あの日のこと
最近ふとマルタに行ったことや、イタリアに行ったことたまに思い出す。ほんと楽しかったなと。コロナもない日常。あの時、たぶん永遠を感じていたんだと思う。もう戻らない日常
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2019年からの3年間色々なことがあった。祖父が亡くなり、結婚し、離婚し、1人で暮らし、祖母が亡くなり、大事なものをたくさん失った
残念ながらあの時のあれがあったから今、という状況にはなれていない
というより、離婚して一年半が経つのだが、未だに離婚したことさえもよくわかっていない。ただ、4月の頭にポストに役所からの通知があっただけだ。あの紙はどうしただろう。半年前のことかなと思ったりするがもうだいぶ時間が経ったのだな
よく学校を卒業できない夢や、ある時代のある瞬間に戻った夢をよく見る。未だに変わらずそこにある景色だろうが、もう見ることはできない
先行き不透明で閉塞感がある現代で人々は何に希望を抱いて生きていくのだろう。三浦春馬の気持ちがわかるような気もする
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真実に辿り着けない
前に
このままでは何者にもなれないという焦燥感も、過ぎていく時間への不安は消えないが、一歩ずつ前に進もう。
向き合うこと
向き合うって難しい。お互い好きだからと言って一緒になれるわけではない、一緒になれても一緒にいられるとは限らない。
過ごした時間が信頼になる。感動を共有できる相手がいることは幸せなことだ。簡単に手に入るものになんて意味はなく、時間をかけて大切にしたものしか残らない。ただ、年を重ねるほど、積み重ねたものが多く、そう簡単には人には説明できなくなる。20代のような軽やかにはいかなくなる。
32になった。思っていた32とは全く違う。またちゃんと人を好きになり、愛情を注げるようになりたいと思う
孤独
1人になって、楽になり、そんな1人の生活にも慣れたはずなのに誰かと話したり、自由な時間が長く続く時、孤独を感じる。
思春期の学生みたいだけど生きるってなんだろうとか、自分のこれまでの歩みに何か意味はあったのだろうかとか。人は1人では生きていけない、苦労や我慢のある日々は決して悪いものではない。自分を無償に愛してくれた家族はみな僕より先に死ぬという事実が今の僕には恐ろしく感じるのだ
旅立ち
祖母が亡くなり、僕の誕生日が告別式となった。身体が動かなくなる中、結婚式をモチベーションにしリハビリを頑張り、お祝いしてくれた。あまり表情が表に出ず、多くを語らないからわからなかったのだが、とても喜んでいたらしい。人の幸せを願い、自分を犠牲にしてでも周囲に愛を与えられる人だった。無条件に味方になってくれる存在、喜びや悲しみに共感してくれる存在。祖母の生き様は決して色褪せることはない。