普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

心のふたが開いてしまってうざおじ現る

基本的にこのブログにはネガティブな内容というのは書かないようにしているし、日々機嫌よく過ごすことこそ至上としているため、多少嫌なことがあっても不快感を露わにすることもほぼない。そしてわりとすぐ忘れちゃうタイプなので負の感情が長持ちするほうではない。

しかし、前述の”ほぼ”ないの”ほぼ”から漏れる事案が発生してしまったのだ。発生源はこの4月から同じ島に配属となったニューカマーおじさんである。

後出しみたいになってしまうのだけど、実のところ配属当初から違和感は感じていた。初めて顔を合わせとなるときに向こうから声をかけてもらえるのかなと思ったから待機していたのだけど、訪れる様子はなかった。なんかなあと思いつつデスク越しに挨拶をしたら声をかけられていることに気づかないのかリアクションなし。僕がニューカマーおじさんのところまで行って挨拶しファーストコンタクトとなったのである。

ちっちぇえ話だなと思われるかもしれないけれども、こういうのけっこう気にしちゃうんですよ。軽んじられている感じがして。意外に自分て面倒なプライド持ってたりしちゃってるのかなとか思ってしまった。

それ以外にも仕事の進め方を独自開発しすぎ。慣れてきてそれをやってもらうのは構わないというか効率さえよければそうするるのがよいとすら思うのだけど、きたばかりでまだ流れを教わる段階で既に自分のやり方にこだわっているのだ。挙句効率はあまり良いと感じない。

ここまではひとまずただの違和感として、「まあ僕に面倒がふりかからなければいいや」と好きにしなはれや感を出していたのだけど、数日前に事は起こった。

在宅勤務をしていたら電話が鳴り、出てみたら当該おじ。電話の内容は僕が進めている案件についてで、ほぼ終息に向かっている内容にたいして口出ししてきたのである。おじの指摘している内容については完全否定するものではないが、「それいうの、タイミング的に絶対今じゃないしおまえさんじゃないだろう」という内容だったのだ。

電話を切ったあと「うざ…」と吐き捨ててしまった。それだけにとどまらず、思わず妻に内容を愚痴ってしまった。あのときはすまなんだ、妻よ。でも妻も「うざ!」って言ってたので内容的にはやっぱりうざいんだと思う。

内容を詳しく言えないので大変にわかりづらいと思うのだけど、案件についての内容はメールでやりとりがされており、おじも最初からCcに入っていたにも関わらず終わりの終わりのところで口を出してきたというのが苛立ちを感じてしまった理由だ。しかもおじはちょっとしてやったり感すら出していたのがうざみゲージをさらに高めた。ゲージ使ってなんか大技でるとこだった。

これだけでもこれまでの違和感を「あ、自分このひとのこと苦手なんだ」へと形ある感情に発展させるにはじゅうぶんであったが、その後も既に僕が手をつけている案件にたいして僕に相談なしで方向性を変えようとしているのだ。なんなんこのひと。

決定。もう大決定ですよ。このおじは僕の中で「うざおじ」に決定です。同じ島のひとには敬意をもって接することを身上としているが、うざおじについてはその必要はないと判断した。

パーソナルな部分なのか世代(うざおじはバブル世代)なのか、「すごい」と言われたさが滲み出ているのも最初から違和感を感じていた部分ではあるんだよな。前述のうざみMAXムーブに関しても根底にはその気持ちがからんでいるのではないかと思われる。

実のところ、職場の別のひとから「あのひと、噂聞くよ。あんまりいい噂じゃないけどね」と聞かされていたが、そのときはネガティブな情報でバイアスがかかるのもよくないなと思って適当に話を流していたという経緯もある。うまくやろうとはしてたんす。でも今ならがっつり聞いちゃうわ。ほんで「やっぱり!ですよね!」とか言っちゃうと思う。噂じゃなくてもう当事者なので。てか1ヶ月くらいでこの境地に至っているとかほんとあのひとなんなん。

 

と、まあここまで読んでくれた方がおられましたら本日は100%愚痴の内容になってしまってお目汚し失礼いたしました。きちんと吐き出せたので来週あたりからうざおじには警戒しつつ、従来のふわふわ人間に戻っていこうと思います。

好きがだんだん消えてくんですよ、こういうのは

 

松屋の多国籍シリーズ、推せる

凪の日々が戻ってきた。昨日休みをとっていたので今日から勤務開始である。とは言っても在宅勤務だったのでゆっくりな滑り出し…とする予定だったのだけど、連休明け+通常の休み明けが重なり思いの外慌ただしく時間が過ぎていった。

久々の仕事の合間のお昼ご飯。朝から悩み続けるもなかなか決まらず妻に意見を求めたところ「松屋のアレ」との回答が。はて…「アレ」とは…?と脳内の引き出しを開けては閉め開けては閉めしたところ、「アレ」に辿り着くことができた。

イをィとしているあたりにこだわりを感じる

ポーランド風ミエロニィハンバーグだ。数日前に近所をぶらぶらしているときにまたしても松屋が多国籍なことになっていることを発見していたのだった。そのときに「よし、連休明けのお昼ご飯はこれにしよう!」と揚々と妻に語っていたのにすっかり忘れていた。この写真の撮影日を見たら5月4日でめちゃくちゃ最近だったのに忘却の彼方だったことにちょっと引いたけど、元気よく購入に走った。

こうしてうっきうきのお昼ご飯をゲット。

松屋のハンバーグを知るものとしてはわりとみなれたビジュアル

写真を撮ってないけど、ご飯にはたぶん黒胡椒的なものがまぶされていた。バターは確認できなかったけど、持ち帰る間に溶けて馴染んでいたんだろうか。バターを感じることができなかった。ザ・バカ舌。

感想を述べると、素直においしかった。元々の松屋のハンバーグがミエロニィっぽさがあったのか、だいぶミエロニィを松屋に寄せたのかはわからないが松屋のものを食べているなあという感じで”みんなの食卓でありたい”をキャッチフレーズとしていることに澱みない決意を感じた。マックを食べて何を食べてもマックの軌道からは外れていないなと感じることに近いかもしれない。お家芸をきちんともっているとも言える。

そもそもポーランド料理を知らないのでポーランドがどういった方向性の味付けをしているのかわからないけれども、日本でいう醤油とか出汁みたいに定番となる味付けがこのミエロニィのソースのようなものであるのならポーランドで何を食べてもおいしいんだろうと思う。バカ舌であることを露呈してしまったので僕のいうことはまったくあてにしないでほしんですけど、まろやかにしたデミグラス的な味だったと思う。たぶんね、たぶんよ。あとなんだか常に卵黄感を感じてハンバーグの底を確認してしまったけど特に卵黄は存在しなかった。まろやかさの源泉にたどり着くことができず、やはり食リポできるような立場にないのだと痛感する。

今回食べたのは「ポーランド風」ということなので、「風」じゃないザ・ポーランドなミエロニィはどんなものなのだろうと気になるのが人情というもの。ネットの大海の浅瀬でじゃぶじゃぶしてきた。

それによるとミエロニィというのはひき肉をさす言葉らしく、コトレット ミエロニィという食べ物が本国にあり、それをアレンジしたものが今回の松屋のミエロニィであるらしい。そのコトレット ミエロニィというのはざっくりいうとポーランド風メンチカツであり、コトレットはカツレツの語源とされるフランス語なのだという。なんならミエロニィハンバーグというものはないのだとか。いろんなことをすぐ忘れるくせにこういう雑学っていつまでも覚えているものなんだよな。脳内の記憶領域どうなっているんだ。

何はともあれ、今日もおいしくお昼ご飯が食べられて満足満足。ところで、ミエロニィの”エロニィ”の部分にエロ兄ぃみを感じて「表現にこだわっているんだな…!」と思いはしたものの、妻には伏せておいたのでここでこっそり報告しておこうと思います。

へべれけインネイチャー

もっぱらインドアおじさんであるが、誘ってもらえさえすれば喜び勇んで野山の奥に駆けつける。5月5日のこどもの日もそのようなことで青梅?とかそのあたりの河原でのバーベキューに参加していた。

この河原、2年前にも来ていた場所だ。ハトヤからの弾丸旅行の帰りに立ち寄った。

そのときは車で訪れていたので家からの距離感をいまいち把握していなかったが、この日家から公共の交通機関を利用して訪れてみたところ、旅情を感じるほどに遠かった。

電車の乗車時間に比例して車窓から見える建物は低くなり、景色はひらけていく。そして白、灰色の人工物カラーから目が覚めるほどの青、緑のネイチャーカラーへと変わりゆくことにテンションがあがった。年に何度かは強烈な自然の緑をみておくものだなあと本気で思った。

バーベキューといったところで宿六丸出しで調理してもらったものを食べ、酒を飲み続けるという怠惰の限りを尽くすポジションをゆずらない。するとどうだろう。魔法にでもかけらたかのように時間が過ぎていくのだ。さっき13時だと思って次に時間を確認したら17時過ぎていた。ただ、12時から13時の間はとてもゆっくり時間が過ぎているような気がして余裕を見せた次の瞬間が17時なので相当に面食らう。飲み会の酔っ払いあるあるである。

時間旅行をしたかのようではあるが、会場が河原であったからにはその旅程に石投げが組み込まれることは必定。この日もやはり何かの業に抗うように対岸に向かって石を投げようとした。そのときである。

にゅっとなんかでてきた

何かいること自体は目視で確認できるが、それがなにかまでは確認できない絶妙な距離感。これ、ヤギかなんかなんでしょうかね。ていうか風光明媚な場所とはいえいちおう都内だというのに野生のヤギなんぞいるもんなんだろうか。でもあれは絶対に犬猫狸の類ではなかった。こちらがおろおろしていたらひょっこり消えて行ったけど。

罪のない(と思われる)獣も去り、石を投げることに遠慮はいらなくなった。対岸に存分に石を投げようじゃないかと全力投球を始めた。

そしたらまあ、あれですよ。全然届かねえんですわ。これは2年前に同じことを痛感していたはずなのになんかワンチャンレベルアップしてるんじゃないかな、なんてなんの鍛錬もしていないのに希望的観測によって投石の飛距離アップを期待していたわけなのだけど、当然のように対岸に石は届かなかった。なんなら2年前より飛距離は縮んでいた。獣の位置までなんて届く余地もなかったので獣の身を案じたことを恥じたい。

前述の通り13時から夕方くらいまでの記憶はふわっふわなのだけど、お酒とおいしいものはしっかりおなかにおさめていたというのはカメラロールを見返して確認できた。

お酒となんかでかい肉

GWとはいったものの、特に何もなく過ごしてしまっていたけれども、この1日があっただけで1ヶ月分くらい楽しんだんじゃないかなと思うので結果オーライってことで機嫌よくやってこうかと思います。

 

80年代アイドルの曲を聞くと去来する独特の感情がある

昭和のアイドルブームが訪れることがたびたびある。最近聞いているのはうしろゆびさされ組だ。そのユニット名にもなっている「うしろゆびさされ組」という曲をちょっとどうかというくらいに繰り返し聞いている。単純に曲がかっこいい。そしてあの時代の曲のサビの強さったらない。

当時の曲ってあの時代にしかない独特の雰囲気を醸し出していると思う。曲の良さもさることながら、その雰囲気を感じたくて聞いている部分もある。昭和とは言ったけど、主に80年代のアイドルを集中的に聞いており、聞くたびに曲に感心しながらエモみばしった心境になっている次第だ。

なんだろう、うまく説明ができないのだけど、バブル的なわっしょいわっしょいの雰囲気が曲から滲み出ているような気がして、「戻らないあの時代」というものを感じて胸が締め付けられるような気持ちになるのだ。伝わらなそうだなあ。

しかも80年代なんて物心がついていくらも生きていないキッズもキッズの時代で、バブルだったことなんてあとから知った。「あ〜、あの頃はよかったなあ…」なんてことにはならない。なのになぜ前述のような心境になるのかが自分でも謎だ。

ちなみに、アイドルだけでなく、米米クラブの初期の曲にもこのエモみは適用される。米米クラブがあまり広くない屋外会場でビーバップハイスクールのワンカットみたいな雰囲気で演奏しているライブ映像を見ると思い出なんぞビタイチないのに泣きそうになる。なぜだ。

これは言い過ぎだけど、これを大きくしたようなステージ

こういうのってそれぞれの世代であるものなんだろうか。例えば、90年代のTKブームの様子などを見聞きするとむせび泣いてしまうとか、00年代初頭の浜崎あゆみの豹柄を見ると膝から崩れ落ちてしまうとか。

幼少期のうちに何かしらのかたちで心に刻みつけられた音楽、現象について触れると発露する気持ちなのだとしたら、どの世代にもトリガーはあるのだろうから真剣にそれを聞いてみたい。

ついでなので曲のたいしての所見も述べておくと、80年代のアイドルってニューウェイブっぽさがあってそれも好きな理由のひとつだ。海外で流行っていたから取り入れているのはわかるのだけど、ただ、海外のニューウェイブ風の楽曲をそのままやっているわけではなく、日本の歌謡曲独特の陰鬱さをうまいこと配合しているように思う。Winkとか中森明菜とか工藤静香とか。海外の曲は”憂い”という表現が当てはまるのだけど、日本は前述の通りどこか陰鬱なものを感じる。それが良いという話ですよ、念の為。Winkのニュームーンに会いましょうとか最高。

今回のアイドルブームにいたってはちょっとコピーバンドとかまでやりたくなっている始末だ。ひさびさにギター練習してみようかな🎸

 

 

 

 

 

 

ペンは適正価格でお手柔らかにお願いします

就活の面接等で、面接官の持つペンを10,000円で売ってみて欲しいというやりとりが行われることがあるという。当然そのペンは10,000円もしないものであると思う。それをうまいことやって売ってみなはれやという趣旨である。

その価値があるとは思えないものをどう売るか。ペン本体の商品価値は上げようがないのであとは付加価値とかその辺りのペンそのもの以外の部分で勝負していくしかないのだろうなと思う。

ひとつの手段として思い浮かんだのが、ペンをその場で使わなければいけない状況を作り出すということだ。今すぐそのペンを買わないと相手が損してしまう状況を作り上げるのだ。

”ペンを売るだけ”ということで考えればペンと一緒にサインをすれば即10万円が支払われる契約書を用意すれば売れちゃうんじゃないかなと思ったりする。採算とれてないし、ペンがその場に売り物のペンしかないとは限らないし、むしろそれはペンではなく契約書を売っているようなものなのではという話になってくるけれども、”売るだけ”という話であればまあ一応売れはしているしなあと考えてはもらえないものだろうか。こういうのを屁理屈というのだろう。僕のフィールドへようこそ。

これで10,000円で売って利益を出してくださいだったら完全にNGである。しかし、そもそもの話になってしまうのだけれども、何の変哲もないペンを10,000円で売れというのもムチャぶりがすぎるという話ではある。というか悪徳ですらないか。これに比べればレゴランド内のフードの価格設定なんて慈悲に満ち溢れたものだ。

あとはペンが仕込み銃になっていて、その照準は面接官の眉間に定まっている状態で「今なら10,000円ですが?」と言ったら30,000円で買うかもしれない。これなら利益が出る。それはもう商売ではなく命のやり取りを含むただの恫喝であるが。

そもそも、この価格設定の間違えているペンは商品企画部の目が完全に節穴であり、その責任を若手営業になすりつけて逃げようとしているのだ。入社前からパワハラ三昧、ブラックもブラック、ダークマター企業である。はやくその場から逃げて!

とね、いつものようにクダを巻いてしまっているわけなんですけれども、この質問で確かめたいところは実際に売れるかどうかではなく、思考のプロセスなんだとか。まあそりゃそうか。

僕はこういうのからきしで、過去に居酒屋のホールでアルバイトをしていた際におすすめはなに?と聞かれたときも「食べたことないものはすすめられないなあ…」と本気で考えていた人間である。適当なものを見繕ってすすめはしたけれどもね。完全に営業に向いていないタイプ。欲しいひとは勝手に買うでしょ」くらいに思ってしまう。というか僕がそうなのだ。口コミとか全然みないで欲しいという思いのみで買い物をすることがしばしばある。ちょろ客といえばまあそうなんでしょうね。

営業って毎日そういうことしているんだものな。心の底から尊敬する。僕には絶対に無理だし、仮に成績を上げることができたとしても心を病みそうだ。売り物に陶酔しているとかならまた話は別だろうけど。

世の営業職のみなさん、本日もお疲れ様です。

 

本当にゴールデンかというと疑問は残る

なんとなくぬるっとした質感のGWに突入。今年は果たして本当にゴールデンなのかと監査の目が光りそうな細切れ連休ぶりを見せているが、それも考え方ひとつというものであるだろうと考えている。

小粒ではありつつも、連休が連続で訪れると言うのはどかっと10日くらい連続で仕事を休むよりも地に足のついた状態を保てるわけで、社会性を維持したままなお休息がとれるので堕落する前に現実に帰って来られると言えるだろう。

金塊でも砂金でも金は金。砂金だって集めれば金塊になり得る(がんばれば)。なので今年のGWがゴールデンでないとは言えないということで監査の目をくぐりぬけてもらおうと思う。

そんなGW前半戦、妻の実家に帰省をしていた。在来線のみで移動が可能なのでそこまで移動の煩わしさもなく、平和に移動し、ゆるくゆるく帰省時間を過ごすことができた。

ゆるさの象徴といえば散歩である。歯ブラシを持参することを忘れていたことに気づき、散歩がてらコンビニまで出かけることとする。コンビニまでの道のりは妻の通っていた小学校への通学路であったらしく、なにやら妻のノスタルジーメーターがぐいぐいと上がったようだった。ついでだし、通学路を歩いて小学校まで行ってみようという話に。

道中、妻の小学生時代の話を聞かせてもらい、へーとかほーとか言いながら小学校へ到着。せっかくだからと校門前で記念撮影などをしてみる。たぶん、入学式とかで撮られた同じ構図の写真が実家に眠っているんじゃないかと思っての撮影だったのだけれど、妻にも義母にもあまり響かなかったようだった。まあこういうのは後でじわじわ効いてくるくるものだ。数年寝かそう。

ノスタルジーを乗り越えコンビニで歯ブラシをゲット。帰りは少し遠回りしてみようということでのらりくらりと歩いていると、営業しているんだかどうなんだかわからないくらいの絶妙な工場を発見。BUCK-TICKのSEXUAL XXXのPVで登場したような趣のある工場である。それだけでもけっこう良いものを見つけたなあと思うところであるのだけど、工場敷地内にプレハブ小屋が設置されており、その入り口に「居酒屋」というプラスチックのプレートがかかっているではないか。

なにこれ、アツすぎる。雰囲気から地元のひとですら入店を憚られるビジュアルであるが、それがまたそそられる。時刻は17時をまわっていたけれども営業している様子はなかったので写真だけ撮ってその場を後にしたが、後で営業しているかを確認しに行けばよかった。次回の目的ができた。

あの感じ、従業員が飲みスペースをノリノリでこさえて、興が乗って「居酒屋」って看板をぶらさげてしまったという線も捨て切れないが、いちおう店名も一緒に掲示されていたのでお店であることを願いたい。確実に店主はめんどうなタイプのひとであると予想されるが、それ込みで楽しむというのがお作法というものだと思われるので、次回強い心を持って挑もうと思う。

思わぬディスカバリーを経て帰宅。ふだん過ごす自宅にはテレビが未設置なので、せっかくだからとテレビをぼんやり眺めて過ごす。まだテレビを設置していた数年前に人気が出始めていたような芸人さんがメインMCで番組を持っていたりして時の流れを感じたし、サクセスってあるものなのだなと感じた。番組として好みかっていうとちょっとあのテンションについていけないかなあというところではあるのだけど。まあ見たくなければ見なければよいだけなので、これからも適切な距離感を保っていこうと思う。

それよりもCMのほうが気になった。知らないCMはただただ知らないCMだけれども、けっこう前からやっているライザップのCMが今もやっていたのでコンテンツとして人気なのだなあと感心するなどした。

ライザップといえばビフォーとアフターを同時に流すことでその効果を見せつけるスタイルのCMだ。あんなにだるんだるんのひとがめちゃくちゃしまった体型になっちゃうんだから並々ならぬ努力があるのだろうと慮ることができるが、もしかしてビフォーだけ撮ってアフターにまでたどり着けてないひと、けっこういるんじゃないかなと思ってしまった。だとしたらビフォーデータ集なんかがあったりして、連続でみたら気を病むこと間違いないだろう。こわ。

主にそういった余計なことを考えながらのGW前半戦であった。明日からは飛び石というにはわりと飛び越せなそうな距離感のある平日を過ごしてGW後半戦に臨んでいこうと思う。

 

繁華街のよくわからんお店、行っちゃダメなんだった

昨日は今年度から同じ島に配属となったおじさんの歓迎会だった。島の中でも若輩だからなのか、殊更お酒が好きだからなのか、会場確保に抜擢されがちだ。

しかしはっきり言える。今回の件で完全に気づいた。僕は歓送迎会に適したお店の良し悪しを嗅ぎ分ける嗅覚をまったく持ち合わせていないようだ。島の飲み会自体あまりないのだけど、前回も個室にこだわるあまり座敷牢みたいな店を予約してしまったという経緯がある。

takian2000.hatenablog.com

こういうのも慣れというものなんだろうか。職場の方々はお酒が好きでなかったりわりと老輩だったりで会社オフィシャルの飲み会というものが開かれない。慣れるのはたぶん無理なのでやはり次回から幹事を固辞しようと思う。

反省の意味も含めて何がダメだったかというのを書いておこうと思う。

まず席がめちゃくちゃ狭い。お店のある場所柄、広々というのは期待していなかったけど、期待していたスペースの7割くらいの広さだった。もちろん想定人数を前提とした席の予約はした。僕が求めるパーソナルスペースが広すぎるだけかとも思ったが、島の姐さんからがっつりイジられたのできちんと狭い空間であったのだと思う。僕とお店の狭小観に大きな隔たりがあったのは間違いない。狭いとこ好きなひともいるからね、それはそれで良いけどお店は広くね、とお伝えしたい所存。

そして飲み放題のメニューが奇想天外すぎた。なんとお茶割りの類がなかったのだ。ウーロンハイだの緑茶ハイとかのあの類が。飲み放題メニューになかっただけで一般のオーダー枠にはあったのだろうけど、飲み放題にお茶割り系がないなんてことある?

これは僕が事前に飲み放題メニューをきちんと確認しなかったのが悪いのだけど、あんな原価率フレンドリーなドリンクを飲み放題メニューの中に入れてないなんてことがあるとは1ミリだって思わないでしょう。どういう理由で入れてないのか聞いておけばよかった。僕が飲むわけじゃなかったけど、そんなバカなという空気が場に流れてかなり気まずかった。あとついでに言うと芋焼酎麦焼酎が選べたけど、芋焼酎はこれまで飲んだどの芋焼酎にも分類されない芋の概念を考え直す味、麦焼酎にいたっては無味であった。芋って言っても色々あるからキャッサバとかあのあたりだったのかもしれない。

食べ物に関してもそのお店独自と言えるものは特に出てくることなく、かつて(20年くらい前)の笑笑、和民等のグランドメニューで威光を放っていたようなラインナップであった。食べたらおいしいとは思うんだけど、お店まで行っていまそれを頼まないかな、的なね。

おかしいな…予約時のコース料理のラインナップを見たら「お、これはいけそう!」と思ったはずなんだけどなと改めて見返してみると、「○○鳥、地鶏のザンギ」とか「海鮮カルパッチョ」とか、言い方の妙で乗り切っているのだなと腹落ちした。

ザンギについては要はからあげだし、鮮魚のカルパッチョだって予約時では何の魚か言及していない。実際出てきたのはサーモンにドレッシングをかけただけのもの。まあ定義からは外れてない…か…商売ってそう言うことなのかもしれないなと素直に敗北を認めようと思う。

めちゃくちゃ愚痴っぽい内容になってしまった。あれこれ言ったが一言で片付けてしまうのなら”値段に見合っていない”これに尽きる。からあげをザンギと言おうがカルパッチョがギリギリだったりしても値段に見合っていればそこまで不満もないが、支払った値段に対してなんぼなんでもしょぼい(言っちゃった)ということである。

繁華街にある有名じゃない知らないお店なんて行くものではないなと思ったわけであるけれども、似たような経験を20代の頃にしていたのを思い出した。新宿でバンドのライブを終え、さー、打ち上げだと歌舞伎町に流れていったのだけど、店の確保がめんどくさくなってキャッチに声をかけられてまんまと入店したことがあったのだ。

そのお店、本当にすごくてきゅうりスティックを頼んだら長めのきゅうりを3分の1に切ったものをさらに4分割したもの(要は4本)をカクテルグラスに敷き詰められた氷にぶっ刺して「600円でござい!」と平気で言い放つお店だった。そのインパクトが凄すぎて他のことをあまり覚えてないけど、あまりのあまりぶりにすぐお店を出た。みなさん、キャッチがいるような意お店行っちゃだめですよ。今はその頃よりだいぶクリーンなんだろうけど。

そこで学んでいたはずなのにな。久々にやらかしちゃったな。お店を途中で出るわけにもいかなかったし。せめてもの救いとしては会話はいちおう盛り上がったことだ。(席が狭くて)ひとが近かったので会話に熱を帯びやすかったのかもな。それが狙いだったらたいしたものだけど、そんなわけはないとどんなリスクの低いギャンブルよりも強気でそんなわけがない方に張れる。

みなさまにおかれましては歓送迎会は庄やとか値段的に中堅の居酒屋チェーンを予約することをおすすめします。