やっぱり、海外で暮らしたい! 【海外生活10年突破】

語学留学、海外就職、国際結婚等、何の取り柄もない僕が外国で普通に暮せるようになるまでの10年の記録、そして、これからについて綴っています。

chikirinの「社会人になって学んだ3つのこと」

社会人になって学んだ3つのこと
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20140331

この内容、わかり易く解説すると
こんな感じだろうか。


1)努力が報われると思うな

サラリーマンの世界では、
自分で努力しても誰も見てくれることはない。

結果が勝負というが、
結果も責任者に報告するのは新入社員の君ではなく君の上司だ。
彼が君のことをどう報告するかで君の評価が決まるのだ。

そして、君の上司は、数年後には自分のライバルになるであろう君を上司に良く報告するようなことはしないだろう。
少なくとも、自分のことをアピールすることを優先するはずだ。
サラリーマンは、限られた席を巡って争う椅子取りゲームなのだから。



2)失敗した時が最大のチャンス

サラリーマンの世界で、一度、上司に目を付けられたら、
それをリカバリーするには容易なことではない。

大きな組織になれば、
普通は社員一人一人の名前まで覚えていたりしないから、
一度でも失敗すれば、
君は出来の悪い社員としてクローズアップされてしまう。

それが典型的な日本企業の組織というものだ。



3)上司じゃなくて、市場に評価される人に

会社での出世と、君の市場価値は何の関係もない。
会社とは、市場価値が高く、戦闘能力の高い奴が出世する世界ではない。

空気を読めて、危険察知能力が高く失敗を未然に回避したり、
うまく立ち回って他人に責任を押し付けたり出来る生存能力こそが必要とされる。



だから、日本の伝統的な企業とは、
普通の人が出世出来る世界ではないと思う。
さらに、マーケットが小さくなりつつあるので
さらに厳しい出世競争が待っているのは間違いない。


もはや、こんな内向きな競争ばかりに明け暮れる企業が
作るサービスや商品が受け入れられる続けることもないと思う。


だから、人間らしく生きたいなら、
組織を飛び出す前に、そんな組織に入らないことだ。

戦前の日本人のマナーがひどかった!?これじゃ今の中国と変わらない!

「昔はよかった」は本当か? 戦前の日本人のマナーがひどかった!

http://www.excite.co.jp/News/column_g/20131210/Davinci_003310.html?_p=1


現代は混雑するホームで列をつくって電車を静かに待つ日本人の姿に、
外国人から「さすが礼儀正しい」と称賛の声があがるが、
大正時代のその光景は“傍若無人の見本市”。
1919(大正8)年に発行された電車でのマナー向上のための小冊子には、
「無理無体に他を押しのけたり、衣服を裂いたり、怪我をさせたり、まことに見るに堪えない混乱状態を演ずるのが普通であります」とある。

こんな有様なのだから、電車が出発した後も車内はカオス。
現在のようにお年寄りや病気の人に席を譲るという習慣はなく、
先に座った者勝ちの状態。床には弁当の空き箱やミカンや柿の皮、
ビールや日本酒、牛乳、サイダーの瓶などが捨てられ、
ときには窓の外へ弁当箱やビール瓶などのゴミを投げ捨て、
線路の保安員が重傷を負う事件も
あったという。


道徳心がなかったのは市井の人々だけではない。「天長節」という、
かつての天皇誕生日に行われた政府主催のパーティーでさえ、
出席者である国内外の“身分の高い人たち”によって、
食器やフォーク、スプーンなどが持ち去さられたのだ。
当時はこうした“窃盗行為”も、「日常的な光景」だった
という。


これって、今の中国と同じではないか!


我々日本人は、中国人をマナー知らず、傍若無人と非難しているが、
以前は日本人である我々も同じだったってことですね・・。


なんか、日本人のプライドがズタズタ・・。


中国の新幹線のトイレで
トイレットペーパーや取手を持ち去る奴がいるとか、
飛行機で機内食の食器を持ち帰るとか、
中国人をバカにして笑うような記事を見たことがあるが、
我々も同じことをしていた訳だ・・。


そんな日本人が、あの悲惨な地震が起きたときですら、
あんなに冷静に対応できるように変貌したのだ。


そう考えると、中国人のマナーも
そのうち良くなるのではないかと思ってしまう。


たしかに、最近の中国人のマナーも、
10年前と比べれば、格段に良くなってきている。


平和になり、懐が暖かくなれば、みんな変わる。
マナーなんて、その程度のものなのではないだろうか。


日本では、「お・も・て・な・し」を海外輸出とか言っているが、
数年後には、マナーでも中国に負けるとき来るのではないだろうか。

「昔はよかった」と言うけれど: 戦前のマナー・モラルから考える

「昔はよかった」と言うけれど: 戦前のマナー・モラルから考える

そもそも、グローバルに活動する企業を国籍で線引きすることが、 ナンセンスなのではないだろうか。

日本企業が日本を捨て始めた

http://blogos.com/article/75573/


間違いなく、ユニクロも楽天も、人口の減少していく日本では売上も頭打ちになるために海外市場に目を向けているはずです。


なので、日本人を雇いたくないどころか最終的には、利益を産まずに税金だけ高い日本には本社も置きたくないのではないでしょうか。

企業というのは、利益追求をするのが使命だ。なので、多くの社員が日本人だからといって、日本という利益の上がらない地域でビジネスをし続ける事は、株主よっては背任行為に等しいと感じるだろう。なので、どうしても多国籍企業は、利益の上がる地域に出て行くしか選択肢は無くなる。

そもそも、グローバルに活動する企業を国籍で線引きすることが、
ナンセンスなのではないだろうか。


例えば、ユニクロの場合、
管理機能は日本だが、
デザインの一部はアメリカなどの海外に移転、
素材開発は外注、素材の仕入れも多くは海外、生産も海外、
現時点では販売のみ日本が多いという状況である。
その販売も近年は日本で伸び悩み、
海外売上が急速に拡大していきている。


ユニクロは、日本に本社があるが、
彼らは、世界で作り、世界で売っている企業なのである。
もはや日本企業と呼ぶほうがおかしい。


グローバルに活動する企業を
国籍で線引きすること自体がナンセンスになっている。


もはや企業は国の枠を超えて活動する組織になっているため、
企業の国籍へのこだわりはなくなっていく。
だから、今後は税金の高い国から企業が離れて行くのは当然である。


国家としては、本社機能を海外に移されてしまうと、
雇用が確保できなくなってしまう。
国家は、税率を落として企業を引き止めるしかなくなる。
今後、国家が企業から税金を取ることは段々と難しくなっていくはずだ。


かつては、首相のトップセールスなどが行われるなど、
国家単位での国際間の経済活動も盛んに行われてきたが、
今後、国家のこういう役割はなくなっていくだろう。
むしろ、巨大化するグローバル企業のほうが
大きな力を持つようになるはずだ。


税収が減るのだから、国家機能は小さくなり、
いずれは、“国家”自体が、大きな意味を持たなくなるのではないだろうか。

「『ドワンゴの新卒入社試験に受験料』に賛否両論…」どう思う?

「『ドワンゴの新卒入社試験に受験料』に賛否両論…」どう思う?
http://blogos.com/discussion/2013-12-02/dwango_recurit/


ネットでは、賛否両論のようだ。
「学生の経済負担が増える」とか、
いろいろな意見が出ている様子。
さらに、Chikirinさんも参戦して、
かなり面白くなっている様子。


でも、そもそも、新卒で入社した社員が
果たして会社で役に立つようになるのに
何年かかるのだろうか。


今は会社が、
役に立たない人間に金を払って仕事を体験させて
学ばせている状況である。


金をもらいながら学校に通っているようなものだ。


会社側からすれば、
中途で使える奴を採用したほうがよっぽどいい。


「試験前から本気になれない」という意見もあるようだが、
採用側は金を使って真剣に人材を探しているのに、
学生のほうも興味がないなら、最初から受けないほうがいい。


メルマガでも有料と無料があるが、
有料であれば、金を払っているので
真剣に見るし、必ず見るようになる。


それと同じで、
金を払って試験を受け、話を聞くのであれば、
身銭を切って行く分、真剣に話を聞くし、
できるだけ元を取ろうと積極的になるのではないだろうか。


有料化すれば、採用側もそれなりの準備をするだろうから、
受験側にとっても、会社を選ぶ材料として、
会社というものを学ぶ機会として、
かなり有効なものになるのではないだろうか。


中途で仕事を探す人のための求人サイトでも、
人材側も有料化にしているサイトもあるし、
有料化している分、お互いに真剣さが増して好評だったりする。


まあ、人材の流動化がこれだけ進んでいるので、
もはや、新卒採用と中途採用を分けること自体、
あまり意味がなくなってきているのではないだろうか。


新卒で自分の希望の会社に入れなくても、
中途で再度チャレンジできるということがあるわけだし。


会社に偏差値つける時代になったら、
ホントにやばいなあと思う。
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/?of=0

中国が東シナ海に設定した防空識別圏に思うこと:中国は世界のルールを変えたいのではないだろうか。

南シナ海:中国が次に防空識別圏を設けようというのはこんなところ

http://blogos.com/article/74715/


中国が東シナ海に設定した防空識別圏(ADIZ)は、早くも形骸化した感がありますね。
もちろん、馬鹿にしたり油断したりするのはご法度ですが、
これほど米国に鮮やかに出鼻を挫かれるとは思ってもみなかったでしょう。
何度も言いますが、自国防空のための「識別圏」であるはずのADIZを、
さも領空であるかのように強制力を他国に行使しようという
ランドパワー的発想が受け入れられるわけがありません。
海においても空においても「航行の自由」は米国の逆鱗で、
これにうかつに触ることになった今回の件は明らかに北京の失策と言えるでしょう。
日本だけを脅すつもりだったのかもしれませんし、
A2ADの一環として米軍を牽制する意図もあったのでしょうが、
米国は甘くなかったですね。
いずれにしても、航行の自由を侵害する相手に対し、
米国はまったく容赦しない意思を示しました。
これは日本の国益にも一致しています。


中国が東シナ海に設定した防空識別圏(ADIZ)が大きな話題になっており、
中国は無法者というのが日本のニュースの論調になっているのかなあと思います。


ただ、最近の中国の行動を見ていて思うのが、
中国は無法者なのではなくて、
彼らはルールを変えたいと思っているのではないかと。


結局のところ、今のルールは第2次大戦後に
アメリカを中心とする戦勝国によって作られたルールであり、
中国は戦勝国とはいえ、そのルール作りの中心にはいなかった。


ビジネスやスポーツの世界でも、
ルールを作る奴が一番強い。


かつて、日本のスキージャンプが
世界的に圧倒的に強い時期があったが、
ルール変更によって撃沈した。


ルールを変える思考法 (角川EPUB選書)

ルールを変える思考法 (角川EPUB選書)



今の世界のルールの多くが
アメリカが中心で作られたものである以上、
中国がどう動こうと、
アメリカに有利な解釈になり、
無法者と言われてしまう。


日本の尖閣問題についても、
日本が領土としたのは、清の時代の話だ。
それまでは、ずっと中国の領土だったわけだ。


そして、今の中国の姿も、
この数百年の間に大きく様変わりしているし、
他の国も同様である。


時代が変われば国のあり方も変わる。
歴史を振り返れば、当然のことである。


1つの国がずっと世界の覇権を握り続けていたことはないのである。


これから、アメリカの力が弱くなって行けば、
そのうち世界の国についてのルールが変わるかもしれない。
いずれは、間違いなく変わるだろう。


だから、一方的に中国を毛嫌いするのは、
少々偏った思考ではないかと思うのだ。

大企業とベンチャー、成長できるのはどっちか?

大企業とベンチャー、成長できるのはどっちか?

http://jyoshige.livedoor.biz/archives/6958180.html


「成長させてもらえる」のか「成長できる」のか
「成長とは組織にさせてもらうもんだ」と思っている人は、
大組織に行くといいでしょう。


「成長はあくまで自分自身でするものだ」と考えている人は、
最初から機会の多い新興組織に行く方がいいでしょう。


要するに、自分が自身のキャリアのかじ取りをどこまでしたいかで、
どちらに進むべきかはおのずと決まってくるはずです。


両者を戦わせた場合、
社外の土俵で競わせればそりゃベンチャー叩き上げの方が絶対強いでしょうが、
A氏の所属する大企業の中で戦わせたらどうでしょう?


A氏は社内の暗黙のルールとか社内政治とか、
部署に伝わる代々の仕事の進め方とかハンコのつき方とか
関連部署の役職者の卒年次及び学歴とか、
そういう自社内の情報を駆使してゲリラ戦を展開し、
きっと相手をランボーのごとく討ち取ってしまうことでしょう。


果たして、
大企業は、こんな社内でしか通用しない人材に、
未来の経営を任せ続けるのだろうか??


カルロスゴーンみたいな人を呼んでくるんじゃないだろうか。
ビジネスの世界では、外の別の会社と競争しているわけだから、
内輪での調整が上手くても、何の役にも立たないはず。


いずれ、大企業も変わってくるのではないだろうか。
そうしないと、日本企業は瀕死の状態になるのは目に見えている。
すでに、家電メーカーの瀕死状態を見れば明らかだ。


私は、ベンチャーと大企業の両方を経験していますが、
私自信、大企業の内輪の世界で、
同僚と競って勝ち抜けると思えません。


社内の暗黙のルールとか社内政治とか、
そんなことに全く価値を見出していないから。
ベンチャーに行って、その事に気付いたから。


大企業で培った社内ルールや根回し、人間関係なんて、
外に出れば何の役にも立たないと分かったから。


だから、
私は、今の仕事環境に対して苦痛を感じていたりします・・。


正直言って、一度でもベンチャーを経験した人は、
大企業に行くのはやめたほうがいいと思います。


大企業のほうが成長できるとか完全にウソ
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20131113


よほどの事がない限り、
ベンチャー経験者が輝ける世界ではないからです。


大企業には既にルールが存在します。
ルールを決める人たちが決まっています。
そして、後から入る我々には、それを変えることができません。


一方、ベンチャーでは、
自分たちでルールを作ることができます。


だから、ベンチャー企業も、
ある程度成長すれば、それなりの規模の企業になり、
世間では通用しないルールや文化が育ちます。


会社って、
きっと、こういうことの繰り返しなのではないでしょうか。

そもそも、40代、50代で 無理してスマホを使いこなす必要があるのだろうか。 ガラケーでもいいんじゃないか。

スマホをスマートに使いこなすのは(特に中年には)難しい

http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20131127/p1



上のブログにも書かれているが、
目が悪くなった40代、50代の人たちに、
あの小さな画面での作業は無理があるのではないか。


彼らは、スマホが使えなくなって困るのだろうか。


彼らはスマホがなくても困ることはほとんどない気がする。
スマホを使いこなせば、今よりも快適になることもあるが、
彼も今の生活に困ってないし、
スマホを使いこなせないと仕事が無くなる訳でもない。


むしろ、あの小さな画面で作業をするが
面倒で不満に感じているに違いない。


暇つぶしのネタだって、
駅で週刊ポストを買って読めばいいだけだ。
本や雑誌が無くなる訳でもない。


ネットでの情報収集は、
PCでもできるわけで、
会社や自宅でPCを開けば事足りる。


40代、50代の人たちの感じる暇な時間と、
若者の感じる暇な時間は違う。
30分、1時間くらいの空き時間でなければ、
暇とさえ感じない。


シニア世代の人たちは、
10分程度の細切れの空き時間に、
わざわざスマホで何かを見る必要はないわけだ。

「暇つぶし」の意味が変わっている? - 細切れの暇な時間を埋めるサービス

http://blog.livedoor.jp/kensuu/archives/54665485.html



シニアの人たちには、
シニアの人たちの生活圏、
マーケットが存在していてもいいのではないだろうか。


何も、無理して若者のように、
小さな画面を覗き込むようなことをする必要はない。
ほとんどのことは、ガラケーでもできるわけだし。


逆に、スマホの快適さを享受する若者には、
スマホを不便で面倒と感じるシニアの気持ちは理解できない。


理解ができても、スマホの快適さを享受する若者が、
わざわざ快適性を無視して、シニア向けの
サービスを考えたいとも思わないだろう。


スマホの普及によって、
スマホ世代とガラケー世代という二つの
マーケットに二分されていくのではないだろうか。


テクノロジーの恩恵を最大限に享受する世代と、
テクノロジーの恩恵をほどほどに享受する世代に。


高齢化が進み、定年退職年齢も引き上げられる。
医療が進歩し、寿命は更に伸びていく。


また、高齢者の多くは金銭的にも時間的にも余裕があるわけだし、
高齢者による高齢者向けのビジネスチャンスは結構あって、
今後更に拡大していくのではないだろうか。

メディアのシニアシフトいよいよ

http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20131126