元陰キャオタクおじさんの剣禅珍道中

かつて陰キャでオタクだった中年男性が侍を目指し、剣道、坐禅、囲碁、短歌、その他に挑んで痛い目に遭ったり、自分のダメさにがっかりするブログ。

雑誌に関して

雑誌の剣窓、禅の友、碁ワールド、NHK短歌を購読している。

それぞれ私が所属(?)している団体の機関紙のような月刊誌である。

 

剣窓は全国で行われている大会の結果やインタビューが載っている冊子。

禅の友は永平寺総持寺の行事や仏教関係者の書いた記事が載っている冊子。

碁ワールドは棋戦の結果や囲碁の講座などが載っている。

NHK短歌はテレビ番組のテキストだが雑誌として単独で楽しめる。

読者が投稿した短歌の添削や、色々な歌人のコラムが載っている。

 

過去には剣道時代、短歌研究、禅文化などを読んでいた。

これらの本は大変内容も濃く、勉強にはなることが書いてあるのだが、

通勤中に電車の中で読むにはちょっと内容がガッツリすぎる。

今読んでいる雑誌ならば30分~1時間ぐらいでさらっと読める。

短歌のバイブル

短歌においてバイブルとしている本。

斎藤茂吉万葉集の秀歌を選び解説した万葉秀歌。

弟子である佐藤佐太郎が斎藤茂吉の秀歌を選び解説した茂吉秀歌。

万葉調と写生というものをこれらの本で理解しようと努めている。

万葉調は率直・素朴。写生は「生のあらはれ」ということらしい。

私は才能は無いがそういう歌が詠めるようになりたい。

万葉秀歌と茂吉秀歌

 

稽古始め

剣道の稽古始めをして来た。

去年は仕事が忙しく全然参加出来なかったが、

今年は少なくとも月一ぐらいは参加したい。

それはそうと現在の課題と目標。

防具をきちんと付けられるようにする。

胴紐がきちんと結べていないため、

すぐにほどけてしまう。

剣道は礼に始まり礼に終わる。

着装は大事である。

迷走録その6 辿り着いた場所(2020~現在)

居合の会を退会する際に考えた。

やはり自分がやりたいのは剣道だ。

確かに年齢的には厳しい。

だが誰かに勝つためにやっている訳では無い。

もう一度剣道をやってみたい。

だが居合の会で雑用を押し付けられた。

同じような失敗はしたくはない。

もっと気軽に剣道が出来る場所は無いか。

そう考えて色々と検索をした結果、

社会人剣道サークルというものがあると知った。

こちらなら自分のペースで剣道が出来る!

そして仕事が忙しくなったりしつつも、

剣道を続けることが出来るようになった。

亀の歩みで進んでいるため、

ようやく防具を身に着けるまで行き、

級審査はまだまだ遠い道のりだが・・・

 

そして座禅においても今までの失敗を反省して、

居士号や公案修行のカッコよさに捕らわれず、

悟りというものは何だろうと考えた。

こちらも色々と検索をして探してみた。

一旦認識が止み今の様子しかない。

そう気づくことが悟りである。

そう主張している方を発見した。

一般人だが、曹洞宗の寺院で修行した方で、

オンライン坐禅会を開催されていた。

こちらも気軽に自分のペースで修行出来る!

こちらも修行を続けさせていただいている。

悟りを開ける道は遠そうではあるが・・・

 

そしてもう二つずっと考えていたことがあった。

詩と盤面競技である。これらも武士の嗜みだからだが、

詩で感性を鍛えて盤面競技で大局観を養いたい。

そのような実利面も考えてのことだった。

 

詩は川柳か俳句かどっちかをやろうとしたが、

やはり歴史が深く、武将の辞世の句も短歌であり、

さらにサラダ記念日のような現代的なものもあり、

懐が深いということに惹かれて短歌を選択した。

方法としてこちらも今までの反省点から

結社などには参加せず、通信教育という手段を選んだ。

NHK学園で初級コースから開始して実践コースまで進んだ。

 

そして盤面競技は迷うまでも無く囲碁だった。

大河ドラマ真田丸やおんな城主直虎でも

キーアイテムとして描かれており、

さらにヒカルの碁を読んだ世代だったためである。

こちらも方法として色々と検索して調べて、

日本棋院に入会すればテキストによる学習が行えて、

初心者コースから詰碁のテストを通じて、

徐々に級位を上げられるということを知った。

そしてこちらも徐々にステップアップしていき、

現在は囲碁ワールドという雑誌を購読し、

毎月課題を解いて、現在5級の腕前である。

 

色々と迷ったが、ついに仕事と趣味を両立出来る環境に辿り着いた。

だがまだまだスタート地点に立ったばかりである。

私の辿った道はこのブログのタイトルの通り珍道中と言えるのではないか。

恐らくこれからも才能の無さと愚かさを痛感することになることだろう。

迷走録その5 居合(2018~2020)

剣道からフェードアウトしてからしばらく、

再開したいという思いはあった。

しかし私はもう35歳を過ぎていた。

体力も低下しているし今更厳しいのでは

そういう思いがあった。そこでふと思った。

居合ならば上を目指せるので無いか。

 

そこで居合をやっている会に連絡を取り、

見学の後、稽古に参加した。

ここでも当初はへたっぴだったが、

毎週欠かさず練習して徐々にマシになっていった。

そして仕事も幸運にもホワイト企業に転職出来たからか

休日出勤を命じられることも無くなった。

こちらはとりあえず初段までは取ることが出来た。

 

だが、別の問題が発生した。

居合の会をやっているご老人達が立派では無かった。

最初からあまり教えてくれなかったり、

馬鹿にするような態度を取られたりだったが、

毎週稽古に参加し敬意を持って接していれば、

こちらの誠意が通じ仲間と認められる

そのような考えで頑張っていたが甘かった。

 

好意で会の名簿作成をやった結果、

私に無断で私がやることを決め出し、

自分達がやりたくない仕事を私に押し付け、

居合と関係無いことの無償奉仕を要求して来た。

私の都合も言う事も露骨に無視して話が通じない。

向こうは定年退職していて暇だがこちらは仕事がある。

向こうにとって小さな利益だがこちらにとっては死活問題だ。

 

彼らにとって私は価値が無かったのだなと納得して、

引き受けられない旨と稽古に参加出来ない旨を伝えると、

私が来ないと寂しくなると言いだした。だが態度を改めようとはせず、

こちらの意思を無視して稽古に引きずり出そうとしかして来ない。

かくして私は自分の身を守るために退会せざるを得なくなった。

 

以下、今後のために反省点をまとめてみようと思う。

1.剣道は出来なかったが居合なら出来るという考え

このような考えを持っていたから舐められ、

軽視されるという結果を生み出したのかも知れない。

2.自分を軽視する相手に好意的に接した

相手を付けあがらせるだけであり悪手である。

このような人々が変わるのは相手を恐れた時だ。

今回のような場合はすぐに距離を置くべきだった。

3.頑張りすぎた

欠かさず稽古に参加して、電話にすぐに出たりした。

それが相手に誤解を与えてしまった。これは趣味だ。

あくまで仕事や家庭が人生の主であり、それらのために行うべきである。

4.反面教師

私にも原因があったことは事実だが、彼らのような行為はすべきではない。

それが仕事など相手にとっての責任だというのならば話は別だが、

相手には相手の考えや立場があり、好意は借りだと認識すべきである。

彼らがこのようなことをした原因は恐らく驕り高ぶりだろう。

自分も同じことをしないように気を付けなければならない。

剣道・座禅・囲碁・短歌をやっているから偉い訳ではない。

私より下手な人が居たからと言って見下さないようにしよう。

人道的な観点はもちろん。自分の身を守るためにも心掛けたい。

「居合とは人に斬られず人斬らず 己を責めて平らかの道」

居合の祖である林崎甚助源重信公が詠まれたという和歌である。

迷走録その4 剣道を始める(2012~2014)

新渡戸稲造の武士道を読んで座禅を始めたが、

もっとも重要なのは武芸である。

かくして何らかの武術を始めようとしていた。

どうせなら実用性がある武道の方が良い。

そう思い初めに関心を持ったのは柔道だった。

見学に行ってみたりはしたのだが、

思い出した。私は顎が外れやすい。

いやそもそも武士と言えば剣だろう。

そう気づいてやはり剣道にすることにした。

かくして近くの町道場の門を叩いた。

建長寺の座禅会に参会していた頃である。

そもそも私は運動音痴の陰キャだったのだが、

最初は本当にひどかったが、

欠かさずに稽古に参加して一生懸命練習すると

上達してしだいにマシになっていった。

が、「さあ級審査に参加するぞ!」という時だった。

報国寺の座禅会にも書いた通り、仕事が忙しくなり、

土日両方仕事をしなければいけない事態となり、

かくして報国寺座禅会同様次第に稽古から足が遠のき、

自然にフェードアウトしていってしまった。

結局級も取らずに終わってしまった。

迷走録その3 様々な坐禅会に参加(2015~2018)

報国寺座禅会で挫折し、

再び私は建長寺の座禅会に参加していたが、

この際色々と試してみようと思って、

今までは臨済宗の座禅をしてきたが、

違う宗派の座禅会に色々と参加してみた。

曹洞宗大本山総持寺から始まり、

高野山東京別院の阿字観、

比叡山延暦寺の止観、

高野山金剛峰寺の月輪観、

はてはテーラワーダ協会のヴィパッサナー瞑想まで。

色々な坐禅を試してみたが、

やはり公案修行をして居士号をしたい

そう思っていると社会人によって組織された

坐禅会があるということを知った。

社会人だったら仕事と両立出来る環境が

整っているのでは無いだろうか

そう思って参加してしばらく経ち、

再び本格的な坐禅会に参加する機会を得たが、

そこで分かったのは働きながら座禅を行う

システムがあるという話では無く、

仕事や家庭を犠牲にして座禅会をやっている

という事実だった。私は甘かった。

かくして再び私の目論見は打ち砕かれた。

が、失敗したのに懲りずに、

今度は曹洞宗臨済宗のハイブリッドである

三宝禅という座禅会を見つけた。

学習能力が無い私でも何度も痛い目にあったので、

今回はいきなり参加せずメールで質問してみた。

その中でこんな質問をした。

「居士号は貰えるのでしょうか」

すると会員の方は渡しにピシャリと言った。

「貰えるがそれが目的なら邪道です」

その言葉にハッとさせられた。

私は山岡鉄舟のようなカッコいい人に憧れ、

坐禅をして老師から居士号を貰うという

ストーリーをたどることに固執していた。

しかしそもそもお釈迦様は全てを捨てた人だ。

仏教も生きることもそんなにカッコいいものではない。

それで目が覚めた私はここに参加することも

曹洞宗臨済宗の融合というカッコよさに惹かれたからだ

そのように思い、結局参加することは無かった。