雨上がりの光明寺

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去年の12月11日

夜、まとまった雨が降りました。

 

見頃を過ぎた紅葉の葉を、

儚くも地面に落とすような雨でした。

 

その日のうちに京都に入り、

明朝、長岡京光明寺へ。

 

僧侶が参道を掃ききる前に、

濡れた石畳を覆う紅を見ておきたい。

 

想像通り、

コントラストが増した綺麗な参道を

この目で見ることができました。

 

2015/12/12

Fujifilm X-T1+XF35mm F1.4

長岡京市粟生 光明寺

デジタルカメラを手放して。

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Leica M3+Summitar 50mm f2 (Kodak 400TX)

2016/07/09

京都市営バス内にて

 

10年前はデジタル一眼レフに憧れ、

フルサイズに憧れ、

機動性の良いカメラに憧れ、

最新機種に憧れ、

いつもデジタルカメラについて

無欲でいることはできませんでした。

 

しかしこの9月から

手元にM3と50mm一本しかない状況を

あえて作ってみることに。

 

とりあえず3週間。

特段不便を感じたことはありませんでした。

むしろ幸せな時間が増えた気がします。

 

■完璧を求めなくなった

デジタルカメラを使っていると、

撮ったら結果がすぐに背面液晶に出る故、

思い通りにいかない絵が出た時に撮り直しをしてしまう。

 

そんなストレスから解放され、

「撮れてなかったらしょうがない。

いや、きっと写ってるさ。」

そう割り切れるようになりました。

 

実際現像から上がってきた写真を見ると、

想像以上にちゃんと撮れてる。

むしろ、60年前のカメラとレンズが

こうして現在の光を捉えてることに感動すら覚えます。

 

 

■煩わしくない
センサーにゴミが入ることもありません。
設定をあれこれいじる必要もありません。
バッテリーを充電する手間もかかりません。

撮ったらWi-Fiを使ってすぐシェア。
その操作と時間がかかっていると、
その場でしか過ごせない時間の多くが
カメラやスマートフォンに費やされてしまいます。
友人やツレにも不快な想いをさせているかもしれません。

そう思うと、
フィルムカメラって潔くていいなって感じます。

 

 

■古くならない

最新機種が出る度、あれも欲しいこれも欲しいと

安くもない買い物をしなければいけないデジタルカメラ

 

新しいものは、すぐに古くなってしまうのです。

だけど、もう既に古いM3は、

古くなることはありません。

むしろ動いていることすら素晴らしいと思うと、

後世までこのカメラの素晴らしさを残したいと、

愛着をもって大切に使うことができるのです。

 

 

■現像する楽しみ

フィルムは現像しなければ写真として見ることはできません。

自家現像でなければ、写真屋さんにお願いするしかないのですが、

大手家電量販店のDPEコーナーも縮小され、

ネガの受け渡しも、ただの商品を購入する時と同じような感覚です。

 

そこで、現像所を一つ決めることを強くお勧めします。

意外と各地にまだあるラボ。

フィルムのことをちゃんとわかっているプロにお願いする事で

仕上がりも調整してくれます。

郵送対応してくれるお店もあり、

サービスでプリントしてくれるところもあったりします。

 

つい先日、旅行先の島根でフィルムを切らした時も、

カメラをぶら下げて入ったら、

熟年の店員が嬉しそうに話しかけてくれました。

 

そんな対面の会話も生まれるのがフィルムの魅力。

プリントして飾れるのもフィルムの魅力。

 

ああ、デジタルカメラをやめてよかったと

つくづく感じています。

 

 

今使っているのは、

露出計もない、オートフォーカスもない、

ズームも効かないカメラです。

でも、逆に何もないから、

全部自分で決めた露出、絞り、ピントで撮影できる。

ファインダーを覗いたら、

もうあとはシャッターを押すだけで撮れてしまう。

これって意外とすごいことだと思うんです。

 

もし、手元にフィルムカメラがあれば、

もう一度フィルムを通してみてください。

初めは不便だと思います。

でも、24枚、36枚、72枚と枚数を重ねるうちに

徐々に面白さ、楽しさを感じられるはずです。

 

そう思えたからこそ、

私の手元にデジタルカメラは必要なさそうです。