高齢者が楽しく買い物できる環境を!買い物リハビリテーションの可能性とは?

家にいながら日用品や食品まで買い物ができる時代。

ネットスーパーの利用者は年々増えており、コンビニの宅配サービスでは利用者のうち高齢者が6割を超えるという。どうやらコンビニは、かつての日本でみられた"御用聞き"としてのポジションを確立しつつあるらしい。

www.nikkei.com

たしかに超高齢化社会に突入した今、体が不自由だったり、交通手段が少なかったり、最寄りのお店までの距離が遠いなどの理由で買い物が困難になっている”買い物難民”が存在する。そういった方々を救うという点では時代が求めているサービスと言えるだろう。

しかし、リハビリテーションの視点で考えると、この流れをすべての高齢者が無条件に享受するのは、あまりよろしくないと考えている。その理由は、高齢者にとっての買い物は、単純に物を得るだけのものではないからだ。

どういうことなのか?では、買い物が高齢者にどのような影響を与えるのかを挙げてみよう。

買い物が身体動作に及ぼす影響とは?

買い物と言えば、当然歩きまわる必要がある。人間にとって歩く事が重要なのは論じるまでもないが、本来、歩く事は目的の為に存在する。ということは、これまた当然ではあるが、買い物時の歩行は買い物という目的の過程で歩くのである。高齢になると運動不足解消を目的とした散歩や運動の時間をわざわざとる事が多いが、買い物に行く習慣があれば、買い物をしている間に自然と歩行距離が延びる為、"運動をしなきゃいけない"という精神負担が少なく時間効率もよいのである。

また、買い物時は刻々と変わる状況変化に対しても柔軟に対応しなければならない。身体機能や買い物量に応じたカゴやカートを選択する。多くの人とすれ違う。商品に手を伸ばす。商品をカゴ(カート)に入れる。徐々に増えていく商品で重量が変化するカゴ(カート)をうまく取り扱う。細かいお金のやりとりを行う。普段私たちが当たり前にしている動作は多くの持久力やバランス能力、巧緻動作を必要とする。これを買い物という目的の中で自然と行うのだ。「単純に便利だから」という理由で宅配だけを選択した場合、こういった生活動作が失われる。その結果、一日の活動量低下をまねき、ロコモティブシンドロームにもつながるのだ。運動習慣がない人ならなおさらである。

なお上記で挙げた内容の一部は、屋外活動と身体機能の関連性を調査した論文でも実証されている。

高齢者の日常生活内容と身体機能に関する研究
島田 裕之1) 2), 内山 靖3), 加倉井 周一2)
1) 老人保健施設二ツ箭荘 2) 北里大学大学院医療系研究科 3) 群馬大学医学部保健学科
日本老年医学会雑誌:Vol. 39 (2002) No. 2 P 197-203

買い物が精神心理、認知機能に及ぼす影響とは?

自分の目で直接商品を比較し、選び、欲しいと思うものをカゴに入れる。ワクワクするような買い物の楽しさを感じたことは誰しもあるのではないだろうか?その高揚感が気持ちを明るくさせる。また、身体面でも挙げたが金銭のやり取りは認知機能面の維持向上に寄与する。そして、買い物には会話がつきものである。店員に対しては、商品を探している時。棚が高くてとれないものがある時。商品の違いを聞きたい時。同じ地域の仲間とは、休養スペースで他愛のない話。会話は相手がいてこそ可能であり、言語、表情、声のトーン、雰囲気、さまざまな要素の相互理解を持って成立する。これを感じとる時の脳の活動量は、独り言をつぶやいたり、話に頷くだけの人を相手にするのとは雲泥の差であり、家での会話が少ない高齢者には認知症予防としても有用だ。加えて、買い物を通じた地域コミュニティの形成としても有用である。これに関しては、下記の論文も参考にしてほしい。

買い物行動における「楽しさ」に影響を及ぼす要因に関する研究
鈴木春菜・中井周作・藤井聡
土木計画学研究・論文集,Vol.27,No.2,pp.425-430,2010

高齢者の為のショッピングカート「楽々カート」

この買い物による効果に着目し、高齢者の疲労感を軽減しながら、楽しくショッピングセンターで買い物ができるように取り組む会社も出てきている。そのひとつが作業療法士 杉村卓哉氏が代表を務める鳥取県の「光プロジェクト株式会社」だ。

杉村氏は、医療、介護の現場である病院や施設で働いていた際に、筋力の低下や関節の痛みで歩けなかった高齢者が、医療用歩行器を使う事でスイスイと歩いている光景を目の当たりにしてきた。一方で同時期に、スーパーでショッピングカートに寄りかかりながらつらそうに買い物をする高齢者の姿をみかけたという。スーパーのショッピングカートは商品を運ぶものである。身体を支えるには不十分であり、安全面も心もとない。この時、医療用歩行器でスイスイ歩く高齢者とショッピングカートでつらそうに歩く高齢者。二人の高齢者の姿が杉村氏の頭の中で重なった。

「たくさんの人がもっと長い距離を歩きながら買い物を楽しめるようになってほしい」

そう考えた杉村氏は病院を退職し、高齢者に楽しく買い物をしてもらえるショッピングカートの開発に専念した。そして、全くの異業種である工業デザイナー 山枡正樹氏、産業技術研究員 佐藤崇弘氏と組み、2011年9月多くの思考錯誤を繰り返し、肘で支える前腕支持型ショッピングカート「楽々カート」を開発したのだ。

「楽々カート」の効果とは?

人間、普段当たり前にできる事にありがたみは感じにくいものだが、その当たり前のことを一度失いかけ、再び取り戻した時の高揚感は多大なものがある。「楽々カート」を使用した高齢者もそうだ。

いつもは20メートル程度しか歩けない女性が、この「楽々カート」を使い買い物をしたところ、背筋を伸ばして歩き、商品を自分の目で見て手にとり選び、その喜びからか、買い物かごを山盛りにして買い物を楽しんだという。これが、認知症予防や介護予防に繋がらないはずがない。

また、別な視点でみると来客してもらう事が肝となる店舗型のスーパーにとっても、少なからず売上面で助けになると考えられる。購買意欲の高まった高齢者が来店することにより、売上向上に繋がる可能性がないとはいえないだろう。店舗自体に高齢者が集まることができる休憩所などあれば、回遊時間や滞在時間が長くなり、なお効果が高いかもしれない。病院の外来受付で茶飲み話をするよりずっと健康的であり精神的にも明るくなれる。

顧客年齢層が高いデパートなどで導入されれば、高齢者のおしゃれ意欲も増し購買意欲がより上がる可能性もある。特に地方にあるデパート、百貨店と言うのは日常の買い物とは違うワンランク上の空間だ。「ここでまた買い物ができる」という喜びが生まれれば、おのずと健康意識も高まるものである。

現在、鳥取県を中心に「楽々カート」の普及は進みはじめているが、まだまだ広まっているとは言えない。買い物に不自由を感じている高齢者は全国に存在する。だからといって【高齢者=ネットスーパーやコンビニ宅配で買い物】と選択肢を狭めてよいものだろうか?

「楽々カート」の存在は「高齢者に再び買い物を楽しみながら、介護予防、認知症予防も図る」という新しい選択肢を提案する。これは、高齢者が楽をする生活環境を提案するのではない。高齢者が楽しく生き生きと生活する環境を提案するのだ。

以上の事から、全国の高齢者にこの選択肢が広がる事を切に望む次第である。

参考:

act.upper.jp

LINEによる遅刻欠勤報告が問題になる4つの理由

スマホと共に育った世代にとって、LINEはコミュニティ形成をなす重要なツールになってますよね。友達とのやり取りといえばLINE。若い世代のスマホユーザーは、大半がそうであると言っても過言ではありません。

もはや生活の一部として確立してしまった感のあるLINEですが、これが仕事に関する事となると、その利用に関して積極的な状況ではない話題があります。

それが、【LINEによる遅刻欠勤報告】です。

LINEを使っての報告がなぜ問題視されるのか?これについて私が考えた4つの理由を上げてみます。

1.LINEを身近に感じている人とそうでない人では、使い方の認識や作業効率の意識が違う

おそらくLINEを日常生活の大半で使い、周囲と連絡を取り合っている人は電話よりもLINEが多いと思います。わざわざ話をするより、サクッと伝えたい事を伝えられる(場合によってはスタンプひとつで伝えられる)のは確かにわずらわしくなく便利なのです。しかし、年齢層が高い世代は、LINEも含め、ケータイやスマホの文字入力がわずらわしいという人もいるという事実があります。そういう人からすると「どういう状況なのか?」もしくは連絡内容以上に知りたい事を、いちいち文字でやりとりすることが手間に感じてしまうものだと思います。

2.遅刻や欠勤について、一方的かつ軽く伝えられた感がある。

遅刻欠勤が業務や取引先に影響が出る場合、欠勤の状況説明を送信者の主観で一方的に通達されるのは穴埋めをする人への説明として不十分では。。と感じる層は多いです。1.とも関連性が高いですが、LINEは使用頻度の高い同レベルの人同士では、無駄なく効率的にやりとりできるツールですが、使用頻度に差があると、口頭のやりとりの方が相互理解が早く、状況についてより深く共有しやすいと感じる世代がまだまだ多いのです。

3.送信者側の「伝えた!」と受信者側の「見てない!」その責任はどちらに?

LINEは相手が読んでこそ伝えられます。自分は伝えたと思っていても相手が何らかの理由でLINEをみていなかったら、用件は伝わっていません。それでも自分はLINEで送ったからOK!読んでない方が悪い!というのは、本当に伝えたといえるのか?これは大きな争点になります。

4.無機質な文字ではなく、直接的な言葉のやりとりを重視する心理

仮に「体調が悪くて休む」といった事例の場合、休むという意思が明確である以上、何をいわれようと休むのだからその事実だけを伝えれば良いと考える人もいるでしょう。ただ、連絡を受ける側が直接、話したくなるのもまた否定できない側面です。例えるなら、遠くに離れた家族がなんらかの災害に巻き込まれたとして、LINEで「大丈夫!」と連絡がきて、「よかった。よかった。」と話をおさめる人は少ないでしょう。声を聞いて確認したくなるのが人情ではないでしょうか。

基本は職場に委ねられる

私の務める職場の所属部門では、業務連絡などについて普通にLINEグループトークなどを使用しています。意見交換が必要な話題だったり、重要度の高い話には使用しませんが、欠勤連絡などはLINEが多いです。これは、職場の人間関係、信頼関係が良好だからとも言えますし、欠員時にバックアップする体制が整っているからともいえます。

根本、LINEというツールはここ数年で利用率が一気に伸びたものです。利用の仕方や認識にギャップがあって当然であり、今回のような話題が討論のテーマになるということは、まさに過渡期に入った証明だとも言えます。各企業や職場主導でどういうスタンスで利用するかを考える時代になったといえるのではないでしょうか。

 

当事者たちが覆した障害を武器にする生き方

最近、障害を持たれた方々の活躍がニュースなどでよく目に留まる。

とても素晴らしい事だが、これって一昔前は考えられないことではないだろうか?

headlines.yahoo.co.jp

www.asahi.com

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と、いうのは、障害者とは守られる存在であり社会全体で支える方々。そんな空気が世間の認識の大半だった気がするからだ。

それが日本において変わってきたのが、乙武洋匡氏の活躍。

乙武氏は先天性四肢切断という「生まれつき手と足がない」状態で生まれたが、「障害は不便です。だけど、不幸ではありません。」という座右の銘を大切にし、自分にしかできないことを追求してきた。

その結果、メディアにもコメンテーターなどで出演される事が多くなったわけだが、これがとても大きい。

以下は、7年前のニュース記事だが、女子プロレスの前座で行われていた小人プロレスに関する記事である。これを読むと特定の人々に社会的弱者のレッテルを張り、ひとまとめにして過度に守ろうとする行為は、彼らの生きぬく力や居場所を奪っていることがわかるのではないだろうか。

news.livedoor.com

障害を持った方々の活躍を、腫れものを扱うかの如くタブー視することこそ問題であり、ありのままに伝えられる下地がメディアにできてきたというのは歓迎すべき事だ。

そして、当事者の方々がさまざまな形で自分の想いを表現し、生きていこうと行動を起こす事は最高のリハビリテーションになるだろう。

ただ、気をつけなければならないのは、障害を持たれている方、全員がそういった強さを持っているわけではない。

一律に「こうやって頑張っていくべきだ!」「この方々のようにあなたも頑張れ!」と、煽りたてるのはそれはそれで危うい。それこそ個人を無視し「障害者とはこうあるもの」とひとまとめにしていた時代と同じである。

個人を認め、それぞれがやりたいと思う事を応援できる世の中になればそれでいい。

当事者たちの気持ちを無視し、世間による「決めつけられた生き方」というエゴを押しつける時代は彼らによって覆されたのだから。

 

糖尿病患者でも家族と安心して外食を楽しめる街!?その内容とは?

生活習慣病として、年々患者数が増加している糖尿病。

厚生労働省による「患者調査」によると、2014年の糖尿病患者数は316万6,000人。2011年調査では270万人だったので46万6,000人増。これはまだまだ伸びると言われている。

その為、食習慣の改善や運動指導について行政や医療側だけでなく、メディアなどで取り上げられる事も常になった。

これに伴い、糖尿病や健康を意識した食事について、ここ数年、栄養コントロールを明確にした飲食店が注目をあつめている。例えるなら以下のようなお店だ。

news.walkerplus.com

gendai.ismedia.jp

このように外食でも健康を意識し、なおかつ美味しい食事を摂るという流れはできつつある。だが、これらは健康食専門のお店であり「健康食を摂りたい」という目的が明確な個人や団体が利用者の大半ではないだろうか。

それはもちろん健全なことなのだが、外食は家族や知人と行く機会も多いものである。そういった場合、健康食のお店を選択して行くことは、そう多くはないだろう。

と、なると普通の飲食店に行くことになるのだが、食事を共にするメンバーに糖尿病を患っている方がいた場合、食事量や内容の調整などについて事前予約が必須であったり、神経を使う事も多々あるのではないだろうか?

その点を考慮すると、街にある普通の飲食店で糖尿病患者向けの別メニューが出てきてもよいのでは?と思っていたが、現実的なことを考えると手間も多く、なかなか難しい事ではないかというのも頭にあった。

ところが、鹿児島県にある「いちき串木野市」が市をあげて「食と健康」をキーワードに、街の飲食店に糖尿病やその予備軍の為のメニューを展開しているという。

詳しく話を掘り下げると、いちき串木野市内の飲食店・弁当店・惣菜店等と市医師会、さらに県も連携し、糖尿病患者等に適した外食メニューの開発支援を行ったというのだ。

その結果、「EATde(いーとで)健康メニュー」という名称の元、市内飲食店15店舗にて以下の条件を満たした21メニュー(弁当含む)が提供され始めた。※平成27年12月31日現在

  • 1食あたりの総エネルギー量600kcal未満
  • 食塩含有量3g未満
  • 栄養のバランス(炭水化物エネルギー比おおむね50~60% 脂質エネルギー比おおむね20~25%)が整っている
  • 市内で生産された食材やご当地グルメメニューを使用した定食、ランチ又はコースメニュー

 ※引用元:糖尿病患者や糖尿病予備軍、肥満を気にしておられる方の予防・改善に!『EATde(いーとで)健康メニュー』を提供開始しました!

これは、時代に合った素晴らしい取り組みだと思う。

いちき串木野市では、糖尿病による10万人当たりの死亡者数や標準化死亡比が全国および鹿児島県対比で高いという問題があった。市民にこの意識を持たせ、糖尿病予防に繋げる効果はもちろん、糖尿病患者には、家族との外食が気軽にできなくなるというストレスも軽減できる。

また、飲食店には経済効果をもたらせるし、地元の一次産業の支援にもなる。健康面における地域コミュニティ形成の場として飲食店がなす役割も出てくるだろう。

私自身、実際に食してみたがボリュームも味も不満は残らなかった。食として十分楽しめるし、食を中心にお店の人との交流も楽しめた。

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※写真は、「創作料理 博」さんの まぐろ舵とり丼ライト

・総エネルギー量:597kcal
たんぱく質:29.0g
・脂質:14.6g
・炭水化物:82.9g
・食塩相当量:2.1g
・野菜の量:122.0

おそらく全国でも先進的な取り組みとなるだろうが、こういった産学(医)官連携による課題解決や自治体の取り組みは今後も増えていくだろう。

そういった意味ではいちき串木野市の「EATde(いーとで)健康メニュー」の今後の広がりや反響に目が離せないところだ。

 

ドローン規制法(改正航空法)の内容と問われ続ける知識とモラル

今年なにかとニュースを騒がせたドローン。

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www.huffingtonpost.jp

biz-journal.jp

これらの事件を受け、いよいよ12月10日にドローン規制法(正式名称:改正航空法)が施行される。まずはその内容を確認していこう。以下は国土交通省のHPで案内されている内容である。

(1)無人航空機の飛行にあたり許可を必要とする空域

 以下の空域においては、国土交通大臣の許可を受けなければ、無人航空機を 飛行させてはならないこととする。

 [1] 空港周辺など、航空機の航行の安全に影響を及ぼすおそれがある空域
 [2] 人又は家屋の密集している地域の上空

(2)無人航空機の飛行の方法

 無人航空機を飛行させる際は、国土交通大臣の承認を受けた場合を除いて、以下の方法により飛行させなければならないこととする。

 [1] 日中において飛行させること
 [2] 周囲の状況を目視により常時監視すること
 [3] 人又は物件との間に距離を保って飛行させること 等

(3)その他

 [1] 事故や災害時の公共機関等による捜索・救助等の場合は、(1)(2)を適用除外とする。
 [2] (1)(2)に違反した場合には、罰金を科す。

引用・転載元 国土交通省 - 航空法の一部を改正する法律案について

細々あるが内容としては、この法律改正は大きく以下の二つの理由に分かれると思う。

  1. 悪意を持った行為を抑制する。
  2. ドローンを落ちるものと前提し不慮の事故に備える。

これらはどちらも今年の事件を考慮してのものだというのがわかる。

1.に関してはテロなどの行為を未然に防ぐという点で皆が納得するだろう。問題は2.である。正直なところ、この落ちるものだという認識に個人差があったため、愛好者にはやや厳しく感じる法律改正に至ったということを重視しなければならない。

実は私もドローンを所有している。地元の自然、風景を今までにない視点から見てみたいと思ったためだ。以下は実際の撮影動画の一つである。


知林ヶ島 【ドローン空撮】 - YouTube

動画を見てお分かり頂けると思うが、私がドローンを飛ばす際はおおむね早朝。人がいる時間やその周囲はさける。世間の目の厳しさを感じるのもあるが、絶対に落ちないという保証がどこにもないからである。

皆がこういったリスクを考え、良識の範囲で使えばよいと思うのだが、やはりそうはいかなかった。その結果が今回の法律なので、しっかり受け止める必要があるだろう。

 しかし、それでも最終的なモラルは使い手次第ということも感じている。

というのは、どんなに人はいなくても動物たちがいる場所もある。例えば、自然豊かな湖などで、鴨やアヒルなどの水鳥が群れでいる場所に何の配慮もなくドローンで近づくというのはどうだろう?法的には問題ないが水鳥にとっては少なからずストレスを与える事になるのではないだろうか?意図しない遭遇の場合は難しいが、動物や環境への配慮、これもまた大切である。
 
また、他の飛行タイプのラジコンに比べ、操縦が容易になったとはいえ、一定の重量を持つドローンについては、操作法や知識に関して講習会の受講を必須としたほうが良いと思っている。これはドローンは落ちるものという前提で作られた法律と考えられる以上、必要になるのではないだろうか?例えば以下のような事が落ちる要因としてあげられるが、玄人のラジコン愛用者以外でこういったことを意識してドローンを操縦している人はどれだけいるのだろう?
  •  電波障害(ロスト):ドローンを操縦する為の電波は主に2.4GHz帯を使っているとされている。これは、WiFiでも使用している帯域なので、人口密集地では電波障害を起こしやすいというのが容易に予想できる。また、コントロール不能(ロスト)時に、GO HOME機能という飛ばした元の場所に自動復帰する機能があるものもあるが、これも上記の理由でうまく機能しない可能性があるのである。
  • モーターとアンプの劣化、障害:一般的に出回っているドローンはクアッドコプターと呼ばれ、四つのモーターで飛行するものだ。このタイプは業務用で使われる六つや八つのモーターを使用したドローンに比べ、圧倒的に落ちやすいと言われる。その理由がモーターの数だ。4つの場合、一つのモーターの不備でほぼ墜落するという。また、そのモーターへ電流を供給するアンプも劣化があり、アンプによる電流供給不備が起これば当然、即座に墜落である。ラジコン愛好者によるとモーターとアンプいずれも、累計飛行時間約50時間ほどで寿命となる確率が高いらしいので注意が必要であるが、使用環境でもっと早い場合もあると言う。
  • バッテリー切れ:ある程度値段が高い物ならば一定のバッテリー残量になると、GO HOME機能で自動帰還するが、先ほどの電波障害の件もある為、過信は禁物である。
  •  セットリング・ウィズパワーボルテックス・リング・ステート ):簡単に言うとドローンが降下する際、自らが生み出した下降風に巻き込まれ、揚力を失い操作不能になってしまう現象である。これを防ぐには垂直降下時の速度は上げない事、もしくは高い位置からの連続的な垂直降下は避ける事が重要になる。
素人のくせに偉そうなことを並べてしまったが、ドローンの可能性をつぶさない為にも愛好者一人一人が「ドローンは落ちるもの」という意識を高く持ち、常に事故に起こさぬように心掛けなければならないと思った次第である。
 
その結果、現状の「ドローン=悪」といったイメージがなくなり、多くの人の生活が便利になったり、感動する機会が生まれるのを、ただただ願うばかりだ。

地域に溶け込む新たな形!?半農半療法士とは?

奈良県桜井市。人口59,316人。高齢化率(65以上の人口)27.9%のこの街に半分農をし、半分理学療法士をするという「半農半療法士」を自称する若者がいる。※人口データ等は、桜井市役所 総務部 市民課による平成27年3月31日集計に準ずる

若者の名は、中川征士さん(23)

理学療法士について御存知ではない方もいるだろうから補足するが、理学療法士とは、病院や介護施設、もしくは居宅訪問などで、対象者の身体状態を評価し、「医学的リハビリテーション」と称される動作訓練や生活動作の助言などをする仕事だ。
その理学療法士が放置耕作地を借りて開墾し、農を始めている。普通に聞けば「余暇としてやっているんだろう」としか思わないだろうが、この「半農半療法士」の活動は、昨年11月11日に行われた「なら介護の日2014」にて、奈良介護大賞を受賞した。

www.nara-np.co.jp

この活動が評価されたのは何故だろうか?少しひも解いてみよう。

中川さんは放置耕作地を借りて開墾を始めたのだが、そこで農をするだけでなく、地域にいる農業知識を持った高齢者に教えを請い協力を頼んだ。その一方で畑をサロン化し近隣に住む高齢者との交流の場とすることで、竹細工作りや収穫した作物を使った交流なども実施。
時には子供たちにも呼びかけ、自然体験を提供している。そうしたコミュニティを形成していき、少しずつ健康情報の発信をしているそうだ。農を通じたコミュニティの築き方は顔がみえ、実に自然で有機的である。

しかし、この活動がなぜ注目されたのだろう?

これからの日本は社会保障費負担の増加と労働人口の低下による財源不足に苦しむと言われている。それを見越して、医療保険では病院の在院日数、病床数は減らされ早期退院を求められている。一方、介護保険では、要支援者サービスの一部が自治体事業に移行し、今後は全面移行。さらには要介護1.2すらも移行するのでは?という話すらある。と、いうことはそうやって締め出された方々の過ごす場所は、他ならぬ地域となるのである。

こういった事情から地域医療の在り方が模索されているのだが、そこで注目されているのが「ソーシャルキャピタル」と「ヘルスリテラシー」だ。

ソーシャルキャピタル」とは、日本語で社会関係資本と呼ばれ、定義は様々だが最近では、人と人の助け合い(規範)、信頼関係(信頼)、近所付き合い(ネットワーク)を活性化することにより社会の効率化を図るとされる。「絆」という一言がしっくりくるかもしれない。畑での活動はどこから見ても、目に見える。つまり、顔の見える関係性ができるわけだ。中川さんは畑の前を通る人に必ず挨拶をする。そうした関わりの中で、いつしか水やりをしてくれる地域の方が出てきたり、近況報告をし合うような関係性が生まれているそうだ。

一方、「ヘルスリテラシー」とは、健康に関する情報を探し得て、それを理解、評価し、意志を持って健康の為に行動する事を指す。日本人は健康情報を多く得ているものの予防の為に行動を起こす人は少ない。健康寿命を延ばす為、運動習慣の意識をどう持たせる事ができるかが重要となる。ヘルスリテラシーが高い人は医療情報を専門家から取得する特色がある。そういう意味では地域に溶け込む医療従事者というのは地域のヘルスリテラシーを向上させるきっかけになる。実際、畑の前で医療や介護に関する相談を受けることもあるそうだ。

中川さんの活動は農を通じて地域に絆をもたらした。そして、その絆を通じて、商店街や行政にも働き掛け、地域健康講座や認知症カフェの実施や模索。医療介護職の地域参加を訴え、全国多方面からの見学・体験ツアーなども受け入れている。
結果、中川さんの活動に共感し、半農半療法士として活動する仲間や、半農半看護師も生まれ、各地で地域住民と医療介護職との距離感を縮めている。農地での医療専門職による取り組みは地域に絆をもたらし、健康意識が高まるきっかけになる。病院施設等での医療介護職が提供する患者・利用者側が受け手となる形ではなく、農や各作業を通じたフラットな関係(相互扶助)を一住民として築くことによるヘルスリテラシーの向上が図れるようになったといえる。

理学療法士とは、作業療法士言語聴覚士と共にリハビリテーションの専門家だが、従来その働き場所は医学的リハビリテーションに限局した病院、施設ありきだった。当然、世間一般的にも「リハビリ=運動」といった図式ができているだろう。
しかし、それはリハビリテーションの一端にすぎない。中川さんの活動は、生活に関わる全てがリハビリテーションであり、社会と関わり、人と触れ、生きがいを持って生きる事が本来の形なんだと気付かされる。

半農半療法士の活動。これは確実に浸透し注目を浴びつつあり、行政側も注目しているようだ。現在、多くの自治体が模索している、街づくり、社会資源の活用、世代間交流、文化の継承、人口減少、高齢化問題。半農半療法士は、これらの問題に一石を投じる活動になると私は確信している。

 参考:

www.facebook.com

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公園の遊具撤去がもたらす将来への影響

誰しも子供時代を過ごした場所というのは多くの思い出が詰まっているもの。私も先月、子供時代過ごした場所に行く機会があった。

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ノスタルジックな想いを持ちながら散策していると、当時よく遊んだ公園に違和感を感じ。ふと立ち尽くす。

「何かが違う」

そう考えた時に、ふと、前に見たニュースを思い出した。

news.livedoor.com


同じだ。遊具がない。公園の使用方法について注意書きだらけ。自由な遊びは制限され携帯ゲーム機で遊ぶ子供たち。

いつ頃からだろうか?「あれが危ない」「これが危ない」と大人目線で環境を整備し、子供たち自身が危機管理能力を持たず、無菌状態で遊べるようになったのは。

また、独自で遊び方を模索せず、与えられた環境でしか遊べなくなったのはなぜなのだろう?

親目線でいえば、子供に怪我があったら。命の危険性があったら。という心配は当然であり、考えられる危険は極力排除すべきと考えるだろう。それが親心と言うものだ。

しかし、大人が環境を整えれば整えるほど、子供たちは危険を察知しないまま育ってしまう。どこまでが良くてどこからが危険なのか。それらについて遊びを通じ、時に痛みを伴いながら、たくましく成長していくというのは時代錯誤なのか?

「怪我をしたらどうするんだ」「責任とれるのか」これは今の時代、必ずついてまわる。

でも、私たちの幼少期。そんな事を言う大人はごく少数だったのではないだろうか?ブランコで立ちこぎや二人乗りなどで怪我をしたら「気をつけろ!二度とするな!」と怒られ、学校で先生にビンタをされたと言えば「何したんだ!」と、こちらがどなられる。時には公園で見知らぬ地域の子供たちと遊ぶこともあれば、ケンカになる事もある。ケンカに負けて帰ってくれば「負けて帰ってくるな!」と怒られ子供は号泣する。

一見、ぶっきらぼうであるが子供社会を尊重し大人が出張るところではないと熟知している。子供を大切に想い、護ってはいるが護り方が違うのだ。

これらの対応の違いは、基本的に起きた事象ありきではなく「子供の未熟さと成長経験」を前提として織り込んでいる点が大きい。危ない事もあるだろう。怪我をする事もあるだろう。痛い経験をする事もあるだろう。だが、それも成長過程の経験であるということを認識しているのが透けて見える。

成長の先にある子供たちの未来。その先には必ず社会という大きな環境がある。これは無菌状態ではない。あらゆる危険があり、誰も自分の生きやすい環境を整えてくれるわけではないのだ。

無論、子供時代に排除すべき危険もある。実際に遊具による死亡事故もあるのも事実であり改良の余地は多々あるだろう。だが、それを一律排除という形にしてしまうことはどうなのか?

遊びの中から危険を学ぶ事。コミュニティを形成する事。それらを経験する機会を与えてくれる公園の楽しさや遊びを排除した先、子供たちにはどんな未来が待っているのだろう。

そんなことを感じた春先のできごとだった。