劣等感と焦燥感と敗北感のミルフィーユ

29才女性 人生へのとめどなき、根拠なき不安を解放する日記

「いくつになればさびしさや恐怖は消え得る」

 

毎日お風呂に入れることはとても恵まれているし、ありがたい環境であるということを大前提に、

昔からお風呂に入る=「無」の時間が苦手で仕方がない。

実家(脱衣所も自室もなく●●●の鳴き声も聞こえながらも一軒家ではあった)にいた頃、

幼少期から思春期くらいまでは、お風呂場にいる間中全力で歌を歌うことによって、

大人になってからは、防水スピーカーで音楽を流すことによって紛らわしていた。

実家を出て初めてマンションに住んでからはそのどちらもできなくなった。

リビングから脱衣所へ移動した途端に無音の空間になり、

そうすると、頭の中でエンドレスに、

何かしら焦りと不安と自己嫌悪とがグルグルグルグルグルグルと止まらなくなる。

それは寝る前も同じで、

夏フェスにでも行ってクタクタに疲れ果てない限りは、ラジオを聞きながらでないと入眠できない。

普段の生活では、

食べる、歩く、電車に乗る、業務遂行するなど、何かしらして紛れる場合が多いが、

とにかく「余白の時間」が非常に苦手。

その結果、手っ取り早く明るくなれるのが、私の場合は飲酒で、

適度な段階で気分よく眠ればいいものの、理性が保てなくなって過食しては後悔する日が増えてきた。

いい年して自己嫌悪が止まらなくなる。

 

適性皆無な営業職を逃れ、ずっと興味のあった職種に近づいたものの、

それはそれで次の不安や焦りが襲ってきて、

キャリアパスやライフプランへの不安と、それを助長する自分のスキルの低さ、

全てひっくるめて「自信過剰」とも思う。

思い返せば、

昔から、社交性に欠け、効率が悪く、世渡り下手で愛想のない人間だったし、

むしろ今この現状が身に余る状態に過ぎないんだと言い聞かせる。

※件名の歌詞に共感したのは中二だったからだと思っていたが、やはり子供を持たない限り失せないものなのか。。。

 

 

しょうもないノスタルジーのために明日の自分を犠牲にしてしまう夜

 

10年前、なんにもない土曜日は10時頃に目覚めると、

そのままベッドに転がりながら当時好きだったヴィジュアル系バンドの曲を聴き、

夕方のバイトまでひたすらダラダラと過ごしていた。

まさか自分が将来自然に知り合った人と結婚できるだなんて1ミリたりとも思っていなかった。

 

似合もしない黒い服と

無理して買った唯一のジャスティンを着けて、

痛々しいアイメイクと気合いの入った巻き髪で、

チェキを買うために早めに出発し、

暑い日も寒い日もたった1人、

坂道やら繁華街やらホテル街になされる列の中で

開場までひたすら時間が過ぎるのを待つ不毛な時間

 

そんな孤独で小っ恥ずかしい非生産的な日々は、

黒歴史でありながらも何故か結構大切な思い出になっているから不思議。

 

もうライブに行くことも新しい曲を聴くこともなくなってから久しいけど、

中学〜大学生の頃に聴いていたバンドの曲は、

いまだにたま〜に聴いてしまう。

 

幼少期から結婚するまで住んでいた実家が引っ越すことになり、

二十数年間の蓄積をなんとか捌いていく中、

それらのCDやら雑誌やらが出てきた

本当の本当に懐かしい思い出になっているものに関しては、やっぱり捨てられなかった。

が、配偶者にはヴィジュアル系が好きだったことは全く話していないので、

とりあえず100円ショップで買ったノート型のCDケースに移して持ち帰り、引き出しの奥底に仕舞い込んだ。

いつかどうしても聴きたくなった時に掘り起こすだろう。

 

なんの能力もセンスも爆発力もない至って平凡な人間になったけど、

さすがに10年も時間が過ぎれば

まあまあ状況は変わるものだなと感じる今日この頃。

 

 

 

不安と後悔をあと何回繰り返せば学ぶのか

 

誰も読んでいないブログを立ち上げて早6年半

 

コミュ力の無さで就活に苦戦し、

全く適性のない営業職として入社し、

漠然とした思いで「早く営業辞めたい」と毎日口に出していた数年間。

コロナにより営業活動のスタイルが多様化したことで、なんとか騙し騙しやり過ごしてきた。

 

そもそも、「適性がない」「売上が悪く雰囲気が悪い」だけで、特段ノルマが厳しい訳でもないし、

このままぬるっと続けた方がコスパが良いとすら思い始めた。

 

でも、6年以上営業職に従事して私なりに感じたことは、

営業職においても、突出した能力のある人以外は他の場所で役に立つスキルの習得は難しいということ。

特殊な業界のトレンドやニッチな商材の細かすぎる製品知識は身についても、

果たしてそれが自分の知りたいことなのか。

技術者にとっては大きな財産だし、営業職は本来その知識を活用して戦略を練るべきなんだろう。

だけど、私にはどうしてもそれが難しかった。

 

入社前から興味のある業務への未練も捨て切れず、その職種での転職を試みた。

基本的に実務経験必須の為、最終的には所謂「一般職」での転職が決まった。

 

私の人生は非常に平凡で、今の所大きなトラブルもなく進んでいる。

しかし、私はそれに釣り合わないほどの不安を常に感じてしまう性格だ。

発生するかも分からない事象や、そうなるとも限らない将来への想像だけが増大し、

ひとりでにネガティブな思考に陥る。

 

そのくせ、リサーチ不足な状態で大事な判断を独断で下す。

だから今になって本当に不安で仕方がない。

 

もしも私が人目を一切気にしない人間で、

寿命まで健康に生きる保証があったとしたら、

一生独身で生きていたかも知れない。

 

 

 

 

 

年齢を重ねるごとに人生の難度が上がるシステム

 

年々人生の難度が上がっているように感じる。

(というより、加齢とともに人生の解像度が上がり、

見えていなかった困難に気付き、もともと高かった難度に気が付く仕組み。)

収入に見合った過不足のない人生を送りたいと思っても、

いわゆる「普通の会社」に勤めて、「普通の生活」を送ることはかなり難しい。

 

私には物心ついてからずっと結婚願望がある。

結婚生活に憧れを抱いている訳ではない。

結婚したい理由は大きく2つあると考えている。

 

一つは、「孤独」という感情に耐えられないから。

私は以前、恋人がおらず自信をもって友達と呼べる人もいない時期を長く過ごしていた。

一人で過ごすことで感じる自由なんてたかが知れていて、

一人で生きる孤独なんかよりも、誰かと過ごす面倒くささの方がよっぽどいい、

ということをその時期に強く感じた。

 

二つめは、いわゆる「普通の人生」を送りたいから。

(ここで言う「普通」はかなり幅広く捉えていて、見方よってはかなり幸せな場合も含んでいる。

つまり、健康で衣食住に困らず安全な生活を送ることは、それだけでも十分に幸せであるということ。)

私は生まれてから今まで、細かい差異を無視すれば、

かなり普通な、一般的な、敷かれたレールを走るような人生を送ってきた。

それは私にとって奇跡的なことで、これからもそんな風に生きていきたいと考えている。

「多様化」が謳われる時代とは言え、

まだまだ家庭を持つ方がより「一般的」と言える世の中である。

そのような中、友人や社会における「少数派」にはなりたくないのだ。

 

しかし年齢を重ねるごとに、自分が思う「普通の人生」を送ることは、

その形が少しづつ具体化されていくのにつれて、

思いのほか難度の高いことであると気付かされてしまった。

 

20代も終盤に差し掛かり、

「この人は将来のことをどう考えているのだろうか」

「そもそも、結婚すること自体コスパが悪いのではないか」

「いや、そんな悠長なことを考えられるのは若いうちだけだ」

などと月並みなことで悩むようになった。

 

たとえ結婚したところで、

妊娠・出産のタイミング、経済的負担、子育ての方針、住まいのこと、老後の資金、両親の介護、勤務先の将来性、自身含めた家族の健康・・・

挙げればきりがない程、死ぬまで一生頭を抱え続けることは必至だ。

 

「それが人生」と言われたところで、

私の舐め腐った根性では「そっか、がんばろ!」とは思えない。

そして、毎日このようなことを考えあぐねている訳だけど、

特に結論は出ていない。それが人生だから。

 

 

日常とは劣等感・焦燥感・自己嫌悪との戦い

最近の私はというと、
出社をすれば、絶えず周囲の人間と比較した劣等感に苛まれ、
在宅勤務をすれば、自己嫌悪・今後の人生への焦りなど様々な感情に襲われる。

入社以来営業職に従事している訳だけれど、
適性のなさは今も変わらず、更に最近では著しくモチベーションも低下している。

この時勢の中、従来の出張・訪問を基本とした営業スタイルは180度変わり、
Webを利用した打合せがほぼ100%となった。

もともと、「営業職なんてすぐに辞める」というつもりで過ごしていたが、
自分の努力不足と保守的な姿勢により、新たな環境へ飛び出すこともなく、
ただただモチベーションが下がり続けていることをひしひしと感じる。
何もない自分のまま今の会社を離れても、現状より悪化することは必至だろう。

開き直るタイプの性格であれば全く問題はないだろう。
私の場合、生まれてから一度も人生が忙かったことがなく、常に「暇コンプレックス」を抱えている。
本当は、やるべきことを明確にし、出来ることを(出来る範囲で)しっかり遂行したいという気持ちで一杯だ。

そんな気持ちのまま出社してしまうから、
「やるべきこと」に囲まれて忙しそうにしている人々を見ると、
私の暇コンプレックスが刺激され、劣等感と焦燥感に苛まれ、自己嫌悪が止まらなくなる。

でも、営業職に適した頭がない。
今自分がなにをするべきで、具体的にどういうやり方が適しているのか、考えて考えて考えても行き詰まる。

とにかく劣等感と自己嫌悪を紛らわす為、
身に付けるべきと感じるスキルに関連した勉強をしたりもする。
勉強中は頭がまっさらになり気も紛れるが、
この行動は「営業職から離脱する」ことに直接影響を与える訳ではない。

『ぬるま湯につかった給料泥棒』
激務の人からすれば、ただただ鬱陶しい(又は羨ましい)存在なのだろう。

自分の意思で生まれてきた人間は一人もいない

この世に自分の意思で生まれてきた人は一人もいない。
けれど、ひと度生まれてきてしまえば、死ぬまでの人生は自己責任。
ただ生きるだけでもお金はかかるので、
莫大な遺産を受け取ることが出来る人以外のすべての人は、基本的には働かなければならない。

このような状況下で、自分の「出来ること」と「やりたいこと」が一致した幸せな人はほんの一握りだと思われる。
やりたいことで生きる為に死ぬ気で努力した人もいるだろう。そんな人々のことは心底尊敬する。

私はというと、これから生きていく上で最低限必要なお給料と当面の安定を手に入れる為、
正社員として就職し、気が付けば5年目を迎えていた。

入社から4年間、営業適性がないことを絶えず感じながら、なんだかんだやり過ごしてきた。
入社当初の焦りから冷静さを取り戻し、
俯瞰的に見てみれば、適性のない私でも続けられる程「ゆるい」会社だと気が付いたからだ。
それならばと、いかにして低燃費な会社員生活を送るかを最重要課題として、割り切って過ごしてきた。

その分、友人らと比較すれば収入は少ないと思われる。
ブラック企業でもない限り、
基本的には働きに見合うお給料が支給され、また、支給される金額を上限とした働きをするものが会社員だと考えている。

だから私には、興味の欠片もないこの仕事をする為に、
シャカリキになって働こうという気が1ミリたりとも沸いてこない。

それでも、そういう人が視界に入る環境にいるとさすがに、自分の無能さに嫌気が差し、いつもの自己嫌悪が止まらなくなる。

そしてまた、冒頭の考えに至る訳だけれど、
これは結局、努力しない言い訳を無理矢理作り出して、
自分に言い聞かせているだけな気がしてきた。


人生は近くで見ると悲劇、遠くで見ると喜劇

 

時々無性に中学~高校時代に心酔していたバンドの曲が聴きたくなったりする。

聴いてしまったら最後、ぶつけようもない懐かしさに飲み込まれそうになる。

 

常々アピールしてきた「高校時代の完璧な思い出」

 

年齢を重ねるごとに、これのありがたみを改めて実感する。

自分の中で納得出来る、後悔のない時期の記憶と、

そんな風に過ごすことが出来たという事実があるだけで、

日常生活でやるせない気持ちに襲われたとしても、気持ちを保つことが出来る。

 

そういうキラキラした記憶を呼び起こしたくなって、

久しぶりに高校時代に書いた日記を読み返したら拍子抜けした。

そして、「人生は近くで見ると悲劇、遠くで見ると喜劇」という言葉を思い出した。

 

何度も言うように、高校時代の思い出は、

私の中でゆるぎない絶対的な最高の3年間としてパッケージングされているけれど、

当時のありのままの言葉を読み返すと、

(一生懸命でキラキラとしている部分もあるけれど、)醜い部分も残されていた。

 

そして、最近の私もまさにこの言葉の通りだ。

毎日の中でテンションの下がることや、ムカつくことはあるけれど、

以前の自分のように必要以上に悲観的になることはないし、

俯瞰的に見た自分の人生に対してポジティブな気持ちを抱くことが出来ている。

 

これが大人というものなのか。

学生時代の知り合いの成功を耳にすれば、思わずネガティブな自分が出てきてしまうけど、

自分の中で絶対的な思い出があるお陰で、必要以上に落ち込んだり妬んだりしなくて済む。

ありきたりな表現だけど、想像していた未来とは違っても、

人と比べず自分が納得できる生き方をしていけばいいんだということを再認識した。

 

やっぱり、ありきたりな表現こそ真理なんだな。

だからこそ、同じような内容が言い回しを変えて何度も語られるのだろうな。