集中治療医のStudy Melbourne

麻酔科系集中治療医が家族4人でオーストラリア・メルボルンへ博士課程留学!初めての海外研究生活、メルボルンライフの模様をお送りします!

Grampians一泊旅行

少し前になるが、土日を利用してGrampiansに1泊旅行に行ってきた。

Grampians

メルボルン周辺の旅行スポットとしてよく名前が挙がるGrampians。

 

ずっと前から行きたいと思っていたものの、ハイキングスポットとの専らの噂で、子供が小さいうちは無理かと諦めていた。それが今回、子供が同世代の知り合いから、子連れでも十分楽しめるとの耳より情報をいただいたので、それなら!ということで土曜校が休みの土日を利用して行ってきた。

メルボルンから西に260km、3時間。長距離ドライブにもだいぶ慣れた。

今回は旅行を決め宿を取ったのが前日夜。穴場スポットを調べる余裕はなく、ド定番のスポットを巡ることにした。

1日目

朝10時頃に自宅を出発してひたすら西へ。途中の街で少し休憩して昼食をとり、そのまま宿に寄ることに。

 

今回滞在したのは、Grampians View Cottagesというところ。Grampiansの入口の町Halls Gapから車で5分ぐらいメルボルン側に戻ったところにある、モーテル形式の部屋が20個ぐらい集まった宿泊施設だった。

 

私たちが滞在したのは二段ベッド付きの部屋。1泊$170ほどでメルボルン近郊の観光地と比べるとずいぶん安かった。

 

二段ベッドは子供たちの希望で、着いた瞬間大喜びで遊び始めた。

しばらく遊ばせた後、早速Grampiansへ繰り出す。

 

まずは山道を走ってMacKenzie Fallsへ。

 駐車場から少し歩いて1つ目のLookout。

右下に小さく見える通路の方へ降りていく

そこから10分ほど急な坂道や階段を下って滝の脇へ。

滝が間近に

対岸には野生のカンガルーが見えた。

一通り楽しんだ後、今度は来た道をひたすら戻る。息を切らし、じんわり汗もかきながら駐車場に戻った。

 

3歳の息子は我先にと進む(途中で勢い余って階段から5段ほど滑り落ちた)一方、娘はすぐに「休憩!」といって座り込んでいた。性格の違いがこんなところにも出ている。

 

駐車場に戻るともう夕方。出発が遅かったので1日が短い。

 

続いて、車を少し走らせてReeds Lookoutへ。そこではちょうど綺麗な夕日が見られた。

夕日とワインを飲むカップル。絵になる。

この2か所の訪問で1日目は終了。

 

夕食はHalls GapにあるBrewery。地ビールと食事を堪能した。

maps.app.goo.gl

店を出る頃には外は真っ暗で、すぐ近くには大量のカンガルーが。暗闇カンガルーは結構不気味。

宿に周辺はさらに光が少なく真っ暗で、見上げると満天の星空が綺麗に見えた。控えめに言って最高だった。

2日目

2日目は野生のカンガルー探しのため早起き。家族みんな野生動物探しが大好きなのだ。

6時頃に起床し、スーパーで買っておいたパンなどで朝食を済ませ、車に乗って出発。Halls Gapの町中、町周辺にカンガルーを山程発見して興奮が収まらない。

授乳中の野生のカンガルー 街中にいて結構人馴れしてそうな感じ

いっぱい

山程いるカンガルー 奥にはエミュー

2年ぐらい経ってそろそろカンガルーに飽きてもおかしく時期ないけど、今のところその気配はない。見つける度に家族で黄色い歓声をあげて楽しんでいる。

満足したところで再び車を走らせて、次の目的地Grand  Canyonへ。ちなみにアメリカのあれとは別物である。

こちらは大きい岩の間を歩くスポット。冒険感がある岩場歩きで、親子でワーキャー言いながら楽しんだ。

親の心配をよそに子供たちは身軽に進んでいく

続いては、The Balconiesへ。こちらはもののけ姫の舞台と言われる大きな岩が有名。Reeds Lookoutの駐車場に車を停めて、15分ほど歩いて、無事目当ての岩を拝むことができた。

もののけ姫の舞台と言われる岩

最後はこちらも定番中の定番、Boroka Lookoutへ。

快晴で最高の爽快感

これでメジャーどころは全て制覇したはず。

お腹も空いてきたので町のピザ屋へ。テラス席で美味しい昼食をいただく贅沢な時間だった。

maps.app.goo.gl

きのこのピザ

Wood Fire Cheeseが複雑な味で◎◎

満腹になったところで帰路につき、また3時間かけて家に帰ってきた。

良い旅だった

前日に計画した旅行だったが、結果的には大満足だった。Great Ocean Roadに続き、リピート決定である。

 

Grampiansは割と本格的なハイキング向きだと思っていたが、ほとんどのところが車で近くまでアクセスできて、子連れでも十分楽しめることがわかった。今回は定番中の定番スポットを回る旅だったが、まだまだ見所はたくさんありそうなので、次回以降は違うところを周ってみたい。

 

旅行の記事を書くたびに、自然と絶景と野生動物ばかりを追いかけていて、飽きないの?と言われそう。

 

でも今のところ全く飽きてません。むしろビクトリア州だけでもまだまだ行きたいところがある。ので、また行ったら記事にしようと思う。

2年の審査を通過

Progress Review Meeting終了

先週に博士課程2年のミーティング (Progress review meeting)があり、無事審査を通過した。


6ヶ月→1年→2年→3年と定期的にあるミーティング。

Practice talkで心に傷を負った6ヶ月目のミーティング、そして正式にPhD candidateとして認めてもらうための1年のミーティング、その2つに比べると今回はあっさりと終了した。

 

というのも今回のミーティング(審査)は単なる進捗状況の確認という意味合いが強い。この時点で問題があるというのは、指導教官とのコミュニケーションが絶望的に取れていないなどといった特殊な状況以外あり得ないのだ。

 

私の場合は最近投稿した論文(後述)の内容のまとめを発表した後、残りの実験のチャプタの概要と計画を述べ、最後にこれまでの実績(学会発表、論文)などを報告。全部で20分弱。

 

その後いくつか質問を受けて無難に答えた後、全体のフィードバックを受ける。

 

最近座って書き物をしていることが多くて、英語が喋れなくなってる気がするし、プレゼンの練習もあまり時間が取れなかったので、プレゼン自体の出来はイマイチだった。でも進捗自体に100%問題ないと分かっていたので気にしない。(それぐらいの図太さはこの2年で身についた。)

 

そして、私は一旦退室して指導教官たちとAdvisory Committeeのみで10-15分ほど話す。次に私が呼びだされて指導教官たちが退室。Advisory Committeeに困っていることがないか、指導教官に言いにくいトラブルはないかを確認された。特にありませんと答えた。

この辺はこれまでのmeetingでお馴染みの流れ。

 

結局、全部で1時間ほどで無難に終了。

ちなみに先日書いた、全然進んでいないプロジェクト2は無事thesisから除外することが決まった。

 

そして今日、

Your Progress Review Form has been completed on your student record.

Congratulations on your satisfactory progress review.

というメールが届いて、正式に審査を通過した。めでたしめでたし。

論文投稿からの...

前回の記事で投稿間近になっていた論文。

こちらはProgress Reviewの数日前に遂に投稿にたどり着いた。本当に本当に長かった...!

 

ミーティング前に投稿できたおかげで「〇〇に出しました!」と意気揚々と発表できた。

 

そして次の日、目を覚まして携帯をチェックしたらメールが来ていた。

After careful evaluation by the editors, we have reached the conclusion that the manuscript's priority for publication in XXX(雑誌名) will not be sufficient for acceptance, and thus it will not be sent for external peer review. We are notifying you as rapidly as possible to avoid delays in your submitting this work to another journal.

 

はい、Editor's kick。

 

ボスからはすかさず

At least they were quick
YYY(次の投稿先) next?

のメール。

 

一瞬ガッカリしたが、無駄に待たされてリジェクトされるよりはマシだし、ミーティングの翌朝というタイミングの良さもあって、まぁいっかという気になれた。

 

そこから次の投稿先の規定に合うように原稿を改変。Graphical Abstractが面倒だった(美的センスのなさすぎるので)、それもほぼ終わった。ボスの最終確認を経てあと数日で投稿できるだろう。

 

投稿先はImpact Factor20ぐらいで、研究途中の段階からここに載せよう!といい続けてきた雑誌。記念受験的な最初の投稿先とは気合、期待が違う。上手くいくことを願いつつ、悪い結果に対する心の準備もしながら待つことにする。

ひたすらライティング

引き続きラボの事情でほぼ実験がストップしている影響で、ライティングが捗る捗る。

 

まずは昨年原著論文を出した小さなプロジェクト関連で1本短いReivewを投稿。こちらはレジェンドボスから降ってきた案件。本気で書いたらすごく時間がかかりそうだが、投稿先はPubmedにも収載されておらずIFもない新しい雑誌だしどうしたものか、、、と少し悩んでいた。ひとまずメインの表2つと本文半分ぐらい、そして残りのサブタイトルのリストを書いて「残りはこういう流れで書こうと考えているんだけどいいですか?」とメールを送ったら、次のメールで「ほぼ書き終わった。確認して必要なところを直して送り返して。さっさとこの仕事終わりにしようぜ!」とのこと。語数や参考文献が投稿規定より大幅に少ないという一番の懸念点は、どうやら問題ではないらしい。丁寧に残りを仕上げて投稿にたどり着いた。レジェンドボスと共同執筆なんて。小さな雑誌とはいえ、ありがとうございますとしか言いようがない。

 

そしてその案件からもう1つの論文をもう1つ執筆中。おそらく1ヶ月ぐらいで投稿に辿り着くはず。

 

あとは国際学会へのアブストを2つ書いてまもなく投稿する。8月のシンガポールの学会と12月のアメリカの学会。こちらはOralで採用されることを願うのみ。

 

机に向かって作業できる時間が長いおかげで結構色んな成果を生み出せている。まだまだ時間はかかるが、少しずつ書くスピードが上がっている気はする。(代わりに眼精疲労と肩こりがヒドい。)

 

おそらくあと1ヶ月ほどで実験が再開になる予定なので、溜まった書き物をなるべく多く消化しておきたい。

ミーティングを終えたその足でシティの路地裏に足を伸ばす

打ち上げ?で日本のケーキとカヌレ

www.toris.com.au

2年経過・子供について

振り返りシリーズ、今回は子供について。

 

この1週間、友人の結婚式+αのため妻が1人で日本に一時帰国しており、私が1週間子供たちの世話をしていた。研究は1週間お休み。正確には子供が学校/幼稚園だった2日間だけはwork from homeだったのだが、仕事モードと家事モードの切り替えが上手くできずほとんど仕事にならなかった。

 

こんなに長く1人で子供の世話をするのは、オーストラリアに来て、いや日本も含めても初めて。色々大変だったが、おかげで子供たちとじっくり向き合う時間が取れてよかった。

子供たちの生活ペース

最近の子供たちの生活は、

 

娘:現地の小学校(月〜金)、日本語学校(土)、習い事(水泳、バレエ、ステージスクール)

息子:現地の幼稚園(月火)、習い事(水泳、 時々日本語/英語のプレイグループ)

 

といった感じ。特に娘は本人がやりたい習い事を足していったらかなりのハードスケジュールになっている。

日本語と英語のバランスは?

現地の小学校に通う娘(6歳、1年生)は英語がどんどん上達。現地の友達とも特に問題なくコミュニケーションを取っている。いよいよ親の発音や言い間違いを指摘してくることも増えてきた。

 

「耳」の良さはもはや親を完全に超えているようで、Taylor Swiftやらの英語の歌詞を聞き取って口ずさんでいるのには衝撃を受けた。

 

ただし家では日本語使用がメインで、日本語が通じる友人には日本語で話しかけている。たまに英語で独り言を言ったり、息子に英語で話しかけたりしながら遊んだりはしている。

 

一方、3歳の息子はまだまだ圧倒的に日本語が優位。週2回のキンダーでは英語の習得には不十分なようで、本を読むのも遊ぶのも「英語は嫌だ」と言っていて、街中で日本人を見つけると大喜びで話しかけるといった具合だ。

それでも、キンダーの先生や周りの言う内容はかなり理解しているようだし、この半年ほどは姉弟同士で英語で遊ぶ瞬間も少しずつ出てきた(姉の影響が強い)。I don't think so. とか I like you.など、短い文章は話すようになった。

オーストラリアの小学校教育

小学校に通う娘を見ていて、日本の教育と違い面白いと思った点が2つ。

 

①感情のコントロールについての教育がされていそう

自分の感情を色で表しましょうとか、怒りがどうしようもなく湧いてきた時にはどうするか?とか、そんなことを習っているようだ。娘のクラスには教室の隅にcalm spaceなるものがあって、負の感情が強くなった時は先生の許可を得てそこで落ち着くまで過ごすらしい(娘談)。

 

日本でもアンガーマネジメントなどと言われる時代だが、少なくとも私自身は学校で習った記憶がないのでとても新鮮に感じられる。どちらかというと感情を表に出すことを良しとされない日本の文化に対して、こちらでは負の感情とはきちんと向き合った上でコントロールするものという認識のようだ。

 

②「人と違うのは素晴らしい」「違いを尊重しましょう」が嫌というほど強調されている

オーストラリアが移民の国だからか、欧米の文化なのかは不明だが、とにかくこの姿勢が全面に押し出されているのがとても印象的だ。「皆と足並みをそろえて同じことを」と言われるのを見たことがない。「本当に小さい頃からそうやって言われ続けて育つんだなぁ」という感じ。日本人の感覚からするともう少し集団行動を教えたら?と思う場面も沢山あるが、それも一長一短でらこちらではそこまで重視されていない、というのが私の理解。

 

逆に、算数や国語ときいった普通の学業面については日本と比べてオーガナイズされていないように見える。そもそも教科書がなく、各自の進度に合わせて取り組む内容が異なるのがこちら風。見聞きした範囲でも子供によってかなりレベルに差がありそう。数年後に日本に帰る可能性を考えると、学校に任せっきりにしておくには不安すぎるというのが正直な印象。この辺は話は以前から聞いていたが、それを身をもって体感しているところ。

息子の様子

渡豪時2歳手前だった息子は、オーストラリア滞在期間が日本で過ごした期間を越えた。

 

親子分離は問題なし、昼間はオムツが外れたり、当初怖がっていたプールも楽しめるようになったり、と着実に成長している。

 

少し飽きっぽい娘と違い、1つの遊びや作業に集中して取り組むのが好きなようで、最近は魚にどハマりして日本で買った魚の図鑑を毎日眺めて喜んでいる。

 

キンダーでは友人が数人できたようだが、結局は1人で遊ぶことが多いよう。「今日は⚪︎⚪︎と遊べなかった...」的なことをよく悲しそうに話している。言語の壁の影響か、 COVID kidsで社会性の習得が遅めだからなのか、いやそもそも3歳児全般まだそこまで社会性が備わっていないだけなのかもしれない。とにかく「一人で遊ぶのでも全然いいじゃないか」という声かけをすることが多い。

 

娘が友達と遊んでいるのに混ざるパターンが多いのだが、娘の友人に疎ましがられることが多いのは少し可哀想。娘の友人が私たち親に対して「(息子が)私たちを邪魔しないように見張っててくれない?」と言ってきたり、息子が面と向かってGo away!!と言われたり。二番目の子の宿命ではあるのだが少し心が痛む。そんなことが多いせいか、最近は軽い癇癪を起こすことがありその時は少し大変。早く息子にも仲の良い友達が増えるといいなあと思っている。

まとめ

まとめると、6歳の娘は良くも悪くもオーストラリアの教育システムにがっつり乗っかって成長中。日本語も今のところは問題なし。

 

一方、息子は日本とオーストラリアの違いどうこうより、未就学児としてまだまだ手がかかる段階。特に息子に関しては、英語圏に住むメリットを享受するにはまだ数年はかかりそう。

 

また子供の様子は定期的に書こうと思う。

2年経過・研究について

オーストラリアに来て2年が経過したので、定期的に振り返るシリーズ。

 

今回は研究について。過去の振り返り記事はこちら。

6ヶ月経過・研究について(前編)

6ヶ月経過・研究について(後編) 

1年経過・研究について 

 

最後に研究のことを書いたのは2ヶ月半ほど前。

その際は年明けから研究がいまいち進んでいないことを書いた。

進まぬ実験

それから2ヶ月、、、状況は大きく変わっていない。

 

結局その後も他の実験との兼ね合いで立て続けにキャンセル。

 

さらにここ最近はラボとしてとある資格の取得を目指していて、この準備が予想の十倍ぐらい大変だと判明。ついには全ての実験を一旦ストップしてその作業に集中するよう指令が下った。

 

不幸中の幸いと言えるのは、学生はその仕事から除外されていること。多少のボランティアで協力している以外は、ライティングやらに時間を割くことができている。

Thesisの方向転換

ということで色々なことが起こって実験が前に進まない状況。

そしてとうとう、このプロジェクトをThesisから外すことを提案された

 

まあ薄々予想はしていたけど、これは自分の中で結構大きな決断だ。

元々このプロジェクトは結果がポジティブでもネガティブでも、自分の領域の医療者なら誰もが興味あるであろう内容で、自分のthesisの中心に据えるつもりでいたので少し残念。

 

ただ、既にメインの実験を90%ほど終えたもう1つのプロジェクトだけでthesisとしては十分なデータが得られそうで、無理をする必要がないのも確かだ。

 

オーストラリアで研究を始めて「スムーズに行くと⚪︎⚪︎ヶ月で終わる」という想定が実現することは皆無で、大体2倍ぐらい見積もっておくのがよいと学んだ。そう考えると、自分のコントロール外で実験がキャンセルされまくっているこの状況に悩まされるよりは、さっさと見切りをつけてしまった方が良いのかもしれない。

 

指導教官側としても、PhD学生に対してthesisに必要十分な量以上のプロジェクトを課すのは、その学生のやる気・希望の如何に関わらず、安い労働力を搾取していると捉えられかねない、という懸念があるらしい。

 

プロジェクト自体が消滅するわけではないので、可能な範囲で実験を進めて後任の人に引き継ぐというのが現実的かな、というところ。

 

5月の中頃に博士課程2年のprogress review meetingで相談して承認になる見込み。

論文執筆は大詰め

上にも書いた通り、この2ヶ月はライティングの時間をたくさん取れて、半年かけて書いた論文が投稿間近になった。本当に長かった。

 

前回も書いたが、

"There is a very long way to go before this is of a publishable standard"

"This still requires a lot of work before it should be shared with other authors"

的なコメントと共に真っ赤になった原稿が返ってくる、がしばらく繰り返された。

 

しまいには、1人が直したものに対して他の人が「いやこれは違う」とケチをつけたり、複数のビッグネームから相反する意見をもらったりするカオスな状況に陥り、このやり取りは永遠に終わらない気さえした。

 

当然だが、内容もさることながら、ライティングスタイルなども各自こだわりがあると学ぶ良い機会でもあった。

 

少し愚痴を言わせてもらうと、そのこだわりが前面に出過ぎたフィードバックには戸惑うこともあった。例えばXXX decreased significantly かXXX significantly decreasedか、それはfirst author(私)とlast author(主指導教官)の好みでよくないか?と思う。フィードバックする人たち同士で修正し合うのを見ると非ネイティブの私はどうしたらいいか全く分からない。ちなみに私個人としては(特にXXXの部分が長いほど)後者の方がしっくりくるのだがこれは自分がフィードバックする立場になった際に気をつけようと思った点でもある。

 

で、そんなカオスな状況は最終的にはlast authorにまとめる責任があって、彼が直接話して折り合いをつけたりして収集がついた。特にDiscussionの中核部分に関しては、私の初稿の跡形はほぼなくなったが、それなりに良い仕上がりになった気がする。

 

最初の頃の「この膨大なデータをどうやってまとめたらいいんだ...」という状態を思えば、投稿できるレベルまで少しずつ磨き上げられていく過程は、かなり興味深いものだった。途中の味わった絶望感も含めて、長く記憶に残るに違いない。

 

この原稿、5月初めにひとまずIF40(!)ぐらいのジャーナルに投稿予定。ダメなら20ぐらいのもの。いずれにしても採用されたら私としては夢のようなのだが...果たしてどうなるか。まあ一筋縄ではいかないだろう。あまり期待せずに待つ。

今の心境

2年経って感じることは色々ある。賞をもらったり嬉しいこともいくつかあったし、それなりに楽しくはやっている。

 

しかしあえて1つを挙げるなら、やはり海外博士課程の「修行感」かな、と思う。

 

苦労して積み上げた少しの自信や達成感を一瞬にして打ち砕かれる、の繰り返し。

そして根底には常に漠然とした不安感。

 

前者については、留学前から予期していたし、自分の成長の過程として時間の経過と共にある程度は消化できる。

 

一方で、後者についてはいまだに良い対処法が分からない。留学前には予期していなかったこの心境。表現が難しいのだが、「常に試験前」みたいな感覚とでも言おうか...これがボディーブローのように効いている。そして残念なことにこの不安感は、博士課程の終わりが近づくにつれてさらに増していくことは目に見えている。

 

結局、今の自分がやっていることは、研究うんぬんではなく、「己と戦い」みたいなもので、これってまさに修行そのものなのでは?と思う今日この頃。

 

少しネガティブな感じになっているが、実際そんなに悪くはない。海外PhDに挑戦したことに後悔は全くないし、数年前に戻っても同じ選択をするのは間違いない。ただ、元々超ポジティブな人間でもない、むしろ心配性な性格なので、それなりに精神をすり減らしながらやっている、という話だ。他人に対してなら「いや大丈夫だよ」と確信を持って言えるのに、自分のことになるとそれができない不思議。自分の性格は変えようと努力してもなかなか変わらない。

 

「これまでも色々乗り越えてきたから今回も大丈夫」。心の底ではそう思うだけの自信はまだ残っているので、それを頼りにやっていこうと思う。

グレートオーシャンロード日帰り旅行

少し前になるがイースター休暇中にグレートオーシャンロードへ日帰り旅行に行ってきた。

 

ビクトリア州の超有名観光スポットとして知られるグレートオーシャンロード。

visitgreatoceanroad.org.au

メルボルンから南西方向に2ー3時間

ずーっと行きたいと思っていて、イースター中についに実現できた。

 

ただし今回は娘のBirthday Partyでの出費がかさんだのと、そもそも計画が直前すぎて安いホテルが確保できなかったので日帰りだった。

 

今回は日帰りということもあり、往路は内陸の最短ルートで十二使徒まで行き、そこからグレートオーシャンロードで戻ってくる計画。

朝8時頃に出発、車の中で朝食を摂りながらひたすら走る。

往路 Colac経由の内陸ルート

時間ほどかけて十二使徒の駐車場に到着。昨年末にシドニーまでの長距離運転を経験したおかげで2、3時間の運転が苦にならない。

 

十二使徒はおそらくグレートオーシャンロードの一番の見所。英語だとTwelve Apostles。何回読んでも覚えられない。

息を飲む絶景に感動!

続いてグレートオーシャンロードをメルボルン方向に走る。Apollo Bayでの昼食前に、少し道を外れて野生のコアラを探す。

この辺に野生のコアラがたくさんいるらしい

事前情報を元に、道路脇の小さなスペースに停めたりしながら捜索。

Great Ocean RoadからCape Otway Lightstationに向かう道のユーカリ

そして発見!!

心なしか動物園のコアラより可愛い気がする(多分気のせい)

最初見つけるまで少し時間がかかったが1匹見つけると次がどんどん見つかる不思議。

結局30分ほどで合計8匹ぐらい観察して満足。

ちなみにKennet Riverという有名なコアラスポットもあるが今回は行かなかった。

 

そしてApollo Bayのレストランで遅めの昼食。シーフードパスタ2種類と牡蠣。

www.apollobayseafood.com.au

手頃な価格で料理も一瞬で出てきたし味も悪くなかった。片方のパスタは何故かめちゃくちゃ伸びてたけど。

 

そしてビーチで子供たちを遊ばせる。少し肌寒い中子供たちはよくやるわ。

おそらく今シーズン最後の海遊び

この時点で夕方4時過ぎ。すでに日が傾き始めている。

 

またグレートオーシャンロードをメルボルン方面に走る。その名の通り、海沿いの道で眺めがとても良い。

 

途中、ふらっと灯台に立ち寄る。Split Point Lighthouse。

適当に立ち寄ったが運よく絶景に出会えた。

夕陽に輝く海

振り向くと灯台

なんと駐車場付近では野生のウサギにも遭遇。

 

しかし予定よりかなり長居をしてしまい、日暮れ近くになってしまった。こうなると道路に飛び出してくる動物たちとの衝突リスクが心配。(日の出と日の入り前後が彼らの移動の時間帯で危ないとよく言われる。)

 

家路を急ぎつつ、カンガルーが居そうな草原横に停車して目を凝らすと案の定大量のカンガルーを発見!

 

いよいよ真っ暗になってきたのでTorquay(グレートオーシャンロードの始まりの町)の手前で内陸に進路を変えて帰路についた。

 

結局家に着いたのは21時半過ぎ。長い1日だった。

リピート決定

この日は絶景はもちろん野生のコアラ、カンガルー、おまけにウサギにまで出会えて、自然豊かなオーストラリアの魅力を存分に堪能できた。

人気のスポットになるのも納得が行く場所だった。ということでリピート確定。

 

今回は日帰りで時間が限られていたので、今度は是非泊まりで行きたい。

12使徒から先にもチャレンジするのと、Apollo BayからTorquayに向かう海沿いの道の途中には小さな町がいくつかあって(Lorneとか)、そこに泊まってのんびり過ごすのもかなり楽しそう。

娘のBirthday Partyを開催

3月末に娘が6歳になった。今回は娘の希望でBirthday Partyを開催したのでその記録。

Birthday  Partyという文化

こちらでは子供の誕生日にBirthday Partyがよく開かれる。

 

日本ではあまり馴染みがないが、親がパーティを主催して、子供の誕生日を仲の良い友達に祝ってもらうのだ。場所代、アクティビティ参加費、料理、お土産(パーティバッグ)などは主催者(祝われる子供の親)が負担して、代わりに参加者はプレゼントを持参するという文化。

 

メルボルンに来て約2年、娘もそれなりの数のBirthday Partyにお呼ばれしてきた。

付き添いで参加する度に、準備する親は大変だろうなぁなんて他人事のように考えていて、うちは家族で祝えばいいかと思っていたが、娘がそれを許してくれなかった。友達のパーティに参加するたびに「自分もパーティをやりたい」「誰々を呼びたい」と話すように。結局それに押される形でパーティを開催することになった。

パーティー=結婚式

Birthday Partyの開催場所は大きく分けて、パーティースペースと公園の2つ。

 

パーティースペースは場所とアクティビティをセットで提供してくれる。プレイセンター(屋内遊び場)はもちろん、動物園や博物館、ダンス教室、アートスタジオなど、調べると本当に色々なところがパーティプランを提供していて、いかにBirthday Partyが一般的な文化なのかが分かる。

 

場所代を基本として、アクティビティ、軽食、パーティバッグなどのオプションがいっぱいあって、基本的にはお金を払えば払うほどパーティは豪華になり主催者の手間は減る。逆に自分たちで頑張れば安く済む。そういう意味では結婚式と全く同じだ。

 

公園でやる場合は、場所取りをしたり軽食や飲み物を自分たちでセッティングしたりと結構大変で天候のリスクがあるが、場所代はかからないし天気が良ければピクニック気分で最高に気持ち良い。もちろん料理を外注したり、イベンター(例えばプリンセスに扮してダンスやフェイスペインティングをしてくれたりする人)を呼んだりすることも可能である。

日程と場所を決める

さて、娘のBirthday Partyをやると決めたら、まずは日程決めと場所探し。日程は誕生日の週末の日曜午前、場所は娘の希望に合わせて工作ができるアートスタジオを探す。

 

結局、住む地域から車で20分ほど、公共交通機関でもアクセスが悪くない場所が見つかったのでそこを予約した。1時間半でスライム作りなどのアクティビティができる。娘の希望通りの場所が見つかってよかった。

招待状を送る

1ヶ月半前に娘に呼びたい友達をなんとなく聞いて、会場のキャパと予算でどこまで呼ぶかを決めて、親に招待状付きのメッセージを送る。呼ぶか呼ばないかの線引きがなんとも悩ましかった。

 

↓招待状はここで作った

https://www.canva.com/invitations/templates/birthday/

 

結局学校の友達を中心に、日本人の友達も数人、合計20人ぐらいに招待状を送った。数人は都合がつかず欠席と予想していたが、なんと全員が出席の返事だった。

店とのやりとり、ケーキの手配、パーティバッグの準備

その後は、パーティー会場とスタッフと主にメール、たまに電話で連絡をとって、当日にやるアクティビティを選んだり、食物アレルギーの子の対応の調整をお願いしたりした。

 

誕生日持ち込みのケーキは日本風の美味しいものを出したいということで、インスタで見つけた日本人のお店にお願いした。前日夕方に受け取り、一晩自宅冷蔵庫で保存して当日会場に持ち込み。

www.hakucustomcakes.com.au

見た目も味も最高だった

パーティーバッグもちょっと日本感を出したくて、白地の紙袋に和柄の折り紙で装飾、日本のお菓子をいくつか入れた。

日本らしさを出した袋 中にお菓子や小さいおもちゃを入れる

誕生日会当日

初めての誕生日パーティーということで直前まで色々不安で、心配性の妻は数日間うなされていたようだ(ここまでの準備は全て妻がやってくれていたので)が、本番は子供達が楽しそうにしてくれて安心した。

 

スライムを作り、途中少しダンスをして、バスソルトに色をつけて、軽食を食べ、最後にバースデーソングを歌ってみんなでケーキを食べた。

 

パーティー中の様子

とにかく会場のスタッフがすごくて、終始ハイテンションで子供たちの心を完全に掌握して、動物の群れの相手をするかのように子供達を操っていた。やはりプロはすごい。

 

主役の娘は少し恥ずかしそうだったが、大量のプレゼントをもらい、友達に囲まれて幸せそうだった。

普段送り迎えをほぼしていない私にとっては、娘が学校の友人たちとどのように接しているのかを知る貴重な機会でもあって、それなりに上手くやっていそうなことを確認できてホッとした。

 

1時間半満喫して、最後は子供にお土産のパーティバッグを渡して無事終了。

せっせと荷物を運び出し、会計を済ませ、大量のプレゼントを車に乗せて帰宅。

大量のプレゼントの前でポーズを取る娘

自宅に帰ってから参加してくれた人たちそれぞれに対して、お礼のメッセージと共に娘がプレゼントを片手にお礼を言う動画を送った。

頑張った甲斐があった

準備段階から約2ヶ月半、手間暇かけて準備した甲斐あって、無事Birthday Partyを終えることができた(妻、ありがとうございます)。慣れない異国の地でジャパンプライドまでしっかり出せたのはなかなかすごいと思う。

 

ただし、労力的にもお金的にも毎年はできない。娘には「来年はやらないよ」と強く念押ししておいた。息子もやりたいとか言い出したけど、今年は絶対やらない。2〜3年後小学生になって、もしまだオーストラリアにいたら1回ぐらいやってあげないとな。

息子が幼稚園へ

1月末に長いスクールホリデーが終わり、新年度が始まった。我が家の一番の変化は、息子が幼稚園に通い始めたこと。

息子、幼稚園児になる

2歳直前にオーストラリアに来た息子。しばらくはどこにも通わず、常に親と一緒に過ごしていた。娘に比べると発達もゆっくりで、英語はおろか日本語も拙い状況だった。

 

このままではマズいということで、チャイルドケアに通い始めたのが去年の6月。

taku-fcb.hatenablog.com

コロナ禍で産まれ、外の世界に触れる経験が極端に少なかった息子にとっては大きな変化だったと思う。

 

最初の頃は少し嫌がることもあったが、終盤はすっかり慣れて楽しんでいた。

 

週1回だったこともあり英語を自分から話す様子はほとんどなかったが、他人の言っていることはある程度理解できるようになったらしい。多少なりとも集団行動も身についたし、日々の刺激が増えたおかげか日本語も大きく成長した。

 

そして今回、満を持しての幼稚園(3歳キンダー)デビューである。

初登園の様子

初登園日は大学院の仕事を遅らせて、息子を見送りに。日本のように入園式で大々的に祝う習慣はないが、両親で送りに来て写真を撮ったりしている家族が多かった。

 

息子はしばらく前から入園を心待ちにしており、当日も意気揚々と初登園。初めての教室、初めての友達に怯む様子は全くない。むしろ教室内に置かれた色々なオモチャに目を輝かせている。数ヶ月前から「もうすぐ幼稚園!楽しみだね!」と吹き込んでいたのが功を奏したようだ。

どハマりしているスパイダーマンで全身コーディネート

親と離れる際も特に寂しがる様子もなく「バイバーイ」と言って去っていた。

あまりにあっけなくて肩透かしをくらった気分だったが、それと同時に、成長した息子の姿にジーンときた。

 

それから2週間余り、相変わらず楽しそうに通っている。友達数人の名前を覚え、お弁当ももりもり食べ、トイレにもきちんと自分で行っているらしい。

 

いやいや驚いた。まだまだ手はかかるが、親の想像をこえる成長を見せている。これから2年間、幼稚園生活を通してどんな姿に育っていくのか、本当に楽しみだ。

 

ちなみに今年度、3歳キンダーは週2日、合計15時間(政府の方針で拡大中)でお金はかからない。チャイルドケアでは1日170ドル近くかかっていたので金銭的なメリットもかなり大きい。

娘は小学1年生に

娘(5)はPrep→Year 1へステップアップ。

 

1年前Prepに入学した頃の初々しい姿が懐かしい。

taku-fcb.hatenablog.com

最近は頭を悩ませていた登校しぶりもかなり減って、こちらも成長を感じられる。

 

週5で現地校に通っているだけあって英語力は伸びていて、家では英語でぶつぶつ喋りながら遊んでいる。今はまだ日本語の方が喋りやすい様子だが、意識して学ばせないと逆に日本語が弱くなりそう。

 

新しいクラスはYear1&2の2学年混合クラス。2学年をどうやって教えるの?と思ったがオーストラリアではこの方式のクラス編成を取り入れている学校がそれなりに多いようだ。

 

12月の中旬に新しいクラス分けが発表され、一番の仲良しが再び同じクラスになった娘は大喜び。今はほぼ毎日一緒に過ごしているらしい。

 

さらに、娘に関しては新年度から習い事が増えた。これまでのバレエに加えて、本人の強い希望で水泳とパフォーミングアーツ(歌、演劇、ダンスなど)を開始。ついでに土曜日の日本語補習校もあるので大忙しである。

 

コミュニケーション能力の高さは相変わらずで、習い事で出会う初対面の子供ともすぐに打ち解けているようだ。もちろんその他の面で不安要素は多々あるが、この長所を維持して伸ばす機会を与えてあげたいと思っている。

まとめ

親の心配をよそに子供たちは確実に成長している。

 

子供を連れての留学は金銭面、時間面で大変なことも多いが、それ以上に彼らに救われていると思う。どんなに研究がうまくいかなくても、どんなに気分が落ち込んでいても、家に帰れば私に存在価値を与えてくれるのだ。

 

子供の成長についてはまた時々記事にしようと思う。

年明けからつまずく

今回は年明けからの研究の話。

 

今年の仕事初めは1/2。クリスマス休暇を延長する人が多い中、しっかりカレンダー通りにスタートした。

 

1週目は事務手続きや少しライティングをして、2週目から実験を開始。

 

クリスマス期間にリフレッシュできたし、皆の気が抜けている1月に実験をバンバン進めて、ロケットスタートを切るつもりで意気揚々と実験を始めた。

 

 

 

 

…が、完全に見通しが甘かった。

 

 

 

 

新年1発目の実験は全くうまくいかずデータが取れず。

 

2発目の実験は測定器具が上手く動かず私の実験から別の実験にプロトコル切り替えになった。

 

いちいち一喜一憂することでもないと頭では分かっているのだが、出鼻をくじかれた形でがっかりした。

 

が、実験とは本来そういうもので、予定通りに進むと期待する方が間違いなのだ。少し実験から離れていたからすっかり忘れていた。

 

このプロジェクトは私の博士論文の後半を構成する大事なもの。博士課程のスケジュール的に年末までにメインの実験を終わらせる必要があるのだが、どうも雲行きが怪しい。

新規プロジェクトの始動

1月後半はラボも本格的に動き出して、もう1つの新規プロジェクトが始動。

 

これは私を含む複数のラボメンバーのshared project。ただ、去年で一区切りついた私のプロジェクト(博士論文の前半)が元になっているので、プロトコルなどを熟知している私が中心的に関わっている。

 

このプロジェクトが難しいのは、外部の協力者によって日程が決まるので他の実験に関係なく実験がねじ込まれてくること。

 

うまくタスクの分散ができればいいのだが、私はどうもそういうのが苦手なようで一人で抱え込みがち。仕事をしてくれない同僚に密かに腹を立てたりして、開始直後にしてかなりストレスを溜めている。

 

ちなににこれ自体は博士論文には含まない予定なので、あくまで自分のプロジェクトを終えることを最優先にしながら、このプロジェクトにもコミットしなければいけない。これが簡単ではなさそうで、どうしたものかと頭を抱えているのが現状である。

執筆活動もイマイチ

去年からやっている論文執筆も思うように進んでいない。去年の8月頃は「年内にサブミットを目指す」とか言っていたのに、遅れに遅れて、もはやいつになったら投稿できるのやら、という感じ。

 

去年までに済ませていたIntro, Methodsに加えてResultsを1月中に書いて送り、指導教官からのフィードバックをもらって直して、 さらに他の共著者の2人に送ったところ、そのうち1人から

 

There is a very long way to go before this is of a publishable standard.

 

と手厳しいコメントをもらい、原稿が真っ赤になって返ってきた。

 

なんというか…心の準備をしていても、誰もが経験することだと分かっていても、ありがたいことだと分かっていても、辛辣なフィードバックにはダメージを負わされる。

 

ものすごい時間とエネルギーを割いて実験して、大量のデータを時間をかけて解析して、やっと執筆した原稿にタフなフィードバックが入る。

 

元気な時なら「これぞPhDの醍醐味!」とか言えそうだが、今はネガティブな思考に囚われている。「自分で選んだとはいえ、この茨の道に本当にそれに見合う価値があるのだろうか?」などと要らぬ疑問が頭の中を占拠し、私から考える力とモチベーションを奪っていく...。

 

 

実験がうまくいかず執筆も思うように進まない、流れが悪すぎる2024年のスタート。

忍耐力が試される今日この頃である。

気晴らしに行ったカフェ

 

 

 

 

2024年の抱負

去年に続き今年の抱負を挙げたいと思う。

生活面での目標

・健康増進:週2ジム通い

去年の振り返りでも書いた通り、健康状態が研究生活にも悪影響を及ぼしている状況。なので今年は健康増進が一番優先度が高い。

 

早速家に近いジムに登録したので、継続して通うのが目標。逆にハマりすぎて筋肉中心の生活にはならないように気を付ける。

 

ついでに家族の健康も大事。息子はここ数ヶ月ようやく足の症状が出なくなった。と思ったら新年早々家の中で転んで額をパックリ切り、病院で縫合処置を受ける羽目に。

 

出ていくお金も馬鹿にならないので病院にかかるのはできるだけ避けたい。このままだと息子と私で渡豪前に払った医療保険の元が取れてしまいそうな勢い。健康大事。切実に。

 

・フルマラソン完走

健康増進の延長でせっかくなのでフルマラソン完走を目指すことに決めた。

 

・IELTS 8.5

まだまだ英語には苦労しているのでコツコツ勉強を続けたい。そしてできれば年末にもう一度IELTSを受ける。Writing、Speakingでもう少し良いスコアを取れれば不可能ではないはず。

研究面での目標

・論文2本出版、2本投稿(生産力の向上)

PhDも佳境を迎える今年。それなりのアウトプットが絶対条件。First Authorで少なくとも2本出版、2本投稿は達成したい。この他にCo-authorでの論文が少しでれば嬉しいが。

 

残念ながら現状は論文を書く生産力が全然十分なレベルに達していない。今年の執筆を通して、自分の中での論文執筆に対するハードルをもう少し下げられるようにしたい。

 

・国際学会2回、国内学会2回発表

イギリスでのInvited talkの他、アメリカの国際学会に参加するのが目標。他にも定期的に学会発表の機会を得て、プレゼン能力を磨きたい。

 

・PhDの終わりに目星をつける

私のPhD終了予定は2025年5月〜11月。それを考えるとin vivoの実験は今年中に終わらせないといけない。片方のプロジェクトはやっと今月から再スタートの予定なので気合を入れて頑張りたい。

 

・PhD後の職探しの準備

書類申請の準備、こちらのICUドクターたちとの必要なネットワーク作りなどをしっかりやりたい。

 

飛躍につながる1年になりますように。

クリスマス旅行2023③:シドニーの夜景、そして帰路へ

シドニーへのクリスマス旅行の記録その③(最後)。

5日目:ブルーマウンテンとシドニーの夜景

この日は世界遺産Blue Mountainsへ。

シティからは車を飛ばして1時間半ほど。直前に12時間の移動を経験したのでとても近く感じる。

 

急勾配のトロッコやケーブルカーがあるScenic Worldは予約がいっぱいで断念。それでもLincoln's RockとEcho Point(Three Sistersが見える有名な場所)の2か所を訪れ、息をのむような絶景に感動。

Three Sisters

大人だけならウォーキングを楽しむのも魅力的だが、約2時間の滞在でも充実感たっぷりだった。

 

次なる目的地は、家交換をした家族がオススメしてくれたアップルサイダーの醸造所。山の裏側に位置しており、Echo Pointからは1時間ほどのドライブ。

hillbillycider.com.au

ワイナリーと同様にレストラン併設で、アップルサイダーの飲み比べセットとピザで贅沢な時間を過ごした。

店内には樽が並ぶ

左端の白く濁ったサイダー(Scrumpy Cider)が一番美味しかった

 

ちなみにアップルサイダーとは発酵したリンゴ果汁から作ったアルコール飲料のこと。初めて飲んで、予想以上の美味しさに驚いた。ほぼジュースのようなものからスパークリングワインに似た味わいのものまで、様々な味を楽しむことができた(個人的には後者の方が好み)。

このお店、雰囲気も含めて◎。最短ルートからは外れるが、車でBlue Mountainsに行く人には是非オススメしたい。

 

 

その後は一旦滞在先に戻って、再びCircular Quayへ。今回は夜景を楽しむのが目的。

夜のOpera House

夜のHarbour Bridge (フェリーから)

夕食の場所を色々物色するも結局WhaleBridgeに落ち着く。牡蠣とムール貝で再度乾杯!

食べ終わってブラブラしていると、オペラハウス裏から上がる花火も見ることができた。

6日目:Manly Beachへ

この日は1日ビーチで過ごす予定でCircular Quayからまたまたフェリーに乗りManly Beachへ。ここで子供たちを丸1日遊ばせた。

快晴で絶好のビーチ日和

楽しかったのだが、日差しが強すぎてテント持参+日焼け止め塗り直しても夜には肌が真っ赤になってしまった。やはりオーストラリアの紫外線は恐ろしい。

 

1日ビーチで遊んで子供達も満足したかと思いきや、娘がまさかのプールをリクエストしてきた。仕方なく滞在先のマンションのプールに行き1時間ほどさらに遊んだ。ビーチ→プールは大人でも流石にキツい...クタクタになって最後の夜は終了した。

7日目:世界一の朝食→帰路へ

いよいよシドニー最終日。部屋の片付けを済ませて10時過ぎに出発。

最終日は日本でも有名なBillsへ。

www.bills.com.au

本店であるDarlinghurst店に向かうも行列が出来ていて断念。代わりにSurry Hills店に少し並んで入った。

「世界一の朝食」だそうです パンケーキ確かに美味しかった

ブランチを済ませ、いよいよ帰路へ。

往路で様子が分かっている分多少気楽ではあったが、やはり長距離ドライブはそれなりの覚悟が必要。

 

旅の最後に12時間のドライブはキツすぎるので、中間地点のAlburyで一泊することにした。

 

途中HolbrookにあるSubmarine Parkに立ち寄った。

ラボの同僚にオススメされた 古い潜水艦が遊び場になっている

休憩を挟んで合計6時間ほど走り、無事Alburyのモーテルに到着。そこで一夜を過ごした。

8日目:Alburyからメルボルン

翌朝、Alburyから再び車の旅。AlburyはNSW州とVIC州の境目のまあまあ大きい街で、博物館やダム、公園など観光スポットがいくつかあった。しかし妻が体調を崩したこともあり観光は一切せず、真っ直ぐ帰路に着いた。

 

途中Euroaという閑静な田舎町でトイレ休憩。

美しい公園でトイレ休憩

4時間ほど走り15時過ぎに無事メルボルンの自宅に到着。クリスマス休暇の旅はこうして幕を閉じた。

まとめ

メルボルンシドニー間のドライブは、予想していたよりはずっと快適だった。ロードトリップという新境地を開拓できて少し誇らしい気持ち。ただやはり移動疲れは半端なかった。お金に余裕があれば普通に飛行機移動が良い、というのが正直な感想。

 

久しぶりに訪れたシドニーの街はやはり素晴らしかった。観光客感丸出しでベタな観光スポットばかりを巡ったが、また来たいと思える素晴らしい場所ばかりだった。美術館や博物館にも足を運びたかったが、そういう文化的な営みは子供がもう少し成長してから。

 

2022年は田舎町のBright、2023年は都会Sydneyで夏のクリスマス。全く違う楽しみ方が出来た。

 

さて来年はどこへ行こうか。ゴールドコースト?海外に足を伸ばしてフィジーやNZ?そろそろ日本の正月も恋しい。