとファンサービスとして完成した映画だったからだ。
正直平たく言えばアニオタ3人の「オフ会」とそれぞれのバックグラウンドを描いて、どれみキャラの決めセリフとか言わせまくるあざとい作品になってしまうのでは・・・という懸念もあったりしたのだけれど、
しっかりこの3人の魅力を感じられた
それぞれの苦悩、葛藤が
おジャ魔女どれみが持つシリアスとコミカルの絶妙なバランス、世界観といやらしくなく絶妙にリンクし、しっかりとそれを保持しながらストーリーが進む。
本人達出さずしてしっかり
「これ、おジャ魔女どれみだ・・・」
と思わせてくれるっていうのがとにかくすごいと思うし
おジャ魔女どれみを見続けてきた人にぶっ刺さりまくる作品だと思いました。
これは昨年のブログでも書いたことだけれど、おジャ魔女どれみのイメージって実は大半の人がキャラや魔法シーンに依存していて、回顧して話す時もそこが取り沙汰されがちだったりする。おジャ魔女どれみが内包している「魔法の在り方」や「厳しい現実」の存在は受け止めている層とそうではない層がある作品だともいえる。
しかしこの映画はおジャ魔女どれみが持つシリアスさを前面に出さず、キャラ萌えも出しすぎず、映画の主人公たちの現実とその乗り越えにかかわる部分にしっかりと「おジャ魔女」のベースを感じさせる
パンフレットに関Pやサトジュン監督のインタビューも載っていたのだが、当初脚本時点では「20年後のどれみたちを描いた物語」のパターンも存在してどちらも書き上げてくれていたらしい。しかし「おジャ魔女どれみを見てきた人以外にもこの映画を楽しんでほしい」という思いから今回の物語に舵を切った。
この英断と強い信念、「おジャ魔女どれみ」というコンテンツの持つテーマやメッセージにブレることなくストーリーを作り上げてくれたことがとにかくうれしかったし、ファンが夢見る「おジャ魔女どれみ16~19映像化」という未来も感じさせてくれた。
是非あのビジュアルで作ってほしい・・・
みどころ
① 絵
この映画の魅力はとにかく「絵」だと思う。
「現代的アニメの造形」と「おジャ魔女的」のMIXが素晴らしすぎる。
徹底した絵作りのおかげでこれがおジャ魔女の世界ではなく現実世界で、おジャ魔女はあくまでテレビの中の話だということは一目瞭然になっている。なのにそれでいてちゃんと
これおジャ魔女だ・・・
と思わせてくれる。これこそ魔法じゃん・・・
② 音楽
オープニングテーマのアレンジも拍手したいくらいすばらしかったのだが、BGMがとにかくすごいと思った。元々女子向けアニメのBGMの数々が、20代女性のリアルにマッチングするようにアレンジされていて「あーこのBGM!!」と何度もなった。これが上記の絵と合わさることで
これおジャ魔女じゃん・・・!
と何度も思わせてくれる。だからこれも魔法なんよ・・・
奥慶一さん本当にありがとう
音楽といえば
おんぷちゃん(cv:宍戸留美)の歌うエンディングテーマ言わずもが最強。ラストをカバー曲にしない点もさすがとしか言いようがない…
③ バランスがよい
この作品は主人公が20代女性3人組、
この手の群像劇だとキャラごとで話の厚みに偏りが著しく出ることがままある。
「魔女見習いをさがして」は主人公3人のエピソードや見せ場のバランスがよくて素晴らしい。
おジャ魔女じゃん・・・
魔法じゃん・・・
おわりに
正直、おジャ魔女どれみってあの4年+ナイショで完成してる物語だと思うし、16~19もアニメ化してほしいけど全然いいイメージ沸かなかったけど、おジャ魔女どれみの世界観で現代にアップデートする上での正解を見てしまった感がある。
この映画に向けた宣伝のノリに関しては「みんなどれみちゃんの魔法にあこがれたでしょう??」のような上澄み感あふれるノリに不安も覚えたのだが、蓋をあけたらゴリゴリのどれみイズムが詰まった映画だった。
ファンに嬉しい小ネタや、Kダブシャインなども含めて見どころは多いんだけど
もしこれから見るという方がいれば、主人公3人を愛せるかどうかで結構変わってくるところは大きいと思うので、是非最初は「アニオタ3人のオフ会だろ???」という気持ちで見始めてほしい。
明日ネタバレあり版の思ったこと全部書くやつもUPするんで
よかったらそちらも是非見てください。
いまさらアベンジャーズ2
たまたま視聴してどハマりした
スパイダーマン-ファーフロムホーム
MCUシリーズ未見でシリーズの特性も知らなかった僕は、この映画を見ることでアベンジャーズ エンドゲームの結末を知ることとなる。
折角好きになった作品を120%楽しみたいと思った僕は、アベンジャーズエンドゲームにたどり着くべくひたすらに見進めていくのだった
友人にまずエンドゲームまでの最短ルートを聞いてみると、
「スパイダーマンが初めてアベンジャーズに参加する『キャプテンアメリカ シヴィルウォー』はどうだ?」
と言うので
そこから見ることに。
しかし結果思うことになる。
「やっぱりキャラ全然わかんねえ…」
ヒーローそのものや能力は知っているが、変身前の俳優さんなどが頭で変換できない。
wikiを観ながらの視聴となり入ってきにくい
そして何より
「これ、前2作観てないと面白さ半減するやつじゃねえか!」
とりあえず翌日シヴィルウォーを勧めた友人の家の前で脱糞し、前2作を見ることに。
実はいかにもパトリオットでプロパガンダ臭漂うキャプテンアメリカというキャラクターがあまり好きではなかった僕からすると、この2作を観たことでかなりイメージが変わり、愛せるようになり、逆にアイアンマンことトニーへのヘイトを溜めることとなった。
ここまで
一気に映画をたくさん観て疲弊していた僕だったが、流れ上はガーディンズオブザギャラクシーを観なければならない。
何よりこの時点ではなかなか楽しみつつも、まだ「消化している」という側面も心にはある状況で、エンドゲームまで見切る前に飽きてしまったらどうしよう…などと思っており不安があった。
実はガーディンズオブザギャラクシー、どのような映画かはそこまで知らない状態でトレイラーだけ見たことがあったのだが、全然魅力を感じていなかった。
個人的に主役チームの造形がダサくて華がなく感じる。何よりスペースオペラ系のアクション映画ってstar warsを含めてもそこまで「大好き!」ということもなかったので、
「スーパーヒーローなのに宇宙かあ…しかもダサい…」
くらいの気持ちではあった。
追記:色々調べてみるとトレイラー時点で僕がガーディンズオブザギャラクシーに興味が持てなかったのは相変わらずセンスの無い日本の配給会社によるもののせいだったと後でわかった。
vol.2の邦題「Remix」もひどい
しかし
このような不安が嘘のように僕好みで最高の映画だった。
イントロ時点でのワクワク感も半端なくて
タイトルの出るタイミングも
「オオオオ!!」と沸き立つ感じ。
宇多丸さんが以前
「作品タイトルが気持ちよく出る作品はそれだけで最後まで楽しめる」
と言っていたがとても同感。
音楽の使い方もこれ見よがしな「オシャレでしょ?」感がなく、往年のロック&ポップスの楽しさと愛らしさとダサさを活かしきっている。
ド派手でカラフルな演出とチープでくだらないやりとりのバランスも素晴らしくて
「スタイリッシュなダサさ」
という衝撃があった
囚人達が結束して脱獄し、その後も行動を共にする中でなんか世界を救ってしまいヒーローになる。という流れはそこまで新しくないし、メンバーもぱっと見やはり華がない。
しかし華が無いことによる雑草感や親近感がとても沸くし「家族感」がある。
よくただただ長く一緒に戦っててお涙頂戴に「家族」とか言っちゃう作品とは違って
ぶっきらぼうなやりとりと、そこから見えてくる実際のそれぞれのバックグラウンド、そんなちぐはぐなやり取りの末に見事な連携で勝利し、最後にクィル流す「音楽」でみんな一体になるところも含めて
自他共に「こいつら家族だな」と真実味をもって観られるのも本当すごい。
それがあるからこそ家族のあり方や愛をしっかりと描いたvol.2にも真実味が感じられるし、「出た〜お涙頂戴」と思わずに純粋に感動できた。
見事な連携
という部分もよくある主人公の「潜在的謎パワー」による勝利ではなく、一長一短あるキャラクター達が音楽にノリながらそれぞれの個性を活かして勝利する。さらにその流れもしっかりと納得できるからこそ気持ちいい。
そしてその勝利も、バカ家族のバカ性からの勝利で敵を怒らせ、結果大きい戦いに発展してしまうことも「因果応報」になっており納得がいく。
結果
映画をたくさん見ているわけではない僕からすると既に自分の好きな映画ランキング上位にきてしまうのでは…?と思うくらい好きになってしまった。
と、
ガーディンズオブザギャラクシー1.2があまりに自分好みだったので
そこからこのMCU作品への興味が爆上がりしてしまい、もはや消化ではなく早く先を見たくて仕方なくなってしまった。
追記すると基本は吹き替えで車の中で観ており、「おおおおっ!熱い!」や「あああ……ヨンドゥ…」や「クゥゥゥッ!最高!!!」などを声に出しても許される環境だったので、より気持ちが高まったというのもある。
このあとアベンジャーズ3 であまりにも悲しいラストに自宅でガクガクしてしまうのだが…(3のラストのバトルシーンは家で観た)
サノスこえええ……
となるのだが
この時点でもう僕は「知識を得てやろう」とか、スパイダーマンを120%楽しむためなどではなく、純粋にMCUのヒーロー達にハマりまくっていた。
そしてついにその翌日
いてもたってもいられずにアベンジャーズの最終回ことエンドゲームを視聴するわけだが
今日のところは
クソして寝る
今回観た作品
1.スパイダーマン ファーフロムホーム
2.キャプテンアメリカ シヴィルウォー
3.キャプテンアメリカ ウインターソルジャー
4.アベンジャーズ エイジオブウルトロン
5.ドクターストレンジ
6.ガーディンズオブザギャラクシー
7.キャプテンマーベル
8.ガーディンズオブザギャラクシーvol.2
9.アベンジャーズ インフィニティウォー
10.アベンジャーズ エンドゲーム
いまさらアベンジャーズ
少し前のこと
奥さんとの休日
今日はTSUTAYAでDVDもしくはBlu-rayでもレンタルして映画でも観ようかという話になった。
普段は奥さんが観たいタイプの邦画か、もしくはディズニー系を観ることが多いのだが、
今日は僕が観たい作品を観よう
というので選ぶことにした。
僕は昔から映画好きというほど映画を観ていたわけではない。ましてやアメコミヒーローものもスパイダーマンシリーズを人の誘いで観たくらいで、そこから派生して色々観に行った記憶もそこまでない。あくまで人並みだと思う。
さすがに全くということはないが、決して映画好きを自称できるほどは観ていない。
何より高校生の頃にTrainspottingを観てからは完全に映画に関しても拗らせてしまい、ミニシアターものやロック関連の映画ばかりを観に行っていた。
またアニメ好きにつながるようなサブカル系映画ばかり見に行き、むしろ今思えば恥ずかしながらアメリカの大資本映画を馬鹿にしている節もあった。
「ドンパチアクションとか観てて疲れるから嫌」
とか言ってた。
そしてある時期以降はアニメ映画しか観にいかなくなっていた。
それもそれで楽しかったのだが…
そして今
そんな自分が「観たい作品」と言われても…
アニメ映画を奥さんと観る気にもなれず、
かといって宇多丸さんの映画評から気になっていた作品も奥さんが苦手な「シリアスでちょいグロ」な作品が多いし、それは本意ではない。ますますわからなくなっていた。
気持ちとしてはハッピーデスデイが観たかったけれど、グロさが想起される時点で奥さんには苦痛かも…と思うと僕も本意ではない。
そこで思い出したのが
スパイダーマン スパイダーバース
だった。
アニメではあるがいわゆるオタク的ではなく、そして観てみたかった作品だ。
よしスパイダーバース!
と決めて探し始めるがなかなか見つからない。
MCUでもないしアニメだからかもわからないが他のスパイダーマンの棚とは別のところにあるようだ。在庫検索したら1と出てくるがどこにあるかわからない。
しかも最近の田舎のTSUTAYAはセルフレジ制もあり店員があまりそこら中にいないので聞くのもしのびない。
もちろんprime等のウェブレンタルも可能だが敢えてこの日はレンタルして視聴するつもりだった。何か選ばねば…
何周もコーナーを渡り歩いた結果、苦し紛れに
スパイダーバースではなく昨年の批評家のランキング等でも軒並み好評だった
スパイダーマン ファーフロムホーム
を観ることにした。
まあこれもこれで面白いはずだ
そう言い聞かせながら家で再生すると…
驚いた点が2つある。
1つは現代のこういうCGアクション映画をひさしく観ていなかった自分からして、おしっこちびるくらい「おもしろい!!」と思ってしまったことだ。
今までの拗らせはなんだったんだ。めちゃくちゃ好きじゃないか…
スピード感、オフビートの良いくだらなさと心地よさ、敵の攻撃のカオティックで悪夢的な見せ方、主人公の青臭い思考と正義の葛藤。
何より魅力的な悪役…感動した。
もう1つは
MCUという映画シリーズの特性だ。
「これ、もしかして昨年公開のアベンジャーズのラスト作品から繋がってる…?」
と序盤で思ってから、中盤くらいで完全に
「おい、これシリーズ通しで観ないと面白さ半減するやつなのかよ!」
と思うこととなる。
僕はアベンジャーズというものを観もせずに大きく誤解していた。いわゆるヒーローものの「オールスター作品」というイメージが強かったが、実際はMCU作品全てが同じ世界線のヒーロー混在社会におけるクロスオーバーシリーズだとこの時調べて初めて知ったのだ。
僕はそういうシステムが大好きなのですぐに興味を惹かれてしまった。
これは観るしかないなと。アベンジャーズが終わった翌年になぜか決起してしまったのだ。
とはいえMCU作品は現時点でとても多い。
僕が映画をあまり観ない理由として、2時間ほど集中しなければいけないというものがある。1人でその時間を作るのは難しい上に腰も重くなる。その腰を上げるには「観たい…」という興味の持続しかなく、作品数が多いとそれも立ち行かなくなる。
途中でサジを投げるのはダサいと思っている僕は、とりあえずなんとなくフェーズ1をwikiで補完し(あとでちゃんと観るよ…)、そこからは独断と偏見でエンドゲームまでたどり着くことにした。
今怖いのはMCUガチ勢からの
「いや〇〇見てないとか話にならないから」
みたいな声である。
ナイーヴな僕はそれをされた瞬間にシリーズ自体への興味を失ってしまうので、現時点でそういうことを言う人がいなかったことに感謝したい。
今更ではあるがMCUシリーズ、
何作か観て既にどハマりしている。
久しぶりのブログだったけど、また映画について書こうかな。
とりあえず今日は
クソして寝る
映画の話
僕はあまり映画を見ない
あまり小説も読まない
僕が小中学生の頃、ある一定の頭の中は漫画やゲーム、J-pop、バラエティとテレビドラマで形成されていたわけだが、世の中的には「上等な趣味」として常に読書と映画鑑賞があった。
もちろんロードショーやレンタルで映画を見ることはあった。面白かったタイトルも多々あるし、サブカル趣味として好意的な作品もあるが、「映画好きです」と言えるほどの映画的なフェイバリットも無く、小説に関しても同じく今まで何冊も読んでは来たが、環境によって読む機会が限られてくる上にそれほど読んでいないので「読書家」とは程遠いと思う。
僕には色んな趣味があり音楽は1番の趣味になるとは思うが、映画と小説に深い洞察力が無いことに多少のコンプレックスはあった。
面白い面白くないの尺度も曖昧で、サブカル的知識欲求から要素ばかりを好んでいたせいか映画の良し悪しを判断することもできないでいたのだろう。
アニメを見るようになってからというものアニメ映画を見る機会が増え実写映画からより遠のいてしまったが、この時多数のアニメ作品を見ることで「作風や内容の良し悪し」がここにきてやっと判断し得るだけの尺度として機能し始め、ここで初めて作品に対して「許せない」という気持ちを持つようになった。
つまりある程度視聴者としてなんとなく観続けてきた自分にとって
「とても好き」「なんか嫌」の理由や判断力をもらったのはアニメのおかげとも言えるし、それまでに観てきた映画に申し訳ない気持ちにさえなった。
そんな折、結構前の話になるが
奥さんがサブスクを利用して映画を見ようというので一緒に見る機会があった
そこでもう何年前の作品となるか
「劇場版 踊る大捜査線3」を観た。
僕はテレビドラマの映画化に魅力を感じないタイプではある。テレビドラマそのものは小学生時代に見てそこそこ好きだった記憶もあったので観ていたのだが…
ここで初めて奥さんには申し訳なか思いつつ
「ひどい…なんだこの映画…」
という気持ちになった
どこがひどいと思ったかは色々あるが
登場人物がほぼほぼ馬鹿すぎるように見えた点が1番だろうか…
そこで初めて映画に対して自我と批評的目線を感じた。
自分で思い返しても目覚めが遅すぎて悲しくなった。以前にカレー馬鹿舌からの脱却も含めて、僕の中高大学時代というのは音楽以外に痛いところがありすぎて悲しくなるばかりだ。
タイムマシンがあってもどの時代にも戻りたくないし、強くてニューゲームするならもっと食や文化に対して「奥」を覗くようにしたい。そればかりである。
そんな映画への気持ちがありつつ、新たに色々な映画を観る時間も意欲も沸かない現状だったある日、YouTube上でオススメに「映画批評」が現れた。それも先ほどの踊る大捜査線についてだった。見た後の消化不良感で検索したためだ。
映画批評を情報番組で見かけることはあったが、それまでは「うるせえ…感想とかはそれぞれでいいだろ」と思っていたのだが、ライムスター宇多丸さんの「シネマハスラー(現:ムービーウォッチメン)」と今更出会ってそのアーカイブを聴くことで衝撃を受けた。
批評家というのが「映画を凝り固まった考えに当てはめて点数をつける人」と思っていた自分からするとかなりの衝撃で、
映画の良さ、着眼点に関してのガイドラインをなんとなく知ることができた。
どう受け取るもそれぞれ
なものであるはずの映画だが、僕のようなタイプには「映画の楽しみ方」の授業を受ける必要があったのだ。
そこで先述の「踊る大捜査線3」に関してもかなり酷評されていた。とても前のアーカイブで何年越しで聞いてるんだよ…と思いつつ僕がむむむと思った点をしっかりと批評してくれており、かなりの時間差でもってそれを味わった。
その後も沢山の観たことがない映画の批評を聞くことに楽しさを感じるようになり、なぜか「見たことない映画の酷評を聴くこと」が趣味と化してしまった。
もちろん絶賛の批評も楽しいが、なんとなくタイトルや宣伝を見て「これクソそうだな…」と思っていたタイトルの酷評を聴いていると心が癒された。
完全に歪んだ楽しみ方だと思うが、
なぜかそれをやめられない。
おそらく深夜ラジオ好きという趣味にリンクして変な方向性を持ってしまった結果なのだろう。
最近は宇多丸さんも酷評目当てで日本テレビ屋系映画を批評する機会も減ってしまったので、映画批評系のYouTubeチャンネルで、世間的に不評な映画などの酷評ばかりを聴いている。
特に今年は
僕はインキュベーターなのか?
わからないがいつかこの酷評系の映画たちも自分の目で見るようにしていきたいし、頭でっかちにならずに生きたいし、その情報だけで観た気にならないよう気をつけていきたい。
という気持ちで今日、酷評を聞いたついでに一作の実写化タイトルを観たのだが…
うむ
何やってんだろう…
クソして寝る。
カブトムシ
ラーメン二郎新潟店へ行った。
半年ぶりだった。
普段奥さんと行動するとなるとあまり行く機会がないラーメン二郎。1人で行動できるタイミングがあっても営業時間の関係からなかなか行けなかったりする。
僕はラーメン二郎が好きだ。
2年前の夏
ラーメン二郎の匂い立ち込める中、黄色い灯にたむろする二郎好き達を見て、僕の頭にaikoの名曲が浮かんだ。
甘い匂いに
誘われた私は
カブトムシ
そう。それくらい二郎の支配域は広く、店によっては駅を降りた瞬間その匂いが漂っている駅もあるほどだ。
それに誘われた男たちは「普通の人とは違う食の過ごし方」にイキりながらも中毒性のあるラーメンに吸い寄せられていく。
僕はラーメン二郎へ行くと必ずこの歌詞をツイートしている。
僕がまだ大学4年の頃だったか
先輩とスコセッシ監督のローリングストーンズ映画「Shine A Light」を観に行った時だった。
観終わって夕食を何にするか話している中で先輩の先導でラーメン二郎へ行くことになった。それとともに「ラーメン二郎」とは何かの説明があった。
その説明を聞いて全くイメージが掴めなかった。当時の僕のラーメンの視野は恐ろしいほど狭く、雰囲気だけグルメを装いながら、実のところ食に対するリテラシーも低かった。
まずすごい行列だ。こんなに並んでまでラーメンを食べたことは当時の僕にはなかった。
なんとか店内に入り、食券を買って店内へ。先輩とは席が離れてしまった。2人組でも離れてしまうなんて…という点も驚愕だった。
少しすると店員が僕に「ニンニクは?」と聞いてきた。
この質問はトッピングの加減をコールするための合言葉であるが、これに「yes/no」で答えてしまうのは素人の定番である。慣れてきた今でこそ「チッ…素人め」と思えるが、無論この時の僕は
「え…あ…はい」
と答えてしまうのだった。
また僕は食券の時点から負けが確定しており、ラーメン二郎のルールも何も知らない僕からすると「ラーメン小」は「小盛りのラーメン」であり、中盛りは普通盛りだと思っていた。
つまり僕は二郎のビギナーズらしすぎる出会いとして、想像を超える暴力的なラーメンが出てきてむせび泣きながら食うという経験をし、もう2度と会うことはないあのラーメンに別れを告げた川崎の夜だった。
つもりだった…
数年後
僕がJOHNNYPARKを結成すると
ラーメン好きなドラムの川村商店が僕や若を率いてラーメン屋へ行く機会も増えた。
そうするとまたラーメン二郎へと行く流れになった。僕は昔ラーメン二郎に受けたショックから不可解な気持ちはありつつも、あの豪快なラーメンを食べることへの憧れも少なからずあった。前回の失敗を踏まえて注文を済ませ、独特のコールも心の中で何度もシュミレーションした。
うまい…
その時初めて僕はラーメン二郎の美味さを確信した。それからというもの、メンバーでいろんな二郎へと行くこととなり、さらには得意のオタク気質で1人各店舗に奔走するまでになってしまった。
川崎、相模大野、歌舞伎町、小滝橋通り、立川、府中、仙川、中山、上野毛、亀戸、神保町、千住大橋、小岩、松戸、環七一之江、環七新代田、池袋東口、ひばりヶ丘、桜台、新潟、仙台…
行っている人はもっと行っているだろう。それはもちろんそうなんだけどとにかく行ける範囲は行ってみたいコレクター気質が発動してしまっている僕としてはこれは治ることがないのかもしれない。
現在はなかなか二郎へ行く機会が減ってしまったが、数年前に新潟に開店してくれたおかげで普段から行くことができる。
二郎というラーメンはアトラクションのようなもので、並び始めて食い終わるまでが一種の客も参加型の共同作業のような節がある。ルールというのは厳密にはそこまで厳しくないが、フランス料理並みにマナーが重要で、まるで客が店の流れをいかにスムーズにするか、いかにその1ピースとなれたかが重要かのような空間だ。それも踏まえて熟練の二郎好きはリテラシーが高くなっていく。
それを
「横柄でガンコなラーメン屋」
とするか
客参加型の協力で成り立つ
「そういうアトラクションラーメン」
とするか
それはそれぞれが判断すればよくて
嫌ならほっといてくれよ。
ということだ
そんな戦場で屈折した楽しみ方が板についた僕には新潟店はある種世間に迎合した作りで拍子抜けすることがある。
新潟店には二郎では極めて珍しくテーブル席がある。新潟には1人でラーメンに行く文化が薄いせいもあるだろう。
テーブル席が離れた位置にあることでカウンターで大声で会話する馬鹿な学生も減るのでこちらとしても名案だと思う。
そんな新潟店に久しぶりに行くと
店外には行列なし。ガッツポーズだ。
店内に5人ほど並んでいる程度だった。
中に入ると元気よくいらっしゃいませ
そして見慣れない女性ホールスタッフがいた。
新潟店は色札ではなく紙の食券を使用する
通常ならその色札を中の店員に見せて麺量を伝え、並んでいる段階からその量を茹で始め、席に着く頃にはラーメンが仕上がるようになっているが、新潟店は紙のためホールスタッフがそれを集めながら食券に書き込んでいく
そしてトッピングもそこで言う。
ラーメンの作り手から「ニンニクは?」
と聞かれてトッピングをコールするという楽しみが無いのだ。
そして新潟店は先にコールしておくせいか、コールが通っていないことが多かった。
「あれ、野菜と麺少なめって言ったよな…」
ということがある。
しかしこの女性スタッフはテキパキとその点を整理している…
「こんなの新潟二郎じゃない!ちゃんとしてるじゃん!」
そういった思いもあった。
通常は麺量を伝える際に言うはずの「少なめ希望」も
「あ、トッピングコール時に聞きますんで」と冷たく返す。二郎だ…!この冷たさ…新潟二郎も二郎っぽくなってきたぜヒャッホウ。
頭はおかしくなっていき、二郎脳になっていく
新潟店はマシマシのマシ量が少ない。
馬鹿学生が「マシマシを頼む」ということをしてイキリたいがためにマシマシを頼んで残すことが多いから減らしたのだろう(立川のヤサイコール時より少ない)、新潟のネット世代の学生はラーメン二郎への憧れが強いので「俺知ってるぞ!」とやりたいのだろう。
並んでいると僕の後ろにはカップルがテーブル席でラーメンを待っていた。
「ニンニクヤサイマシマシアブラカラメのお客様〜」
お、イキってマシマシか…どんなもんだ?
と振り返って見るとやはりそこまで多くないがやはりモリモリの野菜がそびえ立っていた。
すると男は
「カラメって醤油のことなんだぜ?知ってた?」
「見て見て。二郎タワーwwwパシャリ」
う
る
せ
え
し
ん
で
く
れ
まあ僕は心が狭いのでこういう客がいると発狂しそうになる。これ以上何も言うまい。今日も平和である。
僕の番になってラーメンが来た。
今日のラーメンは当たりだ。
豚も染みて塩辛すぎず、柔らかく、
スープも適度に乳化して完璧…
うまい…
至福の時を過ごした。
新潟二郎はまだまだ進化している
行列もろくに作れない新潟に
田舎のイキリ学生達に
これからも冷たい言葉で規律を与えていって欲しい。
以上レポっす。
クソして寝る。
ナンバーガールに囲まれて
ナンバーガールのライブを動画で観た。
ここ1年のナンバーガール再結成の諸々を見てきて、こんなにたくさんの人がナンバーガールを好きなんだな…と改めて思うと共に、自分にも大きい意味を感じさせてくれた。
僕にとってのナンバーガールの位置づけは特殊なものだと思っていて、今回はその微妙なニュアンスを描けたらと思う。
その日は休日。朝はプリキュアに癒され、昼は前回のブログの通りクソ客に憤慨し、夜は部屋で奥さんと見たいテレビ番組もなく録画したバラエティ番組を見ていた。番組そのものを観ているというより、テレビをBGMにまどろんでいるような状況だ。そんな中Twitterをふと見るとナンバーガールがYouTubeで無観客ライブを配信しているとのこと。
僕はナンバーガールが好きだ。尊敬するバンドであり影響もたくさん受けた。しかし動向を常に見張るほど熱狂的でもない。奥さんがどう思うかわからなかったが、せっかくだし…と
「配信で観たいライブやってるみたいなんだけど、観てもいいかな…?」
と聞き、自分の生きづらい性格上
情報に遅れていることへの恥ずかしい気持ちや、ここで遅れて実況しても虚しいかもな…という謎の劣等感も感じつつ
そんなことよりここ最近の鬱屈とした気持ちがどこか癒されるかもしれない。
そう思って見ることにした。
その数分後、僕は冷蔵庫へビールを取りに行くこととなった。
世の中はヘイトで溢れている。
それに輪をかけてここ最近
世の中はヘイトで埋め尽くされている。
嫌だし気分も悪くなるがヘイトをついつい見てしまう。
僕はバンドにおいてもそうだが「世の中へのヘイトと被害者感情と結果冷静になった時の自虐」で表現を行ってきた人間だ。
ヘイトが板についてしまっている。
手遅れなのだ。そんな悲しさもある。
しかし今回
僕の眼にこのライブでのナンバーガールは
世間の「感染」「混乱」「人間の汚さ」全てと切り離された所にある存在に見えた。
それは敢えて口にせず皆んなを楽しませようとするバラエティやエンターテインメントとはまた違う。本当に政府からの要請で無観客ライブとなったのか、もはや不思議なくらいに自然とそこにあった。
そして何より再結成してから僕の友人たちは皆ライブへ足を運んでいたが、新潟在住で新潟公演のチケットも逃した僕からするとこれが初見となる。そんな自分からしたらナンバーガールがライブをやっているということがもはや事件なのにも関わらず、不思議なほど自然とそこにあった。
右手に持ったお酒の缶は空になっていた。
僕がナンバーガールと出会ったのは2002年。高校一年生、まだサブカル趣味に興味を持ち始めてから短い頃。
その夏に放送されたドラマ
「私立探偵濱マイク」
が当時放送されたテレビドラマの中ではとびっきりサブカル臭い作品で、1話完結で毎回監督とゲストが変わるオムニバス形式で、僕はこの世界観に憧れまくった記憶がある。
そんなドラマの5話、須永秀明監督回で
ナンバーガールのライブシーンが流れる。
曲はNum-Ami-Dabutz。
J-pop→青春パンク→オルタナティブロック
と変遷してきた当時の僕の目には
当時僕が聴いてきたどのバンドよりも地味で、華がなくて、危険な雰囲気がした。
平たく言えば怖かった。
なんとなく気になって(というかあのドラマの世界観の理解者でいたくて)、ネットでナンバーガールを調べてみると数々の狂信者が存在していた。これも怖かった。
せっかくなのでTSUTAYAでアルバムを借りることにした。School Girl Distortional Addict当時の無垢な僕からするとジャケも怖かった。
当時無垢だった僕には色々な音楽を掘り下げる中で先入観で怖かったのが鳥肌実とゆらゆら帝国とナンバーガールと頭脳警察だ。
その後僕はたくさんのロックを聴き、この「怖さ」が「かっこよさ」へ変換されていった。sonic youthやPixiesにハマってそこからまたナンバーガールへと繋がり、ナンバーガールを聴き再度衝撃を受けることになる。
そうなった頃にナンバーガールは解散。
ライブを見ることができていたらまた変わっただろうか…僕はむしろその後のザゼンボーイズの新しさに感化され、そちらをより聴くようになってしまう。
僕はこの時点でナンバーガールを
かっこいいと思いつつもそこまで好きではなかった僕だったが
ここからの人生を僕はナンバーガールを愛する人達に囲まれて過ごすこととなる。
大学生になると僕は軽音楽部へ入部。
持ち前のロック知識で先輩とすぐに打ち解け、ヒエラルキーの階段を登っていった。
popな日本語ロック好きを下に見る最悪のイキり野郎だった自分を今でも思い出したくもないほど軽蔑している。
その当時の部長やその周辺の先輩はナンバーガールをこよなく愛していた。
先輩の家へ遊びにいくと、「記録映像」やライブ映像、須永監督の「けものがれ、俺らの猿と」を見せてくれた。僕がまだ聴いていなかったアルバムなどを貸してくれた。
最も好きな音楽は他にあったが
ナンバーガールの良さを改めて刷り込まれて行った。しかし、その先輩達の影響もありこの部活においてナンバーガールを好きな人は多かった。いわばベタだ。
僕はベタさゆえにナンバーガールを好きだしよく知っているが、フェイバリットには積極的に挙げずにはたまた自分がコピーバンドなどをすることもなく、なんとも不思議な付き合いだった。
その後もなぜかナンバーガールは僕を付き纏った。
就職した店舗の上司が北海道出身で、飲んだ時
「俺ナンバーガール大好きでさ、ラストのペニーレインも行ったんだよお!」
勿論盛り上がった。
その後ぼくはJOHNNYPARKをスタートするが、自分たちのジャンルもあってかホームのライブハウスの特質もあってか、出会うバンドのほとんどがナンバーガールを深く愛していた。
結果オタク繋がりで出会った人達もナンバーガールを好きだし、僕はナンバーガール好きと常に繋がっていた。
高校時代にはナンバーガールの話題なんて一切なかった友人も結婚式のbgmでkimonosを流したら「おっ、This is 向井秀徳」と言ってくる始末。
結果僕の人生にナンバーガールが無かったとしても軽音楽部に入っていたし、バンドをやっていたと思うが、どう足掻いてもナンバーガールと出会っていたしナンバーガールを愛していたと思う。それくらい僕はナンバーガール好きに囲まれてきた。
僕は今でもバンドとしてのナンバーガールの大ファンではない。しかしそのサウンドや世界観は尊敬しているし、唯一無二だと思う。
長く愛されながらもアングラ感が消えず、
ルーリードのように「危険なニオイ」を未だに放ち続ける。
USインディ輸入のサウンド、
UKポストパンク輸入のリフ、
エレカシやeastern youthなどが持つ叫び
全てを世界観に押し込んでさらにオリジナルのワードが詰め込まれた最高のバンドだと思う。
あの配信を見て
ナンバーガールがあの昔映像を見たそれよりもタイトに明確にサウンドを鳴らして、聴きたかったあの曲もこの曲も聴きながら、終わった後は外で無音でタバコを吸いながら
今この時ばかり、
この日本の混乱の枠外へ連れて行ってくれたことに感謝しかない。
僕はそんなふうに思いながら
クソして寝るのだった。