人生最後の「感謝の会開催のご案内」について、思うこと。
コマツ元社長の安崎さんがおとといの日経朝刊に掲載した広告。
新聞の「お別れの会」のご案内がよく掲載されている場所に、自身の「感謝の会開催のご案内」を出されていました。
その中で、胆道、肝臓、肺にも転移した胆嚢がんが見つかり、元気なうちにお世話になった感謝の気持ちを伝えたい…と説明されていて、(QOL向上のためにも緩和ケアは受けてもらいたいなと思いつつ、治療方針については別として、)お気持ちがすごくよく分かると思うと同時に、9年ほど前のある日のことを鮮明に思い出しました。
2008年、ステージIIIの乳がんを告知されて、転移はリンパ節までだったものの、抗がん剤治療中に高熱を出したことをきっかけに心身ともに弱りまくって、ああ、もう私の人生も残り少ないと“自分なりに”覚悟したときのこと。
これまでの人生でお世話になった大好きな人たちにもう二度と会えないままこの世を去らなくてはならないんだと思ったら辛すぎて、それなら最後に一度だけでも会いたい、出会えてよかった、ありがとうって言いたい…と、安崎さんのように公に告知したり、ホテルで開催したりという豪勢なものでは全くないけれど、ささやかなパーティーを自宅で開きました。
「がんになり、闘病しているけれども体調が芳しくなく、もう二度と会えないかもしれないから、最後に会いたい」と突然連絡がきた友達はどんなに驚いたことか。
急な思いつきの連絡だったにも関わらず、わざわざ遠方から駆けつけてくれた人たちもいて、その時に来てくれたみんなの顔は一生忘れません。
ただ、安崎さんのご案内のような「感謝の会」を開催するだけの力量は24歳の私にはなく、いざ気の知れた旧友に会ったら「なんで死ななくちゃいけないの!」「死にたくない」と泣きじゃくってより心配と迷惑をかけてしまった記憶も残っていて、申し訳ない気持ちも、いっぱいです。
そして、なによりも「最後だと思うから…」と言って呼びつけておいて、その半年後に仕事に復帰し、9年以上経った今、何事もなかったかのようにピンピンしている私…
とてもありがたいことですが、来てくれたみんな、ごめんなさい!
今振り返ると、あのときはただ治療が大変だっただけで、余命幾ばくもない状態ではなかったわけで、無知って、恐ろしくて、恥ずかしいです。
でも、突然亡くなる病気や事故や震災で亡くなるときには実現できないものだけれど、もし、がんのように「最後のときがある程度予測できる病気」で死ぬことになる場合には、きっと、私もまた、これまでお世話になった人みんなに最後に会いたくなるんだろうな。
会って、全力でありがとうと感謝を伝えてから、死にたい。
どれだけ先になるかわかりませんが、24歳のときの反省を活かしてもうちょっと心配と迷惑をかけないように気をつけるので、そのときは懲りずに最後のワガママだと思ってお付き合いいただけたら嬉しいです。
それよりも前に、この週末、来年秋に挙げようと思っている結婚式に呼ぶ人リストをまずつくり始めたら、「これまでの人生でお世話になった人に集まってもらって感謝を伝える会」という意味ではなんだか近いものがある気がします。
ひとりひとりの名前を書き出すと同時に思い出と感謝の気持ちが溢れてきてしまい、なんだか全然先に進まないけれど…
結婚式は、「これから共に歩んでいくことを決めた人と共に開催できる最初で最大の感謝の会」だと思うと、すごく大切で貴重な機会だなって思って、その準備ができるというだけで感動的で、リストをつくっていても、式場見学に行っても、何度も泣きそうになっています…
というか、すでに、下見先で何度か号泣してしまい、ビックリされています。
でも、すでに、そのくらいの深さで、感謝しています。
余談ですが、きょう眞子さまと小室さんの結婚式の日程がわかりニュースになりましたが、こんなに喜んでいる人はいないと思うくらい、嬉しいです。
だって万が一日程が重なってしまったら同僚が誰も来られなくなると思い、眞子さまの結婚式がありえそうな日取りを外すと選択肢がかなり狭まっていたので!
これで自由に選ぶことができるなぁって、勝手に嬉しいのです。
完全私目線!今週末オススメの過ごし方♡
最初に謝っておきますが、どんなオススメの過ごし方だろう?と思ってこのブログを開いてくださった方、ごめんなさい!
こちら完全に私目線の10月28日(土)の「マギーズ東京のイベントの楽しみ方ガイド」…というかなんというか、宣伝かな。笑
たくさんの方々のお力をお借りしてマギーズ東京をオープンして、今月で1年。
これまで6000人以上の方々にお越しいただき無事1周年を迎えられたことを記念して、 10月28日(土)11時~17時、周辺の施設と協力して、どなたでも無料でご参加いただけるフェスティバル ~HUG YOU ALL DAY 2017~を開催することになりました。
こちらの長細い写真は、昨年同じ場所で開催したオープニングイベントのときのもの。
このときはまだ周辺の土地はがらんどうで、マギーズ単体で開催したのですが、この1年で次々と楽しい施設が建ち、この度マギーズ東京1周年を契機に、初めて皆で一緒にフェスティバルを開催できることになったのです!
昨年10月オープンしたマギーズ東京♡
それぞれの施設の代表者の方々とも顔を合わせてミーティング。
マギーズは、がん患者さんやご家族が戸惑ったとき、不安に思ったときにいつでも自由に訪れ、医学的知識の豊富な専門家と納得がいくまで話したり、情報を整理したり、ゆっくりすることで自分の力を取り戻すための場なのですが、今回は他の施設でも色々楽しめると思うので、自分はがんとは関係がないと思っているような方にも是非お越しいただきたいです。
というのも、いざ必要なときに知らないと訪れることはできないし、知っていても最初に訪れるのって、結構勇気がいったりするものだと思うからです。
当日のご案内はこちら。
http://maggiestokyo.org/2017/10/20/news-17/
◎日時:10月28日(土)11:00~17:00
◎会場:マギーズ東京(江東区豊洲6-4-18 ゆりかもめ「市場前駅」徒歩5分)
◎参加費:無料
これを見て、「11時から17時までということはわかったけど、それで、いつ行けばいいの?」という方もいらっしゃると思います。
どの時間でも大丈夫ですが、よかったら是非午前11時にお越し下さい!
フェスの入り口付近のステージで、スクール☆ウォーズの主題歌「ヒーロー」などで有名な歌手の麻倉未稀さんがオープニングを飾ってミニライブを行ってくれることになったのです。
事務所の方からいただいた麻倉未稀さんのお写真。
麻倉さんとの出会いは、今年4月、麻倉さんに乳がんが見つかったとき、麻倉さんと一緒にお仕事をしたことがあった私の会社の先輩が、「私の後輩に乳がんを経験して今元気に働いている子がいます!」と送ってくれたというこちらの記事がきっかけ。
http://wol.nikkeibp.co.jp/atcl/column/15/031800062/091500024/?ST=mobile_f
ここでマギーズを知ってくださった麻倉さんが、治療開始前にマギーズを訪れて下さり、週末のオープンマギーズにも寄ってくださり…今回ミニライブで歌って下さることになったのです!
目がキラキラしていて、気さくで温かい本当に素敵な方です♡
その後、11時半頃までは、マギーズ東京の秋山センター長も参加しての各施設代表者のミニトークショーがあります。
わたしは司会的な役割をするので、それを聞くとこの新しいエリアの全体像が分かった上で、フェスティバルをよりお楽しみいただけるようなものにしたいと思っています!
ちなみに、これと同じミニトークショーを14時にも予定しています。
マギーズの右斜め前にできた「サイタブリア」の石田社長と、お隣のランニングステーションの中にできた「義足の図書館」の遠藤代表。
このエリア一大きな「オールラウンドシアター」や、マギーズのお隣の「マイビレッジ」の方々もいらっしゃるので、マギーズの周りには一体どんな施設があるのか、その日何ができるのがわかる約15分間にします!
そして、11時半からは、マギーズ東京のお隣にオープンしたランニングスタジアムにて、日本人として初めてメジャーリーグトレーナーで「GRIT NATION」共同創業者の友岡和彦さんがダルビッシュ投手を始め一流アスリートのパフォーマンスを高めてきたプログラムを一般公開。
ご参加いただくには参加費が2000円かかりますが、なんと、参加費は全額マギーズ東京にご寄付いただけるそうです。
「GRIT NATION」さんは、わたしも大ファンの新感覚ジム。
通常はこんな価格では受けられず、事前予約をするとさらに500円割引、ヨガとサーキットトレーニングを組み合わせた誰にでもできる楽しいプログラムだということで、私も参戦します!
よかったら是非事前予約をお願いします!
http://peatix.com/event/312324
そして、お腹がすいてきたら、マギーズ東京の前にご出店いただく日本橋の人気フレンチレストランLA BONNE TABLEによるキッチンカーへ。
こちらの飲食代の一部も、マギーズ東京へのご寄付になります。
…ということで、当日の参加費は無料ですが、お金を払ってプログラムに参加したり飲食したりしていただくと、マギーズ東京へのご寄付にもなる仕組みを皆さんが一緒につくってくださっているんです。
そして、マギーズの前には、オリジナルブースも出し、一冊300円で全額マギーズへの寄付になる雑誌「HUG」や、1周年を記念してつくった限定オリジナルチャリティグッズもご購入いただけます!
ぜひ読んで欲しい「HUG」は、オープン一周年記念号ができました!
新ロゴチャリティグッズも登場!
日本橋榛原さんによるマギーズ東京オリジナルレターセットとハガキセットはスタッフも見た瞬間みんな買ってしまう可愛さ。
また、もちろんお金を一切払わないでお立ち寄りいただくだけでも、大歓迎です!
マギーズ東京は時間内いつでもご自由にご見学いただけ、マギーズが何かが分かる ”what’s maggie’s”と題したミニプレゼンも1時間毎に予定しています。
そして、周辺施設にもこんなに一度の機会で入れることはなかなかないので、是非まわってみてください!
別の施設お目当てで来ていただき、マギーズにも寄ってみようという方も、お待ちしております。
予約なくどなたでもご自由にいらしていただけますが、人数を把握するため事前に下記URLの「参加」ボタンを押していただけるとありがたいです。
https://www.facebook.com/events/1359090147534249??ti=ia
このマギーズ東京1周年記念フェスティバルは、
今月9日の講演会、10日のパーティーに続き、
一連のマギーズ東京1周年記念イベントのファイナルになります!
今月9日のマギーズ東京一周年記念チャリティ講演会。
10日のチャリティパーティ。
私は28日(土)は11時から17時ずっといるので、いらっしゃった際にはお声がけくださいね!
ちなみに、29日(日)にもフェスティバルは続きますが、マギーズはその日は頑張らずにいらした方にご対応させていただく形です。
台風の影響で大打撃を受けないことを心から祈りつつ…
皆さんとお会いできるのを楽しみにしています!
死ぬときに、遺せるもの。
きょうは、大切な友達の四十九日です。
マギーズ東京発の雑誌「HUG」の表紙を手がけてくれたデザイナーの綾仁麻衣子さん。
今月発行した2号目のいくつか表紙のデザイン案を送ってくれて、そこから一緒にひとつの案に絞った矢先に、先月、雑誌の完成を見ることなく、29歳で旅立ちました。
フリーランスのデザイナーをしていた麻衣子さんと出会ったのは、1年半ほど前のこと。
マギーズ東京オープンと同時に、マギーズまでこられない人にもマギーズの温かさが届けられる雑誌を創刊したいとfacebookでプロボノ編集チームを募集してみたときに、参加したいと連絡をくれたのがきっかけでした。
会ってみると、可愛らしさもありながら、自分を持っていて、凜とした女性。
聞くと、26歳のときに転移した乳がんが見つかり、治療を続けている中でマギーズ東京を建てるためのクラウドファンディングを知り、進捗を楽しみにしてくれていたとのこと。
マギーズは、がん患者さんやご家族のためのものですが、それを支えるプロボノやボランティアは、当事者ではない方が大半で、基本的には当事者であっても治療からだいぶたって心身ともに落ち着いている人にお願いすることにしていたので、「まずはご自身を優先して、センターを訪れてくれるだけでありがたい」とお気持ちだけありがたく受け取ろうとしたところ、「作品を制作する『生産活動』をしていくことが自分のためにもなるからぜひ参加させてもらいたいんです」と。
そうして治療を続けながら、時に彼女自身がマギーズを訪れながら、マギーズ東京オープン日に創刊した「HUG」創刊号の表紙のほか、マギーズ東京のオリジナル商品の開発にも携わってくれていたのでした。
そして、今年に入って体調が優れないと一旦プロボノをお休みしていた麻衣子さんから突然、「これ以上治療はないと病院から見放されてしまい、もう死ぬのを待つしかないみたい。会いたい」と連絡をもらい、ご自宅を訪ねたのは今年6月のこと。
まだできることはあると紹介した病院に転院して、緩和ケアなどで一旦体調が落ち着いたという報告と共に、「この繋がった命を還元したいから、HUGでできることがあれば協力したい!」と元気いっぱいに連絡があり、新しい「HUG」の表紙もデザインしてもらって、紙面に登場もしてもらって、一緒に出来上がりをめちゃくちゃ楽しみにしていたのでした。
同時に、「HUG」のプロボノ編集チームにいるライターさんのweb媒体で連載を始めたり、同じくチームにいるウェディング雑誌の編集者さんから紹介してもらって恋人とウェディングフォトを撮ったりして、それを生き生きと嬉しそうに報告してくれて、ものすごい命の輝きを放っていました。
そんな中で、突然病状が悪化したと、彼女の恋人から訃報のご連絡をいただき、どんなに頑張ってもマギーズにもわたしにも命を救うことはできないという現実と、無理をさせてしまったのではないかと自責の念にかられ、ただただ呆然としていました。
初めてマギーズを投げ出したくも、なりました。
でも、お通夜に参列したときに、その気持ちを、彼女自身が和らげ、救ってくれました。
そこには、彼女が、残された人たちのために遺してくれていた彼女の作品が、たくさんありました。
その中に、6月に彼女のお家でふたりで撮った写真や、「HUG」のミーティングの写真がメッセージつきで大切に製本されているのを見つけ、涙が止まりませんでした。
また、下記は、「私が死んだらお葬式で掲示し、Facebookにアップして欲しい」とご家族に頼んでいたという文章です。
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【綾仁麻衣子本人より大事なお知らせ】
綾仁麻衣子は、29年の人生を終えました。26歳のころから乳がんを患い、様々な治療を行いながら延命しておりました。
乳がんになったことで知り合ったピンクリングやマギーズ東京など、沢山の方々にも出会うことが出来、最後の数年はぎゅっと詰まった日々でした。ガンに関する雑誌「HUG」のデザインに携わったり、晩年には、「広林依子」という仮名でハフィントンポストのブロガーにも選ばれ、ガンに関するブログを綴らせていただいて、朝日新聞に紹介されたり、インタビュー記事になったりしました。
http://www.huffingtonpost.jp/yoriko-hirobayashi/
そして、相棒の「くまちゃん」とウェディングフォトも撮ることが出来、前向きに治療を行っていました。
生産活動と名付けていた制作ですが、作れば作るほど生は延長されるので、私が作ったブログなど、読んでいただけるとうれしいです。
皆様が私の作ったものを見て、生き続けていくことが、私への供養になります。
最後に皆様、29年間、私の人生にお付き合い頂きどうぞありがとうございました!
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死と真っ正面から向き合い、遺せるものを考え、「作ったもので生き続けていく」ことを実行した麻衣子さん。
また、お通夜の後、ご家族や恋人から、マギーズや「HUG」のことをいつも嬉しそうに話してくれていたことや、最後は恋人に「言うべきことあるでしょ?」とプロポーズさせてめちゃくちゃ幸せそうだったと聞いて、また「本当によく生きた!」「麻衣子らしい人生だった!」と話すご家族や恋人の愛情溢れた優しい顔を見て、最後までかっこよすぎる生き様と素晴らしい贈り物を遺した死に様に、わたしもいつかそのときがきたらそんな風にありたいと思いました。
そんな彼女の生き様や考えを、ぜひ読んでみてください。
http://www.huffingtonpost.jp/yoriko-hirobayashi/
また、「HUG」は、麻衣子さんや素晴らしいプロボノ編集チームとものすごい愛情を込めて創刊し、新しく出た号は、色々な意味で泣きながらつくった一冊です。
今週土曜日のマギーズ一周年記念フェスティバルでも、通常のオープン時でも、ウェブでもご購入いただけ、丸々マギーズの運営費としてのご寄付になります。
http://maggiestokyo.org/2017/10/20/news-17/
http://maggiestokyo.org/donate/
ぜひお手にとっていただけたら嬉しいです。
記者という本業でも、がんという病と向き合う社外活動でも、「生きる」「死ぬ」と向き合わざるを得ない日々で、変えられない現実に打ちひしがれることも多いのですが、麻衣子さんが亡くなってからこの四十九日の間、いつか必ずくる自分の番がきたときに誰に何を遺したいのか、それを遺せる自分になるためにはどう生きたらいいのか、家族や大切な人と先にお別れしなくてはならなくなったときにどう見送ってもらい、どう生き続けたいのか、すごく具体的に考える機会が増えました。
憧れるほどカッコよくて気持ちのいい生き様を貫いた彼女について、ご家族や恋人に伝えていってくださいと言っていただいてからこれまでうまく表現できなかった思いを、いまだうまく表現できないながらに、書きました。
人生で大切なことを教え、遺してくれた麻衣子さんは、わたしの中でもずっとずっと、生き続けます。
Marching Onー 自分らしい地図を描いて。
「がんになるということは、地図なしで敵陣にパラシュート降下するようなものだ」
今、マギーズセンターの発祥の地、スコットランドに向かう飛行機の中でこれを書いています。
夏休みをいただいての渡英。
マギーズ東京がオープンしてから初めてのマギーズ本国での研修を受けるためです。
冒頭の言葉は、マギーズセンターの発案者であるマギーさんが遺した文献で紹介している、Dr. Michail Lernerが「Choices in Healing(The MIT Press)」という本の中で書いたもの。
本当に、その通りだと思います。
道もコンパスも地図もなく、敵がどのくらい強くて、味方がどこにいるのかもわからない。
そこがどんなところかの知識も全くなく、道なき道をいくトレーニングを受けたこともない。
そこを抜け出したくても、どっちに向かえばいいのかすら、わからない。
マギーズセンターは、そんな敵陣だと思っていた場所で、自分らしい地図を再び描くお手伝いをする一軒のお家。
独創的で驚きがあり、木のぬくもりと光が溢れ、全ての人を優しく温かく迎えてくれるー
マギーズセンターを発案したマギーさんは1988年に乳がんになり、1993年に再発が分かりました。
そのときに医師から「残された命はあと3〜4ヶ月です」と告知され、何の質問もできないまま、「すみませんが、廊下に移動していただけますか?たくさんの患者さんが待っているので…」と言われたそうです。
マギーさんは、夫のチャールズさんと共にありとあらゆる本を読み、海外を含めた乳がんの専門家に電話をかけまくり、ありとあらゆる代替療法も検討し、自分に合った支持療法を模索したといいます。
能動的に治療をしようとする中で、ホンモノだかニセモノだか分からない“治療法”が洪水のように襲ってきて、それは役に立つどころか、信頼できる人の助けなしでは溺れてしまいそうになり、強く思いました。
「がんの治療中でも、患者ではなく一人の人間でいられる場所と、信頼のおける知識を持った友人のような道案内がいてくれたら…」
結局マギーさんは、後に第一号目のマギーズセンターが隣接してできる、エジンバラのウエスタン総合病院で、転移性進行乳がんの治験があることを知り、その治験を受けることができて、そこから2年、明るく強く穏やかに、生きました。
その間、マギーさんが最期まで青写真を描き、その思いを受け継いでマギーさんが亡くなった翌年の1996年に夫のチャールズさんとマギーさんの医療チームが力を合わせてオープンさせたのが、エジンバラのマギーズセンターです。
訪れたひとりひとりの思いを決して否定せず寄り添いながら、とことん話に耳を傾け、役立つ情報を提供し、孤独感を和らげ、その人が自信を持って歩める地図を描いていけるように。
わたしがマギーズセンターとマギーさんを知ったのは、乳がんになってから6年の月日を経た2014年。
幸い再発はしていないものの、マギーさんのストーリーを知るにつけ、マギーさんの経験、問題意識や思いと自分のそれとが重なり、ああ、わたしはマギーさんの思いを日本で引き継いでいく運命なんだなと、勝手ながらとても強く感じました。
そして、第一号のエジンバラセンターがオープンしてから20年遅れて昨年10月、マギーズ東京がオープンし、ようやくスタートラインに立つことができました。
この月曜日から始まる一週間の研修では、少しでも多くのことを吸収して、成長して、少しでも多くのことを日本に持ち帰りたいです。
最後に、これを書いていて、ふと思ったことがあります。
マギーズセンターと出会ったとき、私はもう自分のがんのことはすっかり乗り越えていたつもりでいたけれど、どこかで自分が若くしてがんになった意味を問い続けていました。
マギーズセンターは、その意味づけを私にさせてくれました。
そして、大好きな仲間とたくさんの方々に支えていただきながらマギーズ東京をつくっていく夢のような準備中も、無事オープンできた喜びも、訪れて下さった方々が変わっていくのを見る感動も、ひいひい言いながら運営している苦労でさえも、全てが愛おしく、闘病中に経験した死の恐怖や苦しみや「なぜ自分が?」という問いも、をすーっと浄化していってくれるような感覚がするんです。
そういう意味で、マギーズセンターは、わたしにとっても、がんになったあとの自分らしい人生の地図を描くお手伝いをしてくれている存在なんだな、と。
自分らしい地図を描くということは、限りある命ととことん向き合って、納得感を持って自分の道を選び、人生をデザインしていくということ。
欲張りなわたしは、そうして描いた大きすぎる人生の地図を味わい尽くしたくて、「全力疾走、ときどき爆睡」しながら、これからも歩み続けていこうと思います。
大好きで、忘れられない、感謝の2016年。
左胸の異変が、教えてくれたこと。
こちらの前回の記事の続きです。
書いていたら耐えきれないほど眠くなったために《後半に続く》としたのですが、気になるところで切ってしまったために、「続きは?」とたくさん連絡をいただき、会う人会う人に「大丈夫?」とご心配いただいてしまいました。
ごめんなさい。
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24歳のときに右胸の乳がんの治療をしてから8年半。
ジョギング中に左胸に痛みを感じ、しこりのようなものを見つけた私は、意を決して病院に行きました。
「鈴木さん、どうぞー!」
左胸の異変に、考えたこと。
突然左胸に異変を感じたのは、先月29日(火)のことでした。