Like a Rolling Stone by Bob Dylan

ライク・ア・ローリング・ストーン

 

http://www.ameneko.net/rusty-knife/2014/140210/LikeARollingStone.jpg

 

 

君も昔は綺麗に着飾っていた

浮浪者に小銭を投げてやっていたよな

皆が言っていた「気をつけろよ、今にお前もああなるぞ」と

でも君はただからかわれているだけだと思っていた

好き勝手やっている奴らを、君は笑い飛ばしていた

今やあんなでかい口は聞けないな

食い扶持に必死になっている自分に

誇りを持っているようにも見えないな

 

どんな気分だい?

帰るところもなく

そこらに転がっている石みたいに

誰にも気にかけられないってのは

 

君は最高の学校に行ったんだよな、ミス・ロンリー

それでも振り回されてぐちゃぐちゃになるだけだった

外に出たらどうやって生きていくかなんてことは誰も教えてくれなかった

でも今君はそれをしなければならない

わけのわからない浮浪者と折り合いをつけるなんて絶対しないと君は言うが

君はもう気付いている

いくら抜け殻のような彼の目を見つめて

取引をしないか?なんて言ったところで

彼は口実なんか売ってくれない

 

どんな気分だい?

帰るところもなく

そこらに転がっている石みたいに

誰にも気にかけられないってのは

 

君を騙している道化たちのしかめっ面を

振り返って見ようは決してしなかった

他人が君の代わりに君の楽しみを得ることに

いいことなんか全く無いってことを君は理解できなかった

君が乗っていた競走馬には

シャム猫を肩に乗せた外交官も乗っていた

でも君から奪えるだけうばったら

彼はどこかに行ってしまったことに気づく

全く、やってられないよな

 

どんな気分だい?

帰るところもなく

そこらに転がっている石みたいに

誰にも気にかけられないってのは

 

尖塔に住むお姫様とその他の小綺麗な人々

皆酒を飲み、自分は成功者だと考えている

彼らは高価なプレゼントを交換し合っている

君はそのダイアリングを外してしまえ

そんなものは質に入れてしまえよ!

君はボロを着たナポレオンと彼の言葉を嘲笑っていた

彼のもとに行け!呼ばれているぞ!断ることなんかできないぜ

何も持っていないってことは、失うものも無いってことだ

君は透明人間だ 隠すべき秘密なんてありゃしない

 

なぁ、どんな気分だい

一人ぼっちで、故郷への道も無い

誰も君のことを知らない

そこらに転がっている石みたいなもんってのは

 

【翻訳】好きなことを仕事にするべきか?

 

引用元→Do you have to love what you do? by Jason Fried of Basecamp

 

  スタートアップ向けのセミナーや刺激的なスピーチを聞けば、何度もなんども耳にするアドバイスがある。「好きなことを仕事にするべきだ!もし今の仕事が好きではないなら、家にいた方がずっといい」。他ならぬスティーブ・ジョブスはかの有名なスタンフォード大学の2005年の卒業式でこう言った。「偉大な仕事をする唯一の方法とは、自分の仕事を愛することです。あなた方がもしそれをまだ見つけていないなら、探し続けてください。決して適当なところに落ち着いてはなりません」。

 僕はそうは思わない。

 

 好きなことを仕事にするのには、もちろん何も悪くない。ただ、それはビジネスを始めることや、満足いくキャリアを積むことや、ましてや偉大な仕事をする上での前提条件ではないだろう。実際、本当に成功した人が愛のために持てる力のほとんどを注いだというのは、大富豪がお金なんて重要じゃないといういうようなもので、ちょっと信じがたい。人は往々にして、自分のモチベーションや歴史を美化したがるものだ。そういう人は、今自分にとって大事なものを重視するが、若いころ本当に重要だったことについては忘れてしまっている。それが人の性であり、よく起こることだ。

 僕が思うに、多くの偉大なビジネスやイノベーションは実際のところ、フラストレーションや時には憎悪から生まれている。Uberの共同設立者であるトラヴィス・カラニクとガレット・キャンプがカーシェア・サービスを始めたのは、なにも彼らが運送やロジスティックスが大好きだったからではない。サンフランシスコでタクシーが捕まらずうんざりさせられた経験があるから、彼らはこのビジネスを始めた。カラニクはUberの経営を今は楽しんでいるかもしれないが、彼は家に帰る手段がないことにほとほとうんざりしていた。

 ある夜パリで行ったデタラメなブレインストーミングが、このフラストレーションを数10億規模の会社の種に変えた。

 僕は機会があればいつでも起業家と話をするが、彼らの会社の多くは同様の理由で形になった。起業家たちは、それまで存在しなかったものを欲しかったか、今あるものよりより良いものを生み出す機会を見極めていたから、新しいビジネスが生まれた。

 対象への愛は彼らのストーリーにおいて重要かもしれないしそうではないかもしれない。しかし、既存の選択肢への憎悪や強い意見こそがより良い前兆なのである。

 僕自身のキャリアも例外ではない。90年代中頃、僕は音楽のコレクションを記録しておくシンプルなツールを探していた。しかし既存のプログラムはどれも、詰め込みすぎか不必要に複雑に思えた。どちらも僕が大嫌いなものだった。そこで僕は自分でツールを作り始め、最終的にそれをオーディオファイルという名前で発売した。音楽をコレクションするのは好きではなかった。ソフトウェアを立ち上げるのも別に好きではなかった(常日頃その勉強はしていた)。ソフトウェアビジネスを運営するといった野望もなかった。一つのニーズがあり、それを満たしただけだった。何もおかしいことじゃない。同じような状況がきっかけで、ベースキャンプという今の会社を始めることになった。

 本当のことを言えば、僕は今の仕事も必ずしも大好きなわけではない。成長中の大企業ならではの責任に加え、事務処理、報告書の作成、日々のこまごまとした仕事-これらで恍惚となることはない。でも他の仕事をするくらいなら、僕はベースキャンプを選ぶ。僕はこれに向いているのだろう。毎日、困難で創造的な仕事に取り組め、未だにより良いプロジェクト管理ツールを作ることは、やりがいのある仕事だと思っている。素晴らしい人々と日々の仕事に取り組むのは、本当に心踊ることだ。

 もし僕が刺激的なスピーチをするのであれば、もしあなたが仕事に成功し世界に本当に貢献をしたいのであれば、本質的には自分のすることを愛していなければならないし、日々その仕事をして過ごすことに幸福を感じるに違いない。愛は育つだろう。もしそうであれば、それは素晴らしいことだ。でもいますぐそれが必要なわけじゃない。まだ存在しないものを欲しいと思うことでも、あなたは成功できるのだから。

 

 

【翻訳】未だ消えぬ震災の爪痕 −The Economist誌より

震災後の日本 東北地方の復興、非効率な対応続く

 

引用元 ↓ 

http://www.economist.com/news/asia/21642216-rebuilding-north-eastern-region-tohoku-being-bungled-grinding?fsrc=scn/tw/te/pe/grindingon

 

 2011年3月11日に東北を襲った大地震と、津波原子力発電所メルトダウンから約4年が経とうとしているが、17万人以上の人が未だに壊滅した海岸沿いの仮設住宅に押し込められている。吉田澄子さんもその一人である。70代の彼女は夫と共に、狭苦しく陰鬱とした仮設住宅に暮らしている。彼女が住む陸前高田は、津波の被害を受けた漁港である。1750名以上がそこで亡くなり、その中には彼女の息子であり、市役所員として人々の高台への移動を手伝っていて被害にあった功さんも含まれていた。住まいと呼べる場所も仏壇もなく、吉田さんは息子をきちんと弔うことさえ出来ないと話す。今は作り付けの卓に置いた写真で間に合わせているが、あまりに長い間悲しみを抑えてきたために、涙さえ出てこないと彼女は言う。

 日本の首相である安倍晋三は、壊滅状態にある東北は経済再生を掲げる彼の計画の試金石であるという。確かに、昨年12月に行われた総選挙の初期段階で障害となったのは、陸前高田の校庭に詰め込まれたプレハブ住宅街である。しかし、他の重大要件が陸前高田の再建よりも優先されたようだ。安倍氏の金融ならびに財政政策で火がついた建築業界の好況は、施工のキャパシティーを東北からより儲かる東京へと吸い取ってしまった。東北地方では、津波で家を失った貧困層や年配者の住居が確保されていない状況で、なぜ首都には2020年のオリンピック用のけばけばしいスタジアムを建てようとしているのか疑問の声が上がっている。甚大な被害を受けた県の一つである岩手県の知事である達増拓也は、政府は東北への興味を失っていると指摘する。

  そもそも、復興には資金、エネルギー、そしてヴィジョンが不可欠であった。震災直後の数ヶ月、被災地の人々は大変な根気を示し、また全国各地からはボランティアが集まった。約2000万トンもの瓦礫はあっという間に取り除かれた。有望な都市計画者たちは、高台に建てられ、再生可能エネルギーによって賄われる新しい都市像を描いた。東北の復興は日本をスタグネーションから引き上げてくれるのではないかと夢想する人さえいた。

 これらの以前の希望を思うと、現実の遅々とした進展は人々を失望させるのに余りがある。海岸沿いどこも、多くのインフラは以前のままで、公営住宅の建築もようやく6つ目が終わったばかりである。荒地と化した陸前高田を車で走ると、カーナビの画面にはかつて家屋やガソリンスタンド、市役所などがあった場所が不気味にも表示される。陸前高田市は未だ、地震で1メートル沈んだ土地を埋め立てるために、近隣の山岳から土を運んでいる段階にすぎない。

 石巻市は、3700人が津波の犠牲にあった宮城県の街であるが、約150世帯ほどが新しい住まいに移っただけで、仮設住宅には未だに12700人もの人が住んでいる。市の職員の中には復興の遅れを東京の官僚制にあるとするものもいる。石巻市長によれば、畑を街区に変更するのに農水省から許可を受けるのに半年かかったという。

 多くの自治体で、資力がある人から住宅を建てるに連れて、当初見られた団結力は弱体化してきている。世代間の不和もある。年長世代は沿岸に立つ町や家系の墓地を離れるのに消極的である。多くの人が牡蠣の養殖や漁業から財を築いてきたからである。若い世代は対照的に、海岸から離れた高台で、より大きく統合されたコミュニティーに住むことを望んでいる。そもそもそんな町が築かれるのかという疑惑は、震災前から進行していた、地域の人口減少を加速させた。被災3県のうち最北に位置する岩手県の人口は、46000人(3%)減少した。

 震災後、日本政府は5年間で25兆円の予算を約束した。しかし、公共の資金被災者へと行きわたるには、システム上の障害が生じている。家を失ったものは、最大で300万円を受け取れる(多くの家屋は無保険だった)。多くの人が経済的に困窮し、しばしば流失した旧家屋の住宅ローンを払い続けており、移転計画のあるコミュニティへの加入を経済的な理由から断念している。

 

 一方、建設計画を立てるのは、地方公務員や中央政府ではなく、建設業界の役員にしばしば取って代わられる。陸前高田市が民間会社に中学校の建設計画を入札にかけたところ、ディベロッパー各社からは3分の1ほど予算が足りないとされ、計画は頓挫してしまった。結果として、地銀各行が自治体に使われていなかった資金を供給した。1360人以上が犠牲になった漁村である気仙沼市では、被災者のための復興住宅街が初めてオープンしたばかりである。建設会社はどこも復興住宅を建てるのを嫌がると、市長の菅原茂は言う。日本の復興庁は、プロジェクトに対する予算は十分であると主張する。しかし、人件費と資材価格が高騰し、各地で建設ブームが起こる中、建設会社にとっては選り好みできる状況である。

 例えば気仙沼市では、67000人の町に70以上の防波堤建設の計画があり、業界は最初の工事に着手するのにやぶさかではない。これらの防波堤は最大で幅90メートル、高さ15メートルにもなるが、これは政府が2011年に東北の沿岸都市を守るために必要だと判断したものである。予算は最大1兆円を見ている。しかし、この防波堤計画は、他で有効活用できる予算まで使い切ってしまう。この巨大建造物は不人気な上に、有効性にも乏しい。国土交通省でさえ、この防波堤は4年前の震災では役に立たなかっただろうと認めている。地元の代表者たちは、中央政府の主張を主な理由に、この計画を進めている。

 被災者から見て、本当の期限は2020年だと判明するだろうと伊藤悟は話す。氏は津波で母親と住まいを失ったが、その後陸前高田の市民を援助するNPOを立ち上げた。オリンピックの時までにまだ被災者が仮設住宅に住んでいたら、「海外の人はどう思うだろうか」と伊藤氏は問う。

 

【翻訳】僕らの机大公開 2015年編(Signal v. Noiseより)

 

引用元→https://signalvnoise.com/posts/3833-what-our-desks-look-like-2015-edition

 およそ三年前、ニックが僕たちの机の様子をブログに載せた。他人がどのように働いていて、どんなものを身近に置いているのか覗きみるのは楽しいものだ。
 でも3年も経てば、だいぶ様子は変わる。なので、僕らの住まいを再び訪れるのも楽しいだろうと思い立った。ニックの投稿以来、世界中から新しい仲間が僕たちのチームに加わったし、新しい人を世界へと送り出すものさえいた!あるものは新しい住まいや新しい場所へ、またあるものは常にとても忙しくしている。僕はエアストリーム〔訳注:キャンピングカー〕を何ヶ月も家と呼んでいたし、一方、えーと、「諸事情により引っ越」し、家庭の最もディープでダークな場所(又の名を、実家)に戻ることを余儀なくされたものもいた。 
 以下の写真は、僕らのチームの様子をちらっと見てもらうものだ。様々な文化や、興味や、個性が素晴らしく混ざり合ったものだ。このような多様なチームであることは100%リモートな会社であることの最大の恩恵の一つだし、そのような素晴らしい人々と働けるのは、最高だ。さあ、ごたくはさておき... 

 

Andrea (Chicago, IL): 

Ann (Chicago, IL): 

Anton (Lake Tahoe, CA): 

Chris (Manchester, England): 

Conor (Santa Clara, CA): 

Dan (Buffalo Grove, IL): 

David (Malibu, CA): 

Eileen (Kingston, NY): 

Eron (Durham, NC): 

George (Pittsburgh, PA): 

James (Berlin, Germany): 

Jamie (Chicago, IL): 

Jason F. (Chicago, IL): 

Jason Z. (Edmond, OK): 

Javan (Ann Arbor, MI): 

Jeff (Fenwick, Ontario): 

Joan (Portland, OR): 

John (Noblesville, IN): 

Jonas (Naperville, IL): 

JorDanée (Airstream, USA): 

Kristin (Portland, OR): 

Matthew (Nanaimo, British Columbia): 

Merissa (Austin, TX): 

Michael (Chicago, IL): 

Mig (Chicago, IL): 

Natalie (Everywhere. Home base: Berlin, Germany): 

Nathan (LaGrange, KY): 

Nick (Buffalo, NY): 

Noah (Pittsburgh, PA): 

Ryan (Nomadic. Home base: Chicago, IL): 

Sam (Chicago, IL): 

Scott (Boulder, CO): 

Shaun (Chicago, IL): 

Sylvia (Sheung Wan, Hong Kong): 

Taylor (Tampa, FL): 

Tom (London, England): 

Tony (Sydney, Australia): 

Trevor (Usually: Chicago, IL. Currently: Bruges, Belgium): 

Wailin (Oak Park, IL): 

Will (Manchester, England): 

Zach (Baltimore, MD):