医学部6年のタカパラさん。

なんて生きにくい、この世界の中で。医学生やってます。

きんきょー

マッチングは無難に終わりました。
結局二個受けて、どっちも定員割れ気味でどっちでも選べる状況にありました。
どっちも土日の回診は無しというのは共通していて、勤務強度がやや差があるのと、給料に差がありました。
最終的にお金を選びました。
良いと言っても月に50万円は超えないし、外国に比べたらはるかに低賃金でビビります。

 

今の自分は何のために生きているか問われると、金のためとしか答えるしか無いし、かなりの窮地に立たされている気がします。
とりあえずは免許をとれるように日々勉強してます。
偏差値は45程度ですが、このままの成績をキープすればいいので、あと3か月弱何としてでもそこそこ勉強してとりあえずは生き延びようと思いたい。
将来のことは色々と考えてしまうけど、その後のことはまたその時考えたい。

マッチング面接を通過するために誰でもできるたった二つの方法

マッチング面接を通過するために誰でもできるたった二つの方法

最近受けてきました。
結局出願したのは二個になりました。
そのうち一個は何とかなった気がしましたけど、もう一個は露骨に医局差別的なことをされて不快でした。
交通費は出してくれましたが、マジで時間の無駄です。
僕が面接実施側なら印象悪くなるからやめた方が良いと思うんですけど、我々のような低級労働者の印象なんて知ったこっちゃないんですかね。
医局とか、良心的でない組織に属している限り永遠に続くと考えると暗い気持ちになります。

ところで、面接攻略法思いついたんで書きます。

1. 病院見学した際に研修医の人か事務の人に試験面接官の専門分野を聞いておく
2. マッチング面接で志望科を聞かれたら一番権力のありそうな面接官と同じ専門分野を言う

たったこれだけでマッチング率はかなり上がると思います。
総診とか、眼科とかそういう微妙なところはやめた方が良さげです。
あと、メンヘラと常識無い人(多義語)は基本的に採用したくないんで、フルマッチしてたら確実にとってくれません。

ぶっちゃけマッチング受かっても受からなくても運の要素はかなり大きいです。
だから受からなかったとしても、自分を落とすとか頭おかしいんじゃない?ぐらいにポジティブに行った方が良いと思います。

国家試験やばい

範囲広すぎでビビッてます。

大学の卒業試験もあるので、それも兼ねて勉強しているのですが、毎日6時間は机に向かって勉強しています。

大学受験のころより勉強していたって声をちらほら聴いたことがあったけど、本当にその通りになってます。

いわゆる学生の使うQBっていう問題集があるのですが、合計すると大体7500問あって、一日30問は完全に身に着けていかないと国家試験には間に合わないっていう計算。

その1問1問も青チャートを解くような重さがあるわけで、絶対的な勉強時間が必要ってわけです。

しかもマッチングのこともあるし、てんやわんやって感じです。

最後の夏休みだから海外旅行したかったけど、それも結構難しそうな気配がします。

 

そんなこんなで、軽い気分の落ち込みはありますが、ひどいメランコリーになってる暇がなくて嬉しいやら悲しい気持ちです。

勉強だけすればいいっていうのは楽なのですが、それ以外の自由に考えることが人間だよねとも思います。

 

お題「印象に残っている展覧会」

学習された無気力からの脱出

大学に入学した頃は臆病だとはいえ、色々無茶なことをしていた。
それで上手くいかないことはたくさんあったけど、上手くいったことも一部あった。
だから差し引きで考えるとマイナスが圧倒的に多かった。

 

客観的にみると、そんなにマイナスが多かったという訳でもないと思うけど、自分の発達障害的な性格を省みると、メリットとデメリットが存在したとき、デメリットを大きく評価してしまうという特性があったから、徐々に何もしない方がいいなっていう方向に思想が固まっていった。

 

そして気がつくと、最近何を得たのか、何を学んだのかと問われて自問するとその答えは、医学の勉強以外に思い浮かばなかった。
挑戦しないと何も得られないと知ってはいたけど、ある目的のために行動しようという気力が失われてしまっていた。

 

でも最近はこういう悪い傾向が改善しつつある。
そのきっかけというのは病院見学で知り合った研修医達との出会いによるものが大きい。
彼らの話というのは簡単にまとめると、「時間は有限だし本当にしたいことに時間を割かないと、人生を浪費していると同じ」という話だった。
世間でよく言われてる当たり前のことだけど、彼らの具体的な行動や話を聞いたからか、自分の心には結構響いた。

 

そういうわけで本当に自分のしたいことを後先考えずに挑戦したいという気持ちが戻りつつある。

医師免許とるための勉強は続けるけど、それ以外にも自分が沸き立つような行動をとれる気がする。

さしあたりの。

なんとか問題がいくらか解決して、目に見える問題が少なくなりつつあるのに、もやもやするのはどういうことなのかな。
おそらくその理由は自分にとって大事なものが未だ目に見えなくて、それを素直に追っていけないのがもどかしいのだと思う。
末端の細かな問題がいくら解決しても、幹の部分が欠けていては意味がないということなのかも。

 

今年度の当面の目標は国家試験突破だが、それが終わった後は研修医で、ゆっくり休んで自分の目標を追求する時間はあまりない。
だからいつ自分の大切なものを探すのといえば、比較的暇な今が一番良い時期かもしれないし、継続的に探すもの良いかもしれない。

 

自分はこういう性格だけど、それに対して大多数の人は何となく流されて生きられるみたいだし、それも凄いと最近は称賛できるようになった気がする。
昔の自分はそういう生き方で本当に幸せなのかとか思ってたけど、最近はそういう人の方が柔軟性があって自分のような苦労も少なくて幸せなのかもしれないと思っている。

 

お題「ひとりの時間の過ごし方」

要領の悪さ

最近、自分の要領の悪さを自覚するたびに憂鬱になる。
同じことをするだけなら、慣れがあってミスはあんまりなくて良いんだけど、
新しい行動をすると、要領がいまいち掴めなくて、ミスがひどくなってしまう。
慣れてないことは難しいってことは誰にとっても当てはまることだけど、自分は人一倍ミスが多い印象がある。
あと自分は特に打たれ弱いということもある。

 

打たれ弱い原因は自分の場合は幼少期に母親の不安とストレスをぶちまけられていて、執拗に叱責されていた影響が大きい気がする。
傷めつけたくてそういう行動をとっていたとは思わないけど適切な指導ではなかったし、今もたいして変わっていない。
だからあまり実家には帰らないし、結局はそういうこともあって、自分の寄る辺が無くて外界から影響を受けやすく不安定な気がするのだ。

 

自分が打ちのめされて憂鬱になる意味があるのかって言われたら、おそらく意味は無い気がする。
改善しうるストレスなら受けても次に生かせるけど、そういうものじゃない。
他人にとってはただの警告刺激レベルのストレスでも自分にしては自分の心が削られているようなダメージを受けている。

 

だからと言って引きこもっているだけでは、この先の食い扶持が無くなってしまう。
新しいことをしないと生きてはいけないのです。

 

これからの課題は受けるストレスの軽減・対処技術の二点で、来年度までに少しだけでも身につけば良いと思っている。
自分は年をとる度、メンタルは悪化する一方な気がするけど、
そのわけはこの二点が全く身についてないで、ストレスを抑圧していて心の中にくすぶっているからなのかも。
実際、他人には結構メンタル強くなったねって言われてるけど、それは隠し方が上手くなっただけだと自分では思っている。
結局は弱さやストレスときちんと向き合う必要がある。

 

お題「ふとん」