年末のご挨拶
今年の私的バッドニュース第一位は「Twitterの改悪」で、特にfeatherというアプリが使えなくなったことです。結果としてTwitterを見る時間が相当少なくなりました。そんな状況でTwitterに「本年は大変お世話に――」なんて書いたところでちょっと嘘っぽいよな―と思い、こちらでひっそりと書いていきます。
こんなところまでわざわざ見に来てくださった方、今年一年ありがとうございました。考えてみたらこうやって十把一絡げに年末の挨拶をするというのもそれぞれとの思い出を軽んじているような気もするのですが、まあそういう、より密なあれやこれやはまた会ったときにでも話したいよね、という意味だと思うと良いのかもしれない。
そういったような意味も込めて、来年もまたよろしくお願いいたします。ポルノは埼玉と東京2日目に行きます。
ストライキ?
昨晩は、やけに冷房の効きが悪かった。座っているだけでじわじわと汗ばんできて、気がつくと額から眼鏡に水滴が垂れたりしていた。一人暮らしをはじめて十年ほど経つけれど、こんなことは初めてだった。
試しに設定温度を最低まで下げて、風速を最大にしてみた。このまま壊れるんじゃないかと思うほどの唸り声を上げて稼働し始めるエアコンに、少し不安になる。
頑張りの成果はあって少し涼しくなったような気はしたが、ダメだった。その状態も数分しかもたず、すぐに稼働音が静かになり、冷え切らない部屋はまたじわじわと暑くなっていった。
「実は冷房ではなく除湿モードにするべきなのでは?」と試してみたけれど、これもダメで、額の汗の粒が大きくなっただけだった。急いで冷房に戻した。
「窓を開けたほうが涼しいのでは?」と試してみたけれど、普通に外のほうが湿気を感じて不快だった。もう夜の十時だぞ、と、誰に向けるでもなくイラッとした。
ネットで解決策を検索してもどうにも解決しなさそう(だいたい「掃除したら直るかも」と書いていたけど先月末に掃除したばかり)だったので、諦めてウイスキーの水割りを飲んで、いろいろと誤魔化して寝た。
そして、今夜。
なんか知らんけど直っていた。いま部屋はとても涼しい。
日中に外気温が高すぎてエアコンの効きが悪くなることは今までにもあったけど、今回もそういうことだったのかなぁ? 原因がわからないのは不安だ。夜だしなぁ。
と、書いていて気がついたけど、前々日まで連続稼働させすぎたんだろうか。仕事が三連休だったので、三日間ほぼほぼぶっ通しでエアコンをつけていたような気がする。
何にせよ、この夏は無事に乗り切りたいなぁ。エアコンくんにお休みをあげるためにも避暑地の別荘(持ってない)にでも行ってのんびりすごしたい。
あーーーーーーー うーーーーーーー
なんか書きたいけど何を書くか思いつかないときってみんなどうしてるんですかね。諦めて寝る? 無理にひねり出す?
僕は今「あーーーーー」とか「うーーーーー」とか言いたい気持ちで、でもそれじゃあ文章でもなんでもないしなんか怖いので脳内の実況中継をすることでなんとか意味のある文章を作っているところです。お酒を飲んだのも良くない。
急に話飛ぶんですけど、いろいろ答えの難しい問題ってあるじゃないですか。政治の話とか、炎上してた話とか。いや、僕から見ると「難しい話」なんだけど誰かか見ると「わかりきった話」になるのかもしれないな。それはそれでいいと思うんだけど。(いいと思うってなんか上からっぽいので別の表現を見つけたい)
最近思うのは、なんかこう、なんでも答えが出るのが早い時代になったよなーって。沢山の人が同じ問題について考えるから、思考がある程度ショートカットされるからなんだろうか。良いとか悪いとかじゃなくて、単純についていくのが難しいなーと思う。
そういうわけで、思考を投げ捨てて、海に行って、ぼーっと月を見たりしたい気持ちになりました。
GoToトラベルってやってるじゃないですか。あれが使える間に島に行きたい。というか、船旅をしたい。
地元の高知県から東京に出てくる時に船を使ったんだけど、その時に見た星空が忘れられない。周りになんの明かりもなくて、なんなら携帯の電波すら怪しくて、そんな中で見る星空がほんとにきれいだったんですよ。
すごい脈絡がないけれど、思うままにキーボードを打ってると割と満足してきたのでやめます。おやすみなさい。
積ん読が増えてゆく
先々週の金曜日、久しぶりに本屋さんに行った。外出自粛が叫ばれる前から行く機会は減っていたので、ひょっとすると、年単位で久しぶりかもしれない。通販や電子書籍に頼りきりで、実店舗まで足を運ぶことがなくなっていたのだ。
では、その日はなぜわざわざ本屋さんまで行ったのか。理由は簡単。僕の好きな声優さんが出版社のフェアのイメージキャラクターに選ばれ、対象のコミックスを買うとノベルティがもらえるからだった。要はその特典目当てである。
店につき対象商品を見つけてレジに向かったのだけど、その日はやたらと混み合っており*1、レジ前にはものすごい行列ができていた。いや、”レジ前”というか、レジをゴールにぐるっと店の壁一周分くらいの列になっていた。店の広さはそれほどでもないんだけど、それにしたって長蛇の列だ。
とはいえ商品を買うにはその列に並ぶしかないので、おとなしく並ぶ。普段こういうときはスマホで時間をつぶすんだけど、その日は久しぶりの本屋さんということもあって、周囲の本棚を眺めることにした。
壁沿いに天井までの本棚が設置されていて、その本棚に沿って列は伸びている。列は少しずつ進み、そのたびに新しい本が目に入る。通販や電子書籍だけで本を購入していては目に触れる機会もなかっただろう本たちと次々出会う感覚に、なんだか懐かしく、嬉しくなった。
気がつくと、ただ本棚を眺めるだけではなく、どれを買おうか考えている自分がいた。世の中には魅力的な本が多い。とはいえあれもこれもと買うわけにはいかないので、直感を信じつつ、数は絞る。給付金の十万円はとうに消えてしまっているので、それほどお金に余裕はない。
雑誌、大判本、旅行ガイド、文庫本と、それぞれの本棚の前を通り過ぎレジにたどり着く頃には、何冊か本が増えていた。コミックス一冊なら手持ちの鞄に入ったんだけど、あいにく入りそうもない。有料になったレジ袋をあわせて買った。
あれから約二週間が経ったけど、最初から買う予定だったコミックス以外は全く読めていない。まあでも僕と本との付き合い方ってもともとそんなものだったような気もする。
たぶん今後も通販サイトや電子書籍を相変わらず便利に利用するとは思うけど、また本屋さんにも足を運ぶようにしたいな。そのときは、財布の紐をちょっとだけ緩めながら。
*1:考えてみると普段を知らないので平均的にそうなのかもしれない
書欲
「何か文章を書きたいんだけど何が書きたいのかわからない」という状況になることがまあまあな頻度である。ちなみに、今もそうだ。
そういうときは結局なにも書かずに終わることが多かったんだけど、考えてみると「何が食べたいのかわかんないけどお腹は空いた」という状態なら何か食べるし、それでいうとなにも書かないのは体調に良くないんじゃないかなという考えから思うままを文章を書いています。人間の三大欲求といえば食欲、睡眠欲、そして書欲(かきよく)ですし。
せっかくなので、最近パソコンを買った話でもしようかと思う。
僕が今まで使っていたパソコンは短大生時代に買ったMacBookで、もう8年くらい前から使い続けているものだった。当時の僕は軽音サークルに入っていて、「音楽をやるならMacでしょ!」という考えから購入したのだ。値段はそれなりにしたが、実際にこのパソコンで何曲か曲を作ったりもしたし、8年も使えたんだからいい買い物だったんだと思う。
しかし、流石に限界を感じていた。作曲アプリを立ち上げてもまともに動かないし、回線速度は問題がないのに、YouTubeで動画を見ることすら困難な状態が続いていたのだ。
それでもだましだまし使っていたんだけど、先月の末ごろに新しくノートパソコンを注文した。使っているスマホがiPhoneであること、使い慣れていること、アプリが便利なこと*1、そしてなんかオシャレっぽいこと(※重要である)から、前回と同じくMacBookだ。新しいMacBookは使いやすく、YouTubeを見るだけで固まることもなく、Touch IDの機能まで増えていて、やっぱり買ってよかったなと思った。
ところで、このMacBookについて、ひとつ悩んでいることがある。それは、ステッカーどうしようかな問題だ。MacBook用に様々なおしゃれステッカーが販売されていて、なんとなく心惹かれているものはありつつも、これ!という決め手がない。
僕は猫が好きなので猫のステッカーを検索したりもするんだけど、リアルすぎたり、逆にキャラっぽすぎたり、キャラっぽいというか魔女の宅急便のジジだったりする。ジジのデザインは好きなんだけど、それほど詳しいわけではないアニメのキャラクターのステッカーをパソコンに貼るのには抵抗がある。よく知らないバンドのTシャツを着るのをためらう心理だ。
別にMacBook用に作られたステッカーじゃなくてもいいのかなぁ。ただ、それだと剥がしづらかったりするんだろうか。どうなんだろう。
何かいい案があればこちらのコメント欄かTwitterで教えてください。
マジで何か書きたかっただけで書いた文章なので特別オチとかはないです。読者登録コメントTwitterのフォローよろしく!(最近QuizKnockのYouTubeチャンネルを見ているのでそのノリ。動画編集とかもやってみたい)
*1:AlfredとBetterTouchToolというアプリがめちゃくちゃ便利なので使ってない人には使ってみてほしい
好奇心は猫をも殺す
昨日、いつものようにツイッターのタイムラインを眺めているとこんなツイートが流れてきた。
三原じゅん子さんの発言を取り上げた東京スポーツの記事をツイートすると「不自然なアクティビティを検出しました」というメッセージが出てアカウントをロックされる件、動画を公開します。
— タナモヒロス (@tanakawahiroji) 2020年5月27日
他の方のアカウントなどが映る箇所はボカし加工を入れてありますが、切り貼りは一切しておりません。 pic.twitter.com/XkJoIFFCct
埋め込んだツイートが見れない人のために簡単に説明すると、「ニュースサイトの特定の記事をツイートするとアカウントがロックされる」ということを動画付きで知らせるツイートだ。
10年間ツイッターをしてきたけれど、見たことも聞いたこともない症状だった。証拠となる動画が添えられてはいたものの、僕の率直な感想は「ほんまかいな」だった。
好奇心が頭をもたげてきた。
件のツイートを再度見てみると、引き金となった記事が政治にまつわるものだったこともあり、やれ検閲だ言論統制だというようなリプもぶら下がっている。
実際にこれが政治的な理由で消されていたのだとすると大問題だと思うし、僕には絶対敵わない。ただ、僕にはこれが検閲や陰謀によるものだとは思えなかったのと(あからさま過ぎるしそれほど内容のない記事を封じてもさほどメリットはないと思う)、そして何より初めて見る現象に好奇心が抑えられなかった。
なので、実際に試してみた。ひとりかくれんぼやこっくりさんを初めて知ったときのような、怖いけどちょっとワクワクする気持ちだ。
結論から言うと、僕のアカウントは添付されていた動画の通りに「不自然なアクティビティを検出しました」とのことでロックされてしまった。画面には「再度ログインする前にパスワードを変更してください」と表示されている。
「マジでこうなるんだ」と感心しながら画面の支持に従い登録されているメールアドレスにパスワード変更用のURLを送信する。
ところで、皆さんはメールアドレスをいくつ持っているだろうか? そして、それらのメールアドレスを最後に使ったのはいつだろうか?
僕はリアル用、ネット用、携帯会社のもの、固定回線のプロバイダのもの、総合用の、少なくとも5つのメールアドレスを持っている。
だが、最近では最後のアドレスですべてを済ませてしまうようになった。そもそも友人とメールのやり取りをすることがなくなったので、メールの出番というと何かの会員登録をするときだけ。
つまり、何が言いたいのかというと、ツイッターのアカウントを作成するときに使った「ネット用」のアカウントに最後にログインしたのが、もう何年も前になるということだ。
うん、ログインできなかったんです。そのメールアドレスに。パスワードがわからない。
僕は、パスワードの使い回しはしていないものの、そのサイトを見れば自分には推測できるような法則性のあるパスワードを使っている。ただ、このネット用のメールアドレスを作成したときは、まだその法則を使い始める前だった。
当時の自分の思考パターン、考え方を推測していくつか数字やアルファベットを入れてみたものの、やはりメールにログインできない。実に困った。だが、まだ慌てるほどではない。
この手のサイトには、僕のようにパスワードを忘れた人のための救済措置が用意されている。パスワードを思い出すのを諦め、「パスワードを忘れた方」という文字をクリックしてページを移動する。
そこには「生年月日を数字8桁で入力してください」という表示と「秘密の質問:子供の頃のあだ名は?」という表示があった。
生年月日は、まあ、わかる。入れる。
次は「秘密の質問」だ。秘密の質問、懐かしすぎる響きだ。最近聞かなくなった気がする。
さて。
困ったことに、僕は子供の頃に特定のあだ名で呼ばれた記憶がない。だいたい本名の下の名前で呼ばれていた。つまり、入力すべき答えがない。
あと、確か当時の僕は「質問の答えをそのまま書いたら他の人にバレるのでは?」と考えて、こういった項目には全く別の答えを入力していた気がする。
つまり、書くべき答えはなく、仮に特定のあだ名を思い出せたとしてもそれを素直に入力していない可能性がある、という二段構えの罠になっているのだ。過去の自分のセキュリティ意識には頭が下がる。メモも残していないし完璧だよちくしょう。
一応あれこれ考えて打ち込んでみたが「あと1回間違えたらロックされます」と赤字で表示されたので引き下がることにした。
つまり、
ツイッターにログインするにはパスワードの変更が必要
→パスワードの変更にはメールアカウントへのログインが必要
→メールアカウントへのログインができない
となり、詰んでしまった。
一応ツイッターに「こういったことなので復旧させて」とメールを送ったけれど、まだ返事はないし望み薄だと思う。
そういった経緯で新しくツイッターのアカウントを作り直したのでした。
引き続きよろしくお願いいたします。
keep:
自分にとって一番身近な表現というのは、やはり文章なのだと思う。で、あるなら、この2020年4月のことは、世界が脅かされた、そして現在進行系で脅かされている今のことは、文章にして書き残さなくちゃいけないんだと思った。それは、他でもない未来の自分のためにだ。
大仰に「世界が脅かされた」なんて言ってみたものの、僕の生活は、むしろ以前より穏やかなものになった。仕事が休業になったからだ。
人生におけるストレスの殆どが、仕事由来のものだったんだなぁと改めて実感した。逆に家から出られないことは、それほどストレスではないらしい。
とはいえ、僕が生きる理由、それなりに人生を頑張る理由となっていたライブが全て延期、あるいは中止になってしまったことはとてもつらい。そして、ツイッターなんかで僕と関わりのある人たちの待ち望んでいたライブ、イベント、舞台などが影響を受けてしまったということは悲しい、つらい、苦しくなる。なんで生きているのかわかんなくなるくらいだ。
今の僕は、ストレスのない世界になんとなく生かされている。それは、波の起こらないプールの上にぷかぷかと浮いているようななんの刺激もない世界で、それはそれで悪くはないんだけど、やっぱりなんらかのが恋しい。
政治的ないろいろも目にする。
僕は左と右がそれぞれどっちの考え方だったか覚えられないくらいに政治は疎いんだけど、それでもまあ思うことはある。せめて、生活が苦しい人たちから順番に救われる世界であればいいなと思うけど、そうはなっていないような世の中に陰鬱としてしまうし、でも自分には関係のない世界ではあるので、その陰鬱とした気持ちに少し安堵もある気がして、それがすごくもどかしい。所詮は自分もその程度の人間で、世界のために生きることはできない。自分や、自分の好きな人たちが大切だし優先だ。
ほんと、せめて、せめて自分の好きな人たちがつつがなく生きていてほしい。それは事ここに至っては欲張りな願いなのかもしれないし、不謹慎なのかもしれないけれど、僕は、そう思う。
幸いにして僕はインターネットがあれば割とひとりでも生きていける人間のようなので、せめてみんなは幸せでいてね。今現在100%は無理だと思うけど、いつかは。
英語では、日記をつけることを「keep a diary」というらしい。「write」ではなく「keep」。せめて今を覚えておくことが、いつか平和になった世界で思い出してやることが、話の種にしてやることがせいいっぱいの復讐だと思うので、そう思って生きていきます。
またいつか会おうね。