予備校講師のつぶやき 〜教育改革がいきる力を育む〜

地方在住の予備校講師(英・国・小論文) STARWARSが何より好き (SNOOPY、チェブラーシカは別格扱い)

"教育改革①" バカロレア教育

先日、僕の予備校でバカロレア講座」を開催しました。

テーマは「Biology 〜Frog〜」「Technology 〜A.I〜」です。

 

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「教材・講義内容は全て英語です」という触れ込みに怯えながら(笑)のべ70名ほどの生徒が参加してくれました。理解しやすくするために、動画などの資料(もちろん英語only)を多用し、カエルが自然保護運動のシンボルとなる理由、また、AIが今後変えて行くであろう可能性、また、それと共生するべき人間の姿、などについて120分、みっちりと学んでもらいました。

 

 

また、事後アンケートを見ると、概ね好評だったようで安心しました。

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バカロレア教育」、聞きなれない言葉だと思いますが、正確には「国際バカロレア(IB)」というもので、「母国語以外の教科を英語で学ぶ」というものです。

インターナショナルスクールや一部の私立高校では実施されているようですが、僕のいる地方のような大半の地域では実施・導入のめどは立っていないようです。

文科省のおっしゃってることを要約すると

「中学の英語教員さん、理科(生物・化学・物理・地学)の内容を勉強し直して英語で講義してください」

「高校の理科(生物・化学・物理・地学)教員さん、英語を勉強しなおして英語で講義してください」

 だと思います。縦割りの日本教育界で、それはさすがに無理ですよね(苦笑)

 

「英語が話せる = 賢い・勉強ができる」

そんなイメージを持っている人が多いのがこの日本です。果たしてそうでしょうか?

 

 
英語を「手段」にすること、今までの英語教育から抜け落ちている視座、もともと自然科学が一番好きだった僕が、たまたま英語が使える、そして、偶然、教育の世界にいる。
 
これからの世の中で必要なもの「英語・会計・IT」の3つ、それを備えた僕の教え子たちが活躍してくれること、そんな願いもあります。
 
今回の教育改革、形骸化させないためにも、頑張ります^^

" A Bronx Tale"  〜ブロンクス物語 / 愛につつまれた街〜

 

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父親とは何か」
 
直接胎内から産むことのできる女性(母親)の持つ我が子に対する「母性」は、何よりも強い愛を産む(中世には「心の闇」とまで表現されていました)
 
では、産むことのできない男性(父親)は、我が子にとっていかなる存在であるべきか
僕なりの答えが見えかけた映画があります。
 
 
 
 

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「"A Bronx Tale" 〜ブロンクス物語〜 」(1993 米)
 
オフ・ブロードウェイの作品(一人芝居)を、ロバート・デニーロが初監督・主演した作品です。
 
デ・ニーロ扮する父親は、息子のためを想い不器用ながらも精一杯接する、そんな父親に育てられながらも、街の顔役的ギャングと親しくなっていく息子、親の愛に気づけていない彼。
誰しもが一度は経験したことがあるような親子間の微妙な空気を、見事に表現しています。
 
デ・ニーロが息子に度々発する
「才能を無駄にするな」
という言葉。
「人生は選択だ、選択の積み重ねが人生をかたち作る、才能を生かすも殺すも結局は自分の下す選択次第なのだ」
 
 
 
 
価値観の多様化した現在、社会構造も変わりました。「家庭のあり方」もそうでしょう。
かつて僕の時代には「父親参観」「母親参観」というものがありました。しかし、今の時代、ひとり親世帯数は当時の何倍も増えました、ですから、そのような表記はされません。 
 
父親・母親でなければできないこと、確かにそれもあるでしょう。でも、ひとり親家庭の子供達でも、たくさんの本にも出会えます、たくさんの映画にも出会えます、そして、たくさんの人間にも出会えます。でも同時に、周囲の環境、価値観、もっと言えば、身勝手な大人の都合。わがままに振り回されているのも事実です。
 
僕の生徒にも当然ひとり親家庭の子供たちはたくさんいます。家庭の事情から、アルバイトをしながら高校、予備校に通う生徒もいます、でも、彼らの目から光は消えていません。
父親がわり、とまではいいません。でも、そんな彼らに、僕が普段、講師として関わる中で、今後長く続く彼らの人生において意味ある出会いとなり、少しでも力になれることを願っています。
 

 

ブロンクス物語 HDマスター版 [DVD]

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"職業=人生なのか" Life is like a shooting star

「先生はどうしてこの職業選んだのですか?」

最近、保護者さま、生徒からも何度か聞かれました。

確かに。。そう思いますよね。見た目・容姿もアレですし。。

まして、幼少期に、「予備校講師」になりたい、と思ったことはありません。

(今の小学生のなりたい職業ランキングにYou Tuberとありましたが・・・)

 

 

「なりたい自分になる」

理想通りの人生を生きる人間はこの世の中に、それほど多くはありません。計画した通りの人生を歩んでいるつもりでも、必ず何度も修正を必要とする岐路に立つはずです。その度に、その時点の自分の経験・価値観で精一杯悩み抜き、腹を決めて、選んだ道を迷わずに進む、その結果が人生だと思います。

 

昔から僕は、ただ漫然と生きる人生にはしたくない、と思っていました。

「太く短く生きる・細く長く生きるか」

そのどちらでもなく

「太く長く生きたい」

人生の最期に振り返った時、歴史の偉人やヒーローでなくてもいい、「何のために生きたのか・誰のために生きたのか」それを純粋に貫けたと胸を張れる人生にしたいなあ、と。(つまり、ある意味夢見がちでしたね。。)

 

20歳、30歳、そして40歳の今、それぞれのタイミングで僕の人生を振り返った時、登っている山の高さによって見える風景が違うように、見渡せるモノ・ヒト・自分はそれぞれ違っていました。でも、「先に見える景色」ではなく「先に見るべき景色」はより鮮明になってきた、近頃そう思います。

 

でも、予備校講師になった今の自分、昔からは到底予想もしていませんでした。

むしろ、高校時代は、塾・予備校・学校なんてものを最も嫌っていました(苦笑)

 

 

 

小学生・中学生・高校生を経て、大学生・社会人、そして、仕事を通じて、生徒たちも、また、すべての人間は、自分の人生を生きる、いわば、「ストーリー」を作っていいきます。

皆が皆、ドラマティックで幸せばかりの人生を送るわけではありません。皆が皆、ヒーローやヒロインになるわけでもありません。

ただ、掲げた自分のビジョンを日々修正しながら、それでも必死に今日を見て、明日を見て、その先を見て、その結果が、その人の人生、つまり「ストーリー」になるのだと思います。

 

そもそもどうして予備校講師なのか?

そもそもどうして地元に帰ってきたのか?

 

冒頭の質問に答える意味で、また、整理の意味でもそのうちまとめてみる必要があるかもしれません。

 

"ホイットマンの詩" dedicated to R. Wiiliam

後期日程の発表がはじまりました。

いろいろな結果があるでしょう。

 

それぞれに、また、春は来ます。僕にも、生きた年数分だけいろいろな春がありました。

桜の咲く頃、その下では、それぞれの「岐路」に向かう教え子たちが

みなそれぞれの想いを胸に1日1日を過ごします。

 

大志を抱き新しい環境へ飛び込む

「何かを変える」ために海原へ漕ぎ出す

自分を見つめ自分を咎め、本当の自分の限界を知ろうとする

不安を抱えながらも、「次の春」を心に描く

後ろ髪引かれる何かを断ち切り、新しい今を創ろうとする

 

いろいろです。

結果よりも「過程」

成功も失敗も「同じ価値」

まっすぐ進む道にも、「回り道」にも、きっとそれ自体の視野があります

 

 


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We don’t read and write poetry because it’s cute.
We read and write poetry because we are members of the human race.

And the human race is filled with passion. 

 我々はかわいいからという理由で詩を読み、書くのではない。

我々は人類の一員だから詩を読む、書くのだ。
人類とは情熱にあふれている。

 

And medicine, law, business, engineering, these are noble pursuits and necessary to sustain life.But poetry, beauty, romance, love, these are what we stay alive for.

医学、法律、ビジネス、工学、これらは崇高な追求であり、生活の維持に必要不可欠だ。だが、詩、美、恋、愛。これらの為に我々は生きている。

 

To quote from Whitman,
“O me! O life!… of the questions of these recurring;
of the endless trains of the faithless…
of cities filled with the foolish;
what good amid these, O me, O life?”

ウィットマンは言った
「おお我よ、命よ、幾度となく悩まされる疑問、
信義のない長い列、愚かな者で満ちた街
この中にどんな意味があるというのか、
我よ、命よ。」 

 

Answer. That you are here – that life exists, and identity;
That the powerful play goes on and you may contribute a verse.
That the powerful play goes on and you may contribute a verse.
その答えは・・・君がここにいるということ
命が存在し、生きた証があるということ
力強い演劇は続く、そして、君もその一編に貢献できるということ
力強い演劇は続く、そして、君もその一編に貢献できるということ

 

What will your verse be?

君の紡ぐその詩はどんなものになるのだろう

 

今は亡きRobin Wiiliamsの作品「今を生きる」の中で彼が語るホイットマンの詩

自分が高校卒業後大学へと向かう時、このセリフを繰り返し見た記憶があります。

 

"Answer. That you are here – that life exists, and identity;"

これほど勇気をもらった言葉はありません

 

たかが受験、終わりでも始まりでもない、一つの過程

きっとそれぞれの心に刻まれたはずです

 

 

それぞれの想いで迎える春

僕はこの言葉を贈ります

Now, those of you -- I see the look in your eyes like "I would've walked differently.”

Now, we all have a great need for acceptance. But you must trust that your beliefs are unique, your own ... even though others may think them odd or unpopular.

Robert Frost said, "Two roads diverged in a wood ... and I, I took the one less traveled by, and that has made all the difference.”

Now. I want you to find your own walk right now.

君達の瞳がこう言っている、「人と違う生き方がしたい」と。

僕達には、人と同化したいという欲求がある。

だが、自分を信頼しなければ。

ロバート・フロストは言った。

「森の分かれ道、人の通らぬ道を行け、全てが変わる」

君達には、自分らしい歩き方を見つけて欲しい。

 

 

 

takehammer1102.hatenablog.com

 

 

 

 

 

"My Indepedence Day"

去年夏より「全く」記事をあげてませんでした。

いろいろありまして。。

 

実は、

自分で予備校ひらきました。

 

「人生に無駄な経験などない」

とはいえ、波乱万丈のこの人生、刺激ありすぎて自分がついていけません^^

 

現在、僕の愛弟子も合流し、120名ほどの生徒に囲まれ、毎日朝4時帰宅の日々が続いています。

でも、本当に楽しくて仕方ありません(笑) ネテマセンガ・・・

 

自分の予備校HPとリンクします。

よって、「それっぽい」記事を配信していこうかと思います。

 

 

↓こんな感じの内装です。今まで読んだ自分の個人蔵書1200冊で囲まれたスペースで、「偶然」好奇心の窓を開けてくれたらなあ、と思って作りました。

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下書きの記事も山盛りあるので、少しずつ更新します。

 

"算数チャチャチャ"と教育改革

午前中、NHKの「みんなのうた」で流れた曲「算数チャチャチャ」

バックの映像にまずノスタルジーを感じ、そのコンテンツにもまた衝撃を受けました。

 

 


算数チャチャチャ

 

「算数」と言いながらコンテンツは「数学」(笑)。

しかし、1973年の放映当時、小学生の中でも流行し、今まで何度も再放送の要望があったそうです。

 

 

 

 

これを見て、中学時代にある本で出会った『あるかけ算』を思い出しました。

筆算は必要ありません。やり方は簡単、ただ「線を引く」だけです。

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やり方

①かけ算をしたい最初の数字の大きい位から順に斜めに線を引く

②次の数字も大きい位から順に、①の線に交差するよう斜めに線を引く。

③あとは、エリア毎の交差した点の数を左から順に並べると答えが出る。

(この場合、1・2+3・6、つまり「156」)

合理的かつ原理もシンプル、おそらく、古代インドのやり方だと書いてあった記憶があります。

 

 

 

あと、20年前のアメリカ一人旅中に"El Paso"で出会ったDavidというおじいさんに教えてもらった『あるかけ算』も紹介します。

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 このやり方は、6~10の数字を使ったかけ算ができます。

やり方  「7×8」の場合

① 図のように、6〜10の数字を、小指を6・親指を10として割り当てる。

② かけたい2つの数字の、左手・右手の指をくっつける(左手7 ・ 右手8)

③ くっつけた指を含め、そこから下にある指の数の合計に10をかける

  (この場合、左手2本・右手3本なので「5×10=50」)

④ くっつけた指を含めず、そこから上にある左右の指の数をかける

  (この場合、左手3本・右手2本なので「3×2=6」)

⑤ ③と④を足した数が、かけ算の答え(「50+6=56」)になる。

 もちろん、九九を使った方が早いでしょうが(笑)
 
 
 
 「算数・数学」この学問は、古代ギリシア、ローマ、エジプトなどの古代文明の時代にさかのぼり、「自然の法則を知りたい」という人間の原始的な欲求が生み出した学問です。つまり、目の前の現象のプロセスを「問う」「解き明かしたい」という本能的とも言える衝動、それが体系化されたものです。しかし、日本の教育、特に、高校教育では、その面白さ・奥深さを伝え切れていません。
(僕の職場の数学講師にも「こんなことも分からないのか?!」とバッサリ切ってしまい、数学嫌いを量産するポンコツ講師もいます。。。(怒))
 
「文系・理系」という、日本独自の分割方法、それにより、自然科学・社会科学・人文科学の総合的な知識体系がなおざりにされ、「受験」に必要な知識・技能のみを習得するというものになってしまっています。
 
2020年からの教育改革の目玉の一つ「高大接続システム改革」、そこで目指すのは「教科をクロスオーバーした知識」「グローバル人材の育成」、偏りなく俯瞰で世の中を見る視点、また、自分自信の価値・生きがいについて自由に思考できる視点、そのために必要とされるのはリベラルアーツの体得だと思っています。

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僕は、このコンセプトで、今までの講師人生の20年、すべての生徒達に接してきました。公教育、そして僕の所属する「教育」業界、もっと考えやるべきことがあります。

 

「算数チャチャチャ」を現代版に復刻し、「英語チャチャチャ」「国語チャチャチャ」「理科チャチャチャ」「社会チャチャチャ」と作ってみたいです(笑)