ギターと俺

ベンチャーズとジェフベックが大好きです。

心の不安と安眠、職場の事情

仕事前日の7/15木曜日、夕方、まだ陽射しが暑い。

帽子をかぶり、徒歩で心療内科に向かった。

道中、日陰を選んで歩いたが、汗はかいた。30℃近くはありそうだ。

心療内科近くにある通路を歩きながら、いつまでここに通うことになるのかと考えると、ふと胸が詰まった。

心療内科は意外と空いていて2人目に呼ばれ、

診察室に入って主治医の院長先生に挨拶して、診察が始まる。私は現在の心の状態を先生に伝えた。

明日7/16金曜日の勤務は学生バイトが多いので、7/2金曜日、1日目、7/9金曜日、2日目のようにはいかないこと、この2日目までは尊敬すべき同期の女性がバックアップしてくれていたのだから。


メンバー構成によると私が担当する作業が多くなる事が予想される。

フライヤーパーツの洗い物、
フライパンの加熱洗浄、
排水側溝内汚れ洗浄、
床面の洗剤洗浄、
排水ピット内部洗浄、
排水ピット内部の油吸着剤回収など

ここのところ体力が落ちており、作業手順についての記憶に少し不安もある、当日の作業分担に不安を感じた。

心療内科の先生にこの先の希望的なこととして、
治療続けた後、症状に改善が見られた時、作業日数、作業時間を増やすことを考えていることを伝えた。


先生から勤務日数、時間の増加については、「無理はしないことが、大事なことです。」
と言われた。
まだ焦ったり、急ぐ必要は何もないのだ。

今回もカウンセリングは短時間で終わり、前日夜に服用する入眠剤2回分、漢方薬の頓服を5回分処方してもらうことにした。

薬局に寄り薬をもらい家路についた。
その日は、心療内科までの道を往復して歩き、適度な疲労が体に働いたことで入眠剤を飲まなくてもよく眠ることができた。

7/16金曜日、勤務先の職場にて得た情報によると、もう一人の新人の大学生も辞めることになった、という悪いニュースを聞かされた。

短期間に2人も職場から人が去っていくのは、どう考えても職場にとってダメージが大きい。

その穴埋めとして、新規募集した新人女性が配属されるという。

私は職場の責任者から、新人教育をするよう依頼された。新人教育が必要なのはもちろんです理解できるが、私としては気が重い作業である。オン.ザ.ジョブトレーニングはどうしてもタイムロスが発生するものだから。

今の状態で、私の勤務時間内に、受け持ち作業をこなしながら、新人教育が出来るのかは、分からない。

現在の3時間勤務を4時間勤務に延長することが必要ではないかと考えている。

心の開放と戻り

なんとか私の勤務するスーパーで、夜8時半頃、買い物することができた。

半歩前進である。

たまたま、私たちの職場チームが担当する売り場には、同僚の姿は見えなかった。夜の値引き作業は、おおかた終わっているようだ。

会わずに済んで内心はホッとしている。

商品棚から惣菜を2点買うことにした、焼き鳥と餃子どちらも半額表示のシールが貼ってある。

あとキャベツの千切りも一袋

カットスイカも半額になっていて、売残りが1パックだけあったので買うことにした。

レジで精算して買い物袋に商品を詰めて店を出た。我が家はこのスーパーからは近いのでとても便利である。

そのスーパーで仕事させてもらっているのだから、なんとも妙な感じがするが、ありがたい気持ちにもなった。

店長のアドバイスで、週1日、3時間の勤務をさせてもらっている。これは特例であって当たり前のことではないと思う。

リハビリ期間を経て、先々には元のシフト、勤務日数、勤務時間で仕事ができるようになること、これが目標で理想である。だが、なかなか心の病気は自分の思うようには、簡単に快方に向かうことにはならない。

職場はチームプレーで、メンバー同志の連携とコミュニケーションがあって成り立つもの。

私の心の病は、自分の体力、作業能力に自信がなくなり、出社拒否になるという、厄介なもの。

私の年齢69才も関係あるのだろうか。

1ヶ月の休職期間で、作業内容に対する手順や、認識、記憶などが不足してしまっているのでは?、と考え不安になる。

日記ノートに作業手順をおさらいして箇条書きにして、シュミレーションをしてみた。

しかし、それをやっても、どうしても、不安が付きまとう。

その事を考えると、また心の中に不安な気持ちが膨らんできてしまう。

今日は仕事の前日、心療内科の先生にその事を話して、相談に乗ってもらおうと思う。

何か、よい対処法が見つかるかも知れない。

心を開いて~1

今までは、知り合いに会うのが怖くて行けなかった私の勤務するスーパーに、思いきって買い物に行こうと思った。

恥ずかしい気持ちなんかは、気にしないで、同僚に会ったら明るく挨拶すればよい。

妻から頼まれた買い物リストに、私が必要と考えたものを加えて、昼過ぎに家を出た。

朝イチで、シャワーと洗髪、髭反りもしておいた。スッキリした服装で行くことにした。

実は今日は朝早く目が覚めてしまい寝床の中では、鬱々とした気持ち、また悪い状態が戻ってしまったような感じだった。

今日は大谷くんのホームランダービーのオンエアもあるのに、鬱々ではしょうがない。思いきって起き抜けに風呂に入り、気分を変えたいと思っていたのだ。


さて、話を買い物のシーンに戻すと、雨っぽい天気の中、傘をさしての買い物、ATMでお金もいくらか下ろしておいた。

買い物リストに従い、野菜類、鳥むね肉パック、など買い物をした。昼御飯にする「お稲荷さん、ノリ巻きセット」なども、

今は昼過ぎで4ヶ所あるレジは、お客さんでふさがっていた、すぐに終わりそうな一番奥のレジに向かった。

顔見知りのレジ係の女性が私を見て、
「今日はおやすみですか?」
と声をかけてくれたので、私は
「そうです」
と答えた。

私が、長期に休んでいたことは知らないような雰囲気だった。
顔見知りのレジの女性が
「雨が降って嫌よね!」
と話しかけてきたので
「そうですね、雨に濡れるのは嫌ですね」
と答えながら、
カードで清算を済ませレジから抜けた、品物を買い物袋に詰め込んで、足早に店を出た。

顔見知りの人にはほとんど会うことはなかった。レジの女性を除いては。

とりあえずは、心の中のハードルをひとつ飛び越えたように思えた。

周りの目が気になってはいたが、ひとつ小さいながらも、ハードルを超えることができた。

何事も、億劫になり、人と会うのが苦手になるのも、会話するのもいやになるのが、適応障害鬱病の特徴

家で昼食をとり、ひと休みして、
今度は、かかりつけの内科クリニックに行き、常用薬を処方してもらうことにした。

明日、明後日は予報では雨の天気、今日のうちに済ませておきたかったからである。

保険証、診察券、お薬手帳、現金を用意して、クリニックへ

3人待ちの状況であったが、待合室の座席に座るなり、すぐに名前を呼ばれ診察室へ

主治医から体重が増えているから、気を付けるようにとの診断だった。

そう言えば、運動不足は自覚しているのだが、心療内科にかかりはじめてからは、外に出るのが億劫になった。

毎日4000~5000歩は最低限、歩かないと、メタボになる危険があり、分かってはいるのだが、気持ちがついていかない。

何とかしないと、とは思ってはいるのですが。どうすればよいのか分かりません。

そのあと薬局に行き薬をもらい家に帰った。


晩御飯の仕度、夜8時過ぎになったら私が勤務するスーパーに、おかずになるものを買いにいくことにした。

一度ハードルを越えたら、二度目は楽にできそうだ。ここに至るまで、びくびくしてばかりで、人に会うのが恐ろしかったが、もう大丈夫な気がする。

心の中に孫の癒し

7/11日曜、妻と一緒に、孫たちに会いに行く。
上の男の子は小学一年生、下の女の子はまもなく4才になる、その二人と、母親である娘に会いに出掛けた。

下の女の子の誕生日が間近に迫るので、前倒しに早めの行動をとることになった。プレゼントを携えての日帰り行事である。バースデーケーキもあるので、結構な大荷物、大きな手提げ袋に入れての電車移動。

私たち夫婦と先方3人の昼御飯を駅近のスーパーで買い求め、大荷物での、移動、いざ出陣となる。
30℃を超える気温の中、半病人みたいな気分の私には強行軍ではあったが妻に一緒に行くことをなかば強制されていたので自分も頑張らなければいけない。
なにしろ、家に何もしないですごすより、孫という可愛い刺激を受けた方がいいに違いない。
実際に下の孫はこれでも「おじいちゃん、おじいちゃん」となついてくれているのだから。
しかし暑かった!
弁当を買うときに妻が小玉スイカが安いから、と買ったのだが、荷物はさらに重量を増して大変だった。
やっとのことで娘宅に到着。
婿さんは仕事で不在。
こんなとき、ワンオペの娘にとっては孫と遊んでくれる訪問者が歓迎なのだ。

下の孫娘のプレゼントはシルバニアファミリーのハウス系統ものと付属した小物、人形類など、
上のお兄ちゃんの方は恐竜ものの3Dジグソーパズル、硬めのスポンジが素材となったもの。
それにしても孫娘は来月で四歳になるのだが、私たちの目の前で逆上がりを披露したり、兄を見ているとはいえ気持ちよいくらいの身体能力である。
足駆け回りも多分近日中には何回もくるくるとまわりそうである。
それを見ているだけでも自分の鬱な日々を忘れられる!
娘がビデオを撮る中、私が孫娘にシルバニアの幼稚園セットの贈呈式をした。
7才の兄の孫もお相伴でプレゼント贈呈。
二人とも元気に育ってくれてありがたい。
コロナもあり頻繁には会えないが娘夫婦、孫二人が幸せに暮らしていることは当たり前のことではないと思う。


孫たちは早速プレゼントで遊びたいが、シルバニアにはシール貼り作業があり、兄の孫の恐竜の3Dジグソーパズルのフォローをするために娘は二人分のサポートが大変そうだった。
私はそういった細かい作業を頼まれても面倒でしかないのだが娘は根気よくつきあっている。

シール貼り完成までには、まだまだ時間が掛かりそうなので、私は孫娘に彼女が好きな絵本の読み聞かせを始めた。

子猫が、母親探しの旅に出掛ける物語。
孫娘は余程その絵本が好きなのか、私が音読を終わるまで絵本見ながら、じっと静かに聞いていた。私にとっては本当に久しぶりの読み聞かせであった。

お昼を食べた後、孫たちはしばらくプレゼントで遊んだりしていたが、小学一年生の兄の孫には宿題もあり、習っているピアノ練習もあり、嫌がる孫を上手に促して課題を終わらせる娘は、大変だなと思った。
私の娘も息子もピアノや公文や宿題を抱えていたのだと思うが、自分がそれに関与したことは多分一度もない。妻がスパルタ的にやらせていたのをぼんやりと覚えている。
娘夫婦は、もちろん娘がメインで子供たちのことを管理しているだろうが娘婿は家事にも協力的で、特に料理は娘よりうまい。娘は本当に助かってると思う。
お昼が過ぎて三時頃、私たちが持参したロールケーキを食べる時間になった。ケーキの真ん中にろうそくを立てる。

お決まりの、パッピーバースデーのコーラスが終わり、4の文字をデザインしたろうそくの炎をやっとのことで、孫娘は吹き消し、妻がケーキに入刀。

生クリームベースの真ん中にカスタードクリームという、おいしい米粉のロールケーキで、
孫娘だけが、ケーキのお代わりをしていた。余程美味しかったのだろう。私の町の評判のケーキ屋さんで買ってきたものだがやはり評判どおりの美味しさだった。

しばらく、休憩の後
今度は、娘と妻とでバナナケーキ作りに取りかかる、孫娘も参加して賑やかな台所。

手持ちぶさたな私に、妻が
「あなたはピアノでも弾いていたら?」
と、言葉をかけてきたので、隣の部屋の奥にあるピアノの前にいき、弾いてみることにした。

数か月?いやもっとながい期間弾いてないピアノ。曲名はいつも決まって稲垣潤一の「1969の片想い」、50年以上昔のヒットナンバー

イントロの分散和音から入り、メロディーへ。
アップテンポなJポップである。
KeyはCハ長調に転調し、私にとって弾きやすいかたちにしてある。

コード進行はお決まりの、
C F/G C F/G
しかし、イントロの分散和音がフレーズの間に、度々登場してきて、音楽的に強く印象的なものとしている。

近くで聞いていた孫娘は、弾いている私に向かって
「なんか、いい曲だね!」
と、つぶやくように、言葉をかけてくれた。私は気分よく弾き続けた。今日一で嬉しいコメントだ。

私のピアノは完全なる自己流なので、ギターの延長みたいなもの。
途中、引っ掛かりながらも四分近い「1969の片想い」を弾き終えた。

懐かしく、好きだった音楽を奏で、心のリハビリテーションになっているのだろう。

孫娘が発した「なんか、いい曲だね!」の言葉も、私の心に嬉しさを感じさせてくれた。
帰りは間が悪くどしゃ降りの中、帰途についたが、疲れたものの気分は爽快だった。
やはり自分にはこういった刺激が精神衛生上いいのだと思った。

心の不安

前回 7/10土曜日の投稿では、職場の仕事の内容で終止し、私の心の葛藤、不安には触れてませんでした。

実は、1ヶ月経っても、いまだに心の病は続いているのです。

仕事に出勤する前の、強い不安感、緊張感がその証拠です。

本当に、職場に戻って仕事が出来るのかどうか、不安でたまらなくなるのです。

もしかして、手順を忘れてしまい、失敗やトラブルを起こしてしまうのではないか、と考えてしまうのです。

仕事への自信喪失です。昼間勤務や夜勤務の同僚に会ったら、1ヶ月もの休職を、どうやって謝ればいいのか、そんなことばかり頭に浮かび、ますます、不安な気持ちが強まってきます。

これが適応障害の典型的な症状なのだと思います。

シフトのメンバー構成はその日その日で、変わります。馬が合わない人とも組むこともあるので、それなりに気を遣うものです。当たり前のことですが。

次回の出勤は7/16金、同期の女性は出勤になってません。さらに、出勤予定の専門学校生は辞めてしまい、私もしっかり役割を果たさなければ、と考えてしまいます。

3名で必要最低限の人数です。
一人にかかる比重は重くなり、私の役割も重要になってきます。

不安材料は次から次と、現れて来るものです。

いまだに私の勤務しているスーパーに日々の買い物に行けず、別の場所で買い物していること、それがまだまだ自分が回復していない証拠かな、と思っています。

心の回復と逆戻り

職場復帰の1日目を無事終えることが出来たのは、たまたま運が良かっただけ。

同期の女性に助けられ、 私が仕事をしやすい環境を彼女が整えてくれたからだ。

職場は自宅からすごく近いので、早起きして7月20日までのシフト表をコピーしにいった。

その際、次月の出勤スケジュール「7/21~8/20」の記入も済ませた。

当面は、週間1日、金曜日、18時00~21時00勤務を続ける。

しみじみ6/21~7/20までのシフト表を眺めてみて、心の中に後悔の気持ちが生まれてきた。

私以外の職場のメンバーに、また昼間勤務帯の人にも、作業の負担が掛かっているのが、はっきりと見て取れた。

本来、夜勤務者のシフト人員は3人なのだが、2人で組まれている日が月に8日もあるのだ。

当然、昼間勤務の人達に、油ろ過作業が任されて、本来の調理作業のほかに、人員不足の後行程の作業が付加される、大変な負担である。

さて、職場復帰の2日目、7/9金曜日に出勤に至るまでには、いろいろと準備が必要であった。前日夜に入眠剤を服用し、睡眠時間を確保すること、

シフト表から推測し人員配置上、私は油ろ過作業の担当になることがわかった。2日前くらいにその作業の手順をノートに書きシュミレーションしておいた。実際1ヶ月もの時間は仕事を忘れてしまいそうで、心配であったから。

出勤2時間前に体が熱っぽく感じた、計ってみると36.8℃、平熱が36.2℃の私にとっては、少し熱がある方で少し不安になった。

熱の原因は、仕事の時間が迫ってきており、緊張感が関係しているのかも知れない、前にも発熱して解熱剤を服用してから出社したことがあった。

結局、心療内科に初めに処方された漢方薬「頓服」を食後に飲むことにした。

しばらくすると、熱は36.5℃に落着き、少しホッとして安心して出社することができる。

妻に励まされて、家をでた。
「妻には頭が上がらない、今、治療受けている心療内科は妻がスマホで探してくれたもの、徒歩15分くらいのところにあった。本当に感謝してます。」

傘を差して職場に向かい、ワークスケジュール表を見たら、何と今日のメンバーとなる専門学校生の欄がバッテンで消されている、よって今日は4人が3人に減る、通常形である。

よくよく、同僚に聞いてみると仕事を辞めたということだ、ショッキングなものだった。私も頭をガーンとやられたように動揺した。

しかし振り返ってみれば、就業中の勤務態度に問題があったことは、私も感じていた。

同期の女性は、それを注意したとのこと、専門学校生は社会人としてあるまじき言葉を、先輩である同期の女性に浴びせたとのこと。それには非常に憤りを感じる。

本来は期待すべき新人が辞めてしまった。しかし本人に問題あり。

これは、なるべくしてなったことである。仕方なし、受け入れるしかない。

私の1ヶ月もの休みも大きな問題であった、だが専門学校生は、せっかく仕事を覚えたばかりなのに残念なことである。

ギリギリの人員で構成された、今の職場から一人辞めた、さらに私はリハビリの週間1日の勤務、来週からの仕事はさらにさらに、キツくなりそうである。

職場復帰の2日目はシュミレーションした通り、油ろ過作業からスタートした。

久しぶりの作業であるが、落ち着いて、慎重に進める。それにしても、揚げ物油の熱気は暑い
ものだ、

私が体調不良で出社拒否した、恐怖を感じた作業を今、まさに自分の手で進めている。

後ろには、信頼できる同期の女性が洗い物作業でバックアップしてくれている。作業環境としては熱いが、人には恵まれている、本当に私は。

心から感謝します。

職場復帰2日目の作業は順調に進捗している。
私は回りのスタッフに支えられて、仕事が出来ていることを、つくづく思い知らされた。

とりあえず、職場復帰の2日目は油ろ過作業、私の仕事が役に立って良かった。

その他、冷蔵庫1ヶ所、排気ダクト表面拭きあげ8ヶ所、パイレッシュ、ワゴン4台ほど、天井照明ランプ表面拭きあげ、フライヤー全面上部壁面を拭きあげて、
仕事は終わった。

それにしても、出勤前の発熱はなんだったのか?今は熱はほとんど感じてない、いまは仕事で体が汗ばんでいる、風呂に入りたい、シャワーを浴びたい。さて、家路に向かうことにする。

心の変調と回復、その10-2

夜7時までの買い物かご消毒作業を切り上げて、厨房に戻った。

ワゴンの掃除が残っていた。
パイレッシュ「長方形35*80㎝の樹脂製のトレー、パッケージングされた惣菜を乗せて😆店頭まで運搬するときに使用」を多数収納するためのワゴン「運搬用台車」も汚れるので、アルコールで拭きあげ消毒する。

カウタークロスにアルコールを含ませて、揚げ物カスや食材の付着などを拭き取る。台数は4台ほど、棚が4段ほどあり、それなりに時間が掛かった。

次は冷蔵庫内部の掃除、カウタークロスを4枚用意して、ポリバケツ2つにうすめの中性洗剤水溶液、真水をそれぞれ7~8㎝貯める。

カウタークロス4枚は、洗剤拭き、水拭き、から拭き、アルコール消毒拭き用に使用する。

冷蔵庫に収納してあった食材をカウター上に出して並べた。

扉の裏側、内部の天井、壁面、棚網表裏、底面を中性洗剤拭き、水拭き、から拭き、アルコール消毒拭きの順番で拭きあげる。
冷蔵庫2つで20分くらいかかり、カウンター上に並べた食材をもとに戻して作業は完了。

次は、厨房の奥にある、惣菜パッケージが収納されているメイン棚の水拭き掃除、これも脚立を使用して最上段から順次、中段、下段の順に進める。こちらもホコリの汚れでカウンタークロスが黒ずんた。この作業は20分ほどで終了。

残るのは、あと1ヶ所の棚、最上段のみの拭き上げ掃除だが天ぷら粉などの汚れが1番激しい場所、この作業は5分ほどで終了。

ポリバケツの洗剤水溶液、水をシンクに流し、ゆすいだ後、片付けて、指示された作業はすべて終了した。

現在は夜の8時半、時間が30分ほど余ったので、揚げ物用のフライヤー「半自動で動作する揚げ物製造設備」の前面上部壁面の油汚れを掃除することにした。

私が不在の1ヶ月の期間、あまり手入れがされてなかった様で、油煙による油汚れが壁面にこびりついていた。

高いところも拭けるように脚立を使用する。カウタークロスにアルコールをスプレーして含ませ、
力を入れて擦ると、こびりついた汚れもよく取れた。

同期の女性がすっかり汚れが落ちて綺麗になった壁面を見て、感嘆の言葉をかけてくれた。私のした仕事が役に立った様で、心の中で嬉しさが広がった。

フライヤー4台の上部壁面を拭きあげるのに30分間ほど掛り、丁度定刻の夜9時になったのて、同僚3人に挨拶して厨房を後にした。

特に、同期の同僚女性には感謝の気持ちがわいてきた。テキパキと的確な指示をしてもらえて本心とても助かった。
お陰で今日の初日を無事に乗り越えることが出来たのだから。

仕事している間は、心の変調のことは考えず忘れることができた。

それなりに、汗はかいたが、すがすがしい気持ちを感じながら家路についた。