不倫は覚醒剤。
覚醒剤と不倫って、さほど変わらないんだなと思いました。
欲望に溺れ、制御できなくなった末に手を出してしまう。
お試し感覚で、最初の1回だけならいいと甘い気持ちで始めてしまう。
自分は気持ちがいいが、周りには何も良い影響を与えず、むしろ不快にする。
どちらも人間の欲望(覚醒剤なら辛いことから逃げ出したい、楽になりたいなど。不倫なら自信をつけたい、認められたいなど。)を刺激して、ダメだと頭でわかっていても快楽を求めてやってしまうモノだと思います。
また、周りに不倫をする人が多いと自分も不倫をしやすくなるし、覚醒剤の経験がある友達を持つと自分も覚醒剤をしやすくなるはずです。
もしやりたくないのであれば、経験者の知人とは適切な距離をとって付き合った方がいいと思います。
甘い蜜につい手を付けてしまうのが人間です。
「それも多様性だよな。」と受け止めつつ、自分は手を染めないようにします。
皆んなが笑顔になるような、そして自分が夢中になれるようなことを見つけてやっていきましょう。
敗者は勝負をするから生まれる。
中学生の頃にふと考えていたことを思い出したので、備忘録がてらブログを書きます。
あれはたしか、部活動の大会前夜でした。
何の大会だったかは忘れてしまったけど、重要な大会だったと思います。
僕はどうしても負けたくなくて、おばあちゃんの部屋にある仏壇の前へ行き、明日の大会で勝てるよう、お祈りをしました。
手を合わせ終え、リビングに戻ろうした時、ふと思うことがありました。
「明日の試合の相手も、自分と同じように神様にお祈りをしているのかもしれない。」
「自分が負けたら相手は勝てるけど、自分が勝ったら相手は負けちゃうんだ。」
その瞬間、かなりの違和感を覚えました。
10年後の今でも、その衝撃を覚えているほどです。
僕は明日の大会で負けたくない。
だから神様にお祈りまでした。
でも、もしかしたら、対戦相手も僕と同じように神様にお祈りして、どうしても負けたくないと思っているかもしれない。
そんな相手を、僕は倒したいのだろうか?
「自分と他人の戦い」というより、「自分と自分の戦い」のように思えて仕方がありませんでした。
部活動を完全にナメた、練習もろくにしてこなかったような奴が相手なら、そんな奴は負けて当然だと思えます。
勧善懲悪の分かりやすい話です。
しかし、自分と同じように頑張ってきた、あるいは自分以上に頑張ってきた相手と勝敗をつけることになるかもしれない。
そんな相手を負かしたいと思えるのか。
僕は思えませんでした。
自分は敗者になりたくないし、相手も敗者にしたくない。
そう考えた結果、「勝負をするから敗者が生まれるんだなぁ。」という結論になりました。
誰が聞いても当然だと言うような結論ですが、当時の僕にはこれが衝撃的でした。
勝者になりたいと願うのは、他者が敗者になるのを願うということ。
敗者が現れるのを止めるには、勝負を止める以外に方法がないこと。
敗者を生むことを取るか。
勝ちを諦めることを取るか。
勝ちに目が眩んだその瞬間から、「全員で勝とう」なんて甘いことを言うことはできなくなるのです。
残酷な世界なんだなと思いました。
あれから約10年が経ち、24歳になりました。
今では、冷酷な世界だからこそ、温かさも生まれるのだと思えるようになりました。
皆んなが同じような人間で、同じような人生を歩んでしまったら、面白味も深みも生まれません。
多様な人間が強制的に混ざり合うから、汚くなったり綺麗になったりします。
例えるならボールすくいです。
個性的な色と大きさを持つそれぞれのボールたちが、一つプールの中で浮かんでいる。
スペースの空くとこがあれば、ギュウギュウになるポイントができるし、暗い色で固まるとこができれば、明るい色で固まるところができる。
絵の具のように、全部が均一に混ざって、限りなく黒に近い1色になることはありません。
1人として、他の誰かと全く同じ人間になることなんてできないからです。
できるとしたらクローン人間くらいでしょう。
ネガティブな物が見つかったのなら、必ずどこかにポジティブな物があるはずです。
それを見つけ出すこと、それを人生の糧にすることが、生きていく為に必要なスキルなのだと思います。
素敵な人間が勝ったなら、きっと勝ちを独占することなく、勝ちをシェアしたり、勝ちを循環させたりするはずです。
僕はそういう人間になりたいです。
今はまだ情けないほど弱いです。
謙虚さを忘れることなく、強くなります。
頑張ります。
「幸せ」はツラい。
楽のための苦労。
健康のための病気。
金のための貧乏。
成功のための失敗。
何事も一長一短、表と裏が一体となっているので、一長を取りたければ一短も、表を取りたければ裏も取らなければいけません。
よく「人は幸せになる為に生きている」と言われます。
しかし、「幸せ」を「不幸にならないこと」と捉えるのは間違いだと思います。
なぜなら、幸せと不幸は、表裏一体の1枚のコインだからです。
幸せな人を想像して下さい。
その人は、不幸を受け入れる覚悟を持ち、不幸と闘い、不幸を乗り越えた人ではないでしょうか。
逆に、不幸のように見える人は、幸せを先取りしてしまった人ではないでしょうか。
つまり、「幸せになる」ことは、厳しい道を歩むことなのだと思います。
知識が欲しければ勉強を、鍛えた体が欲しければトレーニングをしなくてはいけません。
幸せになりたければ、ツラいことに耐え、一生懸命に努力し、精一杯生きなければいけないのです。
反対に、「不幸」は幸福の為の材料、幸福の1部分であるとも言えます。
精神を病むほどのひどい不幸であっても、きっと幸せに変えられるはずです。
助走があれば、ジャンプは大きくなります。
ただ、この助走を全力で走るか、はたまた諦めてレーン脇に座り込むかは、あなた次第です。
幸せになることはツラいのだと思います。
でも、ツラいから幸せになれるのだとも思います。
今の逆境に負けないで、頑張りましょう。
そのコインは、あなたの力で表にすることができるはずだから。
と、、、
綺麗事で美しく終わりたかったのですが、やっぱり人生なんてモノは不平等で、予想外のことばかりです。
自らコインを取りにいくならいいですが、悪戯な運命によって、取らされてしまう場合があります。
それが、事故や病気や犯罪。
自分の力では操りきれない不幸です。
これらに遭遇した時は、どうしたってやりきれない気持ちになります。
まだまだ未熟な僕には、これらをどう捉えるべきなのかがわからず、自分にも周りにも起こって欲しくないと、心から願うことしかできません。
そして、もし、僕がこれらの被害に遭ったら、きっと生きる希望を失くし、人生に絶望するのだと思います。
しかし、全ての被害者が下を向くわけではありません。
中には不幸に屈することなく、立派な生き様を貫く方もいらっしゃいます。
皆さんもテレビや本などで見たことがあるのではないでしょうか。
この姿に、本来被害者を支え、勇気づけるべき立場の僕たちが、逆に大きな生きる勇気を貰うことがあります。
本当に「強く素敵な人間」だなと思います。
尊敬でしかありません。
僕も彼らのような人間になりたい。
全力で生きて、きっと強くなってみせます。
頑張ります。
しかし、「不幸」を「幸せ」に変えていく姿を見て、やはり「幸せ」はツラいのだなと思ってしまうのでした。
経験が無意味になる人
朝井リョウの「何者」。
二宮拓人っていう就活中の男が主人公の作品です。
彼は他人を分析することが得意で、その分析の結果から厳しい評価を下したりもします。
一方で、自分に低い評価が付くことは恐れており、評価されるような土俵には上がらないという一面があります。
端的に言えば高みの見物しかしないダッサい男です。
そんな空想世界の彼と現実世界の僕が重なって見えました。
僕は大学卒業後にワーホリを経験し、帰国後は造園会社に就職しましたが、数か月で退職し、今はニートをやっています。
ここ2年以内の経験は今までになく濃く、おかげで見える世界は広がったし、考え方にもかなりの変化がありました。
「経験はすればするほどいい」と考えていたので、ワーホリに行ったことや造園会社で仕事したことはもちろん後悔していません。
ニートになったことですら「ニートをやったことがなかったから、やれて良かった。」と思っている始末です。
さらに、それぞれの状況で感じたことや学んだこと、成長できたことが確実な手ごたえとしてありました。
その手ごたえがより一層、「経験はするべき」という考えを確固たるものにしていきました。
そんなこんなでニートをしていたある日。
初めに述べた「何者」という作品に出会い、衝撃を受けました。
今の僕の様が、主人公の二宮と重なって見えたんです。
気がつけば過去の経験を判断材料に、あらゆる事についてあーだこーだ物申すようになっていました。
その癖、ニートなので何の行動もしていない。
評価されない世界に浸りながら評価ばかりしている。
何様のつもりじゃいって話です。
理想を持つことや分析すること、周りに流されずに思考することは大切だと思います。
ただ、一人前の実力もなく、簡単なアクションすら起こしていないのに、経験による理想や分析や思考を語り散らかすだけの人間はダサすぎます。
ネットで誹謗中傷することに命を費やしている惨めな人間と大差ありません。
経験は「すればよい」のではなく「活かさなきゃ無意味」なんです。
経験と行動を結びつけることで、初めて経験の価値が発揮されます。
よって、行動がなければ経験はしていないのと同意です。
また、他者が自分のどこに注目しているかというと言動や表情といった外面に表れるモノです。
どう動いたか、何を言ったか、どんな表情をしたかが重要で、その心の内なんて二の次です。
もし、あなたに笑顔で誕生日プレゼントを渡してくる人がいたら、あなたはきっと喜ぶし、なんて良い人なんだと思うでしょう。
しかし、その人は自分の下心の為にプレゼントをしているのかもしれません。
逆に、あなたのことを大切に想っている人がいても、あなたに関わろうと働きかけなければ、その気持ちはあなたまで伝わりません。
ついには下心プレゼント野郎よりも大切にしてくれてない人とみなされてしまいます。
基本的に人間は、行動と感情が一致するもんだと考えるみたいなんです。
たしかに行動からしか内面を判断するための証拠を集めることができませんので、そうなることも無理はない気がします。
嘘つきが得をする世界の原因は、ここにある気がします。
相手の内面なんて、相手にしか分かりません。
「貧困や震災を重く捉えて考えているが、募金をしない人」と「下心まんまんで募金をする人」。
社会や周りの役に立つのは後者です。
内面なんて関係ない、他人からしたら外面の方が重要です。
そして、知らぬ間に前者になってしまっている人が多い気がします。
僕もその1人です。
第一に重要なのは行動。
その後に自分の経験や知識や理想や正義を乗っけていきましょう。
それがきっと自分の為にも周りの為にもなるような気がしています。
頑張りましょう。
書きたいことを書く。
ブログで収入が増えたらラッキーだな、くらいの軽い気持ちでブログを始めた。
結局、日の目を見ることはなく、というか1円の収益すら上げることなく、たまに記事数を増やすだけの2年を過ごした。
僕には継続力や文章力、特にビジネス力(そういう単語がこの世にあるのかは知らないが)などなど足りない能力が多かったし、なにより楽しくなかった。
武井壮いわく「価値とは人が求める数」であるらしい。
希少性が高く、能力的に優れているモノでも、人が求めなければ価値のないモノだと言う。
お察しの通り、僕のブログを求めている人は1人もいない。
きっと、知り合いや友達ですら読んでいないと思う。
つまり、価値がないのだ。
「価値がない」と言いながら、今もせっせと価値のない記事を書いているのだ。
ピッカピカの泥団子でも作っている方が、幾分か有意義な気すらしてくる。
普通であれば、どうにかこの価値のない記事に価値を付けていこうと、改善したり努力したりするのだろうけど、僕はそれがしたくない。
というか、できない。
ブログを頑張るのが面倒くさいのもあるけど、書きたいように書けない窮屈さにうんざりしたのが1番の理由だ。
わざわざ文字に色を付けたり、サイズを変えてみたり、いかにもブログ記事に貼ってそうな著作権フリーの少しオシャンな写真をダウンロードしてみたり。
読者が興味を持ちそうなタイトルを付け、興味を持ちそうなテーマで記事を書き、興味を持ちそうな言い方で商品を広告する。
言い方は悪いが、詐欺をしている気分にすらなる。
ということで、詐欺も窮屈なこともしたくない僕は、書きたいことを書く。
誰にも読まれなくてもいい。
毎日書くわけでもない。
書きたくなったら書く。
本来ブログってそういうものなんじゃないの?
【ワーホリ】ジャパレスで2週間ほど働いた感想。やっぱり英語力は伸びない?パート2
海外の卵って生で食べれるんですかね?だれか教えてください。
どうも、黄身です。
ということで今回は前回の続き、ジャパレスで働いた感想をシェアしていきたいと思います。
前回の記事はこちらになりますので、ぜひチェックよろしくお願いします。
canadaamerica.hatenablog.comそれではいきましょう!
続きを読む【ワーホリ】ジャパレスで2週間ほど働いた感想。やっぱり英語力は伸びない?パート1
いつかドレス型のオムライスを作れるようになりたいです。作れたら絶対かっこいい。
どうも、黄身です。
ということで今回は、バンクーバーのジャパレスで2週間程働いてみた感想をシェアしたいと思います!
ツイッターでも情報発信していますので、そちらもぜひチェックしてください。
twitter.comそれではいきましょう。
続きを読む【1か月の変化】バンクーバーで1か月過ごし、自分の中で変化したこと。黄身はどんな生活を送ってたの?パート2
卵と白身を別々に売るビジネスでも始めようかなと思っています。
どうも、黄身です。
ということで今回は前回に引き続き、バンクーバーで1か月過ごして変化したことや気づいたことを共有していきたいと思います!
ぜひ前回の記事を読んでいない方はチェックしてくださいな⇓
それではいきましょう!
英語力はどれくらい変化した?
気になるところですよね。果たして1か月過ごすと英語力はどれくらい上がるのか、どんなことができるようになるのか。
結論から申し上げますと、数字的な話をするとTOIECは200点程アップし、体感的な話をするとコミュニケーションがスムーズにできるようになってきました。
ちなみに自分の英語力は死ぬほど低く、渡航前のTOIECで335点(990点満点、一般大学生の平均点が600点)を叩き出したり、通っていた語学学校では最高17レベルまであるうちの4・5レベル(下から3番目のレベル)に配属になったりしてました。
苦手な英語を克服するためにこっちへきて勉強しているので、スタートはマジで低かったです(笑)
ってことでそんな伸びしろしかない黄身は1か月でかなり変わりました!
最初にも話したようにTOEICの点数はかなり伸びましたし、会話のコミュニケーションがスムーズにできるようになりました。
英語に慣れるとは?
会話のコミュニケーションに関して語らせてもらいます。
今でも忘れません。
明日持っていくお弁当についてホストマザーと話している時に、
「Where do you warm your lunch?」
と聞かれました。
「どこで昼飯温めるの?」
と聞かれたわけです。
この文はたぶん中学生でも分かると思います。
なのにこれが聞き取れないず、理解できない!!
ってことでホストファミリーに言ったことをノートに書いて文章にしてもらうことがしばしばありました。
そして毎回、
「え、こんな簡単なこと言ってたん??」
ってなります。
この体験から
「俺はこれから英語でコミュニケーションをとれるようになるのか?」とガチで心配しました。
しかし、1か月もすると普段耳にする単語や表現に慣れて、だんだん会話を理解できるようになってきます。
これはどういうことか例を出して説明します。
例えば、「あいちゅれるちゃぎゅあってあし」って言葉を覚えてくださいと言われたとします。
そりゃ最初は覚えることができません。
なぜなら聞いたことがない発音で自分も発音したことが無いから。
しかし、これを毎日何回か聞き、自分でも発音していたら覚えることができると思います。
これが「単語や表現に慣れる」って言うことだと思います。
英語も全く同じで、1か月間英語を聞き、話す練習をしていると英語に慣れてきます。
そうして英語に慣れることでコミュニケーションがスムーズになります。
また、もし言ってることが分からなくても聞き返し方が上手くなれば理解できる機会が増えるし、最終手段ですが雰囲気や顔色で分かるようになったりもするのでコミュニケーションがスムーズにできるようになってくるわけです。
英語に対する抵抗が減る
また英語に対する「抵抗」も減ります。
英語が苦手な人は英語を使うことに躊躇してしまうんですよね。
「伝わるかな?」とか「何ていったらいいんだろう?」とか「何か聞かれたらどうしよう?」とか。
これが英語に対する抵抗です。話せない・聞き取れないことを自分で分かっているが故に不安や恥ずかしや心配などのストレスを感じてしまうんですね。
そんなん考えてもどうにもならん!!
ってことに1か月もすれば気づきます(笑)
そして
「間違って当たり前。伝わればオールOK!!!」
っていう考え方に切り替わります。
この考えが正しいのかって言われればちょっとずれている気もします(笑)が、1番伝えたいのは完璧を目指さないこと。
完璧にしてから行動しようとすると何もできなくなってしまうんですね。
だから大切にしてもらいたいのは「失敗から学ぶ」ということ。まずはとにかく行動。
なぜなら行動していると、
「あの時何ていったらいいか分からなかった。」
「何を聞かれていたのか分からなかった。」
という経験をします。
その失敗した経験をバネにし、学ぶことができるのです。
「完璧じゃなくて大丈夫。」「失敗して当たり前。そこから学べ。」
この2つの姿勢に気付いた自分は英語に対する抵抗がガクンと減りました。
とはいっても知らない人に「How are you?」とか言って話しかけたりとかは相当緊張するのでまだまだですが、明らかに来た当初よりはプレッシャーを感じなくなりました。
最後に
ということで
「英語に慣れる」「抵抗が減る」というのがここ1か月の英語面での成果かなと思います。
外国でアクティブに外国の人と絡んでいれば間違いなくこのステップには遅かれ早かれ到達すると思いますので、自分を1つの参考として見てもらえれば幸いです。
やっぱり思うことがあって長くなっちゃいましたが最後まで読んでもらってあざした!
次回はカナダに来て気が付いた日本との違い編にて会いましょう。ドラッグとかの話が好きな方は必見です(笑)
それじゃ!