バイオテロを見習え

「…ちなみに、〇〇〇さん(部門の上司)は去年インフルエンザがかかっても出社したよ。…」
『それはダメでしょう。伝染病を社内に撒き散らす行為はよろしくないと思います。』
「これはあくまでこの場の話し、キミは同じことを理事長にも言えるか?」
『言えます。むしろこれは責任者だからこそ徹するべきことではないでしょうか?』
「…『郷に入れば郷に従え』とは強要しないが、キミはこれから日本で仕事するので、もう少し団体意識を持った方がいいかもね。これは大人的な考え方。…」

 

 以上はブラック企業に彷彿する入社10年以上の社員の赤裸々な発言だった。
 別に日本で一生仕事するつもりがないから、不毛な議論になる前に話すことをやめた。(加えて、矛盾だらけの発言で討論する行為も気持ち悪く感じた。)

 正直、私はワークホリック(日本人)はよく見かけるが、どうせ勝手に過労死するから自分と関係ないと思って接していた。だが、インフルエンザのような致死性を持つ伝染病は根本的に違った。職場に病原を故意に持ち込み、私の健康を脅かす行為は許しがたいことだった。

 私もかれこれ8年日本に生活・勉強・仕事をしていた。「なぜ日本が『GAFA』のような企業が生まれなかった」のような「煽り」と捉えられた文章に書かれた通り、多くの日本の会社の考え方はすでに時代遅れだった。
 致命的な問題は「時代遅れ」そのものではなく「時代遅れに誇りを感じる」ことだった。

 …と、分析をいくらでも書けるが、早くも3年以内に日本から離れる予定になる私にとっては、これ以上に日本人を分析しても面白い結論を出せることができなかった。どうぞ勝手に時代遅れしてくれ、ただ、私を巻き込まないで欲しかった。

 

映画館のポップコーン

 帰省期間が長いから、どうしても家でのくつろぎは退屈を感じた。先週土曜日の夜に映画を見に行ったら、ポップコーンの咀嚼音レベルの音は全く騒音にならないだった。上映開始に間に合わなかった親子たちは暗闇の中で自分たちの席の場所を探して、列の両端に立って大きな声で叫んだ。一緒に来た友達同士がシリーズ前作の内容を共有することやこれからのシナリオを「予言」することで盛り上げた。ある人は不器用なヒロインにアドバイスし、ある人は悪役に「暴言」を吐いた。
 でも、こんな騒音だらけの鑑賞環境は意外にもイヤじゃなかった。むしろその人達に連られて、私も大声で笑うと嘆くことが出来た。結果、リラックスがちゃんと出来て良かったと思った。

 私はよく日本の映画館でのポップコーンの咀嚼音をうるさいと感じるが、たぶんそれは日本の映画館が静かすぎるかもしれないのだ。

結局、何も書けずに新年を迎えた

 もう一週間が経ったが、あけましてごめでとうございます。書きたい事がたくさんあったけど、いざ書こうとしたら、現実が自分の邪魔をするのは去年10月以降のことだった。

 5年前に日本の「スクールカースト」について興味が湧いたので、一応1年間の観察をしっかり実行したことがあったが、期間が短いかつ標本数が少ないため、自分が納得した結論を出せなかった。「今度はちゃんとした結論を導こう」と思って3年前から自分の長期目標を探り傍から、自ら「被験体」に偽って長い期間を渡る観察・実験を始めた。

 そろそろ観察・実験が終盤に迎えたので、振り返ってみたら600日以上の記録が残ってて、もはや自分の頭が狂ってるではないかと疑うことだった。もちろん、ただ個人の嗜み程度のものなので、まとまった文章としてこの世に送り出すこととか全く考えてなかった。でも、真の被験体が予想通りに反応を出すことによって、今まで頭のなかでモヤモヤとしたことがこの3年間の実験を経てある程度に一般結論化したのは最大の成果だと思った。

 時間があれば観察対象となった個体を逐一分析するのもいいかもしれない。

10年ぶりにブログを開設した

 日本語でやや流暢な文章を書けるようになってから、ツイッターの文字制限はだんだんうるさく感じた。「そろそろ自分の考えを一気に全部書き出せる場所を探そう」とふと思って、このブログを開設した。

 毎度長い文書を思いついた時、如何にあの140文字の制限内に収めるため、必死に表現を省略、助詞の繋がりと語順をシンプルにするため何度も書き換えることで精一杯だった。あとあと見返すと、やはり削減された文章は最初に僕は述べたい考えから掛け離れたことがしばしばあった。

 一度書いたら編集できないこともツイッター本来の意図だから文句つけるべきところではないが、「覆水盆に返らず」――実際に喋り出したことが撤回できないと同じ考え方とし僕自身のツイートを極力削除しないようにするので、後で誤字や文法の間違いを見つかった時に恥ずかしいと思いながらもそのまま残すことにするのも僕の「拘り」だった。

 ブログの名前は10年前のブログ名をそのまま使った。天体物理学的には間違いがあったものの、当時もわざと矛盾をつけるためこの名前にしたので、決して無知ではないと弁解の一言をここに置いていた。