いよいよ、いよいよTwitterが終わるかもしれない。
…けど、「インターネットガンジス川」とも呼ばれるTwitterが急になくなるとも思えないので、やっぱり明日以降も通常運転かもしれない。現にトレンドも普段の内容に戻ってきているし。
これまでも「Twitterが危ない」と言われたことは何度もあった。前の時は自分も念の為にMisskeyを登録し、Twitterでフォローしてる人達を探した。登録とフォローをしただけで、呟く(ノートを作成する)ことはほとんど無い。見てもらうフォロワーがいないからだ。
ここまで書いて、もしもTwitterがなくなったら、呟くことが無くなるんだということに気が付いた。チラシの裏に落書きするのでなく、ツイートを選ぶのは他人に見てもらいたいからだ。ゲームの感想、仕事の愚痴、友達とのあれこれ…それを逐一書けないのは困る。
意外とTwitterでファローしている人を探すのは(自分は)簡単だ。リアルの友達はLINEで聞く、有名人はテレビや本を見る、動画や絵を投稿する人はそれぞれのサイトに行けば現状を知れる。Misskeyやそれに準ずるSNSを毎日見ていれば偶然また出会えるかもしれない。
でも、フォロワーを見つけるのは大変だ。読むor読まないは相手が決めることなので。
…まあ、自分のツイートをどれだけの人が読んでるかは甚だ疑問だが。10年Twitterをしていて、未だにフォロワーは70人だし。その程度の呟きなんだよなと。有名人になりたいわけではないが、身の程を感じさせられる。
もう一つ、Twitterがなくなったら困るのは、この10年間のあれこれが無くなってしまうことだ。
友達やフォロワーとのやり取り、ファボ、自分自身のツイート…「フォロー中のユーザーのみ」で何かを検索して、評価を見ることもできなくなる。
それらを残すことでその後の人生が変わる…ということはないだろうが、寂しい。
Twitterが初めて話題になった頃に一度アカウントは作ったが、その時は誰をフォローしていいか分からず、結局すぐに飽きた。
大学に入って、高校の友達から繋がりを持ち続けるためにTwitterを勧められて、それからは毎日見ている。有名人をフォローし、ゲームや絵を投稿する人をフォローし、かつて個人サイトでよく見かけた人をフォローした。自分で言うのも何だが、ごった煮のようなTLになった。
同年代の人は〇〇用、××用とアカウントを分けているが、自分は一つのアカウントに集約させた。(一応、スマブラ用のアカウントも作ったが)
基本みんなバラバラのことしか呟かないのに、一斉に同じことを呟き出すのが面白かった。バルス、シン・ゴジラ、コロナ、そして今回のTwitter騒動…
多分、イーロン・マスクには自分みたいなTwitterユーザーの気持ちは分からない。分かることは出来ない、と思う。
直接人と会って話すことは楽しい。イーロンほどになれば出会える人の数は多いだろう。でも、自分たちは違う。毎日ルーチンワークのような仕事をして、変わらない面子と顔を突き合わす人の方が圧倒的に多い。それはそれで楽しいが、ネットを探せば感性が近い人は見つかる。それも現代の人との関わり方になったのではないか。
その中でこのツイートだ。あえて埋め込みはしない。(この不具合だらけの状態でマトモに動く気がしないとも思ってる)
you awake from a deep trance,
step away from the phone
to see your friends & family
書いてることは間違ってない。
言わんとせんことも分かる。
でも、この10年で育んだこの環境は友達・家族に迫るほどの何かじゃないのかな。これこそ人によって感覚は変わるだろうけど、自分はそんな人が多いのだと思う。だから、みんな声を上げてるんだよ。
インターネットが生まれたことで、世界中の人たちと交流することが出来るようになった。遠くの人たちとの交流は、インターネットが無ければ普通の人には出来ない。
すごく当たり前のことを書いたけど、これをイーロンは分かってないんじゃないかな。
みんながTwitterでやってることは、直接たくさんの人と会うことが出来ない人々の交流方法なんだよ。本当に当たり前のことなんだけどね。
おそらく、今回の件でもTwitterはなくならないと思う。本当になくなったとしても、それで自分の人生が急激に変わることはない。新しいSNSも台頭するだろう。
呟く場所と思い出が無くなる、それだけなのだ。
それを本当に「それだけ」と思い、友達や家族に比べ取るに足らないと考えているのなら…
Twitterで人は何を求めていたのか、もう一度考えるべきなんじゃないかな。
それは、Twitterがなくなってから考えても遅いんだけどね。