読み耽り書き散らすのが理想の生活

ネット的世界の端っこで考えたことを書き留めているだけのブログ。

コロナあれこれ 〜ブルーインパルスとウィズコロナ〜

 

 

 

 

 

29日、ブルーインパルスがコロナ治療に携わる医療従事者へ、

敬意しめす感謝飛行を行った。

 

河野防衛大臣自衛隊も、実に粋なことをしてくれる。

 

 

感染リスクに自分の身をさらしながら

ハードワークを華麗にこなす医療従事者の方々は本当にすごい

 

でも個人では感謝を示すアクションの取り方もわからない

こうしてパフォーマンスで感謝の気持ちを伝えられる個人や組織は

本当に素晴らしい

 

久々によきものを見た

 

 

まだ感染力を弱めていないコロナ

 

 

5月25日に緊急事態宣言が解除された。

 

けれど、コロナウィルスの脅威が去ったから

緊急解除宣言が解除されたわけではない

 

日本では見事な自粛対策・クラスタ対策のおかげで

深刻な被害がなく第一波を乗り切ったが、

米国の感染者カーブはゆるくなっていないし、

ブラジルなどの南米諸国の感染者カーブの傾きが

5月の後半から急になっている。

(参考に外務省の出しているグラフを下に貼っておく)

 

日本でもごく小規模ながら揺り戻し(第2波?)も来ている。

自粛の気を抜くとすぐに感染者が発生する

 

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緊急事態宣言解除を振り返る ウィズコロナの心構え

 

そもそも、コロナが収束したとか、

終息しそうだとは、ちゃんとした公式機関は

言っていないことを思い出してもらいたい

 

マスコミは、日本の対応は成功だったか? 失敗だったか?

と単純な議論にしたがるけれど、答えは

「まだ終わっていないからわからない」だ。

 

現時点までの途中経過は、日本の対応は二重丸だと

僕は思っているけど・・・

 

緊急事態宣言の解除は、

あくまでも経済とのバランスを考慮したうえで出されたものだ

 

お店が営業できないと経済的に困窮する人がいる、

さらに長期に渡れば社会全体が困窮するという

ごく当たり前の見通しのもと、

多少のダメージは覚悟のうえで

緊急事態宣言は解除されている

 

解除にあたって、常にマスク、三密を避ける、

テレワークや時差出勤を活用するといった

「ウィズコロナ」の生活習慣を取り入れることが前提条件だ。

 

いろんなことを覚悟して、多少経済を動かしてみよう、

そして長期戦を戦い抜こう・・・というのが

政府の作戦だ。

 

下は緊急事態宣言解除のときの

安倍首相の会見内容のまとめ(ただし関西弁)

 

今の状況も予測に織り込んであり、

ごくごく妥当なことしか言っていない

 

マスコミが素直に報道しないのが本当に不思議

 

 (略)

 (略)

 (略)

 (略)

 

フルはこちら(YouTube 首相官邸アカウント)

youtu.be

 

いつコロナ騒動が終わるのか?

 

コロナウィルスは非常に感染力が強い。

個人的には、特効薬かワクチンが発明されない限り、

コロナによる社会混乱は続いていくと考えている

 

収まってはぶりかえし、第2波、第3波と続いていく可能性はかなりあると思う

 

長期戦、というのは1〜2年くらいを視野にいれていると思う

というのもワクチンや特効薬の薬事承認のスケジュールがそれくらいだから

 

最悪を想定して気長に構えておかないと、

精神がもたない

 

これから夏に向けて最悪を考えるなら、

水害とコロナのダブルパンチなどだろう

水害を避けた避難先でコロナが流行する可能性もある

 

自戒をこめて、自衛の対策を考えて

おかなければならない

大変な一年だ

 

しかし大変だ大変だと騒いでいても

経済はまわっていかない

悲観しつつ楽観的に生きろ、

ということだろう

 

やれやれ。 

 

 

 

 

 

コロナウィルス対応についてあれこれ 〜 備忘のためのメモ書き 〜

 

2020年はコロナウィルスの年になった。

 

日本は緊急事態宣言による自粛要請で、自宅待機やテレワーク対応が広がっている。かく言う筆者も現在テレワーク等を使った自宅待機・おうちごもり・STAY HOME 中だ。さすがに歴史的なおおごとなので、考えていることを記事にまとめておきたいと思う。

 

 

数万人を殺す疫病というものは、現代になってほとんどの人が経験していないのではないだろうか。歴史を遡ると、20世紀では3回、インフルエンザ性のパンデミックを人類は経験している。

 

逆に言うとたったの3回であり、しかも最後の香港風邪は1968年、実に半世紀も前のことである。比較対象として適したスペイン風邪の流行は1918年で、100年以上も前の話だ。今回のコロナウィルスの流行がどれだけ歴史的な出来事かがわかる。どれだけおじいちゃんたちが経験値内で語ろうとしても語れない出来事だという基本的な理解がまず必要だろう。

 

なおコロナウィルス流行(COVID-2019)というのは医学的にきっと正確な表記ではないけれども、一般人のブログなのでこの稿ではコロナウィルス流行という表記で統一させてもらいたいと思う。

 

現時点でのコロナウィルスの猛威

 

■ 各国の感染者&死者(5月6日時点 厚生労働省 発表資料より)

米国 119万人 & 70千人
西国 22万人 & 25千人
伊国 21万人 & 29千人
英国 19万人 & 29千人

ーーーー
独国 17万人 & 6.9千人
露国 15.5万人 & 1.4千人 
中国 8万人 & 4.6千人
瑞国 2.3万人 & 2.8千人 (スウェーデン

ーーーー

韓国 1万人  & 255人
日本 1.5万人 & 543人

 

■参考資料(厚生労働省 5月6日時点)

www.mhlw.go.jp

参考2(外務省資料)

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外務省グラフ感染者累計

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外務省1万人あたり

www.anzen.mofa.go.jp

 

※厚生省の発表のほうが正確だと思うけれど、表ですごくわかりにくい。外務省のようにせめて主要な国はグラフにして比較して欲しい。

 

 

 

■現時点での状況のまとめ

■ 各国の感染者&死者(5月6日時点 厚生労働省 発表資料より)

米国 119万人 & 70千人
西国 22万人 & 25千人
伊国 21万人 & 29千人
英国 19万人 & 29千人

ーーーー
独国 17万人 & 6.9千人
露国 15.5万人 & 1.4千人 
中国 8万人 & 4.6千人
瑞国 2.3万人 & 2.8千人(スウェーデン

ーーーー

韓国 1万人 & 255人
日本 1.5万人 & 543人 

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外務省1万人あたり

感染者数・死亡数・1万人あたりの感染者数を見ると、米国が極端に多く、そしてイギリスなど西欧諸国が続く。ついでドイツなど欧州で対応が優秀だと言われている国が続き、次にアジア各国が続いている。

 

一番上の表を見てもらえればお分かりの通り、日本は人口に比べて感染者数・死亡者が飛び抜けて少ないが、そのために数字を偽っていると非難する人がいる。3月末〜4月上旬の時点では日本は2週間でNY州のような惨状を迎えるという人がいた。だが5月7日 の時点では数値は上表の通りだ。

 

上の表・グラフには無いけれども、別のデータではコロナ感染の再感染者数は東京でもRt1以下になっており、日本のコロナ感染拡大は落ち着いてきていると見るのが自然だ。

 

 

 

 

パンデミックの歴史を振り返ってみる

 

20世紀のインフルエンザ性のパンデミックを並べると以下のようになる

スペイン風邪・1918〜19年・死者2000万人超(推計)

アジア風邪・1956〜57年・死者100万人超(推計)

香港風邪・1968年・死者5万人超(推計)

(NEW!) コロナウィルス流行・2020年・死者 ー 

 

なお、SARS・MARSは局地的流行にとどまったため、比較対象からは除く。パンデミックではなく、エピデミックと分類されるらしい。

 

参考にすべきなのはスペイン風邪だろう。最悪のケースから学び、最悪に至らない道は何かを探すべきだと考えるためだ。なおスペイン風邪が流行したときは折り悪く第一次世界大戦中だったため、初っ端から患者数が医療リソースを上回る「医療崩壊」をしていたと考えられる。つまり、21世紀のコロナウィルスでも、医療崩壊を起こせば、とんでもなく死者が増えるだろうということは容易に想像できる。

 

・・

 

一番始めの概要のところで書いたが、現在、歴史的な出来事に直面しているのだという基本的な認識が大切だ。そのことから何が言いたいかといえば、つまり「今われわれは個人の経験値からは判断できない局面に居る」ということだ。

 

なので「経験上このままでは〜」と始める人の話は、アテに出来ないということ意味している。

 

コロナウィルス関連ではデマ情報が飛び交っている。ウィルス対策にお湯が効く、なんて信じられないレベルのデマが広がったくらいひどい。しかしいま述べたように、経験値からわかることは何ひとつないので、現在進行形で進む研究以外はほぼ憶測といえる。なので、公式発表以外はすべてデマだと考えるくらいでちょうど良いでしょう。 

 

 

日本政府のコロナウィルス対応について

 

日本政府の対応は遅い! ひどい! とマスコミは声をあげますが、上記のように感染者数・死亡者数のデータは他国と比べ優秀です。データ取りが不十分なのでは? という話もありますが、所詮「無いものを証明しろとせまる『悪魔の証明(証明は不可能)』」につながる話。そもそも統計データは推測に使うためのデータで、完全な実数である必要もないと考えます。

手元にあるデータで不足部分は補い推測し、対策していくのが政治です。批判だけしたい人たちの言うことをまともに受け止めていたら、時間がいくらあっても足りません。

 

日本政府の対応は、最初から徹頭徹尾医療崩壊をなんとしても避ける」という方向で一貫しています。未知の事象への政治対応で、結果となる感染者数と死亡者数の比較を見れば、日本政府の対応は高く評価するのが自然だと筆者は考えます。

 

<推移概要>

1月23日 武漢封鎖
2月13日 国内初の死者
2月中旬 マスク品薄
2月19日 ダイヤモンド・プリンセス号より下船
2月25日 首相、休校要請(以降 休校措置を各国で実施)
3月1日  首相会見(以降週おきくらいで会見)
3月14日 コロナ特措法成立
3月29日 志村けんさん死去
4月1日  布マスク配布表明
4月7日  緊急事態宣言(7都府県)
     事業規模108兆円経済対策
4月16日 緊急事態宣言 拡大(全国)
     1人1律10万円支給決定
4月23日 軽症者は宿泊施設(アパホテル

 

 

 

参考: 

 

 

経済との両立

 

なぜかマスコミは欧米の状況ばかり取り上げますが、既にコロナ対応が終了し、ポストコロナに移行している国があります。まあ中国は除外するとしても、台湾・韓国ベトナムがそれに当たります。

 

経済との両立をするために感染者が減少した段階からロックダウンを解除し、経済活動を進めるべきだという声があり、アメリカはそちらの判断に傾いています。しかし、物理研究者を経て現在は作家・投資家の藤沢数希氏も指摘している通り、アジアで既に成功例があるのだから、日本は単純にその真似をするのが一番賢いのではないでしょうか。別の手筋を取ってリスクを高める必要はありません。

 

つまり、下手に自粛緩和して感染が再度広がるリスクを犯すよりは、前例に従い、新規感染者がゼロになるまで待つのが正しい方向性だと考えます。

 

参考:

 

 

医療従事者への感謝と自粛ヤクザ(自粛警察)とマスコミについて

 

■コロナに立ち向かう医療従事者の方々・自衛隊への感謝!

コロナに感染する可能性がもっとも高いのは、当然ですが感染者を扱う医療従事者です。医師だけでなく、看護師、医療技術者、介護者、はては感染者の衣服を洗濯したり掃除する人も含めて感染リスクにさらされています。

医療現場に携わる人たちが感染しないスキルを持っているということはありません。ただ彼ら個人個人の高い職業意識と使命感によって医療の現場に今日も参加してくれています。彼らに敬意と感謝を忘れないようにしておきたい。それと自衛隊にも同様に感謝を。

 

参考1:

(よく出来ているフィクションかも知れないけど もし看護師の母がコロナに感染したら、という話)

 参考2:

 

■自粛ヤクザ(自粛警察)への言及

それから日本の特徴として、同調圧力が強い、というのがある。他の国では政府からの自粛要請など市民は無視するのが前提だが、日本では自粛もきちんと忖度して市民は行動に移すのが素晴らしい。

 

ただ自粛も行き過ぎることがままある。コロナ感染者やひっそりと営業を続ける店舗への嫌がらせも発生している。高い同調圧力ムラ社会の裏返しであり、地方では陰湿ないじめにつながりやすいようだ。自分の正義を果たすためなら違法行為も許されると考える人がいる。誰かのツイートで見たが、そういう人を自粛警察などと呼ばず、”自粛ヤクザ”と実態にあった呼び方をしたほうが良い。

 

 

参考3:

headlines.yahoo.co.jp

 

 

■マスコミについて言及

 

相変わらずデマ・我田引水の政権批判・印象操作がひどい。メモだけ残しておく。

 

・テレ朝 モーニングショーが事実誤認、さすがに政府・学者から名指し指摘を受ける

・テレ朝 感染クラスタ構成(報道ステーション 富川悠太アナ)

・毎日 汚損マスク偽造疑惑

・不安を煽るだけのワイドショー

 

 

第二波はある? コロナの終わりは?

 

インフルエンザウィルスは、一般的に夏に流行がおさまり、冬に流行するというサイクルを繰り返しているので、亜種であるコロナウィルスも同様の可能性がある。つまりこれから夏にかけて感染者がいなくなったあと、冬に再流行するという考えだ。

 

当たって欲しくない予想ほど当たる、というのが世の中なので、冬に再流行する可能性は考慮しておいたほうが良さそうだ。

 

じゃあコロナウィルス対応はいったいいつ終わるの? ということだが、これはコロナ向けの薬とワクチンの発明が転換点になる。

 

コロナがなぜ怖いかと言えば、根本的には治療法が確立されていないというところにあるので、現在話題になっているレムデシビルやアビガン、そしてもっと良い薬が出てくれば、もうコロナは怖くないという話になる。

 

集団免疫の獲得については、初期のイギリスが基本的な解決策に据えていたが、現在は撤回している。スウェーデンも見直す方向性だ。というのもコロナウィルスによる死亡率が予想よりも高く、集団免疫獲得までの死亡者数を許容できなくなったためだ。

 

 

ポストコロナについて

 

コロナ後の世界について書こうと思ったけれど、すでにこの稿が長すぎるし、このテーマ単独でも充分に長くなりそうなので省略します。

 

 

 最後に

 

大切なことは、基本をしっかり守ること。

 

・三密(集・近・閉)を避けること。

・しっかりとうがい・手洗いする。

・不安だからといって病院に押しかけない。(医療リソースを大事に!)

・自分は感染者だと思って行動する。(そうすればお互いにうつさない)

・ワイドショーは視聴者の不安を煽るのが目的。最初から見ない。 

 

 

竹槍でB29は落とせないし、「敬意・感謝・絆あればウイルス克服できる」ということもありませ。自戒を込めてですが、当たり前のことをしっかりとやっていきましょう。

 

 

 


銃・病原菌・鉄 ジャレド・ダイアモンド

進次郎環境相は、園田首相爆誕への布石か

 

 

 

 

福島原発に保管されている処理水を、マスコミ記者たちの前で、園田政務官(当時)が飲むということがあった。処理水が安全というなら飲んだらどうかというフリーライターの煽りに応じたもの。2011年の事だ。

 

品の無い煽りと思うが、それを踏まえてきちんと対応した園田政務官は偉い。飲んだあとも「私が飲んだからといって安全性が証明できるわけではなく、意義はない。要望があったために飲んだ」と余裕のある大人のコメントを付け加えた。

 

 なお処理水に含まれるトリチウムは、三重水素と呼ばれる水素同位体。原子炉の中で生成されるが、微量ながら自然界に存在しているもの。世界各国の原発で発生するこの処理水は、経時による放射能減衰や希釈を経て、基準を設けてそれぞれ海洋に今も排出している。福島原発の処理水は基準以下だが風評被害により排出できていない。

 

 

一方の進次郎氏(2019)

 

 

次期総理として期待され、年少入閣した進次郎氏(2019年9月11日)。ポストは環境大臣。要職とは言い難いが、環境は喫緊の課題があるわけでもなく、官僚と連携してパフォーマンスだけうまくやれば、人気が取れ美味しいところを持っていけるポストだ。連日マスコミに追いかけられる進次郎氏の発信力を有効に使えば、大化けできただろうと筆者は考える。あるいは総理大臣候補に向けて、テストのような意味合いのある入閣なのだろう。

 

だが入閣してまだ1ヶ月も経っていないが、問題が頻発している

・育児休暇発言

・関係者に事前の相談なく福島訪問し、原田前環境大臣が道程を示した処理水海洋放出案をひっくりかえす発言

 ・国際会議でSexy発言。さらに海外マスコミに火力発電所の具体的な削減案を尋ねられるも何も回答できない

 

 マスコミでは持ち上げが続いているが、ネットでは、何か言っているようで実は何も言っていないポエムの人という評価が定着しつつある。環境大臣ごときで「位討ちの罠」(力量の伴わないポストに敢えてつけて評判を落とすこと)にはめられたと言われる始末だ。

 

スタンドプレイは構わないし、信念があるならそのとおりするのが政治家の本懐だとは思うが、大臣という具体的な責任を伴う立場になると、ただマスコミ受けする発言だけではなく、中身も伴わないと成立しない。進次郎氏はまず官僚達と答弁要綱の摺り合わせから始めるべきだろう。もう遅いのかもしれないが・・・。

 

 

処理水を飲んでいれば進次郎総理だった

 

小見出しそのままだが、進次郎氏が処理水を飲んでいれば、彼は次期総理だったろう。次が無理でも、2、3代あとに必ず総理になっていたはずだ。

進次郎氏の稀有な発信力により、処理水保管の問題が解決され、風評が払拭され、それに伴い政府の金銭負担も大きく圧縮できる。この功績はデカい。進次郎氏の不勉強と不見識を補っても、なお余りあるだろう。思い返せば、民主党の菅氏もかいわれ大根を食べて首相の道を掴んだのだ。同じ道はあり得ただろう。

 

だが、残念なことにその世界線は消えている。

 

科学を選択し、処理水を飲んだのは園田政務官だった。一方でプリンス進次郎氏は、前環境相が身を呈して引いたせっかくレールを放り投げ、情緒論を選択してしまった。

 

 

小池百合子氏に似ている進次郎

 

小池百合子都知事豊洲問題によく似た発言を、進次郎氏は繰り返しているのが不穏だ。

 

小池氏もマスコミに持ち上げられた政治家だった。しかし豊洲問題では小池氏が「安全よりも安心」などと言う情緒論を呈し、マスコミは称賛をもって迎えた。しかし、結果、数十億の血税が無駄に費やされただけだった。豊洲市場も従来の計画どおりに移転された。小池氏が騒がなければ、なんの問題もなかったことになる。続けての大仕事である東京オリンピックの開催準備すら円滑とは言い難く、彼女の仕事はコケまくっている。

 

情緒論はマスコミに受ける。わかりやすいからだ。しかしわかりやすい話が問題の解決につながるかというと、そうではない。だから通常、責任ある立場のひとは、情緒論を採用しない。むしろ世間の反感を買ってでも正しい道筋を示すのが政治家の役割だろう。

 

 

進次郎氏が総理になる世界線はほぼ消えつつある。万が一首相になったとしても、おそらく任期中は悪夢になるだろう。むしろひょっとしたら、現在は政界を退いている園田氏に、スポットライトが当たることがある・・・かも?

 

 

 

 

 

 

 

表現の自由 事例3選

 

今月は、表現の自由というものを改めて認識させてくれる事例が多くあった。並べて比較してみようと思う。

 

 

はじめに) 表現の自由とは

 

事例の前に、表現の自由とはなにか、簡単に確認しておこう。Wikiぐらいは眺めないとだめだよね。

 

表現の自由(ひょうげんのじゆう、英: freedom of speech)とは、すべての見解を検閲されたり規制されることもなく表明する権利。外部に向かって思想・意見・主張・感情などを表現したり、発表する自由。個人におけるそうした自由だけでなく、報道・出版・放送・映画の(組織による)自由などを含む。但し、法が保障する自由は、無制約な決定の可能性を認めるものではない。公共の福祉を侵害したり、他者の自由を侵害する「表現の自由」は認められていない。(Wikiより)

 

 

ということで、以下、事例を示す。

 

事例1) 表現の自由が”無い”場合(中国人漫画家 逮捕)

 

 

精神日本人”を理由に、国家権力が物理的に表現者を逮捕する事例。思想が日本人っぽいだというとても曖昧で主観的なことで逮捕されるのだから、表現の自由のひとつ、思想の自由の存在が、まるきり無視されていると判断できる。

 

記事を見る限り、根拠となった漫画は緩やかな表現で、ぱっと見どこが悪いのかわからないし、政府批判だとしてもこれが許容されないの? という絵がアップされている。

 

なお今回の政府対応は、中国の法律に表現の自由の保護の概念がないので、中国国内法上問題がないことになる。西側諸国の常識としてはとんでもないことだが、外国が非難できることじゃない、ということだ。

 

 

事例2) 表現の自由が”ある”場合(東京での香港デモ・対する中国デモ)

 

 

民主化を求める香港人の一部と、それを止める(?)中国人の一部が、第三国である日本東京でデモ。そしてそれらのデモを守るために、きちんと出動している日本警察。

 

たとえ自国に関係ない内容だとしても、中香どちらかに肩入れすることもなく、デモを公的に許容する日本。これが表現の自由がしっかりとしている国の証左。

 

 

(ざっくりとした経緯など)

香港デモ問題。マスコミ報道では、一部の過激派がデモをしているように見せているが、これは偏向報道。2019年6月香港の自治の根幹を巡る法案に端を発したデモは、誇張ではなく100万人規模に達するも、未だ平和的な活動に留まっている。だが香港立法会はきっかけになった法案(逃亡犯条例改正案)を取り下げていない。中国政府は軍隊を香港近辺に駐屯させ威圧、さらに催涙弾などを使い準武力的な制圧を図ろうとしている。さらに中国側はデモ側にマフィアや活動家を潜りこませるという巧妙な手口で香港デモのイメージをさげ、情報合戦の様相を呈していたが、ついに米国トランプ大統領が14日「中国は人道的に対処すべきだ」とのコメント。米国を動かしたことで、香港デモに活路の光が見えてきた。

 

 

事例3) 表現の自由の内容を勘違いしている例(愛知トリエンナーレ

 

Wikiにある通り、「公共の福祉を侵害したり、他者の自由を侵害する「表現の自由」は認められていない」のだが、政府関係者への罵倒であればどのようなものでも許されるとした誤った考えが、日本のマスコミに根付いている。

 

これまで情報提供者たる報道者みずからが偏向報道をして、大衆に一方的に情報を提供していたので、偏向具合がわからなかったのだが、SNSによって実態が見破られ、偏向を指摘されるようになったため、明らかになった事案。

 

 

表現の自由は保障されるべきだが、表現の自由を盾にして、他人を侮辱する自由はない。侮辱する対象が権力者であってもそれは変わらない。

 

さらに言えば、表現の自由は表明する自由であって、批判されない自由ではない。批判も侮辱された本人たちからではなく、周辺のギャラリー、閲覧者からの批判だ。表現者であれば、ギャラリーが作品から見たらどう思い、どう反応するかを想定しておくべきだし、それを踏まえて表現し、さらに反論するべきだった・・・表現に覚悟と信念があれば。

 

 

まとめ

 

表現の自由がない→漫画かいただけで逮捕

表現の自由がある→外国人でもデモを許す、どちらかに肩入れもない。警察もデモに協力

●勘違い→表現の自由は無限ではなく、公共の福祉に制限される(誰かへの侮辱はNG。それでも表現するとしたら炎上覚悟の上で)

 

 

事例を見る限り、日本は法治国家としてしっかり機能しているなと思う。マスコミを中心とする報道側が、表現の自由を都合の良いように解釈して使いすぎているように見えるので、徐々にあるべき姿に直っていくことを期待している。

 

 

 

 

 

 経産省が韓国への輸出管理上の措置について英語での情報配信

 経産省が韓国への輸出管理上の措置について英語での情報配信をするまでの概要

 

韓国の戦略物資横流しを受け、日本経済産業省は、7月6日輸出管理上の優遇を取り消しした。しかし韓国は管理の瑕疵を認めず。韓国は戦略物資フッ素のトラッキングもできていない上に、輸出管理上の非ホワイト国である中国に物資の横流しをしていたことが判明。

 

しかし、韓国は日本の行動をほtんど空想とも言える曲解発表をしたうえ、日韓貿易戦争の開始を宣言。反政権の国内マスコミは、韓国に寄り添った報道を17日現在も続けている。

 

国内マスコミの偏向報道を配慮し、経済産業省の世耕大臣がツイッターを使って今回の処置について説明していたが、日本語での発表に終始していた。

 

日本の行動は総合的に極めて正当な処置だと筆者は考えるが、レーダー照射事件など、これまで韓国はまったくのでっちあげで対抗しきた。また韓国は虚偽を流布することに長けており、これまでに何度も国際社会をミスリードさせ、責任と批判を逃れてきた。

 

海外マスコミも独自取材をするわけでなく、原則的に当事者国の報道に沿って報道する。だから反政権の国内マスコミが韓国に寄り添った報道をすることで、韓国の良いように国際世論が作られてしまう。

 

今回もそうなってしまうのではと個人的に懸念していたところ、経済産業省が英語でも情報発信をすることにしたとツイート。筆者喜ぶ。

 

とても喜ばしいので、ブログに書いておくことにした。これはそのメモである。

 

 

実際のツイート

 

 

 

 

 

G20終了。あれこれ考えたこと

 

G20が終了した。

 

利害が相反している大国同士を一同に集めたにもかかわらず、大過なく終えたこと自体が大きな成果だったと思う。

 

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貿易体制の維持=米中間の平和の維持

 

首脳宣言も無事採択された。安倍晋三首相は閉会会合で「自由、公正、無差別な貿易体制を維持・発展できる共通点を見いだすことができた」と述べたという。

 

課題を解決しようと議論をすれば、たった2日の議論で終わるはずもない。そのなかで合意点を作り出した日本の存在感は、評価されてもいいと思う。「貿易体制の維持」というポイントで合意できたのは成果だと考える。

 

というのも米中貿易戦争は、総力戦が当たり前になった現代の戦争観において、軍事衝突の前哨戦とも捉えることができるからだ。経済の次はサイバー戦争、宇宙開発競争と進み、香港や台湾の問題を起点にして軍事挑発・衝突に向かう可能性もあった。だが米中は貿易でーー要は平和下でお互い利益を得ることを目指そうと、大枠でも意思疎通ができたことは意味のあることだ。

 

さらにファーウェイ問題では、安全保障の問題に関わらなければ米国企業との一部取引を認めても良いというトランプ大統領の発言もあった。習国家主席にすれば交渉の糸口だろう。これで両国の経済要人を逮捕合戦するような事態も当面避けられることだろう。

 

米中というグレートパワーの間に入り、立ち回るというのは、相当な外交手腕が無いと不可能だ。

 

イランにも行き、米中をはっきりと対決させず、さらに日本の利益になるように状況を持っていっているという事実を、各国が認識しているはずだ。日本の外交力の高さを示せたと思う。

 

 

韓国の孤立を確認

 

韓国については、「何もなかった」こと自体が成果だ。

 

・韓国が徴用工・レーダー照射問題で、譲歩する気がないことを再確認

・さらにその姿を主要各国が見た(日本の立場の正統性)

・徴用工問題において韓国を支持する国が現在のところ無いことを(おそらく)確認

 

中国・ロシアの横槍がないと判断したと思われる日本は、来週に韓国への経済制裁へと乗り出す。横槍が無いよう根回しの最終確認の場として、G20は適切だったはずだ。

 

これまで韓国が問題を起こしても、なあなあで済ませてきた。だが前提となる米韓同盟があやしい状況では、なあなあで済ませる意味もない。また韓国得意の”ムービングゴール””手のひら返し”によって何度も煮え湯を飲まされてきた日本が、毅然とした対応をしないと、逆に他国に侮られるだろう。

 

だが二国間の制裁に他国が干渉してくると、途端に話がややこしくなる。中国かロシアが韓国を支持して、中露韓と米日の代理抗争のようになることが日本政府の懸念事項だったはずだ。各国の意図の確認には、相当な注意を払っただろう。

 

 

パワーゲームの中の日本

 

アメリカ一強時代に比べ、外交は格段に難しくなっているはずだ。

 

グレートパワーがなくなったのに、中国という西側諸国的価値観を共有しない国が急激に伸びている。欧州は弱いままだし、米国はロシアから中国を仮想敵国に切り替えて動いている。

 

膨張したい中国の圧力。その中国の南を抑えるインドと良好な関係を築き、獅子身中の虫になることがほぼ確定している韓国とは距離を置き、米国だけでなくロシアとも不可侵の関係を保つ。日本は絶妙なパワーバランスの上に立っている。

 

相当シビアなコントロールが要求される状況だが、いま致命的な問題が無いのは、現在の政府の外交手腕が相当に優れているのだと思う。

 

G20が何事もなく終わったのは、実に重畳である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

終身雇用終了。トヨタ自動車社長の重いコメント。今後のわたしたちの働き方を考えてみた

トヨタ自動車豊田章男社長が、「終身雇用を守ることはもう難しい」旨の発言をしたことで、先週、ネットの界隈が賑わった。

「滅私奉公はもう通用しない。将来給料あがるから若いうちは我慢しろは通用しない」「終身雇用をなくしたら今まで通りの会社への忠誠心は期待できなくなるぞ」「クビにならない特権がなくなる」など・・・。

 

個人的には、終身雇用はグローバルで見れば非常に珍しい仕組みなので、いずれ無くなっていく方向だと考えていた。だから、ついに来るものが来た、という想いだ。

けれど、”あの”トヨタ自動車からの発言となると、時代の転換点を感じずにはいられない。

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toyokeizai.net

 

トヨタ自動車の売上=フィンランドGDP

 

そもそもトヨタ自動車がどういう規模の会社であるかご存知だろうか。説明するほど賛美しているみたいになるのでできるだけさらっと書くが、トヨタ自動車は、自動車の世界トップレベルのメーカーで、売上高30兆円、営業利益2.5兆円(2018年度)の会社である。

改めてみると、30兆円とはすさまじい数字だ。

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世界の名目GDP(2018)https://ecodb.net/ranking/imf_ngdpd.html
単位:10億USドル

 調べてみると、30兆円は、だいたいフィンランドGDPと同じくらい。

経団連の中西宏明会長(日立製作所)が「終身雇用なんて・・・」という発言をしたときは、まあ売上は9兆でそれでも大きいが、浮き沈みのある電機業界ということでさもありなんという感じだった。だが、実業界の優等生筆頭である自動車業界のトップの言葉は、さすがに重みが違う。「あのトヨタが・・・」とトヨタを基準にした会話が成立するのもよくわかる。

 

終身雇用制度 とジャパン・ミラク

 

さて、日本では当たり前に語られている終身雇用制度が、世界的にも歴史的にも珍しい制度だという事実はご存知だろうか。似た制度はあり、個別の企業で事実上採用しているところもあるが、現代日本のようにほぼすべての企業が終身雇用と年功序列を前提にするような社会事例はごく珍しい。

まず、終身雇用制度が生まれてからほんの半世紀ちょっとしか経っていない。出てきたのは戦後になってから。1950年〜1960年の高度成長を背景に、年功序列を前提とした終身雇用制度が根付いていった。

すぐには大金はもらえないけれど、真面目に働いていれば月給は保証され、少しずつ給料があがっていくという終身雇用と年功序列の制度。つらくても我慢していれば必ずいいことがあるという労働者のインセンティブが保てる。経営者にしてみても、質の高い労働を長期に確保できる優れた制度だ。

しかし、その制度が世界中に広がらなかったのはなぜなのか。

少し立ち止まって考えてみよう。全従業員の給料が徐々にあがっていくというが、そのお金はどこから出てくるのか。それはもちろん、企業の売上・収益からである。ということはつまり全企業の売上・収益の成長が、全従業員の給料に反映されていくことになる。したがって、日本のすべての企業が年功序列と終身雇用を採用するのなら、日本全体が成長し続けることが前提になる。従業員の一般的な雇用期間である約40年に渡って。そんなことが可能なのだろうか?

そんな夢のようなことを実現してみせた時代が、実際にあった。戦後の焼け野原から立ち直りつつある1954年から1971年の間、日本の実体経済を毎年10%以上成長させた高度成長は、ジャパンミラクルと呼ばれた。その後も成長率は落ちるものの、バブル崩壊の91年まで年平均4%のペースで成長し続けた。経済環境が、終身雇用と年功序列というハイコストな制度を可能にしたのだ。

余談だが、江戸時代の武士の俸給は例外的な出世など、よほどのことが無い限り変わらなかった。収入が変わらなければ、余裕をつくるためには支出を押さえるしかない。だから、江戸武士のあいだでは「倹約」が美徳になったのだ。給与が上がり続ける世界は、売上をあげつづけなければいけない世界で、個人消費が奨励される世界でもある。だからバブル時期には、「消費」が美徳とされていた。どんどん稼いで、どんどん使え、というわけである。同じような武勇伝を会社のおじいさんから聞いたことがないだろうか。そういう美徳話は、日本人特有のものでなく、ただ単純に時代背景によるものだということがよく分かる。

 

転換

 

諸賢もご存知の通り、バブル崩壊後の日本の経済は順調とは言えなかった。1989年に39000円に迫った株価(日経平均)は、2011年には7000円を割った。1993年から2011年までに日本は5回もマイナス成長を経験した。有効求人倍率は1993年から2005年まで 1 を下回り、氷河期世代が生まれた。2009年にはリーマンショックが発生し、2011年に大手電機メーカーの三洋電機パナソニックの子会社になり、重複部門は中国ハイアールに売却された。日本が右肩あがりに成長し続ける時代は終わりを告げた。

参考:

日経平均株価 超長期月足チャート|1949年5月算出開始から現在まで | Base Views

 

右肩あがりの時代が終われば、成立しない制度が出てくる。年金制度、終身雇用制度、年功序列制度。これらの制度は、必要な費用が累積して年々積み上げられていく制度なので、それ以上に毎年稼ぐ必要がある設計になっている。

だから景気が悪くなるだけで機能しなくなる。蜃気楼のように脆弱な制度だったのだ。バブルが崩壊した30年前、平成が始まったころに無くなってもおかしくなかった。

けれど長く使った巨大なシステムはそう簡単には崩れない。それだけ戦後日本が積み上げたアドバンテージの量が凄まじかったということだと思う。けれど、徐々に崩れ始めている兆候はみえていた。

2000年以降に発生した転職の増加、非正規雇用の増加などはその好例といえるだろう。終身雇用と年功序列は、言ってみれば企業の労働力の囲い込みだ。企業が囲い込み切れない労働力は非正規雇用になり、囲い込むことを失敗した労働力が転職市場に流れ、あるいはその欠損を転職市場からの流入で補うシステムが出来上がりつつあった。

転職者と言えば、昭和・平成初期には裏切り者のようなニュアンスがあったものだが、そのニュアンスも次第に薄れていき、転職も当たり前のものになった。

 

 

終身雇用終了。これからの私たちはどう働いたらいいのか?

 

「終身雇用終了。そんなこと言われても、どうすりゃいいのかわからない」

という声も多いと思う。とりあえず、まずは落ち着いてほしい。2019年5月現在の株価は20000円を越えていて、経済環境は相対的に悪いけれども致命的ではない。労働組合の制度も生きているし、急にリストラの嵐が吹き荒れるようなことはない。いますぐ急な動きはないということだ。

だが今後起こってくることで、一番妥当なシナリオは、雇用の流動化が強まる、ということだ。ひらたく言えば転職する人が、今後さらに増えるということだ。そして、転職の位置づけもさらに変わってくるだろう。

 

 

年収をあげる=転職する の世界

 

日本では、転職すれば年収が下がるのだということが言われてきた。だがそれは年功序列と終身雇用ががっちりとしたシステムとして機能していることを前提にしている。しかし、一般的には、給与というのは需要と供給で決まる。従業員が持っている能力が、多くの企業から望まれれば、給与が高くなる。逆ならさがる。給与も市場原理にさらされている以上、当たり前のことだ。

日本以外のグローバルでは、転職を機会に年収をあげる人が多い。前職でスキルを鍛え、向上したスキルを次の会社で高く売る。そういうルーチンが成立しているのだ。

自分が海外(アジア地域)で働いた経験だが、現地の人たちは、転職するときに年収をあげる交渉をする。ベース給与にもよるが、転職で現状の1.5倍ぐらいの給与を要求するスタッフならざらにいた。そして経験則から言えば、前職と同じ給与を望む人材よりも、前職よりも高い給与を要求するスタッフのほうがハイパフォーマーだった。

 

終身雇用と年功序列の無い国の人たちの動き

 

海外で働いていたころを思い出すと、現地のスタッフは次のような感じで働いていた気がする。

 

1)転職とそれを前提にした仕事のやり方

前出の通り、スキルアップと次の転職が前提になる。だからあまり特定の社内でしか通用しない仕事は現地スタッフ好まれないし、離職率も高くなる。長くこの職場にいようと思う人材はレアなので、会社によってルールが違って複雑で、人材育成が遅い日本現地法人では重宝される。

一般的に、日本企業の仕事の仕組みは複雑で、人の入れ替わりを前提にしていない。それどころか一部の業務は属人化して、その人にしかわからないブラックボックス化しており、効率化もできない状況になっているところも多いと思う。今後は人の入れ替わりを前提とした仕事の構成が言われるようになる。RPA化・AI化の過程で仕事のやり方が作り直されると思うので、どこでも使える汎用的な仕事のやり方を学ぶことが大切になるだろう。

 

2)副業

自分の車を使って、仲間の送り迎えをする、ぐらいのことは普通にあった。

でも一番わかりやすいのはやはり中国人だと思う。ここでは中国人の爆買いを例にあげる。中国人の爆買いは、あれは日本で大量に購入した商品を、中国で売りさばいていたのだ。みんながみんな個人輸入商をやっていた、ということになる。中国現地法人のスタッフが日本に出張してきたときに教えてくれた。ちなみに個人輸入商の副業をやろうとしているひととそうでないひとは、購入する量の桁が違うのでよくわかる。ただ中国でも旅行と個人輸入を一緒にすることは、あまり上品なことだとみなされていないようで、良い企業に勤めている中国人はやっていなかった。ここ2年くらいは、経済が充分に成長して、個人の所得にも還元されて、日本製の品薄感もなくなって(日本製の人気がなくなった気がする)、爆買いも収まった。きっと別な副業を見つけているのだと思う。商売にうとい日本人は、中国人の爆買いを奇異の目でみていたけれど、内実はそんなところだったりする。

海外で爆買を薦めたいわけでない。個人の副業は、海外では割と当たり前に行われているということが言いたかった。なにかしらの副業で収入を複線化するのは、どんな状況でも自分を有利にする。終身雇用の制度がなくなっても有効な手段だ。

 

3)仲間づくり・親族とのつながり

会社が一生面倒見てくれるわけではない、ということであれば、一生付き合うコミュニティを探すのは当然だ。だから、現地のスタッフは、気の合う仲間づくりや親族とのつながりを、仕事よりも大切にしていたと思う。

日本との価値観の違いというよりは、雇用システムの違いによる利害関係の違いによるものだと思う。日本も、仕事よりも家族、友人、親族を優先する流れがより強くなるのだと思う。いまはライフスタイルの変更という視点で受け止められているが、この流れは加速し、当たり前のことになる。家族は一生モノだが、仕事は一定期間の付き合いしかないのだから、自然な価値判断だと言えるだろう。

 

 

おわりに

 

終身雇用と年功序列が本格的に消えていくことで、不安に思うところもあるが、見回して見れば、終身雇用と年功序列という制度自体が、歴史的にも世界的にもレアだ。ということは、そのレアな制度をもとに人生設計をしていた日本人も、とてもレアな存在だったということになる。

つまり、世の中には、終身雇用と年功序列とは関係ない世界観で生き、しかしそれでも立派に成功している人は、日本の外に目を向ければたくさんいる。お手本はたくさん転がっているのだから、不安に思うことは無い。レアな現状にしがみつき、素晴らしかったあの頃をもう一度呼び戻そうとするのは、沈みつつあるタイタニック号にしがみつくようなもので、逆にリスクが高い。

変化には前向きに飛び込んでいくほうが最終的には有利になるだろう。