フットサルの本質
今回は、結論から先に言ってしまおうと思う。
フットサルとは「陣取りゲーム」だ。
この言葉の意味が理解できた瞬間から、あなたの成長曲線は大きく膨らむだろう。
自分の根っこにあるもの
今日はかなり考え込むことが多い日だった。こんな日に思いついたことは必ず書き留めておこうと思うのだが、気が重い。。
今日は年下の子の相談に乗っていた。その子はこの時期にもかかわらず、進路に迷っているらしい。その子は1年浪人をしていて、親や先生からは「この一年でやりたいこと、行きたい大学を決めなさい」と言われていたのだが、結局決められなかったらしい。その子の意見には、「この先の長い人生のほとんどをかけてやることをこの一年ないしは大学の4年間で決められるわけがない」というものがあった。
これに対して、私ははっきりと答えることができなかった。その時は「そうだね。今の時点で働く業種を決めるのはよっぽど覚悟を決めて飛び込むか、逆になーんも考えず飛び込むか、このどちらかができる人だけだから、つぶしが利くようなところに入っておくのが将来を考えるといいと思うよ。」と答えた。なんとも中身のない、ありきたりなアドバイスだろうか。
自分の、即座に自分のオリジナリティを出した返答ができないところがかなり嫌いだ。
それができない理由はきっと自分の考えに自信を持てていないからである。
だから、家に帰る時の移動時間に、改めて自分の生き方をどう思い描いているのか、をもう一度考えてみた。
まず、自分の中でかなりのパーセンテージを占めている理想の価値観が「慎ましやかに生きる」という価値観である。
本当にお恥ずかしい話ではあるが、今まで与えられたことを真面目にこなしてきたのも、社会で成功したいからでも、海外で活躍したいからでも、何かしらで有名になりたいからでもなく、ただただ安定した生活を将来送りたいからである。小学校からの夢は、可愛い子どもを何人かもうけ、気立ての良い家庭的な妻を持ち、子どもや妻に決して不自由ない生活を送らせることができ、業務に忙殺されることのない職について、静かに生きることであった。
だから、「やりたいことがない」という気持ちは痛いほどわかる。今まで与えられたもの(勉強、スポーツ)に一生懸命取り組み、それが評価につながっていたのに18歳になった瞬間に、「自分がやりたいことはなんですか?」と聞かれても選ぶことができるはずがないのである。
しかし、それなりに知識を蓄え、高校を卒業するまでに至った私は、その中から本気でこれが1番やりたいとまでは思わずとも、なんとなくこれが好きだった気がする、という気持ちを自分の中で大きく膨らませ、そして自分自身を洗脳し、あたかもそれが「将来私がしたいこと」かのように思い込ませて、学部を選んだ。
ただ、その洗脳もいろんな情報を入れるといつか解ける。そこが第2の壁である。
ここがいわゆる「無知は無敵」と言われるところである。
何も情報を入れていなければ、その洗脳が解けることすらないのだ。
そうやってがむしゃらに物事に取り組んで行くのは近視的にみるといいのかもしれないが、そのあと気付いた時に振り返るといかに頑張る方向を間違えていたのかがわかるだろう。そのときの絶望感たるや。
それを味わうのを分かっているので、石橋を叩きに叩いて渡らない、ぐらいの物事の進め方しかできないのだ。
これが私という人間の本性である。
みんなこういうものなのだろうか?
そんな風には思えないが、もしかすると、生まれつきの考え方はほとんど同じで、そこから明確な目標を持ち、「今の私には自分とは違う考え方を持っている」ように感じられるようになるのだろうか。
これはほんとにみんなに教えてほしい。
冷静に考えるということ。
新しいことを始めるとき、それを人に相談することもあるだろう。
そのとき、その相談相手が言いがちなこと第3位ぐらいに入ること。
それが「一回落ち着いて考えてみよ」だ。(筆者調べ)
確かにそうやって冷静に物事を考えることは重要である。特に、取り返しのつかないことに関しては。
ただ、
思っているよりも人生において起こる出来事は取り返しがつくのではないか。そんな風に最近考えている。
最近読んだ本によると、アメリカにおいてはベンチャー企業を興し、見事なまでに倒産させて人物は必ずしもネガティブ評価はされないらしい。むしろ、どうすれば失敗しないかのノウハウを持っているため、次は成功できる可能性が高まるとしてポジティブな評価をされることすらあるらしい。
そのメンタルこそ、いま自分やその周りの人にとって大事なことなのではないだろうか。
とかく「安定」とかく「正解」を求めてしまってはいないか。
いや、間違ってはいないのだ。この日本においては。
ただ、冷静に考え、行動を制御すること。そんな能力、管理職になってから身につければいい。
まだまだ若い私たち、考える前に行動だ。そして失敗しよう。そこから学ぼう。その先には白い明日が待ってるぜ‼︎
(こんな偉そうに書いたが、自分の性格は失敗を過剰に恐れる臆病者である。汗)
引退。それから。
11月末。シーズン途中だったが、一発トーナメントで負けたところで引退することに決めた。
理由としてはいろいろある。
まずは、個人的なところ。
他のこと(卒論など)が忙しくなり、プライオリティを部活に置けなくなることがわかりきっていた。そんな状況で続け、後輩たちの成長の機会、つまり公式戦への出場機会に蓋をするのは非常に申し訳ないことであると思ったため、練習に参加する余裕はあるものの辞める決断をした。
次に、チームのこと。これが一番かもしれない。
さっきも述べた通り、来季のチームを作る上で、四年生がいないということはポジティブであると考える。なぜならトップチームで痺れる試合をこなしているかどうかでオフシーズンの過ごし方、考え方が大きく変わり、個人のレベルアップにつながるからだ。
それに、自分の能力的に、チームの中心ではあるが、不可欠ではないと考えていた。不可欠である選手が残っており、チームの芯は保たれると思っていた。
また、参加している二つのリーグにおいて、ほぼ順位が変動しないことが考えられた。また、もしこれで自分が残ることで順位が上がってもあまり意味はないと思っていた。
これらの理由から、ポジティブな影響がネガティブな影響より少ないと思ったこのタイミングで辞めることを決意したのだ。
正直、未練たらたらだ。ガチでやりたい、と思うことも何度もある。
それでも、後輩たちは自分がその年齢だったときよりよほど上手で、将来が期待できるし、今シーズンですらもうまくやってくれる。そう思っていた。そう思っていたからこそ、続けたい気持ちを押し殺してここまできた。
しかし
結果は6,7試合やって1引き分けのみ。
惨憺たる結果だ。目指していた3位以内からも転落することになる。
ちなみに3位以内に入ると史上初の、上のリーグへの挑戦権を得られる。一年に一回しか訪れないこんな絶好機を逃すわけにはいかないのだ。
このような現状を、ある人はコントだと言う。コントならまだマシだ。笑えるから。
いや、こんな物語、誰が笑うねん。
自分の見込みの甘さ、そして残っている現役部員の不甲斐なさに失望している。
果たして、内部では何か変えなければならない。そういった危機感があるのだろうか。ただの調子が悪い時期と捉えているだけだろうか。
もしそうなら、復帰して喝を入れなければならない。
自分を驕っているわけではない。1ヶ月休んでいた自分が入ったからといって競技力が上がるのかと言われればそこに確信を持てるほど上手い選手でもないし、強いカリスマ性を持つ人でもない。
ただ、それほど大変な状況だぞ、と思い知らせるための人柱となるのだ。
理想は、自分が戻らずに、チームの意識が変わっていること。
それを信じて、今日は練習に向かう。
分析
1st 10.17.21.31
OFパターン
サイドで縦に速い。というか縦の判断を選びがち。
17は嫌なところ狙ってくる
DFの形
プレスがんばってくる。
2nd 2.4.16.19
OFパターン
押し込むと動かしながらパラレラ狙い。
DFの形
ボールにはアタックしてこず、ある程度のラインを設定している。ただ、そのスピード、精度はそれほど高くなく、ブロック作る前に攻めてしまうのも一手
横の動きに対してマンツーマン。パスラインの管理はあまりしていない。
背負われたとき、あまりがっついてこない。意識が希薄なのか、最悪の事態のケアかは要確認
ブロック前でのフェイクはほぼ無反応
現状
1st がイマイチ。2ndはエースを活かせない形になっている
だが、今回は勝ち点3を取らなければならない試合なので、弱い相手の2ndに調子いいセットをぶつけて点を取りに行くべき。
戦い方
中心戦術:ピヴォ当てで陣地稼ぎ
当てれたら、相手の帰陣より早くフィニッシュ。
強く来たらクワトロセットで回避。40分強度高いことは想像し難い。
守備戦術:タイトに距離を詰めトランジションで絶対に負けない。
理想は全部蹴らせる。もし押し込まれたら速く攻め切る意識が強いので、縦切りでスピードダウン。絶対に取りきりに行かない。
初投稿
はじめまして。kohです。
フットサル中心の生活を送っております学生です。
最近ある人からただ思考するだけでなく行動して発信しないと何も生まないよ、とごもっともなことを言われたのでフットサルやサッカーのこと、日頃考えていることについてこのブログでは発信していきたいと思っています。
とりあえずは投稿の頻度を下げないよう頑張りたいと思いますので応援してくれる方は宜しくお願いします📣