2019大晦日、「温」→「燃」

一年の振り返り。

昨年のこの日は、もうトルコでの事業撤退が決まっていた。

約1年半。大変だったし満足のいかない結果だった。それでも今から考えると身体をこわすことはなくて(骨折はあったけど)、多分それはアドレナリンがで続けていた時間だったんだと思う。一生懸命やった。けどただそれだけはな成し遂げられないことがあることも改めて知った。この会社に入って、初めて泣いた。申し訳なさと情けなさでいっぱいだったあの日を覚えている。お金の使い方、チームの作り方、事業の作り方、全てが未熟だったからの結果で、今から思えば甘い考え・やり方だった(人に対しても、事業に関しても)と感じる。

あの時一緒にやってくれたメンバー、支えてくれた皆には今でも感謝の気持ちしかない。ただ撤退を決めたあの日から帰国の準備をして帰ってきての今まで、どこかで物事の丸々全てをありのまま受け入れてない自分がいた気が最近した(みるのを避けていた自分がいた)。周りの人たちが少しずつ結果を出し始めていることに羨ましさを感じたことがきっかけとなった。もしかしたら自分もどうにかできたのかもしれない、そんなたらればが頭を最近過ぎった。また、人に物事を伝える時に成功経験として伝えられないことにもどかしさを感じる。この二つがきっかけだった。

そんな思い出に浸った日、久しぶりにトルコでの一年半を思い返した。みんな元気でやってるのかな、よく自分と一緒にやってくれたな、俺はこのまま(成功の経験をしていない)でいいんだろうか、甘かったな。そんな色々なことを思って、そしてこの時改めて素直に自分の気持ちに触れた気もした。触れないようにしてきた部分がそこにあった気がした。もちろん自分が経験したことは全てこれまでも周りの人には伝えてきた。要は自分の中の問題なのだ。

自分として「じゃあこうする」ということはまだ決めれてない。

けどいつか自分でもう一度、事業作りをしてみたいと思っている気持ちもあるのも事実。不安もあるので手放しではないが。

今その中で自分が決めていることは

「今置かれている状況で、自分のエネルギーを燃焼しきり、そして楽しみきってみせること」

無い物ねだりをするのではなく、今を燃焼しきるその先に次のチャンスがあるはずだと信じて、今を視線をぶらさずに、納得感を持って生きていこうと思っている。前回先輩からも今あるもの、関わるものでやってみるといいんじゃないかと言われたこともあった。現状での成長への不安があったけど、そう言われてすっと落ちた。確かに今関わるものの中で、燃焼してみればいいじゃないかと。その過程とその先には、多分それまで見えなかった景色と力、いろんなものが待っている。不安や迷いを打ち捨てて、突き進んでいきたい。

昨年と今年を思い出せば思い出すほど、改めて一緒にやってくれたメンバーへの感謝と申し訳なさ、支えてくれた方、それでもチャンスをくれ続ける方々への有り難さを感じる。至らない自分の周りにいてくれた「温」かさを多く感じた1年だった。

来年は燃焼する。地に足をつけて、飛躍する。そんな来年の一文字は「燃」としたい。

帰省

旧友にあった。

いつも思う、自然体で生きる彼をみて。

なんか肩肘張らずにいきてて良いんじゃないかって。

「こうでなければ」とかってなんか枠組みにがんじがらめにされている自分がいる。自らをそうしてしまっている。

 

静かなターニングポイント。

なんかもっと、肩肘張らずに、 もっとある種自由に、思ったことを思ったまま、自分ルールの中で繰り広げて行けたらって思う。

もっと楽しく、もっとフリーダムに。

天気の子

正しさと勇気の話だった。

 

(ネタバレあり)

 

晴れ・雨。

僕らには如何ともしがたいものに、確かに僕らは心を動かされる。

そういう生き物だなと思いながら、

人の心を揺り動かすものって、なんなんだろうか?どんなものなんだろうか?と少し考え込んだ。

 

作中でヒロインが言う

「この雨がやんでほしいって思う?」

そして深海監督の言ってた

僕たちの本当の願望って、どうしても他のたくさんの人の幸せとぶつかる場合もある。

でもそれを見ないふりをしていたり、自分には関係ないと思いこむこともかもって思うこともあるし

でも、それが大切な人に起きたら。間違えてたこと(世の中的に外れたこと)でも叫ぶかもしれない

そこには純粋なもの(叫び)がある

その純粋な叫びが批判されるのか、どうなのか。そこを確認したい。

 

野田さんのコメントであった

世の中的な模範からの逸脱。

その美しさや純粋さ。

 

歌詞に出てくる

「他人顔」と言うことばや「自分の全正義のど真ん中」「定め」

と言う言葉。

 

全てが繋がっていて、最後に

天気なんて狂ったままでいいと。

「そんなことどうだっていい。雨なんて降らなくたっていい」

と言う言葉に、大人が心を動かされ、涙を流す。

 

自分が泣いた意味・心が動いた理由がわかった。

僕も、探している。

これでいいだろうかって。どこか他人顔なこの世界に対して。

僕は抗っていたいと。そんな賢くないから、受け入れられない悲しいことをそのままにできなくて。

のたうち廻っている。もがいている。うまくいかない人生、それでも抗っている。

そう言うことが賢いってことなら賢くなんてならなくていいと。

自分の人生を通して証明したいものがある。

押し付けたいわけじゃないけど、でも見て見ぬ振りはしたくない。

そこに自分の信念がある。

人間という矛盾した存在には、捨てられない「感情」があって、

全てが模範とか、一般的な正しさとか論理とか、そういうもので測れるものだけじゃない側面が人間にあって、

だから、人の心はふとしたものに動かされる。

そういうものを大切にしたい。

 

そんな大切なことを感じさせてくれた映画。

いい映画でした。

自己との対話と学び①

仕事の仕方と組織設計に関しての追記。

 

自己と相似形となる組織について。

1、規律(公と私)、リーダーである自分と個である自分。

2、人に寄り添い、言葉で伝え続ける

3、全体設計と共有化

この三つを通して、まず描きたい。

1、規律について

当たり前のことができるチームでありたい。仕事とはお金をもらってプロフェッショナルとして取り組むものである。だからこそ「真剣勝負」が必要だ。そして自走していくことが大切だ。努力をしても成功するとは限らないが、努力なくして成功はない。ここに真剣という姿勢がある。そのためには、仕事へのスイッチを入れることが大切となる。昔自分のテニスもそうだった。心と体の準備をしっかりして入ったコートでは、やはり得るものが違った。本気でやるからこそ得れるものがあって、楽しいはずだ。これを求め続けたい。

そして僕に特に大切なのが、僕こそリーダーとしての自分と個人としての自分を切り分けることである。言いづらいことなんてたくさんある。がそれは個人としての僕だ。だからリーダーとしての自分でそこを乗り越える。 

2、人に寄り添い、言葉で伝え続ける。相手の力量の把握と自分のサポートの定義

自分は口下手だし、自分でいっぱいいっぱいになりやすい。つまり抱え込みやすいのだ。これをやめるためには仕事を振り分けていくこと、そして人に寄り添うことが大切である。人が成長すればそれだけ組織も成長する。いくら脳が頑張っても手足がそれについてこれなければ体全体としての動きはしょぼい。それと一緒だ。この寄り添う中が関係性が育まれるわけだからこれを推進していくことが必要だ。そしてこのとき大切ななのがその人の力量の把握と自分がどこをどれほどサポートしていくか?である。2割しかできない人に丸投げしてもそれは放置と一緒である。その上、なぜできてない?では何も変わらない。2割しかできないのであれば8割をサポートし、その人が成長していけるようにするのが役目である。そして、口下手である自分からして、「そのくらい気づいてくれ」が多くなってしまうが、それでは伝わらない。ことあるごとに上記の規律もセットだが伝え続けないといけない。わかっているだろうではわからないのだ。確認と認識の共有化をくどくしていく中で齟齬が生まれる可能性を減らしていく。

 

3、②を進めていく上で大切なのが、僕の苦手としている全体俯瞰と構造設計・スケジュール設計だ。どうしてもここをはしょりがちになってしまっているがゆえにこれまでの失敗がある。ここに僕の自己改革の道がある。「急がば回れ」「準備」だ。

先輩のPDSシートやプロジェクト管理表を使い、何が目標・成功の定義か?どういうアイデアや手順があるか?そしてリスクと対策、及びスケジュールと学びだ。亀だからこそしっかりコツコツと。バカなほど愚直にやっていく。僕だからこそやるのだ。

hello,2019.

年が明けた。

これまでは他者が常に僕の頭にあった。他者・自分ではないものを意識し、それらの形に沿って自分を形成してきた。

色々な失敗・経験を経て、今年は「自分」というものをキーワードに一年を歩んで行きたいと思う。自分の幸せ・他者の幸せ、「幸せ」というものを考えたときに、自分を大切にすること。というのが大前提にあるように映った。僕にはよくわからないこだわりや倫理観があった。自分・個人の欲みたいなものをあまり美しくないものと捉える傾向があった。

けれど気づいた。

自分を滅しての、自分の幸せや他者の幸せは、あるのかもしれないけれどとてつもなく遠いものだと。なぜならそれは時に一方的な押し付けになってしまうから。他者のことを考えているようで最後苦しむのは自分だった。そして彼・彼女に対しても何か嫌なものを感じてしまう自分がいた。だからこそキーワードは「自分」。自分を主体として考え、自分の楽しさ・自分の幸せと他者・社会をリンクさせていく。自分の人生を振り返った時、幸せだったと言いたいし、イキイキしていたい。かっこいい大人になっていたいし、彼のようにいきたいなと希望を与えられるような人間に慣れたら素敵だなと考えた時、「己」はとても大切なテーマとなる。自由の裏には責任がある。責任を真正面から受け入れるためには、自分の主体性・自由が大切となる。出ないと責任を潔く、快く受け入れらないから。

何をするにしても、決めるのは自分。

幸せか?

楽しいか?

ワクワクしているか?

それを決めるのは自分だ。他者ではないし、他者に任せるものではない。自分で考え、決め、動くのだ。

 

そして僕は行動計画まで落とし込まないとやらない人間だ。

だから自分との約束事を決める。

決まっているのは、

・一日一回の内省(楽しめたか?の確認も)

・1日一ページもしくは30分の英語だ。

言葉はコミュニケーションのツールだが、ツールと呼ぶにはあまりにも強力な力を有している。人間関係・仕事、とてつもなく大切な資源であるからこそ、しっかりこの一年向き合う。日本語と同水準まで持っていきたい。

結局ぶち壊せなかった時に感じる無力さが自分は一番嫌なのだから。

もちろん感謝の心を忘れない。

付き合う人・形作るチーム、それらは自分の相似形となるらしい。だからこそ自分を深く見つめ自己改革をしっかりしていく人になる。そして、僕は亀だから自分との約束事を誠実に守り積み重ね、一歩ずつ希望へ歩んでいきたい。

Yes I am

6850万人。

世界では今、6850万人もの人が紛争や迫害を理由に故郷を追われている。故郷を追われながらも人々は必死に生きている。

その一人一人に物語があり、最低限の生活ができているとか最低限の権利保障がされているから良いとかそういう話ではなくて、彼ら一人一人が笑顔で生きていけるようにできたらな良いなと思う。

幸せを望み、願うという人として当たり前の欲求。

それを最近見失っていたように思う。

事業の厳しさ、感謝を望む心。倫理観の間で。

人はそれぞれ違う環境で生きていた。人間としての倫理観を持ちながらも、その上でより多くの幸せを希求することは別に批判することではない。むしろ当たり前のことで祝福すべきことだ。

それを忘れてはいけない。

「世界の誰よりも輝ける、そう信じて生きてきたのは確かなんだ。

でも世界の誰もがそう輝ける、そう信じてこれから生きてゆけたらどれだけ素敵なんだろう。」

 

故郷・家を追われ生きる人々の状況。

逆境に立ち向かいながらも生き抜く人の力強さ。

 

それを直視し、受け止めながらも、僕がやりたいのは、

「困った時はお互い様」

「僕らは助け合うながら、悲しみも喜びも分かち合いながらも一緒に生きていける」世界・その考え方の波及。

難しい・そんなの知るか、という批判色々あるけれども、

僕はそんな世界が美しいと思う。その美しい社会の実現に向けて、動く。

「僕らのこの両手がもっともっと救いの手に変わっていって願ってみて明日の景色が動いていく」

「前だけを見続けよう」

改めて聞く one ok rockのyes I amは心に響いた。

そしてこの曲を初めて聞いた栗城さんのエベレスト挑戦時のテレビ番組の、あの景色・あの自然の広大さが脳裏に鮮明に浮かんだ。

 

僕はその実現のために、実力も、そして人間としての倫理観・価値観をもっと磨かなくてはいけない。

頑張ろう。