永守社長×伊賀氏対談
HBR6月号「生産性」をテーマに、日本電産の永守社長が生産性向上への投資と、生産に基づく人事評価について語った。
同記事が発表されたのは今年の1月。生産部門に500億、開発・労務に500億と大規模な投資は同社の生産性向上への決意を世に発信した。2020年までに生産性を2倍に引き上げることを目標と掲げ、残業もゼロに近づけたい方針だ。
下記は対談の内容について。
1.1000億円の投資について
永守社長曰く、2010年から残業削減に向けた試行錯誤を繰り返した結果、業績を落とさずに半分までは削減できた。しかし、ゼロに減らすためには従来の手法では限界を感じ、今回の大規模投資に踏み切ったとのことである。
2.人材評価における生産性の適応方法
これまで:残業をしたとしても、残業をしていない人と同程度の仕事ができていれば同じ評価を受ける。
今後:時間内=定時の段階で締め切り、それまでに業務が完了していなければ評価されない。
この内容は伊賀氏の著作「生産性」でも述べられており、生産性を基軸にした人事評価方法の構築を推奨している。
3.人事評価と給与
永守社長の信条は、一にも二にもリストラをせずに雇用を守ることと述べている。リーマンショック以降の日系電機産業で大量のリストラが起こり、企業破綻あるいは外資系への身売りが起こっている中で、極めて日本企業らしい考え方である。
しかし、欧米企業と同様に、人材を幹部候補生と一般層(最低賃金プラスアルファ)に二分することで、リストラをしない代わりに負担する固定費を上げないという。これは日系企業によく見られるミドル層を増やさないということを意味する。
人材の前者は成果主義を実施し、成績に基づく信賞必罰を施す。結果を残せなければ簡単に給与が下がり、解雇の可能性もある。
前述の通り、後者に年功序列は適用すると固定費が加速度的に増えるため、給与は基本的に上がることがない。その代わりモーレツに働くことも求められない。
地頭力を鍛える
仕事のアウトプットの質は生来の地頭に大きく影響を受けると感じる。経験や環境が人を育てるという一方で、各個人の持つ頭の良さが成長の速度に多分に差を生むからだ。
他人の指示を正しく理解し、求められるアウトプットを時間内に出していく。あるいは自分で仕事を作っていく。情報を集める事がスマホ・PCの活用で容易にできる現代だからこそ、情報収集作業の価値は薄れるが、自分で考えて物事を組み立てていく力が必要である。
著者は考える力(地頭)は問題解決トレーニング(フェルミ推定含む)で鍛えられると述べている。上述の定義が曖昧なのであれだが、騙されたとの思いで伸ばせる部分は自身で吸収したく本書を手に取った次第である。以下はポイント。
- 結論から考える :仮設思考力
- 全体から考える :フレームワーク
- 単純に考える :抽象化
- 仮設構築力
最終目的地から考える癖をつけること。情報が集まるのを待つのではなく、最終目的地(相手が期待するアウトプット)を明確にした上で、大胆に仮説を構築する。
情報をやみくもに収集するのではなく、仮説に基づいて必要な内容にフォーカスし、どんどん前に向かって検証していく。間違えていればフレキシブルに仮説を変更して進める。
大きく全体俯瞰力と分解力に分けられる。
全体俯瞰力が必要な理由は、人には思考の癖が染みついているので、否が応でも思い込みの影響を受けてしまうため。思い込みや思考の癖を解消するためには、まず全体を高所からビックピクチャーで眺める事が極めて重要である。
また分解力は足し算と因数分解に大別される。
足し算は漏れなくダブりがない=MECEに考える事を指す。漏れやダブりが散見される場合、その都度前の箇所に立ち返らねばならないため、非常に効率が悪いのである。 因数分解とは、売上やROE等の構成要素はそれぞれ各要素ごとに掛け合わせる事を意味し、優先的に手を打つべき問題箇所の特定を助ける。
- 抽象化
抽象化の基本は共通事項を探すこと。共通事項を複数発見した上で、さらに上位の概念であるグルーピングを行い、物事の本質を掴む事が次の目的である。
本質はシンプル=抽象化できていれば、エレベータースピーチのような30秒間で的を絞った説明が可能となる。抽象化によって本質を掴み、課題に対する本質的な解決策を見出し具体化していく事が正しい問題解決アプローチである。
ドラマ「ハゲタカ」を見て
ドラマ版「ハゲタカ」を一気に視聴した。計6話、通常の作品よりも話数が少ないものの、内容の密度が濃く、十分な作品展開を楽しむことができた。
ちなみに小説は2〜3年前?に読んでいる。ハゲタカ1・2、レッドゾーン上下を読破し、グリードもいつか読もうと思っているうちに、ついに読み忘れていたのだった。今回のドラマを機に急に小説が懐かしくなったので、購入してみようと思う。
さて、ドラマ版。小説とは登場人物各々のバックグラウンドの違いやストーリー設定こそ違うものの、もう一つのハゲタカとして示唆に富んだ作品に仕上がっている。
外資ファンドは投資家が期待する十分なリターンを稼ぐ事が仕事であり、そのためにポテンシャルを持つ赤字の瀕死企業の再生を担う。再生を果たす=企業価値の向上による株価上昇の後、株式売却 or 上場によるキャピタルゲインによって利益を得る仕組みだ。本作はその過程が話のタネなわけであるが、瀕死の企業を再生するという意味において、銀行とハゲタカファンド、何が正しいのか?を問いかける。
作品名でもある”ハゲタカ”は獲物を喰う、いわば弱者を食い物にする象徴である一方で、銀行は社会におけるクリーンな存在で安心感を抱かせる存在だ。
前者はリストラも問わず、合理的な再建計画を推し進める。彼らは企業再建のプロだ。後者は銀行という組織の制約のために、外資ほどのドラスティックな戦略を実行提案することはできない。
現実を直視しない・またはできない日本企業、そこに関わる銀行の姿勢に対して、真っ向から正視して切り込む鷲津。彼が再建に携わった企業は、当初の計画どおり再び輝きを取り戻してゆく。最初は大きな痛みを伴う外科手術だが、企業が倒産した場合に抱える損失と比較することは出来ない。動ける間に動かなければ、間に合うものも間に合わなくなる、とはまさにこの事を指すのであろう。
却って銀行。企業収益の落ち込みによって手元キャッシュが不足すると、債権回収が難しくなってゆくので、貸し渋りを行うようになる。この貸し渋りを上から命令される銀行員、自殺に追い込まれた経営者と残された家族。結局のところ、銀行も営利企業である以上、必ず自行の利益を追求しなければならず、悲劇は生まれる。
反射的な現実逃避は問題の先送りにすぎず、本質的な解決策ではない。本作は現実を直視することの重要性を強く訴えている。聞こえのいい言葉に流されるのではなく、どこまでも冷静に、時に冷徹に対峙している者が正しい。