夏〈2〉


どこに?どこにってそりゃあ外だよ、外ー!とさぞ当たり前のように元気よく答える彼。電話のむこうで尻尾でもふっているんじゃあないかな、ご機嫌よろしいね、結構なことだよと頷きながらもう一度話を返す。うん外ね、それはわかるんだけどね、外ってほら色々とあるじゃん?映画館で最近話題の映画見てみるとか?あっ、キャラメルポップコーン近頃食べてないなあ、美味しいから勢い良く食べ過ぎてその後ご飯とか行けなくなっちゃうよねあれ、好きだけど。そんなことをペラペラ話し出す私に、いやいやちょいと待て待てと彼。
いいかい、外へ行くって言ってるのにあなたまたそんなインドアなとこ行くんじゃなくてさあ、もうちょっとあるでしょう選択肢が。考えてご覧よ、いま何月?お天気どう?青い空白い雲!晴れ!そう暑いの夏なの!で、夏を感じにだな、海に行くぞー!

電話越しに暑苦しいね君、ただでさえ暑いよ、夏だよ知ってるよ。

夏〈1〉


見えたかい。
いいえ、まだ。

日光が反射し、透け、青々と輝く木々。
ジリジリと焼ける地面、土、たまにコンクリートのかけら。

今日は土曜日、天気のいい休みの日には寝てる以外の時間を持たなきゃね、と比較的活発な彼は朝から電話をよこして、私を連れ出そうとした。たまのオフくらい日焼け止めなんか塗りたくないのになあ、と思いながらも最近の休みはそう言って寝てばかりだったと思い出し、じゃあ行きましょう、と返答。でもどこに?



糸とハサミと消えた猫

案外また始まるのね。終わったものと思っていたけど、そう簡単にどの糸も切れない。一度つながって切れた糸もゆるく細く繋がっていたりする。
ただ、その細い繋がり方はきっと複雑で、プツンと切れちゃいそうなのに、なかなか絡まっているものだから、解すのが面倒になって、もう触りたくもない時はハサミでちょきんと切ってしまったこともある。まあ、それはそれで良かったと思っている。考えんのやめるとさ、楽になんだよいつかは。もちろん切ってすぐも、すごく爽快でさ、いい気持ちだけど、なんだかその糸の亡骸見てたら泣いちゃう日もあってね。難しいところ。

ところで、君は猫を被ったことはあるかい。飼いならした猫を好きなように被って上手くやっている、と思っていたら全然飼いならしてなどなく、猫が勝手に野生に帰って行くこともあるのにね。そうまでしてなんで猫を被るかっていうとさ、実は愛なんじゃないかって。最近そう思うんだ。まあ被ってなくても君のことは、好きだよ。どう、猫被ってると思う。僕。


焦がしたのは私


大丈夫なわけないじゃない。そんな風に言われて。大丈夫なわけない。
相手に悪気がない?そんなのねえ、あなたが大丈夫かどうかには全然関係ないのよ。彼女が言った。

ここは薄暗く影の濃い部屋で、一つだけある暖炉はオレンジ色の火を燃やして私たちの影を揺らす。家具は焦げた茶色で、テーブルが一つ、椅子が二つ。火と灯りと影はその横で遊ぶ。私たちは椅子に座って話す。

彼女が続ける。あなた、また笑った。そうやって、ごめんなさいって笑うのやめなよ。悲しかったんでしょう。腹が立ったんでしょう。なら笑うのやめなよ。

遊んでいる火に目をやって私は言う。でも、あの人も私も精一杯やったわ。精一杯やって、それでもうまくいかないってどちらかが思ったら終わりなんだよ。私はその自然な別れに動揺している。それだけ。ただあの人が、あの人たちが皆、独りでコイントスして決められなかっただけ。それだけよ。

嘘つき。あなたがそれだけって言ったことは、全然それだけで済むことじゃない。私だったら怒ってる。だってコイントスなんて一人でやることでしょう。どうしてあなたの手を使うの?勝手よ、そんなの。そんな落ち着いた顔して、悲鳴をあげたいんなら、ここでぐらい泣いたらいいのに。それくらい黙っておいてあげるのに。彼女はそういってグイとコーヒーを飲む。

ありがとうね。そう言って私もコーヒーに口をつける。苦いな、と思う。
だってね、私は怒れなかったの、あの日あの時に整理をつける時間は無かったの。もう終わってしまったの。終わったことに気づいてしまったのよ。だから、いいの。

彼女と私は席を立ち、ゆっくりと焦げ茶の部屋を出て行った。まだ火は踊ることをやめられずにいた。





善良と醜悪


山の中で私は腐った。何も見ずに殻の中で腐った。それはぬるく、心地悪い温度が感覚を狂わせていることに気づかずにそのまま育てる。それは親のような愛には耐えられない。貪欲で、また喰らい尽くしてしまうからだ。いくら食べても足りないよ、もっとおくれ、咽び泣くのは誰だ。

そんな醜悪な腐った子供を大人になる前に片付けるには、悲劇を目の当たりにするかどうかで、決まる。悲劇は醜悪な子供を溶かして飲む。するとそれは消化されて、身体になる。善良な行いをする大人の揺るぎない礎になる。大抵の腐った子供は、悲劇を目の当たりにするまえに、もしくは悲劇などないかのように過ごしてしまい、腐ったまま大人になろうとする。悲劇の大小は関係なく、腐った大人になるまえの子供の目で、しかと見なければいけない。悲劇は事実であり、子供の目で見てよく噛んで悲しまなければならない。大人になってしまったらもう悲しくなんかなくなってしまうからだ。悲しいのに悲しく思ってはいけないと、自分に制御をかけられるようになるからだ。待ちなさい。その悲しみは、あなたが噛み砕かなければ、醜悪な腐敗の元になってしまう。

もし、あなたが、大切な人を守りたい時、腐った子供はどうしても邪魔をしてしまう。大切な人へ与えるべき愛を自分のものにしようと、全力で手繰り寄せる。そうなっては大切な人を大切にできない。あなたがあなたの悲しみを噛み砕かないことには、いざ守りたいというあなたの大切なエゴを発揮する時であろうとその手は守る物を間違える。そうならないためにも、悲しいならば泣きなさい。楽しい時に笑えるように。あなたは、自分以外の大切なものを大切にできるように、自らを蔑ろにしてはならない。

醜悪を噛み砕いて飲み込んで善良な大人に成りなさい。それを知らないうちは、いくら歳を重ねようと、あなたは善良でも、醜悪でも、大人でも、無い。



大人


大人とはどこにいますか。
あなたの言うような大人は、どういうものですか。

それは被る皮のようなもの?
それとも気づかないうちに固めた身体にまとわりついた石を抱えて歩く人のこと?

違う違う、それは与える人のことだよ。
何をいっているの、受け取れる人のことだよ。何も根に持たず正しく人を判断できるのが大人さ。うそうそ、本当と嘘の区別をさせないようにね、仮面を被って着飾ってるのさ。

日々を淡々と過ごせるように、何もかもをコントロールしていくのが大人さ。

日々に起こるあれこれを全て受け流してあるいは受けとって上手くやるのが大人さ。

違う。
不安定な中を矛盾しても歩くのが大人だよ。

そんなの子供と何も変わらないじゃない。

大人の定義を自分で決めるのが大人かい。