たかびっくる

大体は映画のこと書いてます。










15時17分、パリ行き

 

 

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ドラマにおいて伝統的とも(呪縛的とも)いえるクライマックスに向けて展開される構成をそのままに、クライマックスであろう部分に感情の高まりを集約せずに映画として成り立たせる実験めいた試みを試行錯誤しているイーストウッドの一つの到達点だと思います。

 

母への気持ちであったり、境遇を共にする友人との出会いであったり、マチズモに憧れたり。

列車内での事件から遡ると、全てがありきたりで些細なことと思える出来事でも、そのすべてが伏線でありかけがえのない時間だと思えてしまいます。

そんな人生に対しての評価軸を実話から抽出しつつも事実を歪めず映画にするために「日常もの」を基盤とした作りには、アイデアと具現化する力量にあっぱれとしか言いようがないです。そしてその「日常もの」であることが、本人が演じることの必要性を呼び寄せているという点にこの映画の魅力があると思います。

 

米軍パートも観光パートも個人的には知らないことばかりで興味深いのですが、

彼らの思い出の追体験を、本人が演じることで観客には到底分かち合えない特別な情感や愛着といった情感がにじみ出ていると思うんです。

 

「トレーニングきつかったけどやっといてよかったなあ」とか「ナンパしたときはこんなだったなあ」とか。そういったその後の出来事を知った上で過去を思い出す彼らの表現がこの映画を「美談の再現」では収まらないコンパクトで重厚感ある「人生を肯定することへの帰結」に昇華させていると思います。

 

また「この時の決断があの事件の解決に向かうことになる」という造りは、ほのかにサスペンスとして機能していて、やはり独特の緊張感の持たせ方を機能させる巨匠たる芸当をさらりと見せてくれる辺りさすがでした。

 

キネ旬じゃないですけど、イーストウッドすげええええとなってしまいます。

それと、賛否両論というか、つまらないとか退屈さこそがいいとかの「どうなのこれ?」的な意見を聞いたうえで観た者として「斬新でいいじゃん!」という感想なんですけどね。

 

以上です。

松方弘樹

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2017年1月21日、松方弘樹が亡くなりました。

 

大好きな俳優であり、大好きな映画やドラマに出ている方ということと、当ブログのタイトルに使っている「ササラモサラ」は《仁義なき戦い 完結編》での松方のセリフということで、思うところを残しておきたいと思います。

 

様々なジャンルの映画やテレビドラマ、Vシネからバラエティ番組までその仕事の幅広さにこれぞこの人の代表作だといえるものが思い浮かばないです。

狂犬ヤクザ・ヘタレな若造・老獪な殿様・頼れる上司・最強の剣豪...

どの役をやっても松方弘樹そのものにしか見えない大スターでした。

かといっていつも同じ芝居しかできない役者というわけでもなく、確かな演技力を持ち、求めらっれた役回りをこなす見事さは仁義なき戦いシリーズで演じた3役の違いからも明らかで。それと同時に作品世界を破壊するパワーと魅力にあふれる様は家光の乱心や十三人の刺客などでいかんなく発揮されていました。

 

出演作を追うごとに、その実態がうかがい知れなくなるのは不思議な感覚でどう形容していいのかわかりません。

 

しかしこの役者になぜ魅入られてしまうのか、少しばかり正解に近づけた気になれる映画を最近見ました。《時代劇は死なず ちゃんばら美学考》という映画で、ドキュメンタリーですが松方弘樹最後の映画出演ではないでしょうか。

この映画での松方は、映画が大好きで大好きでしょうがない。映画に情熱を燃やし続ける『映画人』そのものでした。

 

 

大スターと名バイプレイヤーを同時進行で成し遂げ、世代を超えた活躍で往年の名作から受け継がれるべき技術までを伝えた、あまりにも偉大な俳優・松方弘樹さんのご冥福をお祈りします。

 

※冒頭の日付が間違っていたので訂正しました(2018/03/24)