職人的生き方の時代

自分だけの生態学的ニッチで生きる

ブログ名を変更:「職人的生き方の時代」

ブログ名を「スペシャリストのすすめ」から「職人的生き方の時代」に変更しました。「スペシャリスト」というのはビジネスの世界でよく使いますが、日本語ではないので「職人」と言い換えたということです。

また、「すすめ」は福沢諭吉の『学問のすすめ』と同じですが、推奨するという意味合いがあります。ただ、私ごときに推奨されても余計なお世話なのでやめました。私が提言するまでもなく、多くの人は自分で気づいて人生を楽しんでいることでしょう。

私が扱っているテーマで比較的多いのが「教育」と「働き方」になります。ブログのカテゴリーを確認すると「博士号」も多いのですが、博士号を取得済になったので、これからそんなに多くの記事が書けるとは思えません。

そして、「職人的生き方の時代」という何の変哲もないブログ名になりましたが、それでもこれからの生き方や自分の働き方を現わしていると思うので、しばらくこのブログ名で続けようと思います。ドメイン名も「職人≒スペシャリスト」であればこのままで問題ないでしょう。

組織人でサラリーマンを長く続けていますが、自分のマインドは職人のように自律しています。組織に依存するということはない方です。がんばっているわけではなく、自然とそうなりました。その方が生き方として楽なこともわかりました。そのような視点で、教育や働き方について書き続けていこうと思います。

コロナがはじまった年の6月からスタートしていますから、すでに4年が経過したことになります。このブログから2冊の一般書も出版されました。多くの人に読まれているわけではありませんが、コツコツ書いた一部が成果物として書籍化されているので満足です。

博士論文を書き終えたタイミングから「である調」から「です・ます調」に変えて、雰囲気もソフトになりました。これからもめずらしい視点の論点を提示していければと思います。ニッチであり続けようと思いますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。

お父さんはYouTuberの第2弾: 「やってみなはれ」の精神で

リンクは、現在予約注文中の『なぜ社会人大学院で学ぶのかⅠ』(アメージング出版、2024年)の紹介動画になります。事前にストーリーを決めていてもうまく話すのは難しいものですね。アナウンサーとか芸人の方を尊敬します。しかも労働法が専門ではないし、、、

『なぜ社会人大学院で学ぶのかⅠ』2024年7月発売決定!予約注文支援プログラムにご協力いただけませんか?締切2024年5月31日! - YouTube

企画から出版まで半年程度で実現した共著ですが、異例のスピード出版が実現しています。考えてみますと、それ以前からそれとなくイメージはしており、そのイメージが現実化したケースとなります。特に努力したわけでもなく、周到に企画をしたわけでもなく、成り行きで実現したものですが、これからの時代の流れを感じるよい経験となっています。

今回の経験に基づくと新しい時代は軽い気持ちで何でもやってみることが大切なように思います。眉間にしわを寄せて真面目に取り組むことを否定するわけではありません。しかし、時代の流れが変わったようなので、あまり真剣になり過ぎず、できることは「やってみなはれ!」の精神でやってしまうということです。そこで経験する失敗から新たな発見があるし、次の展開も見えてくることもあります。

実はすでに次の共著出版も検討段階に入っています。12月末までに執筆希望者に概要を提出してもらいます。そして、2025年2月末までに原稿を提出してもらい、7月頃に出版という流れです。タイトルはもちろん『なぜ社会人大学院で学ぶのかⅡ』になります。Ⅲまでは何とか続けたいと思っています。

現在、研究会にはクラウドファンディングで支援いただいた方やコミュニティを通じて参加いただいた方などが混在しています。もうすぐで1年経過しますので、ここで会員には次の2種類のいずれかを選択いただく予定です。

①ゆうれい会員
②アクティブ会員

ゆうれい会員の方には今まで通りこちらが発信する情報の受け手になってもらい、必要な時にできる範囲でご支援いただきます。

一方、共著出版で積極的に成果物で貢献されたい方はアクティブ会員として、コミュニティに参加してもらい毎月1,000円の会費を支払います。そしてこの会費は、そのまま出版費用に充当されます。

働きながら社会人大学院で学ぶ研究会 CAMPFIREコミュニティ (camp-fire.jp)

今のところ予約注文支援プログラムで出版を実現できていますが、毎年多くの方の善意に頼るだけでは限界がくるかもしれません。そもそも毎年予約注文のお願いをしても嫌がられるでしょうし、どうにかして予約注文に頼ることなく出版費用を確保することも考えなくてはなりません。

仮に毎月1,000円で年間12,000円の会費として50名の会員がいれば60万円になります。プラットフォームに支払う費用などを差し引いても、何とかギリギリ出版費用を確保できる水準になります。こんないい加減な算段ではありますが、そんなに深刻になることなく、気軽に挑戦し続ける、そして楽しむということが鍵になるのではないかと思っています。

そもそも「ゆうれい会員」というステータスがこの取り組みの特徴を示しています。いい加減でゆるいのですが、それが長続きする方法でもあるのかもしれません。どこまでこんな適当なやり方が通用するのか様子を見てみたいと思っています。

共著『なぜ社会人大学院で学ぶのかⅠ』の予約注文

リンクのとおり共著『なぜ社会人大学院で学ぶのかⅠ』の予約注文が開始されました。予約注文が200件に達すると電子書籍ではなく単行本として出版されるということで、「予約注文支援プログラム」といたしました。今考えると「予約注文サポート制度」の方がよかったかと思いますが。いずれにしましても予約注文を通してご支援いただければ幸いです。支援いただいた方のお名前は、執筆者一同お礼の気持ちを込めて、はしがきに掲載させていただきたいと思います。

<予約注文支援プログラム> なぜ社会人大学院で学ぶのか Ⅰ - 人生100年時代の学び直し | アメージング出版の販売サイト

過去の経緯ですが、昨年から「働きながら社会人大学院で学ぶ研究会」というのを立ち上げています。

働きながら社会人大学院で学ぶ研究会 CAMPFIREコミュニティ

この研究会のメンバーと昨年12月に成果物として共著を出版できないか議論いたしました。その後、出版企画、概要の作成、原稿の執筆と順調に進み、約半年程度で出版までこぎつけるという異例の速さで実現したことになります。

私一人であれば最低でも1年は必要だったことですが、やはり10名の執筆者であればあっという間に実現することに自分でも驚いています。またメンバーもみなさん前向きで、とにかく楽しんでいます。たとえ成り行きで実施してしまった企画だったとしても、やって良かったと思っています。

今の時代、慎重に企画を立案し、多くの人の承認をもらいながら物事を進めるより、見切り発車で面白おかしく実行していると、賛同者がついてきてくれるのかもしれません。眉間にしわを寄せて考えているくらいなら、もうやってしまうということでしょうか。

しかも、『なぜ社会人大学院で学ぶのかⅠ』としているくらいですから、Ⅰ、Ⅱ、Ⅲと続ける予定です。そのうち執筆者も集まるだろうという楽観的な目論見で進めています。走りながら考え、とにかく「やってみなはれ!」の精神で、行けるところまで行ってみようという企画。よろしければ研究会に参加いただき、共著者になってくれる方がいれば嬉しいです。お待ちしております。

日本人の長時間労働はゼネラリストであるため

一つの会社に所属し、人事異動でいろいろな仕事を経験してゼネラリストとして生きる日本人というのは、昭和の時代は当たり前でした。ゼネラリストであれば他者との差別化も難しく、長時間労働でもするかということになったのでしょう。よって、長時間労働の要因は、日本の労働者の多くがゼネラリストであることなのではないかと私は思っています。

一方、スペシャリストであれば、あらゆる仕事は自分の裁量で処理でき、突発的な案件が来ても、入口から出口まで見通せるのでストレスも少ないことが多いことでしょう。これがゼネラリストであると右往左往してしまい、誰に聞けばいいのか、何を調べればいいのか、とにかくわからないから大騒ぎし、結局仕事も後手に回ります。

冷静に考えれば、すべての日本人が職人のようにスペシャリストになれば、組織内の業務はかなり効率的に処理できるはずなのに、ゼネラリストも必要であるという議論が残り続けるのはなぜでしょう。その理由は、ゼネラリストが自分の存在意義を失いたくないために必死で「ゼネラリスト必要論」を主張しているためだと思います。ジョブ型ともいわれていますが、メンバーシップ型が心地よい人がまだ多数派なのでしょうね。

本来であれば、現在ゼネラリストの人も少し努力し、専門性を身につけてスペシャリストに転換すればいいのですが、その「少しの努力」をしたくないので、ゼネラリスト必要論に傾くわけです。労働市場においてほとんど値段が付かないゼネラリストですが、市場価値があるように振る舞うためにもゼネラリストに価値があることにしなければなりません。

結局、長時間労働を改善したくても、ゼネラリストであり続ける限り長時間労働は解消しません。一方、「少しの努力」も実践したくないので、長時間労働という不思議な努力に精を出します。これが長時間労働の正体ではないでしょうか。

こんなことを続けている限り女性の労働市場への参加は困難で、外国人労働者もバカらしくて会社を去っていきます。今ゼネラリストも必要だとか、全員がジョブ型になる必要はないと主張している人が制度を維持し続ける限り、長時間労働の解消は不可能なことでしょう。

文藝春秋の学歴詐称工作の記事を読んで

小島敏郎小池百合子元側近の爆弾告発」と北原百代「カイロで共に暮らした友への手紙」文藝春秋102巻5号を拝読いたしました。本当は福島雅典「コロナワクチン後遺症読者の疑問に答える」を読もうと思って買ったのですが、その前に掲載されている記事の方に興味が行き先に読みました。

学歴というのはここまで人について回るものなのかと不思議に思います。人が普通に暮らしている分には、誰がどんな学歴であるかなど関係ありません。仕事をしていても、おでこに学歴が表示されているわけでもないし、背番号のように背中に記載されているわけでもないのでわかりません。

私もこだわるかというと、何を学び研究したのか、そしてその結果今の自分があることが示せるという点でこだわることはあると思います。ただそれは自分の専門分野が何かを示すためであり、どこの大学を出たかということへのこだわりはありません。

よって、専門書や一般書を出版する時も、大学名と自分の専攻を記載しています。ただ、一般書を出す時は所属会社は伏せています。社名を出す場合は広報部に承認をもらわなければならないので、その煩わしさを避けるためです。特に職歴を詐称したいとか隠したいということではありません。このブログのプロフィールもそのことに配慮しています。

今回の小池氏に関する記事が真実であるかどうかは別にして、たしかに学歴にこだわる人が身近にもいることに気づかされました。たとえば、博士課程を修了して博士号を取得できているのか不明でありながら博士と表記する人。博士課程に在籍していたでしょうが、博士号は取れいるのかどうか定かではない。博士課程に在籍したと、博士号を取得したでは違いますが、「博士」という表記が何を意味しているのかわかりません。しかも海外の大学であれば確かめようもない。今回の小池氏と同じパターンで、その人のことを思い出しました。

あるいは、東京大学で博士号を取ったといいながら、その記録が出てこない人。法令で博士論文の公表義務があるので、そのような嘘は簡単にバレるのに、それでも東大博士として論文指導などのビジネスをしている人がいます。

また、60歳を過ぎているにもかかわらず、いまだに早稲田大学の稲門会の写真を頻繁にSNS上に投稿している知人もいます。「稲門会=自分」なのかもしれませんが、稲門会と関係ない私には興味もありません。先日、知り合いではないですが電車の中で小さく「早稲田大学」という文字が書かれたキーフォルダーをカバンに付けていた同世代か少し上の人も見かけました。その方も「早稲田大学=自分」なのでしょう。

私は東洋大学出身ですが、そのような思い入れがありません。難関大学でもないし、卒業後に大学のおかげで何か得をしたということもないからでしょうか。それどころか、先日図書館で本を借りるため校友として入構しようとしたら正門でブロックされ、警備室前で入構手続をさせられました。

開かれた大学といいながらこれではいけません。しかも私立大学といえども私立大学等経常費補助金という公金が使われているのですから、大学は文字通り物理的にも開かれていなければならないでしょう。3人の子どもたちにはこうい大学には進学すべきではないとアドバイスしました。このように管理強化をし統制をかけている大学は学問の自由すら怪しいと思うからです。

博士課程は神戸大学ですが、先日あるサークルの学生が旅館における器物破損事件を起こして問題となっていました。それとて私とは関係ないし、私の信用が失墜するこもありません。今は次の博士号に向けて高校数学から勉強している自分にとっては、すでに修了した大学は過去のものです。

「学歴=自分」というのは不思議なものです。本来はその学歴を使って何ができるか、どのように社会に貢献できるか、あるいは今後何を創造できるのかの方が大切でしょうが。何かを創造していくことができないとあきらめた場合に、過去の学歴に紐づけられた自分として生きていくことになるのでしょうか。そうならないためにも、日々研鑽していく自分であろうと思います。

軍艦島にみる昭和の働き方

先日長崎を訪ね、幸いにも軍艦島に上陸することができました。波が荒いといきは船が島に接岸できないということでしたが、私たち家族が乗った船はうまく接岸し上陸することができました。プロのガイドの方は、大学院で建築学を学ばれた方だったので、炭鉱の構造や労働環境についても興味深く解説いただきました。

そこで感じたことは、やはり昭和の時代と今では明らかに人々の労働環境は改善されているということと、人々の働くことへの意識も大きく変化しているということの2点でした。

まず、労働環境については、炭鉱に事故がつきもので、やはり命がけの仕事だったということがわかります。毎日命があることに感謝せずにはいられないくらい死と隣り合わせの環境だったわけです。子どものころ北海道に住んでいた私も、1981年に発生した夕張炭鉱事故は記憶にあります。毎日テレビで中継され、死者が運び出されたり、消火活動の詳細が報道されていました。最後は、坑内に残された労働者がいるにもかかわらず、消火活動のために注水されるということになり、悲惨な結末となりました。

それに比べて現代の職場環境で危険な場所は限られています。金融サービス業ということもあるかもしれませんが、私の職場にそのような危険な場所はありません。IT産業なども危険な職場環境とは無縁でしょう。現在の私たちの多くは、安穏としていても命の危険がない幸運を噛みしめなければなりません。

また、現地で軍艦島の写真集に接する機会があったのですが、人々の労働に対する意識も命がけだったというのがわかりました。1974年に軍艦島端島炭鉱が閉山しますが、その後、残務整理などで島に残っていた人がいます。その中で労働組合の三役の一人がすべての業務が終了し、北海道にいる同僚と再会した後、自殺をしてしまったという出来事がありました。その方にとっては、端島炭鉱での活動は人生のすべてだったのでしょう。何とも悲しい結末なわけですが、当時の人の仕事に対する思い入れが感じられます。

一方、現代の働き方は変わりました。自分の配属先に不満があれば転職する人はいくらでもいます。上司とそりが合わないとして会社を辞める人もいます。それだけ選択肢が増えて逃げ場があるということです。この点でも現代人は幸せです。自分の求める理想像を掲げて、職場を変えることがきでるわけです。

軍艦島への上陸は、単なる懐古趣味や廃墟マニアの見物としてではなく、昭和と現代のコントラストを感じるのに非常に有益でした。長崎の原爆記念館と並んで、ぜひおすすめしたい観光名所であることは間違いないと思います。時代が軽くなっていることを実感できます。

出版作業でわかる一緒に仕事をしたい人

2冊の共著の編集をしていて気がついたことがあります。それは自分が見えている世界が、他の人も見えているとは限らないということです。共著の形式や内容に一定の統一感は必要になるので事前に執筆要領が手渡されます。すべての著者は同じ要領を確認し、執筆を始めますが、出来上がった原稿はバラバラということがあります。

同じものを読んでも解釈が変わるのか、そもそも要領が頭に入らないのかわかりませんが、編集している側では、出来上がる原稿に相当なバラつきが生じるのは、そういうものだとあきらめるしかありません。それから表記ゆれを直したり、見出しを工夫したりしながら、読者目線の原稿に整えていきます。

執筆者全員が立派な大学を出られ、その後、高度な職業に就かれ、さらに高等教育を受け続けている人たちもいましたが、文章を書くということはまったく別次元の話だということがわかりました。

最近の大学入試は総合型選抜という小論文や面接を課した入試形式が増えているといいます。たしかに会社に入れば、稟議書や報告書など文章を書く機会は多いので、その部分の能力は鍛えておくことに越したことないと痛切に感じます。採点する側の負荷は相当なものでしょうが、大学入試全体が総合型選抜になれば、日本の高等教育の風景もかなり違ったものになるでしょう。

もうすぐで、2冊の編集作業は終了いたしますが、そこから多くの学びや気づきがあれば、執筆者にとって有意義な企画であったことでしょう。そして、少なくとも私には大きな気づきがありました。一緒に共著を出すことによって、その人が見えている世界もわかるし、文章を書く技術力がどの段階にあるのかもわかります。次も一緒に何かを書きたいと思わせる人も見えてくるので、共著の執筆というのは、ある意味で次のステージへのリトマス試験紙だったともいえます。

また、文章というのは、その人の技術がどの水準にあるのか証拠が残るので、気をつけなければならないとも思いました。自分もあちこち証拠を残していることになるので、実は怖いことでもありますね。身を引き締めていかなければと思います。ほどほどにですが、、、