ぴろブロ

普段考えることをぶちまけています。意味はありません。

タバコとコーヒー

タバコとコーヒーは合う。
喫煙所で手にしている飲み物といえばコーヒーだし、コーヒーとタバコの相乗効果でうまくなる。

というのはウソだと思う。

合わない。
いやマジで。
一回まじまじと味わいながら試してみてください。ほんとに。


ではなんでこういう風潮が生まれたんだろうか?


1.どっちも眠気覚ましにいいから

仕事に疲れたサラリーマン。眠気を取るならいい考えだ。
タバコを吸うとスッキリする。
ならコーヒーも飲んで目を覚まそう。
まあそういうわけでダブルで注入してみた。というだけで納得した人が真似をしていったんじゃないか。

2.飲み物の選択肢が限られている

タバコにコーヒーは合わない。
だがこれ以上に他の飲み物も合わない。
コーラだってウォーターだって合わせたら泣かねばだという気持ちになるくらい異常にどうしようもない。
まぁそこまで気にならないレベルの飲み物かなという点でコーヒーが選ばれたのか。

3.純喫茶でメチャメチャタバコを吸う

僕はこれがかなり正解に近いと思います。
純喫茶に行ったらだいたいみんなタバコを吸う。
純喫茶に行ったらだいたいみんなコーヒーを飲む。
絶対に良い組み合わせとして潜在意識に刷り込まれていく。
その結果何を持ってくか考えると必然的にコーヒーになるわけです。


以上です。

喫煙者の方に苦言を言ってんじゃないんです。
しかし本当に合うのか一度振り返ってみてください。意外とおいしくはないです。


言いたいことはこれだけですがやりたいことはやったのでそれでいいんです。




韻だけに。

ミスターハングリー


霞ヶ関ビルディング。


都心に古くからそびえ立ち、日本のビジネスシーンを見守ってきた巨塔。


そんな建物から漂ってくるオイリーな匂いが、今日も世のサラリーマンたちを惹きつけてやまない。


ミスターハングリー。
地下一階にある飲食店だ。
提供するメニューは「焼きスパゲッチ」。
茹で切った太麺のスパゲティを大量の油で炒める、パスタとは似て非なるものである。一般的には「ロメスパ」という類のものであるそうだ。


通常メニューにはナポリタンやバジリコなど、炒めて然りなものが並んでおり、それを食うだけでも充分にここの魅力は伝わる。


が、ミスターハングリーが不動の地位を(ぼくの中で)築いている理由は、「今月の焼きスパゲッチ」にある。
週替わりのメニュー。
二度と被らないメニュー。
恐るべきクリエイティブ。
試行錯誤のチャレンジング。
いやそれパスタじゃない。
いやこれ合うわけない。
だけど最高じゃない。
たまに王道押さえるじゃない。




そんな感じで週ごとに挑戦的すぎるメニューを出しまくっているわけでして、毎週の楽しみ、ルーティンワークになっているのです。

インターネットに雑多な情報は転がれども、この「今月の焼きスパゲッチ」を紹介しているところはなかったのでぼくが紹介します。させてください。


  • ハムレタス(2月1週)
(ハム、レタス、玉ねぎ、ピーマン、コーン、マスタードマヨネーズ)
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しょっぱなから麺が見えない変化球。
味付けはほぼマスタード。
ハムとともに炒めたシンプルイズザベストな麺の上に新鮮なレタスがたっぷり乗っている。
具があんまりないのでパスタがところどころカリカリに揚がっており、食感が楽しい。


  • 豚肉と小松菜の黒胡椒(2月2週)
(豚肩ロース、小松菜、玉ねぎ、人参、ニンニク醤油、黒胡椒)
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黒胡椒がめっちゃかかってる割にはピリ辛程度。意外にパンチのある味ではない。さらっとしている。
野菜炒めを食っているような感覚なので、肉肉しいこともなくスルスル食べられてしまう。二週続けてシンプルということは今月はシンプル路線なのか…?


  • チーズ・チーズ・チーズ(2月3週)
(モッツァレラチーズ、ミックスチーズ、玉ねぎ、クリームソース、黒胡椒)
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そんなわけなかった。
そう。ここはミスターハングリーなのだ。
濃い。チーズがとにかく溶けまくっている。
最高にチーズできます。
後半はチーズの絶対量が減ってきてほぼホワイトソースなのですが、まぁそれでもチーズなことには変わりないはず。ないんです。


  • 白菜とコンビーフ(2月4週)
(白菜、ピーマン、玉ねぎ、コンビーフ、黒胡椒)
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出ましたよ。合わないわけがない。白菜の食感とコンビーフの肉々しさが相乗効果を発揮しており一口で麻薬のような快楽を得られます。
ただ、その見た目とは裏腹にかなり胃にキます。肉の繊維が油を吸うのか、旨味は素晴らしいけれども今回紹介するものの中で一番胃もたれします。


  • デミチーズ(2月5週)
(挽肉、玉ねぎ、トマト、ミックスチーズ、デミグラスソース)
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挽肉、玉ねぎ、デミグラスソース。あとチーズ。
いやこれ、チーズハンバーグじゃん。
うまくないわけないじゃん。
子供みたいな感想しか出てこないやつじゃん。
チーズハンバーグうめー!って言ってた幼少期の記憶が戻ってくるやつじゃん。
うまいじゃん。



ひとまず2月分だけでしたが、もうこの一ヶ月分だけで様々なボキャブラリーを味わい尽くせると思います。
開発者の方には頭が上がりません。3月もよろしくお願い致します。

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3月分のメニューです

さて、この活動を続ける中で僕は2つの重大な過ちに気がつきました。

1つめは、「絵面が地味」です。
メニューの性質上、ゴチャ混ぜが当たり前です。実際うまいほうが多いのですが、スピード重視なので盛りも大味です。
これでは全国の女性方にアピールできません。料理の写真では「オシャレ」「おいしそう」「キレイ」の三要素が全てを占めています。

その点に関しては「わりと女の人もテイクアウトしてる」という情報でお茶を濁そうと思います。




2つめは、太りました。




以上です。

タイに行った話


もう2ヶ月も前になるが、バンコクへ行った。

僕は正直、旅行好きの人が言う「価値観が変わる」という意味がよくわからない。
違う土地に住んでれば習慣とか物の考え方が違うのは当然だし、自分と価値観が違う人たちに会ったとしても、それはそっちの文化での話であって日本人である僕が変わる筋合いはないと思う。

だからみんな素直に「わけわかんないやつがいっぱいいてムカついた」とか「飯がうまかった」とか言えばいいのに。と常々思っている。
とはいえ自分が海外に行ったのはシンガポールくらいで、二人で計画をしっかり立てて見世物として作られた人工物ばかりをみる旅はなんとなく味気なかった。ナイトサファリはよかったけども。

そんなわけで僕は一人でタイに行く。目的は特にない。
まぁ、どんな奴がいてどんな場所なのかな、というのがわかればいいかな、という感じで飛行機に乗る。

早朝、タイ航空の機体を降り、JTBの集合場所で点呼をとったあと、煙草を吸うために外に出た(といってもほぼ駐車場だが)。
シンガポールとはまた違った、東南アジアの国独特の植物が腐ったような臭いに包まれると、なんとなく別の国に来たんだなという気持ちになる。
乗り合わせたツアー客の老人たちと他愛もない会話をしてる間にホテルに到着し、一旦荷物を預けて外に出た。


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こんな道がずっと続きます


最寄駅まで3kmも歩くらしく、腹も減ったのでそこらの屋台で食事をしようとしたら、土曜の朝だからか、かなり賑わっている。
どうやらこの辺は団地とかアパートがたくさんあるようだ。学校も近くにたくさんあるそうで、中学生くらいのこどもが元気に登校している。
頼みやすそうな小分けになったご飯物を買って、そこらのベンチに座って食べたが、なんというか、犬が多い。ホームレスらしき男も道端で寝ている。旅行中に何度もこの通りを歩いたが、彼らは何をするわけでもなくぼーっとしたり、寝ていたり、いつの間にか人が入れ替わっていたりで、なんだかよくわからないけど、まぁ、自由ってことでいいか。

なんてことを考えながらぶらぶらしてると、どうやら電車より水上バスの方が安く中心部に行けるらしく、乗ることにした。
チャオプラヤ川は思ったより小さくて、荒川くらいのサイズ感だったが、とにかく汚かった。水しぶきが口にかかったときは、初日から下痢が止まらなくなるんじゃないかという恐怖で本気で顔が引きつった。



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水しぶきがすごい


結局下痢になった。腹痛がなかったのが不幸中の幸いだ

とりあえずタイと言えば寺、という先入観があったので寺に行く。というのがなんとなく気に入らなかったので国立博物館に行った。
完全に勉強不足だったので、頭の欠けた仏やでかい車輪、コンセントのついている祭壇を見て適当に盛り上がることくらいしかやることがなかった。
敷地内の外国人とあんまり話したことのなさそうなおばさんのやってるお店でタイらしい真っ赤なミルクティーを頼み、急ごしらえのタイ語でうまいっすと伝えて休憩する。

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赤さが伝わらない



暇なので、とりあえずなんだか有名らしいカオサンロードというところに行ってから、動物園に行った。
カオサンロードは昔バックパッカーの聖地と呼ばれた場所と聞いていた。けど実際に行ってみるともはやただの観光地になっていて、しょうもないマッサージ屋に寝転ぶ白人と明らかに偽物を売るどうしようもない屋台が並んでいて、別の意味で混沌としていた。
夜は夜で路上で爆音のEDMを流し、金切り声をあげている奴らばかりだったので、こんなもんかという感じでとてもがっかりしたのを覚えている。


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パッタイは別だ。初めてカオサンで食べたのが最高すぎて帰国してからもよく食べる。



動物園はふつうに楽しかった。
強そうな爬虫類が放し飼いにされていてびっくりしたり、アカシアドゥクラングールがとにかく大量にいたり、フタコブラクダが二頭も柵の中にいたりで、適当な作りではあったけどいる奴らには気合いが入っていた。白変種のスッポンとかもいた。
パチモンばかりのお土産屋と40年前くらいの百貨店の屋上にあったようなのしかないゲームセンターに目をつぶれば楽しめると思う。



観光に行く人は一度は乗るはず。
あのなんとも言えない三輪車のフォルムはちょっと冒険心をくすぐられる。
僕もちょっと夢を感じていたので乗らせてもらおうと、動物園の近くに溜まっていた運転手に話しかけた。


カオサンまで。いくら?

ー200バーツだ

高いな。タクシーでもだいたい50バーツとかだぞ。

ーなんだ、何を見るんだ?仏像か?涅槃仏もいいけど俺はかなりいい仏像を知っているんだ。そこに連れて行こう。

いや、カオサンでいい。

ーそうか。仏像はいいのか。じゃあ宝石屋はどうだ?安いぞ。ブラザー。何も問題ない。さあ。

いや、だからカオサンでいいって。

ーいやいや。そこは俺の知り合いがいてすごく良いところなんだよ。とりあえず見に行こう。何も問題ないから。おお、そういえば君は日本人か?

いや、韓国人です。さようなら。


とまあこんな感じで彼らは商魂たくましく、ついて行ったが最後、高額商品を買うまで帰されないので僕は何度も国籍を偽った。韓国人の皆様すみません。顔はだいたい韓国人なのでよろしくお願いします。
結局流しのトゥクトゥクを拾って100バーツでカオサンまで戻ったが、風がすごくて目がやられるわ、見た目の割にスリルはないわで微妙でした。
最終日に乗ったバイクタクシーはスリルしかなかったので一人旅の人はそれに乗ると良いと思います。


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思ったよりスリルがない




そのまま歩いて寺に行き、涅槃仏を見たり、スコールに襲われたりして疲れたのでホテルに戻った。
仕切り直しをして夜の街へ繰り出す。カオサンのクラブはいろんな人が集まるらしい。
昼とはまた違った顔を見せるカオサンだったが、さっきも言ったようにとにかく若者がはしゃいでいるだけだったので特にすることもなく、声をかけてくるニューハーフをやり過ごしているうちに夜も更け、3時頃に取り締まりの警察官が来たのを機に宿へ帰った。
カオサンとはなんだったのだろうか。初日のくせにいろいろと周りすぎてとにかく疲れた。明日はもう少しゆったりと旅をしようか。そう考えているうちにいつの間にか意識は遠のいていった。ぼんやりとした1日がぼんやりとしたまま終わる。


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続かない

怒り

 怒りっていうのは非常に便利なもので。

ぼくは人間の行動力とか発想力とか、それを生み出す一連の流れを電力みたいに捉えています。
発電所で電気を作って、その電力をいろんな使い道で使うっていう単純な理解ではありますが、まぁその方が無理矢理当てはめやすいためです。

その発電所の中で一番爆発的に発電できるのが怒りで、生まれるエネルギーの総量がものすごいんですよ、とにかく。
でもそれだけたくさんのエネルギーがあると、使い道に困って結局ほとんどのエネルギーが無駄になってしまってると思うんです。
利用されなかったエネルギーは熱エネルギーとして外に出て行くので、乱暴になって怒鳴ったり八つ当たりしたりなど、熱すぎて人に危害を加えてしまうものになります。
かといって発電所の中でエネルギーを溜め込んでも、内部で暴走した結果動力機が壊れる(=ストレスによる不調)ことになってしまう。


それだと変換効率が悪いんですよ。


たくさん発電したなら、それをうまく利用しないともったいないじゃないですか。
使い道をどうするか、というのは難しい問題なんですが、発電することになったきっかけに対する解決策を考えるのが一番楽だと思います。


例えば、お前のためだと言っていらんことまで延々と説教垂れる先輩がいるとします。
こいつはウザすぎて殺したいほど腹が立ちます。ブン殴ってやろうかとも思います。怒りのボルテージはマックスですね。
このエネルギーの使い道を考えてみましょう。

1.発狂して殴りかかる
まぁ論外です。殴られた方も怒って反撃してくるでしょう。あなたの身体はボロボロになり、仕事も辞めることになります。お先真っ暗ですね。

2.気があう人と悪口を言いまくる
これは選びがちです。というか一番楽です。共感してもらうことで怒りもおさまるので、たまにはこういうこともアリです。
ただ、共感はジャンクフードのようなもので、気持ちは楽になりますがやりすぎると依存してしまいます。
というか悪口言ってる時点で間接的に危害加えてますからね。
これが大っぴらになった場合は周囲の非難によってあなたの精神はボロボロになり、仕事も辞めることになります。お先真っ暗です。

3.耐える
優しい人が取りやすい選択です。
ただこれはめちゃめちゃ怖いです。
溜め込んだエネルギーがいつ爆発するかわからない。溜め込みすぎて不調をきたすかもしれない。
つまりボロボロになって仕事も辞めることになりお先真っ暗です。

4.見返してやる
その人より仕事ができるようになって黙らせる、だとか、その人は批判してたけど自分は良いと思うことをひたすら突き詰めて結果を出す、とか、まぁやり口はいろいろあると思います。
大事なのは怒りエネルギーを発散せず、同時に溜め込まないということです。


ぼくは先輩がウザすぎて殺したいほど腹が立ったので、プログラミングの勉強を始めました。
なんとなくモヤっと始めるよりもモチベーションが維持できるのは怒りのおかげだと思います。

これを一番目に見える形で実践しているのはたぶん芸術家だと思います。
何かに対する怒りを、問題提起としてアートで表現している人が多いイメージです。

きっかけは怒りでも、それをどう使うかによって全く結果が変わると思います。
どうせたくさんのエネルギーが生み出されるんならそれを使いきった方がお得ですよ。変換効率のいいやり方を探せば、無駄なくエネルギーを使えるんですよ。
同じ電気の量でも、白熱灯は熱いしすぐ消えちゃうけれど、発光ダイオードはぜんぜん熱くないし長く使えるのと同じことです。




将来の夢は発光ダイオードになることです。





ラガーマン

2015年、夏。
都会を包む湿気と熱気にうんざりしつつ、僕は地下鉄に乗っていた。扉の脇に背を向けて立っていると、電車に乗り込む客の声が聞こえてきた。
「すみません通ります」
その声を聞いたのと同時に僕の体はタックルを受け、吹き飛ばされた。驚いて振り返ると声の主だった。

スーツを着た、30代くらいの男だった。
身体に脂は乗ってきているものの、その下には確かな筋肉という実績が蓄えられていた。
そのまま座席の方に消えてゆき、姿は確認できなくなってしまったが、僕にはその人の人生が手に取るようにわかる。

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2003年8月、この日に開催される全日本大学ラグビー選手権は、日本のラグビー人口さえ少ないが、それでもその大きなスタジアムを埋め尽くすほどの人で溢れかえっていた。
大学生活最後のトーナメント。
高校生から始まった自分のラグビー生活が今まさに極地を迎えている。
7年間、ラインとしてスクラムを組んで、来る日も来る日も筋肉とのぶつかり合いを重ねてきた。
スクラムの責任は重い。
崩れてしまったら、それでチームの攻撃は終わってしまう。
彼は人生の全てをぶつける意思を持って、ひたすら耐えた。耐えて耐えて、膝や腰、腕に限界が来た。それでも彼は耐えた。

しかし現実は無情なもので、結局彼のチームは初戦で敗退した。
その後すぐに部を引退して、氷河期と言われる就職活動に身を投じることになった。
今までの生活が嘘だったかのように過ぎ行く時間。
彼が罪の意識に囚われるには十分すぎる時間だ。
もちろんそのような迷いを抱えていては理想の社会人になれるわけもなく、最終的に彼は1社しか内定を得ることができなかった。
それも今で言われるブラック企業
彼は毎日奴隷のように扱き使われ、精神を病んでしまった。
しかし彼の中にあるラグビーへの思いは変わらない。
そのうち彼は、満員電車の人混みをあのスクラムに重ねるようになっていった。
俺のフィジカルはまだまだ現役と変わらない。
少し本気を出しただけで簡単に若者は吹き飛ばされる。
「辻タックル」はこうして、社会への憎悪とともに誕生した。
彼は純粋すぎるが故に道を誤ってしまったのだ。

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着地点が見えないので体育会系が好きそうなメニューナンバーワンを紹介して閉めようと思います。

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メガネとコンタクトと私

ぼくはメガネが苦手だ。

つけたときにする視界の歪んだ感じにどうしても対応しきれないのだ。
目に直接つけないので眼球に傷はつかないかもしれないけど、どんどん視界が蝕まれていく。つけた瞬間にははっきりと見えていたものが、1時間、2時間と経つうちにだんだんぼやけてきて、目の奥がどんよりした気持ちになって、その気持ちが脳みそに伝わってどんどん気分が悪くなり、最終的にふてくされて寝ようとする。
ネットサーフィンも、読書も、勉強も、どれも手につかないままあのまどろみに引き込まれてしまう。

なので一日中コンタクトを付けっ放しだし、1週間くらい外さないときもある。
友達の親戚が、コンタクトを付けっ放しにしていたせいで失明しかけたとか、そんな話を聞いても、
(でもそれはソフトレンズだからだ。自分はハードレンズだからなんとかなるんだ)
というむちゃくちゃな反論をでっちあげて日々自分を納得させている。これをぼくは「ソフトばっかの損」理論(大手キャリアのトップとは何も関係ない)として提唱している。
今名付けました。
とにかくハードレンズは、たまにゴミが入るとキンタマを打ったくらいのしつこい痛みに悩まされることを除けばとても便利なのだ。水洗いできるし。

たまに、ふと思い立ってコンタクトを外す。
そういうときは本当に急に思い立ってやるもので、そのまま勢いで保存液につけてしまう。
そしてその後にぼくは気づく。

メガネどこ置いたっけ。

そう。めったにかけないものだから、最後に置いた場所がどこだったかいつも忘れてしまうのだ。
いつもは机の上や、洗面台や、ベッドに無造作においてあるのだけど、今日は見つからない。そして、ぼくはコンタクトを外したばっかりだ。どう頑張っても見つからない。
それならば、といろんなところを照らすためにスマホを探すが、それもコンタクトを外す前にどこかにほっぽってしまったので見つからない。
見つからないことが見つからないことを生む、まさに発見のデススパイラルに巻き込まれてしまったぼくは、絶望した。やけくそになった。
疲れ果ててベッドに腰を下ろすと硬い感触が。スマホだ。ぼくは舞い上がった。喜んだ。
気分がよくなったので再び捜索を再開すると、仏壇の棚の上にメガネを発見した。
なぜ前の自分はこんなにへんな場所にメガネを置いたのか。いつもそうだ。この間もものを無くしかけたじゃないか。あれはなんだったか。忘れた。とにかく今回もまた反省するとしよう。
僕はメガネをかけた。



というくだらない文章を書いていたら目の奥がどんよりしてきて、気分が悪くなってきたので、ふてくされて寝ようと思います。

考える、書く、話す

思っていることを言語化するのってとても難しいと思うんですよ。

普段思考するときはおそらく脳みその中で単語を読み上げるようなイメージで、文を組み立てていると思います。


話す、でも、書く、でも、それを他者が感じ取れる形として表すわけで、何であれ形があるものに思考を変換しなければならないので、そのプロセスに慣れていないとうまく変換しきれなくてロスが出てしまうんじゃないかと思うんです。




⚪︎考える


まず考えることの時点で、本を普段から読んでいない自分は概念のストックが少ないため、どうしても今の自分が使える簡単な言葉が中心になってしまいます。その結果として量が膨大になっているんじゃないかと思います。

頭のなかに流れている思考の量が100%だとすると、40%くらいは無駄な情報な気がするんですよね。


知識を得るということはデータを圧縮して整理することだと思います。無駄な情報に方向づけをすることで有効に使える割合を増やすということなのではないかと。なんというか、パソコンで例えるならばデフラグのようなものですかね。




⚪︎書く


実際に考えていることを表に出すには文字とか単語とか色々な道具を使わなければ形を与えられないのですが、その変換の行程で確実に単語では捉えきれない情報が存在していて、それがそのままロスになっているのではないのかと。

文章はそれを書き起こした後でも修正ができますよね。なのでロスがあったと感じる部分はいくらでも訂正できるし、60%のうちの90%くらいは文章の構成や言葉の並べ方で表現できるんじゃないかな、と思います。

一番わかりやすい形で残るから、見返すことも楽なんですよね。



考える行程そのものを文章に書きだそうと思って実際に一度やってみたところ、あんまりにも無駄な情報が多くて後から見返しても何が何だかわからなくなりました。

だから人の思考が全部読める能力とか、最悪だなと思うんですよ。たぶん一人分だけでも気が狂ってしまうんじゃないでしょうかね。

意味がわからないなーって方に簡単に説明すると、俺の文章ってめちゃめちゃ読みにくいじゃないですか。気をつけてはいるつもりなんですが、どうしても思考した順番で話を進めていくのでたぶん自分以外の人が読んだら思考プロセスの違いからストレスを覚えるんじゃないかな、と。

そんな感覚を常日頃から味わうなんて地獄でしかないですよね。


すでに文章ですら自分が言いたいことを伝え切れません。




⚪︎話す


メチャメチャ苦手です。以上。



えっと、会話ってすごく難しいですよね。

考えてることを一度文章にして、相手との会話の内容や状況に合わせて校正をした上で発言する、なんてことができればとても嬉しいのですが、残念ながらそんなに処理速度の速い脳みそを持っているわけではないので、思考がそのまま単語としてポロリしちゃうことがよくあります。

流れるように話題が移り変わっていくので、普段一人で考えているようなことの話題になっても相手に伝えられる精度に高めることが間に合わず、薄っぺらい発言をしてしまうのです。

考える、書くでは状況なんて関係ないので好き勝手できますが、話すときは状況把握、思考整理、変換のプロセスを一通りこなしながらコミュニケーションをとるのでそういうわけにもいきません。

だから自分の発言に後悔したり、人の発言に腹を立てたり、上手くいかないことが多いんですかね。


常に自分の行動を批判することは欠かさないんですが、それが現実の行動として結果を残してからでないと批判できないのが悩みどころです。

発言する前にもう少し考える時間があれば。

まあ、あったところでまとまらなければ意味なさそうなので、会話を重ねる中で相手とその話題について明確にしていけば良い、とは思うのですが。それは議論の話であってコミュニケーションはそうでもないんじゃないかなあ、とも思います。

とにかくね、難しいんですよね!

一旦話を戻すと、

考える→書く→話す

の順でだんだんロスが大きくなってくんじゃないかと思います。

もちろんこれは単語をベースにした話であって、話すときにはジェスチャーなど別の要素が入って来るために書くときと同じくらいの内容は伝わってんじゃねえかなとは思います。

でもね。ジェスチャーとか、雰囲気とか、そういうのを読み取るのがちょっと苦手な人にとっては、やっぱり話すことが一番難しいんですよね。楽しいけどね。



⚪︎まとめ


メールやラインの普及で、書くという形式の中でリアルタイムの会話ができるようになり、人々のコミュニケーションの中で書くことが占める割合がとても増えた結果、自分のような人間も増えてきたんではないでしょうか。

成立の話で言ったら書くことの方が新しいことだから、見方によれば進歩しているとも言えます。

でもやっぱりなんとなく寂しい感じがするので、直接あってする会話っていうものは大切にしていきたいですね。

苦手ですけど。

上手くできるように精進いたします。