ハノイのホテルのルーフトップバーで考える

いま、ハノイの4つ星ホテル「ラ・シンフォニア・デル・レイ・ホテル・アンド・スパ」の、ルーフトップバーでこれを書いています。

 

トリップアドバイザーで世界16位、アジア7位に選ばれたというホテル。記念に一泊だけしてみようと思い立ち、予約をとった次第です。

 

ホスピタリティがすごい、とのレビューを読んでいたので、最高のホテルのサービスをいちどくらいは体験してみようと、意気込んで来ました。

評判どおりの上品な接客です。自分まで上品な客になった気分です。もうちょっと良い服を来てくればよかったと思いました。

部屋もおしゃれで上質。ただ、部屋が思ったより狭かったです。一日部屋で過ごしてやろうと思っていたので、ちょっとその気分にはならないかな、というところ。

なるほどー。自分はホテルにずっといたくなるような居住性を求めてもいるんだな、と新たな発見です。

仕事を少ししたかったのでパソコンをもって、ルーフトップバーへ。ここが最高の眺め。湖を見渡せる場所にあり、普段はうるさいだけの大量のバイクや車のヘッドライトさえも、きれいなイルミネーションのようです。

なるほど、これはすごいわ。スタッフもとてもていねいで、やさしい。

ただ、僕はやっぱり途方にくれています。前回の続きのようですが、やっぱり、ここは、ひとりで泊まるホテルじゃない。無駄にロマンティックです。ぐるっと見渡しても、ひとり客はいません。この眺めを誰かと共有したかった、そんな感傷に浸っています。

今回、ハノイで1つのミッションがありました。

2年前くらいにお世話になっていたオンライン英会話の先生が、南アフリカの人で、ハノイに住んでいたんです。また、ほかの先生もハノイ在住の人がいたりして、欧米人のノマドたちに、いまハノイに住むが人気なのかな、と思っていました。

で、その実態を調査にきた、という気分もあったのです。

この1週間、あのおしゃれな先生はどこに住んでいたんだろう、自分ならどこに住むだろう、とハノイのさまざまな場所を練り歩いていました。

どこかに、外国人が集まって、意識の高いベトナム人と一緒に、おしゃれで快適なエリアを形づくっているんじゃないか、という期待があったのです。

欧米人に人気というストリートにも、日本人が多く住むという地域にも行ってみましたが、僕の期待する雰囲気ではありませんでした。うまく探せなかっただけなのかもしれません。

少しその片鱗を感じる地域はあったのですが、僕が思うより規模がずっと小さそうでした。

でも、今回の旅で、ベトナムのことが好きになりました。友人のつてて、現地のやさしいベトナム人と触れ合ったからかもしれません。何度も利用したバイクタクシーのドライバーたちが思ったより礼儀正しくやさしかったからかもしれません。

なにより食べ物が美味しいからだと思いますが!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハノイで考える

2024年は正月明けからハノイに来ている。友人の結婚パーティーに呼ばれたのだ。

世界遺産ハロン湾をクルーズで一泊した。最高の体験だった。

 

実は、このイベントに誘われたとき、緊張が走っていた。船で一泊?おれは耐えられるのだろうか? 船酔いが心配だ。おまけに、ハノイからハロン湾までバスで3時間だという。そのコンボに俺は耐えられるだろうか?

これが、友人の結婚パーティーではなく、ただのクルーズのお誘いだったら、たぶん断っていただろう。車3時間→船で一泊→車3時間なんて、ふだんの僕には「ありえない」行程だ。わざわざ苦しい思いをしに行く必要ないし、車酔い、船酔いで周囲jに迷惑をかけるのも忍びない。

 

でも、一生におそらく一度の友人の結婚パティー、招待する友人2人のうちの1人に選ばれて、断るわけにはいくわけがない。ぜひとも参加したい。俺は腹をくくった。なんとしても乗り切ろう。

結果、あろうことは、車酔いもせず、船酔いもせず、世界遺産に感動しまくって、華やかなカップルに胸を打たれて祝福し、夢心地な時間を過ごすことができたのだ。カヤックまでやってしまった。

 

2022年は別の友人の結婚式でイタリアに行った。そして今年はベトナムだ。異国の地に住むことになった友人を拝啓訪問できるうえに、親友の結婚も祝えて、おまけに旅行も楽しめる。こんなに素敵なコンボはない。

 

一個前に書いたブログは、一年くらいまえで、お金と「自由」について書いていた。

今回の旅行中もお金と自由についてずっと考えていた。

 

僕のライフテーマは「自由」なんだと思っている。結局、30代中盤以降の僕の動きは、ひたすらに自由度を高める、逆にいえば、自分を縛るものを極力遠ざけていく、というものだったように思う。

フリーランスになったのもそうだし、家具などを揃える必要がなく、いつでも移動できるゲストハウスに住み続けているのもそうだろう。数年おきに恋人ができるが、けっきょく結婚にも同棲にも至らずにきたのも、そういうことの気がしている。

自分を拘束しそうなものを、とにかく避けてきたように思う。

それは、意識的、自覚的にやってるというよりも、拒否反応が出て、都度逃げ出してきた結果というほうが近い。

だから、異国の地で、パートナーとふたりきりで、新生活を始めようとしている友人に、すごいよ、と思う。彼がベトナムに来て今後少なくとも6年住む理由は、ただ、妻がそこにいるからだ。そんな選択を僕はできる自信がない。その人と一緒にいるために思いもしなかった国に住む、そんなにまで誰かを離れがたいと思い続けたことが、僕にはない気がする。

 

自由には2階層ある。

1つは、我慢をしないということだ。したくないことはしない、したいことをする、そういう自由。つまり行動の自由だ。

そしてその下層には、うそをつかない、がある。自分の感じていることをごまかさない、ということだ。本当は嫌なのに嫌じゃないふりをしたり、本当はしたいことがあるのにそんな気持ちはないかのようにふたをする。そういうことをしない、という自由。自分の心を自由にさせるということだ。感覚を開いて、感じたままに、自由に、自分に何を感じることも許す、そういう自由。

 

今回の旅の後半は、ひとり旅となっている。現地に友人夫妻がいるので、毎日のように夕食を一緒にしているので、本当のひとりではぜんぜんないんだけど、なんだかさみしさを感じる。たったいまも。

旅の価値観が変わったことに気づくのだ。僕は一人旅が好きだった。というか、海外なんてひとりでいくものだ、と決めてかかっていた。せっかく海外にいくのに、誰かといくなんて、貴重な体験が台無しになると思っていた。

まず、誰かと行動していたら、出会いがなくなると思っていた。せっかく海外で、運命の出会い、ロマンチックな出会いが待っているかもしれないのに、誰かといたら、旅で出会った人と一緒に旅を続けた、みたいなメモリアルな体験の機会が奪われる。

実際、ロマンチックでこそはないが、若い頃のバックパッカー旅行では、旅先で出会った一人旅の若者と、道中をともにしたり、一緒の部屋にとまったり、日本では出会わないような種類の人と出会ってともに時間を過ごしたり、した。そういうことこそが、旅の醍醐味なのだと思っていた。日本から友人と旅行に出れば、そういう体験はできない。

すでに知っている友人と、いつもの会話をしながら、ありきたりな観光名所をぶらつき、ありきたいな名物料理をたべて、旅行のガイドブックに載ってるみたいな旅をする。そんなのどこが楽しいの?時間とお金の無駄じゃない?そんな旅なら日本でやればいい、と思っていた。

本当に、若者でなくなっても、つい最近までそう思っていた。だから、海外に行こうと思うときは、最初からひとりで行く前提で考えてきた。

だが、なんだか、今回の旅も、前回のイタリア旅行もそうなのだが、すでに知っている友人と、ありきたりな観光地を巡って、ありきたりな名物料理をたべて、道中でこぜりあいをしたり、ぼったくりにあった友人を笑ったり、どたばたと旅行することが、なんだか楽しいのだ。

今までは、単独で、ガイドブックには載ってない体験をする、のが旅だと思っていた。たとえば、ひとりでスラム街へ潜入する、とか、もっとマイルドなら、暮らすように旅をするとか。現地に住んでいる人かのように街をあるき、現地の人がいくカフェでコーヒーを飲み、人通りを眺める、みたいなのが好みの旅だと思っていたのだが、今、そういうことをしても、俺、やってるぜ!みたいな感動がいまいち来ないのだ。ああ、この感じね、と、「知ってる感」が先立ってしまう。逆に想定内の体験をしているというか。

一人旅が終わるのかもしれない。それは本当にさみしいことだ。今、このフレーズを書いて、うっすら涙がこみあげてきた。

長い間、自分のパートナーは自分だった。それが心強かったし、幸せだった。自分は自分を一番信頼しているからだ。自分となら、どこへでも行ける。自分となら、何が起きても工夫して乗り切っていける。自分となら大丈夫。それが根底にあるささやかな自信だった。

いや待てよ、でも、誰でも基本はそうじゃないのか?という思いも今湧いてきた。パートナーがいる人も、家族がいる人も、誰でも基本単位はひとり。自分と相談しながら行きていくという基本は変わらない。

ただ、少し何かが変わったのだろう。

 

ハノイで食べる料理は本当に素晴らしく、毎日感激している。どこで何をたべても、たいてい、予想したよりおいしいのだ。そこらへんの適当な屋台でフォーを食べても、あれ、やさしい味、おいしい!となる。ベトナム料理がこんなにおいしいものだらけなんて知らなかった。とくに魚がおいしいことを。揚げた魚がとにかくおいしい。

あと、マッサージの質が高くて日本よりずっと安い。

旅の後半は連日雨だった。予定していたショートトリップも行けなかったので、残り数日、食とマッサージを堪能して帰ろうと思っている。だけど、まだなにかあるんじゃないか、と狙っている。まだなにかおもしろい出会いがあるのではないかと。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2つの自由

今朝、予定より早く目がさめてしまったベッドで、「自由」って2つあるよなあ、ということをぼんやりと考えていた。

 

たとえば、僕はお金にコンプレックスがあるようで、お金を十分に稼いでいない、みたいな気持ちに恒常的になっている。それは、具体的に生活が苦しい、とか、今あれをしたいけどそのお金がない、ということではなく、同級生たちはきっとこれくらい稼いでるなあ、僕の年齢ならこれくらい稼いでいて当たり前なんだよなあ、とか、将来家が欲しくなったときに貯金がないよなあ、ローンが通らないよなあ、みたいなぼんやりとした不安だ。

だが、常に頭の片隅にあってうざがらせをしてくる。

そのくせに、お金を稼ぐことに熱をあげている人たちを見て、どこか小馬鹿にするような意識もあるから始末に負えない。あーあ、お金なんかに血相変えて、それが人生でいいのかね。

でも達観できているわけでもなく、結局はお金に支配され、振り回されている感がまったく否めない人生なのだ。

そんなふうに、いつもお金の不安や恨み節をうだうだ言っているものだから、人からは、「いっそのこと十分だと思えるまでお金を稼ぐことに集中してみたらどうだ」と言われたことがある。

その能力があったらもうやってるよね、と思ったものの、でも、もしかして「お金儲けに集中するなんてダサい」という色眼鏡をはずして、持てる全能力をそこに注げば、あるいは、今自分がこれだけ稼げれば十分なのにな、と思える額を稼げないこともないのかもしれない、とは思ったりしていた。

もちろん、全能力を注げれば、だ。それもまた、ほとんど不可能なのはわかっている。

だが、こうしたお金をめぐる問題を「自由」という観点から考えてみると、2つの道筋があることがわかる。

1つは、今言ったように、お金持ちになることで、お金から自由になる、という道筋だ。たとえば、異論はあるかもしれないが、年収が2千マン(いや1千マンで本当はいい)あって、それが基本的にずっと続く見込みがある場合、僕がいま感じているお金の不安からは脱することができる気がする。最初は不安でも、それが5年もつづいて、貯金も数千万円あって、収入もそれだけあって、いうことになれば、当面、お金がなくてどうしてもしたいこと、してあげたいことができんなくて困る、ということはなさそうである。もちろん、今の生活水準、欲求に照らせば、である。生活水準を上げてしまえば、そのかぎりでないことは言うまでもない。

 

そして、もう1つの道筋は、「収入が(人より、周囲より)少なくても充実して生きられるように生きていくと決める」という自由への模索だ。もちろん、それは、いっときの決断や覚悟だけでなく、具体的なノウハウの集積や、精神的タフネスが求められるだろう。たとえば、年収100万でも自分(と家族)の幸福は少しも妥協せず求めていく、実現することができる、というように生きるということだ。そうしている、できている人たちが日本にいないとは思わない。ただ、まれではあるかもしれない。

 

違う例題を見てみよう。たとえば、学歴コンプレックスというものがある。自分は高校を出ていない、ましてや大卒ではない。だからどこか負い目を感じて生きているという人がいるだろう。

そういう人からそれが悩みだと打ち明けられたら、僕なら、「学歴なんて形式だけで実態はないよ、それより好きなことをやり続けて生活できるようになるべく、具体的なスキルや経験を積むことに集中したほうが遥かに有益だよ。本当にそう思うよ」というだろう。

だが、それは一見正論ではなるが、本当に実践的なアドバイスなのかというと、そうとも言い切れないところがある。

本人は、大卒という立場になったことがない。だから、それがあれば自分はもっと自信が持てるのにと思っている。他人がいくら、そうじゃない、と言ったところで、本人が体験したことでないと、身にしみてはわからないだろうし、アドバイスをしている僕自身が、本人と同じ立場になったことはないので、本当の彼の気持ちはわからないのだ。

長くなったが、この学歴コンプレックスという悩みから「自由」になる道筋は2つあることがわかるだろう。

1つは、「学歴なんて意味無し、そんなのと関係ないところで人生を築いてく」と決めて生きていく道筋。

もう1つは、「これがあればと思える学歴を実際につけてしまう」という道筋。その結果がどうなろうと、少なくとも、いま現時点の「学歴がないから。。」という悩みは消えるか、形をかえることになるだろう。

 

今回はこのあたりにしておこう。「自由」にもいろいろな道筋の自由がありそうだ、という話でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ウクライナの気持ち

ロシアのウクライナ侵攻の考察をもう少ししたい。

さっき、そういうことだよね、と腑に落ちることがあった。

 

侵攻当初、こういう議論があった。

ウクライナの軍事力ではロシアの侵攻を止められない。抵抗すれば犠牲が増えるだけだ。本当に国民の命を守りたいなら、ゼレンスキーは涙をのんで白旗を掲げるべきだ、という意見が見られた。

一方、生まれ育った故郷を占領されて黙っていられるわけがない、それに、ロシアに降伏して介入を許せば、ゼレンスキー以下、抵抗勢力は殺されるか投獄され、ロシアの属国に成り下がってしまう。ロシアによる拷問など、ひどい目にあう人も大勢出るだろう、という意見もあった。

僕はといえば、そりゃあ戦うでしょ、あんなことされたら、と思う反面、命を守る、ということを考えたら、まずは降伏して、市民がミサイルで殺されるのを止めるべきなのかもしれない、という考えもちらちらと浮かんだりしていた。

だが、ひとつ抜けている要素があることに気づいた。前回も少し触れたが、国連や国際社会の挙動だ。

そう、ウクライナ国民は、後日、国際社会が、ロシアに奪われた土地を奪い返してくれたり、投獄された政治家や軍人を解放してくれるとは、思っていないのだ。そんなことはとてもしてくれないだろう。きっと、ロシアを非難したり国連で決議したり経済制裁はするかもしれないが、ウクライナを占領したロシア軍を追い返しては絶対にしてくれない、そう思っているのだと思う。

それは、クリミア半島を見ればわかることだ。国際社会はロシアの横暴を非難した。だが、なんの実力行使もしてくれなかった。これが事実だ。

そして、いちど奪われた土地を奪い返すのは、奪われないように抵抗するのに比べて、はるかに大変だということは想像できる。いつかは返ってくる?10年後?20年後?本当にそうか?70年たっても北方領土は返ってこない。

 

残念ながら、それが国際社会の現状なのだ。その点においては、70年前の戦争のときと何ら変わっていないようなのだ。

 

でも、現状を見ると、不思議になる。

NATO各国はウクライナに戦車やミサイルをあげている。軍隊こそ派遣しないが兵器は与えている。これは戦争協力といって間違いないだろう。僕などの単純な頭で考えると、これはもはや、ロシア 対 NATOウクライナ連合軍の戦い、と言っていいんじゃないのか。ロシアがそう考えないことが不思議だ。実際はそう考えているのかもしれないが、ロシアが、ウクライナに兵器を渡しているのは敵対行為である、としてNATOとの戦争状態を宣言する、というふうにはなっていない。もちろん、なったら大変なことなのだが。

そのあたり、あうんの呼吸で、そこまでエスカレートするにはお互いやめましょうや、とロシアとNATOが握っているような感じすらする。

そんなどっちつかずのねめっとした状態のなかで、ウクライナ市民や両国兵士はばりばりと死んでいる。そのことがどうしても不思議なのだ。腑に落ちないのだ。

これは子どものときに感じた違和感と直結している。

僕はこどものころ、捕虜を虐待してはいけないと定める、ジュネーブ条約の意味がぜんぜんわからなかった。だって、戦争って殺し合いだろう?さっきまで自分を殺そうとしていた奴が武器を捨てて白旗をあげたら、もう殺しちゃいけないなんてことはある? ラッキーということで殺すか、二度と武器を持てなくなるくらい痛めつけてやりたくなるはずだ。白旗をあげたらもうゲスト(捕虜)です、って、それスポーツかよ!

と10歳くらいの僕はしきりに首をひねっていた。戦争というもののそのリアリティを感じることができなかった。

もっと、戦争にもルールがある、戦争はただの殺し合いじゃない、ということは、歴史を見れば理解できるのだけれど、最前線では殺し合っているのは事実なのだ。人を殺すのにもルールがある。そんなことを僕は教えられた覚えがない。ただ、殺してはいけない、だ。

殺してはいけないが、やむをえず殺すことになったら、殺し方にきをつけろよ、ということさえ社会から教えられた覚えはない。そんな議論も聞いたことがない。

ただ、戦争となったとたんに、なにか別次元になる。殺しが若干スポーツ化するのだ。

そのことが、いいことなのか、悪いことなのか。

戦争が本当にノールールなら、もっとひどいことが起きてきたはずだ。シベリアから日本兵が帰ってくることもなかっただろう。

でも、殺すことがなぜかスポーツ化してしまう戦争は、やっぱりぞっとさせるものがある。なんでそうなる? 未だによくわからない。また後日、考察をすすめることにしたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

戦争は遠くで始まる

ロシアのウクライナ侵攻から、一年近くが経とうとしている。ずっと不思議な気持ちがあった。現実のこととは思えないような。YOUTUBEでは、ウクライナに在住するYOUTUBERが、砲撃された建物を見せてくれたり、現地のリアルタイムの様子を教えてくれる。いっぽう、ロシアでは、ロシア人YOUTUBERが、ロシア国民に街頭インタビューをして、この戦争をどう思っているのかを聞き出してくれる。

どちらも、普通に生活している人々だ。だが、その祖国同士は今、戦争をしていて、前線では兵士たちが殺し合っている。いや、厳密には、殺し合っているわけではないのだ。殺しは結果であって、ただ、ロシアはウクライナを占領したい、具体的に言えば、戦車や戦闘車両で入っていって、ゼレンスキーや要人を逮捕したい。ロシア兵士を多数送り込んで、制圧下で選挙を行い、新ロシア派の傀儡政権を樹立したい、ということなのだろう。決して、ウクライナ人を殺したいわけでも、ウクライナ兵を殺したいわけでもないはずだ。

ただ、その目的を手段を選ばず遂行する結果、ミサイルがウクライナの街に降り注ぎ、民間人が多数死ぬ。結果的には殺すのだ。

ウクライナだって、ロシア兵を殺したいわけではないはずだ。ただ、出ていってほしい。押し返したい。だが、ロシア兵は出ていかない。戦車で砲撃しながら迫ってくる。やり返すしか無い、結果、ロシア兵がばたばたと砲弾に倒れていく。死んでいく。

そして、ロシアの国民は、いらだっている。なぜなら、なぜ、自分の国がウクライナで、民間人をあんなに殺しているのか、本当のところ、よくわからないからだ。

インタビューのマイクを向ければ、いろいろと言う。これはアメリカとの代理戦争だ。ウクライナナチスを打倒して住民を解放ためだ、いろいろと言う。だが、みんな一様に、いらだっているように見える。それは、きっと、本当のところは、よくわからない、と思っているからだと思う。だが、よくわからないのに母国が他国民を殺している。それは受け入れがたいこと。なので、わかりやすい理由に、それが政府のプロパガンダとしても、飛びつくのだと思う。

そして、内心はこう思っているのではないか。俺たちは普通に暮らしているだけだ。ごく平凡に慎ましく日常生活を苦労しながら営んできた。それだけだ。悪いことはしていないし、悪い企みもないし、強欲でもない。だが、なぜか、うちの国が戦争をはじめてしまった。たしかに選挙ではプーチンに投票した。頼れるリーダーで実績も確かだからだ。ロシアはよくなった。だから悪い判断だとは思わない。だが、なぜ、息子が動員されて、ウクライナで殺すか、殺されるかしようとしているのか、それは、本当はよくわからない。

どうしてこうなった? 多くの人が内心、そう叫んでいるのではないだろうか。

そして、それが、近現代の戦争であり、その恐ろしさなのだと思う。

遠くで何か始まった。え?うちの国が戦争始めたの?で、どうなる?え?動員?え?おれ戦争行くの?

みたいな感じで事が進んでいっているようなのだ。SNSが発達した現代、戦争当時国でもインターネットが遮断されない現代、その様子がリアルタイムで伝わってくる(伝わってきているような気がする)。

そして、はじめった戦争は、勝手に終わらすことはできない。相手がいるからだ。今、ロシアが、なんか勘違いしてたかもしれないし、ちょっと疲れたから、もう戦争やめるね、と言ったところで、ウクライナは納得しないだろう。奪ったものを返せ、壊したものを賠償せよ、殺された人々の代償を払え、と迫るはずだ。このままでは済まさないぞ。始めるのは自分の都合で始められるが、終わるときは勝手に自分だけ終わりたくてもそうはいかない。

代償を払いたくないから、戦争を終われない、とくに、戦争を始めた為政者は投獄、悪くすれば殺されてしまうかもしれない。それがわかっていてやめられるわけはない。結果、どちらかに壊滅的な被害が出るところまで進んでいく。そのダイナミズムがいままさに進行しているように見える。

そして国民は、どうしてこうなった、と口をあんぐりさせながら、戦時という状況がじわじわと身に差し迫ってくるのを待っているしかできることがない。

何が悪かったのか。どこから間違えたのか、考えてもわからないから、間違っていないことにするしかない。そうやって戦時下の異様な集団心理が作り上げられていく。戦争に勝ちさえすれば、その問いもうやむやになる。突き詰められることはない。そのこともきっとどこかでわかっている。だから、とにかく勝てば、勝ちさえすれば、ということで、若者は戦争へいけ!俺たちだって行くときはいく!となるのかもしれない。

そして、もはやあまり議論されなくなっているように見えるが、こうしたことが起きたときになんとかするために作られたはずの、国連が、まったく機能しなかった、という重い事実。どうせそうなるとわかってたよ、と僕だって言いたくなるが、実際そうなってしまったのはさすがにショックだった。

ある国が、別の国に、突如軍事侵攻を始め、された国が抵抗して軍事衝突が起きたら、まずは国連が軍事介入してでも、侵攻を止める。そして平和的に仲裁する、そういうことなのだと思っていた。だが、そうはならなかった。NATOは武器をウクライナにあげている。日本もロシアに経済制裁をした。だが、軍事介入をしなかった。

そして、ロシアが言う、NATOが原因をつくった、というのも、ゼロではないだろう。ロシア国民から見て、だってそうだろう、と言いたくなる要素もゼロじゃないはずだ。長いスパンで見ればそういうふうにも見えるのだろう。

 

うーん、まだ僕自身が混乱しているようだ。このテーマはまた取り上げてみよう。きっと戦争はまだ続く。

 

 

 

 

 

 

 

 

断捨離成功とFisrt Love

年末に断捨離に成功してしまった。

今住んでいる部屋に引っ越してから5年間以上、いちども、満足いくまで物を捨てられたことはなかったのだが、たった、今、ほぼ満足いくまで物を整理できてしまった。

自分でも驚いている。何があった?

部屋の物を減らすのは僕の悲願みたいなもので、人にも相談したし、本も何冊も読んだし、コンマリのNetflixの番組も見て、物捨て熱を盛り上げるのだが、必ず、高価だった服を捨てる、まだ使える文房具を捨てる、本を減らす、人からもらったものを捨てる、などにいちいち引っかかって、エネルギーを消耗し、ああ、俺には無理なんだ、おれはあいつらとはちがうんだ、ミニマリストとかじゃないし、、と挫折を繰り返してきた。

最近などは、使えるものを大切にするって逆にいいことなんじゃない? 買っては捨てる、なんて資本主義消費社会にやられちゃってるんだよ、俺はもったいないの精神をまだ持ってるんだから、と自己正当化をしてさえいた。

でも、やっぱり物が床まで侵食する部屋を見渡すたびに、うんざりしていた。

それが、なぜか手を付けてから4、5日で、ほぼ、満足いくまで片付いてしまったのだ。

 

きっかけは、おそらく、加湿器だった。

3年前に別れた彼女からもらった加湿器を捨てたところからだった気がする。

当初は捨てる気はなかったのだ。ただ、今年の冬はやけに乾燥するし、加湿器を使おうと、押し入れから出してスイッチを入れたら、なにやらモーター音のような異音がする。うるさくて使えない。もう捨てるしかないなあ、ということで捨てようと思った。そのとき、どこかほっとしたのを覚えている。

そのあたりから、気持ちに加速がついて、本を半分以下に減らし、服も半分になり、まだ使えるというだけで何年も手にとっていなかったものを捨て始めたら、あれよという間に、部屋が片付いてしまったのだった。

もっとも、まだ捨てられるもの、捨てるべきものは残っている。だが、気持ちは「成功した」という実感がじわじわと湧いている。まさかできるとは思っていなかった、くらいに。

そして、今日、手紙の整理をしようと思った。大半は、姪っ子からの手紙だった。

それを読み返していたら、切なくなってきてしまった。「だいすき」から始まる、こんな愛らしい手紙を、何通ももらっていた。そのことを軽く考えていた。いま後悔している。あの頃は、子どもってかわいいなあ、くらいに思っていた。あまり返事も書かなかった。また手紙送ってきたよ〜、かわいいなあ。くらいに流していた。でも姪ももう11歳。そんな手紙をくれる年頃ではいつのまにかなくなっていた。

コロナで3年も会えなかった。そのことが今とても悔しい。二度と返ってこない時間なのだ。幼いがゆえに、近親者である「おじさん」の僕は、特別に好きの対象だったはずだ。そのことの恩恵を存分に受けてきた。本当に幸せだった。うれしかった。何もしていないのに、おじさんだというだけで、こんなに愛してくれる。子どもは天使、ほんととうによく言ったものだ。

だが、それも永遠に続くものではない。当然だ。それでいい。それが成長というものだ。友達ができ、好きな子ができ、そうやって思春期へ向かっていく。そうでなくては困る。いつまでも、おじさんが大好きでは困るのだ。でも、少しさみしい。

姪からの手紙は捨てられなかった。捨てる必要もないと思う。かさばるものでもない。

ただ、同時に、姪に好かれている、好かれていた、ということをいきがいのようにしてはいけないのだ、と改めて思っている。

 

Netflixで「First Love 初恋」というドラマを見た。すばらしい作品だった。とくに、第8話のラストシーンは、何度再生したかわからない。

記憶喪失になるお話だ。そういうドラマは割とよくある。でも現実では僕の周囲で聞いたことはない。まあドラマの中のお話でしょ、というふうに今までは思っていた。ドラマを盛り上げる設定が必要だもんね、と。

でも、あ、そうじゃないかも、と今日は思い直していた。

ドラマのような記憶喪失、高校時代の3年間の記憶をまるごと失くしてしまう、などのことは、今後の人生で、自分やパートナーが体験することは、まずない。

だけど、大切な人との大切な日々を、すっかり忘れて生きてきてしまった、ということは、あるのではないか。そう思った。あるいは、忘れてはいないにせよ、そのときは(ときには、その後でも)それをそれほど大切な時間だとは思っていなかった、などということは、いくらでもあるのではないだろうか。

先ほど述べたように、姪が小学1年生のときからの手紙をずっと読み返していて、ああ、もっとちゃんとお返事を書いてあげればよかった、と後悔している。

きっと、るんるんでお手紙を書いてくれて、ママにポストに入れてくれるように頼んだら、返事がくるのを今か今かと待っていたのではなかろうか。そして、ちっともこないから落胆しつつも、また手紙をせっせと書いてくれていたのだ。

子どもがそうした美しい日々を1日、1日、と生きていて、その美しさになかに「おじさん」である僕も決して小さくない領域を占めていたということを、僕はうっかり軽視してしまっていたのだ。そのことをもっと感謝し、喜び、噛み締めながらともに時を過ごすべきだった。

そして、そのことをどんなに後悔したとしても、もう決してやり直しはできないのだ。

いまさら追いかけてももう遅いのだ。

 

ドラマFirst Loveにこんなシーンがある。也英は、離れて暮らしている息子の綴と、会える日を心待ちにしている。そして、今日も待ちに待ったその日が来た。レストランで一緒に食事をしていると、綴がそわそわしている。何?と聞くと、どうやら気になっている女の子が今、どこかでライブパフォーマンスをしているらしい。つまり、その子のところへ行きたいのだ。久しぶりにお母さんとの時間を過ごすよりも。

いつのまにか綴は14歳になっていた。恋をする男の子になっていた。

也英は、離婚してから、10年ほど、おそらく恋をしてこなかったのだろう。なによりも息子を愛し、息子にときどき会える、成長を見守れる、それだけで満たされて生きてこれた、あるいは、満たされることにしようと決めて生きてきたのだ。それで十分だ、それ以上に何を望む、と。

息子も自分に会うことを心待ちにしていてくれる。会えば飛びついてきて、帰りには離れたくないと泣いたはずだ。そんな息子をなだめながら、またすぐ会えるからね、と自分にも言い聞かせてきた。

だが、どうだ。目の前のすっかり成長した息子は、目の前の母よりも、Instagaramの中の女の子に夢中だ。いつしか、もう離れたくないと泣くこともなくなっていた。

恋愛、結婚、パートナーという愛を断念し、息子を愛し生きようとした。親子の愛を生きる糧にした。できた。でもそれも、永遠でないことを悟るときが来た。もちろん、愛は消えることはない。だが、それだけで身をいっぱいにすることは、はばかられる、そういう愛に形をかえようとしていた。

僕は恋愛が下手のようだ。友達にそう言われたこともある。恋愛というか、恋人、パートナーとともに歩んでいく、ということに失敗し続けきた。いや、踏み出すことさえできてこなかったのかもしれない。苦手なんだ、向いていないんだ、それだけが愛じゃない、相思相愛の姪もいる。姪を一生かわいがっていけばいい、姪じゃなくても、子どもには好かれるほうだ。友だちの子どもも僕が大好きだ。そうやって誰かの子どもを愛して生きていけばいい、みたいに少し思ったりもした。でも、それはそれで素晴らしい愛なのだが、その愛は、パートナーとの愛とは違うもので、代替できないものなのだ。そのことを、今、改めて思っている。

かつての恋人からもらった手紙をようやく捨てる。めめしく写真に撮ったりしてみた。なぜそんなことをしているんだろう、と自分でも思いながら。もう未練はないはずで、納得して別れたはずなのに。

First Loveの第8話のラストシーンを見返しながら、ああ、そうだ、と思った。

うまくはいかなかったし、ヨリをもどしてもうまくいくとは思わないし、付きあっている時間のすべてが幸せだったわけではないのだが、大切な時間であったことには、間違いがないことを、きちんと受け入れなくちゃいけない。思いもよらぬギフトであったことを。自分にとってとても大きなことであったことを。

つまり、僕は、3年間、それなりに、あの恋を引きずっていたということになるのだろうか。

人生は短すぎる。不当だとさえ思う。まだ知りたいことがたくさんあるのに。まだわかりたいことがたくさんあるのに。まだ体験したいことがたくさんあるのだ。

 

 

 

 

 

超進化論

NHKで超進化論という番組を見た。

樹木が、地下で菌糸のネットワークで繋がっていて、栄養を分け与えあっている、ことがわかってきた、というような内容だった。

以前、同じことを本で読んだ記憶があるが、改めて衝撃的な発見だと思った。

樹木が根っこ同士でつながって、栄養を与え合う、というのなら、まだわかる気がする。しかし、根と根が離れていても、それを菌類が媒介して、栄養を伝達するというのだ。しかも、栄養を与える樹木は、同じ種とはかぎらないということなのだ。杉がヒノキに栄養を与えることもあるということだ。

まるで樹木に意思があるみたいだし、とても他人(樹木)に優しく互助的だ。驚く。

まるで、アナーキズムを地でいくような感じだ。森は中央政府なしで互助的に支え合って成り立っているのだとしたら。日光や栄養をめぐって過酷な生存競争が繰り広げられているわけではないのだとしたら。

これは兆候ではないだろうか。次世代が始まっているのだ。

次世代が始まる時、我々は、次世代の礎となるマインドセットを、自然の中に科学的に事実として「発見」するのだと思う。

前世代のマインドセットが「競争」だとしたら、次世代は「助け合い」あるいは、もっと違う概念、まだ言葉がつくられていないような概念なのかもしれない。

 

 

友人の子どもと遊んでいるとき、こどもは本当にごっこあそびが好きなのだなあと思っていた。おんぶしてほしいというからおんぶすると、「バブバブ」と言い始めた。どう声をかけても「バブ」としか返事をしない。赤ちゃんになってしまったのだ。赤ちゃんごっこだ。

それでしばらくバブバブ言っていると思ったら、こんどは高いところに登って踊りだして、写真を撮れ、と言う。手で写真を撮る真似をすると、スマホを持ってこいと言う。そこはごっこじゃないのかい!と思いながら、スマホを撮ってくると、とびはなて踊りながら歌って、写真を撮れと命じるのだった。これはアイドルごっこかなにかだろう。

常に、なにかのごっこをしている。そして、それに周囲を巻き込もうとする。

もしかしたら、これは、ごっこじゃないのかもしれない、という考えが浮かんだのだった。

というよりも、僕たち大人が考えるように、ごっこと現実が別れていないのかもしれない。というよりも、僕たち大人も常にごっこ遊びをしていると言っても、あながちはずれていないのかもしれない。

僕たちはごっこ遊びをして、他人を巻き込んで、おなじごっこをしてもらおうとする。しようとする。共同幻想という言葉がかつて流行ったそうだが、ごっこ遊びは蜜の味がするのだ。甘い、甘い、心地よい時間。守られた、自分たちだけの、親密で濃密な、生の体験なのだ。

僕たちはきっと生きるということの意味の壮大さにやりきれなくなって、ごっこをするのだ。ごっこで、いっときのサンクチュアリを作り出して。

追い出されない楽園。追い出される前に次の楽園をこしらえて。

ごっこはひとりでもできる。子どもはよく一人遊びをする。僕もした。

だが、誰かを巻き込んだごっこ遊びは、一人遊びとは違った喜びがあるのは、誰しもが知るところだろう。

ごっこ遊び」を調べてみたら、ごっこ遊びは子どもが社会性を身につけるために大切な遊びです、と書いてあった。

それはそうだろう。だが、それだけではないはずだ。

ごっこ遊びは、それそのものが目的なのだ。その副産物として、社会性が身につくこともあるのだ。

ごっこ遊びは、目の前にいるほかの生命と、つながるという体験を求めるということなのだ。きっと。

 

僕はいまボイストレーニングに通っている。まだ延べで半年くらいだが、少しだけ進歩が見えてきて、今日などは、自分では決してありえないと思われた、ひとりカラオケを敢行してしまった。

僕は歌がうまくない。小学生くらいからそう意識していた。まず大きな声が出ない。高い声も低い声も出ない。

だからカラオケはめったに行かない。みんなで騒ぎにいくときだけしぶしぶいくだ。

でもあるときふと、僕の声って、これで終わりなのかな?この先はないのかな?と疑問が湧いた。思えば、声の出し方って教えてもらった記憶ない。音楽の授業でも習わなかった。なんなら、自分が地声だと思っている声って本当に地声なのだろうか?という疑問がわいた。あるときに、声の出し方をひとつ覚えて、ずっとそれをやってきただけなんじゃないだろうか。

もちろん、歌がうまくなりたい。そういうことなのだが、歌が思うように歌えたら、それって「自由」だなあ!って思うんです。

で、いまのところまだ飽きずに通ってるわけであるが、プロになるわけじゃなし、ライブの予定があるわけじゃなし、声の仕事をしているわけでもない僕に、ボイトレの講師は、真剣に教えてくれるんです。そのことが、不思議であり、なにやら助かっているんです。

意味がないんです。社会的には。言ってしまえば。僕が歌を少しばかり歌えるようになったって。お金の無駄だし、時間の無駄なんです。社会に価値をもたらさないのです。僕が少し声が出せるようになっても。

そんなことに、大の大人ふたりが、月に2回、1時間、わりと真面目に時間を使っているわけです。

これは何なのだろうと我ながら思うんです。なんでこんなことやっているんだろう。

人に聞かれれば、歌手になりたくて、とか、言っていますが、それは、自分でもなぜやっているかわからないからです。

おそらく、歌がうまくなった未来に意味があるんじゃなくて、今、声を出せるようになろうとあくせくしているこの時間に意味があるんです。そこにしか意味がないのかもしれない。もっと言えば、社会的に価値がないからこそ意味があるとさえ言っていいきがするのです。

得意なことを伸ばせば、仕事になるかもしれない。お金が稼げるかもしれない。人から褒められるかもしれない。人気ものになれるかもしれない。そしてなにより社会に価値をもたらすことができる。

それはそれでいいし、そうやって得意なことを持ち寄ってこの社会は成り立っていて、お互いに助け合って生きているわけです。そうだからこそ、今の暮らしができている。素晴らしいことだと思う。

得意じゃないこと、むしろ苦手なことを、自己満足のためだけに、取り組む。そして、それを誰かが支えたり、励ましたり、見守ったりする。

そのことの意味は意外と小さくないのではないか、というのが、今ボクが考えていることです。