5月9日(木)理由と膏薬はどこにでも張り付く。

 朝の内雨残るも概ね曇り、ときどきもくもく雲の晴れ。10.2℃~18.9℃、49%。気温は20℃に届かず風がちべたい。

 二日酔いの朝は、もう深酒は止めようと思いまふ。でも夕方にはもうビール飲んでるんすね。これも人間。タハハハ

 

 理性の限界とは:

 デカルトが哲学的懐疑の末、唯一信頼した理性つうのにも限界があります。神ならぬ人間の理性の限界ですね。いくら論理的に考えたと思ても、どこかに誤魔化しや思い込みが入り込んでしまうんす。

 有名な実験に「選択盲(チョイス・ブラインドネス)」つうのがありまふ。例えば、2枚の写真を被験者に見せて、どちらが気に入ったかを選んでもらいます。その後で手品で写真を入れ替えてしまいます。被験者は入れ替えに全く気付いていません。そして入れ替わった被験者が選ばなかった方の写真を提示して、どこが気に入ったのか説明してもらいます。・・・すると自分が選ばなかった写真なのに、それが気に入ったところを滔々と述べるんですね。こりはかなりの確度でこうなりまふ。

 自分が選んだと思い込むと、それに合わせて理屈を付けるわけです。これは理屈の後付けの好例ですが、日常生活の中でも、自分が好きだ、好ましいと感情で思い込んだら、それが好ましい理由を山ほど考えれるのが人間だっちゅうことは、覚えておいてもエエでしょう。逆に嫌いだと感じたら、それが悪い理由も山ほど上げられまふ。世の中にポジショントークが蔓延るわけですね。

 でも、こういう事実を知ったからと言って、その性質が無くなるわけではありません。なにしろ人間なんですから。ただ時々こういう性質が人間には備わっているんだなぁ、と反省してみると幾分は後付け理屈が少なくなるのかな?知らんけど。

 人は自分がやらかしているのは気が付きにくいですが、他人がやらかしているのは良く分かりまふ。評論家やオピニオンリーダーがやらかしているのに気が付くと、その意見を冷ややかに眺めるくらいの余裕は持てるのかな?いやそりも理性がやってることですから、ホントかどーかはわっかりませーん!アリャリャ?・・・かくして理性の無限ループに入り込みまふ。

(本日の表題は、「屁理屈と鼻糞はどこでも張り付く」だったんだけど、余りにも下品だから少し改変しますただ。)

5月8日(水)旧更衣。町田方面にて昼飲み。

 もくもく曇り時々薄日、夜少雨。23.8℃~11.4℃、60%。8500歩。北寄りの風やや強し。

 

 我沈没す:

 久しぶりに町田方面で会食す。約9名の論談大いに盛り上がり、気が付いたら午前様。銘酒山田錦を飲み過ぎた。ああ、このような日もありき、風のつべたい日なりき。でも、よく帰り着いたな。不思議?

5月7日(火)見えないものを見えるようにする時にも性格が出るとは。

 雨時々止む、夕方から曇り。18.6℃~22.2℃、74%。南風やや強し。気温は終日20℃前後と低め安定。

 Zoom会議。イロエロな意見があるもんだ♪

 

 発明か発見か?そりが問題だっ:

 数学(科学?)において、新しい定理や証明は人間が作り上げ、構成した「発明」なのか?それとも元々この世界に存在している真理の「発見」なのか?という論争がありまふ。ま、神の目から見れば両方ともおんなじなんでしょうが。

 でもその後の発展性を考えれば「発明」に分があるような気がしまふ。「発見」だと見つけてしまえば、そこでお終い、金を掘り当てたようなもんで、そこから先はあーりまへん。そこが到達点でお終いなんだすぅ。

 一方、人間が努力して積み上げた「発明」なら、そこを起点としてまたその先へと積み上げることができます。なにしろ人間の努力次第なんすから。作るのか?見つけるのか?こりは人の性格や志向によって好みがあるようです。こつこつと分析・総合を繰り返す研究者型と、一発でっかいことを志向する探検家やギャンブラー型になるのかな?

 こりは芸術にも言えることで、自分が構想して創り出したと考えるタイプと、元々石や木材の中に存在していた作品を彫り出したと考えるタイプがおりまふ。このばやいは後者の方がイイ仕事をしているような気がします。いわゆる天才的なひらめきですね♪

 ま、元来が考え方の問題なんで、根源的ではあーりまへんが、世界の意味を考えるときの指向性に違いが出ると言えるでしょう。ジャンジャン

 

5月6日(月)蛙始鳴。意識の生成と消滅とは。

 薄曇りのち本曇り。19.1℃~23.6℃、62%。3300歩。南寄りの風やや強し。気温の差が小さい夏日。 

 むかし日野の方に住んでた時は、周りが田んぼでカエルの鳴き声に囲まれてたなぁ♪都会は季節の鳴き声が極めて少ないですぅ。

 

 人生とは:

 仏教の公案(修行のために集中して考える題目)の一つに「父母が生まれる前の自分とは一体なんだろう?」というのがありまふ。父母がまだこの世界にいないのに、自分がこの世界にいるわけがないじゃーん!と思いますよね。

 自分とは、ある時に気が付いたら、この世界に居たという存在なんすね。すなわちそれ以前は「無」なんすよ。ナッシングー!「気づいたら存在してた」という偶発的な存在、それが「私」です。何か意図して存在させられたものではあーりまへん。

 でも、一端存在させられてしもたら、「この世界に存在しないのは嫌だ嫌だ!」つうのも生物としての本性です。なぜかはわっかりませんが、身体性から来る本能なんでしょうね。元々気が付いたらこの世界に居たという存在なんすから、論理的に考えてもこの世界にしがみ付く論拠はあーりまへん。

 とは言え、この世界を興味深いものとして楽しむココロも与えられてるから、夢中で駆け出し、駆け通しまふ。何も考えなければ結構楽しく暮らせるんすね。子供の頃ほどではありませんが、次々に知らなかった新しい世界、新しいことが開示されますから。

 そしてこの世界で「見るべき程の事をば見つ」という心境になったら、この世界にはもう未練はあーりまへん。でもそりは、自分の好奇心が枯渇したことを示しているのかも?偶然この世界に湧いた生物に、この世界の全てを見て、解るなんてあーりえませーん!

 そしてある日、ある時に、自分の認識主観がプッツンと途切れて、人はまた原初の「無」の世界に帰って行くんです。「突然気が付いたらいなくなってた!」つうような生まれたときと同じような瞬間はありません。これはこれで、なにかスッキリした感じがしませんか?生きてる時の想像に過ぎませんが。

 最近、小難しいことばっかし考えてまふ。小人閑居して不善を為す。かな?。アハハハ

 

 

 

5月5日(日)立夏。こどもの日。人の話を聞くにもバランスが大切です。

 少し白っぽい快晴!15.4℃~27.7℃、37%。4600歩。午後から南の風強し。夏日。全国では100ヵ所以上で30℃超えの真夏日なり。早くも夏立ちぬ。

 

 都心を散策:

 子供の日端午の節句(菖蒲の節句?)だすぅ。菖蒲湯のショウブを買ってきた。もっちろーん柏餅も3つ買いますた♪

 都心のビオトープを探索す。一か所で青い宝石@カワセミを視認す。粘土質の土手のに穴掘って巣を作っていた♪池には小魚がいて、小さな土手があれば、カワセミはやって来るんですね。カップリングが成功して雛が育つといいな、いいな♪

 

 最近思い出した格言とは:

 「人の意見とか、一般常識とかに惑わされないようにして、自分の考えを持たなくてはいっけませーん!」(忌野清志郎

 意固地になってはいけないが、常識にとらわれていては発展性がありまへん。人の言うことばっかし聞いていると「老爺と息子と驢馬の話し」みたいになっちゃうからね。聞く力とはイロエロな意見を聞いて、自分で判断する力なんす。その為には自分が確立していなければなりまへん。

 そのあたりは「聞く力」と「鈍感力」がミックスした岸田ソーリが最強かも知れないですね。聞けども動かず、やると言っても動かず、でも党内のバランス関係は維持していると。これはひょとして大物かもね?あの策士小沢氏も「要注意!」なんて警報発しているし。しかし、国民の支持がここまで落ち込んでると、はたしてどこまで耐えられるのか?鈍感力が問われるところだすぅ。アリャリャ?

5月4日(土)みどりの日。生命の源は水より空気?

 快晴!14.8℃~27.8℃、22%。3900歩。夏日なり。つーか、日本全土で言えば真夏日も多いですぅ。7月下旬の気温だとか。ヘロヘロ

 熱中症の罹患者も極めて多いです。この時期かだらがまだ暑さに慣れてないから、水分補給を怠ると、あっという間に熱中しちゃうらすいのだ。

 

 バイタルに必須のものとは:3・3・3・3

 主観的にはずーっと生きてると思うけど、実際、人間てのはあっという間に死んじゃうんすね。いわゆるサバイバルの「3・3・3・3の法則」つうのがありまふ。

 まず動物にとっていっちばーん大切なのは空気(酸素?)ですね。空気は3分遮断されると命を落としまふ。次は体温かな?かだらが冷えて3時間経つと低温症でしむとゆわれまふ。その次は水分かな?人は水を飲まずに3日たつと生きているのが難しくなりまふよ。とても大切だと思てた食料が無くても、意外と生きて行けまふ。何も食べないと、餓死は3週間から30日で起きまふ。

 まとめると、空気、体温、水分、食料のそれぞれの欠乏が、3分・3時間・3日・3週間経つと生存が極めて難しくなるという経験則があるんすね。もっちろーん人体実験なんかできないから、過去の事故例に鑑みた大まかな数字だと考えます。それに生存耐性は個々人のバラツキはがありまふ。がっ、目安として覚えておいてもエエでしょう。

 空気欠乏は幼児のプチトマトなんかの喉詰まらせや、高齢者のお餅詰まらせが季節的にニュースになります。低体温は登山や無理な行軍などの事例が多いです。眠ると体温が下がるから「眠っちゃいかーん、眠ったらしむどっ!」とか言って励ましますが、あんまし寝ないと(3日~5日?)精神錯乱して死んじゃうから痛しかゆし。

 水さえあれば食料なくても一か月くらいは生きて行ける!というのは、結構しぶとい気はしますが、それまでの懊悩は並大抵じゃないと想像できます。漂流した人の手記を読んでみると、それがほんのりと実感できます。考えてることが全て食べることばっかし。脳が食料に占領されてしまいまふ。

 それで助かった時に最初に飲んだぬるい水が、今まで生きてきた中でいっちばーん美味しかったんだと。とても甘かったんだと。欠乏が人生を満たすのか?なんか矛盾を感じますが、こりが生物の身体性だと思います。かだらが欲するもの、芯から欲するもの、それこそが身体性の顕現ではあるまいか。

 3分間息をしなかった後の深呼吸も甘い感じがするのかな?いまだやったことが無いからわっかりませーん。ジャンジャン

 

5月3日(金)憲法記念日。薫風に誘われて都内さむぽ。

 もやけた五月晴れ!11.4℃~24.2℃、35%。17100歩。夕方南風やや強し。

 都の新型コロナ定点把握:17週の1医療機関当たりの平均感染者数は2.39人(-0.89)とまた減少♪インフルエンザは終息した模様だが、街にはまだ咳者が多い?

 

 連休後半始まる:

 遠くに行くのもインバウンドと重なって疲れそーですから、近場で過ごす。都心で緑の多い場所と言ったら、何といっても皇居ですよね。そいで今回の銭湯の旅は皇居に設定したら、約6名が集まったです。

 東京駅丸の内北口に集合し、まずはオアゾにて腹ごしらえ。かこいやという個室レストランで和定食を食す。旨し!オアゾの1Fには、ピカソの「ゲルニカ」の原寸大陶板レプリカが展示されてまふ。こりは四国の大塚美術館から持ってきたものだとか。こりは一見の価値あり!

 そこから行幸通り経由で和田倉門、大手門に至る。三の丸尚蔵館を過ぎると皇居東御苑に達する。昔の江戸城本丸跡でやんす。天守閣跡に登ると、そこはもうインバウンドで一杯!早々に退散して、北詰橋門から代官町方面に出る。半蔵濠脇の千鳥ヶ淵公園を通って英国大使館脇に至ると、そこの脇は大使館から寄贈された公園になっていて、ウィリアム皇太子が植えた桜の木がありまふ。その内に英国国王御手植えの桜♪なんてなるんかな?

 一同そこから地下に潜って、半蔵門線で渋谷に行く。そこからバスに乗って恵比寿方面に3駅のところに「改良湯」つうのがありまふ。ここは最近改良されたモダンな銭湯です。普通の(普通てなんだ?)銭湯は老人が多いのに、ここは渋谷に近いということもあって、な、なんと20代、30代が極めて多いです。高濃度炭酸泉が目玉で、サウナもついてまふ。

 ここで1時間ばかり温泉気分を味わう♪やはし何処でつかっても風呂はいいもんですねィ。全員ほかほかと温まっていい気分♪今日の一行は約6名なり。次回を約して解散す。やはし何の目的もない旅っつうのもエエもんだすぅ♪ハレハレハレ