学力では測れない頭の良さ

「頭の良さ」について話す時、「頭の良さ=学力じゃない」というようなセリフをよく聞くが、そんなことはないと思う

学力と学力以外の体感的な頭の良さには間違いなく相関関係があると感じる


では何故、頭の良さ=学力じゃないと考える人がいるのか

学力(テストで良い点取るため)に必要な要素を考えてみる

①理解力
高校の教科書レベルくらいまでならここが弱くても何とかなる

②暗記力
ある程度は必要だが本当にある程度で良い

③集中力
理解力があってもここが弱いと点数が取れない場合がある

他にもたくさんあるがざっくりこんな所ではないかと思う

みんなの言う
学力はあるけど頭が良くない人というのは、暗記だけでゴリ押して理解力は実は無かった人
学力は無いが頭が良い人というのは、勉強に対する集中力がないが理解力は実はあった人

しかしこれ、後者はともかく前者は簡単なレベルのテストでしか通用しない
「東大出てるけど馬鹿だろあいつ」が成り立たない



「東大出てるけど馬鹿だろあいつ」が何故起こるのか考えてみた

①単なる嫉妬

②些細な粗でも目立ってしまう
東大卒だから物凄く頭がいいはずという先入観があるのでちょっとしたミスでも目に付いてしまう、「東大卒なのにこんなミスするんだ、意外と頭悪いんだね」みたいな

③たまたま抜け落ちている能力のある人だった
例えばたまたまずっと実家暮らしで親が甲斐甲斐しく世話してくれるタイプの人だっだために、たまたま生活力がなかった、とか?
炊飯器?洗濯機?使い方分かりませーん、お湯の沸かし方分かりませーんみたいなね
ただこれ知ってるか知らないかってだけで、やり方さえ知れば即出来るようになるから

④自分より高すぎるレベルでの頭の良さを理解出来ない
たまにある気がする
極端な話をすると、猫からすると人間はすごく馬鹿でとろくて劣っているように見えたりするらしい
学力の高い人からすれば筋の通ったことでも、学力の低い人には「何わけわかんないことやってんだよ馬鹿だろ」と感じたりするらしい、馬鹿はお前だよ




容姿の変化を指摘されると不快になる理由

「変わらないね」というセリフの違和感について前に書いたけれど「変化したこと」について言及されるのも嫌だ

髪型を変えたとかメイクを変えたとか痩せたとか、ネイル、服の系統、髪色etcなんでもそうだけど、容姿が変化したことを他人に指摘されるのが昔から嫌い

「髪切った?」「痩せた?」「可愛くなったね」「前のが良かった」褒められようと貶されようと、どんな言われ方をしても不快感はある

この意見はどちらかというと少数派らしい


何故嫌なのか?知りたくなったので考えてみた


①変化に気づくほど普段他人をジロジロ観察しているということだから
→純粋に気持ち悪い、職業が美容師だからつい他人の髪を見てしまうだとかなにかまっとうな理由があるなら不快さは半減

②良い変化に気づくということは悪い変化にも気づくということだから

③「些細な変化にも気づける俺」な下心が透けて見えるから
→異性から何か言われた時に感じることが多い、「女はとりあえず見た目褒めときゃ喜ぶだろw」「メイクの違いに気づける俺スゲーだろ?他の男とは違うだろ?好感度爆上げだわーw」とか思ってそうな感じが気持ち悪い

④容姿に言及しても許されるほどの関係性を築いてないから
→親しい友達や恋人に言われるなら不快度はぐっと下がる、たいして親しくもない人に言われるととても気持ち悪い

⑤"お前のためにやってるわけじゃない" から



考えてみたけどやっぱりよくわからないな
理由はこれだけじゃないと思うしよくわからない不快さがある

変化に限らず容姿・見た目に言及されるのが本当に嫌い
見た目についていちいち何か言わないと気が済まないやつ多すぎでは?

「最近の若い子って」から始まる質問

「最近の若い子って休みの日とか何してるの?」


これは私に一体どういう意図で聞いているのか


私が最近の若い子についての実態を把握していると思ってる?
私のことを最近の若い子代表か何かだと思ってる?
最近の若い子○人に聞いてみました的な企画でもやってる?統計取ってる?


で、それを聞いてどうしたいわけ?
と思ってしまう


本当に「最近の若い子」について知りたいとしたら
・統計取ってるなら、まあわかる
・私が若い子について詳しいと思って聞いてるとしたら、知り合いの少ない私は質問相手として不適切である
・私を若い子代表だと思ってるなら、全国の最近の若い子が休日にしていることは「ドライヤー」ということになるけどいいのだろうか、まあみんなしていることではあるからある意味正解ではあるのかw


ただ単に私が休日にしていることについて知りたかった場合
この聞き方は私のことを「私」という一人物ではなく「最近の若い子」として見ているので失礼だと思う


そもそも「若い子」という言葉自体になんとなく相手を見下しているような印象があるから嫌いだ


何にせよこの聞き方をして悪い印象を持つことはあっても良い印象を持つことはないので辞めていただきたい

話を途中で遮る人が嫌い

まだ最後まで話し終わってないのに途中で割り込んで来る、遮る、勝手な結論付けする人、それでどうやってまともに会話出来るんだろう?

「○○だけど」という前置きから始まって「✕✕。」と結論を言う話し方を自分はよくすると思う

この、前置きのみを喋った段階で話を遮って自分の意見?をぶち込んで来る人が大嫌い


例えば
「(この話以前既に)話したことあるかもしれないんだけど、」と言われたら

その後に話したことあるかもしれない何かしらのエピソードが来るだろうと何故予測出来ない?

「何を?」←それを今から話そうとしてるんだろうが
「誰と?」←誰かと話した経験があるかもしれないことを喋りたいなら「誰か」の部分は省略しないだろ
ていうか当たり前に脈絡でわかれよ


やつらはたぶん、アレだな、少し文の構造が複雑になると途端に話がわからなくなる
つまり、母国語が日本語じゃないんだろう
なら仕方ないか

同窓会で「変わらないね」と言う人

同窓会で久しぶりにあった知り合いにかける「変わらないね」というセリフにモヤモヤする


変わらない=変化がない、成長も進歩もないというように感じる


言ってる人はたぶん、昔と比べて変わらない部分を見つけて過去を懐かしむような意味で「変わらないね」と言っているだけだと思う
喋り方、癖、目の形、身長、気質(明るい、大人しいなど)
悪気があるわけでは決してない


でも、もし相手がダイエットを死ぬほど頑張って○kg痩せた人だったら?
もしメイクや髪型について一生懸命勉強して垢抜けた人だったら?
見た目だけじゃなく、学校でめちゃくちゃ勉強して知識を身につけたりだとか、働いたりボランティア活動したり留学したり結婚したりその他にもいろいろ、様々な経験を積んで成長したりだとか、した人だったら?

「変わらないね」は努力の否定であり侮辱にすら感じるのでは


「変わらない」と言いたいのであればせめて具体的に変わらない部分を伝えて欲しい
「笑い上戸なところ、変わらないね」「そういう優しいところ、変わらないね」
これならば、"笑い上戸""優しい"を否定的な意味で捉えない相手であればモヤモヤしないのかな


見た目に関して「変わらないね」というのは全般的にNGだと思う
よくあるのが久しぶりに顔を合わせた時の第一声の「変わらないね」
第一声なので100%見た目に関係する「変わらないね」である
見た目のことは、特に女性であれば、全く気にしない人は少ないと思う
日頃気にかけている部分を「変わらない」と言われるのは嬉しくもなんともない


老化・劣化して然るべきところを「変わらない」と言うのは褒め言葉にあたるかもしれない
学生時代の知り合いに40代、50代になってから久しぶりにあって「変わらないね」と言われたら若いまま維持出来ていると言われたような気がするかもしれない

が、全然老化していない、若いまま維持できている人にあったら普通に「全然老けないね」「若く見えるね」などと声をかけると思う
「変わらないね」という言葉に老化・劣化していないという意味合いは含まれていないと思う