好きに生きる!

家族から離れて自分のこれからについて考えたい

毒親と連絡を取りたくない

ひとり暮らしを始めて、フラッシュバックのように過去の記憶が蘇ってくるときがある。

毒親に弟と差別されていたエピソードが多い。

弟には好きなものを買い与えて、私には禁止する。

私には習い事を強要し、弟は辞めたいといえばあっさり辞めさせる。

小学校高学年のときにテトリスミニゲーム機(千円くらい)が流行っていた。

友達が買いに行くと言っていたので一緒に買ってきてもらったことがあった。

隠れて遊んでいたことがばれた時に母親に鬼のように怒られた。

買ってきてもらったと言えば余計に怒りが酷くなると思い、「もらった」と言ったらさらに激怒し、「正直に言わないと一生許さん」といわれたので白状した。

案の定、「親を騙そうとするとは!この嘘つきが!」と叩かれながら罵倒された。

弟はゲームの禁止もなく、お小遣いももらっていたし、挙句に学校で賭け事をしたり、お釣りをちょろまかす等もしていたが、「弟は天使で○○(私)は悪魔」「○○は根性が腐っているからどうしようもない」とよく言っていた。

母親は弟に拒否されてから「あの子は冷たい」などと急に私に擦り寄ってきたが今更である。

 

同居していたときは日々をやり過ごすのに必死だったのだと思う。

毒親に罵倒されて、やりきれない怒りが湧き上がってくると物にあたっていた。

今はどうしようもない怒りは滅多にない。

せっかく穏やかに暮らしているのに毒親から急に電話がかかってくることがある。

そのときは心臓が止まりそうなくらい緊張する。

できれば出たくない。でも呼び出しは鳴りやまずに電話は鬼のようにかかってくる。

最近、私が母親の電話に対してそっけない対応をしていたら、父親からかかってくるようになった。

たぶん命令されてやっているのだと思う。

その内容が「退職の慰労会を開く」だったのでものすごく嫌だと思った。

忙しいと遠まわしに断っても全く聞かない毒親

正直もう放っておいてほしい。

あなたの大好きな弟チャンと夫婦だけでやればいいじゃないか。私を巻き込むな。

その代わり老後も一生面倒見てもらってね。

弟は県外に逃げたけど、親の老後の蓄えも減るぐらいに弟につぎ込んできて、今もまだ援助しているんだから。結婚費用も、車の購入費用、奨学金の返還、生活費も出してあげて。

私は生活費を家に入れるのは当然。住まわせてやってるんだから。弟は離れて暮らしているのでかわいそう。らしい。

弟は親にお金を渡したことはないけどね。

金、金っていうなと言われるかもしれないけど、それは差別した側がいうことではないと思う。

私はきょうだい差別をされて傷ついたし、今も苦しめられている。

自分の性格

忘れないうちにメモしていたら、結構な文章量になったので連続してUPします。

 

成人後、母にブラックな上司について相談したときに「なんであんたはそんなに自信がないのよ!だから人に付け込まれるねん!見てて情けない!腹が立つ!」髪の毛をつかんで罵倒された。どうしてわからないのか不思議だ。私の性格は母が作ったのだから。

 

母は結果を出さなければ一切誉めない。
褒め方も「優秀なのは私の血♪父親はどうしようもないから」という感じだった。

少しでも遊ぶと、大事なものを取り上げられたり捨てられたりした。
「成績が悪かったら、共働きやからって私が言われるねんからな!」と世間体を気にしており、常にトップを目指せと言われ続けた。

失敗すると「ほら!私のいうこと聞かへんから!あんたは1回痛い目みんと理解できひんねん」と言われた。完璧主義の母親の要求に応えようとして、新しいことに挑戦することが怖くなっていった。
厳しいのは私にだけで、弟はただ誉められる。私は家事をやって当然だが、弟が稀にゴミ捨てをすると「親孝行な息子さんって近所の人から誉められた!」と手放しで称賛する。
どうしてなのか母に聞くと「あんたは性格がねじまがってる。性根が腐ってるから」と言われた。勉強もスポーツもできなくていいと言われ、ただ可愛がられて甘やかされる弟が羨ましくてしょうがなかった。


絵を描くのが好きで、幼稚園のころに漫画家になりたいというと「なれるわけないやろ!才能ないのに漫画家なんて食っていかれんわ!」と本気で否定されて呆然とした。こどもが将来の夢を初めて言った反応としては厳しいと思う。

弟には「あんたはほんまに絵の才能があるから芸術関係にすすんだら?」である。ちなみに弟のほうがデッサンもとれておらず、画力は低い。

 

あの頃の自分に「本当にがんばってるね。あなたは存在しているだけでもいいんだよ。」と言ってあげたい。実子であるのに母になぜあんなに憎まれていたのか本当にわからないのだ。

自分の存在を全否定され続けていると、全く自己肯定感が持てない。自分が好きで自信を持っている人がいることが信じられない。踏みにじられすぎてプライドなにそれ?って感じになる。ちなみに弟はめっちゃプライドが高く、母が「なんであの子はプライド高くて言うこときかんのやろ~?」と言ってたときに自業自得だろうとしか思えなかった。

母は弟に「馬鹿にされて恨んでいた」とカミングアウトされてから、急に私に接近してくるようになった。子供のころなら理不尽なことをされても健気に母に尽くしていたが、今になって母の愛情が欲しいとは思えない。なるべく距離を取りたいのが正直な気持ちである。

容姿について自信がない自分

自分の行動を振り返ると母の呪縛を感じるのだが、本当に私の人生は母に支配されてしまっていた。自身の容姿には全く自信がなく、自分以外の人は素晴らしく感じる。そして、新しいことを始めることが怖く、一歩がなかなか踏み出せない。いつになったら呪いから解放されるのだろう。ひとり暮らしを始めて落ち着いたときに、ふと子供のころの記憶が蘇ると自分がかわいそうで泣けてくる。今日は容姿について書く。思考の問題はまた次回に。

 

物心ついたころから母に「あんたは私より不細工。私のほうが美人」と言われて育ったので、昔の写真を見た人にかわいいと言われて心底驚いた。ずっと自分は不細工と思っていたから。他人を見ても美醜の区別がつかなかった。
他人が私と母が似ていると言うと、「この子は母親に似ているって言われると嫌がるんですよー」と返答していた。母は私と似ているなんて心底嫌だったんだろう。

 

髪は小さいころは母のセルフカットで前髪は切りすぎていつも変な写真が残っている。正直散髪は変な髪型にされるので嫌でしょうがなかった。髪はぐちゃぐちゃに結われるので自分で結うようになった。ちょっと成長してからは床屋で髪を切られていた。可愛くはないが母が切るよりはましだった。
そして、ニキビが酷くなるからとお下げにしていた髪を5年生ころにほぼスポーツ刈りにされた。案の定毛先が当たって余計に悪化。「私もニキビひどかったからー♪」と母は喜んでいるようにさえ見えた。
成人後、私が太ると「みっともない!だらしのない食生活をしてたんだろう!」と言いつつ笑っていた。子供のころに痩せていた頃は「病弱で心配をかけさせた!好き嫌いするから大きくならないんだ!」と怒られていた。
結局わたしが何をしても気に入らないし、少しでも他人に誉められると嫉妬していたんだと思う。

 

服も買ってくれず、誕生日会に穴のあいたトレーナーで出ろと言われたときに嫌だといったら、「手で隠せ!」と言われた。他の子の誕生日会に招待されてから、私も誕生日会がしたいとねだってやっと開いてもらったが、わざと恥をかかされるようにする母のことを考えると二度と誕生日会をしたいとは言わなくなった。
服はいつもダークカラーで「弟にあんたのお下がりを渡すから」と女の子らしいピンクや赤は全く買ってくれなかった。見かねた祖母がピンクや赤系の服を買ってくれたり作ってくれたときは「ばあさんはセンスが悪い!」と罵倒した。
一方、弟には「明るい色が似合う。⚪⚪は暗い」といって赤や黄色の新品を買い与えた。

 

「恋愛やおしゃれにかまけるな!色気付くな!」と勉強以外は一切禁止されており、楽しみは悉く排除されていたのに、今になって「彼氏は?結婚は?子供は?」というダブルスタンダードである。異性と殆ど接触がなかったのに無理でしょう。
母は、「父親と結婚して私ばっかり苦労させられる。家族のせいで出世も棒にふって後悔している」と言い聞かされて誰が結婚願望なんて持つのだろう?
いまはただ母と離れることができてほっとしている。結婚、出産、子育てでまた母と繋がりをもつなんてことはしたくない。

色々あった。

久しぶりのブログ。
職場で嫌な先輩から指導と言う名のパワハラをされていたら、ずっと自分にダメ出ししている状態になってました。
第3者からそれは指導じゃなくてパワハラって言われるまで気づいていなかったし、言われても甘えじゃないのかと自分を責めていた。
今思うと人格否定とか一貫性のない指導はおかしいよなとやっと気づけた。

一時は急に涙が出たり、希死念慮が酷くなって、看護師の友人に心療内科を勧められて受診しました。
服薬で少し楽になった感じです。
その先輩とは距離を取るようにして、二人きりにはならないようにしています。
仕事で疲弊してしまうので家事は最低限のことだけしてます。

支配者タイプの人間に目をつけられやすいみたいです。母親がバリバリの支配者で過干渉なので、条件反射的に従ってしまっているのかな…
毒親アダルトチルドレンの本を読むと、あてはまることが多くて…(苦笑)
あー生きづらさはここからきてるのかなあと思いました。
今は親からかけられた呪詛をひとつひとつ解いていくしかないのかな…
子供時代の記憶は途切れ途切れで、思い出すと辛いことが蘇ってくるのできついんですが…

弟にはまだ怖くて聞けてないけど、確かめてみたい気持ちもあり。
独身で子供もいませんが、正直自分が子供を無条件で愛せるのかわからない。母親の気まぐれで条件付きの愛しか知らないから。

とりとめなくかいてしまったけど、自分の備忘録なので、佳いことにします。
読みにくくてごめんなさい。

呪い(2)

私の家庭は田舎にあり、弟は長男で、私は長女だった。

母親は弟は手がかかると言いながら、私は放置されていることが多かったように思う。

共働きの家庭で、母は「父が家事しない!私ばかり損だ!不公平だ!」といつもイライラしており怒っていた。

母は世間体もかなり気にしており、「ちゃんとしていないと、あそこの家は共働きだからって言われるでしょ!」と、口癖のように言ってた。

私は、母に恥をかかせてはいけない!と勉強を頑張っていたように思う。学校生活でも気を張っていた。教師からはクラスの問題児の面倒を見せられたり、同級生からはいい子ぶっていると言われることもあった。

一方、弟は自由気ままに楽しく学校生活を過ごしているように見えた。毎日友達と遊び、友達も多く、教師からも気に入られていた。

 

毎日のように、食事中の夫婦喧嘩が始まると弟はご飯をさっさと食べ、すっと自分の部屋に姿を消していた。

私は喧嘩に巻き込まれ、怒号の中で落ち着かずに食事をし、よく胃が痛くなっていた。

「お姉ちゃんは要領が悪いなあ」とニヤニヤしながら言われていた。

 

こうして振り返ると、当時の記憶が思い出されて取り留めないことまで書いてしまう。

ブレブレなのは承知なのだが、まとまった文章を書くことが初めてなのでご容赦願いたい。(日記もほぼ続いた試しがない)

 

(1)の冒頭で書いた、「性根が腐りきっている、根性が悪い」の母の発言は、弟と喧嘩したとき、親に叱られているときに毎回のように言われていた(日によって多少バージョンに変化がある)。前後のやりとりは一切聞いてもらえず、一方的に私が悪いとされ、今思えば呪いの言葉を毎日浴びせられて人格否定されていた。

他にも、人から見ると私と母はよく似ているそうなのだが、親戚には「えー!私のほうが美人でしょ」、他人には「この子、母親に似ているって言われると怒るんですよ!」と言い、認めたくないようであった。(私は似ていると言われて怒ったことはない。いつも母に言われるので相当嫌なのだろうなあと思い、下を向いて黙っていた)

また、「暗い、陰気、あんたの顔みると気が重くなる」ともよく言われていた。

母親はいきなり機嫌が悪くなって無視したり、怒りのスイッチが入るので表情を伺う癖がついてしまったのだが、「人の表情伺って!子供らしくない!」とも言われた。

弟と比較して「友達が少ない!根性が曲がってるから勉強だけできても仕方ない!弟を見習え!」とも言われていた。親に言われた通りにやっていたのに自分だけ怒られるので、子供心にも納得できないものがあった。

弟も親が私を罵倒する様子を見ているので、私を馬鹿にしたような発言(「だから友達いないんだよ」等。実際、友人はいた。)をすることが多かった。自分は姉と同等、それ以上の扱いを受けないとすぐ癇癪を起こしていた。

 

母にとって、私はストレス解消の対象、弟は愛玩の対象だったのだと思う。

それが一転したのが、弟が結婚することになり結納が執り行われたときのことである。

弟は「母は自分を可愛がってはくれなかった。いつも姉ばかり贔屓していた。自分を馬鹿にしていた」と両親に告げたのだった。

母はその場で泣き崩れ、相当なショックを受けたそうだ。(私は同席していないので両親から聞いた情報だが)

弟は両親ともうまくやっていたように見えていたので、私は内心とても驚いた。

父親は「お母さんは傷ついているんだ!」と言い、母親は「あの子はもう私の子じゃない!好きにしたらいい!」と泣きながら言った。

その出来事を聞かされたのは、だいぶ時間が経過してからだった。一応、私から弟にそんな風に思った理由を聞いてみようかと提案してみたが、もう過ぎたことだと断られた。

そして、その日から母は「やっぱり娘は同性だから自分の分身で、息子は男だから他人だ!」と言い出した。

急に手のひらを返し弟の悪口をいう母に対して、戸惑っているのだが、何故か「母親がかわいそう」という気持ちや、私まで見捨ててはいけないというような罪悪感を持ってしまった。

弟とはその一件からますます気まずくなってしまい、連絡はほとんど取っていない。

 

ひとり暮らしを初めて、やっと自分のことについて考え始めた気がする。

弟の代用品としてではなく、自分のための人生を送らないといけないと思っている。

呪い(1)

母親に言われたことで一番古い記憶は、

「あんたは根性が腐っている。どうしようもない性悪だ。弟は天使のようないい子なのに。」

です。

保育園か幼稚園のころに言われた記憶があり、その後も事あるごとに言われていた。改めて振り返ると酷い。物心つくかつかないかの子供に言うことではないと思う。

 

私は長女で、弟が生まれてからは「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい。もう○歳でしょ」と言われて育った。当時の私と同じ年齢になっても甘やかされるだけの弟を見て、何故か聞いても「まだ弟は○歳でしょ!弟がかわいくないの!」と理不尽な返しをされた。

私には母親が弟を溺愛し、甘やかしていたように感じた。弟が欲しがったものは買い与え、常に弟の味方をしていた。

私は日常的に母に罵倒され、厳しくされていた(母は躾と言っていたがただのストレス解消ではないかと思う)。

私は、ゲームなどの欲しいものは「怠けて勉強しなくなる」買ってもらえず、元々家に置いてあった漫画も「勉強をさぼった罰」と隠されたり捨てられた。お小遣いは当然なかった。お遣いのお釣りは当然すべて母に返していた。

弟には「仲間外れにされてはいけない」とゲームを買い与え、漫画を買うお小遣いももらっていた。お遣いのお釣りをちょろまかすなど日常茶飯事であった。

実際は、私は宿題を忘れず、成績も良かった。弟は宿題はやらず、成績も悪かった。

それでも弟の優遇は変わらず、「男は付き合いがある。運動部だから小遣いがいる」「女は無駄な金を持たせると不良になる。文化部だから小遣いはいらない」などと父親も一緒になって言い出した。結局その小遣いは弟のコンビニでの買い食い(当然1人)に使われており、母親が「同じものを食べているのに(弟が)どうして太ってきたんだろう」と言っているのをみて驚愕した。もちろん、私はお金を持っていないので買い食いなど最初からできない。

こんな状態が、私が進学で家を出るまでずっと続いた。

弟とは漫画やアニメなど趣味のことについては一緒に盛り上がって話していたこともあったが、親の愛を無条件でもらえることが羨ましいと嫉妬していたときもあった。

(つづく)

ブログを始めたきっかけ

私の家族は両親、私、弟の4人家族。

物心ついたときから両親の喧嘩が絶えなかった。

私は進学で独り暮らしをしていた時期もあったが、社会人になってからは実家暮らしに戻った。

弟は大学と同じ土地で就職してそのまま実家を離れたので、両親と私の三人暮らしとなった。

 

両親と同居していたときは、父親が原因で家庭がうまくいかないと思っていた。(母親に父親が異常だと日常的に愚痴られていたことが大きいと思う。)

その頃から色々と毒親についての情報を集め始め、関連する本を読んだりしていた。

去年の12月からひとり暮らしを始めて、両親から距離を取ってみると、母親の方にも原因があるように感じる。というか、寧ろ母親が毒親なのでは?と思うようになった。

 

母親から連絡が来ると心臓がバクバクして立ち直るのに時間がかかる。

実家に帰省すると、疲れ果てて無気力になる。

自分の家に帰るとホッとする。ホームシック皆無。

 

今の私の状況が上の通りなので、少しずつ親から毒を解毒するために、思考を整理できたらなと思う。

子供時代は細切れに鮮明な記憶があるが、辛かったためか途切れ途切れになっている。

少しずつ思い出したことを書いていくつもり。

今は自分のことがよくわからない状態なので、自分の意思や感情が出せるようになりたい。