*gift*

繋留流産、胎盤遺残を経て無事出産へ

【12w6d】産婦人科④(健診②)経腹エコー開始、尿検査でケトン体、点滴

この日からエコーは下からじゃなくてお腹の上からになった。

前回よりも一回り大きくなった赤ちゃんを見て、とても愛おしく感じた。

ただ、つわりがあるのは赤ちゃんが元気な証拠と言い聞かせてはいるものの、つわりのおかげで妊娠前から5kg減って身体はきつかった。

この日の尿検査でケトン体が出ていたので点滴をすすめられ、打ってもらう。

フラフラだったけど、おかげで少し身体が楽になった。

【9w2d】2冊目の母子手帳、産婦人科③(健診①)

うちの近所は母子手帳の支給日が月1回で、その支給日が過ぎたばかりだったので、少し離れた役所まで行った。旦那が休みの日だったので、駐車場で待っててもらう。

前回母子手帳の説明をしてくれた人が担当だった。

「前回ももらったんですが」と事情を説明すると「大変でしたね」と労いの言葉をかけてくれた。

つわり中だったのでガムを噛んでいたけど、説明をきいているうちに空腹で気持ち悪くなってきた。

説明を聞き終えて車の中でこんにゃくゼリーを食べて落ち着かせる。

でも病院に向かう途中に我慢できなくなってコンビニに駆け込む。

トイレで全部吐いてしまった。

「赤ちゃんが元気な証拠だ」

でもしんどい。でも安心。でもしんどい。でも安心。その繰り返し。

病院で診察してもらうと、赤ちゃんは元気だった。よかった…

やっと健診の補助券を一枚使うことができた。

次は1か月後とのこと。長いなぁ。

【7w1d】産婦人科②母子手帳をもらってきてください

二回目の診察も異常なしだった。

元気に動いている心臓。うれしかった。

次は2週間後に来るように言われた。あと自治体で母子手帳をもらって、その時にもってくるようにと。

前回の妊娠の時は母子手帳を持って行った日に繋留流産がわかったから、母子手帳をもらっても浮かれないようにしないと。

つわりがひどくなってきたけど、つわりが無くなる方が不安だったから苦しい代わりに安心を得ていた。

【6w0d】産婦人科①心拍

妊娠検査薬を試してから9日後に病院へ。

前回の妊娠の時に利用した病院ではなく、胎盤遺残の処理をしてもらった病院。

ドキドキしながら行った。

いい結果でも浮かれないように、悪い結果でも落ち込まないように。

自分に言い聞かせながら。

担当は胎盤遺残の処理をしてもらった女の先生。

内診台に上がり、エコー。

祈るような気持ちでモニターを見る。

小さいけど、心臓が動いていた。

ほっと胸をなでおろした。前回の妊娠が分かった時はうれしくて泣き崩れてしまったけど、今回は「まだこれからだ」と自分に言い聞かせて喜びすぎないように気を付けた。

でもうれしくて少し涙が出た。次は一週間後の診察。

 

上司に妊娠報告。そして今回は同僚数人にも。

妊娠検査薬が陽性になって2,3日経ったころ、胸焼けが始まりました。まだ軽かったけれどつわりの始まりでした。
前回と同じように、直属の上司には報告。そして前回の反省を生かして今回は上司一人だけでなく、同僚数人にも報告。前回流産だったから今回もどうなるかわからないんだけど、と前置きをして。
前回のときはまわりの人は妊娠をしらなかった上に、妊娠初期が繁忙期と重なっていて自分でも無理した自覚がありました。
今度こそは慎重に…。
上司も前回のことを気にしていたようで(病気じゃないから大丈夫大丈夫、と言って励ましてくれていたのに私が流産したためにショックを与えてしまったのです)
「明日から安定期に入るまで休みなさい」と言ってくれました。
いま考えると本当に理解のある上司に恵まれたなぁと。
同僚の人たちにも「今は安静にして。仕事のことはなんとかなるから」と励ましてもらい、肩の力が抜けるのを感じました。

二度目の妊娠がわかるまで

子宮がきれいな状態になって妊活を再開したものの、くせになっていた膀胱炎が再発したり(膀胱炎は抗生物質を飲まないと治らない…)で、なかなか2015年は妊娠モードにはなりませんでした。

今のうちに妊娠したらできないようなことを思いっきりやろう!と思い夫婦で念願のサカナクションのライブに行ったり、温泉旅館に泊まって食べ放題飲み放題したりとなんやかんや楽しく過ごしていたところ…

 

夢を見ました。

詳しくは覚えてないのですが。それで「もしかして…」と思い、身体に気をつけて生活しているとその二日後くらいから空腹時にげっぷがよく出るように。

前回の妊娠のときも空腹時にげっぷがよくでるようになったので「これは…」と思いました。

更にその翌日にピンクのおりものがあったので着床出血だろうと期待がふくらみました。

その一週間後にフライングで妊娠検査薬をつかうと、妊娠していることがわかりました。

ただ前回のことがあったので「まだ喜ぶのは早い」と自分に言い聞かせながらも、喜びをかみしめたのでした。

 

※夢を見たのは【3w0d】

げっぷがはじまったのが【3w3d】

ピンクのおりものが【3w4d】

妊娠検査薬を使ったのが【4w5d】

胎盤遺残手術後25日目、初生理

胎盤遺残手術の8日後に病院に行って「3週間後には生理が来るはず」と言われてから17日後の今日、生理が来た。

これで妊娠前の身体に戻った。はず。

妊娠中から繋留流産手術後もずっと頭がぼんやりしてたけど今はなんかスッキリしてる。

繋留流産手術のあともぼんやりしてたのは胎盤が残ってるせいで妊娠が続いてるような状態だったからってことかな?

ホント生理来てよかった。

まさかの検査結果→×筋腫分娩〇胎盤遺残

塊を取ってから8日後。

ちょっと早かったけど行ってみたら検査結果が出ていた。

「先週、筋腫分娩じゃないかっていう話をしたんですけど」

と先生が結果を見ながら説明してくれた。

「検査で塊をスライスして組織を細かく調べてもらったら、筋腫ではなくて”胎盤組織”ということでした。胎盤遺残ですね」

えっ!?

症状が筋腫分娩に当てはまりすぎてたからてっきり筋腫かと…。

先生の話によると、流産の掻把手術は手探りで行うから取り残しが出る場合があるとのことだった。

あんまりゴリゴリ掻き出すと不妊の原因になるんだって。

手術で胎盤が残っても、普通なら生理が来たら排出されるらしい。

それでも排出されなかったら不正出血となり、再度手術になるって。

なるほど…。

私の場合、流産手術後の出血は生理だと思ってたけど不正出血だった可能性があるって。

そして残った胎盤が3か月で成長したのかもしれないって。

こんなことってあるんですね。

それにしても胎盤が残るって軽く考えてたけど、実際残ったらこんなえらい目にあうんだ!ってびっくり。

出血しすぎて死ぬかと思ったよ…。

 

念のため内診してもらったら「子宮内きれいです、筋腫も何もないですよ」とのことだった。

よかった。

「3週間後くらいに生理がくると思いますので子作りはその生理を一回見送ってから」

先生の言葉を聞いて安心した。

本日のお会計360円。

肩の荷が下りた~

繋留流産手術後3か月。出血3週間。筋腫分娩?

新しく受診した病院は女性の先生を選べるところだった。

どうしますかと聞かれ、迷わず「女性でお願いします」と答えたのは前回の男の先生がトラウマになっていたから。

体重、血圧、尿検査を受けて待った。初診だったので1時間くらい。

診察室に通されていくつか質問される。

先生が不思議そうにしていたので前回の病院での出来事を簡単に説明し、病院を変えたかったと言うと先生は納得した。

「それで紹介状がないんですね」と。

ひと通り診てみましょう、ということで内診室に通される。

「子宮の口から何か顔出してます、塊が」

先生が内診中にそう言うと、ふと思い出した。

病院に来る前にシャワーを浴びて中を洗っていたら子宮の口から何か紐?みたいなものが出ていた。

引っ張っても出てこない。もしかして手術の時のガーゼが残ってた?

強く引っ張るとそれは抜けずに少しちぎれた。見てみると白いもの。

ガーゼではない、肉のような膜のような…?

そのことを思い出して先生に伝える。

先生に言わせると500円玉くらい子宮の口が開いていて引っ張ったら取れそうなので取ってみると。

「取れました、塊。あとで見せますね。痛みの原因、これじゃないかな」

痛みもなにもなくあっけなくそれは取れた。

先生は「栓を抜くように引っ張ったらスポンと取れた」とのこと。

「しばらく出血多くなるのでびっくりしないでくださいね。続きは診察室でお話します」

内診台から降りて何気なく見た床に広がる血の量にどきっとした。

診察室で見せられたのは、透明な筒状の入れ物に透明な液体と一緒に入ったもの。明らかに今まで見たことのない塊だった。

「これは…何ですか?」

検査にかけてみないとわからないけど、と言って先生は紙に子宮と何か塊を描いた。

「筋腫分娩、っていうのがあるんですけど」

説明によると、筋腫分娩と言うのは子宮筋腫の一種で、子宮内に出来た筋腫が筋腫自身の重さに耐えられなくなり茎のように伸びて筋腫が子宮から飛び出している状態、とのことだった。

そして私の状態はまさにその伸びた筋腫が子宮の外に出ようとしていたところのようだ、と。

ただ流産手術で取り切れなかった残留物の可能性もあるとのことだったので検査に出して10日後に出る結果を見てみないと、とのことだった。

「倒れた時の痛みは、これが出ようとしていた陣痛みたいなものだったってことでしょうか」

「そうだと思います。痛みはもうないんじゃないかな」

言われてみれば鈍痛はなくなっていた。

「大量に出血すると思うので止血剤を1週間分出します」

次はまた10日後ということでその日は終わった。

受付を待っていると血が降りてくる感じがあって急いでトイレに駆け込んだ。

するとドボドボドボっと大出血!

映画館で出血したときとほぼ同じくらいの勢い。

ここまで出血がひどくなるとは…

止血剤の重要さが身に染みた。

受付で会計をすると1万8千円でびっくりした。

どうやらさっきのあれは手術になるらしく、手術料が加算されていた。

でもラミセル入れて麻酔して掻き出して…ってなってたら身体にも負担がかかってたろうから、逆にこれで済んでよかった。

家に帰る前に3か所トイレ寄ったけど、同じようにものすごい出血だった。

調べたら筋腫分娩は子宮筋腫の中でもとりわけ出血がひどく、考えられないくらいの出血があるのが特徴らしい。

そして流産の原因にもなるって。

私が見たのは4センチくらいの塊で「1~2か月じゃここまでならない、3~4年かかってできたと思う」って先生が言ってた。

流産の原因はこれだったのかと思ったらなんだか申し訳なくなった。

検査結果はまだ出てないけど「筋腫分娩」当てはまりすぎるから8割これのような気がする…。

子作り以前に子宮をもう一回検査してもらわないと、と思った。

繋留流産手術後3か月。出血19日目。倒れる。

病院を受診してから数日。

たまに生理痛みたいなのはあったけど、出血は減ってきた。

上手くいけばこのまま止まるかな?

そんな淡い期待を抱きつつ仕事をしていた。

その日はたまたま外で作業だった。いつもより運動量が多いせいか腹痛がひどくなってきた。

その日の朝に食物繊維をたくさん採ったので、便通かなと思って我慢した。

しばらくして我慢できないくらい痛くなってきたので仕事を一旦抜けてトイレに駆け込んだ。

いたたた…

排便しても痛みは治まらない。むしろ酷くなってきた。

あまりの痛さに便器に座ったまま個室の壁に頭を打ち付ける。

便器に座っていることもつらくなり、個室の床に横たわる。

呼吸が苦しくなって個室にもいられなくなり、個室から這いずり出る。

トイレの入口までなんとか這いつくばって出たけど、コンクリートの地面に倒れこんでしまった。

外の目立たないところで周りに人もいなかったから助けも呼べなかった。

携帯を持って来ていなかったことを後悔した。

気絶しそうな痛みの中でぼんやり思った。

繋留流産って手術しないとそのうち陣痛みたいな痛みが起こって胎児が出てくるっていうのを聞いたことがある。

私の場合手術はしたけど子宮内に塊が残ったっていうから、もしかしてそれが出てくるのか?

陣痛ってこんな感じなのかもしれない。

そんなことを思いながら、経験したことのない激痛で地面に横たわっていることしかできなかった。

そんな時に限って小雨…。

40~50分くらい?経って職場の人が見つけてくれた。

救急車呼ぶかどうか聞かれたけど救急車は断った。

子宮の痛みだったし、いつか痛みは引くだろうと思ったから。

職場の人が車が迎えに来てくれた時には起き上がれるくらいまで痛みは引いていた。

事務所に車で運んでもらって1時間ほど横になった。

その間、波はあったけど痛みはピークの時ほどではなかった。

帰宅後軽く夕飯を食べ、痛みを和らげるためにイブA錠を飲んで寝た。

次の休みは別な病院に行こう、そう思った。

大出血から6日後、生理15日目で産婦人科へ

出血が止まればいいな、という淡い期待も虚しく出血が2週間以上止まらないので受診。

2か月ぶりの病院。

内診するも出血以外に異常はなしとのこと。

久しぶりなせいか内診めちゃくちゃ痛かった…痛いですって言っても無視された。

そして気になったのは先生の発言。

「この間の”中絶手術”の後はどうでしたか?」

「手術するときおなかの子どもは大きかったのかな?」

繋留流産手術は中絶手術と同じ方法だからそういう風に言ったのかな?

おなかの子どもは大きいとか小さいとか特に何も言われなかったけど…?

極めつけは「もう一度同じ手術をしてみないとわかりません。手っ取り早いのは手術です。明日しましょう」

びっくりして決めかねていると「手っ取り早いのは手術だよ」と繰り返す先生。

あの手術をまた…と思っただけでダメージがでかいのに。

「手っ取り早い」ってなんか嫌な感じ…。

子宮筋腫ですかね?という問いに「子宮筋腫ではないと思うよ」との返答だったので、それならば無理に手術はせずに様子を見たかった。

頑なに「様子を見たい」という私に先生も折れたようで

「貧血検査だけしておこう」ということで採血。

貧血にはなっていなかったので先生も渋々様子見ということに。

そして受付をするためにロビーで待っていると先生が私の元にやってきた。

「ごめんごめん、あなた中絶じゃなくて流産だったんだね。」

ぽかんとしている私に軽い感じで先生は続けた。

「勘違いしてた、ごめんね」

色々なことが頭の中でつながった。

本当に中絶手術だと思っていたから子どもの大きさを聞いたんだ。

手っ取り早くとか。

先生はカルテを見ながら話していたから信用しきっていたけど…。

なんか悔しさと悲しさと憤りのあまり泣けてきた。

慌てた先生はもう一度私を診察室へ戻した。

ごめんね、流産の人だったね、ごめんね、と繰り返す先生に

「そのカルテでは私は中絶したことになっているんですか…?」

泣きながらやっとのことで声を発すると

「いや、私の勘違いだったよ」とバツの悪そうな先生。

本当はこのくらい流さないといけないんだろうけど、勘違いゆえの内診の雑さとか、問診の適当さとかがすごく気になって…。

先生の言うこと全部に「はい」「はい」「はいそうですね」と答えながら心の中ではこの病院にはもうお世話にならないと固く決めた瞬間だった。

足早に診察室を出てお会計を済ませ車に乗った。

帰りはお気に入りのカフェに寄ろうと思ったけど、泣きはらした顔だったので家に帰ることにした。

泣きながら運転して帰った。

稽留流産手術後2ヶ月と10日で大出血

次の生理までまだ1週間くらいあると思って油断してたら突然きた。

しかも映画館で映画観てる最中!

突然じわーっとおりてくる感覚があって「え?もらした?」と思い慌ててトイレに。

便座に座った途端、握り拳大の血の塊がボトンと便器へ。

もらしたと思ったのも全て出血でズボンまで血まみれに。

不幸中の幸いはズボンが黒だったこと…。

その日はそのままどこにも寄らずにまっすぐ帰った。

おしりが血で濡れたから車に乗るときにシートにレジ袋を敷いていたけど、

家に着くとレジ袋に血が溢れ、シートにまで流れていた。

車のシートを拭き取ったあと、風呂場に直行した。

ズボンを脱いだ途端、映画館のトイレで出たみたいな血の塊がボトッボトッと今度は2つ出た。

小さく悲鳴をあげてしまった。

排水溝にはとても流せないので、すくって桶に入れてトイレに流した。

シャワーを浴びたあとズボンと下着を手洗いしたけど、何度水を替えてもすぐ水が赤くなる。

あとはパジャマに着替えて布団に横になった。

夜用一枚で大丈夫か心配だったけど、なんとか大丈夫だった。

大出血はそれきりだったけど、8日経った今も生理がおわらない。

終わりがけなのに赤黒い塊(親指大)が出てきたり。

前回が軽かったせいかそれとも何かあるのか…。

まだ病院は行ってないけど、まだ長引くようなら検討しないとな。

稽留流産手術後48日目でようやく生理がきた

40日過ぎて更に1週間過ぎてもこなくて気をもんでいたけど、

48日目にしてやっときた。

手術後の出血が長引いていたせいか?

その生理も1週間くらい続いたけど量は多くなかった。

ピークの日以外は茶色いおりものってかんじ。

何はともあれひとまず安心。