自分の将来を考えて
ブログから離れて約3年ほど経ちました。
大学を卒業して就職し、1度の転職を経て今は営業職をしています。
世間一般的に残業とか多くてきつそう~と言うイメージをもたれる営業ですが、ご多分に漏れずしっかりとみなし残業を行いながら、白目を剥いて毎月のノルマと日々戦っております。
そんな営業の仕事に忙殺されていて、しかもブログも得意ではない私が超久しぶりに記事を書いています。
なぜ久々に記事を書く気になったかというと理由は2点ほどあります。
- 自分の学びや知識の定着化のため
- 理想の将来への足がかりのため
それぞれ簡単に説明できればと思います。
自分の学びや知識の定着化のため
他の人は一度言われたらすぐできるようになるものを、私はより時間をかけて何度も繰り返さないと覚えられないことが多々あります。
ただそんな自分とも20年以上付き合っているので、特に悲観はしていません。
できない分人より多くメモを取ったり、それを振り返る時間をたくさん設ければ良いやん!と割り切ってます。
ただそれらを続けていく中でもあんまり効率的じゃないなぁと思う点が多く、課題を感じていました。
もっといい方法を考えていた時に思いついたのが、ブログでした。
よく聞く話ですが、人は学習してる時よりもそれを人に教えている時の方が定着するらしいので、何かしらにアウトプットしてやろう!と思いました。
ただ、周りの人にアウトプットするのも恥ずかしいし、なんだか偉そうやなあと思ったので、知らない不特定多数にブログとしてアウトプットしたろうと思いました。
ですが、こんな有意義な情報あるで!聞いて!聞いて!なんてスタンスは一切なく、自分のメモここに置いとくので、見たい人いたら全然みてOKやで!いないと思うけど!!
というスーパー受け身の姿勢で、やっていければと思ってます。
理想の将来への足がかりのため
私は今営業していますが、今後死ぬまでずっと営業として働いていこうと思ってません。というより、体力的にこんな仕事を50、60までやるなんて正気の沙汰じゃありません。
自分も電車で見かける廃人の様な中年サラリーマンになる未来がくっきりと想像できます。
それなら将来的にしたい仕事は決まってるのか?というと特に何も見当がついてないのが現状です。
ただ、理想として自分の好きな時間に好きな場所で働く仕事ができたらいいなとは漠然と思ってました。
その手段を考えたときにパソコンを使う仕事やろ!と思いました。
実際「自分の好きな時間に好きな場所で働く」とググって見ると、ライター、プログラマー、webデザイナーなどパソコン上で作業を進める仕事がたくさん出てきました。
その中で1番とっつきやすくて、時間と場所を選ばない仕事がブログだったので、ここを足がかりにパソコンに触れる時間を増やして、自分の理想の将来の状態を実現していこうと思います。
正直このブログの記事がこれを最後になってしまう可能性は全然あると思ってます。
前回も時間のある大学生の時期に10記事しか書けていなかったので(笑)
先のことはわからないですが、今後もこのような形でいろいろ試していく姿勢は忘れないでいたいなぁと思います。
まずは一記事投稿完了!!!!!!
以上!
#10 ツッコまれる人間であれ!
イラっとした原因
「知らんけど言う必要がないやろ!」
人にツッコまれる人間であれ
私が誰にでもツッコめる人間であればよかったのですが、生憎そこまでの精神力は持ち合わせていませんでした。ですが、私以外の多くの人も、お互いに嫌な気持ちになるのが分かっていて相手に意見する人はほとんどいないと思います。
A君のように、自分の発言や生き方にプライドを持ち、周りの人に意見させない空気感を醸し出すのも良いかもしれませんが、長期的に見ると周りの人が意見しやすい、ツッコみやすい人の方がアドバイスをもらえたり、人として愛されるとともに幸せを感じやすいのではないかなと思いました。
結論:周りの人への態度を振り返りつつ、お笑い勉強しよう!
おわり☆
#9 東京→金沢ヒッチハイク-到着-
※この記事は#8の続きです。
成す術がないとはこのことを言う
私たちは串揚げのお兄さんの車に乗り、次の横川SAを目指すことになりました。串揚げお兄さんのカーナビが訳も分からない場所に私たちを連れて行くというハプニングもありましたが、無事目的地まで送ってくださりました。本当にありがとう!!
横川SAに着き、ヒッチハイクを始めたところで軽く雨が降り始めました。しかも、このSAはこれまでのSAに比べて台数が圧倒的に少なく、かなり嫌な予感がしました。そして、その後すぐにその予想が的中していることに気づきました。
周りを見ると歩いている人がほとんどいないうえに、大きいSAなので自分のいるところと反対側の出入り口から人が往来することも多く、声をかけられる人が少なくなってしまいました。
しかし、だからといって諦めるわけにもいかないので、そんな状態で声を掛け続けました。40分ほど経ったとき、ある1人の男性に声をかけるとこんなことを言われました。
「自分は岐阜方面に向かうため、次のSAの東部湯の丸SAまで連れていける。しかし、東部湯の丸SAはここよりも台数が少なく、そもそも今自分たちがいる横川SAや東部湯の丸SA(長野方面)から北を目指す車は殆ど無い」と告げられました。
雨が降っていて、車の台数も少ない。
そのうえ、私たちが向かいたい北方面に行く車はほとんどない。
これらの事実は絶望以外の何物でもありませんでした。
久しぶりに乗せてもらえそうでしたが、次の東部湯の丸SAに行ったところで状況は悪くなるだけらしいので、この男性の車に乗ることは断らせていただきました。雨が降る中、放心状態でスケッチブックを持ち続けることしかできませんでした。
選択肢
そんな状態で20分ほど立ち尽くしていると先ほどの男性が駆け寄ってきて、
「金沢には今日中に着かないといけないの」と聞かれ、そんなことはないと伝えると、
「代案として遠回りだが岐阜方面に一旦向かって、北上する方がいい、それなら岐阜辺りのSAまで送っていける」と告げられる。
つまり、岐阜辺りのSAでは名古屋周辺から金沢に向かう車に出会いやすいため、時間はかかるけどここに残ってヒッチハイクするよりもいいのではないか。また、今なら岐阜のSAまで乗せていってくれるという提案でした。
ここに残って北上していく車を見つけるか、
男性の車に乗って岐阜方面に向かいSAで一泊、その後岐阜のSAで降ろしてもらって、そこから金沢に向かう車を探すか。
究極の選択でした。
ここにとどまってヒッチハイクを続ければ、誰も乗せてくれないかもしれないが、乗れれば今日中に金沢に着く可能性がまだある。岐阜ルートを選べば、今日中に金沢は無理ですが、明日には金沢に着く可能性が高い。
10分ほど考え、私がいよいよ心の中でその場にとどまるという旨の発言をしようと心の準備をしているとき、張り詰めた空気の中「岐阜ルートにかけてみますか?」と後輩が発言し、行き先が決まりました。
この男性はトラックの運転手をやっており、規則で今日は20:00までしか車の走行ができないようなので、今日は駒ヶ岳SAというところまで行って一泊。翌朝7:00に再出発して岐阜まで向かうということになりました。
しかし、
どうやら今回のヒッチハイクにおいて神様は私たちを甘やかすつもりはないらしい。
空白の11時間
トラックでしばらく進むと大雪が降り始め、次第に道路が込みだしたうえに、速度制限がされ始めました。
トラックの運ちゃん「こりゃ駒ヶ岳SAは無理だな」
その後も運ちゃんはできるだけ急いでSAに向かってくれたのですが、あと少し時間が足りず、駒ヶ岳SAの一つ前の小黒川PAで一泊することになりました。※PAよりSAの方が施設の規模が大きく、長い時間営業していることが多い。
運ちゃんにお礼を言って翌朝7:00まで一旦別れ、とりあえずPAの施設内に入っていきました。とりあえずフードコートでラーメンでも食べるかと思ったら、まさかの20:00に営業終了、その時の時刻は19:57。さすがに今から注文することは良心が痛んだので、同じく20:00で営業終了の売店でわずかに残っていたパン2つを急いで購入しました。
売店はシャッターで閉められ、残った自動販売機スペースだけで翌朝7:00まで過ごすことに…。
寝る場所も座る場所もやることもないので、最初の2時間ほどは後輩と立って話しながら時間をつぶしていたのですが、それでもまだ22:00。睡魔はあるものの、あまり床に座りたくなかったので我慢していたのですが、諦めて体育座りになって寝ることにしました。
ですが、人間が寝る姿勢ではないうえに暖房が切られて薄ら寒いので、思った通り最悪の寝心地でした。なんとか眠りに落ちるものの、1時間程度寝ては起き、寝ては起きを3度ほど繰り返すと、体が寝るのを拒絶するかのように目が覚めてきたので、そこからはずっと立ちながら携帯をいじって時間をつぶしました。
20:00の時点ではこの部屋に11時間は暇すぎてつらいと思っていましたが、睡眠と生産性のあることはできない(頭が疲れすぎて)と認識してしまうと、他にできることは何もないので、スマホをいじることに集中できて逆に楽しくなってきていました。
人間は選択肢があるからつらいのだ。
到着
スマホと後輩との会話で魔の11時間を乗り切り、 7:00に運ちゃんと合流。
そして岐阜県を目指して出発しました。車内で後輩と話し合ったのですが、ヒッチハイクで向かうのは岐阜駅までにすることにしました。ヒッチハイクにこだわるか悩んだのですが、日程の関係とどうせなら他の県も観光しようぜ!ということで運ちゃんと一緒に岐阜駅に向かうことにしました。
3時間後、無事岐阜駅に到着して運ちゃんにお礼を言って別れました。前日と今朝を合わせたら合計で6時間くらい乗せていただきました。どんだけ親切なんだよって話です。
ヒッチハイクをやるたびに自分の器の小ささに気づかされて、もっと頑張ろうと思わされます。
その後、岐阜県と名古屋を観光して高速バスで金沢に向かい、兼六園や海鮮を堪能して今回の旅を終えました。
おわりに
今回のヒッチハイクは本当にハプニングが多くて疲れました。記事にしていないハプニングもいくつかあって、ヒッチハイクの神が学生最後のヒッチハイク故に試練を与えていると本気で思っていました。
というようにヒッチハイクは大なり小なりこのような不測の事態が毎回起きます。問題が起きたときは動揺しますし、普通の移動の5倍は疲れて、3倍以上の時間がかかります。しかし、問題の数と比例するように毎回出会いがあります。ただのボードを掲げている知らない人を車に乗せてくれる人や食べ物を恵んでくれる人、私たちを見て鼓舞してくれる人もいました。そういう人たちに出会うと、友達からも家族からも貰えない特別なエネルギーを毎回貰っているような気がします。そのエネルギーのおかげでこの記事を書ききれそうなのかもしれません。このシリーズ書くの本当に大変だった…
そんなわけで、
自分の人生に少しだけ刺激が欲しい方はぜひやってみてはいかがでしょうか?
今回お世話になった方々、本当にありがとうございました。
以上、東京→金沢ヒッチハイクでした!
おわり☆
#8 東京→金沢ヒッチハイク-出発-
2019年1月31日木曜日。
私は大泉学園IC入り口付近に後輩と2人で立っていた。手には”高坂SA”と書かれたスケッチブックを持っている。
みなさんはヒッチハイクをご存知でしょうか?
ヒッチハイクとは、通りがかりの自動車に(無料で)乗せてもらうこと。この方法で旅することをヒッチハイキング、旅行者はヒッチハイカーと呼ばれる。
(Wikipediaから引用)
先日、金沢を目的地として東京から大学の後輩と一緒にヒッチハイクをしてきました。なかなか面白いヒッチハイクだったので、その模様をブログの記事にしてみました。よかったらご覧ください!
出だしから挫ける
今回のヒッチハイクは金沢に可能な限り早くつきたいので、下道をほとんど使わず、高速道路を主に使っていくことにしました。高速道路のマップを見てみると、大泉ICから高速に乗ると金沢にスムーズに向かえそうだったので、大泉IC付近からヒッチハイクを始めることに決めました。
大泉学園IC付近でヒッチハイクをすることは初めてでしたが、ネットで見かけたこの場所でヒッチハイクをした人は30分程度で車に乗せてもらったようだったので、私たちも長くて1時間くらいで乗せてもらえるのではないかと思っていました…が、
結果、2時間かかりました。
出だしから心が折れるかと思いました。いままでヒッチハイクをしていて1台目からこんなに時間がかかったのは初めてだったので、今からでも高速バスを取ろうかと後輩と本気で相談し始めたところ、60歳弱くらいの清掃業務に携わるおじさんが止まってくれました。本当にありがたい…
おじさんは仕事で日本海側にも時々行くようで、車内で色々と教えてくれました。
おじ「いま日本海側は雪が降っていて人をあまり乗せたがらないのではないか」
おじ「今日中の金沢到着は少し難しい気がする」
なんてこったい。
SAでの出会い
しかし、SAまで来てしまえば自分たちの目指す方向に進む車と出会いやすくなるので、かなり希望が見えてきます。ここまで送ってくれたおじさんに感謝を告げて別れ、すぐにまたヒッチハイク開始。
30分ほどスケッチブックを持って立っていてもいまいち手ごたえがないので、SAにいる人たちに車に乗せてもらえないか交渉をしにSAの施設の入り口へ向かうと、1人のおじさんが声を掛けてきました。
おじ「上里SAに行きたいのか?」
私「はい!!!」
なんと私たちのスケッチブックを見たおじさんから声をかけてきてくれました。嬉しすぎる…!!
おじさんは新潟方面に向かうようだったので、長野方面と新潟方面の分かれ道の手前の上里SAまで連れて行っていただくことにしました。
金沢に行くには2ルートあり、新潟方面を通るルートと長野方面を通るルートがあります。新潟方面ルートは長野方面ルートに比べて遠回りかつ、雪が激しそうだったので私たちは長野ルートで金沢を目指すことを決めていました。
ということで、上里SAでおじさんに降ろしてもらい、感謝と別れを告げるとすぐにまたヒッチハイクを始めました。
30分ほどスケッチブックを持って声をかけていただけるのを待っていると、少しこわもてのお兄さんにじっと見つめられました。”もしかしたら絡まれるかもなあ”と心構えをしていると、お兄さんが近づいてきて「何してんの」と声をかけられました。思い切って「実はヒッチハイクをしていて…etc、もし方向が同じようなら乗せていってもらえませんか」とお願いすると、
「考えてみるわ」
と一言告げ、トイレに消えていきました。思いがけない展開に動揺しつつも、他の人に声をかけつつお兄さんを待つことにしました。しかし、15分ほど待っても戻ってこなかったので、さすがに無理だったかと諦めかけたときに私たちのために串揚げを2本買ってきて現れてくれました。ありがとうございます…!
さらに次のSAまで乗せていって下さるうえに、この方は新潟方面のルートに向かおうとしていたにもかかわらず、わざわざ長野方面に出て最初のSAまで乗せていって下さるそうです。なんと至れり尽くせり、本当にありがたい…。
というように、ここまではそこそこ順調に進んでくることができました。
しかし、
ここまでの人々との会話の中で薄々気づくべきだったのです、
長野方面に向かう車など皆無だということに…!!!
to be continue…
#7 自分を許すために、小さな悪を許す in 駅のホーム
座りたいという感情
自分自身の嫌なところ
きっとマナー違反者も自分と同じ
#6 無駄なこと
生かすも殺すも自分次第
私は山手線一周を徒歩で巡るという行為を後輩と2人で行ったことがあります。
眠くて意識が消えかかったり、足がどんどん重たくなっていく中で16時間ほど歩き続けることはなかなか大変でしたが、終わったときに見た朝日や解放感にはあの場にいた人にしか分からない感動があり、やってよかったと本当に思いました。
このことを友達に話すと「よくやり切ったね」「すごいね」という他に「なんでやったの」としばしば言われます。そういうとき「面白そうだったから」と返すと、だいたい不思議そうな顔をされるか「絶対無駄じゃん」と言われます。
このときの「絶対無駄じゃん」に違和感を覚えたので、無駄について考えていきたい。
無駄に見える=価値観の違い
このとき不思議そうな顔をした人や「無駄」と言った人は、山手線一周を歩くという何もメリットがない行為を、何時間もかけて行うことのなにが面白いのかが分からなかったのだと思います。その一方で私は面白そうだと感じ、実際に歩いてみてもやはり面白かったという感情が残りました。
つまり私にとっては価値があっても、相手にとっては価値がなかったのです。そして人によって趣味嗜好は違うのでこのようなことは普通に起こります。
実際、私にも他人がする行為で無駄だなと思うことがあります。それはインスタ映えする写真を撮るために時間やお金をかけることです。ただ、これらは私が無駄だと思うだけで本人たちにとっては十分娯楽になるコンテンツなのでしょう。私とインスタグラマーの価値観が違うためにこのような認識の違いが起こります。
人から見たら無駄な行為でも、本人にとって満足できる行為ならそれは無駄な行為ではないと言えます。
無駄なこと
そう考えると「無駄なこと」というのは自分自身が何か行動を起こして、その行動を自ら「無駄」と考えたときにのみ発生するのではないでしょうか。
極論、自分が無駄と考えなければ、自分の行動に無駄なものはなくなると言えます。少なくとも他人から自分の行動を無駄と定義される筋合いは全くありません。
自分の行動全てに意味付けして、自分が無駄と感じることを無くすのは困難ですが、もしもできたら個人の幸福度はかなり上がるのではないかなと思います。
無駄=個性
私自身が一般的に無駄と言われがちな行為に人一倍取り組んできた人間だからかもしれませんが、人生を彩ってくれるのは一般的に「無駄」と言われがちな行為なのではないかと思います。
なぜなら、一般的に無駄ではないこと=「普通」だからです。普通のことはみんなやっているので、そこで人と違いを生み出すことは難しい。
逆に、普通ではないこと=「無駄」はあまり人が行っていないので、ここをどのくらい取り組むかによって、その人の人生は個性的なものになっていくのではないかと思います。
私は今後も「無駄」に取り組んでいきたい。
他の奴の意見なんて知ったこっちゃないぜ☆
おわり☆
#5 脱大盛~より良い生活を送るために~
私は大盛が大好きだ…
世の中の食事処には大盛というシステムが広まっています。たいてい商品に対して1割から2割程度の金額を追加で支払うことにより、商品の量が1.5倍から2倍程度になる非常にお得なシステムです。
私もこのシステムを必ずと言っていいほど利用しており、どんな商品があるのかよりも先に大盛にできるのかどうかを確認するほどの大盛好きである。
しかし、私は2019年を大盛禁止の年にすることに決めました。
それは大盛を食べ続けることはデメリットが多く、大きく分けて以下の3つのようなことが考えられると思ったからです。
・そんなに食べる必要がない
・お金が思っている以上にかかる
・欲望に流されやすくなる
上から見ていきます!
そんなに食べる必要がない
私はもはや食べ盛りのわんぱく少年という年齢ではなくなってしまいました。運動部員として毎日汗を流していたころなら大盛も適量であったかもしれませんが、現在そこまでの運動は行えていないうえに来年からは社会人なので、より運動からは遠ざかってしまいます。
成人男性の1日の理想的な摂取カロリーが2000Kcalと言われている(女性は1800Kcal)のに対して、私が年末お世話になった松屋の成分表を確認してみると牛丼は並盛709Kcal、大盛945Kcal、特盛1299Kcalとなっています。
並盛の時点でなかなかのカロリーですが、大盛以上になると一日に摂取すべきカロリーの半分を牛丼一品で取ることになります。ちなみに年末は特盛を食べました。
自分の消費カロリー以上に食べてしまうことは太ることにつながり、基本的にあまりいいことではありません。
今後の健康を見据えて、今から普通盛りを注文する癖をつけることが理由の一つです。
お金がかかる
食事を大盛にするためには基本的に追加で料金を払わなければなりません。多くの場合数百円程度ですが、毎食毎食払っていたら数万円にもなっていきます。さらに今後の社会人生活は外食も増えると考えられるため、大盛に使う金額も必然的に増えていきます。
また、大盛を毎回食べていると胃が大盛に合ったサイズになってしまうため、外食以外でも日々の食事の量も当然増えます。すると外食以外の日々の食費が増えることが考えられます。
仮に、朝昼晩に大盛相当の食事を食べるとして毎食+100円かかるとしましょう。
朝昼晩で3食なので、100円×3=300円。
それを1年間続けると300円×365日=109500円になります。
1年間大盛を我慢するだけで、海外旅行や新型のiPadが買えると考えると非常にお得な気がしてきます。私は10万貯めて新しいスマホが買いたい
欲望に流されやすくなる
先ほども述べたように今まで外食のたびに大盛を注文してきました。しかし、注文するとき「やっぱり普通盛りにしたほうが…」という自制心が毎回多少働きます。
ですが、食欲と大盛のお得さに勝てず注文を続行してきました。つまり以前から大盛に対するデメリットは感じつつも、自分の欲に負けて大盛を注文してきました。これを振り返ったときに、この現象は食事だけに関することではないなと思いました。
例えばアウトレットに行って目当てではない服をついつい買ったり、やるべきことを後回しにして遊びに行ったりなどです。このような欲に流された結果、後悔した経験は枚挙に暇がありません。
これらを改善するにはまず一番頻繁に発生する「大盛の誘惑」に勝ち続け、欲に勝つことに慣れることが対策になると考えました。今後ずっと自分の欲に振り回されるよりも、ここで大盛禁止という厳しい戦いを乗り越えて、欲をコントロールできるようになることが得策だと私は考えました。
以上の3点から、まず今年一年大盛を禁止にすることにしました。
大盛を食べ続けることには意外とデメリットが多いので、今後の人生で毎回大盛を食べるのか、普通盛りを食べるのかでほんの少し今後の将来が明るくなったり、暗くなったりするのではないかと思います。
良かったらみなさんも脱大盛、もしくは強く誘惑してくる何かを禁止してみてはいかがでしょうか?
今年は私も一緒に戦います!
おわり