高燃費ブログ@hatena

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北陸新幹線の呼び名問題に思う。~長野県のゴリ押しと切り捨ててよいものか~

2014年の北陸新幹線長野ー金沢間開業を前に、沿線である北陸と長野県がもめているという話。
<北陸新幹線>呼び名に「長野」残す? 自治体間でバトル (毎日新聞) - Yahoo!ニュース

 長野県はかつてリニアモーターカーの通過ルートでも、県中央部の諏訪を通るよう激しくゴネたという前科があったりしたせいか、どちらかと言うと世論は「長野黙れ」という雰囲気になっているのですが、個人的には違和感が残る。「長野」という名前、入れてもいいんじゃね?

 そう思う理由は色々ありますが、最大の理由を一言で言えば「長野は北陸じゃないから」ということに尽きるんだけど、じゃあ東北新幹線は「東北栃木新幹線」になるべきだろうという突っ込みが来そうなんで、それだけでは弱いとは自分でも思っているんですが、(上越新幹線は「上野(群馬県)」と「越後(新潟県)」なので文句はなかろう。)東京から東北太平洋側に行く時はほぼ必ず通る栃木と違って、東京から北陸へ行く場合は、こと鉄道移動に限って言えば、長野を通ることはまず無いというのは最大の違いかと思います。
 今東京から北陸地方に鉄路で行こうという場合、まず考えるのは上越新幹線越後湯沢駅経由の特急「はくたか」であろう。それ以外の選択肢として、東海道新幹線に乗り名古屋や米原で特急「しらさぎ」、あるいは特急「ひだ」に乗り換えるとか、上越新幹線で長岡に行き、特急「北越」に乗るという選択肢もタイミングや北陸側の発着地次第では現実的な選択肢に入ると思う。しかし、長野県を通るルートを選択肢として見るのは少々現実的ではないですよね。
 時代を少々遡っても、少なくとも上越新幹線が開業した時点で、長野を通過するルートは首都圏対北陸輸送のメインストリームからは外れていたわけで、横軽廃止前まで走っていた特急「白山」や夜行の「能登」など一部を除けば、長野と北陸が繋がっているイメージは非常に希薄なものになってしまったと言えるかと思います。
 僕からの提案は、JR東日本が運営する区間(東京-高崎-長野-上越)は、「長野新幹線」という愛称でいいんじゃないかと思います。JR西日本が運営する区間(上越-糸魚川-富山-金沢)は「北陸新幹線」としましょう。
 東京駅で新大阪や博多方面に行く新幹線は「東海道・山陽新幹線」と案内されています。山陽新幹線は正式には新大阪までですが、「のぞみ」、「ひかり」など多くの電車が東京まで乗り入れるのでしっかり表記されています。
 「北陸新幹線」も上記案では東京駅まで乗り入れませんが、こちらも乗り入れる列車は多数設定されますので、「北陸・長野新幹線」と表記されると思います。
 原理原則の通り「北陸新幹線」でも良いのかもしれませんが、前述のとおり、北陸に行くのに長野を通らないという状況が永いこと続いたので、長野に行きたい利用者には不案内でしょうし、JR東日本からしてみれば、自社線内は北陸じゃないのに「北陸」と名乗るのも違和感が残るでしょう。もちろんJR東日本区間を「長野」とすることで、JR東が自社線内である長野県への観光誘客にもメリットがあるので、「北陸」よりも「長野」にするほうがJR東日本にとってはメリットが有る措置だと思います。
 ついでに言えば、これでは新潟が取り残されて残念なので、並行路線名に忠実に「信越新幹線」でもいいかもしれません。
とにかく、北陸の方々はそんな目くじら立て無くともと思うのでした・

「脱社畜ブログ」の意見を見て、どうやら「脱社畜社会」の実現は遠いなと思った話

最近はてなブックマークによく入るので、こっちのほうがいいかもと思った次第。気が向いたらウェブリから前の記事移したりしようかな。

地下鉄の24時間運行なんてやめておけ - 脱社畜ブログ

鉄道ファンとして「保線の時間」とか突っ込むことは、ここでは敢えてしない。あと、「どうせ深夜に運行した所でペイしない」とか言うのも、とりあえず置いておく。

そもそも地下鉄の24時間を検討しているのは国で、東京都は地下鉄終夜運転の実施は課題も多いので、とりあえず都バスで一部区間(渋谷~六本木)だけでやって様子を見る・・・みたいな感じになってるので、実は多くの人は関係ない。終夜運転になって仕事で利用できるようになるのは、当面渋谷勤務で六本木在住の金持ちくらいです。

国や都知事が終夜運転の経済性や、実現性、メンテナンスの問題をどう認識してるかは知らんけど、実現できる算段があるなら「実現可能性をちゃんと示してからやってください」とは思う。

それはそれとして、上記の主張は如何なものか。


一見良い意見に見えるが、全く筋は通ってないというか。確かに首都圏のブラック企業に電車で通勤している「社畜」の皆様方視点で見れば、終電が無くなるというのは労働時間増の要因になって困ってしまうのでしょう。それは分かる。

だからといっていつまでも終電と言うものを残業の抑止力として使うのを是とすることに違和感を覚える。

終電が残業の抑止力として効くのは、「電車で通うサラリーマン」だけであるという根本的な問題を見ないで語るので非常にアレ。

「脱社畜ブログ」と称しておきながら、この筆者は例えば「自家用車で通勤する人」とか「家が近いので自転車や徒歩で通勤する人」なんていう層は別にどうでもいいのであろう。彼らだって何時まででも会社に残れてしまうのは同じである。

現状甘い理想論だとしても、終電に関係なく帰れる社会を目指す方向で物事を考えていかなきゃ「脱社畜」は無理でしょう。そもそも終電を理由に帰ろうっていう考え自体が社畜っぽいではないですか。

ブログ後半の「勤務間インターバル規制」みたいな考え方は私も賛同するだけに、安易にここを批判されるのが残念に感じました。

ところで当該ブログに

僕はむしろ、終電の時間を早めたほうがいいと思っているぐらいだ。夕ごはんを家に帰ってから家族と食べて、日付が変わる前にはしっかり眠る。「世界一ビジネスのしやすい事業環境」よりも、こういった「世界一人間らしい暮らしができる都市」のほうが、僕には魅力的に見えるのだけど、これは間違っているだろうか。

という意見があるけど、それこそ理想論の極みと言えるかと。
終電の時間を早めたくらいでそうなるなら、僕は前職で毎日定時か残業しても1時間くらいで帰ってたはず。だって当時の職場から家に行く最終のバスが18時過ぎでしたからね。
でもそれじゃ仕事が成り立たないから車で通勤するように言われておりました。
結局終電がどうのというより、労基法を厳密に適用するにはどうしたら良いかとか、
上司がワークライフバランスを保つような仕事の割り振りをできるようなマインドに変えていくかという方向から行かないと。

仮に終電が遅くても、電車が24時間動いてても定時や常識的な時間にで帰れるように考える必用があるんじゃないかなと。「脱社畜」を掲げるのであれば。

「脱社畜」を掲げるブログの意識の低さを見て、「当面脱社畜の社会なんて実現できそうにないな」と思ったのでした。