自分ファースト満喫の時間がある事

今週のお題「急に休みになったら」

 

専業主婦である私の休みという設定は

家人が所用で出かける事になったひとり時間のお家時間だ。

自分ファースト満喫の時間配分。 

 

そうだね

そうだよね

と、私を知る人たちに同意して貰えるか不安だけど

私という人間は自分より誰かのしたい事というか気持ちを勝手に想像して

自分のしたい事を取り敢えずoffしてしまうところがある。と

本人思っている。

 

だから、1人だけで居て

自分の好きなタイミングでなんでも出来る時間がある事が

私にとっての「お休み」で、その気持ちがノンストレス。

 

勝手に〇〇

気ままに〇〇

どのタイミングでも〇〇できる

いや、〇〇しなくても良い

etc.

 

で、退屈だな、、、、と思い始めた頃に

家人が帰宅するのがベスト。

この帰宅が遅くなるとそれはそれで面白くなかったりするわがまま。

 

 

なんでもない日が少なすぎる故

人というものは

みたいなことと否応なく向き合わなきゃならない

そんな数年だ。

 

子どもの頃から、子煩悩でありながら躾に厳しい父と

どこか子どもを引き摺ったままの母親に育てられ

メルヘンの好きな、世の中悪い人なんて居ないみたいな

そんな世界観で生きてきてしまったので

ドラマの様な悪い人を知ってしまい、ドロドロを経験して

人間的ステージが上がった。

 

まあ、そんなことも乗り越えたりして、

でも次なる課題も向こうから勝手にやってきて

修行はまだまだ続く予感。

 

 

言葉を紡ぐ事は大好きで

自分を客観視出来るし

自分と何か感じる事が似ているっぽい方々の

ブログなど読むのも大好きなのだけれど、

いかんせん時間がない。

昔みたいに

短歌や

5行詩や

なんやかや紡ぎたいけど。

 

 

 

また、いつか。

 

庭を見て何処か少し寂しい。

数日前 それなりに悲しい事があった。

それは自然の厳しさ。

でも少しだけ何かがずれて居たら、今もあの賑やかなピーピーピーという声が聴こえてきていたんじゃないかと。

今頃羽ばたきの練習をしていた頃かも。あと10日ほどで巣立ちだった。おそらく。

でも突然の寒さの前に天国へと4羽は寄り添って巣立っていった。

 

今も、親ツバメは、ポツンと近くにやってくる。

兄姉たちもパタパタやってくる。 

雄ツバメは事情を理解している様子。

雌ツバメは時折巣の近くで悲しげな声で鳴く。

そう聞こえるだけかもしれないけど。

 

6月に5羽を巣立たせ、同じ軒下に7月から新しい巣を作り2度目の営巣だった。

すこぶる順調。皆んな元気だったのに。どんどん大きくなって居たのに。

10月並みの冷え込みにどうする事も出来なかった。

 

悲しいけれど、、、、

この先に明るいフレーズ

この先に前向きなフレーズを続けるべきなのかもしれないけど、

今はまだ無理。

 

庭を見て少し何処か寂しい。

 

 

ついにスマホにした

ついにガラケーからスマホになった

なってひと月が経つ

 

意味もなくスタンプを押す

面白いスタンプをみつけると意味もなく誰かにそのスタンプを送りたくなる

 

言葉というものを考える必要性が乏しくなっていく

言葉というものを選ぶこととちょっと別な場所にある

 

そしてちょっと別な場所というのも見える

 

よく運転免許を持っている人と持っていない人は見える世界が違う

とか

海に潜る人と潜らない人は世界観が違う

とか言われるけど

 

スマホをしている人としていない人は

何か見える世界が違う、生きてる言葉が違うんじゃないかと

大げさかもしれないけど思っている

 

そうは言っても

なんとか世の中に追いついてよかった

 

音楽面でもMDを通り越してipodに飛び越えたけど

かりにの世代を飛び越えてちょっと追いつけたかもしれないと

 

でも

紙の上が好きだ

アプリでの予定表の管理よりやっぱり手帳を開いてペンをノックして

スケジュールを埋めるのが好き

無くなった予定はペンでグジュグジュと黒で線を引くのが好き

無くなった予定がそこに残ってるのが好き

 

ま、、、、

ひと月のスマホ生活の感想はそんなとこ

 

 

 

 

 

 

昔を想う余裕

今週のお題「わたしのインターネット歴」

 

またまた、ものすごく久しぶりに此処を開いている。

なんでもない日は、少し増えた。ような気がする。

 

そして、なんとなく昔よく見たサイトや

ハンドルネームを検索してみたりもする意味のない時間を過ごす事もあったりする。

 

余裕である。

そう。余裕である。

 

それら昔愛したサイト達

殆どが消えていたり、良くて放置。

でも放置されている時間の止まったサイト(ブログではなくサイト)に

出会うと目頭の奥がツンとする。

希少な細々とでも今も更新されている場所を見つけると

頼む、元気でいてくれと思う。

 

そんな感じで今日この時間はなんでも無い私の時間であった。

 

また、パスワードを忘れないうちに此処を開きたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

また月日は経った

また3年半ほどが経過していた。

なんでもない日にしかパソコンに向かわないと3年半ほど前にも言っていたが。

 

この間、本当になんでもなくはない月日だった。

 

2人の父が相次いで向こうの世界に逝ってしまった。

 

今は、それぞれ1人暮らしになった2人の母の世話というか、母を気にかける日々。

 

でも、あんなに大変な日々は、もうないだろうと言う想いもある。

少しの安堵はあるけど、それよりまだ生きていて欲しかったと言う悲しみみたいな、穴みたいなものを感じる。

だけど、3年半前よりも格段に経験は積んだ。

積まなくて良い経験だったものかもしれないけど、沢山の介護に携わる素晴らしい人びとにも出会った。

 

なんでもない日は、そう多くはないけど、それでも時々はこうして文章を書く余裕を今年は持ちたいと思う。

 

なんでもない日に紙の上で。

3年半という月日がここでは止まってしまっていた。

そんな意識もないのだけれど。

 

3年半、何か変わったかと言えば

玄関脇のエゴノキがカミキリムシにやられ枯れ果ててヒメシャラとなった。

 

12年乗っていた愛車と泣く泣く別れ、白線を少しでもはみ出るとぴーぴー騒がしい奴がやってきた。

 

オーブンも新しくなり、何が取りついたのか時折ケーキやパンなども焼いている。しかし判明したことがわたしはそれを食べたいわけではなく、焼きあがるとそれで終わる。

 

思い出せば、もっといろいろあるけれど

そんなこんなの3年半。

 

ここのブログタイトルは気に入っている。

「なんでもない日に紙の上で。」

なんでもない日がどれだけ幸せなのかっていうことだから。

 

なんでもない日だから紙に向かうって訳だから。

と言うと3年半なんでもない日じゃなかったのかと思われてしまうかもだけど概ねなんでもない日過ぎたのかもしれません。

 

それではまた。