あすかの日常

春を待ち、夏に焦がれ、秋を染めて、冬に散るなら。

noteに移動します

 

こんにちは、もしかしたらこんばんはかも。

 

この度ブログをnoteに移動することにしました。

→ https://note.com/suzumori_cat

 

ここを消す予定はありません。過去記事もそのままにしておく予定(この後noteにも記事を移すとかはあるかも?)

 

6月1日。新しいことを始めるにはいい日だと思ったので、新しくnoteを始めました。

今後はそちらで更新していくので、見ていただけたら嬉しいです。

 

Twitterで更新のお知らせもしているのでよかったらのぞいてくださいね。

Twitterhttps://twitter.com/suzumori_cat

 

それでは、これからもよろしくお願いします。

朝ごはんと1日の始まり

 

朝起きて1番にすることは、歯を磨くこと。そして顔を洗って、簡単にスキンケアをしたら、コップいっぱいのお水を飲む。身支度をしながら、ゆっくりと体を起こして、そうして、私の朝は始まる。

 

次にモーニングメソッドを、大体1時間くらいかけて行う。

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(モーニングメソッドは、6つのエクササイズからなる、朝活のひとつ。以前、ルーティンにしている人を見かけて、気になったので挑戦中。)

 

朝活を行った後は、朝ご飯の時間だ。

朝ごはんは、卵を食べることが多い。「朝ごはんにはタンパク質が必要だ」と何かで見てから、朝ごはんには卵や、チーズ、鶏肉なんかを食べるようにしている。最近、目玉焼きを焼くのが上手くなってきた。(と思う。)

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朝ごはんを食べる時、以前はYouTubeを見たり、新聞を読んだり、何かしながら食べていた。しかし最近は、食事する時は他のことはしないようにしている。食事は生きていくためには欠かせない。そして、その食べたものが、自分を作っている。そう思うと、この時間はとても大切で、神聖な時間に思えた。特に、朝ごはんは1日の始まりだから、余計に大事なものに思える。

食事は、生きていくために欠かせないものだから、簡単な食事だとしても、大切にしたい。

 

 

そうして、私の1日は始まる。

今日は何を食べようかな。

 

 

モーニングメソッドとは

 

モーニングメソッドとは、ハル・エルロッド著の「人生を変えるモーニングメソッド」という本に載っている、朝活のひとつである。

 

最近、朝はモーニングメソッドをこなすようにしている。朝活についてツイートするとき、「モーニングメソッド」とだけ書いているので、なんだろうと思っている人もいるかもしれない。

 

「モーニングメソッド」とそれだけをいうと、なんだか怪しく感じる人もいるかもしれない。しかしモーニングメソッドは、ただいくつかのエクササイズを組み合わせてできているもので、あやしくはないことを断っておく。

瞑想、アファメーション、イメージング、読むこと、書くこと、運動という6つからできているもので、詳しくは本に書かれているので、読んでみてほしい。

 

ひとつひとつは、朝活や、普段の生活でみんながしているものとなんら変わらない。本を読んだり、モーニングページを書いたり、運動をしたり。

それらをうまく組み合わせ朝に行うことで、毎日をより良くしよう。それだけのものである。

6つもエクササイズを行うと書いて、そんな時間はないと思う人もいるかもしれない。しかし、短時間で行う方法も書かれているから大丈夫。

 

図書館にもあるのではないだろうか。

興味がある人は是非本を読んでみてほしい。

 

 

 

 

ささやかな幸せ

お題「ささやかな幸せ」

 

「ささやかな幸せ。」

それは美味しいご飯が毎日食べられること。

寝る場所があること。

散歩中に、雨に降られないこと。

 

そういう当たり前にある、他人からすれば大したことのない、何気ないものがささやかな幸せなんだと思う。

 

でも私にとってそれは、毎朝猫が呼吸していること。暖かいことだ。

 

うちの猫は元気だが、高齢猫である。17歳。もうだいぶ生きたと思う。でもまだまだご飯も食べるし、おやつもねだる。

 

しかし、寝る時間は増えたように思うし、昔に比べると「痩せたな」と思う瞬間がある。背中や顔に触れた時、抱き上げた時の、凸凹した背骨や、軽くなった身体に。

 

病院に行くと、「高齢猫に見えませんね」と言われるほど元気なうちの子だが、ふとした時に見せる顔や、衰えた身体に、年齢を感じずにはいられない。

 

朝起きて猫の姿を探す。

そしてゆっくりと上下する腹に安心する。

 

私のささやかな幸せは、いつまで続くのだろう。

大きな幸せはいらないから、この時間が、まだしばらく続けばいいと思う。

 

 

今週のお題「人生で一番高い買い物」/家を買う

今週のお題「人生で一番高い買い物」

 

 

やはり、人生で1番高い買い物というと、「家を買うこと」ではないだろうか。


私には、将来家を買うという夢がある。

木造の平屋の一軒家。小さな庭があり、車が1台停められる、平屋で木造のお家。そんな家を買い、ゆったり暮らす夢がある。


家の場所は、海の近くか、林の中。すごく田舎に住みたいわけじゃないけど、自然があるところがいいなぁと、漠然と考えている。


そんな私の理想のお家に、すでに暮らす人がいる。

山中とみこさんである。布作家の方で、「北欧、暮らしの道具展」のYouTubeの動画で知った方だ。(別にPRではない。素敵な動画なので一度見てほしい。)

▶︎YouTubeリンク: https://youtu.be/RqCPUELXvPE


動画内には、素敵なお家で丁寧に暮らす様子が綴られており、とても癒された。私もこんな場所でこんな生活がしたい。そう思った。


しかしよく考えてみれば、私の家の近くにも、自然はあるなと気づいた。小さい川が、あったはず。

今度、そこに行ってみるのもいいかもしれない。今の家は親の所有している家だが、理想に近づけることはできるはず。

少しずつ、できることからやっていこうと思う。


しかし、やはり、「いつかは自分の理想のお家を、」と考えずにはいられないものである。

 

 

人生始まったばかり/私らしさについて考える

 

 

優柔不断で、人の顔色を伺って生きる。それが私でした。

そして、それを望まれていると思い込んでいました。


以前の私は、「それが私らしさだ、そうしなくては」なんて思っていました。私らしい文章、私らしい性格、私らしい言葉遣い。私らしい、選択。

 

でも、ふと、「私らしいとはなんだろう」と思うようになりました。

きっかけは、もう覚えていません。すごく衝撃的な出来事ではなかったんだと思います。日常の、すごく何気ないこと。

でも、思いました。私らしさってなに?今まで自分が思っていた私らしさって、人から言われたことや、それを聞いての自分の思い込みなんじゃないかって。


人生時計という考え方があるそうです。一生を1日に例えると、今は何時なのかというあれです。

何事もなく80才まで生きると仮定して計算してみたところ、私はまだ朝の8時にもなっていませんでした。

朝ごはんを食べて、さぁ活動するぞ。まだそんな時間。


そう、まだ1日が始まったばかりなんです。「これから1日頑張るか〜」くらいの時間。そんな時間に、「今日はこんな日だ!」なんて決めつけるの、勿体無いなと思いました。

お昼には美味しいものが食べられるかも、思いもよらない出来事があるかも。もしかしたら、新しい発見が待っているかもしれない、そんなワクワクする朝なんです。

だから、今日はこういう1日だと決めつけるには、随分早い時間だなと私は思ったんです。(朝の占いだって外れることがあるのに)

 

自分のことも一緒で、「私はこうだ!」「これが私らしさだ!」って決めてしまうの、勿体無いと思いました。

私はまだ何にでもなれるはずなのに。


他人から言われて思い込んでいる「私らしさ」なんて、当てにならないんじゃないか。「私はこういう人間だ」って決めつけるのはまだ早いんじゃないかそう思うんです。

だから、好きなように、私が好きな私になれるように過ごそうと決めました。

 


私らしさは私が作ります。

 

 

 

 


○おまけ○

 


人生時計の計算方法

x=a*b/c

 


x:求めたい人生時計の時間

a:24(1日の時間)

b:今のあなたの年齢

c:80(寿命、何歳まで生きたいかで随時変えてください。)

 


xは小数点以下を60にかけることで何分かも出すことができます。

 

 

 

例えば、80まで生きるとして、30才の人の人生時計は

24*30/80=9

つまり朝の9時です。

 


25才の方なら

24*25/80=7.5

次に何分か求めます。

60*0.5=30

つまり7時30分です。

 


もしよかったら計算してみてください。

今週のお題「何して遊んだ?」

 

「何して遊んだ?」

 

私は、読書に編み物。家事手伝いなどが遊びだった。


私は幼い頃、どちらかといえば1人で遊ぶ子供だった。

読書に、編み物。縫い物や、家事手伝いなんかをして過ごしていた。大人たちがどう思っていたかわからないが、それで私は楽しかったし、幸せだった。

 

友人と外で駆けるより、本を読んでいたかった。

自分のペースで好きなように、好きな物語に没頭するのはとても楽しかった。夜、布団に入ってからもすぐには寝ずに、本を読んで夜更かしをした。そして、暗い中で本を読むので、「目が悪くなるぞ」と、怒られる日もあった。


別に、体を動かすことが嫌いだったわけではない。ただ、鬼ごっこやドッヂボールで最後に残って捕まると、責められるのが嫌だったのだ。学校という狭い空間では、避けられない、そういった出来事が多々あり、つらかった。

「それなら最初から1人で本を読む方がいい」と、教室で1人、本を読んで過ごした。1人と言っても、同じように室内で本を読んで過ごす子たちは何人かいたし、その子たちと話すこともあった。なので先生たち、大人たちには寂しい子に映っていたかもしれないが、自分なりにとても楽しい幼少期を過ごしていた。

 

今思うと、先に捕まった子や当たった子たちは責められないのに、最後というだけで責められることに怒っていたのかもしれない。

(今でも納得がいかない。思い出すとムカムカしてくる。責めてくるのは先に捕まった子たちだものね。「私より先に捕まったくせに!」と言い返せたらよかったかも?)


家では料理をすることもあった。

料理をすることが好きだったので、家では晩御飯を作る手伝いをした。ハンバーグをこねるとか、きゅうりをスライスしておくとか。そういった簡単なことを、母や祖母が私に仕事として与え、褒めてくれるため続けられたのだと思う。

家事がない時には本の続きを読んだり、編み物をした。


今でも編み物が好きで、冬の間は座布団を編んだり、靴下も編んでいた。最近は、刺繍もまたやりたいと思い、図案を作成している。無地の鞄や、Tシャツにワンポイント刺繍を入れたい。それだけで私だけのものになると思うとわくわくする。いつか服も作ってみたいと勉強中だ。


最近の話だと、この間火の粉が飛んでくつ下に穴が空いたので、それをダーニングをして繕った。糸を選ぶのは楽しかったし、これはこれで可愛いなと思っている。これはワークショップで習った手法だ。穴が空いていても当て布をせずに繕うことができて、とても良い。[ダーニング くつ下]などで調べると、詳しいやり方が出てくるのではないだろうか?

もちろん、私に聞いてもらえれば、喜んで説明する!


「遊ぶ」ということについて、幼少期から思い出しながら書いてみたが、どうだろうか。

そもそも遊ぶとはなんなのだろう?自分が楽しく過ごすことができていたら、それが1番の「遊び」なのかなと感じた。

 

今日も、明日も、これから先、楽しい毎日が過ごせますように。