きまぐれに更新していきます。

やりたいことがない人間がどんなキャリアを積むべきか真剣に考えてみた

僕は将来特になりたい姿や大きな夢を持っていない。

やりたいことはそれなりにたくさんあるけど、1つ夢中になれるほどのものはまだ見つかっていない。

んでこの状態だと働くことにモチベーションを全くみいだせなかった。病んだ。

 

だから人生において大事にしたいことを考えた。

「時間・場所の制約からできるだけ解放された生活を送る」

というのをしばらくの間、上位の大事にしたいものにすることにした。

 

じゃあ次はそのためにどうしたらいいんだっけ。と考えてみる。

自分の思考の整理も含めて文章に残すことにした。

 

そもそも人材とは

 

人材をMECE分解したみたいなフレームワークが欲しかったんだけど見つからなかったので適当に要素分解してみた。

 

人材=心(スキルxマインド)x身体健康度

心=スキル(知識x処理能力)xマインド(モチベーションxセルフコントロール)

 

つまり、

①知識

②処理能力

③モチベーション

④セルフコントロール

この4つによって人材のスペックが定義されるものだと考えてみる。

MECE感は相当薄いけどいったんこれでいく。。。

 

 

の前に

時間・場所に完全に縛られないためのものをブレストで書き出しておく

言語能力(英語やスペイン語)、万国共通スキル(法律や価値観などが変わっても使える)、人に対面で会う必要がない、仕事場が持ち運べない、リアルタイム対応や監視が発生しない

 

執筆中

SeratoとTRAKTORで迷ったら絶対にSeratoを買おう、という話

いま、非常にイライラしながらブログ書いています。

みる方によっては大変不愉快な語調になってしまいますので、

ご興味のある方だけご覧ください。

 

購入したソフトウェア

TRAKTOR Pro 2 DL版

NativeInstruments社製

 

自分のPCスペック

MacBook Pro (Retina, 13-inch, Late 2013)

OS:macOS Sierra Ver 10.12.6

プロセッサ:2.4 GHz Intel Core i5

メモリ:8 GB 1600 MHz DDR3

 

記事の内容をまとめると

・いちいち曲をインポートし直さないといけなくてめちゃくちゃ面倒

・2トラックを平行に並べられないので耳でBPMとかが合ってるか確認しないといけない(これが超テンション下がった)

・よくクラブにあるようなコントローラーがほとんど使えない(使おうと思えば使えるけどクソほど設定が面倒くさい)

・サポートの対応が雑で基本的に他責思考(今でもイライラ)

って感じでSeratoをおすすめします。以下詳細。

 

先日、友人のDJイベントに出るべくDJを練習していた。

djay proというmac用の安いDJアプリを使っていたのだが、

どうしても動作が安定しなかったり、音質に不安がありDJアプリの乗り換えを検討。

 

ご多聞にもれずSeratoかTRAKTORで迷いに迷ったが、

NI社製のarturiaシリーズを持っていてブランドに対して信頼があったのと、

ベルリンに行ったばかりということもありTRAKTORを購入決定。

これが全ての間違いだったわけだけど。

 

まずインストール。難なく終了。まぁそりゃそうだ。

んでさっそく使ってみようとしたが、あれ、おかしい。

曲が1曲も表示されない。ん〜前のアプリではさくっとインポートされてたのに。

英語の設定画面を漁るもなかなかうまくいかず、Googleで検索。

 

どうやら使う曲はあらかじめ「コレクション」というリストに全てインポートしておかないといけないらしい。

ええ〜めんどくせえ...と正直ここでかなりテンションが下がる。

まぁでも一万円出したしやるしかねえな〜と思ってインポートしていく。

これも一括でドンってやれればいいけど、いちいち曲を全選択してドラッグみたいなことしないといけないし、まぁまぁ曲数が多いと普通にフリーズするから500曲ずつくらいやらないといけない。

超めんどくさい。この辺からイライラが強くなっていく。

 

やっとこさ曲をインポートし終わったはいいけど、BPMが全部「0.00」の表記。

え、BPMのアナライズは別でもっかいやんなきゃいけないの?

その通り。もっかい500曲ずつくらい選択してアナライズしていく。

全部一括でやるとフリーズするからね....

もうこの辺りでほぼ限界。こんな使いにくいのかよ...と後悔ばかりが募る。

 

まぁ使う曲だけとりあえずアナライズをしていこうということでせっせと選択してはアナライズ、待ち。選択してはアナライズ、待ち。はぁ。めんどくせえ。

と思ってたらフリーズして強制終了。まじかよふざんけんな。

まあ8GBだと足りないのかなあとか思いながらもやり直していく。

んでやっとBPMアナライズ終わり。ここまででほぼ3日くらい使ってる。死ね。

 

よしんじゃあiTunesでプレイリスト作ってその中で使う曲管理しよ、と思ってプレイリストを作成。でもこれは俺の選択ミス。

 TRAKTOR起動してから、iTunesで使ってるプレイリストとかを読み込むのに結構時間がかかる。まぁまぁストレス、まぁでもこれは俺の設定ミス。

 

んで次。

出演するクラブのコントローラーがパイオニア製のDDJ-SB2かDDJ-SX2とのことだったのでTRAKTORで使えるか調べたところ、案の定使えない。

Seratoにしてりゃここも楽勝だった....

仕方なくSB2はネットに落ちていた.tsiファイルを用いて利用設定。

こっちは問題なく作動。

問題はSX2。これ結構いろんなクラブに置いてあるやつだしな〜と思ったらパイオニアが公式でTRAKTOR用のドライバを用意してくれていた。ありがてえ。

それをインストールして難なく作動、というわけにはいかなかった。

結局公式のドライバをインストールしたのにSX2は使えなかった。なんども設定をやり直したりしたがダメだった。

あと、SX2って結構豪華な仕様で機能も多いので当然設定内容も多くなりそれが原因なのか、動作がめちゃくちゃ重くなり環境設定画面を開くのに毎回1分くらい待たないといけなくなった。

だからTRAKTORではよくあるクラブのコントローラーはほとんど使えない。

使えるけど面倒くさい設定をちゃんと事前に行なっていないとダメだよ、ということ。

もうこのへんから初心者には相当冷たいソフトなんだなと諦めが入ってくる。

 

ちょっと長くなったので続きはまた今度。

 

 

ぼーっとする

頭がぼーっとする

何も手につかない感覚

 

目の前の仕事から逃げるために身体が嘘をついてるんだろうか。

 

もう27歳なんだからいい加減自立しないといけないんだよね

しんどいから辛いからで助けを求めてちゃダメなんだ

こんなんじゃ生きていけない

 

筋トレと一緒で、ここでどれだけ踏ん張れるかが鍵だと思う。

なんとか今日1日を進んでいかなきゃ。

 

日本の街がキレイなのは心にゴミを溜め込んでいるから

うちの会社で最近よくモラル・マナーを改善しようという動きがある。

ルールはできるだけつくりたくないから全員の善意に任せたいという意図だ。

 

そんな中ふと「日本人」はモラルとマナーがよろしい、ということについて考えてみた。

 

 

海外に行くとわかるけど、日本の街は基本的に超きれい。

電車も静か(大阪を除く)だし、挨拶とか接客のレベルも高い(と感じる)。

それはよいことだとされているし、海外の人からも評価されていると思う。

 

電車で喋るのはいいけど電話はダメとか、ポイ捨てはしないとかトイレはキレイに使うとか。

もっというと名刺は相手より下に出すとか上座とか下座とか礼儀の部分も入ってくるかな。

 

でもこれ、たまにすごく「息苦しい」と感じることがある。

 

例えば電車でシルバーシートに座っていた若い男の人がいた。

目の前にはおばあちゃん。当然、周りからは冷たい目。

「変わりましょうか」そう言ったのは隣のおじいさんだった。

その若い男の人はバツが悪そうだったがそこに座り続けた。

周りはため息混じりの目で男を見ていた。

 

ある駅で彼は降りた。その瞬間にみんなハッとした。

その人は左足を引きずっていた。座っていたからわからなかった。

怪我なのか、障害なのかわからない。

けど彼は間違いなく優先されて座るべき人だった。

彼はどんな気持ちだったんだろう。

 

 

とあるバンドの話。

最初は売れなかったが徐々に売れてきてライブも盛況。

ファンは元気な若い子が多くモッシュやダイブしまくり。

それをよく思っていない一部のファンがバンドに手紙を送った。

「怪我をした。もうあんな危険な状態のライブは行きたくない。できればモッシュやダイブを規制してほしい。」

バンドメンバー達は確かにケガはまずい。規制しよう、ということでそういう行為を禁止した。

ライブは随分安全になった。静かになった。

一部のファンは大喜びだった。一部のファンはがっかりしてライブに行くのをやめた。

そんな中、バンドにまた一通手紙が届いた。

「私は背が小さい。みんなのことがよく見えないので、入場を背の順にしてほしい」

バンドメンバーは困ってしまった。

 

 

 

クリーンな状態を作り上げるには、無数の人の無数の小さな我慢や努力が積み重なっている。

別にそれは悪いことじゃない。むしろ美しい。

だけど、それは強制されるべきなのだろうか。

日本の美の裏側には、いろんな犠牲があるんじゃないだろうか。

 

 

疲れていてもキレイな身なりを求められる。

ヤケになりそうな日も電車ではおとなしくしないといけない。

どうにでもなれ、と空き缶を投げ飛ばしたい時だってあるのにゴミ箱を探す。

 

常にそういうことが強いられる世の中に見えてしまう。

世の中は思ったよりはいいものだけど、見えている以上に酷いものなんだ。

 

 

目標の未達が続いた男の末路

去年、僕は部署を異動した。

最前線のプロフィット部隊から後方支援のノンプロフィット部隊へ。

25歳なりたての社会人3年目、8月のことだった。

 

「もう無理です」

そんな感じのことをマネージャーに告げた。

前の年の11月から約10ヶ月、連続でチーム目標の未達が続き、精神的に限界だった。

チームメンバーは疲弊し、自分自身も昼食を決められないほど憔悴しきっていた。

 

 

最初の3ヶ月くらいは、正直にいうと「市況が悪いのもあるんじゃないか」という言い訳を自分の中でしていた。

別に全部が俺のせいじゃない、目標未達のこともたまにはあるさ、という気持ちだった。

なんなら、この事業社会の役にたってねえしそんなに頑張る意味ねえだろ、という自己正当化の言い訳も持っていた気がする。

 

でも、それが続くにつれて徐々に追い込まれていく。

 

でもそんな連続未達の中でも、上司は自分を信頼してくれていたのか新しい仕事を任せてくれた。

1つ目は昔クローズした事業の再開。

大きな赤字を出した。2ヶ月でクローズした。

2つ目は既存事業の横展開。

何の成果も得られず赤字だけが残り、3ヶ月でクローズ。

3つ目はクライアントワークの引き継ぎ。

結果が出ず、契約は打ち切りになった。

 

つまり任せてもらった新しい仕事3つ全てが、大きな赤字を残してクローズした。

そして主事業の未達もついに9ヶ月目を迎えた。

 

そこで、ある事件が起こった。

大きな、とても大きなミスを犯した。

 

主事業で大きな投資を行うことになり、かなり大きな金額を扱わせてもらうことになった。

そして、取引先と結んだ条件として一定額を投資すればそれをサポートする、というものがあった。うちが〇〇円出せば取引先も△△円出しますよ、というもの。

ここで俺はミスコミュニケーションをしてしまった。

「500万円」という数字の扱いを間違えた。

先方は「あと500万円投資してもらえば△△円出しますよ」と提示してきたのだが、俺は「あと△△円投資すれば500万円出しますよ」と取り違えたのだ。

その旨を上司に伝え、その500万円を計算に入れて多額の投資を行った。

 

月末、先方から「当初予定していた金額には届いていないのでサポートできません」と連絡があった。

「え?どういうこと?至急確認して」Ccに入っていた上司が顔色を変えてやってきた。

 

 

そこで俺の何かが完全に切れた。

喫煙所に駆け込み、溢れてくる涙と表現できない心の混乱に飲まれていった。

 

そこからの1ヶ月、ほとんど記憶がない。

うつろな状態で会社に行き、手を動かす業務をして帰る毎日。

頭は働いていない。難しいことは考えることができない。

オフィスの机の上は散らかっていき、家も掃除できず荒れていった。

 

 

ある日パソコンの前で「だめだ。限界だ。」と思った。

これ以上自分が事業を回すのはリスクしかないと思った。

目標を達成できる能力はない。それにまたいつミスをするか分からない。

 

上司にこんなチャットを送った。まるごとはりつける。

◯◯さんご相談です。

ここ最近、自分が正常な判断ができる状態にない気がしていて、
集中や決断、考えることもままならない日が多いです。
いま自分がどんな状況なのかもよく分からず、混乱してます。
このままいくと大きな損失やミスが起きる気もしていて、
先日も昨日も突然休んでしまいご迷惑をおかけしています。
辞めろと言われれば辞めざるを得ないくらいの状況にある気がしてます。

このままだとよりご迷惑をおかけしてしまいそうなので、
職責を落とすとか辞めるのがいいのか分かりませんが、
どうしたらいいですか?という情けないご相談です。
直接話すと混乱しそうだったので一旦文章にまとめました。

今振り返ると、思考力も気力も何もなかったんだと思う。

それでも上司は優しかった。
「どの部署に異動したい?」そんな内容の返信をくれた。

みんな頑張ってるのに、俺は逃げたんだ。そう思った。
悔しかったし、情けなかった。

そこから今の部署にうつった。
あれからもう1年が経つが、あの日のことは一生忘れないと思う。


俺はまだあの出来事を消化しきれていない。
とてもいい経験だったと笑える状態ではない。

もちろん過去は変えられない。
でも、どうやってもあの出来事はまとわりついてくる。

すぐに逃げようとする自分。
言い訳ばかり作ってしまう自分。
辛いと甘えれば許されると思っている自分。
目標を達成できない無能な自分。
どんな仕事もうまくいかない自分。
そんな自分が今でもとことん嫌いだ。

恐らく俺は将来何かを成し遂げることはない。
もう自分を信じられなくなってしまっているからだ。


みなさんにはどうか、自分を信じることだけはやめないでほしい。
こんなに虚しい人生を、どうか送らないでほしい。

1人でも多くの人の人生が豊かで幸せであることを、
せめて祈って死んでいこうと思っている。

 

何にもやる気が出ない時にすること

最近、非常に無気力な状態が続いている。

なんのやる気もおきない。

 

こういうとき、感情に身を任せて何もしないというのが一番てっとりばやいが、

社会人はなかなかそうはいかない。

会社に行かなきゃいけないし、仕事もしないといけない。

 

でもこういう時に「感情」にフォーカスしちゃいけない。

感情をコントロールするのはほぼ不可能に近いからだ。

 

変えられるものは何かというと、思考と行動だ。

思考ってのがちょっと抽象的だから噛み砕くと、

認識、とか捉え方、とかってことかな。

 

ただ、俺の場合は思考を変えるのも苦手。

なんせ感情に思考が相当ひっぱられる。

ネガティブになるわなるわ。だから思考もパス。

 

残るは行動だけである。

 

「は?やる気ないっつってんのに動けって?むりむり」

おっしゃる通り俺もこれが一番無理だと思ってた。

でも、実は感情が嫌だって言っても手は動くもんなのである。

 

まぁ試しにやってみてほしい。

どうでもいい人にLINEを送るとか、ブログを書くとか、

意味のない日記をつけるとか、頭の中をノートに吐き出すとかね。

走れる人は走ったらいいし、2〜3回腹筋してみたりでもいい。

 

とにかく動いてみて、それでちょっと気持ちがあがればしめたもの。

あがらなくてもなんらかの動きはあるので生産性が若干あがる。

 

最初は難しいけど、

「まぁどうせやる気出ないんだしちょっとだけ動くか」

みたいな意識を持ってぜひ。

自分は努力しなくても優秀であると思っていた男の話

ふと自分の昔を思い出したので

少し振り返ってみようと思う。

 

自分は保育園の頃から公文式をやっていて同級生と比べれば頭がよかったし、

体の成長も早かったのでスポーツもできた。背も高かったし。

ただ、全然モテなかった。びっくりするくらい。

まぁその話はいいんだけど、、

 

中学校に入ってから状況が変わった。

保育園からしてきた勉強の貯金が尽き、成績はTOP10から一気に下層へ。

スポーツもみんなの体が成長してきたこともあって追いつかれて、

多分それにプライドが耐えられなくて部活もやめた。

全身にニキビができるようになって見た目もひどくなり、

ついに陰口や悪口をいたるところで言われるようになっていた。

(ちなみに私立中学だったので暴力とかのいじめはなかった)

当時仲が良かった男友達にも信じられない裏切り方をされて、

もうなんだこれ、一体どうすりゃいんだという状況だった。

 

今ふりかえると、努力なんてしなくても最初はうまくいってたから

俺は努力しなくても周りより優秀なんだと勘違いしていた。

周りが追いついてきた時にプライドが目隠しをして、

周りが全部悪いんだと思い込んでやり過ごしていた。

 

 

 

 

そして、信じられないことにそれを10年も引きずっている。

自分では認めたく無いが、俺は全然努力をしない。

きっとどこかで努力をしなくても俺はうまくいくと思っているんだろう。

 

社会人になってからというもの、

よく「セルフイメージが高い」とか「プライドが高い」とか言われる。

それは努力しなくてもうまくやれる自分をイメージしてるからなのかもしれない。

本当に情けない話だが、言われて頭ではわかっていてもどこかで認めていない自分が居る。

 

 

 

いま、俺は今の自分を認めてからスタートしないといけないと思っている。

努力しなくてもいけるだろと思っている自分、

努力しない限り何もできるようにはならない普通の自分、

周りよりも決してポテンシャルが優れているわけでは無い自分、

今まで持っていた優秀な自分像を捨てなくてはいけない。

 

 

何故ならその高すぎる自分を基準にしてもイイコトなんて1つもないからだ。

例えば仕事でミスをしても「ミスなんてしない自分」がしてしまったショックと

「ミスくらいする自分」がしてしまったショックはまるで違う。

受け止め方も違うし、後者のほうが次に活かせる反省をするはずだ。

何より精神衛生上後者のほうが絶対にいい。

 

まだまだ頭ではわかっていても心が抵抗している。

まさに「自分と向き合う」とはこういうことなのかもしれない。

誰にでも目を背けたくなるような物事がすぐそばにまとわりついているはずだ。

いきなり真正面から向き合えば潰れる。だから少しずつ、

少しずつ逃げながらも近づいていってみる。

 

 

自分は心が軟弱なのでこういう戦法しかとれない。

いつか自信タップリのイケてるおっさんになりたいもんだ。